あらすじ
かつて中国では、官吏登用のことを選挙といい、その試験科目による選挙を「科挙」と呼んだ。官吏登用を夢みて、全国各地から秀才たちが続々と大試験場に集まってきた。浪人を続けている老人も少なくない。なかには、七十余万字にもおよぶ四書五経の注釈を筆写したカンニング襦袢をひそかに着こんだ者もいる。完備しきった制度の裏の悲しみと喜びを描きながら、試験地獄を生み出す社会の本質を、科挙制度研究の権威が解き明かす。
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Posted by ブクログ
" その民間の教育をともかくも継続させたのは科挙が存在するからであるが、この科挙が本当に役に立つ人材を抜擢するには不十分であることは、中国でも古くから指摘されていた。経学のまる暗記や、詩や文章がいったい実際の政治にどれだけ役立つであろうか。それは単に古典的な教養をためすだけにすぎない。官吏として最も大切な人物や品行は、科挙の網ではすくいあげることができない、というのが古来の科挙反対論であった。" p.204
"科挙及第の進士は、天子からその名誉ある地位を授けられたものにはちがいないが、同時に彼らは知識階級の輿論(引用注:よろん、人々の議論または議論に基づいた意見、「世論」は世間一般の感情または国民の感情から出た意見)からその栄誉を承認された者でもある。それでなければどうして試験官の一挙一動、合格者成績の一上一下が社交界の話題の焦点となることができようか。この点から見ると、科挙は形をかえた一種の総選挙であるともいえる。" p.211
"日本の試験地獄の底には、封建制に非常に近い終身雇用制が横たわっており、これが日本の社会に真の意味の人格の自由、就職の自由、雇用の自由を奪っているのである。" p.213
科挙の大雑把な構成。各試験と、通過して与えられる称号。
童試 生員
歳試 挙子
郷試 挙人 英語ではマスターと訳される。
会試 進士 英語ではドクターと訳される。
非常にシステマチックで不正を許さぬよう工夫している。しかし清代には絶対王政の悪い面が出て、殿試なるものが登場し、
会元天下才 会試の一番は天下第一の文才
殿元天下福 殿試の一番は天下第一の幸福者
という諺が生まれたという。
とはいえ科挙の試験官と受験者が合格後に師弟の契を結ぶことが慣例となり、派閥のもととなったという原因があり、ならば殿試によって天子が進士の師たらんとしたのは無理もない。
科挙というものはせいぜい国立大の入試あるいは国家公務員の試験くらいに考えていた。つまり私事であって、それほど大事ではないと。想像を遥かにこえた天下の一大事であり、大規模な国家事業であったと認識を改めた。
その一方で、進士の謝恩の儀式で正客帰参の後、雑役夫が場内に踊りこんで残った料理を掠奪する風習もあったという。改めさせようとしてもついに改まらなかったそうな。
p.158 のエピソードはFSSにおける天照宇宙の出来事のよう。
p.161 十二国記の覿面の罪はなにか発想の源があるのではないかと思いつつ探り出せていない。唐代の道教の実践道徳の根底に横たわる思想、天罰の概念は積算し寿命にまで食い込むとある。
武科挙、というものを知り得たことは望外の喜びであった。
後序が文系学者特有の放言で終わらなければ最高評価を与えたであろう。