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4.5『現代日本の精神構造』(1965年)や『近代日本の心情の歴史』(1967年)で日本と日本人がたどってきた道行きを具体的な事象を使って鮮やかに分析した社会学者は、人々を震撼させた連続射殺事件の犯人を扱う「まなざしの地獄」(1973年)でさらなる衝撃を与えた。その名を、見田宗介(1937年生)という。 続くメキシコ滞在を機に、さらなる飛躍を遂げた社会学者は、「真木悠介」の名を使ってエポックメイキングな著作『気流の鳴る音』(1977年)を完成させる。ここで形を得た人間観と、そこから導かれるコミューンへの憧憬は、独自の理論に結晶していき、数多くの信奉者と、数多くの優れた弟子を生み出した。その成果は、『時間の比較社会学』(1981年)や『自我の起原』(1993年)といった真木悠介名義による労作を経て、ついに『現代社会の理論』(1996年)に到達する。現代の世界に向けられた冷徹と愛情の共存するまなざしは、最新の社会現象についても常に鋭利な分析をもたらし、今なお他の追随を許すことがない。 その思想が、かけがえのない「他者」たちとの対話を源泉にして生まれてきたこともまた間違いのない事実である。対談や座談会は収録の対象としなかった『定本 見田宗介著作集』(全10巻、2011-12年)と『定本 真木悠介著作集』(全4巻、2012-13年)を補完するべく精選された、珠玉の11篇。現代日本社会学の頂点に君臨する著者が望んだ初の対話集がついに完成した。 [本書収録の対話] 河合隼雄 超高層のバベル 大岡昇平 戦後日本を振り返る 吉本隆明 根柢を問い続ける存在 石牟礼道子 前の世の眼。この生の海。 廣松 渉 現代社会の存立構造 黒井千次 日常の中の熱狂とニヒル 山田太一 母子関係と日本社会 三浦 展 若い世代の精神変容 藤原帰一 二一世紀世界の構図 津島佑子 人間はどこへゆくのか 加藤典洋 現代社会論/比較社会学を再照射する 交響空間――あとがきに(見田宗介)
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4.3本書『ツァラトゥストラはこう言った』がニーチェ畢生の書にして、ドイツ文学史上屈指の作品であることは言を俟たない。故郷を捨てて山に入ったツァラトゥストラは「私は惜しみなくあげたいし、頒かち与えたい。人間たちのあいだで賢者がもう一度愚かさを愉しみ、貧者がもう一度豊かさを愉しむようになるまで」という言葉とともに山から下り、人間たちの世界に入っていく。「神の死」を告げ、しかし人類は現状に甘んじることなく高みを目指して進んでいくべきだとする「超人」の思想を伝えるツァラトゥストラは、生きとし生けるものは現状以上を目指すという原理、すなわち「力への意志」の原理に「超人」が基づいていることを説く。しかし、没落を始めるツァラトゥストラは、この世に新しいものなど起こらず、すべては同じことの繰り返しであるという「永遠回帰」の思想にたどりつく――。 生田長江による最初の邦訳(1911年)以来、すでに本書の日本語訳は15種類を数える。そのすべてに目を通した上で作られた本訳書は、21世紀にふさわしい日本語で「声に出して読める翻訳」を実現するものである。学術文庫『愉しい学問』の訳者が満を持して送り出す、渾身の訳業! [本書の内容] 第一部 ツァラトゥストラの序説 ツァラトゥストラは語る 三段階の変身/徳の講座/背後世界論者/肉体の軽蔑者/情熱にひそむ喜びと苦しみ/青ざめた犯罪者/読むことと書くこと/山に立つ樹/死の説教者/戦争と戦士/新しい偶像/市場のハエ/純 潔/友/千の目標と一つの目標/隣人愛/創造者の道/老いた女と若い女/毒ヘビにかまれる/子どもと結婚/自由な死/惜しみなく与える徳 第二部 鏡をもった子ども/至福の島にて/同情者たち/司祭たち/有徳者たち/汚い奴ら/毒ぐもタランチュラ/有名な識者たち/夜の歌/舞踏の歌/墓の歌/自己克服/崇高な人/教養の国/純粋無垢の認識/学 者/詩 人/大いなる出来事/占い師/救 い/賢い世渡り法/最も静かな時 第三部 放浪者/幻影と謎/不本意な幸福/日の出前/卑小にする徳/オリーブ山にて/通り過ぎるということ/離反した者たち/帰 郷/三つの悪/重さの地霊/新旧の石板/快復しつつある人/大いなるあこがれ/もう一つの舞踏の歌/七つの封印 第四部・最終部 蜜の捧げ物/助けを求めて叫ぶ声/王たちとの対話/ヒ ル/魔術師/失 業/最も醜い人間/進んで乞食になった人/影/正 午/歓迎のあいさつ/晩 餐/高等な人間/憂鬱の歌/学 問/砂漠の娘たちのもとで/目覚め/ロバ祭り/夜の放浪者の歌/しるし 訳 注 訳者あとがき 索 引
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4.5新しいウイルスの蔓延をはじめ予期せぬ出来事が次々に起こり、AIなどの技術が想像もしなかった可能性を現実にする状況は、とどまるところを知りません。全体を見通すことは難しく、自分が今どんなところにいるのかも分からぬまま、新たな事態に翻弄されながら生きている、というのが多くの人の実感でしょう。 そのとき「使える」のは「哲学」である――これが本書のメッセージです。では、どのように使えるのか。その威力を実際に体験していただくために、本書は「富」、「美」、「科学」、「正義」、「私」という5つのテーマを設けました。誰もが「富」を手にし、「美」しくありたいと願いますが、それを実現するのに必要なのが、さまざまなテクノロジーを生む「科学」だと信じています。ところが、「富」と「美」だけでは満足できず、誰もが自分は正しいと信じ、「正義」ゆえに葛藤や悲劇が生み出されます――そのすべては「私」への固執がかつてないほど強くなった時代の現象です。 つまり、「富」、「美」、「科学」、「正義」、「私」は、どの時代、どの場所でも同じだったのではなく、歴史の産物なのです。それがいかにして生まれ、いかに変化してきた結果、現在の私たちを捉え、駆り立てているのかを解明できるのは、哲学だけだと断言できます。本書は、近年の出来事からスタートして、歴史の地層を掘り進め、徐々に深度を下げていく作業を実演していきます。従来の哲学史のように歴史をくだっていくのではなく、まるで発掘の作業のように歴史をさかのぼっていった先で、真の自由を手にできるはずです。 [本書の内容] I 富:「承認」への欲望 深度0 2019年:「富」の魔法/深度2 1867年:マルクスの価値形態論/深度3 1759年:アダム・スミスの道徳論/深度4 1517年:プロテスタント神学の救済論 II 美:「尊さ」への欲望 深度0 2019年:「美」の消費/深度1 1979年:「大きな物語の終焉」/深度2 1800年:「芸術」という神話/深度4 1590年:「何かよくわからないもの」の優美=恩寵 III 科学:「進歩」への欲望 深度0 2020年:「科学」の信仰/深度1 1962年:クーンの「通常科学」/深度4 1543~1687年:近代科学の「パラダイム」 IV 正義:「権利」への欲望 深度0 2017年:「正義」の揺らぎ/深度1 1962~71年:リベラリズムの「理想」/深度4 1690年:自然権のゆくえ V 私:「ありのまま」への欲望 深度0 2020年:「私」の全肯定/深度3 1781年:カントの「理性」/深度4 1641年:デカルトの「コギト」/深度1 1923年:無意識を操作する広告技術 欲望の哲学史から未来へ
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-古代、人は生きるために必要にかられて、結ぶこと・包むことを考えました。神が人間だけに授けた特殊な技法「包みと結び」が私たちの精神文化の基調となり、“礼法”という域に昇華するまでには、どんな変遷を辿ったのでしょうか。今や当たり前の景色となった「包み」と「結び」の起源を年中行事や風習から訪ね、由来と意味を解説。日本人の豊かな美の世界を堪能する! 本書は、1991年10月、福武書店より刊行されました。 目次 はしがき 一 年中行事と歳時 はじめに 1年中行事の始まりと広がり 2「包み」の働き 3「結び」のしくみ 4暮らしの中の包み結び 5年中行事と包み結び 6中国の歳時記 二 新年の季寄 はじめに 1門松 2しめ飾り 3結び昆布 4生花初め 5馬騎初め 6着衣始め 7おけら祭り 8お年玉 9掛鯛 10幸木 11猿廻し 12しめ縄の四手 13綱引き 14包み蓬莱 15蘇散 16綯い初め 17縫初め 18初髪結い 19箸包み 20常陸帯の神事 21宝引縄 22万歳と鼓 23結び柳 24大黒天と布袋 三 春の季寄 はじめに 1梅若忌 2事始め 3桜餅 4凧 5新茶 6針供養 7三つ葉 四 夏の季寄 はじめに 1青簾 2菖蒲打ちと菖蒲の枕 3葵祭り 4鵜縄 5団扇 6扇子 7蚊帳 8柏餅 9祇園会 10鱚 11薬玉 12三社祭り 13代掻きと田植え 14襷 15端午の節句と粽 16茅の輪 17夏帯 18夏足袋 19夏場所 20匂い袋 21袋掛け 22 浴衣 23蚊遣り火 五 秋の季寄 はじめに 1牛祭り 2風祭り 3霞網 4鴨 5菊供養 6島田帯祭り 7ずいき祭り 8相撲節会と衣裳 9晴明神社祭 10俵編み 11七夕 12中元 13盆行事 14重陽 15風呂敷 六 冬の季寄 はじめに 1綾取り 2亥の子餅 3襟巻 4縁結び 5事納め 6紙衾 7角巻 8七五三と紐解き 9しめ作り 10障子 11頭巾 12歳暮祝い 13鎮魂祭 14縄跳び 15袴着 16日蔭の鬘 17鰤 18頬被り 19足袋 20羽織と胸紐 21節分 七 通過儀礼 はじめに 1新生児 2誕生祝い 3褌祝い 4結納祝い 5婚礼 6岩田帯 7還暦祝い 8葬礼 9法要 10水引 11熨斗(のし) 12袱紗(ふくさ) 八 日本文化における包み結び はじめに 1神道的なもの 2仏教的なもの 3陰陽五行的なもの 4再び年中行事を考える 5包み結びとのかかわり あとがき
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-19世紀、遊里とかぶきの全盛を過ぎ、文化と衰退と爛熟が肌で感じられた江戸化政期。それは地震・噴火・洪水と、鎖国の綻びの時代でもあった。「四谷怪談」「桜姫東文章」などで知られる四代目鶴屋南北は、奇抜な趣向で当時の「現代」を写しとり、かぶきに新たな地平をひらく。彼は世に何を仕掛けたのか。伝統の革新とは何か。稀代のかぶき研究者畢生の渾身作。
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4.0プラトンの主著は何か、と言われれば、たいていは『国家』という答えになるでしょう。確かに『国家』にはプラトン哲学のエッセンスが詰め込まれ、質量ともに主著の名にふさわしいことは間違いありません。しかし、長い歴史の中で最も大きな影響力をもったプラトンの対話篇はといえば、本書『ティマイオス』なのです。 神による宇宙の製作とさまざまな自然学的理論が論じられる後期対話篇である本書は、古来プラトン信奉者たちに重視され、前1世紀から後3世紀にかけての中期プラトン主義とそれに続く新プラトン主義の時代に特権的な地位を占めるに至りました。その伝統が近代にも及んでいることは、ラファエロの有名な壁画《アテネの学堂》でプラトンが手にしている書物が『ティマイオス』であることに、はっきり示されています。 ソクラテス、ティマイオス、ヘルモクラテス、クリティアスの四人を登場人物とする本書は、導入部以外はすべてティマイオスのモノローグで構成されています。おそらくプラトンが創作した架空の人物であるティマイオスが語る宇宙論は、国家においても個人においても理性こそが主導権を握るべきだ、というプラトンの主張を正当化するものとして提示されます。この宇宙は必然や偶然の産物ではなく、理性的な製作者(デーミウールゴス)によって、理性の対象(イデア)を手本として、理性的な魂をもつ生き物として構成された、というのがその骨子です。こうして宇宙が理性によって導かれているのなら、それと類比関係にある国家においても個人においても、気概や欲望ではなく理性が支配することこそが自然にかなった正しいあり方だということになります。本書においてプラトンは、国家と人間のあるべき姿を宇宙全体の構造の中に根拠づけることを企てたのでした。 本書は、それぞれの時代、それぞれの思想家において、さまざまに異なる観点から関心の対象とされてきました。ユダヤ教徒やキリスト教徒は『創世記』の神の世界創造を理解するヒントを本書に求めたでしょう。新プラトン主義者は形而上学的真理のアレゴリーとして本書を読んだでしょうし、錬金術師は神の創造を自らの手で再現するための秘密を本書に読み取ろうとしたかもしれません。そして、自然学者や科学者にとって、宇宙の始まりと物質の究極という科学にとっての永遠のテーマを追究する本書が関心の対象となったことは言うまでもありません。 そうして「プラトニストのバイブル」とまで呼ばれた本書『ティマイオス』は、しかし日本では、なぜかこれまで文庫版が存在しませんでした。この状況を打破するべく、最良の訳者を得て、満を持しての新訳を皆さまにお届けいたします。 [本書の内容] ティマイオス 訳 註 訳者解説
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5.0東京大学が「帝国大学」だった頃、すべては始まった―― 「東大」出生の秘密を暴き、その虚像と実像を抉り出す! * 明治19年の帝国大学の誕生は、のちの東京大学をも貫く基本性格を確立した歴史的特異点であった。エリート官僚養成、アカデミズムの独占的権威、立身出世・受験競争の頂点――伊藤博文、森有礼、井上毅ら設計者たちの政策的意図を辿りつつ、今日まで続く東大の本質とイメージの淵源を明らかに! [目次] 第一章 帝国大学の出自――リヴァイアサンの生い立ち 第二章 帝国大学のモデル――ドイツの大学から学ばなかったこと 第三章 官庁エリートの供給源――工科系から法科系へ 第四章 出身と出世――上昇気流にのって 第五章 明治アカデミズムの体質――講座制と研究 第六章 もしも帝大がなかったら――批判的展望 あとがき 解説 科学史/大学史を超えた「学問の歴史」 石井洋二郎
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4.2ギリシアの枠を飛び越えた「犬哲学者」の実像 甕(かめ)の中に住まい、頭陀袋(ずたぶくろ)を下げ、襤褸(ぼろ)をまとって犬のようにアテナイの町をうろつき、教説を説いたシノペのディオゲネス。おびただしい数の逸話で知られる「犬哲学者」の思想とは、いったいどのようなものだったのか。アリストテレス的人間観や当時の伝統・習慣を全否定し、「世界市民」という新しい理念を唱導・実践した思想家の実像を探り出し、われわれ現代人の生き方を模索する。 「犬」と呼ばれたシノペのディオゲネス。ひとは彼についてどれほどのことを知っているだろうか。(略)昼日中にランプを灯してアテナイの雑踏を往来しつつ「わしは『人間』を探している」と言い放ったとか、なにかそういう類の奇抜な逸話が知られているだけではあるまいか。だが、知るべきはこの男の生き方、その根底にあった「世界市民」思想だ。――<「序章」より>
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4.3「メディアはメッセージ」「グローバル・ヴィレッジ」「空間と時間の消滅」などインパクトの強い言葉で1960年代を席巻したマクルーハン。「文明批評家」「未来学者」「メディア社会学者」「ポップカルチャーの哲学者」「インターネット時代の預言者」「コミュニケーション理論家」など、さまざまな呼称で輪郭づけられたトロント大学英文学者マーシャル・マクルーハンの正体と思想の中身は、本当のところ何だったのか。エリザベス朝文学を出発点とする個人研究史は、メタファーが持つ人間的思考の本質の探究へ、さらに狭いアカデミズム世界を超え出て技術・社会・文化の問題へと射程を広げてゆく。そこで焦点化されてくるのは人間の思考・行為を方向づけている「メディア」の偉力であった。メディアとは単なる媒体ではない。印刷・電信・電話・テレビはもちろん、衣服も住宅も貨幣も、道具も兵器も、あらゆる人工物がメディアであってそれは人間の拡張をもたらすこと、また究極のメディアは言語であってそれは人間を整形し、知のかたちを変形しうることを見通すに到ったのである。古今東西の事象に精通し博覧強記をもって知られたマクルーハン。また「論」を立てること、論理的文章を練り上げることを忌避したマクルーハン。アルファベットの発明がやがて文字・概念重視、視覚優位の西洋思想を築き上げていったことへの警鐘、そのアンチテーゼとしての聴触覚重視「口誦」文化復権への主張。難解と言われる著書と研究の射程を見抜き、計り知れない現代的意味の重さを読み解く。
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-真の信仰を希求する魂の記録! 死後42年たって新発見された幻の日記 『論考』から『探究』へ―大哲学者が書き残した、自らの思考の大転換、宗教的体験、そして苛烈な内面の劇! “隠された意味”は何か!? 私の本『論理哲学論考』には素晴らしい真正の箇所と並んで、まがい物の箇所、つまり、言ってみれば私が自分特有のスタイルで空所を埋めた箇所も含まれている。1930.5.16 真の謙虚さとは、1つの宗教的問題である。1930.10.18 私はすべてを自分の虚栄心で汚してしまう。1931.5.6 人は職人の比喩に惑わされているのだ。誰かが靴を造るというのは1つの達成である。しかしいったん(手元にある材料から)造られたなら、靴はしばらくの間は何もしなくても存在し続ける。しかしながら、もし神を創造主と考えるのなら、宇宙の維持は宇宙の創造と同じくらい大きな奇跡であるはずではないのか、1937.2.24――<日記本文より> 『論考』がウィトゲンシュタインにとっての原罪であり、それを克服するためにこそ、この日記が書かれたのだという言葉に、おそらく多くの読者が驚き、いぶかしがられることと思う。――<訳者解説「隠された意味へ」より> *本書の原本『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記 1930-1932/1936-1937』は、 2005年に小社より刊行されました。 【目次】 はじめに 編者序 編集ノート 謝辞 凡例 第一部 一九三〇ー一九三二 第二部 一九三六ー一九三七 コメンタール コメンタールで使用された参考文献と略号 人名索引 隠された意味へ ウィトゲンシュタイン『哲学宗教日記』(MS183)訳者解説) 訳者あとがき 訳者あとがき補遺(学術文庫化にあたって)
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-「われらが内なる道徳法則と、われらが上なる星輝く天空! カント!!!」 1820年、49歳のベートーヴェンは筆談用のノートにこう記した。《第九》初演のおよそ4年前にあたる。ここに引用されているのは、ほかならぬカントの『実践理性批判』の結語の一部だが、少しアレンジされている。そのアレンジは、なぜ生じたのか。そしてベートーヴェンのこの感激は、何を物語るのか――。その問いは《第九》に込められたベートーヴェンの思いへとつながっていく。 若き日にはボン大学で講義を聴講していたこともあるベートーヴェンと、彼を取り巻く文化的・社会的文脈から《第九》を生んだドイツの時代精神を描き出す意欲作! ベートーヴェン(1770-1827)が生きた時代のドイツ語圏には、ゲーテをはじめヘーゲル、シラー、フィヒテ、シェリングと綺羅星のごとき知性がいた。そのなかでひときわ大きく強い輝きを放ったのが、巨星イマヌエル・カント(1724-1804年)である。 天文学と神学、そして音楽がまだかろうじてつながりを保っていた18世紀後半にあってカントの哲学は、ベートーヴェンの音楽にも大きな影響を及ぼした。哲学と音楽、それぞれの領域でドイツを代表するといっても過言ではない二人が、これほど近接した時を生きたことにこそ、《第九》誕生の秘密はあった。 若き日、ボン大学で講義を聴講していたベートーヴェンに遡り、やがて訪れる「苦悩を突き抜けて歓喜へ」と至る道筋を追いながら、有名無名さまざまな人的・知的交流の網の目を丹念に浮かび上がらせることで「知の歴史」を描くこれまでにない試み。 【本書の内容】 プロローグ 第1講 啓蒙都市ボン 第2講 ボン大学の教授たち(その1) 第3講 ボン大学の教授たち(その2) 第4講 皇帝カンタータ 第5講 歓喜に寄す 第6講 無限と宇宙 第7講 シラーとカント 第8講 危機の時代 第9講 歌劇《レオノーレ》 第10講 苦悩を突き抜けて歓喜へ 第11講 カント宇宙論に挑む 第12講 会話帳をめぐる問い 第13講 星空のエチカ 第14講 第九交響曲 エピローグ 思想史の星図における第九交響曲
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-地球は動いている――。プトレマイオスからおよそ1400年続く天文学を覆したコペルニクス(1473-1543年)。ケプラー、ガリレオ、そしてニュートンへと続く「科学革命」は、この発見に始まる。それは「革命」という言葉の華々しさとは裏腹に静かに、本人さえその帰趨を自覚しないままに始まった。 コペルニクスはいかにして地動説に至ったのか。『天球回転論』全6巻のうち、地球の運動について記された第1巻と、『天球回転論』の公刊に先立ってコペルニクスの地動説を初めて世に知らしめた弟子ゲオルク・ヨアキム・レティクス(1514-74年)の『第一解説』の本邦初訳をあわせて収録。 コペルニクスが生涯をかけた書物『天球回転論』が、ニュルンベルクの出版社から届けられた1543年5月24日、それを待っていたかのように同日コペルニクスは他界する。「プトレマイオスを模倣しようとした」、「天文学の再興者」と言われるほどに、その構成や研究に対する姿勢は、プトレマイオスの『アルマゲスト』に倣ったものだった。ただ一点、「地球が動いている」ということを除いては――。 1400年の長きにわたって支配的であったプトレマイオスの天文学およびアリストテレスの自然学体系に、『天球回転論』がうがった小さな穴は、やがて大きなひび割れとなって従来の伝統的宇宙観を根本から打ち破り、人間の世界に対する認識を大きく変容させることになった。 神学者や世間の反応をおそれて長らく原稿の公開をためらっていたコペルニクスに、出版を強く勧め最終的に承諾させたのが唯一の弟子レティクスである。かたくなに出版を渋るコペルニクスは、レティクスがまず『天球回転論』を簡潔にまとめたものを世に出すことで妥協した。この『第一解説』の好評に力を得て、コペルニクスはついに公開を決意する。『第一解説』は、その後もコペルニクス説の入門的概説として版を重ねることになった。 コペルニクスはいかにして地動説を導き出し、前代未聞の「地球の運動」をどのように語ったのか。文字通り「世界を動かした」書物の最重要部分と本邦初訳となる『第一解説』を収録! (『完訳 天球回転論』みすず書房、2017年より第一巻を収録、レティクス『第一解説』は新訳) 【本書の内容】 『天球回転論』第1巻目次より 宇宙は球形であること/大地もまた球形であること/地球の大きさに対する天の広大性について/地球が、いわば中心として、宇宙の真中に静止しているとなぜ古代の人たちは考えたのか/地球に複数の運動が付与されうるか、および宇宙の中心について/地球の三重運動についての論証……など。 レティクス『第一解説』目次より 恒星の運動について/古代の天文学者たちの仮説が廃棄されねばならない主な理由/天文学全体の新仮説……など。
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-日本人にとって「軍隊」とはなんだったのか。大日本帝国軍隊は、天皇に直隷するまさに「天皇の軍隊」であった。天皇は軍人の「頭首」として、斃れた将兵の魂魄を守る者としても存在した。しかし、天皇の名による軍隊生活の実態とは…。徴兵の恐怖感、凄惨な私的制裁、兵士たちの性生活と花柳病、遺された家族の貞操…。戦争が長期化するなかで、軍隊は大衆化し、軍官僚は肥大化して「天皇の軍隊」は大きく変質していった。(講談社学術文庫)
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-今年7月、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」が日本で23件目のユネスコ世界遺産に指定された。しかし、この世界遺産を構成する古墳の多くは、その被葬者さえ特定されていない。最大規模を誇る仁徳天皇陵や、履中天皇陵、允恭天皇陵などには、本当にその天皇が眠っているのだろうか。天皇陵は、いつ、どのように定められ、管理されているのか、近世・近代史を専門とする著者が、「天皇陵の歴史」と問題点を解き明かす。江戸時代中期、各地の古墳を独自に探査した蒲生君平。幕末期、尊王思想の高まりの中で、陵墓の比定と修補を願い出た宇都宮の藩主・戸田忠至。こうした近世の研究成果の上で、明治政府は、全天皇と皇族の陵墓を決定していった。神話に語られる天皇の実在を「証明」するためにも、墓の確定は欠かせなかったからである。神武天皇陵や仁徳天皇陵はどのように決められたのか、明治天皇陵はなぜ京都にあるのか、大正天皇陵の参拝に大混雑した鉄道と町、昭和初年に新たに皇統に列せられた南朝第3代の長慶天皇の陵はどう探したのか、さらに天皇陵の祭祀の場としての意味、著者が発見した資料「陵墓参考地一覧」からわかること――など、あらゆる論点から天皇陵を検証し、今後の科学的・考古学的調査の必要性を訴える。〔原本:『天皇陵論―聖域か文化財か―』 新人物往来社、2007年刊〕
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4.0「地獄というものも、これほどひどくはないだろう」―― その日、山に、村に、何が起こったのか? 史料と発掘調査で甦る、埋もれた歴史の真実! 天明三(一七八三)年旧暦七月、浅間山は空前絶後の大爆発を起こす。大地は鳴動し、黒煙は天を覆い、火砕流・溶岩流が麓の村々を焼き尽くし埋め尽くした。この未曽有の事態に、人々はいかに対したのか。史料と埋没集落・鎌原村の発掘調査から、当時の村の社会状況、噴火の被害の実態、そして人々が生きた現実を再現する、驚天動地の歴史ドキュメント! [目次] 第一章 近世の埋没集落 第二章 天明三年の大噴火 第三章 浅間大噴火の被害 第四章 浅間大噴火の影響 第五章 浅間山鎌原村 第六章 鎌原村の発掘 「天明三年の悲劇の日、人々はわれ先にと必死になって観音堂めがけて駆けつけたはずである。もちろん無事駆け上がった人もあるが、いま一歩というところで、背後からおしよせた火砕流に呑まれた人もあるはずである。この埋った石段のどこかにそんな人がいるのではないか……。」――「第六章 鎌原村の発掘」より
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3.0本書は、現象学を土台にして幾多の哲学者や思想家を扱ってきた第一人者が「近代哲学の祖」ルネ・デカルト(1596-1650年)との「対話」に挑んだ記念碑的な1冊です。 よく知られているように、デカルトはあらゆる学問を修めた末、そこに自分が求める「真理」はないことを悟りました。そうして「世界という大きな書物」と向き合うために旅人として生きることを選んだものの、やはりそこにも「真理」を見出すことはできませんでした。そうしてたどりついたオランダの地で、まさに生死を賭けた思索に取り組むことになります。それが、少しでも疑いうるものはすべて斥けて「絶対に疑いえない」ものを目指す「方法的懐疑」と呼ばれる思索でした。 その過程でたどりついたのが「われ思う、ゆえにわれあり(私は考える、ゆえに私は存在する)」という、よく知られた命題にほかなりません。しかし、それは決してデカルトが到達した最終結論でもなければ、デカルトが求めた「真理」でもありませんでした――本書は、そのことを哲学者との真摯な「対話」の中で明らかにしていきます。この命題はデカルトにとっては通過点にすぎず、方法的懐疑が導き出したのも「近代的自我」とされる「私」では決してなかった。ならば、その思索はいったいどこに進み、何を明らかにしたのでしょう? 本書は『方法叙説』(1637年)と『省察』(1641年)という二つの主著をていねいに読み解きながら、驚愕すべき結論に向かっていきます。著者とともに歩んでいくことで、「哲学」とはいかなる営みなのか、そして本当に「考える」とはどういうことなのかを実際に体験することができるでしょう。 [本書の内容] 序 章 哲学とは何か 1 死んだものとの対話 2 「よき生」のために 第一章 「われ思う」のは誰か 1 夢 2 狂 気 3 「私」とは何か 第二章 「われ思う」に他者はいるか 1 観念の起源へ 2 「無限」ということ デカルト小伝 読書案内
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4.0劇場のように華やかな装飾。高い天窓からふり注ぐ陽光。シルクハットで通勤するしゃれた従業員。乗合馬車で訪れる客を待つのは、欲望に火を付ける巨大スペクタクル空間! 帽子職人の息子アリステッド・ブシコー(1810-1877)と妻マルグリットが、様々な施アイデアで世界一のデパート「ボン・マルシェ」を育て上げた詳細な歴史を、当時を描く仏文学作品や、19世紀初頭のデパート商品目録など稀少な古書から丹念に採取。 パリの世相や文化が、いかに資本主義と結びつき、人々の消費行動を変えていったのか、 仏文学者にして古書マニア、デーパート愛好家の著者だから描けた、痛快・ユニークなパリ社会史! 内容紹介) 客の目をくらませてしまえ!世界だって売りつけることができるだろう! 「白物セール」のときには、それぞれの売り場が白い生地や商品だけを優先的に並べたばかりか、上の階の回廊や階段の手擦りを白い生地で覆いつくし、造花も白、靴も白、さらに家具にも白のレースをかぶせるなど、全館をすべて白で統一し、 1923年の「白物セール」では、「北極」というテーマに従って、アール・デコ調にセットされたシロクマやペンギンが、ホールに入った客を出迎えるようになっていた。 ようするに、ブシコーにとって、店内の商品ディスプレイは、〈ボン・マルシェ〉という劇場を舞台にして展開する大スペクタクル・ショーにほかならなかったのである。 ――第二章「欲望装置としてのデパート」より *本書は『デパートを発明した夫婦』(講談社現代新書 1991年11月刊)に「パリのデパート小事典」を加筆し、改題したものです。
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4.7
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4.4小林一三神話を覆す! 私鉄黎明期の語られざる歴史「阪急や阪神、東急や西武といった"電鉄"が、衛生的で健全な"田園都市"を郊外につくりあげた」――よく知られたこの私鉄をめぐる物語の深層には、「寺社仏閣」を舞台とする語られざる歴史があった。初期の電鉄をめぐる世界では、神社仏閣とそれを取り巻く人々の、ある意味無軌道とも言える行動が郊外空間を作り出していったのである。それは、近代的な都市計画といった無機質なものでも、経済的な功利性のみだけでも説明のつくものではなかった。とくに、われわれが通常イメージするような鉄道が確立してくる以前の黎明期には、現在の視点からみると「怪しい」人々が蠢いていたのである。そうした人々を突き動かしていたのは、寺院や神社を興隆させたいという熱情であった。「わが門前に鉄道を」……そのすさまじいまでのパワーが、電鉄を、ひいては日本の都市を作り出していったのである。本書は、「電鉄」と社寺を取り巻く「怪しい人々」に光を当てることで、都市と鉄道という近代化の物語の陰に隠された歴史を明らかにしようというものである。近代の荒波を生き抜く希望を鉄道に見いだした寺社と、そこに成功栄達の機を嗅ぎつける怪しくも逞しき人々が織りなす、情熱と欲望、野望と蹉跌のドラマ。鉄道誘致と都市開発をめぐる、ダイナミックで滑稽で、そして儚い、無二の日本近代都市形成史。【本書の内容】序章 「電鉄」はいかにして生まれたか第一章 凄腕住職たちの群像――新勝寺と成田の鉄道第二章 寺門興隆と名所開発――川崎大師平間寺と京浜電鉄第三章 「桁外れの奇漢」がつくった東京――穴守稲荷神社と京浜電鉄第四章 金儲けは電車に限る――池上本門寺と池上電気鉄道第五章 葬式電車出発進行――寺院墓地問題と電鉄終章 日本近代大都市と電鉄のゆくえ
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5.0悠然たる隠遁生活と真実を希求する熱い魂! 「人生の節目」に読みたい、沁みる名詩を味わうコンパクトな一冊 「我、五斗米のために腰を折って郷里の小人に向かう能わず(たかがわずかな俸給のために、下っぱ役人にぺこぺこできるか)」 老荘思想に通じ神仙世界への憧れやまぬ詩人は、職を辞し隠遁生活を愉しむ道を選んだ。 きらびやかな修辞を凝らすのではなく、あくまで平易な言葉で自然と人間の諸相、空想世界の奇想を自在に描き出す陶淵明の魅力を、「帰去来の辞」「桃花源の詩」はじめ厳選の名作で堪能する絶好のガイド! 桃源郷を夢想し山海経の怪しい世界に思いを馳せ、酒と自然を楽しむ「田園詩人」の魅力堪能! 【本書より】 彼は同時代の人々からは、「古今隠逸詩人の宗」と評されて、一風変わったところだけが珍しがられたが、四百年後の唐代になって、白居易をはじめとする詩人たちに見いだされ、唐以前の最大の詩人として高い評価を得るようになった。むしろ陶淵明の文学が時代を先取りしていたとさえいえるかもしれない。 陶淵明から千六百年近くのちのわれわれにとっても、彼の文学は時代の変化を超えてなお新鮮な魅力をもちつづけている。人間らしく生きたいという真しん摯し な願い、現世を超越したユートピアへのあこがれ、そして死を正面から見つめる姿勢、彼の文学が扱うこれらのいずれもが、人間の永遠のテーマといえるであろう。 (中略) 「帰去来の辞」はともすれば悟りすました隠遁者の心境の表白として見られがちだが、実は、社会と自分との葛藤に悩みつづけてきた孤独な人物の苦悩を、新生活の第一歩を踏み出すに当たって、かく生きたいという将来の願望の形で投影した作品と見るのがむしろ妥当ではあるまいか。(本書第1章より) 【本書の内容】 第1章 帰ってきた陶淵明 帰去来の辞 園田の居に帰る 其の一・二・五 酒を飲む 其の一・四・五・七・九・十四 郭主簿に和す 二首 其の一 子を責む 第2章 ファンタスティックな陶淵明 五柳先生の伝 桃花源の詩并びに記 酒を止む 山海経を読む 其の一・二・五・九・十 第3章 死を見つめる陶淵明 雑詩 其の一・二・五・六 形影神并びに序 形 影に贈る・影 形に答う・神の釈 挽歌の詩 三首 陶淵明年譜 *本書の原本は、一九九八年に『風呂で読む陶淵明』として世界思想社より刊行されました。
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4.0いつ、日本に伝わったのか? なぜ、辛いのか? 辛いししとうと、辛くないししとうの違いとは? ダイエットの効果はあるのか? 「辛い」というよりも「臭い」ハバネロ、「ネズミの糞」の名を持つ激辛種・・・。 知れば知るほど汗が出る。科学と食文化の両面から、世界のトウガラシを挟み撃つ、刺激的な「食の教養」! 第一部では、食用トウガラシの起源から、たくさんの種類、辛さの秘密、トウガラシでのダイエットまで、「トウガラシの基礎知識」を解説。 第二部は、トウガラシの故郷・中南米のハバネロに代表される激辛料理に始まり、スペイン、イタリア、東欧などのヨーロッパの郷土料理、さらにアフリカ、インド、タイ、中国、韓国・・・などなど、「世界一周トウガラシ紀行」。そして、実は豊かな日本の「唐辛子文化」を京都、信州はじめ各地に訪れる。
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-地球をおおいつくそうとするひとつの世界システムに「地域の論理」たちは繊細なたたかいを挑む。閉ざされつつある世界に、新しい超空間への通路を開く。ボストーク――東の方。人間を乗せた最初の宇宙船の名前である。偉大なる叡智=ソフィアは、科学技術文明と近代資本主義が世界を覆い尽くす時こそが、真実の危機だと告げる。バルトーク、四次元、熊楠、マンダラ、シャーマニズム、製鉄技術、方言、映画とイヨマンテ……。多様なテーマで通底する「無意識」に、豊饒な叡智を探求する。/『東方的』は、……西欧的な知のあり方の行き詰まりを踏まえて、「東方的」な「ソフィア」(叡智)の方向に新たな可能性を見出そうとした、美しい希望の書物である。(略)その「明確なモチーフ」は……、「第四次元、あるいは日常的なリアリティを超えた高次元の霊的な世界が、われわれが普段住んでいる物質的な世界と接触した時、何が起こるか」ということに帰すのではないかと思う。――<沼野充義「解説」より抜粋>
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-花のみやこか、懐かしきふるさとか――。日本列島の文化の歴史は、海の外からやってきた最新の情報があつまる都会への憧れと、生まれ育った郷土への思い入れのはざまで紡がれてきた。奈良、京都、のちには江戸・東京という「みやこ」に対する「地方」の憧れと反発、さらに中国大陸や欧米という「中央」に対する「辺境」日本の憧れと反発という二重の交錯を見据え、そこに織りなされる綾を丹念に描き出した唯一無二の列島文化史。 夷なる日本が華なる中国に劣らないと主張した京都生まれの伊藤仁斎と、関東出身で田舎固有の文化に価値を見出し江戸学芸を京から自立させた荻生徂徠。日本文化や日本的なるものの一貫性を否定した内藤湖南と「国史」の範囲に苦悩した黒板勝美。日本文化が基底のところで一体のものであることを前提にしたことで「郷土を捨象した」と批判された、民俗学の父・柳田国男が敬意をいだいていたのは、田舎に「いにしえのみやび」を見出した本居宣長だった。 古代の青銅鏡が示す畿内王権や記紀神話にはじまり現代にいたるまで時代を縦横無尽に扱いながら、独自の視点で日本文化の形を照らし出す。(原本:平凡社、1991年) 【本書の内容】 はじめに 第一章 都市の論理――先進・後進論の背景 第二章 反都市文明――「地方」主張の論理と背理 第三章 国家という単位――単一の「国」と「くに」の複合 第四章 民衆知と文字文化――ひとつの試み あとがき 解 説(長﨑健吾)
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3.0
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3.5時間は流れるものではない? 「わかったつもり」をひっくり返す! 哲学の大家による、脳を揺さぶる論理的思考のレッスン。 私たちが常日頃から経験し、わかったつもりになっている「ときのながれ」なるものは、実はどこにも存在しない! 「ゆるい関係説」「カテゴリーミステイク」「現在主義」など、キーフレーズを通して当たり前の認識を検証し、「カントの散歩」「棚から無理数」「みずみずしくない水」など、不思議で魅力的なメタファーを自在に操りながら、「時間」という限りなく身近でどこまでも深遠な概念について、読者が自分の頭で考えることをやさしく促す。哲学の大家が自らの実践を通して示す、知的刺激に満ち、あらゆる応用可能性にひらかれた、究極の論理的思考マニュアル! [目次] はじめに 第1章 そもそも時間とは? 第1節 目に見えない時間は信じない? 第2節 ポーランド国旗:うごきがない変化 第3節 説明とカミソリ:なにも起きなければ時間はない? 第4節 なにものでもない:時空の片方 第5節 欅家と欅家の人びと 第6節 欅家は欅家の人びとの集合ではない 第7節 前後あとさき:時間はいれもの? 第8節 欅家の桃子:ゆるい関係説 第9節 カントの散歩:時計とは? 第10節 時間をはかる:なにをはかる? 第2章 時間はもの? 第1節 フルーツゼリー:空間の「メタ容器」説 第2節 ナプキン:時間は境界 第3章 インテルメッツォ:ジョン・マクタガート・エリス・マクタガートの介入 第4章 ときはながれる? 第1節 両国橋から見おろす:「ながれる」の意味 第2節 棚から無理数:「ときはながれる」はナンセンス 第3節 みずみずしいスイカ:みずみずしくない水 第5章 いまあるのみ? 第1節 オプティミスト従姉:未来はある? 第2節 過去はあった:過去はない 第3節 秒針のうごき:伸び縮むいま 第4節 まざる? とけこむ?:過去の記憶 第5節 ときのループ:普遍時制 第6節 リアリティー:未来、過去、現在すべてあり おわりに
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4.0◆近世は「水軍」が連れてきた!◆ 緻密な実証とグローバルな視点による、最新研究の精華 徳川将軍家の権力・権威にとって、軍船は欠かすことのできない重要な位置を占めていた。 それはなぜか? 戦国の片隅の小勢力だった彼らが、ついに「将軍」という最強の盟主の地位に登り詰めたのは、海上軍事の力があってこそだったからだ。 水の上の視点から、中世から近世へと列島の権力構造が移りゆくさまをダイナミックかつ詳細に描き出す! 【本書の内容】 はじめに 序章 徳川権力にとって海上軍事とは何か 第一章 戦国大名・徳川氏と東海地域の水軍 第二章 徳川氏による水軍編成の本格化 第三章 豊臣政権の下で変容する徳川氏権力と水軍 第四章 水軍が支えた徳川権力の全国政権化 第五章 徳川家康の対ヨーロッパ貿易 「扇の要」向井政綱・忠勝父子 第六章 西国統治と「鎖国」 拡張する海上軍事体制 第七章 「水都」にして「軍都」=江戸 終章 東西ユーラシアの海上軍事と徳川権力 【登場する主要人物】 ウィリアム・アダムス/ジョセフ・アダムス/天野景能/天野重房/石川重勝/石川政次/稲生重次/今村重長/今村正長/小笠原一庵/小笠原権之丞/小笠原忠真/小笠原長住/小笠原信元/小笠原信盛/小笠原広勝/小笠原広光/岡部貞綱/岡部長盛/岡部正綱/岡部元信/小浜景隆/小浜利隆/小浜広隆/小浜政精/小浜光隆/小浜守隆/小浜安隆/小浜嘉隆/角屋七郎次郎/九鬼守隆(友隆)/九鬼嘉隆/ヤコブ・ヤンスゾーン・ファン・クワケルナック/高力清長/榊原職直/ディエゴ・デ・サン・フランシスコ/清水政晴/清水政吉/千賀重親/千賀信親/千賀与五兵衛/曽我古祐/ルイス・ソテロ/竹中重義/竹本吉久/寺島斧之丞/ファン・テーリョ/藤堂高虎/戸川達安/戸田尊次/戸田忠次/戸田忠昌/戸田忠能/フランシスコ・モレノ・ドノソ/内藤家長/内藤政長/中島重次/中島重春/中島重好/中安種豊/乃美景継/長谷川長綱/長谷川藤正/長谷川藤広/支倉長経/服部左京亮/服部政光/花房正成/花房幸次/林茂右衛門/樋口淡路守/樋口関大夫/彦坂元正/セバスティアン・ビスカイノ/細井勝吉/堀内氏善/本多重次/本多忠勝/本多忠政/松平家清/松平家忠/松平家信/松平家広/松平清善/松平清宗/松平定勝/松平定綱/松平定房/松平定行/松平定頼/松平忠明/松平忠利/松平頼重/間宮高則/間宮信高/間宮長澄/間宮武兵衛/水野守信/溝口重長/向井忠勝/向井直宗/向井正方/向井正重/向井政綱/向井正俊/村上景広/森村重/ファン・バウティスタ・デ・モリナ/雄誉霊巌/ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン/ジョアン・ロドリゲス/渡辺織部/渡辺喜兵衛/渡辺弥一郎
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4.5永仁の徳政令――日本史上、飛びぬけて有名なこの法の本質を「「もとへもどる」という現象」と喝破し、躍動する13世紀の社会を深く鮮やかに描き出した不朽の名著、待望の文庫化! 日本人は「所有すること」をどのように捉えていたのか。サブスクリプション制やフリマアプリの登場によって、所有の概念がかつてないほど揺らいでいる今こそ読みたい、中世人の法と慣習を解き明かす一冊。(原本:岩波新書、1983年) 「今国家の債務を消すために、その他一切の債権債務を破棄する、つまり天下一同の徳政を実行すれば、日本経済は収拾のつかない混乱におちいるかもしれないし、意外にも大したことなくすぎてしまうかもしれない。いずれにせよ、少なくとも現時点ではそれが「夢のような話」にすぎないことはいうまでもない。 だが、中世社会ではそれは夢ではなかった。永仁徳政令B‐3条のように、あるいは室町幕府の徳政令がもっぱらそれを主張していたように、債権債務破棄の徳政令を発布するという現実的な道があったからである」(第一〇章「新しい中世法の誕生」より)。 日本の歴史のなかでも、単行法としてずば抜けて有名な法「永仁の徳政令」。永仁五(1297)年に出されたこの法は、21世紀の日本のみならず、制定された13世紀当時から有名な法であった。現在からは想像もつかないが、法の実在さえ法廷でまじめに争われた時代にあって、ある法の存在を同時代の人々が短時日のうちに共有したということ自体が、極めて異例のことであった。実際に、永仁の徳政令の立法からわずか二週間後には、この法に基づいた訴訟が起こされて、土地が返却されている。その後も、この法に基づいて多くの土地が売り主のもとに戻ることになった。 新幹線もSNSもない時代に、なぜこのようなことが可能だったのか。そしてなぜ徳政令は、現在もなお異色の有名法であり続けているのか。そもそも幕府自身は当初そう言っていなかったにもかかわらず、この法はなぜ「徳政」と呼ばれたのか。 永仁の徳政令にまつわる数々の謎を解き明かし、売買や贈与から浮かび上がる所有に対する意識や、「天下の大法」と呼ばれる社会規範の存在、幻の政治改革「弘安徳政」、さらにその背後にある合理主義的な政治的思潮の登場に至るまで、この不思議な法を軸に中世社会の本質に迫る。著者のエッセンスがふんだんに盛り込まれた日本中世社会史の金字塔! 【主な内容】 一 無名の法、有名の法 二 徳政令の出現 三 なぜ徳政なのか 四 天下の大法 五 贈与と譲与 六 消された法令 七 前代未聞の御徳政 八 人の煩い、国の利 九 徳政の思想 一〇 新しい中世法の誕生 あとがき 解 説(小瀬玄士)
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4.0ポピュリズム、ポストトゥルース、グローバリズムに直面する今こそ読む――"アメリカのデモクラシー"その根源への探究デモクラシーこそは歴史の未来である――誕生間もないアメリカ社会に トクヴィルが見いだしたものは何か。歴史的名著『アメリカのデモクラシー』では何が論じられたのか。「平等化」をキーワードにその思想の今日性を浮き彫りにする、鮮烈な思考。あらゆる権威が後退し混沌の縁に生きる私たちは、いまこそトクヴィルに出会い直さなければならない!いま日本の思想界をリードする著者が、第29回(2007年) サントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞し、現在に至る地位を築いた好著の文庫化。文庫化にあたり、現在の政治・思想状況をふまえた「補章」を増補。トクヴィルの「今日的意義」は増すばかりである。ある意味で、「トクヴィル的」とでも呼ぶべき状況がますます強まっている―(「補章」より)【本書の主な内容】第一章 青年トクヴィル、アメリカに旅立つ第二章 平等と不平等の理論第三章 トクヴィルの見たアメリカ第四章 「デモクラシー」の自己変革能結び トクヴィルの今日的意義補章 二十一世紀においてトクヴィルを読むために
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4.0
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-「挑戦の書」として『神学大全(スンマ)』を読む! 「スコラ学の代表的神学者」が書きあらわした、邦訳にして45冊に上る大著。 そのような物々しさに惑わされず、「ひとりの修道者としてのトマス」による「一冊の書物」として『大全』を読む。 すると、アクチュアルな探究者としてのトマスの姿が浮かび上がり、 彼から現代に生きる私たちへのメッセージが聞き取れる。 神とは何か。 創造とは、悪とは、そして人間の幸福とは? キリスト教の根源にトマスはいかに挑んだか。 斯界の第一人者が、やさしく、そして誠実に、核心を読み解く。 【本書より】 トマスの言う「神学」はその全体が知恵の探究であり、そして知恵のみがわれわれに人間の幸福をあきらかにしてくれるのですから、知恵の探究はそのまま真実の幸福への道を切り開く営みにほかなりません。言いかえると『神学大全』における知恵の探究は、トマスという一人の人間が、人間であることを学び、人間であることの完全な実現―それが「幸福」の意味です―をめざして行ったパーソナルな探究の記録であり、キリスト信者であろうとなかろうと、人間であることを真剣に受けとめる者にとってはけっして無縁な書物ではないと思うのです。 【本書の内容】 はじめに―『神学大全』をどう読むか 第一章 挑戦の書としての『神学大全』 第二章 神の問題―「五つの道」の意味 第三章 「交わり・即・存在」―人格[ペルソナ]のパラドックス 第四章 創造と宇宙論 第五章 「悪」の問題 第六章 すべての人が幸福を欲しているか? 第七章 トマスの政治哲学―「共通善」の復権 おわりに―「トマス主義者」ではないトマス ※本書は2009年に講談社選書メチエより刊行された同名書の文庫化です。
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-本書は、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》で知られる「トリスタン伝説」の最古の姿を伝える書の本邦初となる全訳です。 ケルト起源のトリスタン伝説は、11世紀後半から12世紀初頭にウェールズとブルターニュに伝えられ、語り継がれていったと推測されます。多様に発展した物語を12世紀後半に古フランス語でまとめたものがトリスタン伝説の原典(エストワール)ですが、残念ながらこれは散逸しています。 しかし、この原典に基づいて物語を作る人たちが現れます。その一人が同じく12世紀後半に活躍したフランスの詩人ベルールでしたが、作品は断片しか残されていません。それと同じ時期、同じ原典に基づいてドイツ語で物語を書いたのがアイルハルトであり、その作品こそ本書にほかなりません。完全な姿で残されたこの作品によって、私たちは原典の内容を推測できます。ここにはトリスタン伝説の最古の姿があるのです。 韻文で書かれた本書は、その後「民衆本」と呼ばれる散文作品として流布し、16世紀にはハンス・ザックスによって戯曲『トリストラントと美しきイザルトの悲恋』に翻案されました。一方、ベルールと同様に原典(エストワール)を基にして12世紀後半にフランス語で『トリスタン物語』を書いたトマの系列としては、ドイツ語で叙事詩『トリスタンとイゾルデ』を書いたゴットフリートがおり、ワーグナーに着想を与えました。 複雑な経緯をたどって伝承されたトリスタン伝説は、現代でも小説にされたり(ローズマリー・サトクリフ)、映画にされたり(ジャン・ドラノワ)、多くの人を魅了し続けています。その最古の姿がようやく日本語で味わえるようになります。 [本書の内容] 1 聴衆への前置き 2 トリストラントの出生と養育 3 トリストラントのマルケ王宮廷への旅 4 トリストラントとモーロルトの闘い 5 トリストラントの傷を治すためのアイルランドへの旅 6 トリストラントのアイルランド求婚の旅 7 愛の媚薬 8 ブランゲーネ 9 トリストラントとイザルデの愛をめぐっての揉め事 10 有罪の判決と逃走 11 森での生活 12 アルトゥース騎士ヴァルヴァーンとトリストラント 13 追放後のトリストラントとイザルデの一度目の逢瀬 14 ハヴェリーン王のもとでのトリストラント 15 追放後のトリストラントとイザルデの二度目の逢瀬 16 追放後のトリストラントとイザルデの三度目の逢瀬 17 ケヘニスとガリオーレ(1) 18 追放後のトリストラントとイザルデの四度目の逢瀬 19 追放後のトリストラントとイザルデの五度目の逢瀬 20 ケヘニスとガリオーレ(2) 21 トリストラントとイザルデの愛の死
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3.0明治中期、宮中近代化のために招聘され、新宮殿での憲法発布式典を見届けて帰国したお雇い外国人、モールの日本滞在記。威厳ある若き天皇への謁見、知性と品位を備えた皇后への賞讃、「宮中衣裳問題」での伊藤博文との衝突など、欧化を急ぐ立憲国家成立期の宮廷社会を知る必読文献。さらに関西、箱根、日光、磐梯山への旅など、各地の風物も豊かに描く。(講談社学術文庫)
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-ドゥルーズとガタリによる最後の共著『哲学とは何か』。難解をもって知られるこの著作をどう読んだらいいのか。 読解のため、本書では大きく三部で構成される。 第一部では、ドゥルーズとガタリの〈内在〉概念とはどのようなものかを明らかにする。単に内在と超越という二項対立ではなく、彼らが「内在野」と名指ししたものは何だったのか。スピノザ、ベルクソンなども参照しつつ、その形成過程を明らかにしていく。 第二部では、哲学・科学・芸術の三つを同じ形式をもったものとして、あえて並列に描こうとしたドゥルーズとガタリの意図に分け入っていく。そこから「脳」と「カオス」が析出される次第は、まさに『哲学とは何か』を解読する重要な準備となる。 第三部では、いよいよ『哲学とは何か』をきわめて精密に読み解く。各章に概要、用語、読解の見出しを立て、まさに一字一句を読んでいく。その先に見えてくる〈内在〉の哲学とは?
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5.0没後20年を過ぎた今も世界中で多くの読者を獲得し続けている哲学者ジル・ドゥルーズ(1925-95年)。初の単著『経験論と主体性』(1953年)から『ニーチェと哲学』(1962年)、『カントの批判哲学』(1963年)を経て『ベルクソニスム』(1966年)に至る哲学者のモノグラフィーを発表したドゥルーズは、続いて『差異と反復』(1968年)と『意味の論理学』(1969年)を解き放ち、世界に衝撃を与えた。進化を続ける哲学者は、次に精神分析家フェリックス・ガタリ(1930-92年)との協働を始動させ、『アンチ・オイディプス』(1972年)と『千のプラトー』(1980年)という恐るべき著作を完成させる。その後、記念碑的な映画の哲学『シネマ』全2冊(1983年、85年)、ライプニッツ論『襞』(1988年)といった単著の執筆に戻ったドゥルーズは、最後にもう一度、ガタリとの共著『哲学とは何か』(1991年)を発表。そして、1995年11月4日、みずから命を絶った。 本書は、1976年から83年――『千のプラトー』から『シネマ』へと至る時期にドゥルーズ本人の薫陶を受け、その指導の下で博士論文を書いた著者が、主要著作の読解を通して師の歩んだ道のりをたどり直し、初めて1冊にまとめたものである。2001年に講談社選書メチエとして出された原著は、20世紀最大の哲学者の全容に触れたい人の「最初の一冊」として広く親しまれてきたが、このたび、大幅な加筆・訂正を経た決定版をお送りする。 ひたすら愚直に、そして誠実に主要著作を読み解いていった約20年前の作業を現在のまなざしで見直した著者は、「いまはドゥルーズについて書くべきことを書き終えなければ、と思う。量ではなく、質の問題、いやまさに強度の問題である」と書いている。こうして生まれ変わった本書は、今後も新たな輝きを放ち続けるだろう。 [本書の内容] この本にいたるまで――学術文庫版に寄せて プロローグ――異人としてのドゥルーズ 第一章 ある哲学の始まり――『差異と反復』以前 第二章 世紀はドゥルーズ的なものへ――『差異と反復』の誕生 第三章 欲望の哲学――『アンチ・オイディプス』の世界 第四章 微粒子の哲学――『千のプラトー』を読み解く 第五章 映画としての世界――イマージュの記号論 第六章 哲学の完成 エピローグ――喜びの哲学 文献一覧 あとがき 学術文庫版あとがき ジル・ドゥルーズの生涯と主要著作
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4.0日本人はなぜ、いつ、「読者」になったのか? そして何を、どのように、読んできたのか? 出版資本と鉄道による中央活字メディアの全国流通、旅行読者の全国移動、新聞縦覧所と図書館という読書装置の全国普及――官・民による、これら三つの全国的要素の融合から、明治期に活字メディアを日常的に読む習慣を身につけた国民、すなわち「読書国民」が誕生してくる過程を、出版文化研究の第一人者が活写。私たちの読書生活の起源がここにある! [目次] はじめに ■第一部 流通する活字メディア 第一章 全国読書圏の誕生 第二章 「中央帝都の新知識」を地方読者へ――新聞社・出版社による地方読者支援活動の展開 ■第二部 移動する読者 第三章 車中読者の誕生 第四章 「旅中無聊」の産業化 ■第三部 普及する読書装置 第五章 読書装置の政治学――新聞縦覧所と図書館 第六章 図書館利用者公衆の誕生 あとがき 学術文庫版へのあとがき [主なトピック] ○暴力沙汰まで! 「東京vs.大阪」新聞市場争奪戦争 ○過疎地域を開拓せよ! 新聞社・出版社による地方読者支援活動 ○駅は戦場! 漫画雑誌の隆盛はここから始まった ○お部屋訪問! 温泉地の貸本屋 ○「情報にお金を払う」習慣を生んだ新聞縦覧所 ○自由民権運動は下からの「読書国民」の創出 ○読書の価値を再発見した日清戦後の一等国意識 ○まるで監獄……帝国図書館の規律空間 ○樋口一葉も友人と……女性が一人で行けない図書館
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3.5speechを「演説」と訳したのは福沢だった。 そして福沢自身、抜きん出た名演説家だった。 日本の近代化・文明化のためには、独立した個人が自らの思想を大いに論じ合わなければならない。 明治という時代が大きく動き出す中で、日本のよりよき未来を、熱く巧みな弁論で語り尽くした、その記録。 著作で見せるのとはひと味違う、福沢のライブ感溢れる言葉が、時代を超えて日本人の心を撃つ! 今日における福沢の思想史的再検討をリードする編者が、残されている速記録や原稿から「名演説」を厳選し、わかりやすい解説を付して編集した、画期的演説集。 【本書より】 日本世界をもっとわいわいとアジテーションをさせて、そうして進歩するように致したいと思う。それが私の道楽、死ぬまでの道楽。何卒皆さんも御同意下さるように。 【主な内容】 第一章 「演説」と「交際」の創始 演説はなぜ必要か/政府の専制から人民の政府 など 第二章 実業界へ出でよ 智識交換・世務諮詢に不景気なし/道徳は説くのではなく示せ など 第三章 立憲国家の国民へ向けて 経済学芸への注意を怠るな/学問に凝る勿れ など 第四章 個人の独立、国家の独立 銭は「人生独立の母」なり/政論の下戸となるな/学者は飼い殺せ など 第五章 次世代へのメッセージ 老却せる老生からの勧告/排外主義と自尊自大の戒め など 編者解説
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3.8急成長を遂げた周辺国からの侵略恐怖、増加する貧窮移民の不安、友好国へのぬぐいがたい不信、新たな感染症の脅威……「ドラキュラ」の恐怖と魅力の源泉には、黄昏を迎えた大英帝国の外国恐怖症があった。ゴシック・ホラーの金字塔に織り込まれた、ヴィクトリア朝イギリス社会の闇を描き出す! 世界でもっとも有名な吸血鬼「ドラキュラ」。 数ある吸血鬼作品のなかでも特権的な地位を得て、現代に至るまで映像化が繰り返され、日本では吸血鬼の代名詞にもなっています。 そのドラキュラの恐怖と魅力の源泉には、19世紀末イギリス社会に蔓延する深刻な外国恐怖症がありました。 「太陽の沈まぬ帝国」、「世界の工場」と謳われた栄光は過ぎ去り、軍事・経済ともに急成長を遂げつつある周辺国からの侵略恐怖、増え続けるユダヤ人など貧窮移民への不安、搾取してきたアジアの植民地から入ってくる新たな感染症の脅威……。 落日の大英帝国に生きる人々は心の奥底で何を恐れ、そしてドラキュラは生みだされたのか。 『パンチ』などに掲載された風刺画をふんだんに使いながら、ゴシック・ホラーの金字塔から読み解く世紀末ヴィクトリア朝の社会! イントロダクション 第1章 ドラキュラの謎 第2章 ドラキュラの年は西暦何年か 帝国主義の世紀末 第3章 侵略恐怖と海峡トンネル計画の挫折 第4章 アメリカ恐怖と「栄光ある孤立」の終焉 反ユダヤ主義の世紀末 第5章 ユダヤ人恐怖と外国人法の成立 第6章 混血恐怖とホロコースト パストゥール革命の世紀末 第7章 コレラ恐怖と衛生改革 第8章 瘴気恐怖と細菌恐怖 おわりに――ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究 増補 もうひとつの外国恐怖症――エミール・ゾラの〈猥褻〉小説と検閲 学術文庫版あとがき 引用史料一覧 コラム 吸血鬼の系譜/シャルコーの催眠術/一八九三年一〇月二日のピカディリ・サーカス/ダイヤモンド・ジュビリー/火星人/海峡トンネル・パニック/ベアリング銀行の投機失敗/ロスチャイルド一族の結婚/ロンドンとテムズ川の汚染……ほか
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4.0「世の中がギスギスしている」「心に余裕のない人が多い」。学校や職場など社会の至る所から、そんな声が聞こえてくる。意見の異なる人と物別れになる。そもそも話し合いが成り立たない。ときにはお互いに譲らず、口汚い罵倒が飛び交うことさえある。それでも、人は生きるうえで他人と関わらざるをえない。どうすれば、こうした軋轢を解きほぐせるだろうか――。 身近な経験から社会に関わる話題まで、捉えどころのない問題を整理し、解決に向かうための道筋を提示する。学歴主義、商業主義、成果主義、ルッキズム、差別といった様々な問題を抱える現代人のための実践的哲学! 他人と一緒にやっていくにはどうすればいいか、多様化する社会で、相互理解を進めるための第一歩。不機嫌な時代の処方箋! 【目次】 はじめに 序章 「いやならお金を払えばいいのに」の論理――断片化する公共圏 第1部 子どもの難問――子育て、教育、学歴社会を考える 第1章 お金のために勉強させてもよいか――教育の脱公共化 第2章 偏差値は高ければ高いほどよいのか――大学への無理解 第3章 大学は無料にすべきか――学歴偏重社会と反知性主義 第2部 大人の難問――商業主義、イムズ、偏見を考える 第5章 成果主義は善か――人を操ろうとする思考 第6章 強く、正しく、美しく?――人を追い込む社会的偏見について 第7章 犯罪者は犯罪者らしく? 第3部 根本的な問題――思想的背景から解決へ 第8章 そもそもリベラルとは何か 第9章 思想的な対立を乗り越える――公共の再生 第10章 公共圏の可能性――市民的連帯のもとでの取り組み 注 参考文献一覧 あとがき
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4.0「名前」ほど、日常にありふれたものでありながら不思議なものもない。自らをあらわす自分の名前さえ、ほとんどの場合、自分ではない他の誰かに付けられたものであり、死後まで自分の存在は、その誰かに付けられた名前によって語られることになる。なにより自分の名前は、自分で使うよりも他者から呼ばれることのほうが圧倒的に多い。最も身近で最も遠い、それが「名前」である。 「名前」をめぐる哲学は、西洋の形而上学では真理についての文脈で考えられてきた。初めて「名前」を哲学の対象にしたプラトン、アリストテレスにはじまり、その流れを受け継いだ二〇世紀のミルやフレーゲの名前論をひもとけば、伝統的な西洋哲学がいかに「名前」を厄介者としてきたのかが浮かび上がる。 ところが、ヴィトゲンシュタイン、ローゼンツヴァイク、ベンヤミンの三人の思想を解き明かしていくと、真理論の舞台から解き放たれて、名前の哲学はこれまでにない生き生きとした姿を見せはじめる。著名なジャック・デリダの三部作にかぎらず、先鋭的な名前論はなぜユダヤ系の思想家から生まれるのか――。その背景には、名前と同化をめぐるユダヤ系の人々の苦難の歴史があった。 外側から貼られた単なるレッテルではない、「呼びかける」ものとしての名前がひらく、新たな時代の共同体論。 [本書の内容] まえがき 名前――もっともありふれた不思議なもの 第1章 名前の哲学史――古代ギリシアから二〇世紀まで 第2章 生活形式――ヴィトゲンシュタイン 第3章 対話――ローゼンツヴァイク 第4章 純粋言語――ベンヤミン 終章 名前の哲学が教えること 注 書 誌 あとがき
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4.5棚氷の崩壊、氷河の後退、上昇する海水温……。南極大陸と南極圏の島々では、自然環境と生態系の変化が複雑に絡み合い、予想外の事態が次々と起こっている。 荒れ狂うドレーク海峡の先にある南極の“日常”を二〇年にわたり撮り続けた写真家は、何を見て、聴いて、嗅いで、触れたのか。 五感による、未知なる大地の記録! 深夜2時、白夜のに写るペンギンの長い影。 深く厚い氷の下のカラフルな海の表情――。 温暖化で変わるゆく南極の動物たちや景色を 貴重な写真120点に及ぶ写真とともに描写する。 カラー口絵32ページつき はじめに 第一章 温暖化の波のなかで――南極半島 第二章 南大洋に浮かぶ生きものたちの楽園――サウスジョージア島 第三章 コウテイペンギンの国――ロス海、ウエッデル海の奥懐へ
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