長城の中国史 中華VS.遊牧 六千キロの攻防

長城の中国史 中華VS.遊牧 六千キロの攻防

ビジネス・実用
1,485円 (税込)

7pt

4.0

〈中華〉VS.〈遊牧〉2000年の攻防。山を削り谷を埋め、2000年の歳月をかけて築かれた中華世界の防波堤=長城。それは、澎湃と興起する遊牧民対策への最終回答たり得たか。秦の始皇帝から明代まで、長城を巡り展開する壮大な中国史。(講談社選書メチエ)

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長城の中国史 中華VS.遊牧 六千キロの攻防 のユーザーレビュー

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    Posted by ブクログ

     放送大学の特別講義「万里の長城に見る中国史」で紹介されたので読んでみることにした。

     わが国では「万里の長城」というが、本家の中国では一般にただ「長城」とだけ呼ぶそうだ。「万里」も実際に長さが一万里あるということではなく、「とても長い」という意味の形容詞として使われている。これらを含めて初めて知ることがたくさんあった。

     長城が作られた第一の目的は北方民族の侵入を防ぐことにあった。彼らは騎馬民族であり機動性に優れ、当時の中国の歩兵はまともには太刀打ちできなかったらしい。

     では誰が長城を作ったのか。「万里の長城といえば秦の始皇帝」というのが一般的だが、始皇帝の時代には既に一部存在したそうである。長く繋がってはいなくても、壁が点在したようだ。だから始皇帝が最初に作ったとはいえないようだ。

     次に「孟姜女伝説」というのがあって、昔は壁の中に罪人や俘虜などの人を埋めたという、いわゆる「人柱」伝説があったが、それは真実ではなかった。仮に人を入れたとすると、その部分は強度が極端に落ちるため、人を埋めることは構造上ありえないのだそうだ。

     そして現在見る長城は明代において充実し今の姿になった。かつて、1984年に北京の八達嶺の長城を見たことがある。最近テレビで八達嶺付近の長城を放映していたが、観光客や物売りがとても増え、歴史遺産というよりはただの観光地としか思えない雰囲気になった。

     二千年にもわたり壁の北と南で攻防が繰り広げられてきたのだろうが、明末に女真族の金が山海関から無血入城し長城の役割は歴史を終える。なんともあっけない幕切れであった。

    0
    2012年05月02日

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