アダム・スミスの作品一覧
「アダム・スミス」の「国富論(合本)」「国富論」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
竹中平蔵の『経済古典は役に立つ』を読んだ勢いで、古典中の古典、アダム・スミスの『国富論』に手を出した。というか、出してしまった、、、。
現在、上巻を読み終えたところであり、まだ中巻・下巻を残しているため、本書全体について評価する段階にはないのだけれと、率直な感想をまとめておきたい。
読み始めは面白かった。分業によって生産性が飛躍的に高まり、それが社会全体の豊かさにつながるという説明は、250年以上前の著作とは思えないほど説得力があり、現代の企業経営や組織運営にも通じる考え方だと感じた。さすが後世まで残る名著。
しかし、読み進めるにつれて辛くなってくる。同じテーマをさまざまな事例や視点から丹念に論じる構成は、理論を積み上げるうえで必要だったのだろうが、経済素人の私には細部にまで踏み込みすぎていてもどかしい。かなりの集中力を要する作業になってしまった。
それでも、上巻だけでも「社会はなぜ豊かになるのか」という問いに真正面から向き合った古典の凄みは十分に感じた。この先、中巻・下巻を読み進めることで、より深く、アダム・スミスの思想を理解できるように、自分に期待したい。
しかし、先は長い!!
Posted by ブクログ
【メモ】
第5章
商品の真の価格と名目価格、労働価格と貨幣価格
人が豊かだとか貧しいとかいうとき、どれだけものを手に入れる力があるのかを意味する
↓
どれだけの量の他人の労働を支配可能か
※分業の確立に伴い自分の労働で生産可能なのはごく一部となる(他人の労働の成果)
労働力→ ←労働力
労働力→ モノ ⇆ モノ ←労働力
労働力→ 交換 ←労働力
(支配・購入出来る労働力の量)
Ⅱ
労働が真の尺度
"労働"こそが当初の対価、本来の通貨
(唯一普遍的)かつ(唯一正確)
※世界の全ての富は元来、労働により獲得
×金 ×銀 ではない
トマス・ホッブス『リヴァイアサン』
富の所有=購買力(富の大小は購買力に比例)
(変動しない)
真の価格:労働に対して支払われる生活必需品と利便品の量
(変動する)
名目価格=金銭の量
商品 ー (労働量) (通貨)
⇅ 一定 ⇅ 不安定
商品 ー (労働量) (通過)
労働だけは価値が変化しない=最終的な比較手段
※ 地代 ー(穀物)安定
ー(金・銀)不安定
商品の種類・時期は場所の違いを超え比較可能
Posted by ブクログ
何とも言えない満足感が得られる書籍でした。ただ中身が非常に濃いので(ページ数も700ページほどある)、正直最初の方の議論がほとんど頭から抜けつつあり、なんとか時間を見つけて2度目に挑戦したいと思います。
冒頭にノーベル経済学賞受賞者でもあるアマルティア・センの序文がありますが、これだけでもお金を取れるレベルです。アダム・スミスの代表作である「道徳感情論」と「国富論」、表面的に読むと、同一人物が書いたとは思えない、あるいは互いに主張が矛盾しているという印象を持つ人は多いかもしれません。前者が「徳」「正義」「共感」などを論じているのに対して、後者はそのような感情を排した「利己心」を中心に経済メカニズムを論じているように見えるからです。しかし私自身は本書を読んで、道徳感情論こそがアダム・スミスの包括的な書であり、その中の「交換メカニズム」について詳細に分析したものが「国富論」であるという見方をしたいと思います。実は「道徳感情論」は、「国富論」に先立って執筆されましたが、その後亡くなる直前までスミスは「道徳感情論」を加筆・修正しています(日本語版も最終版をもとにしています)。つまり、アダム・スミスは若かりし頃に道徳や共感のメカニズムを本(道徳感情論)にしたけれども、宗旨替えをして利己主義が経済メカニズムの中心だ(国富論)と論じるようになったわけではないのです。むしろスミスの頭の中心には「道徳感情論」で書いたこと(あるいは書ききれなかったこと)があって、その中の極めて狭い領域について詳細に議論したのが「国富論」だと考えるべきです。
センが指摘しているように、「道徳感情論」は「国富論」ほど注目されていませんが、その理由は、本書がカバーするテーマの包括性(幅広さ)にあるのではないかと感じました。取り上げているテーマの広さと、それぞれについて複数の説を丁寧に解説しているので、何冊もの専門書を一気に読んでいるような感じがする、つまり悪く言うとキーメッセージが頭に残らないのかもしれません(対照的に、国富論では見えざる手などのキーコンセプトが明瞭に頭に残ります)。逆に言えば本書からは、アダム・スミスの知識の恐ろしいほどの広さ、また視野の広さをうかがいしることができます。視野の広さを示す例として、本書でたびたび登場する「中立の観察者」があります。人が何か行動を行う際に、心の中にいる「中立の観察者」がそれをどう感じるか(称賛するのか、恥ずかしいことだと思うのか、やり過ぎだと思わないだろうか、など)を考えよということなのですが、センはこの概念を「開かれた中立性」と呼び、ジョン・ロールズの「公正としての正義」が論じている「閉じた中立性」よりも優れていると評価しています。
資本主義の限界が議論されるにつれて、最近マルクスブームがまた起こっているようです。マルクス主義者がマルクスの再評価を試みる本が巷にあふれていますが、私自身ははっきりいって食傷気味です。マルクスではなく、むしろアダム・スミスこそが再評価されるべき人物である、そして「道徳感情論」の中に資本主義の進路変更の答えがあると私は思います。