【感想・ネタバレ】道徳感情論のレビュー

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Posted by ブクログ

何とも言えない満足感が得られる書籍でした。ただ中身が非常に濃いので(ページ数も700ページほどある)、正直最初の方の議論がほとんど頭から抜けつつあり、なんとか時間を見つけて2度目に挑戦したいと思います。

冒頭にノーベル経済学賞受賞者でもあるアマルティア・センの序文がありますが、これだけでもお金を取れるレベルです。アダム・スミスの代表作である「道徳感情論」と「国富論」、表面的に読むと、同一人物が書いたとは思えない、あるいは互いに主張が矛盾しているという印象を持つ人は多いかもしれません。前者が「徳」「正義」「共感」などを論じているのに対して、後者はそのような感情を排した「利己心」を中心に経済メカニズムを論じているように見えるからです。しかし私自身は本書を読んで、道徳感情論こそがアダム・スミスの包括的な書であり、その中の「交換メカニズム」について詳細に分析したものが「国富論」であるという見方をしたいと思います。実は「道徳感情論」は、「国富論」に先立って執筆されましたが、その後亡くなる直前までスミスは「道徳感情論」を加筆・修正しています(日本語版も最終版をもとにしています)。つまり、アダム・スミスは若かりし頃に道徳や共感のメカニズムを本(道徳感情論)にしたけれども、宗旨替えをして利己主義が経済メカニズムの中心だ(国富論)と論じるようになったわけではないのです。むしろスミスの頭の中心には「道徳感情論」で書いたこと(あるいは書ききれなかったこと)があって、その中の極めて狭い領域について詳細に議論したのが「国富論」だと考えるべきです。

センが指摘しているように、「道徳感情論」は「国富論」ほど注目されていませんが、その理由は、本書がカバーするテーマの包括性(幅広さ)にあるのではないかと感じました。取り上げているテーマの広さと、それぞれについて複数の説を丁寧に解説しているので、何冊もの専門書を一気に読んでいるような感じがする、つまり悪く言うとキーメッセージが頭に残らないのかもしれません(対照的に、国富論では見えざる手などのキーコンセプトが明瞭に頭に残ります)。逆に言えば本書からは、アダム・スミスの知識の恐ろしいほどの広さ、また視野の広さをうかがいしることができます。視野の広さを示す例として、本書でたびたび登場する「中立の観察者」があります。人が何か行動を行う際に、心の中にいる「中立の観察者」がそれをどう感じるか(称賛するのか、恥ずかしいことだと思うのか、やり過ぎだと思わないだろうか、など)を考えよということなのですが、センはこの概念を「開かれた中立性」と呼び、ジョン・ロールズの「公正としての正義」が論じている「閉じた中立性」よりも優れていると評価しています。

資本主義の限界が議論されるにつれて、最近マルクスブームがまた起こっているようです。マルクス主義者がマルクスの再評価を試みる本が巷にあふれていますが、私自身ははっきりいって食傷気味です。マルクスではなく、むしろアダム・スミスこそが再評価されるべき人物である、そして「道徳感情論」の中に資本主義の進路変更の答えがあると私は思います。

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2023年05月06日

Posted by ブクログ

他人の喜びに共感しない者は、礼節が欠けているだけかもしれないが、
他人の苦しみや悲しみに共感しない者は、不人情として軽蔑の対象となる。
しかしながら、相手と完全に感情が一致することはない。
相手の苦しみや悲しみを少しでも和らげてあげたいと思えば十分である。
誰もが胸の中に住む中立な観察者(良心)と対話しながら、自分の行動を決定している。

多くの者は、富と権力の道を選択する。そうすれば人から注目、賞賛され、承認欲求が満たされるからである。
しかし、ごく少数の者は、知恵を極め、徳を実践する道を選択する。
知恵と徳の価値を知る賢い者は、世間の賞賛よりも自分自身の納得感に重きをおく。
評価基準は、他人ではなく、自分の胸の中の観察者である。
健康な体を持ち、借金に悩まされておらず、心にやましさがないこと。平穏な日常に楽しみを見つけて過ごすこと、それが幸福(心の平穏)。
それ以外の基準はいらない。
他人と比較して自分を評価する必要はない

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2023年09月05日

Posted by ブクログ

国富論に並ぶアダム・スミスの主著。

「道徳感情論」と「国富論」前提となる人間観が、共感的か、エゴイスティックかということで矛盾しているみたいに言われることもあるが、「道徳感情論」の初版は、「国富論」出版前だが、「道徳感情論」の第6版は、「国富論」の出版後に出ていることから、アダム・スミスとして、この2冊には、一貫した人間観があると考えて良いはず。

実際に読んでみると、人間の共感性を基本としているが、同時にエゴイスティックな面やしょうもないまでにセコイところ、とほほな面もしっかり観察している。

そして、そういうしょうもなさも含めて、自然、神の大きな意思(見えざる手)のもとでは、全体としてOKなんだとおおらかに包み込む感じ。

個人的には昔の哲学は、言葉の定義から初めて、そこから演繹的に展開していくイメージがあるが、ここはイギリス経験論の世界。日常の観察を積み上げながら、論を一つ一つ進めていく感じですね。(なので、この議論って、MECEなんだろうか?とか思ってしまう)

親しみやすい卑近な例も多いが、時代的になんとなくピンとこないところも。

色々な日常的なお話の積み上げだし、18世紀のイギリスと21世紀の日本の文脈の調整をする必要があるので、なかなか全体が見晴らせない。

とりあえず全体を通読したが、まだまだ、その偉大さは見えてこない感じ。

でも、スミスさんって、いい人だったんだろうな〜、みたいな人柄は伝わってくるな〜。

次は、「国富論」に進め、もう一度、「道徳感情論」に戻ることとする。

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2018年08月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

人間は、他の人のことを心に懸けずにはいられない。“経済学の父”が、『国富論』に先立って構想した、「共感」原理に基づく道徳哲学を読み解く書籍。

私たちは、他人が悲しんでいると自分も悲しくなる。
それは想像力の働きによって、自分の身を他人の身に置き換えて考えるからだ。想像こそが、他人を思いやる気持ちの源である。

私たちは、友人に喜びよりも悲しみをわかってもらいたいと願う。
不幸な人は、共感が得られたら悲嘆を引き受けてもらったと感じる。この時、相手は悲しみを分かち合ったと言える。

私たちは自分の富を誇示し、貧しさを隠そうとする。それは、人間が悲しみよりも喜びに共感する傾向があるからだ。

栄達を求めず、何者にも頼らず、ひたすら自由に生きる。
そのための方法は、野心を抱かないこと、そして人々の注目を独占する支配者と自分を比べるような愚を犯さないことだ。

人々の尊敬と賛美に値するようになるための道は、2つある。
「富と権力を手に入れる道」と「知恵を究め、徳を実践する道」だ。そして、大多数の人間は、前者に惹きつけられる。

生活の程度が中流~下流の人の場合、堅実な職業的能力を備え、注意深く、不正を犯さず、慎み深く振る舞えば、失敗しない。「正直は最善の処世術である」という諺の通りである。

幸福は、心の平穏と楽しみの中にある。心が穏やかであれば、たいていのことは楽しめる。不幸に陥る大きな原因は、他者と自分の境遇を比べ、その差を過大視することにある。

個人にとって有用な資質は「理性と理解力」「自制心」だ。この2つの資質が「思慮」という最も有用な徳を形成する。

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2022年02月27日

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