川田稔の作品一覧
「川田稔」の「石原莞爾の世界戦略構想」「木戸幸一 内大臣の太平洋戦争」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「川田稔」の「石原莞爾の世界戦略構想」「木戸幸一 内大臣の太平洋戦争」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
Posted by ブクログ
2025/12/16 川田稔「陸軍作戦部長 田中新一」
陸軍で世界戦略を構想できたのは、武藤章と田中新一、そしてその師匠は永田鉄山と石原莞爾。彼らが幕僚から外れ、最終的に東條英機が全権を掌握するも、佐藤賢了軍務局長らは国家戦略の構想なく、ただ「持久戦」方針の下、『場当たり的対処=作戦至上主義』で犠牲を累増させた。「一撃決戦論」は敗戦の先送りでしかなかった。
終戦シナリオなき戦争運営はいたずらに犠牲を増やす。1944年サイパン以降、膨大な1年間の戦死者は無駄な犠牲者でしかない。それが国家戦略を苦手とする日本の国家的課題であり現代も全く変わらない。高市総理の「台湾有事の存立危機事態」発言は、場当た
Posted by ブクログ
戦後80年・昭和100年に相応しい一書。NHKスペシャル「昭和16年夏の敗戦(猪瀬直樹)」とセットで読むのをお勧め。対米開戦の謎が少し解ける。
満州事変・日中戦争を経て日米開戦そして敗戦までの10年間、日本は陸軍の軍事政権だったと改めて思う。その政権を担ったのは、「東條英機陸相-武藤章陸軍省軍務局長-田中新一参謀本部作戦部長」の3名で、構想は武藤が担った。
武藤は米国の動向を最重要視し「対米避戦」を基本として世界戦略を構想したのは松岡洋右外相とスタンスを同じくする。
「日独伊+ソ連」の4国同盟で英米体制を牽制し、世界の新体制を構築する。
危うさはあるし、肝心のヒトラーが理解できていたか疑問だが
Posted by ブクログ
旧日本陸軍軍務局長を務めた武藤章が描いた戦略を解き明かす本作。
第二次世界大戦前夜の国際情勢、その時に世界を支配していたプラグマティズムを淡々と描き、そのプラグマティズムの中で採りうる大日本帝国の針路を探り続けた戦略家の思考を追う良作である。
武藤が対米戦回避に邁進したのはあくまで対米戦に勝利することが出来ないと確信していたからであって、国際協調などといった観点ではない点が当時の空気感を感じさせる。あくまで冷徹な現実思考の結果として導き出された結論が対米戦回避だった。
対米戦回避のため、中国からの撤兵を決意出来なかったのは、永田鉄山が追求した国防国家論が無に帰すことを肯んじなかった点は興
Posted by ブクログ
満州事変以降、組織として政治化していく陸軍を「昭和陸軍」と定義し、永田鉄山を中心にした陸軍官僚の動きを追いながら太平洋戦争へ至る過程を明らかにしていく。永田鉄山は皇道派と統制派の対立の中で暗殺されたが、彼の構想は後継者たる武藤、田中らに引き継がれて昭和陸軍の動向を規定していた。
以下気になった記述のメモ
60ページ 満州事変は関東軍に陸軍中央が引っ張られたイメージだが、中央の一夕会系中堅幕僚は関東軍に呼応して陸軍首脳を動かしていたのが実態。
91ページ 対ソ戦略をめぐり一夕会は対立。速やかにソ連侵攻を目指すべきと考える小畑(皇道派)、ソ連侵攻前に未だ調整すべきことが多いので早急な侵攻は控え
Posted by ブクログ
昭和陸軍といえば、川田先生。今回は永田鉄山の後継者ともいえる武藤章を取り上げている。
武藤は陸軍内部ではいわゆる「統制派」の中心人物として、大東亜戦争開戦直前の日本の外交、政治をリードしてきた人物の一人でもあった。他の陸軍軍人と同様、地位があがることによって視野が広がり、それまでの方針を変更していくという過程は同じ(例えば、石原莞爾も似たような思考変化を見せている)で、その点は興味深かった。特に興味深い点が、石原と対峙したものと同じことを、開戦前に田中新一と立場を変えてやったのは、因果応報というものか。
どちらかというと軍政家であり、永田鉄山の理想を忠実に踏襲していく。いわゆる「昭和