作品一覧

  • 古代の天皇制

    古代の天皇制

    ビジネス・実用

    -
    1巻1,760円 (税込)
    古代日本の大王はどのようにして天皇になったのか.天皇はなぜ全土にその権威を認めさせることができたのか――日中律令の比較,稲荷山鉄剣銘の解読や神祇祭祀の検証等を通じて,古代史最大のテーマである天皇制の成立と,その独自性の背景にある宗教的・神話的特質に迫る.古代天皇制研究の画期をなした名著,待望の文庫化.

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  • 律令国家と隋唐文明

    律令国家と隋唐文明

    ビジネス・実用

    4.1
    1巻924円 (税込)
    中国の王朝が隋から唐へと移り、朝鮮半島から戦火が迫る。古代日本の律令国家は、そうした極度の軍事的緊張のなかから生まれた。国土防衛と権力集中への模索から、海を介した人々の知的交流、制度にとどまらない文明の継受によって、独自の国制を築く過程を描き出す。東アジアを舞台とした、「日本」誕生のドキュメント。

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  • 天皇の歴史1 神話から歴史へ

    天皇の歴史

    ビジネス・実用

    3.6
    1~10巻1,331~2,090円 (税込)
    三輪山の麓、大和に生まれた王権はどのように古代国家を形成したのか。古事記、日本書紀に描かれた神話の解読や考古学の最新成果などから、神武以降の天皇の実像を解明。群臣に擁立された天皇中心の畿内政権が、全国を統一していく過程を検証する。また東アジア情勢の緊張により、大化の改新が引き起こされ、律令国家形成が促進された背景も明らかに。天皇号と日本の国号の誕生も解析し、日本の歴史の原点を究明する。

ユーザーレビュー

  • 天皇の歴史1 神話から歴史へ

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    考古学的な最新成果と津田左右吉以来の文献批判を統合し、初期ヤマト王権から律令国家への転換を叙述する研究書。本書の特色は、謎に包まれた古代の王たちが、実は中国皇帝の機嫌を伺ったり、部下の娘を人質(采女)に取ったりと、生々しい「政治」をしている姿がわかる点にある。特に天武朝の「自分は神だ」宣言がどれほど異質だったかの指摘は、キャラ造形に極めて有用。

    ヒメ・ヒコの二重主権が主要論点の一つ。卑弥呼と男弟、神功皇后と武内宿禰のように、宗教を司る女性と世俗を司る男性がペアで統治する形態が王権の原形である。

    天皇号の推古朝成立説も重要な論点。天武朝説も有力だが、天寿国繍帳銘や遣隋使の国書から、対外的な「王」を越える称号として推古朝には考案されていた可能性が高い。

    「食国」と大嘗祭については、天皇の統治とは、四方の国々の食物を「食す」ことによる服属儀礼であり、大嘗祭はその関係を再確認する最大の舞台であった。

    天智期関連では、中大兄皇子について、乙巳の変を主導し、東アジアの緊張下で蘇我氏を排除して権力集中を図った。白村江の戦いについては、唐に代わって百済王を冊立しようという「倭の小帝国」的野心が、唐との全面衝突と大敗を招いた。称制については、斉明死後、即位せずに「水表の軍政」を執った緊急事態の権力運用。甲子の宣(664年)については、氏上を定め、部曲(民部・家部)を再編した、大化改新では不十分だった中央氏族制改革の断行。庚午年籍については、氏姓の根本台帳を確定させ、民衆を領域的(50戸単位)に把握し、徴税・軍役の基盤を築いた最重要施策。

    講談社学術文庫で、序章の研究史は専門的だが、第一章以降は「記紀のこの話は実はこういう意味」という解説が非常に平易。天智まわり関連度は極めて高く、蘇我氏、天智、鎌足の政治的動機が、東アジア情勢(唐の親征など)と密接にリンクして描かれており、ドラマの解像度が上がる一冊。

    0
    2025年12月30日
  • 律令国家と隋唐文明

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    古代日本における律令国家の形成を、隋唐帝国の圧倒的な文明的圧力と、それに対する「生存戦略」としての主体的受容の過程として描き出す。本書の特色は、「日本」という国名や「天皇」という称号が、なぜあのタイミングで必要だったのかを、激動の東アジアの中で「必死に文明化しようとした人々」のドラマとして、石垣や木簡といった証拠から立ち上がらせる点にある。著者は「日唐律令制の比較研究」の第一人者。

    本書の核心は、律令制の受容を「接ぎ木」として捉える視点。律令法は「青写真(目標)」として導入されたが、実態は郡司(旧地方豪族)による地域支配や、初穂貢納に基づく「租」など、日本の固有の慣行に依拠していた。制度面では「調・庸」が部民制や国造制下のミツキ(貢納)の慣行を継承し、「官僚制」も五位以上の有力氏族が天皇に近侍するマヘツキミとしての性格を色濃く残していた。

    「天皇」号については、隋の「訓戒」を受け、対等と礼節を両立させる第三の称号として採用されたとする。冊封を受けない「不臣」の立場を貫くための外交的決断であり、国内では神話に基づく「現神」としての権威を保ち続けた。金石文(野中寺弥勒菩薩像など)の再検討から「天智朝に遡ることは確実」との立場をとる。

    7世紀、白村江の敗戦という「極度の軍事的緊張」が、日本に強力な中央集権化(律令導入)を強いた。百済遺民を登用し、筑紫に水城、対馬に金田城を築城。防人(防)と烽(とぶひ)を設置した「戦時体制」の構築が進む。鬼ノ城(きのじょう)は天智朝に築かれた朝鮮式山城で、記述は『日本書紀』に欠落しているが、吉備大宰(総領)の府としての軍事的緊迫感を示す。

    天智期関連では、中大兄皇子の権力型を石母田正説を引き、「万機総摂」を、王族の一人に権力が集中する「新羅型」の権力集中と位置づける。庚午年籍の作成(670年)は天智9年に作成され、調庸の賦課や兵士徴集を目的とし、族制的支配から領域的支配への転換点となった。太政大臣の初設として、天智10年、大友皇子を太政大臣に任命。これは従来の皇太子執政の機能を継承し、大友の権力を強化するための政治的任命だった。亡命百済人の「学職頭」として、天智朝に鬼室集斯を大学寮の前身の長官に任命。最新の知的・技術的指導を亡命貴族に依存していた。

    文書行政については、四等官制と帰化人の役割として、文書行政の「主典(サカン)」を主に帰化人が担い、上官がそれを口頭で決裁する「宣」のスタイルは、文字を持つ帰化人と持たざる有力氏族の共同運営の伝統に由来すると指摘。文字を操る層と、血統・序列で近侍する層の共同運営が官僚制の実態として描かれる。

    奈良時代から平安時代にかけて、吉備真備や鑑真らによる「礼」の受容を通じて、天皇の衣服や儀式が徐々に唐風化し、九世紀に至ってようやく制度として完成されたと結論づける。避諱(皇帝や先帝の本名を避ける中国の礼)は仲麻呂政権下で導入され、聖武の諱「首」などが改名対象となった。

    学術的争点として、『近江令』の存在について、存在を肯定する説と否定する説(青木和夫説)を提示し、著者は後者の立場を詳述している。体系的な法典としての『近江令』は存在せず、実際には「甲子の宣」のような単行法令の集成であった可能性が高いとする。

    岩波新書で最新の研究成果に基づきつつ、非常に整理されており、古代史の大きな流れを掴みやすい初学者向け。宮廷での「宣(言葉)」の呪術性や、天皇の衣服が白(帛衣)から赤(袞冕十二章)に変わるプロセスなど、描写のディテールが豊富。飛鳥の都に亡命してきた百済人たちがどのような技術(城造りや漢文)を伝え、中大兄皇子らがそれにどう縋り、国を改造したのか、激動の東アジアの中で理解できる一冊。

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    2025年12月24日
  • 律令国家と隋唐文明

    Posted by ブクログ

    日本古代の律令国家形成を、隋唐文明との関わりから著述しています。時代は遣隋使が派遣された推古朝から、中国の礼が継受されて儀礼が整う弘仁・貞観期までを扱っており、途中で律令制の概説(官僚制や戸籍・民衆支配など)を挟んでいます。
    帰化人が国家建設に果たした役割や、吉備真備や鑑真ら海を渡った人々の功績が、それぞれ章を立てて解説されているところが印象的です。やはり古代史、律令国家は面白いと思わせる一冊です。

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    2020年05月14日
  • 律令国家と隋唐文明

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    さすがは古代史の大家、と思わせてくれる重厚な新書。しっかり、たの研究者の説などをわかるように示してくれているのが非常にありがたい。かつ、鬼ノ城や吉備真備など、岡山愛が感じられるのも新書らしくて良い。隋唐といいつつも、特に唐の文化が日本に与えた影響というのは、やはりとても大きかったのだなと改めて考えさせてくれた。

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    2020年04月27日
  • 律令国家と隋唐文明

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    ネタバレ

    ・隋唐の中国統一は東アジアに大きな影響、高句麗は泉蓋蘇文による宰相独裁、百済は義慈王による王族・重臣追放の専制君主型官司制、新羅は金春秋による傀儡女王一人に権力集中・貴族評議の集権化と集権化による国力の強化を図った。倭も蘇我入鹿が高句麗型、中大兄が新羅型の集権化を目指した。
    ・白村江の敗戦は激震をもたらし、庚午年籍による徴兵、朝鮮式山城の建築、防人等軍事力の強化が図られた。
    ・唐・新羅とは緊張関係にあったが、唐と新羅との10年に及ぶ戦争のなか、新羅が倭に接近、唐も倭との対立を緩める。
    ・国号の日本は、唐からみた国号であり、唐と対立した倭とは別の王朝であるとの印象操作もあったのではないか。
    ・律令の受容にあって、唐律は極めて緻密で体系化されていたので、量刑を軽くするなどを除き、そのまま受容した。ただし唐は礼とのセットであったのに対し、文化の異なる日本は礼をほとんど受容しなかった。
    ・唐令は日本の文化や政治に合わせる必要があり選択的需要や改変を行った。
    ・戸令の家族法は中国の宗族と礼によるものであり、日本の文化とはまったく違っていたが、逆に理想形としてそのまま継受。衣服令・鹵簿令・儀令のうち天皇の儀式・衣服等に関するものは、ほとんど継受せず、伝統的な宗教による儀式が法文化されず行なわれた。
    ・皇帝は律令の外にあり、律令を超える権限行使ができたが、天皇は律令の下にあり、マエツキミの群議に従った。
    ・戸籍・計帳・班田収授が喫緊の課題であり先行的に整備され、戸令が人民支配の規定とされた、唐令の戸令は貴族の身分把握や選挙が主であった。唐の均田制は永業田もあり、規定では一定だが実際は相違していたし、口分田も場所によって相違していたが、日本では一律に、また女性にも配分された。国造制下のアカチダ(班田)がもとか。
    ・唐の庸調は、正丁に課す人頭税で現物貨幣である布に換算している税金。日本の調(みつき)は布のほか鉄、のしアワビなど多くの雑物を規定しており、国造が特産物を神に献上するミツキ(みつぎもの)。庸は布・米・塩で徴収されたが、大王の宮で奉仕するトモを国造が差し出し、その生活物資であるチカラシロ。租は収穫高の3%に過ぎず、ハツホ(初穂)として神に収めるもの。
    ・唐は官制が先にあり、官職につくと官位相当の位が授与されたが、日本では位が先にあり、中央の豪族が貴族として五位以上につき、位田、蔭位も貴族に極めて有利。
    ・四等官のカミ、スケは長官と次官ではあるが権限はほぼ同等、長官二人制は一般的であり中央貴族が任官。律令以前は南朝の制度導入し三等官で実務官僚がサカン(朝鮮語の史官?)。ジョウ(丞)は漢語の助け。

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    2026年07月02日

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