大津透のレビュー一覧
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ネタバレ考古学的な最新成果と津田左右吉以来の文献批判を統合し、初期ヤマト王権から律令国家への転換を叙述する研究書。本書の特色は、謎に包まれた古代の王たちが、実は中国皇帝の機嫌を伺ったり、部下の娘を人質(采女)に取ったりと、生々しい「政治」をしている姿がわかる点にある。特に天武朝の「自分は神だ」宣言がどれほど異質だったかの指摘は、キャラ造形に極めて有用。
ヒメ・ヒコの二重主権が主要論点の一つ。卑弥呼と男弟、神功皇后と武内宿禰のように、宗教を司る女性と世俗を司る男性がペアで統治する形態が王権の原形である。
天皇号の推古朝成立説も重要な論点。天武朝説も有力だが、天寿国繍帳銘や遣隋使の国書から、対外的な「王」を越える称号として推古朝には考案されていた可能性が高い。
「食国」と大嘗祭については、天皇の統治とは、四方の国々の食物を「食す」ことによる服属儀礼であり、大嘗祭はその関係を再確認する最大の舞台であった。
天智期関連では、中大兄皇子について、乙巳の変を主導し、東アジアの緊張下で蘇我氏を排除して権力集中を図った。白村江の戦いについては、唐に代わって百済王を冊立しようという「倭の小帝国」的野心が、唐との全面衝突と大敗を招いた。称制については、斉明死後、即位せずに「水表の軍政」を執った緊急事態の権力運用。甲子の宣(664年)については、氏上を定め、部曲(民部・家部)を再編した、大化改新では不十分だった中央氏族制改革の断行。庚午年籍については、氏姓の根本台帳を確定させ、民衆を領域的(50戸単位)に把握し、徴税・軍役の基盤を築いた最重要施策。
講談社学術文庫で、序章の研究史は専門的だが、第一章以降は「記紀のこの話は実はこういう意味」という解説が非常に平易。天智まわり関連度は極めて高く、蘇我氏、天智、鎌足の政治的動機が、東アジア情勢(唐の親征など)と密接にリンクして描かれており、ドラマの解像度が上がる一冊。 -
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古代日本における律令国家の形成を、隋唐帝国の圧倒的な文明的圧力と、それに対する「生存戦略」としての主体的受容の過程として描き出す。本書の特色は、「日本」という国名や「天皇」という称号が、なぜあのタイミングで必要だったのかを、激動の東アジアの中で「必死に文明化しようとした人々」のドラマとして、石垣や木簡といった証拠から立ち上がらせる点にある。著者は「日唐律令制の比較研究」の第一人者。
本書の核心は、律令制の受容を「接ぎ木」として捉える視点。律令法は「青写真(目標)」として導入されたが、実態は郡司(旧地方豪族)による地域支配や、初穂貢納に基づく「租」など、日本の固有の慣行に依拠していた。制度面では「調・庸」が部民制や国造制下のミツキ(貢納)の慣行を継承し、「官僚制」も五位以上の有力氏族が天皇に近侍するマヘツキミとしての性格を色濃く残していた。
「天皇」号については、隋の「訓戒」を受け、対等と礼節を両立させる第三の称号として採用されたとする。冊封を受けない「不臣」の立場を貫くための外交的決断であり、国内では神話に基づく「現神」としての権威を保ち続けた。金石文(野中寺弥勒菩薩像など)の再検討から「天智朝に遡ることは確実」との立場をとる。
7世紀、白村江の敗戦という「極度の軍事的緊張」が、日本に強力な中央集権化(律令導入)を強いた。百済遺民を登用し、筑紫に水城、対馬に金田城を築城。防人(防)と烽(とぶひ)を設置した「戦時体制」の構築が進む。鬼ノ城(きのじょう)は天智朝に築かれた朝鮮式山城で、記述は『日本書紀』に欠落しているが、吉備大宰(総領)の府としての軍事的緊迫感を示す。
天智期関連では、中大兄皇子の権力型を石母田正説を引き、「万機総摂」を、王族の一人に権力が集中する「新羅型」の権力集中と位置づける。庚午年籍の作成(670年)は天智9年に作成され、調庸の賦課や兵士徴集を目的とし、族制的支配から領域的支配への転換点となった。太政大臣の初設として、天智10年、大友皇子を太政大臣に任命。これは従来の皇太子執政の機能を継承し、大友の権力を強化するための政治的任命だった。亡命百済人の「学職頭」として、天智朝に鬼室集斯を大学寮の前身の長官に任命。最新の知的・技術的指導を亡命貴族に依存していた。
文書行政については、四等官制と帰化人の役割として、文書行政の「主典(サカン)」を主に帰化人が担い、上官がそれを口頭で決裁する「宣」のスタイルは、文字を持つ帰化人と持たざる有力氏族の共同運営の伝統に由来すると指摘。文字を操る層と、血統・序列で近侍する層の共同運営が官僚制の実態として描かれる。
奈良時代から平安時代にかけて、吉備真備や鑑真らによる「礼」の受容を通じて、天皇の衣服や儀式が徐々に唐風化し、九世紀に至ってようやく制度として完成されたと結論づける。避諱(皇帝や先帝の本名を避ける中国の礼)は仲麻呂政権下で導入され、聖武の諱「首」などが改名対象となった。
学術的争点として、『近江令』の存在について、存在を肯定する説と否定する説(青木和夫説)を提示し、著者は後者の立場を詳述している。体系的な法典としての『近江令』は存在せず、実際には「甲子の宣」のような単行法令の集成であった可能性が高いとする。
岩波新書で最新の研究成果に基づきつつ、非常に整理されており、古代史の大きな流れを掴みやすい初学者向け。宮廷での「宣(言葉)」の呪術性や、天皇の衣服が白(帛衣)から赤(袞冕十二章)に変わるプロセスなど、描写のディテールが豊富。飛鳥の都に亡命してきた百済人たちがどのような技術(城造りや漢文)を伝え、中大兄皇子らがそれにどう縋り、国を改造したのか、激動の東アジアの中で理解できる一冊。 -
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ネタバレ・隋唐の中国統一は東アジアに大きな影響、高句麗は泉蓋蘇文による宰相独裁、百済は義慈王による王族・重臣追放の専制君主型官司制、新羅は金春秋による傀儡女王一人に権力集中・貴族評議の集権化と集権化による国力の強化を図った。倭も蘇我入鹿が高句麗型、中大兄が新羅型の集権化を目指した。
・白村江の敗戦は激震をもたらし、庚午年籍による徴兵、朝鮮式山城の建築、防人等軍事力の強化が図られた。
・唐・新羅とは緊張関係にあったが、唐と新羅との10年に及ぶ戦争のなか、新羅が倭に接近、唐も倭との対立を緩める。
・国号の日本は、唐からみた国号であり、唐と対立した倭とは別の王朝であるとの印象操作もあったのではないか。
・律令の受容にあって、唐律は極めて緻密で体系化されていたので、量刑を軽くするなどを除き、そのまま受容した。ただし唐は礼とのセットであったのに対し、文化の異なる日本は礼をほとんど受容しなかった。
・唐令は日本の文化や政治に合わせる必要があり選択的需要や改変を行った。
・戸令の家族法は中国の宗族と礼によるものであり、日本の文化とはまったく違っていたが、逆に理想形としてそのまま継受。衣服令・鹵簿令・儀令のうち天皇の儀式・衣服等に関するものは、ほとんど継受せず、伝統的な宗教による儀式が法文化されず行なわれた。
・皇帝は律令の外にあり、律令を超える権限行使ができたが、天皇は律令の下にあり、マエツキミの群議に従った。
・戸籍・計帳・班田収授が喫緊の課題であり先行的に整備され、戸令が人民支配の規定とされた、唐令の戸令は貴族の身分把握や選挙が主であった。唐の均田制は永業田もあり、規定では一定だが実際は相違していたし、口分田も場所によって相違していたが、日本では一律に、また女性にも配分された。国造制下のアカチダ(班田)がもとか。
・唐の庸調は、正丁に課す人頭税で現物貨幣である布に換算している税金。日本の調(みつき)は布のほか鉄、のしアワビなど多くの雑物を規定しており、国造が特産物を神に献上するミツキ(みつぎもの)。庸は布・米・塩で徴収されたが、大王の宮で奉仕するトモを国造が差し出し、その生活物資であるチカラシロ。租は収穫高の3%に過ぎず、ハツホ(初穂)として神に収めるもの。
・唐は官制が先にあり、官職につくと官位相当の位が授与されたが、日本では位が先にあり、中央の豪族が貴族として五位以上につき、位田、蔭位も貴族に極めて有利。
・四等官のカミ、スケは長官と次官ではあるが権限はほぼ同等、長官二人制は一般的であり中央貴族が任官。律令以前は南朝の制度導入し三等官で実務官僚がサカン(朝鮮語の史官?)。ジョウ(丞)は漢語の助け。 -
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神話の時代から天武天皇まで。詳細な記述を堪能した。卑弥呼が戦前の皇国史の中でどの位置に同定されていたのか、興味深いところだったが、著者によれば、西暦239年(己未、景初3年)の卑弥呼による朝貢の魏志の記述に合わせるために120年遡って神功皇后の「日本書紀」に神功皇后による朝貢との記述津があること、また「百済記」の記述を合わせていた!明らかに卑弥呼に比定する意図があるとのこと、これは初耳だった。それ以外は説明が無かったが、私としては著者が飯富皇女(顕宗・仁賢天皇の姉?)がシャーマンであり、もしかすると清寧天皇後に女帝に即位していたかも…との記述(P188)から、むしろこの皇女が卑弥呼のイメージに相応しいように感じた…。とはいえ飯富皇女の存在は西暦500年頃と思われるため、もちろん時代は全く合わない!神武天皇の即位を推古9年(601年)から1260年(21回)遡って革命の辛酉の年に決めたという説明も改めて詳しく教えられた。一方、大友皇子の弘文天皇としての即位があったのか否か?説明は大友のままであり、全く言及がなかったのは、私には少し消化不足。
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飛鳥時代から奈良時代に至る6世紀-8世紀に成立したとされる大和朝廷による律令制度、これを隋や唐という律令の規範に照らし合わせながら、その導入に至る経緯や国際情勢について時代を追う形で確認していく。次第に明らかになっていくその全体像が至る形は、唐風様式の受入れとその継続というものだった。
そして律令制度は形を変え意味合いを変えて、それでも形式上は廃止されることなく明治維新を迎えることになるのである。
これは、例えば天皇の即位にあたっても、江戸時代最後の孝明天皇までは唐風の装束で、つまり中国式の衣装で即位の式典が執り行われてきたことの背景である。
今、天皇の即位にあたって、「古式ゆかしい」衣冠束帯を身に着けた儀式が紹介されるのだが、実は本当のところは江戸時代まではそんなものは着ておらず、中国の服を着ていたのである。これが真の伝統と言えるだろう。
隋と唐、そして律令のなんという影響力だろうか。 -
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ネタバレ大津透『律令国家と隋唐文明』
軍事脅威が国家の意識を固めさせた、7〜8世紀の日本が隋唐という巨大文明の「波」に揉まれながら、必死に国家像を模索した時代、天智・天武の本気が隋・唐の組織像への解像度を上げ、文化を含めて形を作っていったダイナミズムが時代としか言いようがない
タイトル「律令国家と隋唐文明」、白村江の敗戦後の極度の緊張の中で、唐の先進制度を「生存戦略」として取り入れ、飛鳥浄御原令から大宝律令へと律令国家を構築していく過程を、東アジア史の文脈で描く、制度の輸入に終わらず、古来のヤマト王権の宗教的性格や氏族制を残しつつ、柔軟に日本化させていった日本人の感覚が好印象
この文明受容の流れは桓武天皇(山部王)時代において一つギアが上がった、百済系帰化人出身の母を持つという出自のハンディを背負いながら、大学頭など官僚として実務を積んだ山部王は、律令制導入後の「新しい意識」を最も求めて体現した天皇だった、官僚独自の文脈で中国皇帝像を強く意識し、光仁天皇から新たな朝であると言わんばかりの郊祀の実施、長岡京・平安京への遷都、親政の強化、唐風儀礼の深化など、制度(律令)から「礼」へと文明の受容を二段階に分けて移行した
頭でっかちな理想追求と、現実の政治家としての冷徹さの両面を持ち合わせた桓武天皇の姿は、律令国家が単なる「模倣」ではなく、日本独自の国制を模索する「創造的適応」のプロセスだったこと、ソレが唐の制度を復元した根気強い研究があればこそ解像度の高い論を楽しめるのだなと言いたい(実は途中で挫折しかけた)
危機が日本を変え、隋唐文明がその触媒となった——本書は古代史の入門書としてだけでなく、「日本とは何か」を考える上でも非常に刺激的な一冊で、飛鳥・奈良・平安のつながりがより立体的に見えるようになり、読後感は爽快です -
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日本の歴史を改めて知ろうとしたら、やはり天皇と公卿の成り立ちからかと思い、この本を手にしました。
なかなか難しく、かなり読みきるのに時間を要してしまいましたが、とても勉強になる一冊でした。
天皇家のレガリアが玉、鏡、剣の三種神器であることを知って、宝剣が大切に保管されている奈良の神社まで出掛けてしまいました。大和王朝の始まりの地の息吹も感じてきました。
かなりたい子の昔から、朝鮮や中国との外交や争いがあったことには驚きました。もっと日本は歴史的に孤立していたようなイメージがあったので、もっと大きいスケールで日本の歴史を学び直す必要性を感じました。
昔は皆名字を持っていたことも驚きでした。その半分くらいは、○○部さんであったこと。確かに、阿部、服部、磯部、田部、建部、武部等と今でも部が名字につく人は多い。
もっと日本史を勉強し直してから、もう一度挑戦したい本です。 -
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2010年に刊行された「天皇の歴史」シリーズの文庫版。2016年の天皇明仁(当時)が発した「象徴としてのお務めについてのおことば」を契機とした議論の高まりが文庫版の出版に繋がったようだ。副題にある通り、神話時代における天皇系譜の成立過程を探るのが本書の趣旨であり、それは史料なき時代の考証を、記紀やその他の後世の史料の批判的読解から行おうとする試みとなる。当然ながらわかり得ぬものを扱うため推測が混入することを防ぐのは不可能だが、各種史料を複合的に批判してその裏にあるものを炙り出そうとする専門家たちの苦闘がよく伝わってくる。
国内の史料が乏しい「倭の五王」以前を扱う第1章は比較的シンプルでわかりやすく、特に践祚に必要とされるレガリア(「三種の神器」)が魏から卑弥呼への下賜に起源することを論ずる下りは説得的。第2章では主に「記紀」を批判的に読み解くことにより、皇統が重視されるに至った経緯を明らかにしつつ、同時に大和朝廷成立における帰化人の役割や、天皇と祭祀の関わりが語られる。
第3章からは大和朝廷における畿内政権と地方豪族の関係が論じられるが、この辺りから議論がかなり複雑になる。著者の専門領域は奈良・平安時代の律令制であるため、考証史料を各種律令から持ってくることが多くなり、律令制に関する知識が乏しい読者にはややハードルが高い記述になっているように感じた。
第4章におけるテーマである天皇という称号や日本という国号の成立に関しては、中国大陸や朝鮮半島との関わりが内外の史料を用いて重層的に論じられている。個人的には、飛鳥の奇妙な石造物が、蝦夷との朝貢関係を維持していることの他国へのアピールであるとする著者の見解はやや突飛ではあるがシンプルで説得的であるように思えた。
全般的に根拠史料の掲出が豊富で、これらを丁寧に読み込んで行けばこの時代の溢れるロマンを十分に味わうことができる。門外漢には辛い部分も多いが、著者の言うように京都よりも奈良にシンパシーを感じる古代史ファンなら相当に楽しめる内容だと思う。