ノンフィクション作品一覧

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  • 早稲田ラグビー名勝負物語
    3.0
    栄光の「荒ぶる」をもう一度!――四度の日本一に輝き、歴史に残る死闘を演じた「雪の早明戦」など、赤黒ジャージーのすべてが、いま甦る。早稲田ラグビーファン感涙の一冊。 ●ゴールラインまで数十センチのところで耐えつづけ、そこから先に進ませない鉄壁の守備、ライン際ぎりぎりのところで飛び込む果敢なタックル。相手陣に入ったら、必ず得点するバックス陣。不利と予想されながらもはね返す強靱なチームワーク。 早稲田のいくところには奇跡があった。 早稲田ファンは、誰もが奇跡が起こることを望んで、秩父宮ラグビー場や国立競技場へと足を運んだ。 そして、幾度も信じがたい勝利を目にした。 いま、誰もがあの強い早稲田が再び戻ってくることを信じている。 日本一を達成したときの栄光のラグビー部歌「荒ぶる」を、もう一度歌いたいと……。 ●感動の名勝負13番 ・16年ぶり4回めの日本一に輝く ・絶妙なパントキックで逆転勝利 ・シーソーゲームを制した早稲田の「走力」 ・重量フォワードをセブンエース戦法で粉砕 ・攻めをはね返す「アタッキル」が勝負へ導いた ・連敗脱出のきっかけとなった執念の一戦 ・歴史に残る激闘「雪の早明戦」 ・ショートライン戦法で日体大に挑む ・勝利を実現させた“大西魔術” ・初出場組が切り開いた勝利への道 ・法政に大学王座を許した痛恨のミス ・プレーミス続出の早稲田らしからぬ試合展開 ・敗戦から学んだ重量フォワード対策
  • 私生きてます
    -
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 東京拘置所で服役中の著者が、自らの脳外科の手術・入院、闘病のなかでの裁判、瀬戸内寂聴氏らとの交流……、鉄格子をはさんで繰り広げられる極限の世界を自筆画30点を交えて描く迫真のドキュメント。

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  • わたくし96歳が語る 16歳の夏 ~1945年8月9日~
    4.7
    Xで8.5万フォロワー(2025年7月現在)を持つ「わたくし96歳」が語る戦争の記憶。 1945年8月9日、長崎で被爆した著者は、当時16歳。 戦後の人生において、その体験を語ることなく過ごしてきましたが、ある日、自らに問い直します。 「2019年6月、私は90歳になりました。それをきっかけに、それまで語らなかった戦争体験、被爆体験を語っていこうと、「カタリベ(語り部)」をする決心をしたのです。」(本文より) 戦争体験者、被爆体験者は年々減り続けています。 「伝えられるだけ伝えないと」――その思いは、日に日に強くなっていきました。 思い出したくもない、語りたくもない話です。 だからこそ、長い間、口を閉ざしてきたのです。 2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった直後、著者がTwitter(現・X)に投稿した文章が注目を集めます。 「20歳の女性が渋谷の反戦デモに参加したというツイートを読んだ。初めてのデモ、生きているうちに戦争反対を叫ぶとは思わなかった、涙が出たと書いてあった。戦争を知らない若い人達にこんな思いをさせるとは思わなかった。2度と戦争の悲劇を繰り返させない、それが私達戦争体験者なのに。」(投稿より) この投稿は9万件以上の「いいね」を集め、大きな反響を呼びました。 戦争体験者のほとんどが、あまりに悲惨な体験だったがゆえに、それを語らないままでした。 以降、戦争体験者として自らの言葉を発信し続けてきた著者は、今、96歳。 語ることを避けていた「あの日」の記憶を、一冊の本にまとめました。 本書は、「カタリベ」になろうと決心した著者と、 長女が書き溜めていた「著者の記憶」をもとに完成させた「カタリベの記録」です。
  • 私のアメリカ・ジャーナリズム修行
    -
    コロンビア大学ジャーナリズム・スクールでの1年間の留学生活中に見聞した様々な出来事-湾岸戦争-を主軸に、米国の多様さ・変化の潮流をシャープに描写する。
  • わたしが看護師だったころ 命の声に耳を傾けた20年
    -
    わたしが看護師だったころ──命の声に耳を傾けた20年。看護とは、切断された手足を運ぶこと、患者の声音から投薬のタイミングを察すること、死にゆく子どもの足型をとること……ロンドンの病院で20年間勤務し、現在は小説家として活躍する著者が、看護師としての経験とその仕事の本質を優しくも冷静な眼差しで綴る
  • 私が今日も、泳ぐ理由 パラスイマー 一ノ瀬メイ
    4.5
    「障害は個性」、「障害は社会が作るもの」。リオパラリンピック、さらに2020年東京へと、とびきり前向きに成長し続ける、パラ水泳・一ノ瀬メイ選手の、半生と努力、そして何より伝えたい「障害と社会の関係性」についてのメッセージをつめた1冊。
  • 私が出会った究極の俠たち 泣いて笑ってヤクザ取材45年
    -
    あなたが持つヤクザ者のイメージが覆る! 普通に生きていれば、避けて通ることもできたヤクザと呼ばれる人々――。そんな梟雄の群れに、あえて自ら飛び込んでいき、彼らの行動様式や思考、何より各人が持つ強烈な来歴と個性を引き出すことで、著者は多数のアウトロー評伝を執筆してきた。その取材に費やした歳月は45年間に及び、実に人生の大半を捧げたことになる。しかし、聞き出した逸話のすべてを著作に反映できるものではない。本書は、お蔵入りとなっていた取材ノートの封印を解き、親分たちのコワモテだけではない素顔、これまで世に知られていないエピソードを集めた。著者のヤクザ取材の集大成である。 本書で描かれた男たち(一部) 髙山登久太郎 稲川裕紘 波谷守之 森田幸吉 落合勇治 安藤昇 万年東一 モロッコの辰 女装ヒットマン 特別寄稿=俳優・なべおさみ氏 「ボンノ親分との忘れがたき思い出」
  • わたしが出会った殺人者たち
    3.5
    犯罪事件を取材して半世紀。幾多の殺人の真相を書き続けてきた作家が、古希を越えた今、これまでの取材を振り返り、殺人者との交流を回想する。拘置監で大粒の涙を見せた無期懲役囚、「自分を小説に書いてくれ」と資料を寄越した家族殺害犯、著者が喪主を務めた前科十犯の男――。昭和・平成を震撼させた凶悪犯18人の知られざる肉声や人間臭い横顔を描く、著者の集大成的な犯罪回顧録。
  • 私が見た21の死刑判決
    3.9
    光市母子殺害犯、オウムの麻原彰晃と幹部たち…数千もの刑事裁判を傍聴して目のあたりにした、死刑宣告の瞬間。遺族の悲痛な訴え、それに向き合う被告人たちの素顔。死刑判決にいちばん取り乱したのは誰? 弁護士に振り回された光市母子殺害犯。地下鉄サリン事件の実行犯には、1人も殺していないのに死刑判決を受けた者もいれば、「自首」「悔悟の情」が認められて無期懲役になった者も。息詰まる法廷のドキュメント。もし、あなたがこの裁判の裁判員だったら…?
  • わたし、がんばったよ。 急性骨髄性白血病をのりこえた女の子のお話。
    4.5
    『みんなと同じことしたい』あこがれだった小学校で、いじめにあった美咲ちゃんは、自分でつくった絵本にそうつづりました。4歳の夏、美咲ちゃんは、急性骨髄性白血病を宣告されました。ありえないほど苦い薬、薬の副作用の吐き気、綱渡りの骨髄移植……。壮絶な治療をのりこえ、待ちに待った退院。けれども、すぐにみんなと同じことができるわけではなかったのです。
  • 私、コスモの目になる! 盲目の馬と少女のこころの交流
    -
    競走馬としてデビューしたタカラコスモスは、その期待に応えることはできなかったものの、乗馬用として引き取られた日本獣医畜産大学の馬術部で、素質を開花させることに。1990年の全日本学生馬術大会で優勝を果たすなど「女王」と呼ばれるほど、憧れの存在になっていた。しかし、馬の失明原因で最も多いとされている「ぶどう膜炎」を患うと、障害の飛越はもちろん、日常の生活にも支障をきたすほど、視力を低下させてしまう。大学では懸命の治療を施したが、症状の回復は難しいと思われた。なんとか彼女に活躍の場と考えていた馬術部の顧問・山内は、目の治癒に適した温泉が十和田にあることを含めて、青森県立三本木農業高校の藤森に引き取りを願う。しかし、ここでもタカラコスモスは「目の見えない暴れる馬」として藤森はもちろん、誰の手にも負えなかった。そんなある日、藤森は新たなパートナーとして1年生の華苗を指名する。(見えないのなら、私がコスモの目の代わりをすればいい)華苗は暑い日も寒い日も懸命に世話を続ける…。

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  • 私、失敗ばかりなので―へこたれない仕事術―
    3.7
    大人気ドラマ『ドクターX』を生み出したヒットメーカーは、実はダメダメ社会人だった! ドラマをつくりたいのに、秘書室に配属? 制作現場に異動したら、初プロデュース作品が打ち切り……。でも、全てヒットを生むために必要だった。体当たりの失敗とムダの連続で身につけた、仕事のルールを語る。失敗エピソード満載!
  • 私たちが声を上げるとき アメリカを変えた10の問い
    -
    軽んじられ、遮られ、虐げられた者たちが立ち上がったとき、社会の何が変わり、歴史はどう動いたのか――。 BLM運動や#MeToo運動など、不条理に抗う波が次々と生まれている近年のアメリカ。 全世界的に広がるこれらの動きの原点には、勇気をもって声を上げた女性たちの軌跡があった。 本書では、アメリカ現代史に刻まれた10の“瞬間”を取り上げ、「声を上げる」ことで何が起きたのか、今の私たちに問われていることは何かを、5人の女性アメリカ研究者が連帯しながら分析・論考する。 ローザ・パークスからルース・ベイダー・ギンズバーグ、大坂なおみにいたるまで、彼女たちの言動の背景、状況、影響について知り、社会と歴史を変えた信念に学び、世界に蔓延する差別や不正義を他人事ではなく当事者として捉えるための一冊。 【著者プロフィール】 和泉真澄(いずみ ますみ)同志社大学教授。著書に『日系カナダ人の移動と運動』ほか 坂下史子(さかした ふみこ)立命館大学教授。著書に『よくわかるアメリカ史』(共編著)ほか 土屋和代(つちや かずよ)東京大学大学院准教授。著書にReinventing Citizenshipほか 三牧聖子(みまき せいこ)同志社大学大学院准教授。著書に『戦争違法化運動の時代』ほか 吉原真里(よしはら まり)ハワイ大学教授。著書に『ドット・コム・ラヴァーズ』ほか
  • わたしたち、体育会系LGBTQです 9人のアスリートが告白する「恋」と「勝負」と「生きづらさ」(集英社インターナショナル)
    -
    LGBTQという言葉は世間に広まったけれど、日本のスポーツ界は相変わらずマッチョで、根性を見せて戦うことが「男らしい」とされる。そんな「体育会」で、性的マイノリティは自分の「性」を隠して辛抱・我慢している? 陸上部監督との「かなわぬ恋」に泣いたゲイの男子スプリンター、剣道部の道場で「女らしさ」から逃避できたレズビアン、女子プロレスラーに完敗した元球児のトランスジェンダー……。アスリートの実体験から「男らしさ」の呪いが解けない日本の姿が見えてくる。
  • 私たちのオモニ 本田靖春全作品集
    -
    朝鮮半島における南北の対立やイデオロギーの相違を超えて、在日の抱える問題に取り組むべきだ・・そんな主張を掲げる雑誌『まだん(広場)』を、1973年に創刊したのが金宙泰。その金の家族と在日の人々をめぐる物語。在日朝鮮人への差別問題に取り組み続けてきた著者は、「日本と朝鮮半島との新しい関係を展望するとき、かつては狭間の暗い存在としてしか意識されなかった在日の人たちが輝きを帯びてくるはずである」と述べる 【解説:後藤正治】
  • わたしたちのカメムシずかん やっかいものが宝ものになった話
    4.4
    「カメムシ」と聞くと、どんなことを思い浮かべますか? 「あの臭い虫?」と、おそらくあまり良いイメージはもっていないのではないでしょうか。でも、じつはカメムシには、美しいものや、かわったかたちのものなど、いろんな種類がいて、よく見ると、なかなかおもしろい生きものなのです。岩手県葛巻町にある小学校で、そんなカメムシをみんなでさがして、調べて、「カメムシずかん」まで作ってしまったお話です。

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  • 私たちの近現代史 女性とマイノリティの100年
    4.8
    1923年9月1日に発生した関東大震災は、東京近郊に大きな被害をもたらしたばかりか、近代日本の精神にも大きな傷跡と罪科を刻み込んだ。 民間人らによる朝鮮人虐殺や憲兵らによる無政府主義者殺害である。 シベリア抑留体験のある父を持ち、ドラマ・映画化された小説『風よ あらしよ』でアナキスト伊藤野枝・大杉栄と、大震災での彼らの殺害を描いた村山由佳、祖父が関東大震災で殺されかけ、家父長制の色濃い在日家庭に育ち、自らも様々な形での差別を経験してきた朴慶南。 ふたりが、戦争と植民地支配、災害と虐殺が日本人社会に与えた影響、そして、いまだ女性やマイノリティへの差別と偏見が根強く残るこの国の100年を語り尽くす。
  • 私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音
    3.6
    「普通」ってなに? ポンコツじゃなくてデコボコ。 発達障害当事者、22人のリアル。 「東洋経済オンライン」の人気連載、書籍化! [書き下ろし体験レポート] 「自分も発達障害かも」と疑う著者が、実際に心療内科を受診し、心理検査を受けてみると……! 「発見の連続に、夢中になってページをめくった。私たちのよく知る生きづらさと、まったく知らなかった生き難さ。 著者だからこそ聞き出せた貴重な証言が本書には詰まっている」 雨宮処凛(作家) できること、できないことの差が激しい。 それが発達障害の大きな特徴です。 ADHD、ASD、LD――何に悩み、何を望んでいるのか。 仕事、家族、人間関係、二次障害――。 ・思わず暴言、賭け事や性欲を抑えられない ・雑談の強要が苦手で職場のコミュニケーションが困難 ・小中時代は不登校だったが、得意分野を見つけて自立 ・もっと早く自分の発達障害を知りたかった ・発達障害同士の夫婦の結婚事情 ・勉強はできたが、仕事ができず3度の転職 ・「普通」じゃないからこそ上にいける可能性もある ・自分の意見を言えない特性から性依存に ・後天的に発達障害に似た特性が出るように ・二次障害のうつ病で働けず生活保護を受給 ・当事者会に参加し、脱・引きこもりに成功 ほか
  • 私たちは癒されたい 「女風」に通う女たち
    -
    女性用風俗、略して「女風」。かつては「男娼」と呼ばれ、ひっそりと存在してきたサービスだが、近年は「レズ風俗」の進出など業態が多様化し、注目を集めている。 女性たちは何を求めて女風を利用し、そこから何を得たのか――。 『ルポ 女性用風俗』の著書もあるノンフィクション作家の菅野久美子さんが、現代社会をサバイブする10人の女性たちの心と体の本音に迫ったルポルタージュ。 巻末に、女性用風俗店「greed」代表・槙島蒼司氏との対談を収録。 【著者プロフィール】 菅野久美子 かんの・くみこ ノンフィクション作家。1982年生まれ。 著書に『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(角川新書)、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)、『ルポ 女性用風俗』(ちくま新書)などがある。また社会問題や女性の性、生きづらさに関する記事を各種web媒体で多数執筆している。
  • 私たちは売りたくない! “危ないワクチン”販売を命じられた製薬会社現役社員の慟哭
    4.5
    日本で最もたくさんのワクチンを商品として販売してきた製薬会社。その会社で若手のホープとして期待を集めていた影山晃大氏が、26歳で突然の死を遂げた。 原因は、2回目のコロナワクチン接種。国は後に彼の死と接種との因果関係を認めた。 被害者認定は受けたが、彼の死亡に衝撃を受けた同僚社員たちは、mRNAワクチンの危険性について広くリサーチを始める。調べるほどにわかったことは、コロナワクチンをめぐる厚労省の施策が、それまでの医薬業界の倫理や常識をズタズタにする異常性に満ちていた事実だった。 この「常識外れ」の原因は、いったいどこにあるのか? 亡くなった彼や遺族の無念に思いをいたし、有志数名のチームで、今後新たなワクチン薬害を広めないようにと本書の執筆を開始を決意した。著者名は「チームK」。 亡くなった影山晃大氏の無念を無駄にすまいとの思いによる命名であった。 本書では、あくまでも、厚労省を始めとする公的機関や、会社のプレスリリースなどで発表されているオープンソースのデータをもとに、さまざまな検証が進められている。 次に来る危機の中心として、世界に先駆けて日本だけが承認した「新mRNAワクチン=レプリコンワクチン」の本質的危険性を訴え、この新ワクチン販売に経営資源を集中投下する自社に対し、本書を通して再考を促す。 仕事としては、安全性が全く担保されていないレプリコンワクチンを病院や医院に売らなければいけない立場だが、自分たちの良心との葛藤は強まるばかり。 「この商品だけは売りたくない!」「家族や子ども、友人・知人にも打たせたくない!」「誇りを持って働いてきた我が社のためにも、なんとか止めてもらいたい!」 若くしてコロナワクチンのためにこの世を去った同僚の死を無駄にしないためにも、一人でも多くの読者に真実の情報を知らせたい。そして自らの意思で正しい未来を掴んでほしい。 狂気の政策の同伴者であることを拒否しようと叫ぶ、医療業界内部からの熱き良心が形となった1冊。
  • 私たち、まだ人生を1回も生き切っていないのに
    3.6
    はるな檸檬氏、感涙! 最初の自殺未遂から30年。誰よりも人付き合いが苦手だったあの頃。 「大丈夫?」「大丈夫だよ」 湿った暖かい手を握り、私たちはそっと歩き出す。 「孤独だったんですね」 その言葉を耳にして、私は喉の奥に何かが詰まり、次の言葉をつなげなくなった。自分が孤独だということは薄々感じていたけれど、それを認めたくなかったのだ―― いじめに遭っていた子供の頃、ペットのインコが友達だった。初めてできた恋人には、酷い扱いを受けた。たくさんの傷を負い、何度も死のうとしたけれど、死ねなかった。そんな私をここまで生かし続けたものは何だったのか。この世界には、まだ光り輝く何かが眠っているのかもしれない。そう思えた時、一歩ずつ歩き出すことができたのだ。 どん底を味わった著者が、人生で出会った人たちとの交流を見つめなおし、再生していく過程を描いた渾身のエッセイ。 「人生はクソだ。それでも生きてさえいれば、いつか必ず美しいものに巡り合う。そういうふうに、できている」――はるな檸檬氏
  • 私たちも不登校だった
    4.0
    「学校に行かないなんてとんでもない」。不登校の子どもやその親に、こうした言葉がどれほど浴びせられただろうか。しかし、「普通でないこと」を罪悪視する学校という場所になじめなくても、人生を自分の力で切り開いていった少年少女はたくさんいる。彼らは学校に行かなかったことのマイナスも冷静に見つめ、ゆっくりと自分の「夢」を実現するために歩いていった。「私は学校が好きだった」という女性ジャーナリストが、驚きをこめて描いた、素敵な若者たちの記録。
  • 私という病
    4.2
    「どうして私は、女であることを、おおらかに正々堂々と楽しめないのか」――男に負けないよう必死で手に入れた「勝ち組」の称号が、恋愛マーケットでは惨めな「負け組」と見なされる。愛されたい、だけど見返してやりたい……相反した女の欲情を抱いた作家が叩いた扉は、新宿歌舞伎町・熟女ヘルス。過激な〈実体験主義〉に潜む、普遍的な「女」の苦しみに肉体ごと挑んだ、戦いと絶望の全記録!
  • わたしと日産 巨大自動車産業の光と影
    3.4
    ■衝撃の回顧録、ついに刊行! 高度成長、バブル、経営危機、V字回復、そしてゴーン逮捕──ゴーン会長のもと、日産社長を務めた男はそのとき何を考えていたのか? 赤裸々に明かされる白熱の手記。グローバル化の渦中にいる全ビジネスマン必携の書。 ■歴史学者・磯田道史氏推薦 「日産の歴史的経験を未来の道しるべに。本書の姿勢に心打たれた」 ■国際化に翻弄される巨大企業に何が起こっていたのか? ──面接兼挨拶の日、私は日産本社(当時は東銀座)の十五階にあるゴーンCEOの執務室に呼ばれた。  会議机をはさんで、私の前に腰を下ろしたゴーンは世間話や抽象的な話などは全部すっ飛ばし、いきなりこう切り出した。 「オーケー、サイカワサン。購買部にとって重要なのはコストダウンの目標を達成することだ。進み具合はどうなっている?」(本文より) 【本書の内容】 ゴーンとやりあい、マクロンに歯向かった日本人サラリーマン。彼が目撃した巨大産業「もうひとつの戦後史」 ▼第一章 不正発覚 ゴーンと私は「対立関係」にあったのか/不正を知ったあの日のこと/検察からの口止め/ゴーンと交わした会話/逮捕までのメール/夜の記者会見 ▼第二章 ゴーン事件とは何だったか 不正行為の実態/水面下で行われた工作/私に向けられた批判 ▼第三章 「非主流」のサラリーマン 祖父との因縁/入社した一九七七年という年/入社式に「塩路会長が来られる」/購買部門に配属されて/「ケイレツ」の重さ ▼第四章 海外へ 英語で仕事をするということ/「ジャップ、ゴー・ホーム」/バブル景気に浮かれる日本に戻って/秘書課に勤務 ▼第五章 ルノーの救済 ゴーンとの出会い/辻さんに言われたこと/ルノー幹部の雰囲気/日産リバイバルプラン/単身赴任をとりやめて/ルノーとの共同購買/内なる国際化へのハードル/日本人社員とは飲まない!/聞き上手の上司・ゴーン ▼第六章 ゴーンの変質 ゴーン、ルノーCEOに/ケリーの人事/ペラタ氏のリーダーシップ/ルノーにおけるゴーン/スパイスキャンダルの痛手/ゴーン政権を延命させた危機/行き詰まり ▼第七章 圧力 逮捕当日、午前のできごと/「悪者はサイカワ」の悪評/スナール新会長との出会い/残された禍根 ▼第八章 退社まで 塙義一元社長から学んだこと/マクロンチームとの交渉/監視役としてのケリー/相談できる先輩はいなくなった/三菱自工・益子修さんとの共同事業/関潤、グプタという二人の後輩/日産勤めが終わった日 ▼第九章 次世代のビジネスパーソンへ 日産の蹉跌とは何だったか/ゴーン改革の意義/求められるリーダーシップ/日本発ベンチャーはどこまで可能か
  • 私には山がある 大きな愛に包まれて
    3.6
    2015年4月25日、ネパールの首都カトマンズ周辺を襲った大地震の影響で、エベレストでも大きな雪崩が起きました。本書は、40年前世界ではじめて女性としてエベレストに登頂し、ネパールを第二の故郷とし、この震災でシェルパたちの村を案じている、日本を代表する登山家の田部井淳子さんが半生を語ったものです。世界7大陸最高峰登頂者である田部井さんの初登山は、小学4年の那須岳。体育が苦手な自分でも一歩一歩登れば頂上に辿りつけると気づき山好きに。青春の挫折を山に救われたこと、親友の遭難、雪崩で死にかけたエベレスト登頂裏話から、子育てと登山の両立の苦労、末期ガンを山に登りつつ克服したことなど、山と歩いて得た感動秘話を語ります。田部井さんは福島県出身のため、2012年から毎夏、東日本大震災の被災地福島の高校生を富士山の山頂に連れて行くという活動を展開しており、本書の印税の一部もそのプロジェクトに寄付します。

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  • 私、乳がん。夫、肺がん。39歳、夫婦で余命宣告。(大和出版) 私は、“私の命”をあきらめない
    4.3
    「私には夢があります」――余命宣告を受けて今の私の夢は、夫婦2人でがんを克服して、その物語をたくさんのがん闘病中の人たちに知ってもらうことです。まだ自分の命も危ぶまれているというのに、いささか気が早い夢ではありますが、私はこの夢を絶対に叶えたいのです。まずは、愛する家族のため、自分のために。そして、元気になれたら同病で苦しんでいる人のために、何かできる人になりたいのです(本文より)「同じ子を持つ母親として、彼女の強さに勇気づけられた」「家族愛に涙が止まらなかった」「この一瞬を大切に生きることは、本当に尊いことなんだ、と40歳を過ぎて初めて知った」等、共感の声、続々。次女出産後に判明した乳がんに続き夫の肺がん告知、そして余命宣告……。それでも支えあいながら病と立ち向かう夫婦の姿を描いた感涙作。『ママとパパが生きる理由。』(2014年11月放送 TBS系列連続ドラマ)原案。

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  • 私の青空  日本女子野球伝
    -
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 戦後の一時期に花開いた女子プロ野球。野球に打ち込む彼女たちの姿を描いたスポーツ・ノンフィクション。

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  • 私のいじめられ日記 先生、いいかげんにして!
    -
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 今、学校で何が起こっているのか?親友と思っていた友人たちに執拗ないじめを受け、さらに信頼していた担任にも裏切られた一中学生が、精神の限界状況の中で綴った魂の日記。私は許さない。全国の同じ苦しみの中にいる人々に捧げる。

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  • 私の顔はどうしてこうなのか 骨から読み解く日本人のルーツ
    値引きあり
    3.3
    人類の顔の多様性の謎を解く。 親や兄弟と、あなたの顔はなぜ違うのか。 あなたの顔がそういう顔になっているのは偶然ではなく、ある理由があってそうなっている。 私たちホモ・サピエンスの顔かたちがいかに環境によって左右されながら形成されてきたのか、その形成の歴史をたどるサイエンスノンフィクション。 【本書の内容】 1章 こうして私たちは「顔」をもった なぜ私たちの顔や体は左右対称なのか 外見は左右対称なのに中身は非対称の理由 口、目・鼻、そして耳の出現 サルが「サルの顔」になったのは 2章 アジア人はなぜベビーフェイスなのか サルからヒトへ、進化の旅 猿人、原人、新人と顔はどう変わったのか 極寒の北アジアに住む人々の平坦な顔 北欧人はなぜ鼻が高いのか 寒冷地適応の方法としての「幼形成熟」 3章 赤ちゃんをかわいいと思うわけ 子どもから大人へ、顔かたちはどう変わる? 赤ちゃんの顔かたちと「育児をしたい」遺伝子 生後数日で母親の顔が好きになる 4章 ホモ・サピエンスの顔かたちの多様性 人類は皆「サル目・ヒト科・ヒト属・ヒト種」 男女の顔かたちの違い 顔かたちの地域間の違い 長い頭から丸い頭へ 頭の形を決めるのは何か 頭の形は生まれ持って決まっているのか 頭の骨と体の骨の関係 噛む力と頭の形 顔かたちを支配する遺伝子 5章 顔かたちの違いは偶然にできたのか 環境が顔かたちをつくる 環境が歯の形もつくる 顔かたちの違いには必然的な理由があるのか やはり顔かたちの違いは偶然ではない 6章 日本人の顔かたちの特徴 北アジア人と東南アジア人の顔かたち 北中国人と南中国人の顔かたち 朝鮮人と日本人の顔かたち 日本人の中での顔かたちの違い 7章 日本人のルーツ 180年以上も論じ続けられている「日本人の起源」 日本人はどうやって日本列島にたどり着いたのか ホモ・サピエンス全体の中での縄文人と弥生人 縄文人の祖先を探る旅 8章 違っていることの重要性 「違い」に善悪も美醜もない 生物が生物たる、最も重要な特徴とは 生物にはさまざまなレベルがある 自己保存にこだわる遺伝子 愛も差別も「遺伝子の自己保存」の延長線上にある 差別なき世界が訪れるのは、人類共通の敵が現れたときしかないのか......
  • わたしの家族の明治日本
    4.0
    いまから140年前、ひとりのアメリカ人宣教師が海を渡って日本にやってきた。 トーマス・セロン・アレクサンダー、27歳。通称トム。 西南戦争が終わった年の秋、トムは横浜港に降り立った。傍らには、半年前に結婚した妻・エマがいた。 トムは毎朝日本語の勉強を日課とし、東京、大阪など大都市から九州の各地に赴任。多くの独立自給教会設立に尽くす。 西南戦争で負傷した兵士や、板垣退助の要請で自由民権運動の志士たちにキリスト教の教えを説き、明治学院大学、東京女子大学、同志社大学、女子学院など、今日まで続く日本の高等教育を支えた学校の設立に携った。迫害、病気、貧困に直面しながらも、多くの人びとの命にふれ影響を与え、療養先のハワイで52歳で亡くなった。 そのころの日本はイギリスと同盟を結び、世界の列強と肩を並べるほどのアジアの強国となっていた。 トムの生きた“明治という時代”とはどんな世界だったのだろうか――。 最年少、女性で初めてOECDのナンバーツーである事務次長を務めた著者の曽祖父の一代記。誰よりも日本を愛したアメリカ人の物語。
  • 私の考え(新潮新書)
    3.8
    「人生は一回限り。人間、迷ったら本音を言うしかない」――常に冷静に、建設的な議論を求めるスタンスで言論活動を続けてきた著者が、思うままに本音を語る。「“リベラル”にも女性憎悪は潜んでいる」「『性暴力疑惑』を報じる価値」「政治家が浮気してもいい」「怖がっているだけでは戦争はわからない」「恋は本当に美しいものだから」etc. 政治について、孤独について、人生について、誠実に書きとめた思索の軌跡。
  • わたしの木下杢太郎
    -
    近代を代表する耽美派の詩人でありながら、同時代の白秋・茂吉・啄木らに比べ、今日ほとんど顧みられることのない木下杢太郎。中野重治の言葉に導かれ、著者はこの不遇の詩人の作品と生涯を追い始めます。詩人としてだけではなく、皮膚病の医学者、膨大な植物画を遺した画家としても活躍した「もう一人の巨人」の全貌に、評伝の名手が迫った、極私的詩人論。
  • わたしの心のレンズ 現場の記憶を紡ぐ(インターナショナル新書)
    -
    写真家の著者は約半世紀にわたり、ベトナム、カンボジア、アウシュヴィッツ、広島、長崎、沖縄…など、戦争の悲劇に襲われた地の撮影、取材を続けてきた。現在、コロナ禍において取材がままならない中、一旦立ち止まり、これまでに訪れてきたそれらの場所に思いを馳せてみる。すると、世界は今も戦争の影響の下にあることを強く感じる。戦争は必ずしも戦闘の顔をしていない。砲火、蹂躙の後に何年、何十年と続く物心両面に残る後遺症もまた戦争の顔である。ベトナム戦争時に子ども時代を送った人、治療を続ける広島、長崎の被爆者…。著者はその表情に眼差しとレンズを向け、いつも寄り添う。ウクライナへのロシア軍の侵攻が起こってしまう現状に警鐘を鳴らすとともに、戦争をもたらす差別や狂気、それらを生き延びる道を考える。著者撮影の写真も約40点掲載!
  • 私の幸せな時間が長い理由
    5.0
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 時間には限りがあって、毎日その中で精一杯生きていて。それなら後で振り返ったときに「ああ、幸せな時間のほうが長かったな~」って思えた方が嬉しいですよね。そんな私の幸せな時間を、皆さんにおすそわけです。
  • 私の少女マンガ講義(新潮文庫)
    4.2
    日本の漫画は世界でも希有な文化である。中でも少女マンガは男性とは異なる視点で新たな物語を生み出してきた。その第一人者である萩尾望都が2009年、イタリアで行った講演で繙いた、『リボンの騎士』から『大奥』へ至る少女マンガ史、そして、自作の解説と創作作法を収録。'19年にデビュー50周年を迎えてなお現役であり続ける著者が、日本独自の文化である少女マンガの「原点」と「未来」を語る一冊。(解説・中条省平)
  • 「わたしの死を泣かないでください」 サッコ・ヴァンゼッティ冤罪事件
    -
    1920年代前半のアメリカ社会には、ロシア革命で高まった「赤への恐怖」による思想的偏見と、マーノ・ネーラ(マフィア)の犯罪と低賃金で働くイタリア人移民にたいする民族差別が交錯する社会的ヒステリー現象が覆っていた。  そのアメリカ社会の濁流にサッコとヴァンゼッティは巻き込まれ、木の葉のように翻弄され、電気椅子で死刑となった。二人の、無辜のイタリア人が死刑となった、いわゆるサッコ・ヴァンゼッティ事件は、「アメリカのドレフュス事件」と呼ばれ、世紀のフレームアップとして、世界中で、もちろん日本でも大きな抗議運動を惹起した。  本書は、サッコとヴァンゼッティの命が権力によって絶たれた経緯を、裁判記録と残された書簡で明らかにし、その根源的な意味を問う。
  • わたしの神聖なる女友だち
    -
    「男は女のどこに学び、どこに敬意を抱きつつ、自分を造り上げていくのだろうか。花火のような恋愛とはまったく違った形で、両者は純粋な信頼関係を生きることができるだろうか。わたしはこうした問いを前に、自分がこれまでに出逢った女性の友人たちのことを考えている」(本文より)――昭和の大女優、世界的な革命家、学者、作家、画家、漫画家、陶芸家、ミュージシャン、革命家、女優、『痴人の愛』のナオミのモデル・・・・・・。著者の記憶を綴る本書は、各領域で先駆者として生きた女性たちの貴重な記録でもある。
  • 私の親鸞―孤独に寄りそうひと―(新潮選書)
    3.0
    「自分は人間として許されざる者である」――心の中に孤独を抱きながら、二十代を過ごし、やがて三十歳を過ぎた頃、偶然に出会った親鸞の言葉。その時、なぜ私は「ああ、この人は自分のことを分かってくれる」「とりあえず、自分も生きていくことが許される」と思えたのか。その思想を追い続けて半世紀、わが心の内の親鸞を語る。
  • わたしのスカート
    5.0
    ラオスの山に暮らすモン族の女の子・マイは、おかあさんから教わり、初めて民族衣装のスカートを作りました。材料は、すべてがまわりの山や畑でとれたもの。麻の布は、種をまくところから始め、糸を織り、布を染め、そして最後に美しい刺しゅうを縫いつけていきます。おかあさんやおとうさん、おばあちゃんたちの手を借りて、とても長い時間をかけて作り上げた、美しい刺しゅうのスカートをご覧ください。

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  • 私の好きな日本人
    3.9
    「『歴史』の原理を踏まえ、それぞれの感性に応じて眺めれば、過去の歴史を形作ってきた先人たちの中に数多くの自分自身の分身を 見つけることが出来る」(「人生の原典」より)。混迷の時代を生き抜く知恵は、わが民族の歴史や日本人らしさを再認識することにこそ隠されている。初めて明かされるエピソード、心沸き立つストーリー展開、独創的な歴史解釈を駆使して自身が影響を受けた人物を大胆に説き明かす全10章。画期的人物論。
  • 私の『曽我物語』
    値引きあり
    -
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 日本三大仇討ちのひとつ曽我兄弟の仇討!母満江御前の眼からみた美しくも哀しい物語。(「BOOK」データベースより) 目次 あの日のこと 曽我の庄 兄弟の元服 十郎の恋 頼朝の時代 仇討前夜 富士の巻狩 母の涙 曽我物語遺文 消えた大日如来像 あとがき 年表 参考文献 (※本書は2019/4/1に発売し、2021/12/30に電子化をいたしました)
  • わたしの台湾・東海岸―「もう一つの台湾」をめぐる旅―
    3.0
    先住民が多く台湾人に心の原点と愛され、アウトドア・レジャーも盛んな台東、名所・太魯閣渓谷や日本統治時代の建物を活かした街が人気の花蓮、テレビドラマ「孤独のグルメ」でも紹介され台北から近い宜蘭など。都市が集まる西側、古都として人気の台南ともまるで違う独特の魅力を日台ハーフの著者が綴るガイド&エッセイ。
  • 私の鉄道人生“半世紀”
    5.0
    国鉄からJRへ……波瀾の人生 駅員、車掌、国鉄旅客局課長などを歴任したリーダーが見てきたものとは。 鉄道ファンだったことから、国鉄に入社し、静岡駅の駅員や、御殿場線の本務車掌も経験。その後は本社の旅客局長や地方の鉄道管理局長として、特急車両の回送を活用した「ホームライナー」や、列車(汽車)が1時間に1本だった地方都市で電車を15~20分おきに運行するなど、現在も続く様々なアイデアを実現したことで知られる須田寛氏。国鉄の分割民営化後はJR東海のトップとして鉄道の発展に努めてきた著者が語る、国鉄・JRの65年。
  • 私のなかの朝鮮人 本田靖春全作品集
    -
    著者はプロフィールに必ず「1933年、旧朝鮮京城に生まれる」と書いてきた。そしてその事実は、父親が朝鮮総督府の役人から現地の軍需会社に転職したことと合わせて、体に刻まれ、朝鮮人差別を著作のテーマに据え続けてきた。少年時代の半島での記憶や、韓国への旅、在日朝鮮人たちの物語などを描きながら、「在日朝鮮人に、戦前も、戦後もかわることなく加えられ続けている差別は、われわれの社会の問題である」と指摘する 【解説:後藤正治】
  • 私の名はナルヴァルック
    4.4
    【写真多数収録の電子特別版】『ウーマン アローン』の熱き旅行作家の第2作! エスキモーの名をもらった日本人女性のエコロジカルでみずみずしい鯨の村滞在記。鯨捕りの頭領一家に住まわせてもらい、極地の民とともに過ごした漁の季節。村を支える女たちに料理のしかた、服のぬい方、カヤックの作り方、鯨の解体まで習い、人々の優しさと力強さにふれた旅。
  • 私の名前は高城 剛。住所不定、職業不明。
    4.0
    公私ともにいま最注目のキーパースン・高城剛は今何を考え、どこに向かおうとしているのか? Q、発想法は?Q、好きな店は?Q、収入は?Q、良いアイデア とは?Q、リラックス法は?Q、未来はどうなる?Q、日本の問題点は?Q、愛とは?Q、離婚騒動は? 彼のすべてがわかる144のQ&A

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  • 私の名前を知って
    4.7
    米スタンフォード大で白人水泳選手が起こした性暴力事件。被害者は何と闘い、何に怯え、何に勇気づけられたのか? 全世界に性暴力の真実を教え、その考え方を決定的に変えた衝撃の回顧録。
  • 私の脳で起こったこと ――「レビー小体型認知症」の記録
    4.3
    「若年性レビー小体型認知症」本人による、世界初となる自己観察と思索の記録。認知症、脳の病気とは一体何なのかを根本から問い、人間とは何か、生きるとはどういうことかを考えさせる。周りに理解されないための孤独と絶望の中にありながら、幻覚(幻視、幻聴など)、嗅覚障害、自律神経症状など自分に起きたことを日記形式で淡々と観察し、卓越した文章力で表現した希望の書。
  • 「私のはなし 部落のはなし」の話
    3.0
    日本にいまだ残る「部落差別」を丸ごと見つめ、かつてないドキュメンタリー映画として多くの観客を集めた『私のはなし 部落のはなし』監督による初エッセイ。大阪芸術大学での原一男監督の講義から学んだこと、若松孝二監督の撮影現場での体験、屠場(とじょう)とそこで働く人々を写した初監督作品『にくのひと』(2007年)が各地で上映され好評を博すも、劇場公開を断念し作品を封印せざるをえなかった経験、そこから12年を経て、今作公開に至るまでの歩みを綴る。プロデューサーの大島新氏、配給会社「東風」の木下繁貴氏との鼎談、角岡伸彦氏の解説を付す。
  • 私の半分はどこから来たのか AID[非配偶者間人工授精]で生まれた子の苦悩
    4.2
    「あなたは提供精子で生まれたのよ」。20代後半に偶然知ってしまった日本人男性医師。16歳の時、母との口ゲンカの最中に告知された豪州女性。AIDで生まれた人の多くがアイデンティティーの確立に苦しむ。「出自を知る権利」をめぐる取り組みや法制度、世界最大の「精子バンクの最新動向などをルポ。日本、オーストラリア、イギリス、アメリカ、デンマーク、スイスでの現地取材を通し、AIDで生まれてきた子ども、ドナー、医療関係者の切実な声でせまるノンフィクション。
  • わたしの樋口一葉
    -
    【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 近代女性の評伝を手がけて数々の名作をものした著者が、近代女流作家第1号ともいうべき樋口一葉の実像に迫る。日記の真実、非処女説、名作誕生の背景など、説得力ある筆致で綴る。『裏紫』書きつぎ、随筆、対談など。 ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字サイズだけを拡大・縮小することはできませんので、予めご了承ください。 試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。
  • 私の文学放浪
    4.0
    旧制高校に入学した頃の文学との出逢い、詩作、敗戦後の同人雑誌参加、大学中退、大衆雑誌記者時代、肺結核。芥川賞受賞までのエピソードや、父吉行エイスケのこと等著者の交友・文学の“核”を明晰な文体で瑞々しく回想。ほかに「拾遺・文学放浪」「註解および詩十二篇」を収める。
  • わたしの香港 消滅の瀬戸際で
    4.0
    〈デモでたたかう若者は何を守りたかったのか〉 絶望的な状況にあっても人々は、文学を読み、音楽を聴き、未来を思い描く。 迷いや葛藤を抱えて生きる人々、そして失われゆく都市の姿を内側から綴ったノンフィクション。 --------- それでも香港はそこに生きる人が愛さずにはいられない文化が息づく街である。 本土に吞まれていく旧植民地の矛盾や葛藤、そして魅力を柔らかく繊細な感性で描く。 --------- 都市から自由が消えていく様に、ともに迷い、引き裂かれつつも、 そこで生きようとする人々の姿に迫っていく。 ミレニアル世代の著者が記録する激動の一九九七年から二〇二〇年。 --------- 【目次】 ■はじめに ■断り書き ■二〇二一年、香港の地図 第一部  ■一九九七年  ■祭りとしきたり  ■パラレル・ワールド 第二部  ■二〇〇三年  ■二十二人のルームメート  ■二〇一四年  ■五里霧中 第三部  ■インターナショナル・スクール出身者  ■言語を裏切る者  ■工場へようこそ  ■煉獄の都市 ■謝辞 ■訳者あとがき ■原註
  • 私の夢まで、会いに来てくれた 3・11 亡き人とのそれから
    5.0
    2016年から1年をかけて、東北学院大学の金菱清教授のゼミ生たちが被災地で集めた「夢」の証言集。母の遺体を抱きしめられなかったと悲しむ女性の夢、「行くなー」と叫んでも声が出ない夢を100回以上も見るという高校生の話など。
  • 「私の履歴書」──昭和の先達に学ぶ生き方
    3.7
    日経新聞の名物連載「私の履歴書」。誕生から学校、就職、結婚、成功・失敗、病気、老後まで、「履歴書」登場人物は人生をどう生きたか。田中角栄、五島慶太、田中絹代など、元・担当記者が数々のエピソードを紹介、生き方の指針を示す。
  • 私はいつまで生きればいいのかな
    -
    最初に下った診断は逆流性食道炎。40代半ばから予兆は表れていたのだが、「お酒を飲み過ぎた」と自戒するくらいだった。ところがその後、急激に食欲が落ち、皮膚がまだら状に変色。膠原病のひとつ、「全身性強皮症」だと分かったのは昨年の秋だった……。『十年不倫』『セックスレスな女たち』などで知られる女性ノンフィクション作家が、病床でスマートフォンに綴った壮絶な闘病記。
  • 私は親に殺された!東大卒女性医師の告白
    3.7
    「お前は人間のクズだ」「切っても赤い血など出やしない」──幼いころから両親に罵倒され続けた結果、17歳から「うつ」に。以来約20年、入退院、自殺未遂を繰り返しながら、両親による心の支配と闘い続けた、エリート女医の驚愕の闘病記。
  • 私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群
    5.0
    この本で紹介するケースは、けっして他人事ではありません。「赤ちゃんを強く揺さぶって傷害を負わせた」として逮捕された親たち。しかし、つかまり立ちからの転倒などが原因であっても「虐待」だとして断罪されていたのです。最愛の我が子が脳に障害を負うという苦しみのなか、虐待を疑われた親たちの過酷な体験を描きつつ、欧米では虐待の根拠にはなっていない「揺さぶられっ子症候群」について専門家の視点を交えて究明します。
  • 私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ
    3.7
    ストーカー殺人事件が後を絶たない。法律ができたのに、なぜ助けられなかったのか? 自身の赤裸々な体験をもとに、どうすれば殺されずにすむかを徹底的に伝授する。大事なのは、殺されないこと! なぜ私は生きられたのか? 実体験にもとづく鮮烈なメッセージ。
  • 私は障害者向けのデリヘル嬢
    3.4
    風俗の経験6ヵ月、介護の経験ゼロの女の子が出会った障害者の性の現実を、彼女自身がリアルな言葉ですべてを綴ったノンフィクション。車椅子のお客様、寝たきりのお客様、意思疎通のできないお客様、目の不自由なお客様……。障害は人によって違う。悩みも人によって違う。私はそれぞれに見合った性的サービスができているだろうか?少しでも役に立ちたい、もう知らないふりはできないから…これを読めば、世の中が違って見えてくる。

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  • 私は自衛官 九つの彼女たちの物語
    4.0
    防衛省のオフィシャル雑誌『月刊MAMOR』(扶桑社・刊、毎月21日全国発売) で連載中の「女性自衛官たち」(6月号までの回)の書籍化。 『兵士に聞け』(小学館文庫)からスタートした杉山隆男による自衛隊ルポ、 「兵士シリーズ」の最新刊となる1冊。 全自衛官のうち、約8%しかいない女性自衛官(2021年) 。 “なぜ男社会の象徴のようにいわれてきた自衛隊に入ったのか" “そこで何を目指しているのか"“任務を果たす中で、どんな家庭を作り、 どう子育てをしているのか"。 9人の幹部女性自衛官に取材を重ねたルポルタージュ。
  • わたしは「セロ弾きのゴーシュ」 中村哲が本当に伝えたかったこと
    4.6
    25キロの用水路を拓き、65万人の命をつないだ医師は、何を語ったのか 2019年12月4日、アフガニスタンで銃撃され亡くなられた医師・中村哲さん。本書は、中村さんが出演したNHK「ラジオ深夜便」の6番組より、インタビューに答えるその肉声を忠実に再現するものです。ハンセン病根絶計画から、空爆下の診療所開設と水源確保事業、そして用水路開通まで。「長年の活動の原動力は何でしょうか?」という問いに対して、中村さんは自らを、宮沢賢治の童話の主人公「セロ弾きのゴーシュ」にたとえました。本書には、本人が執筆したらおそらく触れなかったと思われる感慨や本音が随所に表れています。自身について多くを語らなかった医師・中村哲の心の内を知ることのできる貴重な証言の記録です。 【目次】第一章 ハンセン病根絶を目指して (1996年2月22日 中村哲49歳)/第二章 もの言わぬ民の命を (2002年2月16日 中村哲55歳)/第三章 アリの這う如く (2004年6月5日 中村哲57歳)/第四章 命の水 (2005年8月20日 中村哲58歳)/第五章 難民と真珠の水 (2006年9月16日 中村哲60歳)/第六章 開通した命の用水路 (2009年12月5日 中村哲63歳)
  • わたしは黙らない 性暴力をなくす30の視点
    5.0
    「性暴力」について語ろうとする人の口を、ふさぎ続けてきた私たちの社会。それでも声を上げ続け、問題を明らかにしてきた人たちが、今伝えたいこととは。
  • わたしは誰の子? : 父を捜し求める日系二世オランダ人たち
    5.0
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 クラウディーネとナニー、そしてモリーは、第二次大戦中日本軍の占領下にあった「蘭印」(現インドネシア)で、日本人の父と蘭印系オランダ人(インドネシア人とオランダ人の混血)の母から生まれた。父とは戦後すぐ生き別れとなり、そののち母に連れられて見知らぬ祖国・オランダに渡る。彼女たちは、本当の父の愛情はおろか存在すらも知らないまま育った。 本書は、人間としての存在価値を求めて苦悩する彼女たちの、心の旅の記録である。
  • わたしは中国人に拉致された!? 両腕をつかまれて大陸縦断560キロ
    -
    言い渡された身代金は700万円。俺の命って700万円なの?  中国、韓国の工場で衣料をつくり、日本で販売する会社を営む社長。 2012年8月にその事件は起きた。 中国のある街を歩いていると屈強な男たちに両腕をつかまれ、車に押し込まれる。男たちの一人は見知った顔だ。取引先の会社の中国人社長である。「未払い分の金を用意しろ」と脅してくる。間に入った中国の会社が逃げてしまい支払が滞っている。だから親会社の社長であるお前が立て替えろというのだ。こっちだっていい迷惑だというのに。なんとか半分くらいの金額で許してもらおうとするがそうもいかず、広州から江西省までの560キロにも及ぶドライブがはじまった。 拉致のあいだ戦々恐々としながらも、犯人の男たちの赤パンツに思わず吹き出してしまったり、ホテルで出された冷たい食事にムッとしてみたり、犯人から「胃が痛いだろう、こういうときは熱いお茶がいい」と勧められたり(お前らのせいだろが!)、コミカルな命がけ珍道中を描く。 中国人、韓国人との付き合いにおいて注意しなくてはならないことや、心構えなどの実践的なアドバイスも紹介。彼らとの関係は楽しいことばかりじゃない、でも人間同士だもの、おもしろいことだってホロッとすることだってもちろんある。

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  • わたしは、とても美しい場所に住んでいます
    -
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 戦争のための基地ではなく、静かな朝、鳥の声、夜には満天の星を、子どもたちに、残したいのです。
  • 私はドミニク 「国境なき医師団」そして「国境なき子どもたち」とともに人道援助の現場でたどってきた道のり
    -
    彼は14歳だった。ブロークンな英語を話し、ちょっとした詩を書き、私の腕にぶら下がるのが好きな少年だった。彼、リチャードはマニラのストリートチルドレン、つまり路上で生活する子どもだった。 リチャードは、マニラの街角で車に轢かれ14年の生涯を閉じた。事故のときも恐らくシンナーなどで泥酔していたのだろうと思われる。 もっと別の世界で、別の街で、別の人びとに囲まれていたなら。リチャードは生き続けることができるはずだった。誰かが愛情をもって彼に接していたなら。リチャードは死なずに済むはずだった。 彼の命の重みを思いながら、この本を書き進めたい。(本文より)
  • 私はなぜ刑務所を出ないのか
    3.0
    一生、刑務所から出ないことを決意した無期囚は20年の獄中生活で、どんな心境の変化があったのか。そして、これからどう生きるのか。思索を重ねる殺人犯が綴る異色独白記。

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  • 私はなぜ靖国神社で頭を垂れるのか
    5.0
    「私の祖父は、太平洋上の空母の乗組員だった時、実際に日本軍の特攻を受けました。しかし、彼らのことを敵ながらあっぱれと尊敬し、一度も悪く言ったことはありません」「英霊は、戦犯ではなく英雄です!」 YouTube再生回数151万回以上。2019年8月15日に靖国神社で撮影された著者の演説動画は今なお感動を呼び、視聴回数を増やしている。 靖国神社への讒言や誹謗など、今なお続く「反日キャンペーン」を、アメリカ人歴史家である著者が客観的視点から完膚なきまでに批判し、大東亜共栄圏構想の意義を改めて再評価する本書は、“グローバリズム全体主義のもたらす反人間性と疎外の本質について、歴史と西洋近代思想史を俯瞰する知と魂の旅″でもある。 メディアと教育制度の完全支配により、効率よく「反日日本人」を育ててきたアメリカ。 洗脳は、「軍の解体」「検閲」「自衛権すら認めない憲法の強制」「日の丸・君が代反対」「偽の平和教育」「パン食を軸とした学校給食」など、着々と、かつ多面的に進められたが、「靖国神社へのネガティブ・キャンペーン」こそがその根幹にあった。 A級戦犯合祀を強調することにより、全世界で許されている権利であり、義務でもある「国民と国家を守るために戦い、奉仕し、命を捧げた人への感謝や祈り」までが否定され、日本社会における共同体は破壊されようとした。 なぜ、アメリカはかほどに靖国神社の存在を憎み、そして怖れるのか? 著者は、日本に住み、日米をともに愛するアメリカ人歴史学者だが、これまで「南京事件」「慰安婦問題」「徴用工問題」などについての研究により、意図的に真実を歪めて伝えられてきた事実を知り、そうした情報統制・洗脳の根幹が、西洋近代を形成してきた「啓蒙主義思想やピューリタン思想」によるものと見做す。そして、啓蒙主義が決定的に宿す「非人間性」という弱点を最も強烈に攻撃するものこそが、靖国神社が担保してきた魂の永遠性なのだと指摘する。 著者はこう訴える。「英霊たちが戦った争いは終わっていない。地球を覆うグローバリズムというかつてと同じ敵に対して、英霊たちと魂を一つにして戦いたい」と。
  • 私は、走ろうと決めた。 ― 「世界最悪の地」の女性たちとの挑戦
    4.3
    救いたい人たちがいる たとえ世界が目を背けても ルワンダの悪夢 は隣国コンゴで続いていた……。 第二次大戦以降もっとも多い540万人の死者を出し、 今なお暴力の嵐が吹き荒れるアフリカ大陸の奥地 。 そこには虐げられた無数の女性たちがいる。 蔓延する性暴力、偏見と孤立、絶望的な貧困、民兵の脅威……。 繰り返される悲劇を止めるべくたった一人で立ち上がった著者が、紛争地で見た真実とは。 想像を絶する運命に抗い、強く生きようとする女性たちの 哀しくも美しい姿を描いた心ゆさぶるノンフィクション。
  • わたしは人妻風俗嬢
    -
    絶対、秘密にしてくださいね。 若くもない。巧みなテクニックがあるわけでもない…でも成熟した色気とやさしい包容力が彼女たちにはある。――子供がいるので限られた時間でできる仕事が欲しかった。自分本位な夫とのセックスに嫌気がさして。カードローンの返済のため。……きっかけは様々、だけど、みんな本気で濡れてます! 人妻ソープ、熟女デリヘル、回春アロマエステなど…現役人妻風俗嬢20人にディープ取材。その心の内を、エッチな接客の日々を、濃厚に綴った密着ルポ!
  • わたしは「ひとり新聞社」――岩手県大槌町で生き、考え、伝える
    4.7
    《そうだ、大槌だけの新聞をつくろう!》 町民の、町民による、町民のための小さな「大槌新聞」10年の奮闘記 ---------------------- 自分が生まれ育った町に何の関心も持たず、文章もろくに書いたことがない引っ込み思案な「わたし」。 震災を機に踏み出した、町と自身の再生への道のり……。 被災地復興の光と影、真のメディアとジャーナリズムのあり方を忖度なくあぶり出した、自伝的ノンフィクション。 ---------------------- 「町のため」と思って創刊しましたが、結局は「自分のため」でした。 子どもがいない私にとって、大槌新聞の1号1号が子どもです。 好きでやっている。それでいいんだと思いました。(「おわりに」より) ---------------------- 【目次】 ■はじめに 第1章……生きる意義を見失っていた震災前 ■私が生まれ育った町、大槌 ■大病続きの人生 第2章……大槌町の新聞を作りたい ■津波が襲った日 ■素人が「大槌新聞」を創刊  第3章……地域メディアミックスに挑む ■人口1万人の町だからこそ  ■選挙で状況が一変する  第4章……中断された震災検証 ■調査不足だった初回の検証  ■二度目の検証をしたけれど  ■記録誌は「検証」ではない  ■誇れる民間のアーカイブ  第5章……解体された大槌町旧役場庁舎 ■保存から一転、解体へ  ■解体に熟慮を求めた住民  ■訴訟にまで発展した末に  第6章……本当の復興はこれから  ■課題はいろいろ  ・縮むまちづくり  ・官民連携の難しさ  ・地域情報はコミュニティの基礎 ■地方自治の現実と可能性 ・町役場で相次ぐ不祥事  ・議会好きだからこそ言いたい  ■復興とは何なのか   ・税金の無駄にならないために  ・古くて新しい、お祭りの力 第7章……創造的メディアをめざして ■大槌新聞とマスコミとの違い  ■いつか絶対良くなる  ■おわりに
  • わたしは分断を許さない
    4.0
    「真実を見極めるためには主語を小さくする必要がある」 ファクトなき固定観念が人々を分断する。 香港、朝鮮半島、シリア、パレスチナ、スーダン、福島、沖縄。 いま、分断の現場では、何か起こっているのか? 分断の細部を文字として描いた、ジャーナリスト堀潤の渾身のルポルタージュ。 民主主義を、自由を、考える。 <序章より> そんなに難しいことを言いたいわけではなかった。金よりも大切なものがあるはずだ、ということを伝えたかっただけだ。一度失ってしまったら取り返しがつかない悲しみを背負うことになる人々を、冷笑さえする空気があることが辛かっただけだ。ささやかな幸せを手にするために懸命に生きてきた人々の努力をなかったことのようにして、大義を振りかざし、沈黙を強いる権力者がいることに憤っただけだ。そして、そうした強者に媚びて、忖度し、現実を見るべきだと開き直るメディアで働く人間がいることが虚しかったからだ。マスメディアだからこそ、かき消されそうになる小さな声を伝え続けるべきであるのに。 (中略) この10年でメディア環境も大きく変化し、SNSを中心に誤った情報や一方的な強い表現が跋扈するようにもなっていた。ヘイトスピーチやフェイクニュース現象が国際的な社会問題にもなった。こうあるべきだ、こうに違いないという偏った情報により分断が深まり、分断はやがて排除、排斥を加速させていった。政治はそれを利用し、自らに利する都合の良い情報発信に邁進するようにもなった。暮らしが豊かになるのであれば、誰かの人権が制限を受けても構わないという、誤った認識も広まったように思う。  そうした状況を鑑みると、福島で起きている問題の解は、世界各地で孤立する分断の当事者たちへの処方箋に繋がるかもしれない、そう思うようになった。その逆もある。各現場では分断を手当てするための様々な取り組みが試行錯誤を繰り返しながら続けられている。世界を見ることで、国内の分断を乗り越えるヒントが見つかるのかもしれない。わたしはその答えを知りたくて、世界を旅することにした。今、この原稿もアフリカ、スーダンで書いている。昨年、市民のデモによって30年続いた独裁政権が倒れた現場だ。今、ここでも新たな分断が生まれようとしている。
  • 私は魔境に生きた 終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年
    4.5
    昭和十九年六月孤立無援の東部ニューギニアで味方部隊の再来を信じて籠城した日本軍兵士十七名。熱帯雨林の下、飢餓と悪疫、そして掃討戦を克服して生き残った四人の男たちのサバイバル生活を克明に描いた体験記。敗戦を知らず、十年間の“生存”に挑んだ逞しき日本兵のノンフィクション。
  • 私は、迷わない。
    5.0
    お金も稼ぐ、結婚もする、子どもも育てる……。 多くの女性があこがれるすべてのことをやってのけるスーパーウーマンの半生をつづったものです。 彼女の成功の裏には、過去の苦労がありました。幼少のころに受けた父親からの暴力、両親の離婚、母との別れ、祖父母との貧しい暮らし、中学生時代からの新聞配達、挫折続きだった進路選択。それが「ボートに乗れば、年収1000万円!」というCMにひかれて入った競艇の世界で賞金6億円を稼ぎ出すまでになったのです。そんな彼女の原動力は、専業主夫となり妻を支える邦博さんのやさしさと子供たちへの無償の愛だそう。 彼女の強くかっこいい生き方から、勇気や生きるヒントがもらえる1冊です。
  • わたしはマララ~教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女~
    3.0
    パキスタン北部の美しいスワート渓谷にやってきたイスラム武装組織タリバンは、人々から音楽を奪い、仏像を破壊し、女子が学校に行くのを禁じた。少女マララは、当地の実情を英国BBCのサイトに日記形式で連載、女子が教育を受ける権利を訴えて世界の注目を集める。2012年、15歳になったマララはタリバンに銃撃され重傷を負うが、彼女の歩みは止まることはなかった――。ノーベル平和賞を史上最年少で受賞した著者の手記。
  • 私は無実です 検察と闘った厚労省官僚村木厚子の445日
    4.3
    2009年6月14日、霞ヶ関に衝撃が走った。厚労省の現役女性キャリア官僚が逮捕されたのだ。偽の障害者団体に便宜を図った疑いだという。しかし、それは全くのでっちあげだった。関連した容疑者の裁判で次々と無罪判決が下り、検察の作ったストーリーが否定されていく。なぜ検察はここまで暴走したのか? なぜ関係者は次々と供述を翻したのか? 10年9月10日無罪判決に向けて事件の全貌を丹念に描く。

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  • 私はもう逃げない 自閉症の弟から教えられたこと
    4.2
    困難な障害に向きあったある家族の混沌と光明。目線が合わず、言葉はオウム返し、いきなりパニックを起こす。三つ違いの弟は二歳で自閉症と診断された。自閉症とはどのような障害なのか、その家族にはどんなことが起こるのか。姉の視点から、島田家三十年の混沌と闘いと愛の歴史を鮮やかに再現。文庫化にあたり、書下ろし「島田家のその後」を新たに収録。
  • わたしはレンタルお姉さん。
    3.3
    ラウンジホステスからレンタルお姉さんへの転身、それから3年間にも及ぶニートや引きこもりたちとの熱い交流――最前線の現場で殻に閉じこもったニートの再出発をサポートする女性訪問員の活動記録。「彼らに対して特別なことをしているわけではありません。人が人として向き合う。そこには出会いがあり、喜びや感動があります。それだけで私はこの仕事に巡り会えて幸せだと感じています」

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  • 私、まんが家になっちゃった!? 漫画家・花村えい子の画業50年
    -
    私の描いた絵を見せました。 中原淳一先生のような少女のペン画です。そうしたら、 「描きなはれ!」いきなり藤原さんが言いました。漫画を描きなさいと言っているのです。びっくりです。楽天的な私は「要するに、絵と文章があればいいのだろう」と考え、物語に中原淳一ふうの絵をつけた漫画もどきをこしらえました。『紫の妖精』という、花の妖精のお話です。 ペンの使い方も知らないのに物語に少女の絵をつけ、 漫画ふうなものを描いたわけです。(本文より) 少女漫画、女性漫画家の草分け的存在として現在も活躍中の漫画家・花村えい子さんが、活動歴50周年を迎えるにあたってまとめる初の「自伝エッセイ」。川越の大きな旅館に生まれ、やや複雑な家庭環境の中で成長し、戦争をはさんで、美大に進学→結婚→貸本漫画時代→少女漫画時代→レディースコミック時代→ミステリー・文芸ジャンルへの移行……といった、生い立ちから現在に至るまでの半生を綴る。カラー口絵(4P)も挿入して、おもな作品の原画や完全版「作品リスト」も掲載する。
  • わたしもナグネだから ――韓国と世界のあいだで生きる人びと
    -
    歴史は容赦なく 人の時間には限りがある だけど、自由と平和をあきらめてはいけないよ そう教えてくれる コリアンの旅人たち ――斎藤真理子 北朝鮮出身の元NATO軍軍医、アメリカに渡った韓国人武闘家、中国朝鮮族の映画監督チャン・リュル、日本で出版社「クオン」を始めたキムさん…… 韓国と世界のあいだの人生を聞きとる、他にはないノンフィクション === 「とにかく韓国の外に出たかった。そのほうが故郷に近づけるような気がしたのです」 (北朝鮮出身の元NATO軍軍医ドクター・チェ) 「ニューヨークでもソウルでも、街には孤独な人がとても多いのです」 (韓国で最初のシンガーソングライター ハン・デス) 「韓国もなかなかいい国になったよ」 (仁川で中華料理店を営む華僑の韓さん) 「民主主義の究極はその自由な社会にある」 (書店「チェッコリ」店主&出版社「クオン」社長キム・スンボク) 韓国を拠点に活動する著者が、海を渡ったコリアンや在韓の華僑たちに会い、話を聞き、個人史と韓国史・世界史の交差を描く。 ===
  • わたしもファラデー たのしい科学の発見物語
    5.0
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 科学者・ファラデーはロンドンで鍛冶屋の子として生まれました。小学校しか出ていない彼は,7年の徒弟奉公をへて,一人前の製本職人に。ところが徒弟時代に知った科学の楽しさが忘れられませんでした。ファラデーはどのようにして大好きな科学への道を歩んだのでしょう。世界最初のモーター・電波の存在・半導体……ファラデーは,今日の私たちの生活に欠かせない数々の重要な発見をしています。それは今なら一人でノーベル賞をいくつも受賞するほどのもの。でも,それは彼が天才だったからではありません。数学ができなくても,豊かなイメージを武器に次々と世界的な大発見をなしとげたのです。これまでどの本にも取り上げられていない発見についても紹介。ファラデーの魅力と仕事をもっともよく伝える1冊! また,好きなことを仕事にした人のお話は子どもたちに知らせてあげたくなる魅力でいっぱい。 ★★ もくじ ★★ 第1章 ファラデーの生い立ち 第2章 新元素〈ヨウ素〉の発見に立ち会う 科学者としての第一歩 第3章 安全ランプの発明 第4章 磁力線のすばらしさの発見 世界最初のモーターの発明 第5章 電磁気の感応現象の追求 電磁誘導現象の発見 第6章 半導体物質の発見 白金の不思議な現象のなぞ 第7章 磁石を近づけると逃げる物質の発見 〈光も磁石に影響を受ける〉ことの発見から 〈電波の存在〉の予言まで

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  • 私、わたし――ろう者で性同一性障害 27歳の心の葛藤
    5.0
    私は男? それとも女? たくさんの涙のぶんだけ、今の私がある――家族全員が耳が聞こえないという環境に生まれ、いわれない同情、イジメ、偏見を向けられながらも、持ち前のファイトで乗り切り、さらに、男から女に生まれ変わった一人のろう者が明かす、壮絶だが、思わず笑ってしまう青春模様。 ●この本を書きはじめてみると、自分のプライバシーをさらけ出すことに抵抗が出てきました。耳が聞こえないため、また、体は男であるために差別されたこと、傷つけられたこと、そして、男の人に振られたこと、セックスのこと……。それは、癒えかけていた傷をまた掘り起こすような作業でした。(中略) ところが、何週間かたって、印刷所から校正紙が上がってきました。その校正紙を読んでいたときのことです。 「やっぱり、みんなに謝って、この本を出さないことにしてもらおう……」突然、そんな気持ちになってしまったのです。この本を出すことがきっかけで自分やまわりがどう変わっていくのか、そんな未来に対する不安からでした。 「私、とんでもないことをしているんじゃないだろうか……」――「おわりに」より
  • わたしを宇宙に連れてって―無重力生活への挑戦
    4.0
    宇宙には人間が生きるために必要なものが何もない。「空気、重力、生鮮食品、あったかいシャワー、プライバシー、ビール…」人間は何にどれだけ耐えられるのか? 無重力空間で健康は保てるのか? 一般人が宇宙に行くことは実現可能か? 口の堅い宇宙開発研究ラボの扉をこじ開けた、渾身の体あたりルポルタージュ。

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  • 私をがんから救った8つの知恵 ~子宮体がん、大腸がん、肝門部胆管がん、十二指腸がんを乗り越えて~
    -
    がんに打ち克つ治癒力を身につける。壮絶ながんとの闘いを乗り越えたからこそ語れる、食事、運動、心持ち、生き方。生き延びるための知恵。 【主な内容】 《第1部》 私のがん闘病記 【第1章】 子宮体がん ――――死と向かい合う恐怖を超えて 【第2章】 大腸がん ―――――再検査で命拾いをする 【第3章】 肝門部胆管がん① ――――手術までの長き日々 【第4章】 肝門部胆管がん② ――――難しい手術を乗り越えて 【第5章】 十二指腸がん ――――――最後のがんとその後 《第2部》 がんに打ち克つ治癒力を身につける 【第6章】 命の食べ物 【第7章】 雑穀から生命力をいただく 【第8章】 食は生きるための作法 【第9章】 生きることは動くこと 【第10章】 〝心持ち〟という妙薬
  • 私を助けてくれた 忘れられない犬
    -
    捨てられてつらそうにしていた仔犬、いつも空き地で待っている犬 、ふりむけばいつも犬は尻尾をふって待っていてくれた。だけどいつしか時は過ぎ……。犬と人との心温まるエピソード。思わず読む と泣けてくる
  • 私を抱いてそしてキスして エイズ患者と過ごした一年の壮絶記録
    -
    第22回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品  第22回大宅壮一ノンフィクション賞受賞の名作が、ついに電子化されました。  エイズ患者の実態を知ろうと、周囲の反対を押し切って、アメリカでホーム・ナース・ボランティアの資格を取得した著者は、やがて一人の黒人女性患者と生活を共にすることになります。  自らの内に潜む病への嫌悪感を乗り越え、患者たちと自然に接することができるようになるまでの苦闘と、そこに芽生えた友情を描いた感動のルポ。  また、本作品を原作として、1992年には佐藤純彌監督により、同タイトルで映画化(東映配給)もされています。 ●家田荘子(いえだ・しょうこ) 作家・高野山真言宗僧侶。日本大学芸術学部放送学科卒業。女優、ОL、セールスレディ、取り立て屋、編集アシスタント、ウェイトレス、コンパニオンなど10以上の職歴を経て作家に。小説、エッセイ、コミックの原作などの作品も数多く発表しているが、必ず本人に会って取材をし、真実を伝える「ノンフィクション」作品に定評がある。著作本は、125作品を超える。なお、著作本のうち、『極道の妻たち』など、30作品以上が映像化されている。1999年鹿児島最福寺で得度をし、2007年高野山大学にて伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受け、僧侶になる。
  • 「わたし」を見つけた女たち
    -
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 "なりたい自分に、わたしはなれる 新しい時代がきました。ピラミッド型の社会形態は終わりを告げ、横つながりや「個」を尊重することこそ、新しい時代の生き方であると誰もが感じています。 個を重視し、多様性が尊重される時代だからこそ、誰もが「私らしく生きていい」という言葉に惹かれ、安堵している人も多いことでしょう。 しかし、今まで外に向けていた視点の矢印を自分に向けたとき、そこには何が見えたでしょうか? それこそが「あなたは誰?」という質問になるわけですが、意外にも、その答えが見つからない…それが、実情ではないでしょうか。 なかには、その質問にすぐに答えられる人もいるでしょう。 「私は看護師です」 「私は二人の息子のママです」 「私は女社長です」 そんなふうに答える人も多いと思いますが、肩書きやキャリアや家族構成のなかのポジションがあなたのすべてとは限りません。 なぜなら、それは「相手から見た自分」だからです。 だからこそ、人は「自分が誰なのか」分からないのです。   本書には21人の女性たちが登場しますが「自分が誰だか分からない」「自分の価値なんてあるのか」というゼロ地点からスタートした人たちばかりです。 しかし、彼女たちは今「あなたは誰ですか?」という質問に堂々と答えることができます。 なぜなら、苦労を重ねながら、悩みながら「自分の価値」をつかんだからです。 この本を手にしてくださったあなたも「自分らしさ」という迷宮に迷い込んでいる方なのかもしれません。   見つからないからこそ「私には何の価値もない」と悩んでいるのかもしれません。 しかし、ここに登場する21人も、かつてはあなたと同じように悩んでいました。 だからこそ、今あなたが悩んでしまうのは、当たり前のことだと、まずは理解してほしいと思います。 この本は ◆これから起業をしたいと思っている人 ◆漠然と未来が不安な人 ◆今の仕事を続けていいか分からない人 そんな人たちに向けて作られました。もし、あなたが一つでも思い当たるなら、ぜひこの本を読んでほしいと思います。 【著者紹介】 青木志織/青山茉由/赤星麻里/井土利恵/上武由夏/うめがきゆみこ/小河久美/加藤道子/加藤りえ/講内優紀/小林虹子/坂本規久子/寺井恵衣/中村理恵/二田雪絵/保坂葉子/南久惠/yucca pocca/ユミ/凛/渡辺ゆいか"
  • 渡辺錠太郎伝 ~二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想~
    5.0
    渡辺和子の父はなぜ二・二六で殺されたのか。 昭和11年2月26日未明――。 雪に覆われた東京・荻窪の渡辺邸で何があったのか? 「非戦平和」を訴え続けた「良識派」軍人の思想と生涯が、初めて明かされる。 ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』などの著作で知られるシスター渡辺和子の父・錠太郎は、日本が戦争へと突き進む中で起きた史上最大のクーデター未遂事件「二・二六事件」で、陸軍軍人としてただ一人“襲撃目標”にされた人物だった。 戦争だけはしてはいけない――。第一次大戦後のドイツなどを視察し、戦争の実相を知悉していた錠太郎は帰国後、戦争を避けることがいかに重要かを説いて回った。 「私は戦い破れたドイツ、オーストリーばかりでなく、勝った国のイギリス、フランス、ベルギー、オランダなどもつぶさに見て来たが、どこもかしこもみじめな有様であった。日本も世界の列強にならねばならぬが、しかし、どうでも戦争だけはしない覚悟が必要である。」(評伝『郷土の偉人 渡邉錠太郎』より) 無類の読書家でもあった錠太郎は、俸給の多くを「丸善」での軍事書などの支払いにあてていたという。 「非戦平和」を唱え続け、志半ばで凶弾に斃れた悲劇の軍事エリートは、なぜ同じ陸軍の兵士たちの手で殺されなくてはならなかったのか。残された娘は、父の死に何を学び、どう行動したのか――。 第26回山本七平賞奨励賞を受賞した気鋭の歴史研究者による傑作評伝。
  • 渡邉恒雄回顧録
    3.8
    生い立ち、従軍、共産党東大細胞の思い出、政治記者として立ち会った権力闘争の修羅場、鳩山一郎・大野伴睦・池田勇人・佐藤栄作・田中角栄・中曽根康弘・橋本龍太郎・村山富市・小沢一郎・小渕恵三ら為政者たちの横顔――。読売新聞主筆による生々しい証言。
  • 渡辺芳則組長が語った「山口組経営学」
    3.0
    バブル経済崩壊後、暴力団も冬の時代を迎えた。その中で渡辺芳則五代目組長就任後の山口組は急速に組員を増やし、引退時までに全暴力団員数の四十七・五パーセントを占めるに至った。一人勝ち状況をもたらした要因は何か。渡辺組長をたびたび取材した著者が貴重なインタビューテープをもとに話を再現。その語録から組織拡大戦略、人身掌握術、危機管理の対応など「山口組経営」の本質を読み解く。さらに稲川会・故・石井進会長、弘道会・司忍会長(当時/現・山口組六代目組長)の証言も収録。
  • ワタミ・渡邉美樹 日本を崩壊させるブラックモンスター
    3.5
    日本にブラックを蔓延させた渡邉美樹とは何者か!? 現代社会を生きるための自衛の書 ブラック企業の代名詞となったワタミ株式会社の創業者・渡邉美樹。 彼がワタミで作り上げた経営理念とは、「夢」「やりがい」「仲間」などという綺麗な言葉で労働者を洗脳し、骨の髄までコキ使う。 そんな地獄の労働システムだった。 本書はそんな理念経営が、ワタミの事業拡大とともに外食産業のみならず、介護界、教育界に伝搬、それぞれをブラック化させていく様を紹介。 国会議員にまでなりおおせた渡邉美樹という存在について検証する。 序章:絶望的な介護現場は渡邉美樹を映した鏡 第一章:ワタミ崩壊 ?どうか助けてください、阿鼻叫喚の声が聞こえる? 第二章:渡邉美樹の所有物となる理念経営 第三章:渡邉美樹のせいで介護業界が大崩壊 第四章:無茶苦茶な言いがかりと恐怖政治で支配された郁文館学園 第五章:洗脳とセックスに狂う渡邉美樹チルドレンたち 第六章:まごころさんの絶望と、妄想まみれの議員生活
  • 和辻哲郎と昭和の悲劇 伝統精神の破壊に立ちはだかった知の巨人
    3.5
    GHQに抗い、「埋もれた日本」を取り戻す――。京都学派の一人として知られ、『風土』『古寺巡礼』『日本精神史研究』などの名著を生み出し続けた「知の巨人」和辻哲郎。明治22年生まれの和辻は、大正から昭和、敗戦に至るまでの激動の時代を生きた知識人であった。敗戦後、占領政策によって日本の伝統精神は崩壊の危機に瀕した。さらに言えば、戦前から戦争に至る流れの中で、日本人自らが、伝統と誇りを見失いつつあった。そんな中、鈴木大拙、南原繁、折口信夫、近衛文麿など大正教養派の多くの人々は時流に流され、変節していった。しかし、伝統衰退の世相に立ち向かい、節を貫き通した知識人もいた。その代表格こそ、和辻哲郎である。なぜ和辻は、激動の中で「不動の指標」たりえたのか。危機の時代に、日本人はいかに日本の伝統精神を取り戻すべきかを、知の巨人・和辻哲郎を通して知る。

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  • 倭と伽耶 朝鮮海峡の考古学
    3.0
    倭人は朝鮮半島で戦ったのか──高校教科書に「ヤマト政権が6世紀に百済の支配を認めた地域」と記される加耶(任那)とは何か。古代史研究の長年の成果をもとに日本・朝鮮半島相互で出土する金冠、甲冑や前方後円墳などの考古資料から明かす。
  • 笑い神 M-1、その純情と狂気
    4.5
    漫才、そしてM‐1に青春を賭けた芸人たち。彼らは何とバカで、たまらなく惹かれる生き物なのだろう―― 一夜にして富と人気を手にすることができるM‐1グランプリ。 いまや年末の風物詩であるお笑いのビッグイベントは、吉本興業内に作られた一人だけの新部署「漫才プロジェクト」の社員、そして稀代のプロデューサー島田紳助の「賞金をな、1千万にするんや」という途方もないアイディアによって誕生した。 このM‐1に、「ちゃっちゃっと優勝して、天下を獲ったるわい」と乗り込んだコンビがいた。のちに「ミスターM‐1」「M‐1の申し子」と呼ばれ、2002年から9年連続で決勝に進出した笑い飯である。大阪の地下芸人だった哲夫と西田は、純情と狂気が生み出す圧倒的熱量で「笑い」を追い求め、その狂熱は他の芸人にも影響を与えていく――。 芸人、スタッフ80人以上の証言から浮かび上がる、M‐1と漫才の深淵。 笑い飯、千鳥、フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、キングコング、NON STYLE、スリムクラブ……。 漫才師たちの、「笑い」の発明と革新の20年を活写する圧巻のノンフィクション、誕生! プロローグ 笑い飯  笑い飯と千鳥 「島田紳助 様」 ますだおかだ、ハリガネロック 再び、笑い飯 フットボールアワー 再び、笑い飯と千鳥 ABC ブラックマヨネーズ チュートリアル、変ホ長調 キングコング NON STYLE  パンクブーブー スリムクラブ 三たび、笑い飯 エピローグ
  • 笑いの正解 東京喜劇と伊東四朗
    5.0
    笑って笑って66年! 舞台、映画、テレビ……。伊東四朗はいつも「そこ」にいた 粋にして骨太、スマートにして軽妙。てんぷくトリオ、電線音頭、笑ゥせぇるすまんから「おしん」の父親、白河法皇まで。 当代一の喜劇役者・伊東四朗の「むかし・いま・これから」を約百年に亘る“東京喜劇史”を軸に鮮やかに描き出す本格的評伝。 「喜劇にはあらゆる役が登場します。二枚目から老け役、女形、それこそ動物の役まで。 喜劇をやっていれば、どんな役が来ても驚かなくなりますよ。だから私は、喜劇ができれば どんな役でもできると思っているんです」(本文より) 目次 第一章東京喜劇の現在 第二章軽演劇とストリップ小屋の原風景 第三章喜劇界のパラダイムシフト 第四章「B級バラエティの王様」として疾走 第五章笑ゥせぇるすまんから白河法皇まで――演技者・伊東四朗 第六章  終わらない挑戦
  • 笑うオカン戦士 溝渕カミ闘病2000日
    -
    「日記が面白い!」「勇気が出る」とmixiで評判を呼んだMBS毎日放送の名物ディレクターによる、 笑えて泣けるボジティブ闘病記。大阪・毎日放送のスタジオに200名を越える人が集まった。 それは、大阪の人気番組「ちちんぷいぷい」のディレクターだった1人の女性のお別れ会。溝渕佳美、享年38歳。 33歳のとき、血液のガン、悪性リンパ腫の告知。リスクを覚悟の上で、2回にわたる骨髄移植を受けた。 病気や子育てに対する夫との価値観の違いから、二度目の移植の直前に離婚。 5年の闘病の末、8歳の長女を残し、2010年秋、ひとり天国へと旅立った……。 困難にあってもユーモアを忘れず、前を向いて生きる。それが彼女の生きる姿勢でした。これはセザリー症候群という 難病と闘い、最後まで諦めずに強く生き抜いたひとりの女性が残した、 周囲の人への感謝と一人娘への愛にあふれたメッセージの記録です。 生きるために大切な力は何なのか? その答えが、ここにあります。
  • 笑える革命~笑えない「社会課題」の見え方が、ぐるりと変わるプロジェクト全解説~
    4.6
    「どれだけ大切なことだったとしても、伝わらなければ、存在しないのと同じ」。「注文をまちがえる料理店」「deleteC」「丸の内15丁目プロジェクト」「レインボー風呂ジェクト」「おすそわけしマスク」といった様々なプロジェクトを手がけ、伝えることに向き合い続けたプロデューサーが考える、これからの“企画のあり方"。
  • 「笑っていいとも!」とその時代
    4.2
    日本人にとって「いいとも!」とは何だったのか? 国民的人気番組で司会者タモリが媒介したテレビと戦後民主主義の歴史的邂逅―― 1982年から2014年まで約32年間にわたり放送された国民的人気テレビ番組『笑っていいとも!』。 戦後の闇市から発展した新宿でスタジオアルタを拠点とし、タモリが司会を務めた、いまだ語り継がれるテレビ番組である。 司会者タモリおよび『いいとも!』を考察することは、テレビのみならず戦後日本社会を考察することにもつながる。 それは、現在のネット社会におけるテレビの可能性をも浮き彫りにさせることになるだろう。 衝撃のグランドフィナーレから10年を迎える今、改めて『いいとも!』とは何だったのかを問う。 ◆目次◆ 第1章 「密室芸人」タモリが昼の司会に抜擢された理由 第2章 「テレフォンショッキング」という発明 第3章 「国民のおもちゃ」を演じたタモリ――「仕切らない司会者」と「無」への志向 第4章 視聴者を巻き込んだテレビ的空間――芸人と素人の共存と混沌 第5章 聖地・新宿アルタ――「流浪のひと」タモリが新宿で芸人になった理由 第6章 『いいとも!』と「フジテレビの時代」――80年代テレビの熱狂と冷静のあいだ 第7章 『いいとも!』と「お笑いビッグ3」――タモリ、たけし、さんまの関係性 第8章 『いいとも!』の個性的なレギュラー陣たち 第9章 SMAPが『いいとも!』にもたらしたもの 第10章 「グランドフィナーレ」を振り返る――なぜテレビ史の伝説となったのか 終章 『いいとも!』は、なぜ私たちのこころに残るのか?――戦後日本社会とテレビの未来
  • 笑って死ねる病院 - 「最後の願い」を叶える希望の医療 -
    4.0
    「余命宣告を受けた時、あなたは最後に何をしたいですか?」 “患者が喜ぶことをしてあげたい” 余命わずかの患者に寄り添う城北病院、医師と看護師たちの物語。 相次ぐ病床の閉鎖、患者の難民化、激務に疲れ果てる医師……。 行き場のない患者が公園に置き去りにされる時代に、 終末期患者の「最後の願い」を叶えようというのが金沢市の城北病院です。 この病院は差額ベッド代を取らず、生活困窮者には無料で診療し、 何よりも終末期患者の“最後”を重要視しています。 余命を告げられた6人の患者と病院スタッフのやり取りを通じて、 末期医療の在り方をあらためて考える一冊です。 ※この作品は2009年10月に小社から刊行された新書『笑って死ねる病院』に加筆・修正を加えたものです。

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