明治維新〜戦前まで、日本がいかに神話国家になったのか?がよくわかる。(あと、靖国神社も理解できた)
太平洋戦争で、日本がなぜ「我々は神の国だ」なんて変なこと言ってたのかが、よーく理解できた。
「神話」は日本が近代国家を急造するための方便だった。欧米列強に植民地にされないように、強い日本になるために、国民を動かす装置だった。
それは見事に大成功し、日本は幾多の戦争に勝ち抜き、第一次世界大戦時には五大国として君臨した。
これらを成功させた土台には「神話」があった。
理屈はこうだ。神である天照(アマテラス)の子孫の神武天皇から2,600年もの間、万世一系の天皇をいただく日本は神の国である。つまり神の子孫である天皇の言うことを聞けばよいのだと。日本は「神話」により、自国を神の国であると認識していた。
ただこれは、欧米列強に植民地にされまいと、「日本は特別な国でなければいけない」という願望が生み出したものだ。アイデンティティを失うまいと生み出された日本特殊論である。
今のイスラエルみたいなとんでもない思想だなと冷静に思う。(彼らは自分たちを神に選ばれし者と思ってる)
元々は江戸時代にペリーがやってきた際、始まった。うまく欧米列強に対処できない幕府が頼りないため、のちの新政府軍が「元々日本は天皇の国である」と言い出す。
それも当時、メジャーではなかった神武天皇を持ち上げて、神武創業として天皇親政を掲げた。理由は神武天皇の時代の記録なんぞ残っていないため、何か従わせるときに万能にロジックを組める。
例えば服装を洋服に変えるときも、「洋服にしろ」と言っても国民は言うこと聞かない。神武の時代は「武」を大事にしていて、強き者の服装が正義であると。その当時の最強は西洋であるため、服も西洋に合わせるべきだ。というように、西洋化を進めるのに都合のいい口実として神話は使われた。
戦後、GHQによって修身、国史、地理が教育から廃止された。これによって現在の日本人は神話なんて1ミリも知らない。私はこれについて、アメリカに日本らしさを奪われたぐらいの感覚を持っていたが、ともすると神話はあまりに右寄りであり、八紘一宇を履き違えるととんでもない思想になってしまう。
世界と強調し、尊敬される国になった今の日本に至るには、神話を捨てた(アメリカに捨てさせられた)ことは、一定ポジティブに思える。
また、靖国神社への理解が深まった。ペリー以降の日本の戦死者を祀っている。つまり自決や日本の敵はカウントされない。
殉死した乃木希典や、病死した東郷平八郎は祀られてない。それぞれ乃木神社、東郷神社がある。ちなみに西郷隆盛は新政府軍の敵だったため祀られてない。
また、神社には格がある。伊勢神宮は全ての神社を超越した存在としてカウントされてない。1番上のクラスは明治天皇を祀る明治神宮や、桓武天皇を祀る平安神宮など。
靖国神社と似たテイストで全国に護国神社がある。基本的には戦死者が祀られるが、殉職した警察、消防士、自衛隊も護国神社に祀られている。ちなみに神奈川県には、護国神社がないらしい。