学術・語学 - 講談社選書メチエ作品一覧

  • 蜘蛛 なぜ神で賢者で女なのか
    値引きあり
    5.0
    蜘蛛が網を作ると、「恋しい人がやってくる」と喜んだ平安貴族。弥生人はその姿を銅鐸に刻み、ペルーの古代人はナスカ台地の砂漠に描き、ギリシアから北米まで、蜘蛛は世界の神話に数多く登場する。 時に畏れ、嫌い、崇め、慈しむなど、評価は極端。なのに、なぜか惹かれずにはいられない……。 人と蜘蛛のそんな不思議な関係を、日本中世史研究家が貴重な図版・史料とともに丁寧に考察。 蜘蛛愛好家の筆者だからこそ見えてくる、新しい歴史研究! 「内容紹介」 清少納言は、現代人よりもはるかに虫好きだったのだ。いささか厄介な虫たち、蠅、蟻、蚊、蚤について、「憎し」と言いながら、面白がってその生態を見つめ、魅力的に描写した女性がいた。清少納言である。(中略) 蜘蛛についても、網にかかった白露を、「をかし」「あはれ」の両方を使って絶賛している。 こうした眼差しは、どこへ行ってしまったのだろうか。いま、人間が虫に対して抱いてきた感情、心性、文化を見直し、つき合い方を考えることは、急務であると思われる。 ―――本書 はじめに より 目次 はじめに 第一章 遺跡の蜘蛛・神話の蜘蛛  1 蜘蛛とはどんな生きものか 2 蜘蛛の考古学 3 世界の神話の蜘蛛たち 第二章 敵の名は土蜘蛛 1 征服神話の中の土蜘蛛たち 2 土蜘蛛は蔑称か 第三章 蜘蛛に寄せる恋の歌 1 蜘蛛に寄せる恋の歌 2 東アジアのめでたいしるし 3 蜘蛛と七夕 第四章 空を飛ぶ蜘蛛 1 雪迎え――空飛ぶ蜘蛛の発見 2 漢詩と和歌に詠まれた遊糸 3 「かげろふ」をめぐる混乱 4 『かげろふ日記』の「かげろふ」とは何か 5 十二単を飾る糸ゆふ 第五章 蜘蛛は神仏のお使い 1 蜘蛛は知る者、賢い者 2 あの人も蜘蛛に助けられた 第六章 妖怪土蜘蛛登場 1 蜘蛛嫌いの萌芽 2 寺蜘蛛の登場 3 よみがえった土蜘蛛 第七章 民俗と遠い記憶 1 相撲を取る蜘蛛 2 蜘蛛の昔話 3 夜の蜘蛛・朝の蜘蛛 おわりに ――蜘蛛はともに生きる仲間 参考文献
  • 昏い時代の読書 宮嶋資夫から野坂昭如へ
    値引きあり
    -
    美は、世界が滅びゆくこと自体のうちにのみ生まれる――。宮嶋資夫、太宰治、坂口安吾、桐山襲、野坂昭如。大正・昭和・平成の時代にわたるこの5人の作家は、どうしようもなく救いを求め、作品のうちにつかの間それを浮かび上がらせることに成功しながらも、現実の前に敗れ去った。それぞれが求めた救いの姿と、その挫折を作品の紹介を通して描き出す。 「人間がだめになったんですよ。(…)そんな時代になったんですよ」(太宰治)。遠くかすかに響く祈りの声に耳を澄ませつつ頁を繰る、希望なき時代の読書のすすめ。 理不尽と暴力に満ちた労働文学の旗手として登場し最後には仏門に消えた宮嶋資夫(1886-1951年)、ユートピアと現実のはざまで立ち尽くす「弱法師」太宰治(1909-48年)、堕落を呼びかけながら、生の原点「ふるさと」を希求した坂口安吾(1906-55年)、戦後訪れた政治の季節に体制への反逆と絶望のはざまでもがきつづけた桐山襲(1949-92年)、高度経済成長のさなかトリックスターの身振りでディストピアを描き続けた野坂昭如(1930-2015年)。大正から平成にかけて筆を執った5人の作家は、それぞれに救済を求め、作品のなかにそれを浮かび上がらせながらも、容赦ない現実の前に敗北した。  彼らの挫折は、令和の時代に明らかになりつつある社会の絶望を先取りするものでもあった。彼らが必死に手を伸ばし、しかしついに届くことがかなわなかった救いとは、どのようなものだったのか。有名無名問わず作品が紹介されるなかで、呪詛にも似た祈りの声がかすかに漏れ聞こえてくる。  昏い時代にものを書き、そして読むことの意味を鋭く問いかける空前絶後の文学案内。 【本書の内容】 はじめに――終わりなき終焉を見つめて 1 死に憑かれて――宮嶋資夫というヤマイヌ 2 無何有の明滅――太宰治という掟破り 3 タブラ・ラサにたたずむ――坂口安吾という「ふるさと」 4 瞑さのアナーキズム――桐山襲という「違う世界」 5 ディストピアの妄想――野坂昭如という廃墟 おわりに――現実忌避に向けて あとがき
  • クリティック再建のために
    4.0
    本書が掲げる「クリティック」は、ふつう「批評」や「批判」という日本語に訳されます。しかし、それらの語では十分に表されない意味が「クリティック」には含まれていることを日本の知的世界は気づかずにきました。その状況を憂える碩学が、これまでの仕事を総括するとともに、将来の知の土台を提供するべく、本書を書き上げました。 「クリティック」とは「物事を判断する場合に何か前提的な吟味を行う」という考え方です。その系譜をたどる道程はホメーロスから開始されます。そこからヘーロドトスとトゥーキュディデースを経てソークラテース、プラトーンに至る古代ギリシャの流れは、キケローやウァッローの古代ローマを経由する形で、一四世紀イタリアのペトラルカ、ヴァッラに至って「人文主義」として開花しました。この流れの根幹にある態度――それは、あるテクストを読み、解釈する前に、それは「正しいテクスト」なのか、そして自分がしているのは「正しい解釈」なのかを問う、というものです。こうした知的態度は古代ギリシャ以来のものであり、のちの者たちはその古代ギリシャ以来の態度に基づいて古代ギリシャのテクストを読み、解釈してきました。そして、それこそがヨーロッパの知的伝統を形作ってきた営みにほかなりません。 この系譜は、近代と呼ばれる時代にデカルトとスピノザによって変奏され、ついには実証主義とロマン主義の分岐を生み出します。その分岐を抱えたまま、現代に至って構造主義と現象学という末裔を出現させました。こうして、古代ギリシャから現代にまで至る流れを「クリティック」を軸にして全面的に書き換えること――そこに浮かび上がる思想史は、まさにその知的伝統から日本が外れているという事実を否応なく突きつけてくるでしょう。この欠如がいかなる現実をもたらしているのか。本書は、現代の危機のありかを暴き、そこから脱出するための道を示して閉じられます。 ここにあるのは、三部作『政治の成立』、『デモクラシーの古典的基礎』、『法存立の歴史的基盤』、日本国憲法を扱う『憲法9条へのカタバシス』、そして話題作『誰のために法は生まれた』など、数々の著作で圧倒的な存在感を示してきた著者からの渾身のメッセージです。 [本書の内容] 第I章 クリティックの起源 1 基礎部分の形成/2 出現/3 混線/4 アンティクアリアニズムのヘゲモニー 第II章 クリティックの展開 1 人文主義/2 ポスト人文主義──クリティックの分裂/3 近代的クリティックの始動/4 近代的クリティックの展開/5 実証主義 第III章 現代の問題状況からクリティック再建へ 1 リチュアリスト/2 社会構造/3 言語/4 現象学/5 パラデイクマの分節/6 構造主義/7 現状の再確認/8 クリティック再建のために
  • 黒いイギリス人の歴史 忘れられた2000年
    4.0
    「黒いイギリス人」とは、Black Britishの訳語である。「黒人のイギリス人」である彼らは、歴史に翻弄されながらも、「白いイギリス人と女王様の国」では忘れられた存在だった。 「黒人史」といえば真っ先に思い浮かぶのは「アメリカ黒人史」だが、アメリカ黒人史の多くは「アメリカの国内史」として語られるのに対し、イギリスの場合、その黒人史はブリテン島内だけでなく、海を越えて東西にわたる帝国に視野を広げて見る必要がある。ここに「イギリス黒人(在英黒人)」にとどまらない「黒いイギリス人」という語を用いる意図がある。 イギリス史には古くから黒人が姿を見せる。イングランドに最初の黒人女性が現れたのはローマ時代。16世紀チューダー朝の絵巻には王室付き黒人ラッパ手が描かれている。17世紀初頭、エリザベス女王は黒人追放令を発し、シェイクスピアは『オセロー』でムーア人の軍人を主人公にした。さらに、18世紀の新聞の「逃亡奴隷」の広告データベース分析や、アメリカ独立戦争で王党派についた「黒人ロイヤリスト」たちの命運、ロンドンの黒人貧民をアフリカに移送する「シエラレオネ植民計画」の顛末など、「黒いイギリス人」の歴史は「イギリス帝国」の光と影を映し出す。 長期的かつグローバルな視点で、その移動と混合の歴史をたどり、社会的マイノリティの共生の道をさぐっていく。 目次 はじめに:「白いイギリス人」と女王様の国で 序章 「黒いイギリス人」とは誰か 第1章 最初の来訪者たち:ローマ帝国期から近世まで 第2章 逃亡奴隷のプロファイル:18世紀前半 第3章 シエラレオネ計画の夢と失望:18世紀後半 第4章 奴隷解放と「黒人消滅」:19世紀 第5章 世界大戦下の黒人臣民と黒人米兵:20世紀前半 第6章 戦勝国の旧弊:20世紀後半 終章 「イギリスらしさ」を担うのは誰か あとがき
  • グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉
    4.0
    日本人研究者による待望の入門書、登場! 世界を創造した神は〈善〉か〈悪〉か? 「人間は<偽りの神>が創造した偽りの世界に墜とされている。われわれはこの汚れた地上を去り、真の故郷である<天上界>に還らなければならない」――誕生間もないキリスト教世界を席巻した<異端思想>。膨大な史料を博捜し、その実像に迫る。(講談社選書メチエ)
  • 軍人皇帝のローマ 変貌する元老院と帝国の衰亡
    4.0
    共和政期以来、ローマ帝国を支えてきた元老院。しかし、軍事情勢が悪化し、貧富の差が拡大した三世紀以降、支配権はバルカン半島出身で下層民からのぼりつめた軍人皇帝の手に移る。アウレリアヌス帝、ディオクレティアヌス帝、コンスタンティヌス帝など、七七人中二四人が、バルカン半島出身の軍人皇帝である。ローマ文明を担うエリートの元老院の失墜と武人支配への変化を描き、ローマ帝国衰亡の世界史的意味をとらえなおす。(講談社選書メチエ)
  • 穢れと神国の中世
    3.0
    東北から九州まで共通して見られる、死と出産を「穢」とみなす民俗習慣。その観念の起源をめぐる探究は九~十世紀に制定された『延喜式』に行き当たる。数多くの史料を、当時の息づかいがわかるように参照し、「穢」という不可思議な意識と社会秩序感覚が生み出された過程を明らかにする。挑戦的な歴史学の試み。(講談社選書メチエ)
  • ケルトとは何か
    -
    妖精が戯れる神話の世界、美しい文様の装飾写本、大きな輪を重ねた石造の「ケルト十字架」、騎士や魔術師が活躍するアーサー王物語群など、ヨーロッパの古くて不思議な魅力がある文化――ケルトをこのように思い浮かべる人は多いだろう。 しかし本書によれば、アイルランドやスコットランドで特徴的なダンスや音楽、民族衣装をはじめ、ケルト美術の優品「タラ・ブローチ」「ケルズの書」なども、古代ケルト人に伝統をさかのぼるのは無理がある。では、近年の「ケルト懐疑論者」が主張するように、ケルトの「存在自体が怪しい」のかといえば、そうではない。 ケルト文化の本質は、ケルト諸語によって営まれた文化である。スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランスのブルターニュ地方などの「ケルト文化圏」の主要言語であり、現在は少数言語となっているゲール語、ブレイス語などのケルト諸語の分析から、「ケルトとは何か」を根源的に問い直す。そこには豊かな言語文化の広がりと、現在も生きている伝統の厚みがあった。 ある時は近代のナショナリズムに活用され、またある時はヨーロッパ統合の象徴となり、さらに近代文明を批判する「癒し」の精神性も期待される「ケルト」の虚像と実像とは。「ケルト人」と「ケルト文化圏」は、なぜ一致しないのか? 言語学と考古学、美術、文芸、民俗学などを総合したヨーロッパの「ケルト学」の成果と議論から、「歴史」と「文化」の深層がみえてくる。 目次 はじめに  第一章 近代が生んだケルト文化 1 華麗な音楽文化  2 展示される民族衣装  3 ヒーリングと反近代の思想性  4 ドルイドの実像と虚像  第二章 ケルト美術と考古学 1 「古代ケルト人」とは 2 タラ・ブローチとバターシーの盾 3 懐疑論と「西からのケルト語」 4 巨石文化を見直す 5 人の移動と文化の移転 第三章 文芸と民俗のなかのケルト 1 伝承文学と吟遊詩人 2 アーサー王伝説とバルドたち 3 韻律が伝える「ケルト文化」 4 民話と民謡の採集  5 妖精とハロウィーンの起源 第四章 民族起源の伝説と史実 1 ブリタニアの起源伝説  2 ブレイスの起源伝説 3 カムリー、エリウ、アルバの起源伝説 第五章 ケルト諸語の言語学 1 印欧語の歴史言語学 2 言語をどう分類するか 3 地名研究の効用 4 ケルト諸語の音声学 5 ケルト諸語の文法的特徴 第六章 社会のなかのケルト諸語 1 オガム文字の碑文を読む 2 「書きことば」をめぐる論争 3 社会階層・宗教・学校と言語 4 「言語死」をいかに食い止めるか おわりに
  • 喧嘩両成敗の誕生
    4.3
    中世、日本人はキレやすかった!大名から庶民まで刃傷沙汰は日常茶飯、人命は鴻毛のごとく軽かった。双方の言い分を足して二で割る「折中の法」、殺人者の身代わりに「死の代理人」を差しだす「解死人の制」、そして喧嘩両成敗法。荒ぶる中世が究極のトラブル解決法を生みだすまでのドラマ。
  • 現代民主主義 思想と歴史
    3.5
    日本では民主主義(デモクラシー)の使徒とみなされるルソーが、欧米では全体主義の思想家とみなされるのはなぜか。なぜ、民主主義はナポレオンやヒトラーのような独裁を生み出してしまうのか。民主主義は何に敗北してきたのか。そもそも民主主義とはいったい何なのか――。  本書は、民主主義、そして民主主義の双子ともいうべきナショナリズムをめぐる思想がどのように生まれ、変容してきたのか、原点であるフランス革命の基盤となったルソー、シィエスの思想にさかのぼり、トクヴィルやJ・S・ミルによる自由主義者からの民主主義への反論、世界大戦期ドイツのヴェーバーとカール・シュミットの思想、さらに全体主義批判を踏まえた冷戦期のアレント、ハーバーマスを経て冷戦終結後の現在に至るまで、思想家たちが生きた時代的背景とともに、一気呵成に描き出す。  民主主義とはなにか、この根源的な問いの答えは、幾多の血を流しながら民主主義が歩んできた歴史のうちにこそ見いだされる。著者渾身の民主主義思想史!! 【本書の内容】 はじめに 序章 民主主義のパラドクス 第1章 近代民主主義とナショナリズムの誕生  第1節 フランス革命とルソー、シィエスの思想  第2節 ドイツ・ナショナリズムとフィヒテの思想 第2章 自由主義者の民主主義批判とナショナリズムの発展  第1節 民主主義革命とトクヴィル、ミルの思想  第2節 ナショナリズムの統一運動と民族自決権の思想 第3章 民主主義観の転換とナショナリズムの暴走  第1節 第二帝政期ドイツとヴェーバーの思想  第2節 ワイマール期ドイツとカール・シュミットの思想  第3節 民族自決権の適用とその帰結 第4章 民主主義の再検討とナショナリズムの封じ込め  第1節 全体主義批判と民主主義論の再構築  第2節 民族自決権の受容と回帰 結び 冷戦終結後の民主主義とナショナリズム あとがき
  • 項羽と劉邦の時代 秦漢帝国興亡史
    5.0
    鴻門の会、四面楚歌――『史記』の虚実を読み解く。「秦を滅ぼすものは必ずや楚ならん」――。中国を最初に統一した秦帝国は、なぜ短期間で滅んだのか。なぜ農民出身の劉邦が項羽に勝利したのか。秦と楚、2つのシステムという観点から「鴻門(こうもん)の会」「四面楚歌」に代表される『史記』史観をとらえ直し、漢王朝成立までのドラマを描き出す。(講談社選書メチエ)
  • 黄禍論 百年の系譜
    -
    アメリカが取り憑かれ続けてきた強迫観念―「アジア人が攻めてくる!」 中国が日本と結び、西洋世界へと牙を剥く。驚異的な人口のパワーに、欧米は飲み込まれてしまう…… こうした「黄色い禍」という強迫的観念は、日露戦争で日本がロシアに勝利したことをきっかけに生まれた。 そしてこの「人種主義的思考」は、西海岸に多くの日系移民が押し寄せたアメリカにおいてはとりわけ強く刻まれ、形を変えながら現在に至るまで、社会・政治のなかに脈々と息づき続けている。 「我々は白人種と交わることのない人々から同質な人々を作り出すことはできない」 ―ウィルソン(第28代米大統領・国際連盟提唱者)が署名したアジア人移民排斥を訴える文書 「黒人はアフリカに、黄色人はアジアに、そして白人はヨーロッパとアメリカにいるべきだと強く思うんだ」 ―トルーマン(第33代米大統領)が妻に送ったラブレター コロナ禍によって黄禍論的思考はいまだ欧米社会に根を張っていることが明らかとなり、アメリカでは人種をめぐる対立がいまもってなお深刻であることが露となったいま、トランプ大統領を生み出したアメリカ社会に100年以上根づく「人種主義的思考」の歴史をひもとかなければならない。 【本書の内容】 東洋人の群れ ―「日中同盟」の悪夢 幻の「人種平等」 ―国際連盟設立と人種差別撤廃案、そして排日移民法 汎アジア主義の勃興と破綻 戦争と人種主義 消えない恐怖 ―冷戦下の日米関係 よみがえる黄禍論
  • 抗争する人間(ホモ・ポレミクス)
    -
    今村社会哲学の到達点! 暴力・闘争・排除を生む人間の本質に迫る。社会的人間が内包する暴力性とは何なのか? 排除・闘争を通じて構造化される秩序とは? 人間が持っている社会的欲望がどんな暴力現象となって現れどのように制御されるのかを解明し、そうした精神の構造に楔として打ち込まれる倫理の可能性を探る。(講談社選書メチエ)
  • 黒人理性批判
    値引きあり
    5.0
    「黒人」の歴史は奴隷制や植民地の過去と切り離すことができない。1957年にカメルーンに生まれ、フランスやアメリカで学んだアシル・ムベンベ(Achille Mbembe)は、主著となる本書(2013年)を「世界が黒人になること」と題された「序」から始めた。それは、奴隷制や植民地が特定の人種に限られたものではないこと、そしてすでに過去のものとなった事態ではないことを冒頭で宣言することを意味している。新たな奴隷制や植民地、そして人種差別は形を変えて席捲しうるし、現にしている。それを可能にする構造が今の世界にはある、ということにほかならない。 だからこそ、不幸や苦痛、弾圧や収奪の歴史だった「黒人」の歴史を知り、共有しなければならない。そのとき「黒人」には新たな意味が与えられる。著者は言う。「途上にある者、旅に出ようとしている者、断絶と異質性を経験する者の形象として、「黒人」を新たに想像しなければならない。しかし、この行路と大移動の経験が意味をもつためには、アフリカに本質的な役割を与えなければならない。この経験は私たちをアフリカに回帰させ、または少なくともアフリカというこの世界の分身を通じて方向転換しなければならない」。 アフリカから到来する何か、「黒人」から到来する何かにこそ、悲惨にあふれ、いや増すことを予感するしかない現在の世界を普遍的に、そして原理的に転換する可能性はある。歴史的事実を踏まえつつその意味を明らかにした本書は、エドゥアール・グリッサンの言葉を借りるなら〈全-世界〉に向けられる希望の書である。 [本書の内容] 序 世界が黒人になること 眩暈するような組み立て/未来の人種 1 人種主体 仮構作用と精神の閉域/新たな等級化/「黒人」という実詞/外観、真実、幻影/囲い地の論理 2 幻想の井戸 猶予中の人類/所属決定、内面化、そして反転/白人の黒人と黒人の白人/名前のパラドックス/世界の巨像/世界の分割/国家‐植民地主義/軽薄さとエキゾティズム/みずから理性を失うこと/友愛の限界 3 差異と自己決定 自由主義と急進的悲観主義/誰もと同じ人間/普遍的なものと特殊なもの/伝統、記憶、そして創造/諸々の世界の交通 4 小さな秘密 支配層の諸々の歴史/謎の鏡/商品のエロティシズム/黒人の時間/身体、彫像、肖像 5 奴隷のためのレクイエム 多様性と超過/ぼろぼろの人間/奴隷と亡霊について/生と労働について 6 主体の臨床医学 主人とその黒人/人種の闘争と自己決定/人間への上昇/大いなる喧噪/被植民者の解放的暴力/栄光の影/民主主義と人種の詩学 エピローグ たった一つの世界しかない
  • 国鉄史
    4.3
    【"この国のかたち"を鉄路で描いた者たちの、栄光と蹉跌の全史】 かつて日本には、国家の所有する鉄道があった。 その組織は平時においては陸軍をしのぐ規模を誇り、列島津々浦々の地域を結びつける路線を構想することは、社会のグランドデザインを描くことそのものであった。 歴代の国鉄トップは、政治家や官僚たちは、そして現場の人々は、この巨大交通システムに何を託し、いかに奮闘したのか。 近代化に邁進する明治政府が新橋・横浜間を開設してから昭和末期に日本国有鉄道が分割民営化されるまで、「鉄道と国家」の歴史を一望する壮大なパノラマ! 【本書より】 日本の鉄道の歴史は大きく四つの時代に分けることができます。まず、明治時代の私鉄が主役だった時代、次に、日露戦争後に多くの私鉄を買収した政府が直営した時代、さらに、第二次世界大戦後、国鉄が公社化されて日本国有鉄道となった時代、そして現在のJRの時代です。 (中略) 本書ではこれから、日本の鉄道の歴史を、鉄道がいかにあるべきかというグランドデザイン、その実現のための経営体制、そしてそれを動かしてきた人物ということに焦点を当てて描き出していきます。それにあたって、この四つの時代区分という捉え方は、たいへん見通しをよくしてくれるので、これに従って議論を進めていきたいと思います。 【本書の内容】 プロローグ 「鉄道一五〇年」と国鉄 [第一部  「国鉄」形成の道程] 第一章 私鉄の時代(一八七二─一九〇六) 1.官設鉄道の誕生  2.「鉄道の父」井上勝  3.鉄道敷設法と私鉄の繁栄  第二章 国家直営の時代(一九〇六─一九四九) 1.鉄道国有法の制定 2.「国鉄」の誕生 3.初代総裁後藤新平の組織作り 4.原敬と改正鉄道敷設法 5.国鉄ネットワークの充実 6.戦時下の苦闘とその遺産 [第二部 日本国有鉄道の興亡─公社の時代(一九四九─一九八七)] 第三章 「復興」の中で(─一九五五) 1.占領期の混沌 2.「公共企業体」の桎梏と総裁たち 3.組織と人々 第四章 「近代化」への邁進(―一九六五) 1.新しい時代の鉄道像 2.「改主建従」の夢 第五章 光と影の昭和四〇年代(─一九七五) 1.都市交通と国鉄の使命 2.効率化がもたらすもの 3.「政治主導」の時代 4.国会とストライキと債務と 第六章 再建の試みと崩壊(─一九八七) 1.「後のない計画」 2.分割民営化への道 エピローグ JR以後(一九八七─)
  • 「心の哲学」批判序説
    4.0
    意意識とは何か。いつ、どのように生まれて、何のために存在するのか。 人や動物が生存していくための意識による具体的効果や、その機能とは――? 認知科学、神経科学的の最新成果により、昨今注目を浴びる「心の哲学」を、 あえて、事実性重視の現象学的立場から批判的に検証。 私が「私」を認めるために重要な、「経験する私」の意味、 私の意識の中で「淘汰」され、成長する意識の本質など、 進化論的な視座も踏まえ、「意識の実像」を捉え直す。 目次 第一部 「心の哲学」との対決 序 可能性の議論への違和感 第一章 意識は無用か 第二章 意識の有用性 第三章 心は物質に宿る──スーパーヴィニエンス── 第四章 運命を知りえぬことが、自由を私たちに残さないか 第五章 意識は瞬間ごとに死ぬ?──ひとつの懐疑── 第六章 意識とは誤解の産物である──消去主義の検討── 第七章 「物理世界は完結し、心の働きかけを許さない」と言えるのか 二部 意識は本当はどういうものか 第八章 意識の実像──ふたつの実存とふたつの視覚経路── 第九章 実践的意識が見る世界 結論
  • 心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学
    4.1
    あなたが「思っている」と思っていることは、全部でっちあげだった! 「心の奥底には何かが隠されている」と、誰もが思いたがる。 心理学者や精神分析学者たちは、暗がりに潜むものを暴き出そうと奮闘してきた。 だが、神経科学や行動心理学の驚くべき新発見の数々は、隠された深みなどそもそも存在しないことを明らかにしている。 「無意識の思考」などというのは、神話にすぎなかったのだ。 わたしたちの脳は、思考や感情や欲望を「その瞬間に」生み出している……行動の理由も、政治的信念も、そして恋心さえも。 本書が紹介する数々の驚くべき実験結果を目にしたとき、そのことを疑うことはもはや不可能になる。 世界はどのように存在し、自分はどんな人間であるのか―それも、脳がもつ途方もない即興能力によって創り出されるフィクションなのだ。 認知科学をリードする世界的研究者が"脳と心"の秘密を解き明かす、超刺激的論考! ※原題は、The Mind is Flat: The Illusion of Mental Depth and The Improvised Mind (Penguin, 2019) 【本書「訳者解説」より】 本書の最終結論である「心には表面しかない」ということは序章から明記されており、深みという錯覚で私たちを騙している犯人は脳であるということが、あたかも最初から犯人がわかっている倒叙ミステリーのごとく、はじめから述べられている。そして、心理学実験を紹介しながら進められる論証は、章を追うごとに説得力を増していくことが、一読してわかるだろう。 ・ チェイター教授は、オークスフォード教授との推論心理学(人間はどのように推論するのか)の共同研究を続けつつ、意思決定や判断、言語や社会的相互作用へと研究領域を拡げ、また自ら会社を共同創業したりイギリス政府へ協力したりと、認知科学のビジネスや政策への応用にも取り組んでいる。 ・ 「心は実体というよりは、外界と接する接触面(インターフェイス)における即興演奏の ”手癖” である」という捉え方を展開する本書の見方の射程はかなり広い。 【本書の内容】 序章 文学の深さ、心の浅さ 第一部 心の深みという錯覚  でっち上げる力/現実という実感/インチキの解剖学/移り気な想像力/感情の創作/選んだ理由の捏造 第二部 即興が「心」を作る  思考のサイクル/意識の経路の狭さ/無意識的思考という神話/意識の境界/原理ではなく前例/知性の秘密 終章 自分を創り直す
  • こころは内臓である スキゾフレニアを腑分けする
    5.0
    精神科医としての50年を統合失調症の治療に当たってきた著者が、それは俗に言われるように「正常」と断絶された「狂気」とされるものなのか、あるいは治療法のある「症状」なのかを問題意識としながら、この病気の本態を語り尽くす。「現実の否認」「現在の消失」「心的エネルギーの回路づけの不具合」「昏迷」など、この病の特徴と心の働き方の傾向の関連を見極める。
  • 古代エジプト文明 世界史の源流
    4.5
    世界史の中で古代エジプト文明が果たした役割とは何か。ミノア、ヒクソス、アッシリア、ペルシア、ギリシア、ローマ……西洋世界の源流のひとつとしてエジプトを捉えたとき、まったく新たな歴史像が立ち上がる。最新の研究成果をふんだんに盛り込み、「外」とのインタラクションという視点の下にその興亡を描き直す、画期的試み! (講談社選書メチエ)
  • 古代ギリシアの精神
    3.0
    ソクラテス・プラトン以前の「ギリシアの古層」とは? オイディプスの悲劇の本当の読み方とは? 社交を尊び、戦場で神を感得し、悲劇的世界観を物語に読み込む。そんな古代ギリシア人たちの精神を、ヘロドトスやトゥキュディデス、ギリシア悲劇や叙事詩などのテクストから喚び起こし、ギリシアの古層にある思考に光を当て、さらには現代の哲学的問題へと思考を深める。(講談社選書メチエ)
  • 古代マケドニア全史 フィリッポスとアレクサンドロスの王国
    値引きあり
    4.5
    世界史に比類なき足跡を残した偉大なる英雄たちの王国、マケドニア。紀元前7世紀半ばの建国から、天然資源と外交術を駆使した版図拡大の時期を経て、フィリッポスによるギリシア制覇、アレクサンドロスによるアカイメネス朝ペルシア打倒を含む東方遠征、そして後継者戦争の果てに滅亡に至るまでの全軌跡を、最新の研究成果を踏まえて辿る、本邦初、唯一無二の歴史書! これが『ヒストリエ』(岩明均)のリアルだ!! [目次] プロローグ 第1章 マケドニア史へのアプローチ 1 マケドニア史研究の歩み 2 フィリッポス二世の「復権」 第2章 マケドニア王国の成立 1 マケドニアの地 2 王国の誕生 3 マケドニア王国のしくみ 第3章 ヘラクレスの子孫たち 1 アルカイック期のマケドニア 2 アレクサンドロス一世 3 ペルディッカス二世 4 アルケラオス 第4章 フィリッポス二世の父と兄 1 アミュンタス三世 2 アレクサンドロス二世 3 ペルディッカス三世 第5章 フィリッポス二世の登場 1 即位時の危機 2 王国の統合 3 ギリシア征服のスタート 4 第三次神聖戦争への参戦 第6章 ギリシアの覇者へ 1 「フィロクラテスの講和」 2 フィリッポス二世の宮廷 3 ギリシア制覇への道のり 4 決戦へ 第7章 フィリッポス二世からアレクサンドロスへ 1 ペルシア遠征を見据えて 2 王者の最期 3 父と子 エピローグ 結びにかえて――現代のマケドニア 地図 マケドニア王家の系図 マケドニア王在位表 凡例 主な参考文献 図版出典一覧 関連年表 索引
  • 国家とインターネット
    3.0
    グローバリゼーションの時代、国家とメディアの関係は敵対か、はたまた共存か? IT技術は〈人間〉への福音か、それとも呪いか? ──来るべき世界における権力・メディア・人間の関係を根底から考察する。(講談社選書メチエ)
  • 「こつ」と「スランプ」の研究 身体知の認知科学
    3.7
    スポーツ、運転、仕事、家事、話し方……身体を使うすべてのモノゴトに「こつ」は存在し、「スランプ」は学びの必然である。スランプを乗り越え、こつを体得するとはどういうことか。「からだ」と「ことば」はいかに相関しあうのか。身体に根ざした知=身体知の学びに挑む、認知科学の最先端!
  • ことばと身体 「言語の手前」の人類学
    -
    わたしが話す。あなたが自分の体にふれる。このとき、何が交されているのか? わたしたちが会話をしているとき、そこではことばだけが交わされているのではない。どんなに些細な、他愛のないおしゃべりであっても、自分の体にさわったり、身ぶりをしたり、ごく短い間があったり、ときには何かを演じたり、身体まるごとつかったコミュニケーションが繰りひろげられている。ブッシュマンの家族、日本の大学生、民俗芸能という多様な会話の現場を、徹底的にミクロに観察することで、コミュニケーションとは何か、社会とは何かという大いなる問いに挑む。現象学、社会システム理論、言語行為論などを参照しながら、徹底的に「身体」に根ざして考える"唯身論"人類学の試み。(講談社選書メチエ)
  • 言葉の魂の哲学
    4.3
    中島敦の小説「文字禍」、ホーフマンスタールの小説「チャンドス卿の手紙」。この二つの作品に描かれたいわゆる「ゲシュタルト崩壊」、すなわち、文字が意味や表情を失って見える現象をてがかりに、ウィトゲンシュタインの言語論に新しい視座を与え、カール・クラウスの言語論に、すぐれて現代的な意味を見出す。清新な言語哲学の登場! 第41回サントリー学芸賞受賞作。
  • 子供の哲学 産まれるものとしての身体
    4.0
    西田幾多郎、レヴィナス、ドゥルーズ……その思考のあらたな可能性これまでの哲学が再三にわたって論じてきた「私」という問題。しかしそこには、大きな見落としがあったのではないか?産まれる、子をはらむ、産む、死んでいく、だけど誰かが残る。こうしたことを、それ自身として真正面からとらえる。そのための哲学が、ここからはじまる。(講談社選書メチエ)
  • 合理的とはどういうことか 愚かさと弱さの哲学
    -
    私たちは本当に"理性的存在"か? なぜ私たちは、不合理な行動をしたり、意志の弱さや愚かさを見せたりしてしまうのか。それらの行為は「理性」に反したものなのだろうか。この問いから、人間であるという、そのあり方の本質が見えてくる。進化の歴史から日常的な問題まで幅広いスケールで繰り広げる「合理的である」ことをめぐる思考の冒険! (講談社選書メチエ)
  • 誤解を招いたとしたら申し訳ない 政治の言葉/言葉の政治
    値引きあり
    4.1
    そんな言い訳通用しません! 「そんなつもりはなかった」という言い逃れ、「誤解を招いたとしたら申し訳ない」「心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます」という謝罪もどき、「広く募ってはいたが募集はしていない」のような言葉の意味を捻じ曲げる試み、「選挙が盗まれた!」「フェイクニュース!」という挙証なき放言、「うちでネットフリックスでも見ない?」などの言外の意味や隠語による駆け引き、「差別するつもりはないんだけど…」「これはオフレコだけど…」「小説家のSFと考えてください」と予防線を張ったうえであからさまな差別発言をする〈イチジクの葉〉……言葉と責任の関係をあやふやにしようとする企みは、事例に事欠くことがない。 こうした発言の何が問題なのか、言葉と責任の関係はどうなっているのか、そしてそれらの発言が図らずも明るみに出す言葉とコミュニケーションをめぐるある真理の裏面とは何であるのか――。 言葉が溢れ、さまよい、傷つける時代に、気鋭の言語哲学者がデザインする、本当に豊かなコミュニケーションのかたち。 [目次] はじめに 第一章 「そんなつもりはなかった」 第二章 言質を与える――言行一致の責任 第三章 意図しない表の意味・ほのめかされる裏の意味 第四章 なぜ言わなくても伝わるのか――グライスの語用論 第五章 なぜ思いもよらないことが伝わってしまうのか――誤解と文脈 第六章 誤解じゃないって本当にわかるんですか?――知識と意味の否認可能性 第七章 「いいね」と「そんなつもりはなかった」 第八章 多様化する意味の否認可能性 第九章 犬笛とイチジクの葉 第十章 揺らぐ表と裏の境界線 第十一章 誤解だけど誤解じゃない――聞き手の意味 第十二章 言葉の意味を捻じ曲げる 第十三章 意味の遊びと意味の交渉 第十四章 「誤解を招いたとしたら申し訳ない」 おわりに 注 文献表 あとがき
  • 『西遊記』XYZ このへんな小説の迷路をあるく
    3.8
    中国史上もっとも「けったいな」奇書を縦横無尽に解読。なぜやたらと詩ばっかりなのか? なぜいつもどこかにもぐりこむのか? 『西遊記』はただの冒険奇譚小説ではなかった! 孫悟空・猪八戒や怪物たち、あるいはおびただしい作中詩やダジャレに秘められたシンボリズムを縦横無尽に読解し、中国的思考の迷宮を踏破する。(講談社選書メチエ)
  • 鎖国前夜ラプソディ 惺窩と家康の「日本の大航海時代」
    3.0
    朝鮮出兵を経て成し遂げられた徳川の天下統一。そんな、日本をはじめとする諸国が平和を希求し、新たな国家形成と国際関係をさぐる時代に現出した「日本の大航海時代」。東アジアのみならず東南アジアをも舞台に交錯する人びとの理想、理念、思想、そして政治と欲望。戦乱と「鎖国」のはざまに二つの精神の邂逅がもたらした、自由と寛容さを追求する時代の実像を大胆に描き出す。
  • 薩摩藩士朝鮮漂流日記 「鎖国」の向こうの日朝交渉
    3.0
    離島勤務から本国への帰途、薩摩藩士安田義方ら一行は遭難し、朝鮮に漂着する。安田は、朝鮮王朝の地方官僚らと漢文の筆談によって、現地での待遇と送還について折衝しながら、一方で、酒を酌み交わし、詩文を贈りあい、交流を深めていく。安田が遺した詳細な記録と巧みな挿図から、朝鮮通信使の儀礼的な通交とはまったく違った近世日朝交流のすがたが見えてくる。(講談社選書メチエ)
  • シオニズムとアラブ ジャボティンスキーとイスラエル右派 一八八〇~二〇〇五年
    4.0
    「(アラブ人との)合意につながる唯一の道は『鉄の壁を建てる』ことであり、それはイスラエルの地ではいかなる状況下でもアラブ人の圧力に屈しない力がなければならないことを意味する」(1923年の論文「鉄の壁」より) 2002年に着工、今なお未完成のヨルダン川西岸の分離壁。その理論的基盤となる思想を唱えたのが、リクードのイデオロギー、修正主義シオニズムの鼻祖ジャボティンスキーである。紆余曲折を経て先鋭化されていった彼の民族論は、イスラエルの対アラブ強硬論を読み解く重要な鍵となる。民族と国家との関係はどうあるべきか? この紛争に未来はあるのか? 混迷の続くパレスチナ問題の核心と本質に迫る意欲作。(講談社選書メチエ)
  • 叱られ、愛され、大相撲! 「国技」と「興行」の一〇〇年史
    -
    日本の伝統文化にして「国技」とされる大相撲は、一方で八百長疑惑や「横綱の品格」をめぐって、世間から叱られ続けている。この「叱られ体質」は、いつから、何に由来するのだろうか。大相撲100年の「叱られ、愛された歴史」を、「スー女」を自認する著者が丹念に掘り起こした意欲作。明治42年(1909年)、落成したばかりの相撲常設館、その名も「国技館」の「玉座」で、8歳の少年が相撲を観戦した。この少年――明治天皇の皇孫、のちの昭和天皇に愛されたことが、大相撲の黄金時代と深い苦悩の始まりだった。「国技」とは一体何か。「初っ切り」や「相撲甚句」「化粧まわし」は、「国技たる武道」の堕落ではないのか? 本書には、それぞれの「相撲道」を模索した人々が登場する。植民地台湾に力士100人を招いた任侠の親分。東京の相撲界に反旗を翻し、大阪で「角力」を興した異端児。「相撲体操」を考案し、台湾や満洲で相撲教育に邁進した熱血教師。勃興したスポーツジャーナリズムの中で、独自の相撲論を展開するインテリ力士。戦地慰問に疲労困憊しながら連勝記録を樹立した大横綱。そして1945年11月、焼け野原の東京、損壊甚だしい国技館に満場の観客を集めて、戦後初の本場所が開催される。「国技」と「興行」のジレンマに悩みながら、いつも愛され、そこにあった大相撲の近代史。
  • 自然の哲学史
    値引きあり
    4.0
    「自然(nature)」というと、どんなイメージが浮かぶでしょう。海や森、動物や植物たちのおだやかな光景? 台風や地震など、災禍を及ぼすものを思う人もいるかもしれません。いずれにせよ、そこにある「自然」は人間に、そして「人為」に対立するものと捉えられています。人為による自然の破壊といった表現は、その対立を前提にしていると言えるでしょう。では、人間は自然に含まれていないのか。自然とは人間と無関係の対象として捉えることのできないものなのでしょうか。 本書は、こうした素朴な問いが哲学の端緒から現代までを貫いていることを示し、各時代に捉えられてきた「自然」がいかに変化してきたのかを描き出す壮大な試みです。プラトン、アリストテレスの古代ギリシアに始まり、古代ローマ、中世、ルネサンスを経て、17世紀のベーコン、デカルト、ライプニッツ、スピノザに至る流れを追ったあと、そこに共通する〈一なる全体〉という自然のイメージが取り出されます。このイメージの問い直しは、18世紀のディドロやルソーによって本格的に開始されたあと、カントを経て、19世紀のニーチェで頂点に達するものです。続く20世紀以後の現代に至って、自然のイメージは決定的な変容を遂げます。それが〈自然かつ人為〉という矛盾した表現をするほかない「自然」です。本書は、それをシモンドンやドゥルーズといった思想家の検討を通して明らかにし、歴史が哲学の思考に追いついていくさまを明らかにしていきます。 多くの研究者から信頼される著者がついに解き放つ待望の単著。渾身の思想劇! [本書の内容] 第I部 1 古代ギリシア哲学の自然と人為(1) 2 古代ギリシア哲学の自然と人為(2) 3 古代ローマ期から中世までの自然/技術 4 自然の逆説 5 非自然的なものの自然性 6 デカルト、ライプニッツ、そしてスピノザ 7 自然/人為という区分の手前で 第II部 1 ディドロの技術論 2 ルソーにおける自然と技術 3 アリストテレス再考 4 〈一なる全体〉としての自然(1) 5 〈一なる全体〉としての自然(2) 第III部 1 「神すなわち自然」 2 〈一なる全体〉としての自然を語らないこと 3 一八世紀に哲学史的断絶は存在したのか 4 〈一なる全体〉としての自然の復興? 5 「カオスすなわち自然」 第IV部 1 生命と技術 2 〈自然かつ人為〉としての自然 3 哲学に追いついた歴史 4 非人間的な〈自然〉 第V部 1 現代における自然哲学の条件 2 前-個体的存在と個体化 3 シモンドンと自然の概念 4 〈一〉以上のものとしての自然 第VI部 1 自然概念の第一の局面 2 自然概念の第二の局面 3 〈自然〉のカテゴリーの提示としての自然哲学
  • 七十人訳ギリシア語聖書入門
    値引きあり
    -
    ギリシアが強大な力を持っていたヘレニズム時代。アレクサンドリアの七十二人のユダヤ人たちが、ヘブライ語聖書をギリシア語に翻訳しはじめたという。この通称「七十人訳」が、こそ、現存する最古の体系的聖書であり、「イエス時代の聖書」である。七十人訳聖書とはなにか。なぜ生まれ、いかにしてキリスト教を変えたのか。『七十人訳ギリシア語聖書』の訳者が、長年の研究の成果をわかりやすく解説する。
  • 失格でもいいじゃないの 太宰治の罪と愛
    -
    「生まれて、すいません」「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」「恥の多い生涯を送ってきました」 いくつかの盗作があり、薬物中毒者でもあり、心中事件を繰り返し、最後は妻子を残して愛人と38歳で入水心中を遂げた作家は、今なお多くの読者を惹きつけています。 三島由紀夫に毛嫌いされて、檀一雄を激怒させたが、それでも無視できない魅力を感じていました。 太宰は、ダメな人間であり、ダメな作家であったからこそ、その輝きが永続するのだと、著者は言います。また、現代だからこそ、読まれるべき作家なのだとも。 太宰の作品が持っている、弱者に寄り添う独特な視線、未来志向とはほど遠い、退嬰的なあり方、自堕落なあり方は、私たちが弱々しく生きる自由があり、弱々しくしか生きられない私たちに寄り添う力があるのです。 弱い立場にあった(今なおある)「女」という存在を太宰はどう表現しているのかを、女言葉を使った作品の解読から読み解く「第一章 言語的異装趣味 「女」は文学に何をもたらしたのか」。 戦前・戦後を挟んで、人間でなかった天皇は、「人間」となりました。第一章の議論を受けて、多くの周りの人々を喪失した経験を生き残り(サバイバー)として、生きながらえる時の罪悪感(ギルト)をどう捉えるのかという視点から、作品を読み解く「第二章 人間失格と人間宣言 二人のサバイバース・ギルト」。 そして、「第三章 治りたがらない病人 太宰と三島」では、第二章の議論を受けて、二人の対照的な作家のあり方から、戦後日本における、生き方の困難への立ち向かい方を読み解いていきます。 作家太宰治の魅力を根本から問いなおす一冊です。 【目次より】 序 章 ふたつの失格 第一章 言語的異性装趣味 女生徒の見た世界 第二章 人間失格と人間宣言 太宰治と天皇 第三章 戦後作家のサバイバル 太宰と三島 終 章 私的太宰治論あるいはすこし長いあとがき ほんとうのおわりに 註 主要参考文献 初出一覧
  • 詩としての哲学 ニーチェ・ハイデッガー・ローティ
    4.0
    プラトンによれば、ソクラテスは、「……とは何か」と問うた。「正義とは何か」「美とはなにか」。真理を捉えるための「知性」や「理性」を最も重要な心の働きとする西洋哲学の伝統が、ここから生まれた。 これに対して、本書は、「想像力」を優位におく思想に着目する。イギリスのロマン主義者からはじまって、アメリカのエマーソンに継承され、ニーチェ、ハイデッガー、ローティにつながる系譜である。 真理は定まっていて、「理性」や「知性」は、それをあるがままに捉える能力だとするのが、プラトン的「理性主義」だとすれば、「想像力」とは、新たな見方、捉え方を創造する力である。これをローティは、「詩としての哲学」と呼んだ。 デカルト、カントなど、理性主義の変遷をも検証しつつ、「詩としての哲学」の可能性を問う力作。
  • 島津久光=幕末政治の焦点
    4.0
    時は、幕末がいまだ「政治の季節」であった文久期。幕府の権威が根底から揺らぎ、過激志士らの暴発に朝廷がおびえる中、その動向をもっとも注目された男こそ、島津久光であった。久光の指揮の下、小松帯刀、大久保一蔵、中山中左衛門、堀次郎ら、実力ある藩士たちが、京都の中央政局を舞台にして、幕末の行方を決定づける政争をくりひろげてゆく。史料を丹念に読みこみ、幕末政治史にあらたな光をあてる意欲作! (講談社選書メチエ)
  • 「社会」の誕生 トクヴィル、デュルケーム、ベルクソンの社会思想史
    3.3
    19世紀フランス、二月革命。そこから人は、超越性に包まれた「世界」から「社会」という概念を生成した。神という超越性に包摂された世界から、社会という観念が切り離されたとき、「社会科学」が生まれた。19世紀フランスに生まれたトクヴィル、デュルケーム、ベルクソンという三者を、ひとつの流れとして読み解く、これまでにない「ユニーク」な思想史! (講談社選書メチエ)
  • 宗教からよむ「アメリカ」
    4.1
    モノモン教、アーミッシュ、ファンダメンタリズム……。アメリカはさまざまな「信仰」がせめぎ合う社会である。それらを統合するものとは、いったい何か? 悩みつつも、新たな理念を求めて進む、超大国の意外な姿をあぶり出す。(講談社選書メチエ)
  • 宗教で読む戦国時代
    3.8
    戦国日本人の「見えない宗教性」を解明。なぜキリスト教は拒否されたのか。一向一揆は宗教一揆だったのか。宣教師も驚いた戦国日本人の高度な精神性。その「ゆるやかな宗教性」のバックボーンとしての「天道」思想をキーワードに、一向一揆、キリシタン論争から島原の乱まで、日本人の心性に新たな光を投げかける。(講談社選書メチエ)
  • 終戦後史 1945-1955
    -
    敗戦、GHQによる占領、独立。農民・労働者・女性・子どもの地位向上と、復員・引揚者への冷淡なまなざしという社会的権力関係の逆転。戦勝国に対する敗戦国の屈折したナショナリズムと、大衆にまで浸透するアメリカ型消費文化。自由経済か統制経済か、保守一党優位体制か、政権交代を伴う二大政党制か――。いくつもの国家像を模索し、新しいかたちを選び取っていった転換期日本の歴史空間を再現する。(講談社選書メチエ)
  • 朱子学
    3.7
    中国、朝鮮そして日本においても支配的な思想だった朱子学。「性即理説」「理気二元論」などのキーワードは語られますが、その哲学的な核心を、平易に解説することは、十分になされてきませんでした。本書は、前提となる専門知識なしでわかるように、「学とは」「性とは」「理とは」……と、基本的なところから、朱子学という学問の核心に読者を誘います。(講談社選書メチエ)
  • 〈種〉の超克 生命の再生産とその欺瞞
    3.3
    本書の副題にある「生命の再生産」という言葉を目にするとき、何を思い浮かべるでしょうか。 親から子どもが生まれ、その子どもが成長して親となり、またその子どもが生まれる、という世代の連鎖でしょうか。それとも死者の生まれ変わりとしての生者というようなイメージでしょうか。取り沙汰されることの多い「少子化問題」を思い浮かべる人もいるかもしれません。 出生数の減少が社会に負の影響を及ぼしている、という議論がなされています。そこでは、「生むこと」をしない人が増えたことに危機感を抱き、次世代に対する責任が説かれたり、「生むこと」をめぐる個人を取り巻く環境を整備する必要性が訴えられたりします。 しかし、本書は「生むこと」を「人類の存続」や「社会の繁栄」や「種の繁殖」といった大義のために「当たり前に必要なこと」とは考えません。「人類」や「社会」や「種」を構成する人々の数が増えるか否かという尺度で「生まれること」を意味づける考え方から距離を置き、「生まれること」をそれ自体として意味づけることを試みるのです。そのためには、各々の経験の個別性や唯一性を捨象せず、どのような経験をした人にも共通して開かれた地平で「生まれること」について考えなければなりません。 本当は誰にとっても関わりのある「生命の再生産」という問題をマルクスに立ち戻ってそれ自体として考察する中で、フォイエルバッハや田辺元といった者たちの思考を再検討する本書は、マルクスの思考には今日の重要な課題である「人新世」の始まりやエコロジーに通じるものがあることを明らかにするでしょう。 『高群逸枝の夢』で注目を集めた著者が満を持して放つ渾身の論考がついに姿を現します。 [本書の内容] 第一章「息子たちは父をもたない」 1 誕生以前の生き物は己の生まれる夢を見るか? 2 父でなく、父たること 3 二人のルイ 第二章 資本、父と子、自己増殖 1 算術への反乱 2 自己増殖する怪物 3 再生産論再考 4 「人類の不死性」をめぐる対話 5 「神学者」マルクス 第三章 労働の彼方 1 宿命の名の下に――自然と人間の物質代謝 2 時間の弁証法 3 「自由の国」の必然性 4 労働は永遠に? 5 幽霊的労働 第四章 種と性とフォイエルバッハ 1 二人の「類」(1)――マルクス 2 二人の「類」(2)――フォイエルバッハ 3 種としての個体 4 想像の集合体 5 「超人への橋」、種の終わり 第五章 幼虫の形態学 1 「人間の生成」 2 田辺元、否定のロンド 3 運命の夜、偶然の星 4 種のメタモルフォーゼ 5 出会いの系譜学
  • 唱歌と国語  明治近代化の装置
    3.0
    「蛍の光」「「埴生の宿」から見える明治史。明治という近代化の時代、西洋を受容しあらたな「日本」を模索するなかで、なぜ「歌」が必要だったのか。日本語の「文法」と「唱歌」をめぐる知られざる歴史。(講談社選書メチエ)
  • 『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか
    5.0
    われわれはどのように存在しているのか――人間存在根本の問いに『眼蔵』はいかに答えるか。ヨーロッパ現代思想も凌駕する画期的思想書に気鋭の禅僧が己の実在を賭けて挑む、現代人のための入門書にして決定版。(講談社選書メチエ)
  • 小論文 書き方と考え方
    4.0
    相手に正しく伝わる文章は、どのようにすれば書けるのか。そして「文章を書く」ことの意味とは何か――。論理的ライティングは「異和感」から出発すると訴える著者が長年にわたる教育現場での経験に裏づけられた「書く」ことと「論理的思考」、そしてその相関を鍛え、自分の思いや考えを正確に他者に届ける文章の執筆法を解説する。「自分の言葉を持ってリアルに生きる」ための基本的教養となる小論文術を伝授する実戦型文章読本。
  • 昭和の思想
    5.0
    昭和の思想を包括的に俯瞰する画期的論考。「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「2つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。(講談社選書メチエ)
  • 植物哲学 自然と人のよりよい付き合い方
    5.0
    いとうせいこう氏絶賛! 「新しく繁茂している植物学の葉の先端や根っこを余すところなく紹介しながら、一人の園芸家がヒトと自然の関係を深く掘り進む。目から枯れ葉が何枚も落ちた。」 東畑開人氏推薦! 「とにかく植物がすごすぎる。人間は全然かなわない。園芸家はそのすごすぎる自然と取っ組み合いになりながら、『いのち』の臨床をしていた。」 「人為なき自然は人を癒さない」「人は植物に対してもっと『不真面目』でいい」――。 地球温暖化、SDGs、樹木伐採にオフィス緑化……自然と人間が対立し、自然をめぐって人々が分断される時代に、私たちは植物とどのような関係を築けるだろう。 園芸業界初の植物ケアサービス「プランツケア」を創始していま大注目の「哲学する園芸家」が、その特異な経験から紡ぎ出す、「自然とよりよく生きる」ための言葉と実践!  [目次] はじめに 第1章 園芸二重スパイをめぐって 1 園芸家系に生まれて 2 園芸左翼と園芸右翼 3 園芸二重スパイ誕生秘話 第2章 超越としての植物 1 植物は人を凌駕する 2 超越的寿命 3 超越的身体 4 超越的知性 5 超越的戦略 第3章 園芸とは超越の飼い慣らしである 1 園芸を問い直す 2 飼い慣らし入門 3 プランツケアの哲学 第4章 自然は人を癒すのか 1 自然愛と自然嫌悪 2 自然と人為 3 自然の自然さについて おわりに
  • 真珠湾〈奇襲〉論争 陰謀論・通告遅延・開戦外交
    3.0
    「陰謀論」の系譜、検証作業の迷走。「真珠湾」は隠密奇襲作戦の成功なのか、ルーズベルトの陰謀なのか? 日本の開戦通告の歴史的遅延の犯人は誰なのか? ハル・ノートは最後通牒だったのか? 同時代人の証言からアメリカ側史料までを精査、過剰な政治的意味を負わされた「論争」ここに決着。(講談社選書メチエ)
  • 身体と魂の思想史 「大きな理性」の行方
    4.0
    ニーチェは、19世紀の終わりに「身体はひとつの大きな理性だ」という印象的な表現を残している。近代的な理性による啓蒙が重視された時代背景と対照させて考えるなら、ニーチェは啓蒙主義的な理性を「小さな理性」、それに対抗して到来すべき身体を「大きな理性」ととらえていたと思われる。小さな理性を重視する合理的主体ではなく、生命のはたらきを内蔵する「大いなる理性」としての身体こそ、来るべき20世紀を生きる主体だと見ていたに違いない。 ニーチェに呼応するかのように、フロイトやライヒの「症状」あるいは「性」への着眼から、メルロ=ポンティが示した「受肉した意識」としての身体、さらに認知科学の展開へと、身体の意味が探求されてゆく。20世紀終盤には身体性認知科学が興隆、身体と環境の「あいだ」に拡がる心を見出し、いっぽう脳神経科学は拡張身体の可能性を探ることになる。 本書では、まず(1)フロイトと精神分析の思想、(2)精神分析から派生したライヒの生命思想、(3)サルトルの実存主義における精神と身体をめぐる議論を紹介する。続く20世紀半ばから現在にかけて展開する身体の思想としては、(4)メルロ=ポンティによる身体論と身体性認知科学を取り上げ、その展開として、(5)現代における身体イメージとその病理をめぐる議論、(6)脳神経科学と技術を通じて見えてくる「拡張身体」の姿を見定め、合わせて心の科学に関連する広範囲の文化現象を通じて、人びとの身体と心がどのような未来に向かいつつあるのかを考察するものである。 [本書の内容] 序 章 大きな理性としての身体 第1章 精神分析における身体――フロイトの洞察 第2章 性と聖を結ぶ身体――フロイトからライヒへ、ライヒから現代へ 第3章 身体の思想としての実存主義――サルトルを超えて 第4章 身体を取り戻した心――メルロ=ポンティと身体性認知 第5章 身体イメージと現代――「付き合いにくい存在」か「大きな理性」か? 第6章 脱身体から拡張身体へ――脳科学から見る身体の近未来
  • 身体の哲学 精神医学からのアプローチ
    4.0
    人は皆やっかいな身体を生きている。心と体は別ものではない。互いに交差し合い、しかも他者のからだへと開かれている。拒食症、解離症、境界例などの心-身に関わる病例に依りながら、「こころ」と「からだ」の問題を根底から問い直す。(講談社選書メチエ)
  • 身体の零度 何が近代を成立させたか
    3.4
    纏足(てんそく)やコルセットのような不自然な風習を、なぜ私たちは続けてきたのだろうか。〈私〉をつくりだす源に、何があるのだろうか。謎はみなひとつのところから流れでている――。本書は、東西の豊富な文献を駆使して、泣きかた・笑いかた・行進・舞踊など人間の表情や動作に立ちむかう。そして、身体へのまなざしの変容こそが、近代の起点であることをあざやかに検証する。社会史・思想史のなかに、身体を位置づけた力作。(講談社選書メチエ)
  • 〈実存哲学〉の系譜 キェルケゴールをつなぐ者たち
    4.5
    キェルケゴールがいなければ、ウィトゲンシュタインは『哲学探究』を書けなかった! 西洋哲学の地下水脈を探査する、渾身の思想ドラマ! 「実存」とは、不安や孤独、絶望のなかで、主体的に自己のあり方を自由に決断する人間のことだ。その概念の創始者キェルケゴールは、死後五〇年を経て、ハイデガー、ヤスパース、サルトルらに再発見された。しかし、ソクラテスに連なる〈実存哲学〉の真の後継者は、意外なことにウィトゲンシュタインだった――。 哲学者たちの著作や日記から、彼らの人生を丹念にたどり、キェルケゴールの真意がウィトゲンシュタインの哲学に昇華するまでの軌跡を鮮やかに描き出す。理論ではなく、生き方の根幹に関わる哲学がここにある! 【目次】 プロローグ 凡例 キェルケゴール著作年表 第1部 哲学史の中のキェルケゴール  第1章 実存哲学について  第2章 実存哲学とキェルケゴール 第2部 キェルケゴールの〈実存哲学〉  第1章 〈実存哲学〉遠望  第2章 キェルケゴールの〈実存哲学〉  第3章 著作家活動――〈実存哲学〉の具現  第4章 〈実存哲学〉とソクラテス――「誠実さ」の概念  第5章 〈実存哲学〉と実存哲学 第3部 〈実存哲学〉の系譜――キェルケゴールからウィトゲンシュタインへ  第1章 『論理哲学論考』期  第2章 中間期  第3章 『哲学探究』期  第4章 『哲学探究』とキェルケゴール――〈実存哲学〉の系譜 エピローグ 注 あとがき
  • 実力発揮メソッド パフォーマンスの心理学
    4.5
    能力を直ちに向上させるのもいいが、その前に、自身の力を最大限に発揮するためにはどうすればよいか? 日々のあらゆる局面においての、効果的な目標の立て方、他人との比べ方、アドバイスの送り方・受け方、あがりの手なずけ方を、心理学の知見より裏付けし、パフォーマンス向上への道筋を示す。 あなたの力は、きっとそんなものじゃない――。自己啓発本と一線を画す、 教育心理学の最新の成果に裏付けられた「最強の自分をつくる」ための上質なヒント。
  • 儒教と近代国家 「人倫」の日本、「道徳」の韓国
    4.0
    忠孝、人倫、理想道徳……日韓それぞれの近代思想史! 同じく儒教を政治思想の基盤としながら、日本と韓国はなぜ、異なる近代化の道をたどったのだろうか。伊藤仁斎に代表される近世儒学の人倫論と、水戸学、明治憲法、教育勅語の関係とは。朱子学を柱とする韓国は、いかにして文明開化から戦後の朴正煕大統領の維新憲法にまで至ったか――。両国の近代と政治思想を問い直す画期的論考。(講談社選書メチエ)
  • 自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史
    値引きあり
    4.3
    人間は遺伝子に操られているのか? 宇宙開闢の時点で、その後の出来事は一通りに決まっていたか? 運命はあるのか? 人間と機械は何が違うのか?  こうした疑問はすべて人間の自由意志の問題であり、 デモクリトスからスピノザ、デネットまで、 決定論の哲学史に刻まれている。 ダーウィンや神経科学など自然科学的観点も検討しつつ、 決定論のこれまでとこれからを考える。
  • 情報哲学入門
    3.0
    私たちは「情報」なしで暮らすことはできません。スマホでニュースを確認する、メールやラインをチェックする。改札を電子マネーの端末で通り抜け、車内では画面に映る広告や駅名を見る。そして会社に着けば……といったように、あらゆる場所に、無数の形で情報はあふれています。 では、そもそも情報とは何でしょうか? 一昔前のように言語をモデルに理解するのでは、医療現場での生体反応データから宇宙空間における周波数データまでをすべて「情報」として捉えることはできません。つまり、それが何かをよく理解していないまま私たちは情報なしではありえない生活を送るようになっているのです。 本書は、こうした現状の中で「情報という問い」に正面から取り組みます。カーツワイル、ボストロム、テグマークを通して技術との関係の中で「人間」とは何かを確認し、マカフィーとブリニョルフソン、ズボフを通して社会の中での情報がもつ機能を捉え、フクヤマ、ハラリ、サンデルを通して政治との関わりを考察します。その上で改めて「情報」というものを哲学的に規定し、情報をめぐる課題を整理します。 最先端の議論の見取り図を得られるばかりか、そこから得られる知見を整理し、日常にどう役立てるのかまで示してくれる本書は、これまでになかった1冊と断言できます。 [本書の内容] 序 章 情報という問い 第I部 情報がもたらす未来 第1章 情報と技術の未来 一 カーツワイルのポスト・ヒューマン論 二 ニック・ボストロムのスーパーインテリジェンス論 三 マックス・テグマークの生命システム論 第2章 情報と経済の未来 一 マカフィーとブリニョルフソンによる第二のマシン・エイジ 二 ショシャナ・ズボフの監視資本主義 第3章 情報と政治の未来 一 フランシス・フクヤマと「テクノロジーの政治学」 二 マイケル・サンデルと「守るべき美徳」 三 ユヴァル・ノア・ハラリと「自由主義の擁護」 第II部 情報哲学の現在 第4章 情報の分析哲学 一 第一哲学としての情報哲学 二 機械情報の振る舞いを把捉するための情報概念の再定義 三 情報技術を再定義し、情報化された環境における生の条件を問う 四 知能とは何かを再定義する 第5章 情報の基礎づけ 一 生命情報、社会情報、機械情報 二 情報とは何か 三 情報学が揺さぶる哲学的思考 四 情報論的転回は大文字のパラダイムチェンジか 五 シグナルの存在論、シンボルの存在論 第6章 人工知能の身体性 第III部 情報の実践マニュアル 第7章 世界のセッティング 第8章 社会のセッティング 第9章 「人間」のセッティング
  • 人格系と発達系 〈対話〉の深層心理学
    3.0
    なぜ私は彼を憎むのか? なぜ彼は私を憎むのか? 対立を激化させてきた二つの性格傾向、〈人格系〉と〈発達系〉。それは我々に不信の種を植えつづけた犯人でもあった。本書は心理療法でもある〈想像〉の作業を我々の不信を解きほぐす手がかりとして提示し、二つの〈顔〉が和解に至る普遍的なプロセスを描き出す。太古からヒトの心を捕らえつづけた根源的対立を超えるための深層心理学的実践の書。(講談社選書メチエ)
  • 人口の経済学 平等の構想と統治をめぐる思想史
    値引きあり
    4.0
    かつては「人口爆発」が、そして現代では「人口減少」が、重大な危機として社会に浮上している。 人口が増えたり減ったりすることは、社会においていかなる問題として捉えられてきのか。 経済学の歴史を振り返ると、それは制度や統治という問題圏と常に重なり合いながら論じられてきた。 本書はそれの道のりを、社会思想史の底流にある大きな流れとして描き出す挑戦である。 人口というものは、とりわけ現在の日本において喫緊の問題となっているが、それはわたしたちが社会をいかなるものとして捉え、統治するかという問題と表裏一体となっている。 アダム・スミス、マルサス、ミル、ケインズ――本書でたどる彼らの思想的格闘のあとは、いまわたしたちがまさに直面する危機を考えるにあたり、見逃すことのできない発見をもたらすだろう。 【本書の内容】 序文 第一章 重商主義の時代 人口論の射程の広さとデータ主義の起源 1.はじめに 2.ペティ:人口を測る 3.重商主義と人口 4.おわりに 5.補説:ベーコン主義 第二章 スミスの時代 自由と平等の条件と、経済学の生成 1.はじめに 2.モンテスキュー 3.ヒューム・ウォーレス論争 4.ステュアートとケイムズ卿 5.スミス 6.おわりに 第三章 マルサスと古典派経済学 フランス革命後の統治論の平等論的転回 1.はじめに 2.コンドルセとフランス革命 3.ゴドウィンとフランス革命 4.マルサス 5.リカードウ 6.J・S・ミル 7.おわりに 第四章 ケインズと転換期の経済学 人口減少論の勃興 1.はじめに 2.マーシャル 3.優生学 4.ケインズにおける人口変動 5.成長理論と人口:ハロッドとソロー 6.おわりに 第五章 現代の経済学 人口法則とその統治論的含意 1.はじめに 2.人口転換論 3.現代経済学と人口論 4.世代間所得移転 5.経済の成長と長期停滞 6.おわりに 結語 注 参考文献
  • 神武天皇の歴史学
    3.7
    天皇の初代とされる神武天皇は、生没年はもちろん、その実在さえ定かではない。しかし、伝説上の重要人物として、日本の歴史に大きな影響を与え、論争を呼び起こし、時に政治問題となってきた。天皇陵をめぐる近世・近代史の研究者である著者が、「神武天皇陵」の所在地論争と、橿原神宮の創建を軸に、「歴史学の主題」としての神武天皇に迫る。 初代天皇の墓所「神武天皇陵」は、実は江戸時代になるまで定かではなかった。元禄時代の江戸幕府の調査で、奈良・四条村の塚山に「定められた」のである。しかし、当初からこれには異論があり、幕末期には孝明天皇の意思により、その300メートルほど南の「神武田」に改められ、ここが、現在も天皇が参拝を行う神武天皇陵となっている。一方、国学者の本居宣長らは、畝傍山中の丸山を主張して根強い支持を得ており、明治期になっても「疑念」はくすぶり続けた。さらに、水戸学の巨頭・徳川斉昭、寛政の三奇人・蒲生君平、幕末の能吏・川路聖謨、明治大正の文人画家・富岡鉄斎らの見解もみていく。 また、神武天皇を祀る橿原神宮の創建と隆盛に尽力し、のちに決裂した民間勤王家・奥野陣七の生涯や、明治期に「神武天皇祭」に冷徹な目を向けたお雇い外国人にも注目し、「紀元節」から「建国記念の日」へと、現代にいたる「神武天皇」と日本社会をとらえ直す意欲作。 目次 序章 現代の神武天皇 第一章 三ヵ所の神武天皇陵 第二章 幕末動乱と神武天皇陵 第三章 奈良奉行所与力の結論 第四章 文久の修陵 第五章 明治天皇の親祭 第六章 橿原神宮と民間結社 第七章 消えない疑念 終章 紀元節から「建国記念の日」へ
  • ストリートの美術 トゥオンブリからバンクシーまで
    -
    ストリート・アートとはなにか? 美術品となったサイ・トゥオンブリから、路上に名前を書き、消され、書き換え、書き換えられる街中のエアロゾル・ライティングへ、そして高値で取引される匿名作家バンクシーの作品まで。都市・美術・ストリートという三つの切り口から、さまざまな作家・作品を参照しながら、ストリートの本質と、その面白さについて語る。バンクシー展をより楽しむために!
  • スパルタを夢見た第三帝国 二〇世紀ドイツの人文主義
    4.0
    ヒトラーは、古代スパルタを「歴史上、最も明らかな人種国家」として称揚した。優生学に基づいた人種主義政策をはじめ、いわゆる「スパルタ教育」に範をとった教育政策、「北方人種」神話、さらに「祖国に殉ずる死」の美化にいたるまで、第三帝国の政策には、さまざまな形でスパルタが影を落としている。「スパルタ」は国家社会主義者にとって一種の合言葉であった。 日本ではほとんど紹介されることのなかった、第三帝国におけるスパルタ受容の諸相を明らかにし、そのような事態を前に、人文主義者と呼ばれる古代ギリシア・ローマの学者たちが、ナチズムとどのように対峙したのかを描き出す、かつてない試み! 「優れた詩人、哲学者、音楽家を輩出した文化大国のドイツが、なぜナチズムのような危険思想の台頭を許したのか?」 第二次世界大戦後にナチス・ドイツの蛮行が明らかになって以来、いまだ答えの出ない問いである。 著者は、ドイツ人が18世紀後期以降、古代ギリシアに抱いた特別な愛着にその答えを求める。日本がユーラシア大陸の高い文化を輸入して自国の文化や国家を形成していったように、ドイツは、古代ギリシア・ローマを熱心に探究することで、独自の文化や国家を形成していった。これらの研究・教育に携わる人々は「人文主義者」と呼ばれた。 失業と貧困に喘ぐヴァイマル共和国の下、古代ギリシアに対するシンパシーのモデルが、アテナイからスパルタに転じた時、人文主義者たちにも大きな転換点が訪れる。彼らは、スパルタを模範に据えたナチズムといかに向き合ったのか。研究に没頭することで傍観した者、人文主義存続のために協調した者、学問の自由を賭けて抵抗した者――三人の人文主義者の生き方を通して、人文主義とナチズム、さらに学問と国家のかかわりを問い直す意欲作! 【本書の内容】 序  第1部 人文主義者とナチズム――傍観、協調、抵抗 第一章 傍観:イェーガー――「政治的な人間の教育」 第二章 協調:ハルダー――人間性の擁護から人種主義へ 第三章 抵抗:フリッツ――「学問・大学の自由」の擁護 補 論 古典語教師の往復書簡に見るナチズムへの傍観  第2部 第三帝国におけるスパルタの受容 第一章 スパルタについて 第二章 ナチズムの世界観・政策とスパルタ 第三章 第三帝国のスパルタ受容に対する国外での賛否 第四章 第三帝国のスパルタ受容に対する国内での批判  第3部 第二次世界大戦後の人文主義者 第一章 イェーガー――人文主義からキリスト教へ 第二章 ハルダー――人種主義からオリエンタリズムへ 第三章 フリッツ――「学問・大学の自由」の擁護から啓蒙主義へ 結 語 注/文献目録/初出一覧  あとがき
  • 聖書入門
    値引きあり
    4.3
    アダムとエバ(イブ)の創造、「ノアの箱舟」、「バベルの塔」、シナイ山でモーセが神と交わした「十戒」など、旧約聖書にはよく知られた逸話が数多く登場します。また、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる四つの「福音書」に始まる新約聖書も、「最後の晩餐」、イエスの処刑など、印象深い記述に事欠きません。 しかし、旧約と新約を読破したことのある人は、どれくらいいるでしょうか。クリスマスに代表される聖書に基づくイベントになじんでいる日本人の多くにとって、聖書そのものは決して身近なものではないと言わざるをえないのではないでしょうか。そして、そのことはキリスト教文化圏であるフランスでも近年は変わりないようです。 本書は、そのような現状を前にしたパスカル研究の第一人者が、一般の読者のために書き下ろした概説書です。旧約・新約を構成するすべての書を万遍なく紹介するとともに、重要なエピソードや預言者などの主要人物については別個に取り上げて分かりやすい説明が加えられます。その上、それぞれの書が西洋文化の中でどのように用いられ、息づいているかが、文学、絵画、音楽、演劇、映画など、多彩なジャンルの具体的な作品を通して示されます。ブリューゲルの《バベルの塔》、ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》、バッハの《マタイ受難曲》など、有名な作品のみならず、西洋には聖書に想を得た作品が無数にあることを知れば、聖書がもつ力の広大さと奥行きを実感することができるでしょう。 フランスの碩学がガイドを務める聖書の旅へ、一緒に出かけましょう!
  • 〈精神病〉の発明 クレペリンの光と闇
    -
    臓器と違って目には見えない精神の疾患を、はじめて分類・体系化し、〈精神病〉を発明したエミール・クレペリン(1856-1926年)。無意識を発見したフロイトと偶然にも同じ年に生まれ、フロイトと並んで現代精神医学の基礎を築きながら、その名は忘却され、彼が築いた分類と体系だけが、所与であるかのように、世界中で広く使用される診断マニュアルの土台となっている。 冷酷非情である一方、純粋で情熱的な面もあわせ持つ複雑な人物の半生を辿り、葛藤と煩悶を繰り返して生み出された体系の功罪を描き出す。精神医学誕生秘史! 「汝が名は忘却の淵に沈めども その業績は永遠なり」――。クレペリンが眠るハイデルベルクの墓碑にはそう刻まれている。 心臓や肝臓などの内臓の疾患は、その器官の病変や症状から、病を特定し治療にあたることができる。しかし、どこでどのような異常が生じているのか目で見ることのできない精神の疾患は、何をもって同じ病、あるいは違う病であると診断し、治療にあたるのだろうか。 同じ症状を呈しているからと言って、同じ病とは限らず、まったく違う症状でも同じ病ということもありうる。そもそも分類自体が可能かどうかさえ疑問だった時代に、悩みながらもそれらを分類し、体系化した人物こそエミール・クレペリンにほかならない。その成果は今、日本はもちろん世界でも広く使用されているDSM‐5やICD‐10と呼ばれる精神疾患診断マニュアルの土台となった。目に見えない精神の病を分類・体系化することで、言わば「精神病」を発明したともいえる。 奇しくも無意識を発見したフロイト同年に生まれ、フロイトに匹敵する影響を残しながら、フロイトとは対照的に、皮肉にも墓碑銘のとおりその名が忘却されたクレペリン。その「発明」は葛藤と煩悶のうちになされ、晩年には、それまでとまったく違う方向を模索しさえしていた。 またドイツ留学中の斎藤茂吉を冷たくあしらい傷つけたクレペリンは、ユーモアを介さない陰鬱な人物として語られてきた一方、その自伝をひもとけば、少年のような純粋さと情熱も秘めている。 今や自明のもののように扱われている診断基準は、一体どのような人間がいかにして創り上げたものなのか。クレペリンの半生をたどりつつ描かれる、知られざる精神医学誕生の歴史。 【本書の内容】 はじめに――なぜ、いま、クレペリンを問うのか 序 第1章 誕生と助走(一八五六―九一年) 第2章 創造と危機(一八九一―一九一五年) 第3章 静かなる浸透(一九一五―二六年) 第4章 〈精神医学〉制作あるいは〈精神病〉発明の途上にて(一九二六―八〇年) おわりに
  • 精神分析と自閉症 フロイトからヴィトゲンシュタインへ
    4.5
    フロイト、ヴィトゲンシュタイン、自閉症理解の変更を迫る画期的試み! 永らく精神分析の「躓きの石」であった自閉症。両者の不幸な出会いを、フロイト思想の原点「心理学草案」に戻ることによって解消し、さらにはヴィトゲンシュタインの思考を媒介に、新たな自閉症理論を構築する。(講談社選書メチエ)
  • 精読 アレント『全体主義の起源』
    3.5
    ハンナ・アレントの主著が『全体主義の起源』であることに異論はない。ところが、全三部から成るこの大著を愚直に読み、その構成や論の展開を跡づけた研究は今日に至るまで存在していない……。邦訳書が改訂を加えられたドイツ語版を底本とする中、本書は初版である英語版を順序どおりに精読する試みである。ナチズムとスターリニズムという20世紀がもたらした最大の謎にして災厄に取り組んだ大著の全容が、ついに明らかになる。(講談社選書メチエ)
  • 精読 アレント『人間の条件』
    3.8
    ハンナ・アレント(1906-75年)の『人間の条件』(英語版1958年)は、「人間」とは何か、とどまるところを知らない科学と技術の進歩は人間をどう変化させるのか、といった課題を考える際に不可欠の書として多くの人によって手にされてきた。待望の新訳(講談社学術文庫)刊行に際し、その訳者を務めた第一人者が決定版となる解説書を完成。定評ある『精読 アレント『全体主義の起源』』(講談社選書メチエ)の姉妹篇。『人間の条件』全6章のエッセンス、その背景や可能性を徹底解説! 【本書の内容】 序 章 マルクスと西洋政治思想の伝統 1 古典的政治哲学の成立 2 ソクラテス 3 存在への問いとプラトン 4 近代の転換 5 自然と人間の物質代謝 第I章 観照的生活と活動的生活 1 アウグスティヌスと古代世界の没落 2 不死と永遠 第II章 公的なものと私的なもの 1 アテナイにおける古典的ポリスの成立 2 古代における公私の区分 3 社会的なるものの勃興 4 公的領域の光の喪失 5 私有財産の意味 6 公私の区分の意味 第III章 労 働 1 「労働」と「仕事」 2 「世界」と労働、仕事の位置 3 人間の生と労働の意味 4 労働と生産力 5 私有財産の源泉としての労働 6 労働の労苦からの解放は何をもたらすか 7 大衆消費社会という不幸 第IV章 仕事と制作 1 産業革命における「消費」の無限拡大 2 制作過程の変容 3 功利主義批判 4 工作人と交換市場 5 世界の永続性と芸術 第V章 行 為 1 第二の「出生」 2 行為と人間事象の脆さ 3 ギリシア人の解決としてのポリスと「権力」概念 4 ヘーゲルからマルクスへ 5 行為の代替としての制作 6 人間関係を修復する「奇蹟」としての「許し」 7 行為の「予測不能性」に対する救済としての「約束」 8 自然過程への「行為」の介入 第VI章 近代の開幕と活動力のヒエラルキーの転換 1 近代の起点 2 ガリレオによる望遠鏡の発明 3 近代数学と経験からの解放 4 デカルトの懐疑 5 デカルト的内省と共通感覚の喪失 6 観照と活動の伝統的なヒエラルキーの解体 7 制作から過程へ 8 「工作人」の敗北と功利主義の限界 9 労働と生命の勝利 10 展 望
  • 聖なる王権ブルボン家
    4.7
    内戦を勝ち抜いたアンリ四世。実母と抗争するルイ十三世。「太陽王」ルイ十四世。愛人たちに溺れたルイ十五世。そして断頭台の露と消えたルイ十六世。強き王と華麗なる人間模様が織りなすフランス絶対王政の栄華と自壊を活写する。(講談社選書メチエ)
  • 「生命多元性原理」入門
    4.0
    なんで地球にはこんなやたらに生き物がいるんだろう? 遺伝、発生、進化……なんでこんな複雑なシステムができたんだろう? それには深いわけがある! 「多様性」をキーにして、DNA組換えやエビジェネティクス、進化や発生の原理など、最先端生命科学のキモを明快に解説。さらに、最新の生命像と現代思想との共鳴を発見しながら、根源的な「多元性」の原理へと読者を誘う。トップランナー研究者による驚異の生物学入門!
  • 世界システム論で読む日本
    3.0
    ウォーラーステインを超えて「日本近代化の謎」を解明! 世界の近代化はいかに成しとげられたのか。なぜ日本だけが、非西洋世界でいち早く近代化をとげたのか。ブローデル・ポランニーの理論を包摂し、ウォーラーステインを超えて展開する、画期的世界システム論。(講談社選書メチエ)
  • 世界史の図式
    3.0
    七つの地域世界と「優位勢力」の移り変わりから、歴史の大きな「図式」と「流れ」を掴む「世界史再入門」。世界史とは、七つの地域世界が、時代によって「支配する側」と「支配される側」とに分かれ、興亡を織りなす過程である。まず、ランド・パワーを拡大させた中東地域が、その後、シー・パワーを展開したヨーロッパが、20世紀には、エア・パワーを手にしたアメリカが覇を唱える。自然環境も視野に入れ、今後の展望まで語る。
  • 世界の小国 ミニ国家の生き残り戦略
    3.2
    ツバルのドメイン名ビジネス、バハマのオフショア金融センター、ルクセンブルクの欧州外交戦略……。大国ではありえない個性的でしたたかな国家運営をする小さな国々。最高の政治的贅沢か、それとも国際社会のお荷物なのか? 世界の国家数の2割強を占め、今後も増え続けるであろう小国の魅力と、小ささゆえの有利性と不利性を国際関係論のエキスパートが論考する。(講談社選書メチエ)
  • 世界のなかの日清韓関係史 交隣と属国、自主と独立
    3.7
    日清韓――利害と政治の歴史を照射する! 朝鮮半島は、東アジアの国際関係史を考えるうえで、きわめて重要な位置を占めている。16世紀の東アジア情勢から説き起こし、江戸時代の「日朝交隣関係」と「清韓宗属関係」の併存、19世紀後半の「属国自主」を検証。そのうえで、近代の日清韓の利害対立、国際関係の行方を追う力作。日清、日露戦争にいたる道とはなんだったのか、大きなスケールで描く。(講談社選書メチエ)
  • 戦国大名の「外交」
    4.9
    戦国大名たちは合戦だけをしていたわけではない。 和睦や軍事同盟、領土交渉という「外交」を、活発に行って戦国時代を生き抜かんとしていた。 武田信玄・今川義元・北条氏康による名高い「甲駿相三国同盟」の成立の舞台裏をはじめ、文書と交渉者「取次」が飛び交う、外交の現場を生々しく描き出す。 最新の戦国期研究の成果がここにある! (講談社選書メチエ)
  • 戦国大名論 暴力と法と権力
    5.0
    戦国時代、大名の配下にありながら、「家中」と「領」をもつ者がいた。戦国領主と呼ばれる存在である。大名の生命線は、彼らをいかに統制するかにあった。暴力の時代にあって、いかに支配を安定させたのか。暴力と法のせめぎ合いから、新しい権力が誕生した。群雄割拠の時代を権力論の視点から読み直す。(講談社選書メチエ)
  • 戦国日本の生態系 庶民の生存戦略を復元する
    3.7
    戦国時代の主役は大名でも武将でもない! ヒトとモノのエコシステム=生態系が、中世日本のダイナミックな変動を生み出した! 戦乱が多発したのみならず、寒冷化という気候変動もあって、当時の列島は生物種としてのヒトにとって、きわめて生存が厳しい環境であった。 そのような「戦場」を、庶民たちはどのようにしてサバイバルし、時代を動かしたのか? 本書は、戦国日本とはいかなる時代であったのかという問いに対し、庶民の主体的な行動が歴史の動因であったことに注目して、ひとつの答えを示そうという試みである。 海・山の動植物が織りなす生態系と、そこから恵みを得て生活を営む人々の社会システムを一つの系としてとらえ、戦国の動因を描き出す、斬新な〈生態学的アプローチ〉による中世史像! 【本書より】 考えてみれば、信長や秀吉など英雄たちが「新しい世の中」をつくるために行ったとされるさまざまな政策やドンパチやった戦争は、結局のところ、庶民がそれに従ってくれたからこそ成り立っており、また、庶民が生業を営む中で生産し供給するさまざまな財やサービスを消費することで成り立っていた。徴税は庶民が納税してくれるからこそ可能だし、戦争は庶民が食糧や武器などを生産し供給してくれるからこそ可能である。 【主な内容】 はじめに たくさんの「久三郎たち」の歴史 序章 生存戦略、生態系、生業――越前国極西部 第一章 山森林の恵みと生業ポートフォリオ――越知山  山森林の生態系の恵みと多様な生産/資源分配をめぐるせめぎあい/柴田勝家と森林史の近世化 第二章 「海あり山村」の生存戦略――越前海岸  生業は海岸部だけで完結しているか/海の生態系のさまざまな恵みと技術革新/行政権力が生業技術を求める 第三章 工業も生態系の恵み――越前焼  大量生産化と資源分配―考古学的知見が語る生産戦略/売る、組織整備、新アイテム――記録が語る生産戦略と近世への助走 第四章 戦国ロジスティクス――干飯浦と西街道敦賀   馬借たちの生存戦略と競争/水運業者たちの生存戦略と広域的な経済構造 終章 「久三郎たち」の歴史、ふたたび 凡例 参考文献 注
  • 戦国日本を見た中国人 海の物語『日本一鑑』を読む
    3.8
    16世紀半ば、戦国時代の日本をルポルタージュした中国人がいた。その後すっかり忘れ去られていた貴重な記録『日本一鑑』には、いったい何が書かれているのか。明清時代の中国を、ユーラシアの陸と海から大きな視点でとらえた著作で高く評価される著者が、日本の戦国時代を描き直す意欲作。 1523年、戦国日本の有力者、大内氏と細川氏が日明貿易をめぐって争い、中国の港町を争乱に巻き込んだ「寧波事件」は明朝に衝撃を与えた。密貿易と倭寇への対策に悩む朝廷の命を受けて、日本の調査のために海を渡ったのが、『日本一鑑』の著者、鄭舜功である。「凶暴、野蛮な倭人」という従来の先入観にとらわれない鄭舜功の視線は日本の武士から庶民におよぶ。生活習慣や日本刀の精神性、切腹の作法、男女の人口比など多岐にわたって、凶暴なるも礼節を重んじ、秩序ある日本社会を描いている。 また、日本さらに畿内への詳細な航路の記録は、当時の日本の政治・軍事状況を映し出す。九州の東西どちらを通るのか、瀬戸内航路か太平洋航路か――。しかし、大きな成果をあげて帰国した鄭舜功には、過酷な運命が待っていたのだった。 本書によって、日本の戦国時代は、応仁の乱から関ヶ原の合戦へという「陸の物語」ではなく、実は日本からの銀の輸出と海外からの硝石・鉛の輸入を主軸とする「海の物語」であったというイメージが、新たに像を結んでくるだろう。 目次 はじめに─―忘れられた訪日ルポには何が書かれているのか 序 章 中世の日本を俯瞰する 第1章 荒ぶる渡海者 第2章 明の侠士、海を渡る 第3章 凶暴なるも秩序あり 第4章 海商と海賊たちの航路 終 章 海に終わる戦国時代 あとがき
  • 選書日本中世史 3 将軍権力の発見
    4.5
    選書日本中世史 第3弾! 公家政権と武家政権と寺社勢力……室町幕府の傑出した統治構造とは!? 室町幕府にできて、鎌倉幕府にはできなかったこと。それは、「太平の世」前夜の、動乱の続く地方に対して中央政権として安定的に君臨することである。そのために室町幕府が考え出した統治構造とは? 自明のものとされてきた将軍の主従性的支配権に一石を投じ、天皇・公家の持つ力の本質を検証することで、明らかになった将軍権力とは、いったいどんなものだったのか? 「わかりにくい中世をどうわかりやすくするか」の大問題に真っ向から挑む、刺激に満ちた1冊。(講談社選書メチエ)
  • 戦場に舞ったビラ 伝単で読み直す太平洋戦争
    3.0
    「君達の指導者は嘘つきだ!」「馬鹿共眼ヲ醒マセ」。兵たちの太平洋戦争。「死戦を越えて誤戦となり」、「日海空軍は何処へ行つたのだらうか」、「日本降伏せり」――。太平洋戦争で撒かれた無数の伝単=宣伝ビラ。ビルマで、フィリピンで、沖縄で兵士は伝単に何を思ったか? 日米「情報戦」の実態を分析しつつ、兵それぞれにとっての「戦争」を明らかにする。(講談社選書メチエ)
  • 戦前昭和の国家構想
    3.5
    関東大震災の三年後に始まった戦前昭和とは、震災復興=国家再建の歴史だった。社会主義、議会主義、農本主義、国家社会主義という四つの国家構想が、勃興しては次の構想に移っていく展開の過程として、戦前昭和を再構成する! (講談社選書メチエ)
  • 銭躍る東シナ海 貨幣と贅沢の一五~一六世紀
    4.5
    〈共進化する東アジア史を、貨幣という視点から捉える!〉 「ちかごろ北京城の内外で人々は贅沢を好み、貴賤を問わず、みな金襴や宝石を身に着け、服装がみずからの分限を甚だしく越え、どの宴席でもいつも盛りだくさんの料理や菓子などが並べられ……」 15世紀後半、明の都・北京では人びとが競って贅沢にふけるようになった。奢侈の風潮は、さらに朝鮮半島、そして日本列島にも伝播し、絹製品や陶磁器・金銀・珠玉などの「唐物」が東シナ海を盛んに行き交うこととなる。 大陸・半島・列島にわたる「贅沢の連鎖」はなぜ起こったのか? それは単なる偶然ではなく、また各地域内の単一事象だけでも決して説明がつかない、世界史的事件であった! これまで日本史の枠内で捉えられていた応仁の乱前後を画期とする日本列島の経済成長も、日朝交易が過熱化し半島から列島へ流れ混む朝鮮綿布、琉球を経由した唐糸・青花の流入といった多地域にわたる国際交易の活況と切り離して考える事ができない。 中世日本の経済成長、私鋳銭の流通や石高制への変化などの事象も、東アジア各地の経済成長と連動したものであった。 本書は、中国・朝鮮・日本の経済変動が相互に影響を与え合い、複数の起点からなる共時的な歴史変動がいかに生起するかを探る試みである。 【本書より】 総じて、およそなんの関わりもないように思われてきた東アジア各地の個々の事象が互いに関連し合い、やがてひとつの大状況(東アジア大での経済成長、日本銀の登場、倭寇的状況など)を創出し、さらにその大状況が多数の事象を派生させるとともに、これらの事象によってふたたび変容する、そのような歴史過程を描き出すことが本書の目的である。いままで意識されなかった歴史の「流れ」を見出し、その生成・展開を跡づけることを通して、この時期の中国史・日本史そして東アジア史をめぐる既存の認識とは多少なりとも違ったストーリーを提示できればと考えている。 【主な内容】 第一章 贅沢は連鎖する ─明・朝・日の経済成長 第二章 悪銭と悪貨─ 巻き起こる通貨変動 第三章 そして「倭銀」があらわれた 第四章 活況と騒乱の東アジア─ シルバー・ラッシュがもたらしたもの おわりに ─ 「唐物」と「夷貨」:東アジア史を動かす“モノ”
  • 善悪は実在するか アフォーダンスの倫理学
    4.0
    環境の中の存在という視点をもって、近代以降の哲学、心理学で主流をなしてきた認識論と存在論に再考を促すほどの大きなインパクトを与えたアフォーダンス理論。その革新性は、価値や意味を主観の中の観念のようなものから、環境に実在するものとして捉えなおすという、大きな転回を倫理学に引き起こすものでもあった。「善悪は主観的なもの」という現代の常識を乗り越え、道徳の根源を見つめなおす試みが、いまここに始まる! (講談社選書メチエ)
  • 禅 沈黙と饒舌の仏教史
    -
    禅はどのように言葉と対峙してきたのか。仏教史から読み解く、「語り得ぬもの」の伝承。
  • 創価学会 現代日本の模倣国家
    値引きあり
    4.7
    【なぜ彼らは献身し、国家を模倣するのか?】 20年にわたるフィールドワーク、その成果のすべて。 ----- 「絶対に『人間革命』をお読みなさいよ。全部本当なんですから―ウソじゃないの!」(2007年9月14日早朝、著者と古参の婦人部員との電話より) ----- 創価学会の信者として生きるとは、どういうことか。 彼らはなぜ、いかにして、池田大作の言動を聖典としてきたのか。 「広宣流布」に生活を捧げる者、教義の学習と教育に献身する者、あるいは、信者家庭に生まれ育ち苦悩する者…… 二〇年以上にわたって創価学会員コミュニティに分け入り、彼らと交流を重ねたフィールドワークの成果と、文献資料を渉猟しての綿密な理論的分析が、ここに結実した。 国内八〇〇万世帯・海外二〇〇万人以上とも謳われる信者を擁し、「人間革命」を標榜するこの宗教組織が、日本社会にとってどのような意味をもつのか。それを知るための、必読書! 米ノースカロライナ州立大学教授である著者は、20年以上にわたって創価学会を歴史学的かつ民族誌学的に研究してきた。 本書は、文献資料を通しての分析にとどまらず、信者たちと直接顔を合わせ、コミュニティに身を投じて調査を行う参与観察を精力的に重ねた成果が、本書として結実した。 牧口常三郎による創価教育学会の設立から、戸田城聖、池田大作のもとで拡大してきた組織の構造と発展、小説『人間革命』や「聖教新聞」といったメディア展開、創価大学に代表される教育機関の設立、そして公明党という政党……創価学会という存在の全体像を、理論的分析と丁寧なフィールドワークによって明らかにした、圧倒的達成。 【本書「はじめに」より】 本書に登場する学会員たちは友人だ。何やら中立性を醸し出そうとする不誠実な試みである「情報源(インフォーマント)」という用語を私は拒否する。(中略)私の分析は当然ながら、自分が学会員たちと築いた個人的なつながりに彩られているが、私は絶えず、創価学会に対して共感はしつつも批判的な視点を保とうとしてきた。 【本書の内容】 はじめに 第一章 模倣国家としての創価学会 第二章 知的協会から宗教へ――創価学会の歴史 第三章 創価学会のドラマチックな物語【ナラティブ】 第四章 正典への参加――新宗教における聖典の形成 第五章 若者の育成――標準化教育を通じた師弟関係 第六章 良妻賢母と改宗の歩兵たち おわりに 監修者あとがき *2019年 University of Hawai‘i Press 刊行の、"SOKAGAKKAI’S HUMAN REVOLUTION" の邦訳書です。
  • 総決算 対日戦犯裁判
    -
    第一線の研究者が結集! 日本軍への「裁き」は、平和創造の礎となったか? 事実に光をあて、全体像を一望し、いまこそ考える。 日本軍の行為はいかにして戦争犯罪として特定され、 連合国と関係諸国はどのような思想と仕組みのもとで被告人たちを裁いたか。 東京裁判から各地で行われたBC級裁判までの全体像を、各国現地に所蔵される一次資料を探索・収集・分析することで明らかにし、あらゆる立場からの議論に資する「実像」を浮かび上がらせる。 対日戦犯裁判の歴史的な「成果と課題=バランスシート」が、この一冊の中に示される! 【本書「はじめに」より】 日本による侵略や残虐行為の責任問題を放置せず、被害者が直面した恐怖やその最期の「真相」を明るみに出し、事件に関与した個人の刑事責任を追及する意義があった。しかし、その一方で、「勝者の裁き」の形により、また侵略犯罪(先の「平和に対する罪」)など事後法によって敗者を断罪したとして、その公平性に疑義が呈された。こうした戦犯裁判をめぐる光と影は、裁判後に忘却され、なかったことにされることなく、国際社会はこれら「弱点」を克服すべく、法と制度の改革に向けて模索を続けてきた。本書では、戦争犯罪とその処罰に関する「過去と現在」、歴史的なコンテクストと今日的状況を視野に入れながら、対日戦犯裁判の歴史的な位置、その意義と限界について考えてみたい。 【本書の内容】 はじめに 永井均 第一章 東京裁判 戸谷由麻 第二章 ニュルンベルク裁判 芝健介  コラム 戦争犯罪問題をみる視点・1 東京裁判へのまなざし 吉田裕 第三章 アメリカ裁判 林博史/岡田泰平 第四章 中華民国裁判 伊香俊哉 第五章 イギリス裁判 林博史 第六章 オーストラリア裁判 林博史 第七章 フランス裁判 難波ちづる 第八章 オランダ裁判 リセッタ・シャウーテン[高取由紀訳] 第九章 フィリピン裁判 永井均  コラム 戦争犯罪問題をみる視点・2 戦犯裁判と通訳 武田珂代子 第一〇章 ソ連裁判 富田武 第一一章 中華人民共和国裁判 大澤武司 第一二章 上官責任と実行者責任 戸谷由麻 第一三章 戦犯裁判と日本の旧植民地問題 内海愛子  コラム 戦争犯罪問題をみる視点・3 戦犯裁判と性暴力 林博史 第一四章 戦争犯罪法の発展と国際刑事裁判 東澤靖 第一五章 国際刑事裁判所と日本 尾﨑久仁子  コラム 戦争犯罪問題をみる視点・4 戦争犯罪と核兵器 真山全 おわりに 永井均 資料 関連年表
  • 創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで
    値引きあり
    4.1
    「創造」と「狂気」には切っても切れない深い結びつきがある──ビジネスの世界でも知られるこの問題は、実に2500年にも及ぶ壮大な歴史をもっている。プラトン、アリストテレスに始まり、デカルト、カント、ヘーゲルを経て、ラカン、デリダ、ドゥルーズまで。未曾有の思想史を大胆に、そして明快に描いていく本書は、気鋭の著者がついに解き放つ「主著」の名にふさわしい1冊である。まさに待望の書がここに堂々完成!
  • 創造の星 天才の人類史
    -
    魔女狩りの嵐が吹き荒れる15世紀から、「魔術」と「科学」が分岐する17世紀、その結果として「非理性」が噴出を始める18世紀を経て、ベートーヴェンの《第九》で開始され、ヴァーグナーの《ニーベルングの指環》を生み出す19世紀、そして「非理性」を特異な形で先鋭化させたナチスを登場させた20世紀へ──。第一級の精神科医が放つ、500年間に及ぶヨーロッパ精神史!
  • 創造論者vs.無神論者 宗教と科学の百年戦争
    4.0
    宗教と科学の長い戦争、なかでも、それぞれの陣営の最も過激な人々である創造論者と無神論者の戦いは、21世紀に入ってますます過熱している。それは、抽象的・理論的な戦いではなく、教育・医療・福祉・行政といった現実をめぐる戦いでもある。本書は、おもに欧米で激しく展開する両者の戦いに密着し、信念をぶつけ合う人間たちのドラマを描き出す。 サッカーの神様・マラドーナを祀る「マラドーナ教会」、『スター・ウォーズ』に感化され、宇宙の平和と正義のために戦う「ジェダイ教」、「空飛ぶスパゲッティ・モンスター」なる異様な創造主を崇める「スパモン教」。乱立するこうした「パロディ宗教」は、近年台頭する創造論への反抗であり、「そもそも宗教とは何か」という根本的な問いかけである。 100年前のテネシー州で、進化論教育の是非をネタに企画された「町おこしのための茶番」が、文字通りの死闘となった「猿裁判」。2005年のカンザス州で開かれた公聴会では、20名以上の科学者・知識人が進化論を否定し、公教育に創造論を組み込むように訴える。そして、「穏健な信仰者」も敵とみなす「新無神論者」の登場で戦場は拡大し、戦いは激化する。 ヒトゲノム解読に成功したコリンズ博士の信仰と友情、新無神論を代表するドーキンスが到達した意外な宗教観、さらに、これから展開する戦いの見通しは――。 目次 序章 本書を導く十の信念 第1章 パロディ宗教の時代――銀河の騎士とモンスターの逆襲 第2章 猿の町のエキシビションマッチ 第3章 ポケモン・タウンの科学者たち 第4章 四人の騎士――反撃の新無神論者 第5章 すべてがFになる 終章 宗教と科学の次の百年 あとがき
  • 僧兵=祈りと暴力の力
    3.0
    祈りによって人々に安心と喜びをもたらす、仏法の徒たる僧侶たち。しかし、中世という時代がはじまるにつれて、彼らの中には武器をとって、合戦を引きおこし、人々に恐怖を与えた者たちがあらわれた。暴力と祈りの力をあわせもつ彼らは、いかなる原理のもとに行動したか。比叡山延暦寺を舞台に、多彩な「悪僧」たちが跋扈し、「冥顕の力」をもって世俗権力、社会とわたりあう姿を描き出す! (講談社選書メチエ)
  • 卒業式の歴史学
    4.4
    「最高の卒業式」を目指し、教師と生徒が努力を重ね、みんなでともに歌い、感動し、涙する「感情の共同体」が達成される――。この、日本独特と言える「儀式と感情との接合」は、いついかにして生まれたか。涙の卒業式、この私たちにとって当たり前の光景の背景には、明治初期以来の学校制度構築の歴史が横たわっている。日本の近代と教育をめぐる、まったく新しい探究! (講談社選書メチエ)
  • 贈与の系譜学
    -
    何かを贈ること、プレゼントすることは、日常誰もが行っている。本書は、この「贈与」という行為に注目し、それがどこから生まれ、どのような機能をもってきたのかを探り、いかに人間の本質と結びついているのかを明らかにする。 贈与の起源を遡れば、それは〈宗教的なもの〉の発生と不可分だと考えられる。みずから働いて産み出した富――遊牧民や牧畜民なら羊など、定住農耕民なら小麦や葡萄などを「犠牲(サクリファイス)」として神々や精霊に捧げること。そこには祝祭の空間が生まれ、やがてそれは共同体を支える制度となった。これは現在も「祭り」として目にすることができる。 一方で、贈与は他の人に何かをプレゼントすることとしても現れる。歴史を振り返ると、その源には窮境にある人に自分の富や財産を贈る行為がある。これは今も「寄付」などの行為に見られるものであり、美徳とみなされることが多い。 このように、太古の昔から現代に至るまで、人間は贈与という行為に価値を見出してきた。では、なぜ贈与には価値があるのかといえば、自分にとって大事なものを手放して与える行為だからである。ところが、誰にとっても最も大事なものとは何かといえば、自分に固有のもの、自分の唯一のものだが、それは手放してしまえば自分が自分でなくなるものであり、つまりは原理的に贈与できないものだと言わざるをえない。これを逆から見れば、贈与できるものとは「交換可能なもの」であることになる。それゆえ、いかなる贈与も時間が経つうちに「見返り」を暗に要請するものとなり、「交換」になってしまう。 だとすれば、純粋な贈与とは不可能なのか。不可能だとすれば、そもそも贈与という行為の価値そのものが揺らいでしまうのではないか――。 本書は、数々の定評ある著作をものしてきた著者が長年にわたって取り組んできたテーマを正面から取り上げた、「集大成」と呼ぶべき渾身の論考である。今失われつつある「思考すること」の真の姿が、ここにある。 [本書の内容] 第I章 古代思想における〈正しさ〉 第II章 初期キリスト教における〈正しさ〉 1 神との内的関係を重く見ること 2 カントの実践哲学 3 キリスト教に対するニーチェの評価と批判 第III章 原初の社会における贈与的ふるまい 1 〈贈与というかたちを取る〉物の交流・交易 2 贈与的なふるまいの両義性 3 贈与的次元を含む運動、それを打ち消す動き(再-自己所有) 第IV章 贈与をめぐる思索 1 贈与的ふるまい 2 贈与、サクリファイスと模擬性=反復性 3 苦難の時そのものが新たに、未知なるものとして生き変わること 4 不可能なものという試練
  • 俗語発掘記 消えたことば辞典
    -
    メッチェン、モダンガール、ニコポン、人三化七、土曜夫人、ヤンエグ、アッシー君……消えて行った日本語=死語、そのなかでも一段品の落ちる単語=俗語ばかりを収録。辞典風に五十音順に並べ、さらに詳細な説明や派生を加えた。俗語研究の第一人者による、ひとつの近代日本史。
  • ゾロアスター教
    3.9
    世界は光と闇の永遠の闘争の舞台である。すべてがわかる決定版! 光と闇の闘争、天国と地獄、最後の審判、メシア思想――「宗教」の源流は古代ペルシアにある。「アーリア性」をキーワードに、現地調査と最新の知見をもとに描くゾロアスター教の全貌。(講談社選書メチエ)
  • 大正=歴史の踊り場とは何か 現代の起点を探る
    4.0
    大正時代、都市化の進行や人々の意識の変化は、明治に始まった「官製の近代化」とは質の違う近代を歩み始めたのではないか。新しい社会・思想の源があったのではないか。「震災」「民生」「学区」「趣味」「娯楽」「サラリーマン」「職業婦人」「専業主婦」「地方(ぢかた)」「自由」など、この時代の言葉に着目、その発生や流行の社会状況を立ち上がらせながら、現代の社会や暮らし方の起点となった時代を読み解く。
  • 台湾ナショナリズム 東アジア近代のアポリア
    4.0
    親日か反日か。統一か独立か。しばしば二項対立で語られがちな台湾ナショナリズムは、日本と大陸中国、冷戦期とポスト冷戦期、米国のプレゼンスの低下と中国の台頭など、長期的かつ複数の視座で整理すると今なお続く東アジア近代のアポリア(難題)として見えてくる。日本人にとって重要な歴史経験でもある「台湾問題」を、詳細に読み直す。(講談社選書メチエ)
  • 他界からのまなざし 臨生の思想
    5.0
    生のリアルに迫るダイナミックな思考の旅! 僕らが日々漫然と消費しているこの「生」は、「向こう側」からみつめ直すことで輝き出す! 生のまぎわに臨む「臨生」のたたずまいを得ることで、人生のリアルさを取り戻すことができるのだ。古今東西の他界観・芸術空間論・共同体論をふまえた渾身の哲学論考が登場! (講談社選書メチエ)
  • 魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題
    4.0
    ライプニッツのモナドロジー、ベルグソン『物質と記憶』、ドゥルーズ『シネマ』『襞』……「私の発生」をめぐる思考をシミュレーションする! 本当に存在するものは何だろうか? 私の「今・ここでの体験」だろうか? それとも、他人からみた「物質としての脳」だろうか? もちろん、両方だろう。ところが、そう言った瞬間、「私の」体験と「他人からみた」脳を結ぶメカニズムが知りたくなる──ライプニッツのモナドロジー、ドゥルーズの思考を、コンピュータ・シミュレーションで展開。心身問題への新たなアプローチがはじまる! (講談社選書メチエ)
  • 大英帝国の大事典作り
    -
    ブリタニカ、OED、DNB。大辞書、大事典プロジェクトにとり組んだ巨人たちの物語! 『ブリタニカ百科事典』Encyclopaedia Britannica 『オックスフォード英語辞典』Oxford English Dictionary 『イギリス国民伝記辞典』Dictionary of National Biography……。18世紀後半から19世紀後半にかけて、イギリス人はこの3つの大辞書、大事典を編纂した。世界をリードする気概にあふれた当時のイギリス社会は、なぜ、このような大事業を敢行したのか。それらは、どのように利用され、効果を発揮したのか。近代の知のインフラを整備した人々と歴史を検証する。(講談社選書メチエ)
  • 第三の精神医学 人間学が癒やす身体・魂・霊
    -
    本書の表題に掲げられた「第三の精神医学」とは、いったいどのようなものなのか、と思われることでしょう。それは、長年にわたって第一級の精神科医として臨床経験を重ねてきた著者が、われわれに向けて投げかける重要な提案です。 著者は言います。「10年、20年と診療を続けるうちに、さまざまな年齢の患者さんたちが、教科書に記されているような症状の背後に、若いころから同じ悩みを引きずっていることに気づき、私はこれこそが精神病の本質であるとの確信を抱くようになった」。では、その「精神病の本質」とは何でしょうか。それは動物実験や脳の分析では決して明らかにならない「人間本来の価値」であり、「生きる意味」そのものだ、というのが答えです。 当たり前のことに聞こえるかもしれません。しかし、18世紀後半に開始された近代的な精神医学の歴史を振り返るなら、その当たり前のこと到達できずにいた現実が分かります。本書は、フランスのフィリップ・ピネル(1745-1826年)に始まる歴史をていねいにひもときながら、1) エミール・クレペリン(1856-1926年)によって確立された、脳を観察する神経組織病理学と疾病分類学に基づく身体・自然科学的な精神医学、2) ジークムント・フロイト(1856-1939年)に代表される、個人心理学としての心理・精神分析的な精神医学、という二つの大潮流を跡づけていきます。その上で、これらのいずれにも与しなかったカール・ヤスパース(1883-1969年)に「第三の道」を見出し、その可能性を最大限に引き出そうと試みるのです。 第三の精神医学では、人間は「身体」、「魂」、「霊」という三つの層が折り重なった存在として捉えられます。本書は、それぞれの層を分かりやすく解説するとともに、それぞれの層に生じた障害への対処法をも紹介します。その結果、「心の病気」の「治療」とはいったい何をすることなのかが本当の意味で明らかになるでしょう。 多くの人が心の問題に悩まされ、苦しんでいる今日、本書はささやかな、しかし力強い希望の光を放っています。 [本書の内容] 序 章 精神医学と世俗化 第一章 宗教的存在としての人間 第二章 人間の精神構造 第三章 愛の秩序 第四章 心の病気とは何か 第五章 心の病気の治療 終 章 エマオへの道

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