物語 シンガポールの歴史
エリート開発主義国家の200年
著:岩崎 育夫
中公新書 2208
おもしろかった。不思議な国家、シンガポールの成立と、その特徴を解説する本です
かって、マレーシアにコンピュータを出荷した際に、中継港であるシンガポールで戦略物資と勘違いされて、税関で捕まってしまい、1週間以上も納品に遅れたことを思い出しました。そのときも、マレーシアとシンガポールとの微妙な距離感を感じたものでした。
歴史
■シンガポールの誕生
もともと、マレー半島の南端にある島であり、海賊の棲みかであった、他には少数の漁民と、農民がいた
シンガポールとは、ライオンの街と言う意味である
インドを植民地化したイギリスは、中国をめざしたが、途中に中継ポイントが必要であった。
マラッカがポルトガル、オランダの手に落ちると、イギリスは、シンガポールに目をつけた。
1824年、イギリスは、シンガポールを植民地として契約した
イギリスは、地域交易拠点として自由貿易港とすると、世界中から交易船があつまるようになった。
そうすると、シンガポールには、中国人、インド人、ヨーロッパ人が移民してくるようになる
■イギリス時代(1824-1942)
・シンガポールには、日本人の遊女、からゆきさんも、585人もいた
・1824年には、1万人、81年には、14万人、1901年には、23万人と増加していく
・1901年には、中国人72%、マレー人16%、インド人が8%となる。これは、現在の民族比率に近い
■日本占領時代(1942-1945)
・シンガポールでは、1942年2月から1945年8月までの日本占領時代は、「3年8カ月」と呼ばれる
・日本はシンガポールを昭南島と呼び、恐怖の日本化政策を推し進めた
憲兵隊による横暴、高インフレ、密告、そして、住民の監視・管理、体罰が、日本占領時代である
・シンガポールでは、これまでは、それぞれの民族がそれぞれに生活をしていたのであるが、日本占領を機会に、国民という意識を持ち始めるのである
・終戦後、イギリスは、日本に対して、損害賠償を放棄したため、日本へは請求ができなくなってしまう。これを、血債問題という
■自立国家の模索時代(1945-1963)
・イギリスは、マレーシアから、シンガポールを切り出して、単独の直轄植民地とした。
それは、シンガポールが軍事的に極めて重要な地点であったこと、マレー人が華人の政治的影響を懸念したことにある
・シンガポールに住む、華人、マレー人、インド人、ユーラシア人を結び付けていたものは、現地でうまれたということ、そして、英語を話すということであった
・1949年、中華人民共和国が成立すると、対立するイギリスは、華人に中国とシンガポールとの往来を禁止した。それは、共産主義思想をシンガポールに持ち込まれて困るからである。
・華人の少数は、中国に引き上げ、残りの大多数は、シンガポールに残ることを決意する
・シンガポールには、華人グループ(中国的国家)、英語教育集団(イギリス的国家)の2グループが対立する
この2つのグループを、仲介し、シンガポールをまとめようとしたのが、リー・クアンユーであった。
・リー・クアンユーは、人民行動党を結党し、シンガポールを統一していく。1959年、英連邦自治州となり、完全内政自治権が付与され、人民行動党が政権を掌握した。
・1963年マレーシア連邦が結成されると、シンガポールもマレーシア連邦に加盟する
・しかしながら、華人とマレー人との民族暴動が発生すると、その原因は、リー・クワンユーであるとして、マレーシアは、シンガポールを1965年に追放、分離する
・こうして、シンガポールは単独都市国家として、誕生することになる。
■シンガポール国家(1965-2024)
【1】リー・クワンユー時代(1965-1990)
・経済活動で国家を運用する方針を定め、そのためには、公民が一糸乱れず実行する体制が不可欠であるとした。
・共産系労働組合、学生運動、メディアなどを解散させて、政府に協力するものに入れ換えた。市民社会運動にも、容赦はしなかった。
・議院内閣制、一院とし、首相が最高指導者となる。大統領は対外的に国を代表する象徴であり、実権はほとんどない。
・5年任期で、集団選挙区と、小選挙区との組み合わせ。被選挙権は、21歳で、投票義務を課し、正当な理由なくして、投票を行わない場合は、次回以降の選挙権を喪うなど、社会的な不利益を被る。
・シンガポールは、国民皆兵であり、徴兵制、50歳までは、予備役に編入され、定期的な軍事訓練にも参加する義務がある
・英国連邦は、シンガポールを防衛する義務があったが、遠隔地のため、シンガポールはアメリカに庇護を求めるようになる。
・ASEANとは、ベトナム戦争時に結成された、反共5か国の軍事同盟としてスタートしたのであった。
・教育制度は、選抜制である。優秀な学生は、奨学金を得て、政府の重要機関に登用されるが、学力のないものは、最悪、大学を受験する資格もない。こうして、優秀な人材の囲い込みに成功する。成績の悪いものは、これ以上の教育は無駄という考え方である。
・なぜ、シンガポールが、東南アジアの経済的拠点になり得たのか。
それは、経済開発庁(EDB)を設立したおかげである。
シンガポールに進出したい外資企業は、政府の様々な役所と個別に交渉を行うのではなく、EDB、1か所だけと交渉ができるだけとした。以後の各省庁との調整は、全て、EDBが行う仕組みである。
そしてもう1つ、100%の外資を認めたことによる。
こうして、シンガポールは、製造と、金融の二大産業を育成した。
・シンガポールの政府系機関は、3つ。中央官庁、開発公社などの準政府機関、そして開発銀行や、航空会社などの、政府系企業である。
・四大華人企業
リー・コンチェン一族 華僑銀行(OCB)
ウィー・チョウヤオ一族 大華銀行(UOB)
オー・一族 華連銀行(OUB)
移民四兄弟 ホンリョングループ
【2】ゴー・チョクトン時代(1991-2004)
・ハンチントンの第三の波の時代、リー・クアンユーの権威統治に辟易していた民衆は、当初政治自由化に期待した。
・国民の4つのグループ
①批判行動グループ 数%
②政治活動はしないが、批判票を投じるグループ 20%
③政治的無関心 50%
④人民行動党を評価するグループ 30%
・外国人労働者の受け入れ
①建設業・製造業・サービス業 未熟練労働者
②中間管理職、専門技術者、研究者、弁護士、医師、会計士
③その中間、労働許可書と雇用許可書の中間のS許可書をもつもの
・外国人労働者を無制限に受け入れると問題が生じるため
①外国人労働者の比率は、30%を上限とする
②民族バランスを壊さないために、外国人労働者はアジア系民族に限定する
【3】リー・シェンロン時代(2004-2024)
・リー・シェンロンは、リー・クアンユーの長男、エリート中のエリート
・英語、華語、マレー語に堪能
・人民には、リー王朝の後継者として嫌われた
・問題
①水問題 マレーシアから水を輸入しているが、自給化できていない。淡水化プロジェクトなどの対応中
②少子高齢化 急速に高齢化するのは、シンガポールも同じ
③移民 移民の流入により、国民生活に影響がでている
・シンガポールの特徴
①経済発展が国是である
②近隣諸国よりも常に1歩でも、2歩でも先んじて、経済発展を心がけたこと
③経済発展は国家主導であったこと
④政治、民族文化が、経済発展の手段と考えられたこと
⑤シンガポールには、独自の文化が育たなかった
⑥欧米諸国には、政治と経済を使い分けていた
⑦国民の価値軸(アイデンティティ)が模索段階にある
・シンガポールとは、リー・クアンユーが手掛けてきた人工国家であり、芸術や文学などの文化がそだたなかったこと、近隣諸国からは、普通の歴史ある国家とはみなされていないこと、これがシンガポールの限界である。
目次
序章 シンガポールの曙―一九世紀初頭
第1章 イギリス植民地時代―一八一九~一九四一年
第2章 日本による占領時代―一九四二~四五年
第3章 自立国家の模索―一九四五~六五年
第4章 リークアンユー時代―一九六五~九〇年
第5章 ゴーチョクトン時代―一九九一~二〇〇四年
第6章 リーシェンロン時代―二〇〇四年~
終章 シンガポールとは何か
ISBN:9784121022080
出版社:中央公論新社
判型:新書
ページ数:280ページ
定価:860円(本体)
2013年03月25日初版
2022年07月30日8版