現代の心の哲学や実在論/反実在論をめぐる議論を参照軸にしながら、スピノザ哲学の現代的意義を探る試み。スピノザ解釈としての妥当性はともかくとして、著者の議論そのものはたいへんおもしろく読んだ。
著者は、スピノザ哲学の「内在主義」に秘められた現代的意義を高く評価する一方で、その実在論的な傾向を持った「
...続きを読む全体論」ないし「実体一元論」を批判している。
神の啓示の内容も全体論的な布置の中で理解されるというのが、スピノザの内在主義の立場だと著者はいう。そこから、私たちが従うべき倫理的価値は現実に営まれている社会と別に存在するものではなく、それらの営みへのコミットによって生じるものであり、倫理学はそのコミットの細部の価値直観から出発して、できるだけその直感的判断を生かすような整合的で首尾一貫した価値原理を探究する営みであるはずだと著者は主張する。
他方で著者は、そうした倫理学を可能にする立場は、反実在論でなければならないと考える。自由と合理性を調停することが、自由をめぐるもっとも困難な問題の一つである。スピノザは、私たちの行為のすべての筋道が、あらかじめ神のうちに用意されていると考えた。だが著者は、スピノザ哲学の内在主義のうちに、私たちの創発的活動を認めるような可能性を見いだし、その方向へと進むことで自由と合理性の調停を図ろうと試みている。
著者がスピノザの哲学を、感覚や感情に根ざした内在主義と捉えた上で、そこに現代の心の哲学の議論に接続しているところは、とくに興味深く読んだ。感覚は私たちの身体の観念だとスピノザは考える。ところで、私たちの知識には、命題で表現できる知のほかに、運動能力のような知がある。感情やクオリアはそうした知識と同じく、私たちがこの世界に住み着く仕方であって、それらをシニフィアンとすることで私たちは知覚的環境適応を図っていると著者は主張し、手持ちのシニフィアンを利用することで志向的内容の表現を実現するという形で、心身問題を解決に導く方途を探っている。