「ブリテン近現代史」が専門の著者による、イングランドの英語がスコットランド、ウェールズ、そしてアイルランドを含めたブリテン諸島に広がっていき、そこからインドやアフリカを含むブリテン帝国へ(厳密にはp.129にあるように「ブリテン諸島とブリテン帝国の英語の普及は近現代に並行して行われた」らしいけど)、そして日本を含む世界へと広がっていく過程を観察し、英語話者と非英語話者(受容側)の態度はどうであったのかを解説する本。日本の章では、「英語公用語論」と関連して森有礼の話題と、そこに端を発して議論される昨今の英語教育についての見解も述べられている。
英語史で勉強する外面史は、せいぜいゲルマン民族の大移動で英語話者が入ってきて、ノルマン人の征服があって、ルネッサンスがあって、移民たちによってアメリカに広がり、今ではWorld Englishesですよ、くらいな話だが、そういうこととは全く違う、もっとイギリスやインド、アフリカ、日本の当時の社会状況とか人々の様子を踏まえて、英語が教育されたり押し付けられたりしながら広がっていく過程を知ることが出来る。英語そのものの変遷の話はほとんどなく、英語という切り口で見た歴史の本、という感じ。
まずウェールズとスコットランドの話が出てくるが、どれもおれにとっては新しい話。地図も載っていることは載っているが、語られている全ての地名が確認できる訳ではなく、ちょっと分かりにくいところもあった。興味深かったのはウェールズの「英語が話せない教員」の話。「南ウェールズの報告書のまとめの部分では『教職はほとんどどこでももっとも尊敬されず、もっとも悪評が高い職業の一つである。他の職業の掃きだめとして機能し、逃亡者の集まりと書かれる職業の一つである』」(pp.34-5)らしく、日本でも昔「でもしか教師」という言葉があったが、それとも全く状況が違う、ひどい言われようだなと驚いた。「男性で大工、指物師、宿屋経営(略)女性で、お針子、清掃作業員、家事使用人」(p.35)が前職だったらしい。スコットランドの話では「スコットランドというと私たちはそれがひとつのまとまりのある『国』であるとイメージしがちだが、じつはそうではない。」(p.54)らしく、ハイランドとローランドで「相互に相手を『野蛮』視することがやむことなく長く続いた」(同)ということで、この2つは人々や物の考え方も全然違うらしい。
次にアイルランドの話で、まず「クロムウェルによるアイルランド侵攻」(p.96)というものがあったらしく、本当にそういう歴史を勉強したことないなあと反省した。何千名も虐殺して、「クロムウェルがカトリック教徒を集めて焼き討ちにした教会」(同)というものすらあるらしい。そして、学校教育によって現地語が衰退して英語が広がったというのは分かるが、後からインドや日本の話の中でも出てくるように(p.132の「被支配者の『飛んで火にいる夏の虫』によっても普及していく」という表現が面白い。あるいはインドの「ラモハン・ロイ症候群」(pp.140-3))、住民の方がそれを望んで、つまり「アイルランド語は『自殺』した」(p.120)という側面があり、さらに「自殺幇助に問われるのは国民学校というより生垣学校」(同)(「生垣学校」は体制に反対するような貧民層の学校)というのが、現実はそうなのかと思った。
インドの話では、言語政策上に重要な影響をもたらしたマコーリーという人の話が出てくるが、中でも興味深いのは「インドに滞在した間、マコーリーはインドのどの言語についても学ぼうという努力を行っていない。これは、マコーリーのヨーロッパ言語を用いた読書の幅の広さが驚異的であったことを考えると、困惑するような文化的な視野の狭さである」(p.148)という部分で、どんなに博識で常識がありそうな人でも偏見によっていくらでも知識や見識が狭いものになるということを示す例でもあるし、人種差別を乗り越えるのは難しいことだとかいうことも、特に今の時勢柄、思ってしまう。あとはインド人が教科書から英語を学んで、「教育システムにおける口語英語への不十分な配慮などから、『文語の香り』がするバブー英語が生まれた」(p.161)ということで、おれも口語で堅い単語を使いがちだと指摘されたことがあるので、この人たちの「バブー英語」と似たようなもの?なのか?と思った。
あと、最後の日本のところでは、英語教員としては興味を持たざるを得ない、というか、森有礼に関する一般的な誤解(ただ、その誤解は「これらはすべて英語で書かれて転回されたために、日本での受け止め方も必ずしもすっきりと行かず、これまで多くの『誤解』が生まれた(p.229)だとすれば、皮肉というか本末転倒な英語使用だったという感じで、複雑な気持ちになるけど」とか、「英語の授業は英語で」と「早期教育」の言説を探っていく感じは、関心を持って読めた。(20/06/21)