講談社選書メチエ作品一覧
-
4.5
-
4.3
-
3.4
-
4.5「構造主義」は終わらない。「構造」が秘めた本当の「力」を解き明かし、その潜勢力を新展開させる決定版! 仏教と構造主義そして真のマルクス主義に通底する「二元論の超克」は、革命的な人文「科学」を生み出す思考となりうるはずだ。新しい「構造主義」の可能性を著者は丁寧に取り出す。 もう一つの人類学の可能性は、夭折した弟子のリュシアン・セバーグの中にもあった。師レヴィ=ストロースと若き研究者は、南米インディオの神話の構造分析に取り組んだ。マルクス主義をベースにした「構造主義」が創始された時に起こった師弟関係の美しくも悲しい物語。記号学的な枠組みを超えて、人間科学の「プロレタリア」としての人類学の使命を読み解いていく。 さて、「構造」をレヴィ=ストロースはこのように認識している。 「双分制の明白な諸形態を、その真の本性は、別のはるかに複雑な構造が表面的にゆがんであらわれたものとして扱ったほうがよいのではないかということであった」 人類の思考は実は複雑なものなのだ。二元論と三元論が、動的に組み合わされて、さまざまな神話や事象が生み出される過程を解読することで見えてくる人類学とは、いかなるものなのか? 「構造」の「奥(heart)」へと至る道を示す「人類学」の道標である。 【目次】 プロローグ 革命的科学 第一章 構造主義の仏教的起源 レヴィ=ストロースと仏教/仏教の中の構造主義/構造主義の中の仏教 第二章 リュシアン・セバーク小伝 高等研究院での出会い/新しい神話研究/変換の論理/神話の公式/『神話論理』の朝/プエブロ神話学へ/アチェ族の夢分析/『マルクス主義と構造主義』/悲劇的な死 第三章 構造の奥 双分制/レヴィ=ストロースの弁証法/互酬性の謎/重力論と贈与論/フランス啓蒙主義/人間科学のアインシュタイン/対称性のほうへ 第四章 仮面の道の彼方へ 1 地震多発地帯/ブリティッシュ・コロンビアのレヴィ=ストロース/カミナリ鳥・クジ・ナマズラ/スワイフエ仮面/ゾノクワ鬼女 2 剣とナマズ/ゾノクワと山姥/山の神の影/ポトラッチと市/仮面の道は続く エピローグ 注および引用・参考文献
-
3.7天皇の初代とされる神武天皇は、生没年はもちろん、その実在さえ定かではない。しかし、伝説上の重要人物として、日本の歴史に大きな影響を与え、論争を呼び起こし、時に政治問題となってきた。天皇陵をめぐる近世・近代史の研究者である著者が、「神武天皇陵」の所在地論争と、橿原神宮の創建を軸に、「歴史学の主題」としての神武天皇に迫る。 初代天皇の墓所「神武天皇陵」は、実は江戸時代になるまで定かではなかった。元禄時代の江戸幕府の調査で、奈良・四条村の塚山に「定められた」のである。しかし、当初からこれには異論があり、幕末期には孝明天皇の意思により、その300メートルほど南の「神武田」に改められ、ここが、現在も天皇が参拝を行う神武天皇陵となっている。一方、国学者の本居宣長らは、畝傍山中の丸山を主張して根強い支持を得ており、明治期になっても「疑念」はくすぶり続けた。さらに、水戸学の巨頭・徳川斉昭、寛政の三奇人・蒲生君平、幕末の能吏・川路聖謨、明治大正の文人画家・富岡鉄斎らの見解もみていく。 また、神武天皇を祀る橿原神宮の創建と隆盛に尽力し、のちに決裂した民間勤王家・奥野陣七の生涯や、明治期に「神武天皇祭」に冷徹な目を向けたお雇い外国人にも注目し、「紀元節」から「建国記念の日」へと、現代にいたる「神武天皇」と日本社会をとらえ直す意欲作。 目次 序章 現代の神武天皇 第一章 三ヵ所の神武天皇陵 第二章 幕末動乱と神武天皇陵 第三章 奈良奉行所与力の結論 第四章 文久の修陵 第五章 明治天皇の親祭 第六章 橿原神宮と民間結社 第七章 消えない疑念 終章 紀元節から「建国記念の日」へ
-
3.0私たちは「情報」なしで暮らすことはできません。スマホでニュースを確認する、メールやラインをチェックする。改札を電子マネーの端末で通り抜け、車内では画面に映る広告や駅名を見る。そして会社に着けば……といったように、あらゆる場所に、無数の形で情報はあふれています。 では、そもそも情報とは何でしょうか? 一昔前のように言語をモデルに理解するのでは、医療現場での生体反応データから宇宙空間における周波数データまでをすべて「情報」として捉えることはできません。つまり、それが何かをよく理解していないまま私たちは情報なしではありえない生活を送るようになっているのです。 本書は、こうした現状の中で「情報という問い」に正面から取り組みます。カーツワイル、ボストロム、テグマークを通して技術との関係の中で「人間」とは何かを確認し、マカフィーとブリニョルフソン、ズボフを通して社会の中での情報がもつ機能を捉え、フクヤマ、ハラリ、サンデルを通して政治との関わりを考察します。その上で改めて「情報」というものを哲学的に規定し、情報をめぐる課題を整理します。 最先端の議論の見取り図を得られるばかりか、そこから得られる知見を整理し、日常にどう役立てるのかまで示してくれる本書は、これまでになかった1冊と断言できます。 [本書の内容] 序 章 情報という問い 第I部 情報がもたらす未来 第1章 情報と技術の未来 一 カーツワイルのポスト・ヒューマン論 二 ニック・ボストロムのスーパーインテリジェンス論 三 マックス・テグマークの生命システム論 第2章 情報と経済の未来 一 マカフィーとブリニョルフソンによる第二のマシン・エイジ 二 ショシャナ・ズボフの監視資本主義 第3章 情報と政治の未来 一 フランシス・フクヤマと「テクノロジーの政治学」 二 マイケル・サンデルと「守るべき美徳」 三 ユヴァル・ノア・ハラリと「自由主義の擁護」 第II部 情報哲学の現在 第4章 情報の分析哲学 一 第一哲学としての情報哲学 二 機械情報の振る舞いを把捉するための情報概念の再定義 三 情報技術を再定義し、情報化された環境における生の条件を問う 四 知能とは何かを再定義する 第5章 情報の基礎づけ 一 生命情報、社会情報、機械情報 二 情報とは何か 三 情報学が揺さぶる哲学的思考 四 情報論的転回は大文字のパラダイムチェンジか 五 シグナルの存在論、シンボルの存在論 第6章 人工知能の身体性 第III部 情報の実践マニュアル 第7章 世界のセッティング 第8章 社会のセッティング 第9章 「人間」のセッティング
-
4.1宗教と科学の長い戦争、なかでも、それぞれの陣営の最も過激な人々である創造論者と無神論者の戦いは、21世紀に入ってますます過熱している。それは、抽象的・理論的な戦いではなく、教育・医療・福祉・行政といった現実をめぐる戦いでもある。本書は、おもに欧米で激しく展開する両者の戦いに密着し、信念をぶつけ合う人間たちのドラマを描き出す。 サッカーの神様・マラドーナを祀る「マラドーナ教会」、『スター・ウォーズ』に感化され、宇宙の平和と正義のために戦う「ジェダイ教」、「空飛ぶスパゲッティ・モンスター」なる異様な創造主を崇める「スパモン教」。乱立するこうした「パロディ宗教」は、近年台頭する創造論への反抗であり、「そもそも宗教とは何か」という根本的な問いかけである。 100年前のテネシー州で、進化論教育の是非をネタに企画された「町おこしのための茶番」が、文字通りの死闘となった「猿裁判」。2005年のカンザス州で開かれた公聴会では、20名以上の科学者・知識人が進化論を否定し、公教育に創造論を組み込むように訴える。そして、「穏健な信仰者」も敵とみなす「新無神論者」の登場で戦場は拡大し、戦いは激化する。 ヒトゲノム解読に成功したコリンズ博士の信仰と友情、新無神論を代表するドーキンスが到達した意外な宗教観、さらに、これから展開する戦いの見通しは――。 目次 序章 本書を導く十の信念 第1章 パロディ宗教の時代――銀河の騎士とモンスターの逆襲 第2章 猿の町のエキシビションマッチ 第3章 ポケモン・タウンの科学者たち 第4章 四人の騎士――反撃の新無神論者 第5章 すべてがFになる 終章 宗教と科学の次の百年 あとがき
-
-臓器と違って目には見えない精神の疾患を、はじめて分類・体系化し、〈精神病〉を発明したエミール・クレペリン(1856-1926年)。無意識を発見したフロイトと偶然にも同じ年に生まれ、フロイトと並んで現代精神医学の基礎を築きながら、その名は忘却され、彼が築いた分類と体系だけが、所与であるかのように、世界中で広く使用される診断マニュアルの土台となっている。 冷酷非情である一方、純粋で情熱的な面もあわせ持つ複雑な人物の半生を辿り、葛藤と煩悶を繰り返して生み出された体系の功罪を描き出す。精神医学誕生秘史! 「汝が名は忘却の淵に沈めども その業績は永遠なり」――。クレペリンが眠るハイデルベルクの墓碑にはそう刻まれている。 心臓や肝臓などの内臓の疾患は、その器官の病変や症状から、病を特定し治療にあたることができる。しかし、どこでどのような異常が生じているのか目で見ることのできない精神の疾患は、何をもって同じ病、あるいは違う病であると診断し、治療にあたるのだろうか。 同じ症状を呈しているからと言って、同じ病とは限らず、まったく違う症状でも同じ病ということもありうる。そもそも分類自体が可能かどうかさえ疑問だった時代に、悩みながらもそれらを分類し、体系化した人物こそエミール・クレペリンにほかならない。その成果は今、日本はもちろん世界でも広く使用されているDSM‐5やICD‐10と呼ばれる精神疾患診断マニュアルの土台となった。目に見えない精神の病を分類・体系化することで、言わば「精神病」を発明したともいえる。 奇しくも無意識を発見したフロイト同年に生まれ、フロイトに匹敵する影響を残しながら、フロイトとは対照的に、皮肉にも墓碑銘のとおりその名が忘却されたクレペリン。その「発明」は葛藤と煩悶のうちになされ、晩年には、それまでとまったく違う方向を模索しさえしていた。 またドイツ留学中の斎藤茂吉を冷たくあしらい傷つけたクレペリンは、ユーモアを介さない陰鬱な人物として語られてきた一方、その自伝をひもとけば、少年のような純粋さと情熱も秘めている。 今や自明のもののように扱われている診断基準は、一体どのような人間がいかにして創り上げたものなのか。クレペリンの半生をたどりつつ描かれる、知られざる精神医学誕生の歴史。 【本書の内容】 はじめに――なぜ、いま、クレペリンを問うのか 序 第1章 誕生と助走(一八五六―九一年) 第2章 創造と危機(一八九一―一九一五年) 第3章 静かなる浸透(一九一五―二六年) 第4章 〈精神医学〉制作あるいは〈精神病〉発明の途上にて(一九二六―八〇年) おわりに
-
4.3完全解読シリーズ第4弾は、現象学の祖フッサール前期の代表作。主-客問題を批判し認識問題に大転換をもたらした画期的著作を読む。
-
4.5〈共進化する東アジア史を、貨幣という視点から捉える!〉 「ちかごろ北京城の内外で人々は贅沢を好み、貴賤を問わず、みな金襴や宝石を身に着け、服装がみずからの分限を甚だしく越え、どの宴席でもいつも盛りだくさんの料理や菓子などが並べられ……」 15世紀後半、明の都・北京では人びとが競って贅沢にふけるようになった。奢侈の風潮は、さらに朝鮮半島、そして日本列島にも伝播し、絹製品や陶磁器・金銀・珠玉などの「唐物」が東シナ海を盛んに行き交うこととなる。 大陸・半島・列島にわたる「贅沢の連鎖」はなぜ起こったのか? それは単なる偶然ではなく、また各地域内の単一事象だけでも決して説明がつかない、世界史的事件であった! これまで日本史の枠内で捉えられていた応仁の乱前後を画期とする日本列島の経済成長も、日朝交易が過熱化し半島から列島へ流れ混む朝鮮綿布、琉球を経由した唐糸・青花の流入といった多地域にわたる国際交易の活況と切り離して考える事ができない。 中世日本の経済成長、私鋳銭の流通や石高制への変化などの事象も、東アジア各地の経済成長と連動したものであった。 本書は、中国・朝鮮・日本の経済変動が相互に影響を与え合い、複数の起点からなる共時的な歴史変動がいかに生起するかを探る試みである。 【本書より】 総じて、およそなんの関わりもないように思われてきた東アジア各地の個々の事象が互いに関連し合い、やがてひとつの大状況(東アジア大での経済成長、日本銀の登場、倭寇的状況など)を創出し、さらにその大状況が多数の事象を派生させるとともに、これらの事象によってふたたび変容する、そのような歴史過程を描き出すことが本書の目的である。いままで意識されなかった歴史の「流れ」を見出し、その生成・展開を跡づけることを通して、この時期の中国史・日本史そして東アジア史をめぐる既存の認識とは多少なりとも違ったストーリーを提示できればと考えている。 【主な内容】 第一章 贅沢は連鎖する ─明・朝・日の経済成長 第二章 悪銭と悪貨─ 巻き起こる通貨変動 第三章 そして「倭銀」があらわれた 第四章 活況と騒乱の東アジア─ シルバー・ラッシュがもたらしたもの おわりに ─ 「唐物」と「夷貨」:東アジア史を動かす“モノ”
-
4.8おいしい野鳥が食べたい!――幕府の権力をもってしても、江戸のグルマンの食欲を抑え込むことはできなかった。失われた食文化の全体像を、初めて描き出す異色作! 江戸時代の人々は、多くの「野鳥」を多彩な調理法で食していた。鶴、白鳥、鴨、雁、雉子、雲雀、鷺、雀、鳩・・・それらは、食のみならず政治や経済、儀礼などをめぐって、魚やほかの動物たちには見られない、複雑で高度な文化の複合体を形作っていた。鳥は、日本文化そのものを理解するうえで欠かせない重要な動物だったのである。 歴代の徳川将軍は、鷹狩で野鳥を狩り、鶴を天皇に献上し、また大名や家臣に獲物を分け与えた。中・下級の武士たちは雁鍋や鴨鍋を楽しみ、裕福な町人は料亭で野鳥料理に舌鼓をうち、庶民は鴨南蛮や雀焼といった素朴なファストフードを頬ばった。幕府によって野鳥流通が厳しく統制され、日本橋の水鳥市場は活況を呈し、その大きな利権を狙ってアウトローたちがうごめいていた。しかし、江戸時代に隆盛を極めたこの食文化は、明治以降、衰退してしまう。そして今、数千年の歴史をもつ野鳥を食べる伝統文化が、日本から消滅しようとしている。 さまざまな野鳥料理のレシピ、江戸に鳥を送っていた村のフィールドワークなどから、語られざる食文化を総合的にとらえたガストロノミー(美食学)の誕生。 目次 序章 鳥の味にとりつかれた美食家たち 第一章 鳥料理の源流――京料理から江戸の料理へ 1 日本人はいつから鳥を食べていたのか? 2 中世の鳥料理 第二章 江戸時代の鳥料理と庖丁人――鶴の味噌汁、白鳥のゆで鳥、鷺の串焼き 1 江戸の町から出てきた大量の鳥の骨 2 『料理物語』のレシピ 3 庖丁人――一流シェフの伝統と技術 第三章 大衆化する江戸の鳥料理――富商、貧乏武士、町人の味覚 1 鶏鍋、雁鍋、鴨鍋――中級・下級武士の食卓 2 料亭・名店の味――富裕層、文人墨客の贅沢 3 鴨南蛮と雀焼――庶民の素朴なファストフード 第四章 闇の鳥商売と取り締まり――せめぎあう幕府と密売人 1 「生類憐れみの令」による危機 2 アウトローたちの鳥商売の手口 3 鳥商売と大岡裁き 第五章 侠客の鳥商人 ――東国屋伊兵衛の武勇伝 1 日本橋・水鳥市場の男伊達 2 幕臣と侠客との親密な関係 第六章 将軍様の贈り物――王権の威光を支える鳥たち 1 鷹狩と贈答による秩序維持 2 「美物」の使い回し――中世の主従関係 3 「饗応料理」の鳥の意味 第七章 江戸に鳥を送る村――ある野鳥供給地の盛衰 1 手賀沼の水鳥猟 2 西洋的狩猟の浸食 3 カモが米に負けた 終章 野鳥の味を忘れた日本人
-
4.5棚氷の崩壊、氷河の後退、上昇する海水温……。南極大陸と南極圏の島々では、自然環境と生態系の変化が複雑に絡み合い、予想外の事態が次々と起こっている。 荒れ狂うドレーク海峡の先にある南極の“日常”を二〇年にわたり撮り続けた写真家は、何を見て、聴いて、嗅いで、触れたのか。 五感による、未知なる大地の記録! 深夜2時、白夜のに写るペンギンの長い影。 深く厚い氷の下のカラフルな海の表情――。 温暖化で変わるゆく南極の動物たちや景色を 貴重な写真120点に及ぶ写真とともに描写する。 カラー口絵32ページつき はじめに 第一章 温暖化の波のなかで――南極半島 第二章 南大洋に浮かぶ生きものたちの楽園――サウスジョージア島 第三章 コウテイペンギンの国――ロス海、ウエッデル海の奥懐へ
-
3.521世紀に入ってから、以前にもまして人類は、大地震、台風、集中豪雨などの自然災害に遭い、今また新しいウイルスとの共存という課題を目の前にしている。もちろん、日本も例外ではない。 ここに出現しようとしているのは、私たちが今まで意識することなく当たり前に存在することを前提にし、その中で生きていると思ってきた「世界」が根底から崩れ去ろうとしている状況ではないだろうか。その認識が示されているのが、2000年に提唱された地質時代の区分である「人新世」だろう。これは人類の著しい発展の末、地球規模の環境変化がもたらされる時代として定義される。そこでは、今まで当たり前だった世界は、まったく当たり前ではなくなる。 だが、そんな来たるべき時代にはどのような世界が出現するのか、そしてその世界の中で人間が「人間」であるための条件とは何か、そのとき私たちは何を拠り所にして生きていけばいいのか、といったことは、まだ問われ始めたばかりである。ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル(1980年生)の名を知らしめた著作の表題になっている『なぜ世界は存在しないのか』という問いは、その一つの試みだと言うことができる。 本書は、ガブリエルのほか、近年日本語への翻訳が相次いでいる、カンタン・メイヤスー(1967年生)、ティモシー・モートン(1968年生)、グレアム・ハーマン(1968年生)といった1960年代生まれの哲学者たちを簡便に紹介しつつ、その思想を正面から検討し、日本の状況と照らし合わせる中で、これから先の世界と人間をめぐるさまざまな問いに答える方法を提示するものである。哲学・思想のみならず、建築や現代美術、演劇といった芸術の世界とも深くコミットしてきた著者が渾身の力を込めて書き上げた本書は、これまでの集大成であるとともに、「その先」に見える可能性を指し示すものにもなっている。 現代哲学の優れた概説書である本書が、同時に「予言の書」でもあることは、今後の時間の中で証明されることだろう。誠実に思索したいと思うすべての人に捧げる。 [本書の内容] プロローグ 第1章 世界の終わり? 第2章 世界形成の原理──ガブリエルとメイヤスー 第3章 人間から解放された世界──ティモシー・モートン 第4章 「人間以後」の哲学──グレアム・ハーマン 第5章 人間の覚醒――柄谷行人 第6章 地下世界へ──フレッド・モーテン 第7章 新しい人間の条件──アーレントからチャクラバルティへ エピローグ
-
4.3今、哲学は「人間」から離れて「実在」に向かっている。21世紀を迎えてすでに20年、哲学の世界では大きな変動が起きています。そこで問われているのは、「人間以後」の世界をいかに考えるか、というものです。「ポスト・ヒューマニティーズ」とも呼ばれるこの動向は、思弁的実在論、オブジェクト指向存在論、多元的実在論、加速主義、アクターネットワーク理論、新しい実在論など、狭い意味での「哲学」をはるかに越えた多様な領域に広がりつつあります。本書は、こうした動向の明快な見取り図を与え、自分の問題として考える手がかりを示すために気鋭の著者が書き下ろした渾身の1冊です。本書で取り上げられるのは、2016年に『有限性の後で──偶然性の必然性についての試論』の日本語訳が出版されて話題になったカンタン・メイヤスー(1967年生まれ)、2017年に『四方対象──オブジェクト指向存在論入門』の日本語訳が刊行されたグレアム・ハーマン(1968年生まれ)、そして2018年に日本語版『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)がベストセラーとなって広く名前を知られるようになったマルクス・ガブリエル(1980年生まれ)ら、最先端の哲学者たちです。「人間以後」の世界を考えることとは、「人間が消滅したあとの世界」という、ますますリアリティを帯びつつある世界を考えることだけではありません。それは同時に「人間の思考が届かない場所」を考えることでもある、と著者は言います。それはもちろん矛盾していますが、「実在論」への注目は、そこに現在の人間が希求するものがあることを示唆しているでしょう。それは、別の言葉で言えば、「実在論(realism)」とは「実存論(existentialism)」でもある、ということです。1987年生まれの著者は、「今」に生きることのリアリティを手放すことなく、哲学の問題とは「生きること」の問題にほかならないことを分かりやすく示しています。新しい哲学のムーブメントをただの流行で終わらせないために。未来のスタンダードが、ここにあります。[本書の内容]プロローグ 「何をしたいわけでもないが、何もしたくないわけでもない」 第I章 偶然性に抵抗する──カンタン・メイヤスー 第II章 人間からオブジェクトへ──グレアム・ハーマン 第III章 普遍性を奪還する──チャールズ・テイラーとヒューバート・ドレイファス 第IV章 新しい実在論=現実主義──マルクス・ガブリエルエピローグ メランコリストの冒険
-
-敗戦から70年以上が過ぎ、元号も2度あらたまって、いよいよ昭和も遠くなりつつある。「もはや「戦後」ではない」という宣言から数えてもすでに60年以上が経った。しかし、私たちが生きているのは、今なお「戦後」なのではないだろうか。毎年、戦後何年になるかを数え、ことあらば「戦後初」をうたう。私たちが生きている時間は、つねに「戦後」を起点とし、「戦後」に規定されている。これはいったいなにを意味しているのだろうか。令和の時代を迎えても加速する一方の「息苦しさ」、「生きづらさ」は、実はこの「終わりなき戦後」の終わらなさにこそ原因があるのではないか――。 本書は、「戦後」という幸福な悪夢の外側に、どうにかして越え出るために、昭和・平成を貫く時代精神の真の姿を映し出す試みである。 太宰治の絶望、ゴジラに仮託された不安、力道山が体現した矛盾、さらにオウム真理教という破綻と癒えることのない東日本大震災の傷。戦後日本社会の精神史は、東京オリンピックや大阪万博、インターネットの普及など華やかな出来事や物質的豊かさの影で、それを支えるためにそこから排除されてきた人々の嘆きと悲しみの声に満ちている。その声に耳を傾け、「息苦しさ」と「生きづらさ」の根源から目を逸らさず、その姿を受けとめること。「戦後」を終わらせるため、声高になることなく、著者は静かに繰り返し私たちに語りかける。 うわべだけの「幸せな日本人」を脱ぎ捨て、敗戦から日本社会が抱えこんできた絶望を直視したときにはじめて、希望もまた輝きはじめる。「終わりなき戦後」から、かけがえのない一歩を踏み出すのための、時代に捧げる鎮魂歌。
-
4.0
-
3.7
-
4.0
-
3.5
-
3.8
-
4.6
-
3.5
-
4.3
-
4.1
-
4.3【"この国のかたち"を鉄路で描いた者たちの、栄光と蹉跌の全史】 かつて日本には、国家の所有する鉄道があった。 その組織は平時においては陸軍をしのぐ規模を誇り、列島津々浦々の地域を結びつける路線を構想することは、社会のグランドデザインを描くことそのものであった。 歴代の国鉄トップは、政治家や官僚たちは、そして現場の人々は、この巨大交通システムに何を託し、いかに奮闘したのか。 近代化に邁進する明治政府が新橋・横浜間を開設してから昭和末期に日本国有鉄道が分割民営化されるまで、「鉄道と国家」の歴史を一望する壮大なパノラマ! 【本書より】 日本の鉄道の歴史は大きく四つの時代に分けることができます。まず、明治時代の私鉄が主役だった時代、次に、日露戦争後に多くの私鉄を買収した政府が直営した時代、さらに、第二次世界大戦後、国鉄が公社化されて日本国有鉄道となった時代、そして現在のJRの時代です。 (中略) 本書ではこれから、日本の鉄道の歴史を、鉄道がいかにあるべきかというグランドデザイン、その実現のための経営体制、そしてそれを動かしてきた人物ということに焦点を当てて描き出していきます。それにあたって、この四つの時代区分という捉え方は、たいへん見通しをよくしてくれるので、これに従って議論を進めていきたいと思います。 【本書の内容】 プロローグ 「鉄道一五〇年」と国鉄 [第一部 「国鉄」形成の道程] 第一章 私鉄の時代(一八七二─一九〇六) 1.官設鉄道の誕生 2.「鉄道の父」井上勝 3.鉄道敷設法と私鉄の繁栄 第二章 国家直営の時代(一九〇六─一九四九) 1.鉄道国有法の制定 2.「国鉄」の誕生 3.初代総裁後藤新平の組織作り 4.原敬と改正鉄道敷設法 5.国鉄ネットワークの充実 6.戦時下の苦闘とその遺産 [第二部 日本国有鉄道の興亡─公社の時代(一九四九─一九八七)] 第三章 「復興」の中で(─一九五五) 1.占領期の混沌 2.「公共企業体」の桎梏と総裁たち 3.組織と人々 第四章 「近代化」への邁進(―一九六五) 1.新しい時代の鉄道像 2.「改主建従」の夢 第五章 光と影の昭和四〇年代(─一九七五) 1.都市交通と国鉄の使命 2.効率化がもたらすもの 3.「政治主導」の時代 4.国会とストライキと債務と 第六章 再建の試みと崩壊(─一九八七) 1.「後のない計画」 2.分割民営化への道 エピローグ JR以後(一九八七─)
-
4.0中学から高校の6年間で膨大な英単語を覚え、暗号解読のような苦労で英文を訳し、長文の速読練習もこなした。でも、労力の割には使えるようにならない。しかも2020年度からは小学校で外国語が正式教科になった。はたして英語は、どのように教え、学ぶべきか。これは、100年以上前から繰り返された議論である。 小学生の英語教育の是非、必要なのは文法訳読か英会話か、全員が必修の必要があるのか、他の教科にエネルギーを回せばもっと日本人の学力は上がるのではないか、そもそも、外国語は英語だけでいいのか。それは、知的バトルあり、人間臭い感情のぶつかり合いもある、真剣勝負の論争史だった。 漱石の指導で英文学に開眼した藤村作の「英語科廃止論」、戦後の熱狂を生んだラジオ「カムカム英語」への批判、加藤周一の「英語義務教育化反対論」、渡部昇一と平泉渉の大論争、筑紫哲也と中村敬の英語帝国主義論争など、文明開化の時代から、戦時下の「敵性語」時代を経て、グローバル化が進む現代まで、「日本人と英語」の百年余りを振り返り、これからの英語教育・英語学習を展望する。 目次 はじめに―― 一〇〇年越しの「真剣勝負」 第一章 早ければ良いのか? 小学校英語教育論争 1 文明開化と内地雑居 2 高等小学校の発足と論争の本格化 3 誰が、どうやって教えるのか 4 岡倉由三郎の小学校英語教育論 5 文部省が小学校英語教育を縮減 第二章 訳読か? 会話か? 文法訳読vs.話せる英語論争 1 学習英文法はどう根づいたか 2 英文法偏重・擁護論争 3 ナチュラル・メソッド論争 第三章 教養か? 実用か? 中等学校の英語存廃論争 1 「一等国」の英語廃止論 2 ナショナリズムと英語教育 3 「米国語」を追い払え! 4 廃止論の急先鋒・藤村作 5 「帝国日本」の外国語教育 6 戦時体制下の英語教師たち 第四章 英語は全員に必要なのか?「カムカム英語」と英語義務化論争 1 敗戦直後の英語熱 2 米会話ブームと「カムカム英語」への批判 3 「英語義務教育化」反対論 第五章 国際化時代に必要な英語とは? 平泉-渡部「英語教育大論争」 1 国際化と英語コミュニケーション能力 2 「平泉試案」の衝撃 3 「平泉新提案」をめぐる論争 4 「平泉試案」後の英語教育政策 第六章 外国語は「英語だけ」でよいのか? 英語帝国主義論争 1 言語帝国主義への先駆的な批判 2 一九九〇年代の英語帝国主義批判 3 中村敬と二つの英語帝国主義論争 終章 そもそも、なぜ、英語を学ぶのか? 英語教育論争史が問いかけるもの おわりに
-
3.5日本では民主主義(デモクラシー)の使徒とみなされるルソーが、欧米では全体主義の思想家とみなされるのはなぜか。なぜ、民主主義はナポレオンやヒトラーのような独裁を生み出してしまうのか。民主主義は何に敗北してきたのか。そもそも民主主義とはいったい何なのか――。 本書は、民主主義、そして民主主義の双子ともいうべきナショナリズムをめぐる思想がどのように生まれ、変容してきたのか、原点であるフランス革命の基盤となったルソー、シィエスの思想にさかのぼり、トクヴィルやJ・S・ミルによる自由主義者からの民主主義への反論、世界大戦期ドイツのヴェーバーとカール・シュミットの思想、さらに全体主義批判を踏まえた冷戦期のアレント、ハーバーマスを経て冷戦終結後の現在に至るまで、思想家たちが生きた時代的背景とともに、一気呵成に描き出す。 民主主義とはなにか、この根源的な問いの答えは、幾多の血を流しながら民主主義が歩んできた歴史のうちにこそ見いだされる。著者渾身の民主主義思想史!! 【本書の内容】 はじめに 序章 民主主義のパラドクス 第1章 近代民主主義とナショナリズムの誕生 第1節 フランス革命とルソー、シィエスの思想 第2節 ドイツ・ナショナリズムとフィヒテの思想 第2章 自由主義者の民主主義批判とナショナリズムの発展 第1節 民主主義革命とトクヴィル、ミルの思想 第2節 ナショナリズムの統一運動と民族自決権の思想 第3章 民主主義観の転換とナショナリズムの暴走 第1節 第二帝政期ドイツとヴェーバーの思想 第2節 ワイマール期ドイツとカール・シュミットの思想 第3節 民族自決権の適用とその帰結 第4章 民主主義の再検討とナショナリズムの封じ込め 第1節 全体主義批判と民主主義論の再構築 第2節 民族自決権の受容と回帰 結び 冷戦終結後の民主主義とナショナリズム あとがき
-
-「スタンダード」とは本来は標準語のことである。しかし、「標準語」というと、たいていは、明治以降の「標準語」を思い浮かべるだろう。現在、アナウンサーがしゃべっている言葉、東京山の手の言葉などと言われるあの言葉だ。ところが、本書では、江戸期以来、一貫して「話し言葉の標準形態」つまり「標準語」があったと考えている。これを、一般にイメージされる「標準語」と区別して「標準形(スタンダード)」と呼ぼう。書き言葉にも、標準形があった。これも、歴史をたどれば、室町時代までさかのぼる。書き言葉を書く際の表記にも、標準形はあった。これも、明治維新と供に成立したものではない。いわゆる、仮名遣いの問題である。時折言われるように、歴史的仮名遣いは正しいのだろうか。いや、江戸期には、もっと多様で柔軟な表記を許すスタンダードがあった。このようにして、「スタンダード」と言うことを軸として、本書は話し言葉、書き言葉、仮名遣いの歴史に分け入っていく。豊饒な言葉の世界を堪能してください。
-
3.9世界の最先端を牽引する「新しい実在論」のマニフェスト、ついに電子版登場! 1980年ドイツ生まれのマルクス・ガブリエルは、今、最も注目されている哲学者です。その名を一挙に知らしめた『なぜ世界は存在しないのか』は、さまざまな領域に波紋を生み続けています。日本でも多くの読者を獲得している本書とともに、AIの飛躍的進化が象徴する先の読めない状況の中で、改めて「世界」と「人間」について考えてみましょう!
-
3.0
-
-
-
-
-
5.0
-
-
-
-
-
-
-
5.0
-
-小津映画の代名詞とも言える「ロー・ポジション」に据えられたキャメラは、悠久の静けさを帯びた〈永遠の現在〉を捉え続けた──『学生ロマンス 若き日』(昭和4年)から遺作『秋刀魚の味』(昭和37年)まで、現存する全37作品を一貫したまなざしの下で読み解いていく喜び。本書を読み終えたなら、その人は小津作品だけが達成しえた驚異の地平を目の前にするだろう。映画を愛するすべての者に贈る渾身の1冊!
-
5.0福沢諭吉は朝鮮侵略論者か、独立の支援者か――。「絶えざる転向」により多くの解釈を生むことになった福沢のアジア論。本書では、福沢と朝鮮で開化派と呼ばれた人々との関係と、『時事新報』の社説・論説を軸に、日朝清関係史のなかでそれを読み解いていく。そこに見えてきたのは、福沢のアジア論に貫徹する思想であり、「リベラルな帝国主義者」という19世紀的な立場が挫折してゆく過程であった。(講談社選書メチエ)
-
3.4
-
3.0
-
3.3
-
-妖精が戯れる神話の世界、美しい文様の装飾写本、大きな輪を重ねた石造の「ケルト十字架」、騎士や魔術師が活躍するアーサー王物語群など、ヨーロッパの古くて不思議な魅力がある文化――ケルトをこのように思い浮かべる人は多いだろう。 しかし本書によれば、アイルランドやスコットランドで特徴的なダンスや音楽、民族衣装をはじめ、ケルト美術の優品「タラ・ブローチ」「ケルズの書」なども、古代ケルト人に伝統をさかのぼるのは無理がある。では、近年の「ケルト懐疑論者」が主張するように、ケルトの「存在自体が怪しい」のかといえば、そうではない。 ケルト文化の本質は、ケルト諸語によって営まれた文化である。スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランスのブルターニュ地方などの「ケルト文化圏」の主要言語であり、現在は少数言語となっているゲール語、ブレイス語などのケルト諸語の分析から、「ケルトとは何か」を根源的に問い直す。そこには豊かな言語文化の広がりと、現在も生きている伝統の厚みがあった。 ある時は近代のナショナリズムに活用され、またある時はヨーロッパ統合の象徴となり、さらに近代文明を批判する「癒し」の精神性も期待される「ケルト」の虚像と実像とは。「ケルト人」と「ケルト文化圏」は、なぜ一致しないのか? 言語学と考古学、美術、文芸、民俗学などを総合したヨーロッパの「ケルト学」の成果と議論から、「歴史」と「文化」の深層がみえてくる。 目次 はじめに 第一章 近代が生んだケルト文化 1 華麗な音楽文化 2 展示される民族衣装 3 ヒーリングと反近代の思想性 4 ドルイドの実像と虚像 第二章 ケルト美術と考古学 1 「古代ケルト人」とは 2 タラ・ブローチとバターシーの盾 3 懐疑論と「西からのケルト語」 4 巨石文化を見直す 5 人の移動と文化の移転 第三章 文芸と民俗のなかのケルト 1 伝承文学と吟遊詩人 2 アーサー王伝説とバルドたち 3 韻律が伝える「ケルト文化」 4 民話と民謡の採集 5 妖精とハロウィーンの起源 第四章 民族起源の伝説と史実 1 ブリタニアの起源伝説 2 ブレイスの起源伝説 3 カムリー、エリウ、アルバの起源伝説 第五章 ケルト諸語の言語学 1 印欧語の歴史言語学 2 言語をどう分類するか 3 地名研究の効用 4 ケルト諸語の音声学 5 ケルト諸語の文法的特徴 第六章 社会のなかのケルト諸語 1 オガム文字の碑文を読む 2 「書きことば」をめぐる論争 3 社会階層・宗教・学校と言語 4 「言語死」をいかに食い止めるか おわりに
-
-いとうせいこう氏絶賛! 「新しく繁茂している植物学の葉の先端や根っこを余すところなく紹介しながら、一人の園芸家がヒトと自然の関係を深く掘り進む。目から枯れ葉が何枚も落ちた。」 東畑開人氏推薦! 「とにかく植物がすごすぎる。人間は全然かなわない。園芸家はそのすごすぎる自然と取っ組み合いになりながら、『いのち』の臨床をしていた。」 「人為なき自然は人を癒さない」「人は植物に対してもっと『不真面目』でいい」――。 地球温暖化、SDGs、樹木伐採にオフィス緑化……自然と人間が対立し、自然をめぐって人々が分断される時代に、私たちは植物とどのような関係を築けるだろう。 園芸業界初の植物ケアサービス「プランツケア」を創始していま大注目の「哲学する園芸家」が、その特異な経験から紡ぎ出す、「自然とよりよく生きる」ための言葉と実践! [目次] はじめに 第1章 園芸二重スパイをめぐって 1 園芸家系に生まれて 2 園芸左翼と園芸右翼 3 園芸二重スパイ誕生秘話 第2章 超越としての植物 1 植物は人を凌駕する 2 超越的寿命 3 超越的身体 4 超越的知性 5 超越的戦略 第3章 園芸とは超越の飼い慣らしである 1 園芸を問い直す 2 飼い慣らし入門 3 プランツケアの哲学 第4章 自然は人を癒すのか 1 自然愛と自然嫌悪 2 自然と人為 3 自然の自然さについて おわりに
-
5.0核戦争、環境破壊、パンデミック、超AI……人類滅亡の可能性はきわめて高い。 しかしそれを切り抜けたならば、人類は宇宙を征服するだろう、と言われる。 そのとき「人類」は果たして「ヒト」だろうか? そして存続を目指すべき「人類」の範疇とは? 超未来を想定すると、問うべき倫理と答えは変わる。 イーロン・マスクやテック企業家たちを熱狂させ、先端技術の基底思想になりつつある「長期主義」を軸に、ポストヒューマニズムの最前線を追う。 [本書の内容] はじめに 1 『風の谷のナウシカ』と考える超未来 2 長期主義とは何か? 第一章 最大多数の最大幸福 1 長期主義はどこからやってきたのか?:ピーター・シンガーと功利主義の革新 2 未来のための行いが未来のためになるとは限らない:デレク・パーフィットと世代間倫理 第二章 人類が滅びる可能性 1 ニック・ボストロムと存亡リスク 2 カタストロフ保険はありうるか? 3 ポストヒューマン時代 第三章 未来への対立軸 1 道徳哲学における長期主義 2 加速主義とテクノ・リバタリアン 3 これは新しい優生学か? 第四章 動物たちの未来と反出生主義 1 奴隷的存在は生まれてこない方がよかったのか? 2 動物・AI・人造人間の尊厳 第五章 倫理は常識に合致するか? 1 功利主義と不平等 2 「いとわしい結論」 3 未来のために現在を犠牲にするべきか? 第六章 あなたが存在する世界と非同一性問題 1 枝分かれする世界線 2 道徳か、人生の意味か? 3 不死は悪か? 第七章 シングルトンの困難 1 ノーマル・アクシデント 2 宇宙へのエクソダス? 第八章 宇宙には他に誰かいるのか? 1 フェルミ・パラドックス 2 この世界はシミュレーションか? 第九章 本当に人類は宇宙に出ていいのか? 1 引きこもり文明 2 暗黒森林理論 第十章 それでも宇宙を目指す意味 1 星間文明 補論 星間スーパーコンピューター 2 分岐する人類 おわりに 現在と未来 1 まとめ 2 『風の谷のナウシカ』と考える現在 3 終末なき終末論 注 あとがき
-
-子供はこっそり「悪書」に耽り、エリート学生は『善の研究』を通して「国体の本義」に自ら殉じていった――。 戦時下、人々は何を読み、何を考え、何になっていったのか。ベストセラーでも発行部数でもない、「読書調査」から掘り起こす、子供・勤労青年・女性・エリート学生たちの読書と生のリアル。統制と抵抗のはざまには、多様で複雑な読書と生の実践があった! [目次] はじめに 思想統制という幻像 序 章 読書は国家のために?――読書調査と思想統制 第一章 子供は見てはいけない――「悪書」の誕生 第二章 勤労青年は何を求めたか――娯楽と修養のはざまで 第三章 銃後女性の読書とその動員――忘れられた小説と忘れてはならない小説 第四章 ファシズムとエリート学生との回路――愛と認識との行方 終 章 読書を掘り起こす――「見えない」読者を追って おわりに 読書傾向調査の系譜 注 あとがき
-
3.8ハンナ・アレント(1906-75年)の『人間の条件』(英語版1958年)は、「人間」とは何か、とどまるところを知らない科学と技術の進歩は人間をどう変化させるのか、といった課題を考える際に不可欠の書として多くの人によって手にされてきた。待望の新訳(講談社学術文庫)刊行に際し、その訳者を務めた第一人者が決定版となる解説書を完成。定評ある『精読 アレント『全体主義の起源』』(講談社選書メチエ)の姉妹篇。『人間の条件』全6章のエッセンス、その背景や可能性を徹底解説! 【本書の内容】 序 章 マルクスと西洋政治思想の伝統 1 古典的政治哲学の成立 2 ソクラテス 3 存在への問いとプラトン 4 近代の転換 5 自然と人間の物質代謝 第I章 観照的生活と活動的生活 1 アウグスティヌスと古代世界の没落 2 不死と永遠 第II章 公的なものと私的なもの 1 アテナイにおける古典的ポリスの成立 2 古代における公私の区分 3 社会的なるものの勃興 4 公的領域の光の喪失 5 私有財産の意味 6 公私の区分の意味 第III章 労 働 1 「労働」と「仕事」 2 「世界」と労働、仕事の位置 3 人間の生と労働の意味 4 労働と生産力 5 私有財産の源泉としての労働 6 労働の労苦からの解放は何をもたらすか 7 大衆消費社会という不幸 第IV章 仕事と制作 1 産業革命における「消費」の無限拡大 2 制作過程の変容 3 功利主義批判 4 工作人と交換市場 5 世界の永続性と芸術 第V章 行 為 1 第二の「出生」 2 行為と人間事象の脆さ 3 ギリシア人の解決としてのポリスと「権力」概念 4 ヘーゲルからマルクスへ 5 行為の代替としての制作 6 人間関係を修復する「奇蹟」としての「許し」 7 行為の「予測不能性」に対する救済としての「約束」 8 自然過程への「行為」の介入 第VI章 近代の開幕と活動力のヒエラルキーの転換 1 近代の起点 2 ガリレオによる望遠鏡の発明 3 近代数学と経験からの解放 4 デカルトの懐疑 5 デカルト的内省と共通感覚の喪失 6 観照と活動の伝統的なヒエラルキーの解体 7 制作から過程へ 8 「工作人」の敗北と功利主義の限界 9 労働と生命の勝利 10 展 望
-
4.0武士とはいかなる存在であり、いかに成長して武家政権を築きあげたのか。著者ならではの、多彩な史料を駆使して描き出される500年の歴史! 鎌倉幕府の成立から江戸幕府の終焉までを考えても、武家政権が存続した期間は実に700年近くにも及ぶ。少なくとも「日本」という国号が使われるようになってからのこの国の歴史の半分は、武士が支配的であったことになる。彼らは一体なにもので、どのように成長し、そしていかなる政権を築きあげたのか。 8世紀に武をもって朝廷に仕える下級官人と規定された「武士」は、「兵(つわもの)」や「武者」として史料上に登場すると、戦乱を繰り返し、やがては朝廷にまでその力を及ばせ、公武にわたる政権を樹立するに至る。『今昔物語集』に見える平将門らの「兵」にはじまり、承平天慶の乱、前九年、後三年の合戦、保元・平治の乱、源平合戦、南北朝の動乱と、戦乱を重ねるごとに成長し、武家政権の到達点である足利義満の栄華にいたるまで、およそ500年の道のりを描き出す。 同時に、古文書や日記のみならず、説話集や軍記物、絵巻、遺跡の発掘成果などを駆使して、主従契約や一揆契約のありさま、親や主君の敵討ち、切腹、集団自決、殉死などの武士の作法、さらには武士の構えた宅や館など、様々な武士の存在形態を明らかにする。 芸能や文化を含む独自の幅広い視野で研究を重ねてきた著者による、決定版武士の歴史! 【本書の内容】 はじめに 第1章 武士の源流 一 兵たちの世界 二 京の武者と諸国の兵 三 兵・武者から武士へ 第2章 武士の成長 一 武士の家 二 武家と武士団 第3章 武家政権と武士 一 二つの武家 二 鎌倉幕府の成立と武士 第4章 北条政権下の武士 一 泰時の政治と鎌倉 二 鎌倉後期の武士の環境 三 絵巻に見る武士像 第5章 京の足利政権と武士 一 幕府の滅亡と室町幕府 二 南北朝の対立 三 室町幕府の体制 四 武士と武家政権の到達点 まとめと展望 コラム 伝説の武者像 コラム 為朝伝説の行方 コラム 能に描かれた武士
-
4.0〈「古典」は創造される〉 儒家たちが己の思想の正否を賭けてテキストと格闘し続けた、エキサイティングな二千年の思想史! □「子曰く」……孔子は本当にそう言ったのか?□ 春秋時代の弟子たちが残した師の言行は、口承で、あるいは竹簡や木簡によって紀元後に伝えられた。 それはさらに時を経て、前漢から宋、江戸時代の日本に至るまで、儒教の思想家たちの強い意志と意図とともに編纂、継承され、ついに『論語』は東アジア最大の古典としてつくりあげられた。 鄭玄、何晏から朱子までの儒家、江戸の伊藤仁斎、荻生徂徠らはあるべき聖賢の思想をいかに追い求めたか。 『論語』テキストの系譜を、ひとつの思想史として描き出す! 「本書が扱うものは、『論語』の形成過程と、朱熹の『論語集注』が成立するまでの解釈史である。しかも、そこで明らかになることは、『論語』とは、孔子の「ありがたい」言葉が収められているものではなく、長い歴史の中で、思想家たちの意図のもと孔子の言動は作られてきた、という事実である。それでは、『論語』を読むことに意味はないのか。そうではあるまい。『論語』などの古典は、時代や個人に応じて受け取られ方が異なるからこそ、時代を超えた普遍性を持って読み継がれてきた。『論語』も、それを手にした一人ひとりの思いに基づいて読まれてきた」(本書より)
-
3.3精神疾患の治療(マイナスをゼロへ)の枠を超え、 さらなる「幸せ」を目指す、ユニークな心理学が誕生した。 “ポジティブ心理学”は人生の価値観を問い、 哲学的知見も融合する、総合学である。 同じ環境で暮らす修道女の、寿命の差に潜む驚くべき原因とは? 利他行動は、精神にどんな良い影響を生むのか・・・・・・? さまざまな実験から、 自らを「幸福」状態へと導くメソッドを、学術的に検証。 新たな学問の可能性と個人、社会への活用法を、 政治学者が豊富な事例をふまえ、細やかに解説する。 まえがき 序章 政治哲学者、ポジティブ心理学と出合う 第一章 幸福へのアプローチ ウェルビーイング(良好状態)の科学的解明 1「心」のあり方が現実を変える――「修道女研究」の衝撃 2 幸福をもたらす感情・心理を測る 3「実践的科学」というポジティブ心理学の特質 第二章 本当の幸せを生み出す 「美徳」と「人格的強み」の再発見 1 短期的快楽か、長期的幸福か。ヘドニア─エウダイモニア論争 2 二四の「強み」から検証する、<人間>の物語 第三章 個人から社会へ――。ポジティブ心理学の包括的発展 1「心の状態」を善くする組織・制度とは? 2 高齢化社会への希望「ポジティブ健康」 3 次世代のための「ポジティブ教育」 4 ビジネスの成功を導く「ポジティブ組織学」 5 繁栄する社会への「ポジティブ政治経済」 注 参照した海外のテキストや辞典 日本語での概要や参考図書 あとがきにかえて――「善き幸福」の時代への希望 (内容紹介) ポジティブ感情は視野の広がりを生む。(中略)避けがたい困難で生じたネガティブな心理状態からの回復力(レジリエンス)を高めることにも寄与できることがわかってきている。ポジティブ感情を生み出すエクササイズは、弱い立場にある人が上向きの循環をつかむアート(技術)、身を守るためのアートとして生きるものでもあるのだ。 ―――「第一章 幸福へのアプローチ ウェルビーイング(良好状態)の科学的解明」より
-
-
-
4.5『現代日本の精神構造』(1965年)や『近代日本の心情の歴史』(1967年)で日本と日本人がたどってきた道行きを具体的な事象を使って鮮やかに分析した社会学者は、人々を震撼させた連続射殺事件の犯人を扱う「まなざしの地獄」(1973年)でさらなる衝撃を与えた。その名を、見田宗介(1937年生)という。 続くメキシコ滞在を機に、さらなる飛躍を遂げた社会学者は、「真木悠介」の名を使ってエポックメイキングな著作『気流の鳴る音』(1977年)を完成させる。ここで形を得た人間観と、そこから導かれるコミューンへの憧憬は、独自の理論に結晶していき、数多くの信奉者と、数多くの優れた弟子を生み出した。その成果は、『時間の比較社会学』(1981年)や『自我の起原』(1993年)といった真木悠介名義による労作を経て、ついに『現代社会の理論』(1996年)に到達する。現代の世界に向けられた冷徹と愛情の共存するまなざしは、最新の社会現象についても常に鋭利な分析をもたらし、今なお他の追随を許すことがない。 その思想が、かけがえのない「他者」たちとの対話を源泉にして生まれてきたこともまた間違いのない事実である。対談や座談会は収録の対象としなかった『定本 見田宗介著作集』(全10巻、2011-12年)と『定本 真木悠介著作集』(全4巻、2012-13年)を補完するべく精選された、珠玉の11篇。現代日本社会学の頂点に君臨する著者が望んだ初の対話集がついに完成した。 [本書収録の対話] 河合隼雄 超高層のバベル 大岡昇平 戦後日本を振り返る 吉本隆明 根柢を問い続ける存在 石牟礼道子 前の世の眼。この生の海。 廣松 渉 現代社会の存立構造 黒井千次 日常の中の熱狂とニヒル 山田太一 母子関係と日本社会 三浦 展 若い世代の精神変容 藤原帰一 二一世紀世界の構図 津島佑子 人間はどこへゆくのか 加藤典洋 現代社会論/比較社会学を再照射する 交響空間――あとがきに(見田宗介)
-
3.9これならわかる!『プロ倫』はなにを解き明かしたのか? いま受け取るべきメッセージはなにか?超難解書の全体像と核心が明快にわかる、驚異の解説書が登場。これが、ウェーバーの言いたかったことだ!《冒頭10頁強で、ウェーバーってどんな人&『プロ倫』のあらすじが、ざっくりわかる!》《基礎知識から "ライバル" ゾンバルトやマルクス主義とのわかりやすい対比まで、たのしくわかるコラム満載!》『プロ倫』は「プロテスタンティズムと資本主義の発展の関係」を論証したとされるが、本当にその試みは成功していたのだろうか? いまなお読み解くべき意義があるのだろうか? そんな素朴かつ核心的な問いをスタート地点にして、ウェーバーの論考のエッセンスを、クリアーで平明な文章で徹底解説。宗教改革によって勃興したプロティスタンティズムは、「天職」という概念や、神が誰を救うか/救わないかをすでに決めているという「二重予定説」なる教説を生み出した。快楽を排しひたむきに貨幣獲得に生きがいを見いだすような精神が生まれ、資本主義社会が発展していくが、しかし資本主義が爛熟すると崇高な精神が失われてしまう――ここに、ウェーバーの問題意識の核心があった。そして、その問いと思考は、現代における新保守主義という思想と響き合うものだった。市場経済の発達が加速度を増し、その行く末を誰も見通すことができなくなりつつあるいまこそ、近代とは、資本主義とはなにかを正面から考えた『プロ倫』のエッセンスを読もう!【本書の内容】序章 ウェーバーってどんな人?第1章 「問題」はどこにあるのか?第2章 資本主義の精神とはなにか?第3章 「天職」の概念が生まれた第4章 禁欲的プロテスタンティズムの倫理とはなにか? -1-第5章 禁欲的プロテスタンティズムの倫理とはなにか? -2-第6章 天職倫理と資本主義第7章 現代社会で生きる術を考える補論
-
-人間嫌いの厭世病。人の心の深い闇を描いた夏目漱石は、多病持ちだった。疱瘡、眼病、強度の神経衰弱、糖尿病、結核への恐怖、胃潰瘍……。次々襲う病魔と、文豪はいかに闘ったのか。医師との付き合い方、その診療にミスはなかったのか。そして病は、彼の生み出した文学にどんな影響を与えたのかーー。ままならない人生に抗い、嫉妬し、怒り、書き続けた49年。その生涯を、「病」をキーワードに読み解く!
-
4.1あなたが「思っている」と思っていることは、全部でっちあげだった! 「心の奥底には何かが隠されている」と、誰もが思いたがる。 心理学者や精神分析学者たちは、暗がりに潜むものを暴き出そうと奮闘してきた。 だが、神経科学や行動心理学の驚くべき新発見の数々は、隠された深みなどそもそも存在しないことを明らかにしている。 「無意識の思考」などというのは、神話にすぎなかったのだ。 わたしたちの脳は、思考や感情や欲望を「その瞬間に」生み出している……行動の理由も、政治的信念も、そして恋心さえも。 本書が紹介する数々の驚くべき実験結果を目にしたとき、そのことを疑うことはもはや不可能になる。 世界はどのように存在し、自分はどんな人間であるのか―それも、脳がもつ途方もない即興能力によって創り出されるフィクションなのだ。 認知科学をリードする世界的研究者が"脳と心"の秘密を解き明かす、超刺激的論考! ※原題は、The Mind is Flat: The Illusion of Mental Depth and The Improvised Mind (Penguin, 2019) 【本書「訳者解説」より】 本書の最終結論である「心には表面しかない」ということは序章から明記されており、深みという錯覚で私たちを騙している犯人は脳であるということが、あたかも最初から犯人がわかっている倒叙ミステリーのごとく、はじめから述べられている。そして、心理学実験を紹介しながら進められる論証は、章を追うごとに説得力を増していくことが、一読してわかるだろう。 ・ チェイター教授は、オークスフォード教授との推論心理学(人間はどのように推論するのか)の共同研究を続けつつ、意思決定や判断、言語や社会的相互作用へと研究領域を拡げ、また自ら会社を共同創業したりイギリス政府へ協力したりと、認知科学のビジネスや政策への応用にも取り組んでいる。 ・ 「心は実体というよりは、外界と接する接触面(インターフェイス)における即興演奏の ”手癖” である」という捉え方を展開する本書の見方の射程はかなり広い。 【本書の内容】 序章 文学の深さ、心の浅さ 第一部 心の深みという錯覚 でっち上げる力/現実という実感/インチキの解剖学/移り気な想像力/感情の創作/選んだ理由の捏造 第二部 即興が「心」を作る 思考のサイクル/意識の経路の狭さ/無意識的思考という神話/意識の境界/原理ではなく前例/知性の秘密 終章 自分を創り直す
-
4.4あのバブル絶頂時、そしてその崩壊、いずれのときも意外なほどに物価は動かなかった。それはなぜか? お菓子がどんどん小さくなっている……なぜ企業は値上げを避けるのか? インフレもデフレも気分次第!? 物価は「作る」ものだった? 経済というものの核心に迫るための最重要キーである、物価という概念。 国内第一人者が初歩の初歩から徹底的にわかりやすく説き起こし、社会にくらす私たち全員にとって、本当に知るべき経済学のエッセンスを教える、画期的入門書の登場! ハイパーインフレやデフレと闘う中央銀行や政府の実務家(ポリシーメーカー)たちは、何を考え何をしているのか。 それらの成果と教訓を研究者たちはどのように学び、理論を発展させてきたか。 私たちの生活そのものと直結する、生きた学問としての経済学が立ち上がっていく様を生き生きと描く! 学問としてのマクロ経済学を希求する、真摯な社会科学探究。 インフレもデフレもない安定した社会は、実現できるのか。 その大きな問いにこたえようとする、エキサイティングな一冊! 【本書より】 個々の商品の価格が、売り手や買い手の個別の事情を適切に反映して動くのは、自然なことです。そして、個々の価格は忙しく動きまわるけれど全体としてみると安定している、というのが健全な姿です。ただ、同じ「全体が動かない」場合でも、個々の価格がまったく動かず、その当然の帰結として全体も動かないということもあり得ます。しかしそれは病的だと言えるでしょう。(中略)売り手や買い手の事情で価格が上がり下がりするという、経済の健全な動きが止まっていたら、それは異変とみるべきです。後で詳しく述べますが、今の日本経済はこれに近い状態だと私はみています。 【主な内容】 はじめに 第1章 物価から何がわかるのか 第2章 何が物価を動かすのか 第3章 物価は制御できるのか――進化する理論、変化する政策 第4章 なぜデフレから抜け出せないのか――動かぬ物価の謎 第5章 物価理論はどうなっていくのか――インフレもデフレもない社会を目指して おわりに
-
4.0
-
-紀元1~2世紀頃、インドで興起した大乗仏教。それまでの教理を批判し、自利よりも利他行を強調する考え方は広く中国・日本にも及ぶ教えとなった。同時代にその教理は「法華経」「涅槃経」「華厳経」などの経典にまとめられたが、日本では「法華経」「勝鬘経」とともに「維摩経」の三経を仏教の根本として聖徳太子が注釈を加えている。本書の主題「維摩経」はやはり紀元1~2世紀頃の成立とされ、支謙(3世紀)、羅什(4~5世紀)、玄奘(7世紀)らが漢訳するなど、大乗経典のなかでも特に重要な経典であったが、もともとサンスクリット語で記された原典はこれまで存在が知られていなかった。それが2001年、大正大学の研究チームによってチベット・ポタラ宮の書庫でサンスクリット語写本が発見され一大ニュースとなった。その経典のなかで教えを説くのは、在家仏教者でありながら悟りを開いたとされるの「ヴィマラキールティ(維摩詰)」である。病を得た維摩のもとへ、世尊シャーキャムニの指示により訪ねてくる弟子・シャーリプトラ、マハーカーシュヤパや文殊菩薩たち。そこで繰り広げられる弟子や文殊たちと維摩との真理に関する問答。核心にあるのは「空」「煩悩即菩提」の思想であり、菩薩とはなにか、仏国土とはなにかという大問題が展開されるが、それぞれの場面は芝居仕立てによって読む者・聞く者を強く惹きつけていく。本書は、サンスクリット語原典写本からの和訳を引用しつつ、人びとに強烈なインパクトをもたらす大乗仏教の利他行思想を紹介する。
-
5.0
-
-我々の現代性の黎明期、日中戦争の前/日米戦争の後、江戸川乱歩と横溝正史――二人は探偵小説の夢を創造する。個人の日常生活を成立させるリアリズムの場に深い〈穴〉があき、あるいはリアリズムの〈場〉が〈死者〉の声に触れて崩れるとき、人間に関わる真実が独特の顔をして垣間見えることがある。だが、この真実を表象する手段は限られている。乱歩と正史はこの真実を寓喩――殺人とその不可能図形によって描き出す。
-
-20世紀後半を代表する思想家ミシェル・フーコー(1926-84年)が残した膨大な仕事の中で、最初の大きな山が「狂気」と「精神医学」を焦点とするものだった。1961年に34歳のフーコーが世に問うた『非理性と狂気』は、のちに『狂気の歴史』と改題されて今日まで読み継がれ、『言葉と物』や『知の考古学』と並ぶ代表作の一つとなっている。ところが、「狂気」というテーマは、その後の著作活動の中で背景に退いていき、フーコー自身、かつての狂気研究の価値を小さく見積もる発言さえ残している。 このことは何を意味しているのか? 「狂気」の問題はフーコーの関心の外に追いやられたのか、それとも、どこかに姿を隠しただけなのか。本書は、迷子のようになった「狂気」という問題の行方を探ることを目的としている。 そもそも「狂気(folie)」という言葉は、病気としての精神疾患を一義的に指すわけではなく、多様な意味をもつ。にもかかわらず、多くの研究者はフーコーの言う「狂気」を精神疾患と同一視し、その著書を批判的立場からの精神医学史とみなしてきた。本書は、その前提を疑うところから出発し、以下のように展開する。 『狂気の歴史』執筆の背景とアウトラインおよび方法、出版後の社会的反響、特に反精神医学運動による聖典化。フーコーを反精神医学の代表的論客とみなす定説の批判的検証。この定説の一つの根拠となった「精神病者を鎖から解放した大博愛家フィリップ・ピネル」という神話のフーコーによる破壊の内実。中期フーコーが権力を中心課題に据える中での狂気の位置づけの変化。夢と狂気に関するデカルトのテクストのフーコーによる解釈とそれにまつわるジャック・デリダとの論争。芸能、文学、造形作品に表現された文化的表象としての狂気とそのフーコーによる理解。レーモン・ルーセルという特異な作家の作品との出会いがフーコーにもたらした衝撃。 本書は、長年にわたる臨床経験に立脚しながらフーコーにおける「狂気」の問題を徹底的に追求する稀有な試みであり、その根底には「人が狂うことにはどのような意味があるか」という根本的な問いがある。 [本書の内容] 第1章 初期フーコーと狂気の問題 第2章 反精神医学の神殿へ 第3章 フーコーはピネル神話を破壊したか 第4章 精神医学権力――コレージュ・ド・フランス講義 第5章 愚かさと狂気――『阿呆船』と『痴愚神礼讃』 第6章 フーコーはデカルトをどのように読まなかったか 第7章 想像力の世界と狂気 第8章 ルーセルの衝撃 第9章 ソクラテスとフーコー
-
4.0ニーチェは、19世紀の終わりに「身体はひとつの大きな理性だ」という印象的な表現を残している。近代的な理性による啓蒙が重視された時代背景と対照させて考えるなら、ニーチェは啓蒙主義的な理性を「小さな理性」、それに対抗して到来すべき身体を「大きな理性」ととらえていたと思われる。小さな理性を重視する合理的主体ではなく、生命のはたらきを内蔵する「大いなる理性」としての身体こそ、来るべき20世紀を生きる主体だと見ていたに違いない。 ニーチェに呼応するかのように、フロイトやライヒの「症状」あるいは「性」への着眼から、メルロ=ポンティが示した「受肉した意識」としての身体、さらに認知科学の展開へと、身体の意味が探求されてゆく。20世紀終盤には身体性認知科学が興隆、身体と環境の「あいだ」に拡がる心を見出し、いっぽう脳神経科学は拡張身体の可能性を探ることになる。 本書では、まず(1)フロイトと精神分析の思想、(2)精神分析から派生したライヒの生命思想、(3)サルトルの実存主義における精神と身体をめぐる議論を紹介する。続く20世紀半ばから現在にかけて展開する身体の思想としては、(4)メルロ=ポンティによる身体論と身体性認知科学を取り上げ、その展開として、(5)現代における身体イメージとその病理をめぐる議論、(6)脳神経科学と技術を通じて見えてくる「拡張身体」の姿を見定め、合わせて心の科学に関連する広範囲の文化現象を通じて、人びとの身体と心がどのような未来に向かいつつあるのかを考察するものである。 [本書の内容] 序 章 大きな理性としての身体 第1章 精神分析における身体――フロイトの洞察 第2章 性と聖を結ぶ身体――フロイトからライヒへ、ライヒから現代へ 第3章 身体の思想としての実存主義――サルトルを超えて 第4章 身体を取り戻した心――メルロ=ポンティと身体性認知 第5章 身体イメージと現代――「付き合いにくい存在」か「大きな理性」か? 第6章 脱身体から拡張身体へ――脳科学から見る身体の近未来
-
-文学作品が刊行されたあと非難や攻撃や異議を受けるというのは今日でも目にする光景です。学術的な論文や書籍でも、文学作品でも、盗用の疑惑をもたれたり、実際に告発されたりすることは決して稀ではありません。そういうとき、後ろめたさゆえに無言を貫く著者もいるでしょう。告発はあたらないと思いつつ、言い訳をしないのが美徳だと考えて、あえて反論しないケースもあるでしょう。その一方で、批判は間違っていると確信して反論する著者ももちろんいます。 こうした光景はめずらしくないだけに、あらかじめ弁明や正当化、謝罪や説明を表明する著者がいることにも不思議はありません。本書は「序文」に注目して、作家たちが序文でいかなる戦略を展開しているのかを紹介しつつ、個々の戦略を分類しつつ説明していきます。すでに起きているものであれ、まだ起きていないものであれ、攻撃に対する防御のために利用される戦場が序文であり、そこには文学者たちが編み出した戦略と戦術があるのです。 目次を見ていただければお分かりのように、想定されている「攻撃」は実に多種多様であり、それに応じて「防御」の戦術も多種多様です。西洋古典から近代文学に至るヨーロッパ文学に造詣が深いだけでなく、修辞理論にも通じた著者が、渉猟した膨大な作品から実例を選りすぐりました。そこで繰り広げられている作家たちの戦いの場に、本書で立ち会ってください。文学作品を読んでいる時には見過ごしてしまう巧妙なテクニックの数々を目撃し、驚愕すること、請け合いです。 [本書の内容] 第I部 序文の防御戦略を記述するさまざまな理論 第1章 伝統レトリック 第2章 メタ談話 第3章 ポリフォニー 第4章 読 者 第5章 言語行為 第6章 ポライトネス 第II部 攻撃側のさまざまな訴因 第7章 涜 神 第8章 猥 褻 第9章 剽 窃 第10章 背徳と反体制 第11章 性別や人種に関する規範に違反 第12章 有害無益 第13章 虚偽と実在指示 第14章 ジャンルの規則に違反 第15章 悪 文 第16章 不出来
-
4.0「恋愛作法の達人になるのは、ふふ、無理だろうけど、「恋する私」や「失恋した私」をながめる眼鏡くらいは、手に入るかも」(「シラバス(2019前期)」より) 「恋愛学」と学生の間で呼ばれた都立大学の人気授業を書籍化! 恋愛に正解はない――だからそれは自分や他人について考える絶好の機会になる。 オペラ、文学、哲学、映画、ドラマなど多彩な素材から繰り出される問いの数々と、出席者の等身大の声でつくりあげられた異色にして極上の授業の報告。 金曜4限の「ドイツ語圏ドイツ文化論」、学生たちがつけたまたの名を「恋愛学」。2010年頃に始まったこの授業は、「彼(彼女)にも受講してほしい」と口コミで広がり、ついには参加者200名超にも及ぶ人気講義になりました。 《カルメン》や《ドン・ジョヴァンニ》などのオペラ、太宰治の恋文、ヴィトゲンシュタインの哲学、『存在の耐えられない軽さ』にドラマ『あまちゃん』まで、多彩な素材をもとに恋愛について考えます。 授業を彩るもうひとつの重要な要素が授業のリアクションペーパー、通称「紙メール」。「草食化」、「恋愛離れ」というレッテルを貼られがちな20代の等身大の声を導きの糸に、授業は縦横無尽に展開していきます。 恋は、がんばったからといって上手くいくものではありません。相手の気持ちはもちろん、自分の気持ちもコントロールできない。「私は、私という家の主人ですらない」(フロイト)のが人間です。コントロールできない局面でどうふるまうか――。恋愛に正解はありません。だからこそ恋について考えることは、「私」やコミュニケーションについて考えを深める、またとない機会でもあります。 「パルラ・バッソ(低い声で語れ)」、「捨恋」、「オイラー図」、「136問題(「伝えたいことが10あったとする。文字情報で伝わるのは1。声の調子や表情や身ぶりなどで伝わるのは3。残りの6は伝わらない」)」……ユニークで一度聞いたら忘れられない合言葉の数々。思わず自分の恋も語りだしたくなる? 感情揺さぶる〈実況中継〉講義。 【本書の内容】 「あしたの天気は、晴れか曇りか雨です」――反証可能性 モテる男は叫ばない――136問題 「カタログの歌」――ドン・ジョヴァンニの哲学 めざせ10連敗!――ヴィトゲンシュタインの教え 「さあ聞け。男(女)が思ったが、言わなかったことを」 自分の無力に思い上がるな 手紙に書いたキス 恋愛のピリオド奏法 ふりをする――世界は舞台/そして男も女も役者にすぎない? なぜドン・ジョヴァンニはトリスタンになったのか 非接触系の愛――1対(1) 「絶望するな。では、失敬」 ……など。
-
3.7戦国時代の主役は大名でも武将でもない! ヒトとモノのエコシステム=生態系が、中世日本のダイナミックな変動を生み出した! 戦乱が多発したのみならず、寒冷化という気候変動もあって、当時の列島は生物種としてのヒトにとって、きわめて生存が厳しい環境であった。 そのような「戦場」を、庶民たちはどのようにしてサバイバルし、時代を動かしたのか? 本書は、戦国日本とはいかなる時代であったのかという問いに対し、庶民の主体的な行動が歴史の動因であったことに注目して、ひとつの答えを示そうという試みである。 海・山の動植物が織りなす生態系と、そこから恵みを得て生活を営む人々の社会システムを一つの系としてとらえ、戦国の動因を描き出す、斬新な〈生態学的アプローチ〉による中世史像! 【本書より】 考えてみれば、信長や秀吉など英雄たちが「新しい世の中」をつくるために行ったとされるさまざまな政策やドンパチやった戦争は、結局のところ、庶民がそれに従ってくれたからこそ成り立っており、また、庶民が生業を営む中で生産し供給するさまざまな財やサービスを消費することで成り立っていた。徴税は庶民が納税してくれるからこそ可能だし、戦争は庶民が食糧や武器などを生産し供給してくれるからこそ可能である。 【主な内容】 はじめに たくさんの「久三郎たち」の歴史 序章 生存戦略、生態系、生業――越前国極西部 第一章 山森林の恵みと生業ポートフォリオ――越知山 山森林の生態系の恵みと多様な生産/資源分配をめぐるせめぎあい/柴田勝家と森林史の近世化 第二章 「海あり山村」の生存戦略――越前海岸 生業は海岸部だけで完結しているか/海の生態系のさまざまな恵みと技術革新/行政権力が生業技術を求める 第三章 工業も生態系の恵み――越前焼 大量生産化と資源分配―考古学的知見が語る生産戦略/売る、組織整備、新アイテム――記録が語る生産戦略と近世への助走 第四章 戦国ロジスティクス――干飯浦と西街道敦賀 馬借たちの生存戦略と競争/水運業者たちの生存戦略と広域的な経済構造 終章 「久三郎たち」の歴史、ふたたび 凡例 参考文献 注
-
4.0新しいウイルスの蔓延によってテレワークが普及し、余暇の時間もデバイスで好みの動画を視聴する人が急激に増えています。もちろん、これまでも新聞やテレビを通じて世界を知り、電話や電子メールを使って他の人とコミュニケーションを交わす、ということは行われてきました。しかし、1日の大部分をインターネットに接続された機器に囲まれて生活するようになったのも、それらの機器がAIの搭載によって「道具」と呼べないほど自立した存在になってきたのも、ここ十数年の変化でしかありません――最初のiPhoneが発売されたのは2007年なのです。 これほどの変化が私たちの生活だけでなく、私たち自身に何の影響も及ぼさないとは考えられません。では、それはどんな影響なのか? 新聞やテレビ、電話や電子メールから、スマホで見る動画、さらにはVRまで、これらはすべて「メディア」です。しかし、そもそもメディアとは何なのでしょう? 本書は、ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940年)が残した複製技術論を梃子にして、メディアの本質は「複製(コピー)」であるという事実に基づいて、技術の進化とともにメディアが及ぼしてきた影響を考察するものです。メディアは「画像メディア」と「言語メディア」に分類されますが、両者は接合され統合されてきました。その過程でメディアが人間の身体と知覚に与えてきた影響、人間の集団編成のメカニズムにもたらしてきた変化、その結果もたらされた政治性の変容が確かめられます。そして、最終的にそれらの影響や変化はヴァーチャルリアリティに代表される最新のメディアにも見出されることが明らかになるのです。 本書には、日本を代表するベンヤミンの専門家である著者が精緻なテクスト読解と大胆な挑戦的思考を共存させながら結実させた稀有な思考が記録されています。これは、誰もが身を置く現在の状況について本質的な理解を与えてくれる大切な1冊です。 【本書の内容】 第I章 メディアの哲学のために 1 メディアとは何か 2 メディアの転換 3 現代のメディア状況と「複製」 第II章 技術性と魔術性 1 メディアにおける世俗化 2 技術と魔術の弁証法 3 画像メディアと言語メディアの接合 第III章 メディアと知覚の変容 1 技術と知覚 2 新しい技術メディアによる知覚の変容 3 モンタージュと「リアリティ」 4 視覚と触覚の思想史 第IV章 メディアの政治性 1 社会を規定する技術性 2 知識人とプロレタリアート 3 映画を受容する「集合的身体」 第V章 ハイパーテクストの彼方へ 1 「技術的複製可能性の時代の芸術作品」の思考モデル 2 ハイパーテクストの思想とヴァーチャルリアリティ
-
3.8本書は、ビッグデータの専門家としてさまざまなメディアで活躍する著者の話題作です。 現代の戦争は、実際の兵器を用いた侵攻も含め、すべて「目に見えない戦争(インヴィジブル・ウォー)」である――これが本書で明らかにされる事実です。その実態が多くの具体的な事例や事件を題材にして語られます。 まずは、デジタル空間における国家の諜報・妨害活動。活動家、テロリスト、ハッカーなど、表面的には国家の委託を受けていない個人によるサイバー攻撃は、国際法上の「戦争」の資格を満たしていません。しかし、今や他国に対する攻撃の要は、相手国の国民の自国政府に対する信頼を切り崩すことにあります。その典型例が2016年のアメリカ大統領選におけるロシアの介入であり、2022年のウクライナ侵攻でも同じ手法が用いられているはずです。こうした情報空間の分断とデマゴギーがもたらす効果は何でしょうか。 続いて取り上げられるのは、自律型致死兵器システム。人の手を交えずに人命を奪う危険な新兵器です。ドローン兵器やキラーロボットなど、現在の戦場における主力兵器のそばに人間の姿はありません。しかし、その使用に規制をかける動きは鈍く、これらの兵器に対抗できる手段を開発するしかないのが実情です。その手段が攻撃してくる相手に対する「逆ハッキング(ハックバック)」ですが、その開発は国家ではなく民間企業によって行われています。 「目に見えない戦争」が一方の西側諸国、他方の中国とロシアという対立の中で進行していることに異論はないでしょう。両陣営は異なる戦略をとり、西側諸国は経済的競争力を高めることを、中国とロシアは経済的な価値のある資源を政治的・軍事的に管理することを目指しています。二つの体制の対立に直面する今、ヨーロッパは、そしてアジア諸国はどうすればよいのか? この喫緊の問いに答えるための材料を本書は惜しみなく与えてくれるでしょう。 【本書の内容】 [1]兵器としてのコード [2]情報戦 [3]人工知能軍拡競争 [4]ハックバック [5]主導権をめぐる戦い [6]「条件つき防衛態勢」
-
3.5スマホをアップデートしたら、画面がガラッと変わって、お目当てのアプリや写真がどこにあるのか分からなくなった……そんな経験を思い出せば、「記憶」は「場所」と結びついていることが分かる。この特性を利用して膨大な記憶を整理・利用できるようにする技法が、かつてヨーロッパに存在した。古代ギリシアで生まれ、中世を経て、ルネサンスで隆盛を極めた記憶術の歴史を一望する書。最先端で活躍する気鋭の著者による決定版!
-
5.0
-
-ヨーロッパは、没落していくことをみずから欲せざるをえない。 そして没落していく者としてのみ、到来する者となるだろう――。 アガンベン、エーコ、ネグリ、エスポジト……イタリアの思想家が世界を席巻するなか、その隆盛を牽引してきた最も重要な哲学者でありながら、日本ではいまだその全容を知られていない、マッシモ・カッチャーリ(1944年生)。クザーヌスやブルーノなどの異端的な思想を愛し、ニーチェに基づく「否定の思考」を信条とする著者が耳を傾けてきた「希望に抗する希望の声」とは、いかなる声なのか。一筋縄ではいかない知性に裏打ちされたヨーロッパ論にして共同体論。 本書は、ヨーロッパがいかにして自らを「ヨーロッパ」として同定するに至ったかを、古典古代のテクストに準拠しつつ、中世から近代、そしてさらにはシモーヌ・ヴェイユやカール・シュミットなど現代において提出されてきたさまざまなヨーロッパ像と突き合わせながら丹念に読み解いていく。 エピローグにおいて、カッチャーリは「ヨーロッパの唯一の未来」を示唆する。冷戦終結後、ヨーロッパの統合と拡大が一気に進むなか、EU誕生の翌年にあたる1994年に本書は刊行された。その後、国際情勢は大きく変動し、いまやヨーロッパはロシアの脅威にさらされる一方で、中国をはじめとする新たな国家の台頭をうけ、各国でこれまでになく右派勢力が拡大し、EUも大きく揺らいでいる。40年の時を経た今、本書の対となる書物『アルキペラゴス(多島海)』とあわせてカッチャーリが示したヨーロッパ像、そしてヨーロッパの未来は、分かりやすくはないからこそ、そこに開かれる可能性を示唆している。イタリアが、そしてヨーロッパが誇る知性が描きだすヨーロッパとは――。 【本書の内容】 第1章 ヨーロッパの地理哲学 第2章 戦争と海 第3章 英雄たち 第4章 歓迎されざる客 第5章 不在の祖国
-
4.0ザムザが「変身」したのは「虫」なのか? 『城』の冒頭でKが到着したのは「村」なのか? 『審判』という表題は『訴訟』とすべきか? カフカの作品にはいくつもの日本語訳が存在し、多くの人に親しまれてきた。だが、「虫」と訳されてきた『変身』を見ても、「虫けら」と訳したもの、原語のまま「ウンゲツィーファー」と表記しているものが登場するなど、一筋縄ではいかない。しかも、1915年に発表された『変身』は作家が生前に公表した数少ない作品の一つで、むしろ例外に該当する。代表作とされる『城』や『審判』は死後出版されたものだが、作家は確定稿を残さなかったため、ほんとうの構成も、ほんとうの順序も、ほんとうの結末も推測するしかないのが実態である。 没後100年を迎えた作家をめぐるドイツ語原文の編集事情を紹介しつつ、カフカのテクストに含まれる錯綜した問題を分かりやすく伝え、日本語訳の問題を検証する。あなたは、まだ「ほんとうのカフカ」を知らない! [本書の内容] 序 章 ほんとうの変身 「虫」ではなく「ウンゲツィーファー」?/「ウンゲツィーファー」ではなく「虫けら」?/『田舎の婚礼準備』と『変身』/“insect” ではなく “vermin”?/『メタモルフォーシス』ではなく『トランスフォーメーション』? 第一章 ほんとうの到着 「K」は村に着いたのか/書いたままのテクスト?/等価ではない翻訳/誤訳だけではない問題/手稿をめぐる誤情報/「私」の到着/うさんくさい男たち/「私」は測量技師なのか/不審な「私」/もうひとつの到着/少年か、青年か/悪魔のような息子/愛のしるし/仕掛けられた罠/ほんとうの到着 第二章 ほんとうの編集 「私」はいつ「K」になったか/電話はどこにかけたのか/出まかせの肩書き/アイデンティティの正体/「章」とは何か/矛盾する編集方針/定められた〈冒頭〉/新しい「始まり」と「終わり」/〈本〉ではなく〈函〉/批判版vs.写真版/完結した章と未完結の章/ひとつの〈いま〉と複数の〈いま〉/〈正しさ〉をめぐるジレンマ/「夢」は含まれるか 第三章 ほんとうの夢 「史的批判版」という名の写真版/編集の問題と翻訳の問題/ほんとうの「史的批判版」/編集文献学の必要性/ほんとうの底本/「オリジナル」概念の難しさ/もっとも新しい復刻本?/アカデミーへ「提出する」?/ほんとうの外見/書いたものを観察する/『審判』か『訴訟』か/ヴァリアントの提示/「幹」はあるのか?/「私」が現れて消えるとき/ほんとうの結末/白水社版の意義/丘の上の小さな家/ほんとうの夢 第四章 ほんとうの手紙 タイプライターで書かれた手紙/批判版での手紙の並び/ブロート版では読めない手紙/妹の結婚/ほんとうの手紙/フェリスか、フェリーツェか
-
4.7AIは、人間にはなれない。けれどもAIの進歩は、現代人の思考を変える。 現代科学の系譜をたどり、私たちの世界観を根本から覆す科学論! 近年では、人間の知性を超えるAIが大真面目に考えられている。チェスや将棋のAIが人間を圧倒するだけではなく、将来は、様々な分野で機械が人間にとって代わるかもしれない。 実は、このAIの源流にあるのが、コンピューターの父フォン・ノイマンの影響のもと、二〇世紀の知的世界を席巻し、認知科学やSFに影響を与えた科学、サイバネティクスである。しかし、その起源には、現代科学と相反する思想が胚胎していた――。サイバネティクスの創始者ノーバート・ウィーナーの思想から、その歴史を現代までたどり直し、徹底することで、不確かな世界を生き延びるための生命の科学を立ち上げる。情報・生命・社会の未来を読み解くための、革新的な科学論! 【目次】 はじめに 第1章 機械は人間になり、人間は機械になる?――サイバネティクスの旅路 1 第三次AIブームの先に 2 コンピューティング・パラダイムの浸透 3 原点としてのサイバネティクス 第2章 制御と循環のはざまで――胚胎された岐路 1 フォン・ノイマンの論理 2 ウィーナーの憂慮 3 ベイトソンの調和 4 フェルスターの再帰計算 第3章 セカンド・オーダーへの浮上――観察することを観察する 1 自己の制御を制御する 2 環境のトリビアル化 3 認知的盲点 4 ファースト・オーダーからセカンド・オーダーへ 第4章 オートポイエーシスの衝撃――生命システムとは何か 1 生命の定義 2 生物非機械論の確立 3 生命現象としての認知 4 説明の円環 第5章 現実はつくられる――構成主義の諸問題 1 現実の発明法 2 グレーザーズフェルドのラディカル構成主義 3 共同的な現実構成 第6章 情報とは何か――情報学としてのサイバネティクス 1 サイバネティクスの情報観 2 新しい情報学の台頭 3 情報伝達というフィクション 第7章 まとめと展望――サイバネティック・パラダイムの行方 1 サイバネティクスと二つのパラダイム 2 ネオ・サイバネティクスの応用領域 注 参考文献一覧 おわりに
-
-『なぜ世界は存在しないのか』でその名を轟かせたマルクス・ガブリエルをはじめ、「哲学」が注目を浴びることが多くなっています。出版界を眺めれば、古典や現代哲学の日本語訳、初心者向けの入門書、専門家の研究書などなど、幾多の書籍であふれかえり、何を手にすればいいのか、本当に「哲学する」ことを教えてくれるのはどの本なのか、すぐには分からないのが現状だと言わざるをえません。本書は、実力者として知られる著者が、入門書から一歩でも二歩でも先に進み、自分自身で「哲学する」ことを求める人に向けて、そのために役立つモデルを提供するものです。 哲学を始めるには、まず過去のさまざまな哲学者たちの議論を知ろうとすることでしょう。そのための入門書や解説書はたくさんありますが、そこで展開される思考が、今ここで生きている自分と、あるいは自分が生きているこの現実と、どのように切り結ぶものなのかは、誰も教えてくれません。本書でも、デカルト、スピノザ、ライプニッツといった17世紀に生きた哲学者たちを取り上げますが、目的は彼らの思想を手軽に知ることではなく、それを自分の問いにするとはどういうことのなのかを示すことにあります。 本書が表題に掲げる「夢」と「虹」は、いずれも、存在しているのか、存在していないのかを明確には言うことのできない、曖昧なものです。「夢」については、第I章で取り上げられる『千一夜物語』の「目覚めて眠る男」が恰好の題材になります。それは、バグダードを舞台にして、ハサンという男がカリフ(イスラームの最高指導者)のアル・ラシードに騙される物語です。酩酊から醒めたとき、ハサンはカリフとして丁重な扱いを受けます。これはアル・ラシードが悪戯で命令したからなのですが、はじめは困惑していたハサンも徐々にその気になり、自分は本当にカリフなのだと思うようになるのです――さて、ハサンが体験したのは「現実」なのでしょうか、それとも「夢」なのでしょうか。ここには、まさに「哲学する」ための最高の問いがあります。 本書は、このように「夢」と「虹」という題材から始め、さらには「身体」と「時間」という私たちとは切っても切れないものに進んで、最終的には「存在」を取り上げ、マルクス・ガブリエルの議論と対決します。各章の末尾には、みなさんが「哲学する」ための練習問題を設けることで、さらなる一歩にいざなってくれるでしょう。中には難しいところもあるかもしれません。でも、本書を手ががかりにして根気よく思考していったとき、そこには見たこともない光景が広がっていることでしょう。 [本書の内容] 第I章 夢――デカルトとライプニッツから始める 第II章 虹――現象と幻想の存在論的距離 第III章 私の身体――因果と表象の二重性 第IV章 時 間 第V章 現実の存在論
-
4.7
-
3.0本書の副題にある「生命の再生産」という言葉を目にするとき、何を思い浮かべるでしょうか。 親から子どもが生まれ、その子どもが成長して親となり、またその子どもが生まれる、という世代の連鎖でしょうか。それとも死者の生まれ変わりとしての生者というようなイメージでしょうか。取り沙汰されることの多い「少子化問題」を思い浮かべる人もいるかもしれません。 出生数の減少が社会に負の影響を及ぼしている、という議論がなされています。そこでは、「生むこと」をしない人が増えたことに危機感を抱き、次世代に対する責任が説かれたり、「生むこと」をめぐる個人を取り巻く環境を整備する必要性が訴えられたりします。 しかし、本書は「生むこと」を「人類の存続」や「社会の繁栄」や「種の繁殖」といった大義のために「当たり前に必要なこと」とは考えません。「人類」や「社会」や「種」を構成する人々の数が増えるか否かという尺度で「生まれること」を意味づける考え方から距離を置き、「生まれること」をそれ自体として意味づけることを試みるのです。そのためには、各々の経験の個別性や唯一性を捨象せず、どのような経験をした人にも共通して開かれた地平で「生まれること」について考えなければなりません。 本当は誰にとっても関わりのある「生命の再生産」という問題をマルクスに立ち戻ってそれ自体として考察する中で、フォイエルバッハや田辺元といった者たちの思考を再検討する本書は、マルクスの思考には今日の重要な課題である「人新世」の始まりやエコロジーに通じるものがあることを明らかにするでしょう。 『高群逸枝の夢』で注目を集めた著者が満を持して放つ渾身の論考がついに姿を現します。 [本書の内容] 第一章「息子たちは父をもたない」 1 誕生以前の生き物は己の生まれる夢を見るか? 2 父でなく、父たること 3 二人のルイ 第二章 資本、父と子、自己増殖 1 算術への反乱 2 自己増殖する怪物 3 再生産論再考 4 「人類の不死性」をめぐる対話 5 「神学者」マルクス 第三章 労働の彼方 1 宿命の名の下に――自然と人間の物質代謝 2 時間の弁証法 3 「自由の国」の必然性 4 労働は永遠に? 5 幽霊的労働 第四章 種と性とフォイエルバッハ 1 二人の「類」(1)――マルクス 2 二人の「類」(2)――フォイエルバッハ 3 種としての個体 4 想像の集合体 5 「超人への橋」、種の終わり 第五章 幼虫の形態学 1 「人間の生成」 2 田辺元、否定のロンド 3 運命の夜、偶然の星 4 種のメタモルフォーゼ 5 出会いの系譜学
-
-「あるはある あらぬはあらぬ」――遺された断片を読み解き、哲学史上最大の謎に迫る、大家による哲学ミステリー! 紀元前五世紀前半に活躍したパルメニデスの詩的断片をめぐって後世になされた数多の解釈は、どれも道を踏み誤っている。遺されたテクストを丹念に読み直し、「あるもの」をめぐるすべての論証を「帰謬論法」として捉えてみれば、「あらぬものはあらぬ」と、否定に否定を重ねる道の彼方で、「あるもの」の本性に肉迫することができるだろう――。最新の考古学的発見をも参照しつつ、政治家・立法者でもあった哲学者の全貌を復元せんとする独創的な試みは、やがて誰も予想しなかった意外な結末へと辿り着く。古代哲学最大の難問を解き明かす、著者畢生の書! [目次] プロロゴス 第一章 海上を放浪する国 第二章 序歌 第三章 真理の道 第四章 思惑の道 第五章 二つのヘーローオン エピロゴス パルメニデス断片テクストならびに翻訳 注 参考文献 事項索引 人名索引
-
3.6世界初のこころみ 超難解哲学書を原典に忠実に、かつ平易に解読 大好評、知の高峰を読み平らげるメチエ「完全解読」シリーズ第2弾。 古代ギリシア以来の哲学をコペルニクス的に転回し、近代哲学の礎を築いたカント三批判書の第1書。「物自体」「カテゴリー」「アンチノミー」などのキー概念を中心に、難解でなる著作の理路を徹底的かつ平易に解読する。
-
4.0かつては「人口爆発」が、そして現代では「人口減少」が、重大な危機として社会に浮上している。 人口が増えたり減ったりすることは、社会においていかなる問題として捉えられてきのか。 経済学の歴史を振り返ると、それは制度や統治という問題圏と常に重なり合いながら論じられてきた。 本書はそれの道のりを、社会思想史の底流にある大きな流れとして描き出す挑戦である。 人口というものは、とりわけ現在の日本において喫緊の問題となっているが、それはわたしたちが社会をいかなるものとして捉え、統治するかという問題と表裏一体となっている。 アダム・スミス、マルサス、ミル、ケインズ――本書でたどる彼らの思想的格闘のあとは、いまわたしたちがまさに直面する危機を考えるにあたり、見逃すことのできない発見をもたらすだろう。 【本書の内容】 序文 第一章 重商主義の時代 人口論の射程の広さとデータ主義の起源 1.はじめに 2.ペティ:人口を測る 3.重商主義と人口 4.おわりに 5.補説:ベーコン主義 第二章 スミスの時代 自由と平等の条件と、経済学の生成 1.はじめに 2.モンテスキュー 3.ヒューム・ウォーレス論争 4.ステュアートとケイムズ卿 5.スミス 6.おわりに 第三章 マルサスと古典派経済学 フランス革命後の統治論の平等論的転回 1.はじめに 2.コンドルセとフランス革命 3.ゴドウィンとフランス革命 4.マルサス 5.リカードウ 6.J・S・ミル 7.おわりに 第四章 ケインズと転換期の経済学 人口減少論の勃興 1.はじめに 2.マーシャル 3.優生学 4.ケインズにおける人口変動 5.成長理論と人口:ハロッドとソロー 6.おわりに 第五章 現代の経済学 人口法則とその統治論的含意 1.はじめに 2.人口転換論 3.現代経済学と人口論 4.世代間所得移転 5.経済の成長と長期停滞 6.おわりに 結語 注 参考文献
-
4.3大澤真幸・熊野純彦両氏の責任編集による叢書「極限の思想」第4弾!「自らの思考を極限までつき詰めた思想家」たちの、思想の根源に迫る決定版。21世紀のいま、この困難な時代を乗り越えるには、まさにこれらの極限にまで到達した思想こそ、参照に値するだろう。 本巻は『存在と時間』の精密な読解を通して、ハイデガーの思想の精髄にせまる! ハイデガー自身が執筆し公刊された唯一の体系的な著作にして、未完の大著『存在と時間』。難解をもって鳴るこの哲学書をどう読むべきか。 「私たちがそれぞれそうであるところの存在者」を「現存在」と呼び、また、私たちが「世界の内にある」在りようを「世界内存在」と呼ぶ。このように、さまざまな概念を次々に出しながら、ハイデガーが分析しようとしたこととは何だったのか。私たちがそれぞれの「私」を生きているとはどういうことか。本来的な自己とは。――その哲学的果実を味読する力作。 【目次】 第一章 『存在と時間』という書物 第二章 世界の内にあること 第三章 空間の内にあること 第四章 他者と共にあること 第五章 ひとりの私であること 第六章 本来的な在りかた 第七章 自己であること 終章 世界内存在を生きる
-
5.0大澤真幸・熊野純彦両氏の責任編集による新たな叢書、刊行開始!「自らの思考を極限までつき詰めた思想家」たちの、思想の根源に迫る決定版。21世紀のいま、この困難な時代を乗り越えるには、まさにこれらの極限にまで到達した思想こそ、参照に値するだろう。 ドゥルーズは20世紀を代表する哲学者だ。難解にもかかわらず、人の心を魅了する力がある。「ドゥルーズは哲学史の空間を高速で飛び回る青白い鬼火だ」と著者は言う。その魅力とは、どのようなものなのか。 たとえば「存在の一義性」という場合、その概念の祖であるドゥンス・スコトゥスの理解をふまえながら、スピノザ、ニーチェと、普通の読みではつながらない流れに系譜を通じさせてドゥルーズ的な配置をつくりあげる。そこにドゥルーズの哲学の創造がある。それを、とくと観賞しよう。 『差異と反復』『意味の論理学』『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』などなど多彩な著作群に鳴り響いている通奏低音を感じ取るために、その「鑑賞の手引き」たらんとする力作! 【目次】 第一章 ドゥルーズという烽火 第二章 存在の一義性という革命 第三章 前哨としての内存在 第四章 ドゥルーズと狂気 第五章 表面という魔物 第六章 特異性と個体性の相克 第七章 無人島と可能世界
-
4.3大澤真幸・熊野純彦両氏の責任編集による新たな叢書、ついに刊行開始!「自らの思考を極限までつき詰めた思想家」たちの、思想の根源に迫る決定版。21世紀のいま、この困難な時代を乗り越えるには、まさにこれらの極限にまで到達した思想こそ、参照に値するだろう。 本書は、ニーチェの道徳批判に焦点を当てる。ニーチェは道徳を批判した。今ある道徳を改善するためではない。われわれの道徳意識を「キリスト教道徳」と規定し、これに対して一切の価値転換を迫る。では、なぜ批判したのだろうか。正義や同情をどう考えればいいのだろうか。主として『道徳の系譜学』を中心に読み解き、ニーチェ哲学の魅力と射程に迫る。
-
3.7今、世界で最も注目を浴びる哲学者マルクス・ガブリエル。大ヒット作『なぜ世界は存在しないのか』の続編にして、一般向け哲学書「三部作」の第2巻をなす注目の書が日本語で登場です。前作と同様に目を惹きつけられる書名が伝えているように、本書が取り上げるのは昨今ますます進歩を遂げる脳研究などの神経科学です。それは人間の思考や意識、そして精神は空間や時間の中に存在する物と同一視できると考え、その場所を特定しようと努めています。その結果は何かといえば、思考も意識も精神も、すべて脳という物に還元される、ということにほかなりません。でも、そんな考えは「イデオロギー」であり、「誤った空想の産物」にすぎない、というのがガブリエルの主張です。「神経中心主義」と呼ばれるこのイデオロギーは、次のように主張します。「「私」、「意識」、「自己」、「意志」、「自由」、あるいは「精神」などの概念を理解したいのなら、哲学や宗教、あるいは良識などに尋ねても無駄だ、脳を神経科学の手法で―─進化生物学の手法と組み合わせれば最高だが―─調べなければならないのだ」と。本書の目的は、この考えを否定し、「「私」は脳ではない」と宣言することにあります。その拠り所となるのは、人間は思い違いをしたり非合理的なことをしたりするという事実であり、しかもそれがどんな事態なのかを探究する力をもっているという事実です。これこそが「精神の自由」という概念が指し示すことであり、「神経中心主義」から完全に抜け落ちているものだとガブリエルは言います。したがって、人工知能が人間の脳を超える「シンギュラリティ」に到達すると説くAI研究も、科学技術を使って人間の能力を進化させることで人間がもつ限界を超えた知的生命を実現しようとする「トランスヒューマニズム」も、「神経中心主義」を奉じている点では変わりなく、どれだけ前進しても決して「精神の自由」には到達できない、と本書は力強く主張するのです。矢継ぎ早に新しい技術が登場してはメディアを席捲し、全体像が見えないまま、人間だけがもつ能力など存在しないのではないか、人間は何ら特権的な存在ではないのではないか……といった疑念を突きつけられる機会が増している今、哲学にのみ可能な思考こそが「精神の自由」を擁護できるのかもしれません。前作と同様、日常的な場面や、テレビ番組、映画作品など、分かりやすい具体例を豊富に織り交ぜながら展開される本書は、哲学者が私たちに贈ってくれた「希望」にほかならないでしょう。[本書の内容]序 論I 精神哲学では何をテーマにするのか?II 意 識III 自己意識IV 実のところ「私」とは誰あるいは何なのか?V 自 由
-
4.0ユーラシアの遊牧民が、世界史のなかで果たしてきた役割の大きさについては、近年、広く知られている。黒海沿岸にまで黄金文化を展開したスキタイや、歴代の中華王朝を脅かした匈奴や鮮卑、突厥などの存在、さらに13世紀にモンゴルが築いたユーラシアの東西にまたがる大帝国は世界史の転換点になったといわれる。 しかし、こうして語られる壮大な歴史像に、本書の著者は心を躍らせる一方で、不満も感じてきたという。そのなかに「遊牧民の姿は見えなかった」というのだ。 ユーラシア大陸を人体に見立てれば、モンゴル高原がその心臓部にあたるという。そこに暮らす遊牧民たちの動静が生み出す人と物の流れが、血流のように各地に行きわたり、人種、民族、宗教の垣根を越えて新しい細胞を目覚めさせてきたのだ。本書は、30年以上モンゴル各地の遺跡を発掘してきた著者が、その成果を集成した「遊牧王朝全史」である。 近年の考古学は理系研究者との協業により、新たな知見を次々もたらしている。例えば、出土人骨の最新のゲノム解析では、多数の東ユーラシア人を少数の西ユーラシア系エリートが統治していた匈奴という遊牧王朝の実態がわかってきている。また、歯石からは摂取していた乳の種類もわかるという。さらに、権力の源泉となる鉄はどこから来たのか、モンゴル帝国が営んだカラコルム首都圏の実態は――。文献史料には表れてこない、遊牧と騎乗の起源の探究に始まる「馬と遊牧のユーラシア史」を知る必読の書。 目次 はじめに 第一章 始動する遊牧民族――青銅器・初期鉄器時代 1 遊牧民の登場 2 家畜馬の到来 3 エリート層の形成 4 遊牧王朝の萌芽 第二章 台頭する遊牧王権――匈奴、鮮卑、柔然 1 ゴビ砂漠の攻防 2 シン・匈奴像 3 単于の素顔 4 みずから鮮卑と号す 5 カガンの登場 第三章 開化する遊牧文明――突厥、ウイグル 1 トルコ民族の勃興 2 大国の鼻綱 3 突厥の再興 4 ウイグルの興亡 第四章 興隆する遊牧世界――契丹、阻卜、モンゴル 1 契丹と阻卜 2 モンゴル部族の登場 3 最初の首都 第五章 変容する遊牧社会――イェケ・モンゴル・ウルス 1 国際都市の繁栄 2 大造営の時代 3 亡国の影 おわりに 参考文献 索引
-
5.0「黒人」の歴史は奴隷制や植民地の過去と切り離すことができない。1957年にカメルーンに生まれ、フランスやアメリカで学んだアシル・ムベンベ(Achille Mbembe)は、主著となる本書(2013年)を「世界が黒人になること」と題された「序」から始めた。それは、奴隷制や植民地が特定の人種に限られたものではないこと、そしてすでに過去のものとなった事態ではないことを冒頭で宣言することを意味している。新たな奴隷制や植民地、そして人種差別は形を変えて席捲しうるし、現にしている。それを可能にする構造が今の世界にはある、ということにほかならない。 だからこそ、不幸や苦痛、弾圧や収奪の歴史だった「黒人」の歴史を知り、共有しなければならない。そのとき「黒人」には新たな意味が与えられる。著者は言う。「途上にある者、旅に出ようとしている者、断絶と異質性を経験する者の形象として、「黒人」を新たに想像しなければならない。しかし、この行路と大移動の経験が意味をもつためには、アフリカに本質的な役割を与えなければならない。この経験は私たちをアフリカに回帰させ、または少なくともアフリカというこの世界の分身を通じて方向転換しなければならない」。 アフリカから到来する何か、「黒人」から到来する何かにこそ、悲惨にあふれ、いや増すことを予感するしかない現在の世界を普遍的に、そして原理的に転換する可能性はある。歴史的事実を踏まえつつその意味を明らかにした本書は、エドゥアール・グリッサンの言葉を借りるなら〈全-世界〉に向けられる希望の書である。 [本書の内容] 序 世界が黒人になること 眩暈するような組み立て/未来の人種 1 人種主体 仮構作用と精神の閉域/新たな等級化/「黒人」という実詞/外観、真実、幻影/囲い地の論理 2 幻想の井戸 猶予中の人類/所属決定、内面化、そして反転/白人の黒人と黒人の白人/名前のパラドックス/世界の巨像/世界の分割/国家‐植民地主義/軽薄さとエキゾティズム/みずから理性を失うこと/友愛の限界 3 差異と自己決定 自由主義と急進的悲観主義/誰もと同じ人間/普遍的なものと特殊なもの/伝統、記憶、そして創造/諸々の世界の交通 4 小さな秘密 支配層の諸々の歴史/謎の鏡/商品のエロティシズム/黒人の時間/身体、彫像、肖像 5 奴隷のためのレクイエム 多様性と超過/ぼろぼろの人間/奴隷と亡霊について/生と労働について 6 主体の臨床医学 主人とその黒人/人種の闘争と自己決定/人間への上昇/大いなる喧噪/被植民者の解放的暴力/栄光の影/民主主義と人種の詩学 エピローグ たった一つの世界しかない
-
4.0はるか昔、栄耀栄華を極めながら、一夜にして海中に沈んだ大陸があった――こんな伝説とともに語られるアトランティス大陸やムー大陸。誰しも子供の頃に、その謎に夢中になった記憶があるのではないだろうか。とりわけ日本は、ムー大陸に日本人の起源を見出そうとした戦前の軍高官から戦後のポップカルチャーに至るまで、言わばこの伝説に長く深く取り憑かれてきた。なぜ、我々は失われた大陸に惹かれてやまないのか。伝説の起点ともいえるプラトンから繙き、その複雑にして数奇な伝説受容を辿る野心作! プラトンが紀元前四世紀に、著作のなかでアトランティス大陸について記して以来、ムー大陸やレムリア大陸を含む、いわゆる「失われた大陸(Lost Continent)」は2000年以上にもわたって、私たちを魅了し続けてきた。そこには、金髪碧眼のアーリア=ゲルマン人こそが、始原の文明を生み出したと説き、その始まりの地がアトランティスだと主張したナチス・ドイツや、同様の主張を日本人とムー大陸について行った大日本帝国の軍高官らも含まれる。アトランティス大陸の所在に限っても、スウェーデン説やアメリカ説、クレタ島説、サントリーニ島説など多種多様な説があり、21世紀に入ってからも新説が生まれ続けている。 日本では戦前にプラトン全集を翻訳し、日本のプラトン受容において重要な役割を果たした木村鷹太郎(1870-1931年)を皮切りに、アトランティス、そしてムー大陸をめぐって、『竹内文書』をはじめとする偽史、さらに皇国史観ともかかわりをもちながら、さまざまな言説が生まれた。その関心は、戦後になってもなお衰えることなく、オカルト・ブームを経て、小松左京『日本沈没』のようなSF小説はもちろん、『ウルトラマン』や『黄金バット』などの特撮物、手塚治虫の『海のトリトン』などのアニメや映画、さらにはゲームの世界にも浸透しながらますます賑やかに盛り上がっていく。 なぜ、人類は、とりわけ日本人は、これほどまでに失われた大陸に惹かれてやまないのか。本書は起点となるプラトンにさかのぼり、迷路のように入り組んだ日本での受容の歴史を丹念に跡づけ、その心性に迫る! 【本書の内容】 はじめに 序 章 「失われた大陸」について問う理由 第 I 章 アトランティスの由来と継承 第 II 章 アトランティスからレムリア、ムー大陸へ 第 III 章 失われた大陸、日本へ――一九三〇年代 第 IV 章 戦時のムー大陸言説――一九四〇年代 第 V 章 戦後の継承――一九五〇―六〇年代 第 VI 章 神話希求と大災害―一九七〇―八〇年代 第 VII 章 浮上し続ける神話――一九九〇年代以降 最終章 なぜ語られ続けるのか 註 あとがき
-
4.0☆それが〈目に見えないたいせつなこと〉だったのか。☆ 「星の王子さま」を生み出した思想とは? 波乱の生涯と作品世界をつなぐ決定的評伝。 サン=テグジュペリは、言わずと知れた『星の王子さま』の作者です。 この子ども向けの小さな物語は、いまもなお世界中の多くの人びとが読み続け愛し続けていますが、その魅力の秘密はどこにあるのでしょうか。 この作品でくりかえし語られる〈目に見えないたいせつなこと〉とはいったい何なのでしょうか。 サン=テグジュペリは、自分の子ども時代を忘れることができなかった、おとなになりきることができなかった人間と言えるでしょう。 彼は、おとなの世界にほかならないこの現実社会を、つねに居心地の悪さ、窮屈さを感じながら、いわばよそ者として、不器用に生きねばなりませんでした。 失敗と挫折、混乱や波瀾に満ちたサン=テグジュペリの生涯は、どこかドタバタ喜劇めいており、それ自体として見ても面白いものです。 ですが、彼自身はこうした人生を懸命に生きることを通して、おとなの世界である現実社会、近代という時代にたいする批判意識を研ぎ澄ましていました。 そして同時に、みずからの内面空間そのものとしての子ども時代の世界のヴィジョンを明確化していったのです。 本書は、こうしたまったくあたらしい視点から書かれた、『星の王子さま』『夜間飛行』をはじめとする作品群の世界をより深く味わえるようになる、サン=テグジュペリの評伝の決定版です。 [本書の内容] はじめに 第一章 子ども時代(一九〇〇―一九一二) 第二章 青春の惑い(一九〇九―一九二六) 第三章 飛行士にして作家(一九二六―一九三一) 第四章 波瀾の時代(一九三一―一九三九) 第五章 戦争(一九三九―一九四〇) 第六章 亡命(一九四〇―一九四三) 第七章 最後の任務(一九四三―一九四四) おわりに サン=テグジュペリ略年譜
-
3.0『善の研究』から「場所の哲学」へ――。西田の哲学遍歴は「場所の哲学」にいたって、ついに独創的な境地にいたったとされる。『善の研究』の冒頭に出てくる「純粋経験」からはじまって、後期の「絶対無の場所」にいたる思考とは、どのようなものなのか。近年とみに影響関係が指摘されるベルクソンとの関係、あるいは仏教の時間論と西田の時間論の共通点と相違。フッサールやレヴィナス、あるいは鈴木大拙、井筒俊彦にいたるまで、あるいは量子論との相関など、様々な角度から丁寧に参照しつつ、著者はするどい考察を繰り広げて、独自のスタイルで西田の本質に迫っていく。それは西田自身の言葉をかりれば、さながら「悪戦苦闘のドッキュメント」の様相を呈しつつも、きわめて鮮明に、西田哲学の真のすがたが浮かび上がってくる。「存在と無」(=あるとない)という、われわれがごく日常的に想定する対立の以前に、「場所」というものを考え、そこに人間の根本をみようとした近代日本哲学の巨峰を、これまでにない明解な叙述で味わい尽くす力作!
-
4.2
-
3.7地中海を中心に興亡を繰り返したさまざまな古代文明の世界、すなわち「地中海世界」の歴史を、古代ローマ史研究の第一人者、本村凌二氏が描きつくす。講談社選書メチエ創刊30周年を記念して堂々刊行する、全8巻。第1回配本は、1・2巻の同時発売。 「地中海世界」といえば、従来は「古代ギリシア・ローマ世界」と同義と思われてきたが、近年の研究ではもっと広く、古い時代からとらえられるようになったきた。それは、文明の発祥地メソポタミア、エジプトから、ペルシア帝国、ギリシアの都市国家を経て、ローマ帝国の誕生と崩壊にいたる、約4000年の歴史世界である。文字・貨幣・一神教の誕生、独裁制と民主主義、哲学と科学による真理の探究など、現代に続く人類の営みは、この「地中海世界」で始まっている。 第1巻は、地中海世界が共有する神話の世界から説き起こす。メソポタミアに文明を興したシュメール人の神々は、人間に何を語りかけたのか。古代エジプトの異形の王が断行した宗教改革とは。弱小勢力が興亡するパレスティナに起こった人類史的変動とは何か――。 1000年に一度の「文明の転換期」とも言われる現在、「1000年単位の歴史の変動」とはどんなものなのか、人類の歴史と現在を考える全ての読者にお送りする必読のシリーズ。 目次 序章 地中海世界とは何か 第一章 愛の女神イナンナに始まる 1 文字と都市の出現 2 シュメールの王、ギルガメシュ 3 「戦争」と「平和」の風景 4 アッカドからバビロニアへ 第二章 神々の河は地中海にそそぐ 1 聖なるナイルの王権 2 時はピラミッドを怖れる 3 古王国・中王国時代 4 新王国時代 第三章 両翼の狭間で 1 シリア・パレスチナの馬と群雄 2 ヘブライ人の登場 3 海の民とフェニキア人 第四章 神々の声が聞こえる 1 叙事詩のなかの神 2 神の声を聞く人々 3 自然信仰とマアト 4 心性の考古学
-
-美は、世界が滅びゆくこと自体のうちにのみ生まれる――。宮嶋資夫、太宰治、坂口安吾、桐山襲、野坂昭如。大正・昭和・平成の時代にわたるこの5人の作家は、どうしようもなく救いを求め、作品のうちにつかの間それを浮かび上がらせることに成功しながらも、現実の前に敗れ去った。それぞれが求めた救いの姿と、その挫折を作品の紹介を通して描き出す。 「人間がだめになったんですよ。(…)そんな時代になったんですよ」(太宰治)。遠くかすかに響く祈りの声に耳を澄ませつつ頁を繰る、希望なき時代の読書のすすめ。 理不尽と暴力に満ちた労働文学の旗手として登場し最後には仏門に消えた宮嶋資夫(1886-1951年)、ユートピアと現実のはざまで立ち尽くす「弱法師」太宰治(1909-48年)、堕落を呼びかけながら、生の原点「ふるさと」を希求した坂口安吾(1906-55年)、戦後訪れた政治の季節に体制への反逆と絶望のはざまでもがきつづけた桐山襲(1949-92年)、高度経済成長のさなかトリックスターの身振りでディストピアを描き続けた野坂昭如(1930-2015年)。大正から平成にかけて筆を執った5人の作家は、それぞれに救済を求め、作品のなかにそれを浮かび上がらせながらも、容赦ない現実の前に敗北した。 彼らの挫折は、令和の時代に明らかになりつつある社会の絶望を先取りするものでもあった。彼らが必死に手を伸ばし、しかしついに届くことがかなわなかった救いとは、どのようなものだったのか。有名無名問わず作品が紹介されるなかで、呪詛にも似た祈りの声がかすかに漏れ聞こえてくる。 昏い時代にものを書き、そして読むことの意味を鋭く問いかける空前絶後の文学案内。 【本書の内容】 はじめに――終わりなき終焉を見つめて 1 死に憑かれて――宮嶋資夫というヤマイヌ 2 無何有の明滅――太宰治という掟破り 3 タブラ・ラサにたたずむ――坂口安吾という「ふるさと」 4 瞑さのアナーキズム――桐山襲という「違う世界」 5 ディストピアの妄想――野坂昭如という廃墟 おわりに――現実忌避に向けて あとがき