講談社選書メチエの検索結果
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トンデモと科学のあいだ
今ではトンデモな概念がかつては主流の学説だったり、今では当たり前の概念がかつてはトンデモ扱いだったり、トンデモ仮説から正しい答えが導かれたり、こじつけの理由が実は正しかったり、結果も導出過程もトンデモなのに現実に合っていたり、挙げ句の果てはトンデモのほうが本質にして真実であったり…。アリストテレスから、ガリレオ、ニュートン、カルノー、フーリエ、ナビエ-ストークス、アインシュタイン、そして生成AIまで。真理と革新を求める科学者たちの教科書に載らない悪戦苦闘の歴史を辿る、前代未聞の「裏返しの科学史」。「裏」こそ「表」、科学の本質はここにある! ▽目次 はじめに わからなくても解ければいい? ■第1章 現実とすり合わない思弁――アリストテレスは力学が苦手? ・コラム もしもアルキメデスを範にしていたら? ■第2章 仮説は実験で確認を(ただし都合により)――ガリレオの革新と限界 ・コラム ニュートンと光学――その間違いは伊達じゃない ■第3章 人類の納得より現実のうまい説明――オカルト扱いだったニュートンの万有引力 ・コラム ニュートンに消されたフック ■第4章 トンデモ仮説から正しい答えは導かれる――熱素説とカルノー・サイクル ・コラム 無視されたカルノーの業績 ■第5章 過程が間違っていると断じてはいけない――フーリエ解析 ・コラム 「熱とは何か?」に無関心だったフーリエ ■第6章 結果も導出もトンデモなのに……――ナビエ-ストークス方程式 ・コラム オイラーの業績と物理学の「神話」 ■第7章 目に見えるものさえ説明できれば中身は……――原子の実在 ・コラム 化学者にとっての原子 ■第8章 「物理的背景不明な便宜上の仮説」が導く量子革命――プランク定数導入の秘密 ・コラム 陽電子とニュートリノ ■第9章 この世界の成り立ちさえトンデモに見えたら――ローレンツ変換からアインシュタインへ ・コラム 相対論を予期したマッハ ・幕間劇 ライト兄弟の初飛行は科学の問題か? ■第10章 それを仮定するとうまくいく――「エネルギーが等しいものは同じ頻度で現れる」のはなぜ? ・コラム 等重率の本当の意味 ・幕間劇 なぜ電磁気学にはトンデモが少ないのか? ■第11章 トンデモこそ「本質」にして「真実」――アインシュタインと量子力学のたたかい ・コラム 電磁波とエーテル ・幕間劇 ダーウィンの進化論 ・コラム iPSとES ■終章 長い目で見ればきっと理にかなう ・コラム 最新疑似トンデモ科学――大陸移動説と地磁気の逆転 おわりに 「なんでこんな自明なことに気づかなかったの?」 -
考えを創る、考えを伝える AI時代の思考のレッスン
ChatGPTをはじめとする生成AIの劇的な進化と普及によって、教育の現場にも、日々働く現場にも大きな変化が生じています。大学では課題として出されるレポートの執筆、会社では新しいプロジェクトのプレゼン資料の作成など、その人の「考えを創る」力と「考えを伝える」力が試される場面で、AIの活用は避けようもなく進んでいることを誰もが実感しているでしょう。考えを創り、伝える力より、有効にAIを活用する力のほうが評価される時代が確実に訪れているようです。 この現実に対して、著者はそれでも考えを創り、伝える力は重要だと主張します。その理由は端的で、「AIが示した考えの正当性を判断できるのは、あなた以外にはいない」からです。そして、その力を手に入れるための具体的な方法が本書で示されます。 自分独自の考えを「創る」力とは、「対+ミルクの力」です。異なる果物にミルクを加えて混ぜ合わせることでおいしいミックスジュースができるように、異なる視点から物事を見ることで「対」を立て、それをミックスジュースのように統合すること。対をどのように立てるのか、統合するとは何のことなのかを具体例とともに知ることができます。 そうして創られた考えを「伝える」ことは、「論証」と「論述」で構成されます。自分の考えが正しいものであることを証明するのが「論証」の力で、それは「主張+論拠+エビデンス」の三つ組みによって実現されます。その論証を相手が理解し、納得できる形で言葉にすることが「論述」の力で、これは「序→展開→むすび」という基本的な流れを理解することで実現できます。 本書では、著者が教育現場で体験した事例を紹介することで、学生たちが考えを創り、伝える力を手にしていく様子を追体験することができます。著者が示す方法は具体的かつ段階的なものです。実際にコピーして記入できる練習シートも掲載しました。 AIの進化・普及に抗うことはできないでしょう。しかし、考えを創る作業がなされればなされるほど、「対を据える作業をしなくなり、対への興味が失われて、他の見解や考え方に対する配慮も欠くようになる」と著者は警鐘を鳴らします。私たちの世界をどんな世界にするのかは、私たちが考え、伝え、共有していくものでしょう。そのための力をそもそももっていなければ、活用することもできません。今この時代だからこそ、本書で自分の根本となる力を手にしていただきたいと願って本書をお届けします。 [講義の概要] プロローグ あなたは自分の考えをもっていますか 第I章 考えを創る――ミックスジュースの喩え 第II章 論 証――「なぜリンゴなの?」という問い 第III章 論 述――レシピのように 第IV章 考えを伝える エピローグ AI時代の思考のレッスン -
瞑想する脳科学
共感から慈悲へ 脳科学の知見から見通す 21世紀の人間の幸福! 「瞑想は、喜び、共感、直観、慈悲にかかわる脳の神経回路のネットワークを、かつて想像されたことのないような力強さで、生き生きと活動させる。そうした神経活動の変化は、脳の物理的構造の変化としても、あらわれてくる。人間の心や行動の変容のプロセスが、計測をつうじて、理解される道筋が開かれたのである。」(「はじめに」より)。脳科学の最前線を踏査し、瞑想宗教的行為と科学を結びつける可能性を探る。科学と宗教の両面からこれからの人間のありかたを問う。 -
名匠と名品の陶芸史
荒川豊蔵から北大路魯山人まで 大作家たちの秘話で明かす「陶芸」の真実! 備前、萩、唐津、瀬戸、志野、織部…… 山中を踏破し、掘り出した古陶片から歴史の謎を解き、「やきもの」の伝統を復活させ、創意を盛り込み、それらを世界的な芸術へ昇華させた巨人たち13人。荒川豊蔵から北大路魯山人まで、波乱の群像劇を、豊富な秘話・逸話で綴る。 【目次】 序 現代陶芸の礎を築いた近代陶芸巨匠 第一章 荒川豊蔵(1894-1985) 第二章 三輪休和(十代 三輪休雪)(1895-1981) 第三章 石黒宗麿(1893-1968) 第四章 加藤唐九郎(1898-1985) 第五章 板谷波山(1872-1963) 第六章 富本憲吉(1886-1963) 第七章 金重陶陽(1896-1967) 第八章 河井寛次郎(1890-1966) 第九章 加藤土師萌(1900-1968) 第一〇章 濱田庄司(1894-1978) 第一一章 小山冨士夫(1900-1975) 第一二章 川喜田半泥子(1878-1963) 第一三章 北大路魯山人(1883-1959) あとがき 参考文献 関連年表 索引 -
奈良貴族の時代史 長屋王家木簡と北宮王家
陰謀渦巻く平城京で、貴族はどのような毎日を送っていたのか? 平城宮長屋王邸宅跡から出土した膨大な木簡群を資料として、藤原氏との政争に敗れながらも平安時代までしぶとく生き残った長屋王家=北宮王家の日常生活を解明する。 【目次】 プロローグ 北宮王家とは 第一章 奈良時代史の舞台 平城京 1 平城遷都 2 平城京の発掘と長屋王邸宅の発見 第二章 北宮王家のなりたち 1 律令体制の成立 2 長屋王家木簡の謎 3 北宮王家の「発見」 第三章 藤原氏の展開 1 律令貴族藤原氏の成立 2 藤原氏と家政組織の継承 3 女性の力 4 聖武天皇とその皇統 第四章 北宮王家の試練 1 長屋王の変 2 北宮王家の家政運営 3 北宮王家の経済基盤 4 下級官人のくらしとの比較 第五章 北宮王家の行方 1 藤原四子とその後の北宮王家 2 橘奈良麻呂の乱と王族 3 女性王族のくらし 4 称徳天皇と不破内親王 5 地方豪族と王臣家 エピローグ 高階真人氏の行方 註 あとがき 索引 -
東シナ海文化圏 東の<地中海>の民俗世界
中国、朝鮮、琉球、台湾を一つの視野におさめ、「東の地中海」=東シナ海をめぐる地域に通底する基層文化を見通すための基軸を、多様な民俗現象から掘りおこす。 【目次】 はじめに 第一章 呉越文化の広がり 第二章 農、交易、生死 第三章 他界 魂は故郷をめざす 第四章 女の世界 第五章 『大長今』の世界から 一六世紀基層文化の事例研究 第六章 祭祀世界 おわりに まとめに代えて あとがき 参考文献 関連サイト一覧 東方地中海地域文化関係略年表 索引 -
AI人類学 生成AI時代の超倫理
チャットGPTに代表される生成AIが世界的な注目を集めたのは2022年末。それから数年を経て、今や対話型生成AIは爆発的な普及を見せ、後戻りのきかない状況にある。これは、われわれ人類にとって僥倖なのか、それとも……? 前著『AI原論』(講談社選書メチエ、2018年)から8年、第一人者はこの状況を根源的に問うために、もう一度、筆をとった。 チャットGPTやGeminiは、深層学習(ディープラーニング)に加え、大規模言語モデルという精妙な新技術に基づいている。その革新性ゆえに、生成AIが生産活動の効率を一挙に向上させ、巨大な経済成長をもたらすことは、おそらく間違いない。しかし、と著者は言う。「冷静に眺めれば、生成AIが内部で実行しているのは、単語の使用データを高速統計処理し、出現確率の高い単語を並べているだけだ。質問文の意味を本当に理解しているとは思えない。とんでもない内容の誤情報や偽情報も平気で出力する。そんなAIの回答をうやうやしく信奉し、人間のかわりに仕事の決定を任せて大丈夫なのか」と。 「AIは人知を超える」という予測は、ますます現実味を帯びているように思える。しかし、そもそも「人類の知性」とは何か? それはコンピュータによるデータ処理と等価でありうるものなのか?―─こういったテーマを考えるには「生命と機械の異質性/同質性」や「無意識領域ではたらく情動」という難問に取り組まなくてはならない。少なくとも「情報」という概念を基礎から捉え直す学問が必要になるだろう。その新たな学問を創出する企てに取り組み続けてきた著者は、本書で人類学的な知見をも取り入れて、これらの根源的な問いに正面から向き合う。 その先には、生成AIの進化と普及を踏まえた上での知的革命が予感されるだろう。AIを単純に肯定するのでも否定するのでもない「第三の道」を指し示す本書は、もはやAIと無縁で生きることのできないすべての人に向けられた重要なメッセージである。 [本書の内容] 第I部 生成AIをめぐる疑問 第1章 脳型コンピュータの到来 第2章 日本のデジタル敗因 第3章 挫折した国産第五世代コンピュータ 第II部 デジタルAIとはそもそも何か 第4章 一神教から生まれたデジタル文明 第5章 約束の地アメリカ 第6章 科学と情報を問い直す 第III部 生命と機械をつなぐ 第7章 ネオ・サイバネティクスとは何か 第8章 基礎情報学というステップ 第9章 生命的な超倫理をつくる 第10章 生成AI時代の情報学的転回 -
犬儒派宣言 とまどい歩む哲学な日々
すべては一匹の犬との出会いから始まった――。思いがけず犬を迎え入れることになった著者が過ごした、にぎやかで愛おしくも、ちょっぴり切ない日々を綴った哲学エッセイ。犬たちの他愛ないイタズラや、人生の転機、そして別れ……彼らとともに過ごすことで起きた大小さまざまな出来事を、英米哲学研究の第一人者でもある著者ならではのまなざしで描く。日常生活のすぐ隣に、こんなにも豊かな哲学の世界が広がっていることを教えてくれる。 「余は、大王のアレクサンドロスだ」という名乗りに「そして俺は、犬のディオゲネスだ」と答えた哲学者シノペのディオゲネス。「犬儒派」は、「キュニコス派」の訳であり、この紀元前4世紀ころの古代ギリシアの哲学者の名とともに知られている。犬儒派は価値の逆転を真骨頂とする哲学の潮流である。 「犬儒派」を宣言する本書は、ディオゲネスからさらに一歩進んで、犬の目線で世界を眺めることを提案する。 犬のまなざしで見ると、世界はどのような姿をしているのか。人間が動物とともに生きていくとは、どのような営みなのか――。哲学研究者である著者ならではのユーモアあふれる珠玉のエッセイ。 【本書の内容】 はじめに 序 哲学を選んだことの本意・不本意 第1章 しずかと牛若の日々 第2章 キュニコス派と犬儒派、そして「犬に酔える哲学」 第3章 「ハチ公物語」と犬儒派の哲学 第4章 犬儒派哲学への道のり おわりに 文献表 -
音でデザインする 「緊急地震速報音」は、なぜ緊張するのか?
たった数秒、耳に入るだけで快不快の感情をひき起こし、購買意欲をかきたてたり、とっさに危機を察知させたり……。 聞くとはなしに聞こえてくる、我々をとりまく様々な街の音。実はそこには、数々の巧妙な「仕掛け」が、施されていた! 緊急地震速報音、iD電子決済音、横浜市のサウンドロゴなど、誰もが知る音を生み出した、日本を代表する「音環境デザイナー」が初めて明かす、音の秘密。一瞬の音で社会を作る面白さと難しさ、デザインにこめた狙いと願いとは? QRコードから視聴しながら体感できる、読んで聞いて、見て、考える「音の教科書」誕生! 内容紹介 緊急地震速報音の依頼があったのは、2007年2月のことでした。 「眠っていても、絶対に気がつく音にしてください」 「絶対に気づく音」とはどういう音だろうか? 聞いた人がどんな状態になればいいんだろう? その音が鳴る場所、音を聞く人の状況……徹底的に考えます。 24時間そのことばかりを考えているイメージです。私にはそれしかできないし、 「徹底的に考える」ことこそが、音デザインの一番大事なところだという気がします。 ――第1章 「『緊急地震速報音』を聞くと人はなぜ緊張するのか? 」より要約 目次 第1章 「緊急地震速報音」を聞くとなぜ緊張するのか? 第2章 電車の発車音から、人は何を受け取っているのか? ─「社会の音」の作り方 第3章 流す音楽で客層を変えられるのか? ~音の力のいろいろ 第4章 波の音に癒されるのはなぜか? 「1/fゆらぎ」の正体 第5章 「六本木ヒルズの音」とは何か? 音による空間デザイン1 第6章 「横浜市」の音ってどんな音? 音による空間デザイン2 第7章 音と映像が造る社会の未来 おわりに 必要な音、不要な音とは何か 小久保隆 サウンドデザイン作品リスト DISCOGRAPHY *QRコードは株式会社デンソーウェーブの登録商標です。 -
構造の奥 レヴィ=ストロース論
「構造主義」は終わらない。「構造」が秘めた本当の「力」を解き明かし、その潜勢力を新展開させる決定版! 仏教と構造主義そして真のマルクス主義に通底する「二元論の超克」は、革命的な人文「科学」を生み出す思考となりうるはずだ。新しい「構造主義」の可能性を著者は丁寧に取り出す。 もう一つの人類学の可能性は、夭折した弟子のリュシアン・セバーグの中にもあった。師レヴィ=ストロースと若き研究者は、南米インディオの神話の構造分析に取り組んだ。マルクス主義をベースにした「構造主義」が創始された時に起こった師弟関係の美しくも悲しい物語。記号学的な枠組みを超えて、人間科学の「プロレタリア」としての人類学の使命を読み解いていく。 さて、「構造」をレヴィ=ストロースはこのように認識している。 「双分制の明白な諸形態を、その真の本性は、別のはるかに複雑な構造が表面的にゆがんであらわれたものとして扱ったほうがよいのではないかということであった」 人類の思考は実は複雑なものなのだ。二元論と三元論が、動的に組み合わされて、さまざまな神話や事象が生み出される過程を解読することで見えてくる人類学とは、いかなるものなのか? 「構造」の「奥(heart)」へと至る道を示す「人類学」の道標である。 【目次】 プロローグ 革命的科学 第一章 構造主義の仏教的起源 レヴィ=ストロースと仏教/仏教の中の構造主義/構造主義の中の仏教 第二章 リュシアン・セバーク小伝 高等研究院での出会い/新しい神話研究/変換の論理/神話の公式/『神話論理』の朝/プエブロ神話学へ/アチェ族の夢分析/『マルクス主義と構造主義』/悲劇的な死 第三章 構造の奥 双分制/レヴィ=ストロースの弁証法/互酬性の謎/重力論と贈与論/フランス啓蒙主義/人間科学のアインシュタイン/対称性のほうへ 第四章 仮面の道の彼方へ 1 地震多発地帯/ブリティッシュ・コロンビアのレヴィ=ストロース/カミナリ鳥・クジ・ナマズラ/スワイフエ仮面/ゾノクワ鬼女 2 剣とナマズ/ゾノクワと山姥/山の神の影/ポトラッチと市/仮面の道は続く エピローグ 注および引用・参考文献 -
神武天皇の歴史学
天皇の初代とされる神武天皇は、生没年はもちろん、その実在さえ定かではない。しかし、伝説上の重要人物として、日本の歴史に大きな影響を与え、論争を呼び起こし、時に政治問題となってきた。天皇陵をめぐる近世・近代史の研究者である著者が、「神武天皇陵」の所在地論争と、橿原神宮の創建を軸に、「歴史学の主題」としての神武天皇に迫る。 初代天皇の墓所「神武天皇陵」は、実は江戸時代になるまで定かではなかった。元禄時代の江戸幕府の調査で、奈良・四条村の塚山に「定められた」のである。しかし、当初からこれには異論があり、幕末期には孝明天皇の意思により、その300メートルほど南の「神武田」に改められ、ここが、現在も天皇が参拝を行う神武天皇陵となっている。一方、国学者の本居宣長らは、畝傍山中の丸山を主張して根強い支持を得ており、明治期になっても「疑念」はくすぶり続けた。さらに、水戸学の巨頭・徳川斉昭、寛政の三奇人・蒲生君平、幕末の能吏・川路聖謨、明治大正の文人画家・富岡鉄斎らの見解もみていく。 また、神武天皇を祀る橿原神宮の創建と隆盛に尽力し、のちに決裂した民間勤王家・奥野陣七の生涯や、明治期に「神武天皇祭」に冷徹な目を向けたお雇い外国人にも注目し、「紀元節」から「建国記念の日」へと、現代にいたる「神武天皇」と日本社会をとらえ直す意欲作。 目次 序章 現代の神武天皇 第一章 三ヵ所の神武天皇陵 第二章 幕末動乱と神武天皇陵 第三章 奈良奉行所与力の結論 第四章 文久の修陵 第五章 明治天皇の親祭 第六章 橿原神宮と民間結社 第七章 消えない疑念 終章 紀元節から「建国記念の日」へ -
情報哲学入門
私たちは「情報」なしで暮らすことはできません。スマホでニュースを確認する、メールやラインをチェックする。改札を電子マネーの端末で通り抜け、車内では画面に映る広告や駅名を見る。そして会社に着けば……といったように、あらゆる場所に、無数の形で情報はあふれています。 では、そもそも情報とは何でしょうか? 一昔前のように言語をモデルに理解するのでは、医療現場での生体反応データから宇宙空間における周波数データまでをすべて「情報」として捉えることはできません。つまり、それが何かをよく理解していないまま私たちは情報なしではありえない生活を送るようになっているのです。 本書は、こうした現状の中で「情報という問い」に正面から取り組みます。カーツワイル、ボストロム、テグマークを通して技術との関係の中で「人間」とは何かを確認し、マカフィーとブリニョルフソン、ズボフを通して社会の中での情報がもつ機能を捉え、フクヤマ、ハラリ、サンデルを通して政治との関わりを考察します。その上で改めて「情報」というものを哲学的に規定し、情報をめぐる課題を整理します。 最先端の議論の見取り図を得られるばかりか、そこから得られる知見を整理し、日常にどう役立てるのかまで示してくれる本書は、これまでになかった1冊と断言できます。 [本書の内容] 序 章 情報という問い 第I部 情報がもたらす未来 第1章 情報と技術の未来 一 カーツワイルのポスト・ヒューマン論 二 ニック・ボストロムのスーパーインテリジェンス論 三 マックス・テグマークの生命システム論 第2章 情報と経済の未来 一 マカフィーとブリニョルフソンによる第二のマシン・エイジ 二 ショシャナ・ズボフの監視資本主義 第3章 情報と政治の未来 一 フランシス・フクヤマと「テクノロジーの政治学」 二 マイケル・サンデルと「守るべき美徳」 三 ユヴァル・ノア・ハラリと「自由主義の擁護」 第II部 情報哲学の現在 第4章 情報の分析哲学 一 第一哲学としての情報哲学 二 機械情報の振る舞いを把捉するための情報概念の再定義 三 情報技術を再定義し、情報化された環境における生の条件を問う 四 知能とは何かを再定義する 第5章 情報の基礎づけ 一 生命情報、社会情報、機械情報 二 情報とは何か 三 情報学が揺さぶる哲学的思考 四 情報論的転回は大文字のパラダイムチェンジか 五 シグナルの存在論、シンボルの存在論 第6章 人工知能の身体性 第III部 情報の実践マニュアル 第7章 世界のセッティング 第8章 社会のセッティング 第9章 「人間」のセッティング -
創造論者vs.無神論者 宗教と科学の百年戦争
宗教と科学の長い戦争、なかでも、それぞれの陣営の最も過激な人々である創造論者と無神論者の戦いは、21世紀に入ってますます過熱している。それは、抽象的・理論的な戦いではなく、教育・医療・福祉・行政といった現実をめぐる戦いでもある。本書は、おもに欧米で激しく展開する両者の戦いに密着し、信念をぶつけ合う人間たちのドラマを描き出す。 サッカーの神様・マラドーナを祀る「マラドーナ教会」、『スター・ウォーズ』に感化され、宇宙の平和と正義のために戦う「ジェダイ教」、「空飛ぶスパゲッティ・モンスター」なる異様な創造主を崇める「スパモン教」。乱立するこうした「パロディ宗教」は、近年台頭する創造論への反抗であり、「そもそも宗教とは何か」という根本的な問いかけである。 100年前のテネシー州で、進化論教育の是非をネタに企画された「町おこしのための茶番」が、文字通りの死闘となった「猿裁判」。2005年のカンザス州で開かれた公聴会では、20名以上の科学者・知識人が進化論を否定し、公教育に創造論を組み込むように訴える。そして、「穏健な信仰者」も敵とみなす「新無神論者」の登場で戦場は拡大し、戦いは激化する。 ヒトゲノム解読に成功したコリンズ博士の信仰と友情、新無神論を代表するドーキンスが到達した意外な宗教観、さらに、これから展開する戦いの見通しは――。 目次 序章 本書を導く十の信念 第1章 パロディ宗教の時代――銀河の騎士とモンスターの逆襲 第2章 猿の町のエキシビションマッチ 第3章 ポケモン・タウンの科学者たち 第4章 四人の騎士――反撃の新無神論者 第5章 すべてがFになる 終章 宗教と科学の次の百年 あとがき -
〈精神病〉の発明 クレペリンの光と闇
臓器と違って目には見えない精神の疾患を、はじめて分類・体系化し、〈精神病〉を発明したエミール・クレペリン(1856-1926年)。無意識を発見したフロイトと偶然にも同じ年に生まれ、フロイトと並んで現代精神医学の基礎を築きながら、その名は忘却され、彼が築いた分類と体系だけが、所与であるかのように、世界中で広く使用される診断マニュアルの土台となっている。 冷酷非情である一方、純粋で情熱的な面もあわせ持つ複雑な人物の半生を辿り、葛藤と煩悶を繰り返して生み出された体系の功罪を描き出す。精神医学誕生秘史! 「汝が名は忘却の淵に沈めども その業績は永遠なり」――。クレペリンが眠るハイデルベルクの墓碑にはそう刻まれている。 心臓や肝臓などの内臓の疾患は、その器官の病変や症状から、病を特定し治療にあたることができる。しかし、どこでどのような異常が生じているのか目で見ることのできない精神の疾患は、何をもって同じ病、あるいは違う病であると診断し、治療にあたるのだろうか。 同じ症状を呈しているからと言って、同じ病とは限らず、まったく違う症状でも同じ病ということもありうる。そもそも分類自体が可能かどうかさえ疑問だった時代に、悩みながらもそれらを分類し、体系化した人物こそエミール・クレペリンにほかならない。その成果は今、日本はもちろん世界でも広く使用されているDSM‐5やICD‐10と呼ばれる精神疾患診断マニュアルの土台となった。目に見えない精神の病を分類・体系化することで、言わば「精神病」を発明したともいえる。 奇しくも無意識を発見したフロイト同年に生まれ、フロイトに匹敵する影響を残しながら、フロイトとは対照的に、皮肉にも墓碑銘のとおりその名が忘却されたクレペリン。その「発明」は葛藤と煩悶のうちになされ、晩年には、それまでとまったく違う方向を模索しさえしていた。 またドイツ留学中の斎藤茂吉を冷たくあしらい傷つけたクレペリンは、ユーモアを介さない陰鬱な人物として語られてきた一方、その自伝をひもとけば、少年のような純粋さと情熱も秘めている。 今や自明のもののように扱われている診断基準は、一体どのような人間がいかにして創り上げたものなのか。クレペリンの半生をたどりつつ描かれる、知られざる精神医学誕生の歴史。 【本書の内容】 はじめに――なぜ、いま、クレペリンを問うのか 序 第1章 誕生と助走(一八五六―九一年) 第2章 創造と危機(一八九一―一九一五年) 第3章 静かなる浸透(一九一五―二六年) 第4章 〈精神医学〉制作あるいは〈精神病〉発明の途上にて(一九二六―八〇年) おわりに -
越境の中国史 南からみた衝突と融合の三〇〇年
香港の民主化運動への禁圧、台湾への軍事的圧力――。現在の中国が見せる、特に南部への強硬な姿勢には、どのような歴史的背景があるのだろうか。中国史のフロンティア=華南地方の周辺民族と移民活動に焦点を当て、南から中国史を見直す。 中国の歴史は従来、黄河流域に展開した古代王朝の興亡史や、騎馬遊牧民が打ち立てた大帝国など、「北から動く」ものとして捉えられてきた。しかし、清代末期、広州などの港町を窓口とした近代ヨーロッパとの出会いをきっかけに、新しい時代が始まる。洪秀全の太平天国、孫文の辛亥革命など、社会変革の大きな動きは南から起こり、中国史上初めて「南からの風が吹いた」のである。その「風」を起こしたのは、漢民族にヤオ族・チワン族やミャオ族、さらに客家など様々な人々が移動と定住を繰り返す「越境のエネルギー」だった。 世界のチャイナタウンではなぜ広東語が話され、福建省出身者が多いのか。周辺民族は、漢民族のもたらす「文明」にどのように抵抗し、あるいは同化したのか。辺境でこそ過剰になる科挙への情熱や、キリスト教や儒教と軋轢を起こす秘密結社、漢民族から日本人そして国民党と、波状的な支配を受ける台湾原住民など、中国社会の多様性と流動性を史料と現地調査から明らかにし、そこで懸命に生きてきた人々の姿を見つめる。 目次 序章 中国史のフロンティア=華南 第一章 動き出した人々――福建・広東の移民活動 第二章 越境する漢人移民――広西と台湾への入植 第三章 辺境の科挙熱――中国文明と向き合う 第四章 周辺民族の抵抗と漢文化――流入する移民と秘密結社 第五章 太平天国を生んだ村で――移民社会のリーダーたち 第六章 械闘と動乱の時代――つくり直される境界 終章 越境してやまない人々――海外移住と新たな統合 あとがき 参考文献 索引 -
中国パンダ外交史
ちょうど50年前の1972年10月、日中友好の証として、上野動物園に2頭のパンダがやってきた。しかし、中国がパンダの外交的価値に気づいたのは、1930年代にさかのぼる。戦争と革命、経済成長の激動の歴史のなかで、パンダはいかに世界を魅了し、政治利用されてきたか。パンダを主人公にこの100年あまりを読み直す、異色の中国近代外交史。 19世紀の半ば、パンダはあるフランス人宣教師によって「発見」され、世界に紹介された。欧米人探検家が初めてパンダを射止めたのは1929年。日中戦争下の1941年には、蒋介石の妻・宋美齢が懐柔策としてアメリカにパンダを贈る。1949年に成立した中国共産党政権も、この珍獣の価値を見逃さなかった。人民の愛国思想を育むために北京動物園で展示を始めたほか、モスクワや北朝鮮に贈呈され、ロンドンでも大歓迎される。 日本でのパンダブームは、1972年のランラン・カンカンの来日以前に始まっていた。1970年創刊の『anan』ですでにマスコットとなり、1971年10月にはロンドン動物園でパンダと対面した昭和天皇が満面の笑顔をみせるさまが報道された。 中国はその後も、国際政治、地球環境などさまざまな問題と絡ませながら、近代国家の自己像をパンダを通して国際社会にアピールし、近年では、一帯一路構想下でのパンダの送り先や、二度の北京五輪で採用されたパンダのキャラクターなど、その利用はますます巧みになっている。 2011年刊の『パンダ外交』(メディアファクトリー新書)を全面改訂し、新章を加筆。 目次 はじめに 第一章 パンダ、世界に発見される 第二章 パンダ、他国に贈られる 第三章 パンダ、冷戦に巻き込まれる 第四章 パンダ、日本にやってくる 第五章 パンダ、外貨を稼ぐ 第六章 パンダ、大国を代表する おわりに 主要参考資料 索引 -
スパルタを夢見た第三帝国 二〇世紀ドイツの人文主義
ヒトラーは、古代スパルタを「歴史上、最も明らかな人種国家」として称揚した。優生学に基づいた人種主義政策をはじめ、いわゆる「スパルタ教育」に範をとった教育政策、「北方人種」神話、さらに「祖国に殉ずる死」の美化にいたるまで、第三帝国の政策には、さまざまな形でスパルタが影を落としている。「スパルタ」は国家社会主義者にとって一種の合言葉であった。 日本ではほとんど紹介されることのなかった、第三帝国におけるスパルタ受容の諸相を明らかにし、そのような事態を前に、人文主義者と呼ばれる古代ギリシア・ローマの学者たちが、ナチズムとどのように対峙したのかを描き出す、かつてない試み! 「優れた詩人、哲学者、音楽家を輩出した文化大国のドイツが、なぜナチズムのような危険思想の台頭を許したのか?」 第二次世界大戦後にナチス・ドイツの蛮行が明らかになって以来、いまだ答えの出ない問いである。 著者は、ドイツ人が18世紀後期以降、古代ギリシアに抱いた特別な愛着にその答えを求める。日本がユーラシア大陸の高い文化を輸入して自国の文化や国家を形成していったように、ドイツは、古代ギリシア・ローマを熱心に探究することで、独自の文化や国家を形成していった。これらの研究・教育に携わる人々は「人文主義者」と呼ばれた。 失業と貧困に喘ぐヴァイマル共和国の下、古代ギリシアに対するシンパシーのモデルが、アテナイからスパルタに転じた時、人文主義者たちにも大きな転換点が訪れる。彼らは、スパルタを模範に据えたナチズムといかに向き合ったのか。研究に没頭することで傍観した者、人文主義存続のために協調した者、学問の自由を賭けて抵抗した者――三人の人文主義者の生き方を通して、人文主義とナチズム、さらに学問と国家のかかわりを問い直す意欲作! 【本書の内容】 序 第1部 人文主義者とナチズム――傍観、協調、抵抗 第一章 傍観:イェーガー――「政治的な人間の教育」 第二章 協調:ハルダー――人間性の擁護から人種主義へ 第三章 抵抗:フリッツ――「学問・大学の自由」の擁護 補 論 古典語教師の往復書簡に見るナチズムへの傍観 第2部 第三帝国におけるスパルタの受容 第一章 スパルタについて 第二章 ナチズムの世界観・政策とスパルタ 第三章 第三帝国のスパルタ受容に対する国外での賛否 第四章 第三帝国のスパルタ受容に対する国内での批判 第3部 第二次世界大戦後の人文主義者 第一章 イェーガー――人文主義からキリスト教へ 第二章 ハルダー――人種主義からオリエンタリズムへ 第三章 フリッツ――「学問・大学の自由」の擁護から啓蒙主義へ 結 語 注/文献目録/初出一覧 あとがき -
銭躍る東シナ海 貨幣と贅沢の一五~一六世紀
〈共進化する東アジア史を、貨幣という視点から捉える!〉 「ちかごろ北京城の内外で人々は贅沢を好み、貴賤を問わず、みな金襴や宝石を身に着け、服装がみずからの分限を甚だしく越え、どの宴席でもいつも盛りだくさんの料理や菓子などが並べられ……」 15世紀後半、明の都・北京では人びとが競って贅沢にふけるようになった。奢侈の風潮は、さらに朝鮮半島、そして日本列島にも伝播し、絹製品や陶磁器・金銀・珠玉などの「唐物」が東シナ海を盛んに行き交うこととなる。 大陸・半島・列島にわたる「贅沢の連鎖」はなぜ起こったのか? それは単なる偶然ではなく、また各地域内の単一事象だけでも決して説明がつかない、世界史的事件であった! これまで日本史の枠内で捉えられていた応仁の乱前後を画期とする日本列島の経済成長も、日朝交易が過熱化し半島から列島へ流れ混む朝鮮綿布、琉球を経由した唐糸・青花の流入といった多地域にわたる国際交易の活況と切り離して考える事ができない。 中世日本の経済成長、私鋳銭の流通や石高制への変化などの事象も、東アジア各地の経済成長と連動したものであった。 本書は、中国・朝鮮・日本の経済変動が相互に影響を与え合い、複数の起点からなる共時的な歴史変動がいかに生起するかを探る試みである。 【本書より】 総じて、およそなんの関わりもないように思われてきた東アジア各地の個々の事象が互いに関連し合い、やがてひとつの大状況(東アジア大での経済成長、日本銀の登場、倭寇的状況など)を創出し、さらにその大状況が多数の事象を派生させるとともに、これらの事象によってふたたび変容する、そのような歴史過程を描き出すことが本書の目的である。いままで意識されなかった歴史の「流れ」を見出し、その生成・展開を跡づけることを通して、この時期の中国史・日本史そして東アジア史をめぐる既存の認識とは多少なりとも違ったストーリーを提示できればと考えている。 【主な内容】 第一章 贅沢は連鎖する ─明・朝・日の経済成長 第二章 悪銭と悪貨─ 巻き起こる通貨変動 第三章 そして「倭銀」があらわれた 第四章 活況と騒乱の東アジア─ シルバー・ラッシュがもたらしたもの おわりに ─ 「唐物」と「夷貨」:東アジア史を動かす“モノ” -
鷹将軍と鶴の味噌汁 江戸の鳥の美食学
おいしい野鳥が食べたい!――幕府の権力をもってしても、江戸のグルマンの食欲を抑え込むことはできなかった。失われた食文化の全体像を、初めて描き出す異色作! 江戸時代の人々は、多くの「野鳥」を多彩な調理法で食していた。鶴、白鳥、鴨、雁、雉子、雲雀、鷺、雀、鳩・・・それらは、食のみならず政治や経済、儀礼などをめぐって、魚やほかの動物たちには見られない、複雑で高度な文化の複合体を形作っていた。鳥は、日本文化そのものを理解するうえで欠かせない重要な動物だったのである。 歴代の徳川将軍は、鷹狩で野鳥を狩り、鶴を天皇に献上し、また大名や家臣に獲物を分け与えた。中・下級の武士たちは雁鍋や鴨鍋を楽しみ、裕福な町人は料亭で野鳥料理に舌鼓をうち、庶民は鴨南蛮や雀焼といった素朴なファストフードを頬ばった。幕府によって野鳥流通が厳しく統制され、日本橋の水鳥市場は活況を呈し、その大きな利権を狙ってアウトローたちがうごめいていた。しかし、江戸時代に隆盛を極めたこの食文化は、明治以降、衰退してしまう。そして今、数千年の歴史をもつ野鳥を食べる伝統文化が、日本から消滅しようとしている。 さまざまな野鳥料理のレシピ、江戸に鳥を送っていた村のフィールドワークなどから、語られざる食文化を総合的にとらえたガストロノミー(美食学)の誕生。 目次 序章 鳥の味にとりつかれた美食家たち 第一章 鳥料理の源流――京料理から江戸の料理へ 1 日本人はいつから鳥を食べていたのか? 2 中世の鳥料理 第二章 江戸時代の鳥料理と庖丁人――鶴の味噌汁、白鳥のゆで鳥、鷺の串焼き 1 江戸の町から出てきた大量の鳥の骨 2 『料理物語』のレシピ 3 庖丁人――一流シェフの伝統と技術 第三章 大衆化する江戸の鳥料理――富商、貧乏武士、町人の味覚 1 鶏鍋、雁鍋、鴨鍋――中級・下級武士の食卓 2 料亭・名店の味――富裕層、文人墨客の贅沢 3 鴨南蛮と雀焼――庶民の素朴なファストフード 第四章 闇の鳥商売と取り締まり――せめぎあう幕府と密売人 1 「生類憐れみの令」による危機 2 アウトローたちの鳥商売の手口 3 鳥商売と大岡裁き 第五章 侠客の鳥商人 ――東国屋伊兵衛の武勇伝 1 日本橋・水鳥市場の男伊達 2 幕臣と侠客との親密な関係 第六章 将軍様の贈り物――王権の威光を支える鳥たち 1 鷹狩と贈答による秩序維持 2 「美物」の使い回し――中世の主従関係 3 「饗応料理」の鳥の意味 第七章 江戸に鳥を送る村――ある野鳥供給地の盛衰 1 手賀沼の水鳥猟 2 西洋的狩猟の浸食 3 カモが米に負けた 終章 野鳥の味を忘れた日本人 -
使える哲学 私たちを駆り立てる五つの欲望はどこから来たのか
新しいウイルスの蔓延をはじめ予期せぬ出来事が次々に起こり、AIなどの技術が想像もしなかった可能性を現実にする状況は、とどまるところを知りません。全体を見通すことは難しく、自分が今どんなところにいるのかも分からぬまま、新たな事態に翻弄されながら生きている、というのが多くの人の実感でしょう。 そのとき「使える」のは「哲学」である――これが本書のメッセージです。では、どのように使えるのか。その威力を実際に体験していただくために、本書は「富」、「美」、「科学」、「正義」、「私」という5つのテーマを設けました。誰もが「富」を手にし、「美」しくありたいと願いますが、それを実現するのに必要なのが、さまざまなテクノロジーを生む「科学」だと信じています。ところが、「富」と「美」だけでは満足できず、誰もが自分は正しいと信じ、「正義」ゆえに葛藤や悲劇が生み出されます――そのすべては「私」への固執がかつてないほど強くなった時代の現象です。 つまり、「富」、「美」、「科学」、「正義」、「私」は、どの時代、どの場所でも同じだったのではなく、歴史の産物なのです。それがいかにして生まれ、いかに変化してきた結果、現在の私たちを捉え、駆り立てているのかを解明できるのは、哲学だけだと断言できます。本書は、近年の出来事からスタートして、歴史の地層を掘り進め、徐々に深度を下げていく作業を実演していきます。従来の哲学史のように歴史をくだっていくのではなく、まるで発掘の作業のように歴史をさかのぼっていった先で、真の自由を手にできるはずです。 [本書の内容] I 富:「承認」への欲望 深度0 2019年:「富」の魔法/深度2 1867年:マルクスの価値形態論/深度3 1759年:アダム・スミスの道徳論/深度4 1517年:プロテスタント神学の救済論 II 美:「尊さ」への欲望 深度0 2019年:「美」の消費/深度1 1979年:「大きな物語の終焉」/深度2 1800年:「芸術」という神話/深度4 1590年:「何かよくわからないもの」の優美=恩寵 III 科学:「進歩」への欲望 深度0 2020年:「科学」の信仰/深度1 1962年:クーンの「通常科学」/深度4 1543~1687年:近代科学の「パラダイム」 IV 正義:「権利」への欲望 深度0 2017年:「正義」の揺らぎ/深度1 1962~71年:リベラリズムの「理想」/深度4 1690年:自然権のゆくえ V 私:「ありのまま」への欲望 深度0 2020年:「私」の全肯定/深度3 1781年:カントの「理性」/深度4 1641年:デカルトの「コギト」/深度1 1923年:無意識を操作する広告技術 欲望の哲学史から未来へ -
南極ダイアリー
棚氷の崩壊、氷河の後退、上昇する海水温……。南極大陸と南極圏の島々では、自然環境と生態系の変化が複雑に絡み合い、予想外の事態が次々と起こっている。 荒れ狂うドレーク海峡の先にある南極の“日常”を二〇年にわたり撮り続けた写真家は、何を見て、聴いて、嗅いで、触れたのか。 五感による、未知なる大地の記録! 深夜2時、白夜のに写るペンギンの長い影。 深く厚い氷の下のカラフルな海の表情――。 温暖化で変わるゆく南極の動物たちや景色を 貴重な写真120点に及ぶ写真とともに描写する。 カラー口絵32ページつき はじめに 第一章 温暖化の波のなかで――南極半島 第二章 南大洋に浮かぶ生きものたちの楽園――サウスジョージア島 第三章 コウテイペンギンの国――ロス海、ウエッデル海の奥懐へ -
手の倫理
人が人にさわる/ふれるとき、そこにはどんな交流が生まれるのか。 介助、子育て、教育、性愛、看取りなど、さまざまな関わりの場面で、 コミュニケーションは単なる情報伝達の領域を超えて相互的に豊かに深まる。 ときに侵襲的、一方向的な「さわる」から、意志や衝動の確認、共鳴・信頼を生み出す沃野の通路となる「ふれる」へ。 相手を知るために伸ばされる手は、表面から内部へと浸透しつつ、相手との境界、自分の体の輪郭を曖昧にし、新たな関係を呼び覚ます。 目ではなく触覚が生み出す、人間同士の関係の創造的可能性を探る。 -
「人間以後」の哲学 人新世を生きる
21世紀に入ってから、以前にもまして人類は、大地震、台風、集中豪雨などの自然災害に遭い、今また新しいウイルスとの共存という課題を目の前にしている。もちろん、日本も例外ではない。 ここに出現しようとしているのは、私たちが今まで意識することなく当たり前に存在することを前提にし、その中で生きていると思ってきた「世界」が根底から崩れ去ろうとしている状況ではないだろうか。その認識が示されているのが、2000年に提唱された地質時代の区分である「人新世」だろう。これは人類の著しい発展の末、地球規模の環境変化がもたらされる時代として定義される。そこでは、今まで当たり前だった世界は、まったく当たり前ではなくなる。 だが、そんな来たるべき時代にはどのような世界が出現するのか、そしてその世界の中で人間が「人間」であるための条件とは何か、そのとき私たちは何を拠り所にして生きていけばいいのか、といったことは、まだ問われ始めたばかりである。ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル(1980年生)の名を知らしめた著作の表題になっている『なぜ世界は存在しないのか』という問いは、その一つの試みだと言うことができる。 本書は、ガブリエルのほか、近年日本語への翻訳が相次いでいる、カンタン・メイヤスー(1967年生)、ティモシー・モートン(1968年生)、グレアム・ハーマン(1968年生)といった1960年代生まれの哲学者たちを簡便に紹介しつつ、その思想を正面から検討し、日本の状況と照らし合わせる中で、これから先の世界と人間をめぐるさまざまな問いに答える方法を提示するものである。哲学・思想のみならず、建築や現代美術、演劇といった芸術の世界とも深くコミットしてきた著者が渾身の力を込めて書き上げた本書は、これまでの集大成であるとともに、「その先」に見える可能性を指し示すものにもなっている。 現代哲学の優れた概説書である本書が、同時に「予言の書」でもあることは、今後の時間の中で証明されることだろう。誠実に思索したいと思うすべての人に捧げる。 [本書の内容] プロローグ 第1章 世界の終わり? 第2章 世界形成の原理──ガブリエルとメイヤスー 第3章 人間から解放された世界──ティモシー・モートン 第4章 「人間以後」の哲学──グレアム・ハーマン 第5章 人間の覚醒――柄谷行人 第6章 地下世界へ──フレッド・モーテン 第7章 新しい人間の条件──アーレントからチャクラバルティへ エピローグ -
新しい哲学の教科書 現代実在論入門
今、哲学は「人間」から離れて「実在」に向かっている。21世紀を迎えてすでに20年、哲学の世界では大きな変動が起きています。そこで問われているのは、「人間以後」の世界をいかに考えるか、というものです。「ポスト・ヒューマニティーズ」とも呼ばれるこの動向は、思弁的実在論、オブジェクト指向存在論、多元的実在論、加速主義、アクターネットワーク理論、新しい実在論など、狭い意味での「哲学」をはるかに越えた多様な領域に広がりつつあります。本書は、こうした動向の明快な見取り図を与え、自分の問題として考える手がかりを示すために気鋭の著者が書き下ろした渾身の1冊です。本書で取り上げられるのは、2016年に『有限性の後で──偶然性の必然性についての試論』の日本語訳が出版されて話題になったカンタン・メイヤスー(1967年生まれ)、2017年に『四方対象──オブジェクト指向存在論入門』の日本語訳が刊行されたグレアム・ハーマン(1968年生まれ)、そして2018年に日本語版『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)がベストセラーとなって広く名前を知られるようになったマルクス・ガブリエル(1980年生まれ)ら、最先端の哲学者たちです。「人間以後」の世界を考えることとは、「人間が消滅したあとの世界」という、ますますリアリティを帯びつつある世界を考えることだけではありません。それは同時に「人間の思考が届かない場所」を考えることでもある、と著者は言います。それはもちろん矛盾していますが、「実在論」への注目は、そこに現在の人間が希求するものがあることを示唆しているでしょう。それは、別の言葉で言えば、「実在論(realism)」とは「実存論(existentialism)」でもある、ということです。1987年生まれの著者は、「今」に生きることのリアリティを手放すことなく、哲学の問題とは「生きること」の問題にほかならないことを分かりやすく示しています。新しい哲学のムーブメントをただの流行で終わらせないために。未来のスタンダードが、ここにあります。[本書の内容]プロローグ 「何をしたいわけでもないが、何もしたくないわけでもない」 第I章 偶然性に抵抗する──カンタン・メイヤスー 第II章 人間からオブジェクトへ──グレアム・ハーマン 第III章 普遍性を奪還する──チャールズ・テイラーとヒューバート・ドレイファス 第IV章 新しい実在論=現実主義──マルクス・ガブリエルエピローグ メランコリストの冒険 -
昭和・平成精神史 「終わらない戦後」と「幸せな日本人」
敗戦から70年以上が過ぎ、元号も2度あらたまって、いよいよ昭和も遠くなりつつある。「もはや「戦後」ではない」という宣言から数えてもすでに60年以上が経った。しかし、私たちが生きているのは、今なお「戦後」なのではないだろうか。毎年、戦後何年になるかを数え、ことあらば「戦後初」をうたう。私たちが生きている時間は、つねに「戦後」を起点とし、「戦後」に規定されている。これはいったいなにを意味しているのだろうか。令和の時代を迎えても加速する一方の「息苦しさ」、「生きづらさ」は、実はこの「終わりなき戦後」の終わらなさにこそ原因があるのではないか――。 本書は、「戦後」という幸福な悪夢の外側に、どうにかして越え出るために、昭和・平成を貫く時代精神の真の姿を映し出す試みである。 太宰治の絶望、ゴジラに仮託された不安、力道山が体現した矛盾、さらにオウム真理教という破綻と癒えることのない東日本大震災の傷。戦後日本社会の精神史は、東京オリンピックや大阪万博、インターネットの普及など華やかな出来事や物質的豊かさの影で、それを支えるためにそこから排除されてきた人々の嘆きと悲しみの声に満ちている。その声に耳を傾け、「息苦しさ」と「生きづらさ」の根源から目を逸らさず、その姿を受けとめること。「戦後」を終わらせるため、声高になることなく、著者は静かに繰り返し私たちに語りかける。 うわべだけの「幸せな日本人」を脱ぎ捨て、敗戦から日本社会が抱えこんできた絶望を直視したときにはじめて、希望もまた輝きはじめる。「終わりなき戦後」から、かけがえのない一歩を踏み出すのための、時代に捧げる鎮魂歌。 -
本居宣長『古事記伝』を読む
誰もがその名は知っている本居宣長の大著『古事記伝』。しかし、全巻読み通した人はほとんどいないといっていいだろう。つまみ食い的に読んで彼の思想を語る前に、まず、細部まで精緻に読み抜こうではないか。とはいえ、宣長の注解は多岐・厖大にわたり、簡単に読み切れるものではない。本書は、現代の代表的『古事記』研究者が、その責任において、徹底的に、かつわかりやすく『古事記伝』全44巻を読み解いていく画期的なシリーズである。そこに浮かび上がってくる宣長の無類のおもしろさ、そして思想の核心とは──。(講談社選書メチエ) -
国鉄史
【"この国のかたち"を鉄路で描いた者たちの、栄光と蹉跌の全史】 かつて日本には、国家の所有する鉄道があった。 その組織は平時においては陸軍をしのぐ規模を誇り、列島津々浦々の地域を結びつける路線を構想することは、社会のグランドデザインを描くことそのものであった。 歴代の国鉄トップは、政治家や官僚たちは、そして現場の人々は、この巨大交通システムに何を託し、いかに奮闘したのか。 近代化に邁進する明治政府が新橋・横浜間を開設してから昭和末期に日本国有鉄道が分割民営化されるまで、「鉄道と国家」の歴史を一望する壮大なパノラマ! 【本書より】 日本の鉄道の歴史は大きく四つの時代に分けることができます。まず、明治時代の私鉄が主役だった時代、次に、日露戦争後に多くの私鉄を買収した政府が直営した時代、さらに、第二次世界大戦後、国鉄が公社化されて日本国有鉄道となった時代、そして現在のJRの時代です。 (中略) 本書ではこれから、日本の鉄道の歴史を、鉄道がいかにあるべきかというグランドデザイン、その実現のための経営体制、そしてそれを動かしてきた人物ということに焦点を当てて描き出していきます。それにあたって、この四つの時代区分という捉え方は、たいへん見通しをよくしてくれるので、これに従って議論を進めていきたいと思います。 【本書の内容】 プロローグ 「鉄道一五〇年」と国鉄 [第一部 「国鉄」形成の道程] 第一章 私鉄の時代(一八七二─一九〇六) 1.官設鉄道の誕生 2.「鉄道の父」井上勝 3.鉄道敷設法と私鉄の繁栄 第二章 国家直営の時代(一九〇六─一九四九) 1.鉄道国有法の制定 2.「国鉄」の誕生 3.初代総裁後藤新平の組織作り 4.原敬と改正鉄道敷設法 5.国鉄ネットワークの充実 6.戦時下の苦闘とその遺産 [第二部 日本国有鉄道の興亡─公社の時代(一九四九─一九八七)] 第三章 「復興」の中で(─一九五五) 1.占領期の混沌 2.「公共企業体」の桎梏と総裁たち 3.組織と人々 第四章 「近代化」への邁進(―一九六五) 1.新しい時代の鉄道像 2.「改主建従」の夢 第五章 光と影の昭和四〇年代(─一九七五) 1.都市交通と国鉄の使命 2.効率化がもたらすもの 3.「政治主導」の時代 4.国会とストライキと債務と 第六章 再建の試みと崩壊(─一九八七) 1.「後のない計画」 2.分割民営化への道 エピローグ JR以後(一九八七─) -
英語教育論争史
中学から高校の6年間で膨大な英単語を覚え、暗号解読のような苦労で英文を訳し、長文の速読練習もこなした。でも、労力の割には使えるようにならない。しかも2020年度からは小学校で外国語が正式教科になった。はたして英語は、どのように教え、学ぶべきか。これは、100年以上前から繰り返された議論である。 小学生の英語教育の是非、必要なのは文法訳読か英会話か、全員が必修の必要があるのか、他の教科にエネルギーを回せばもっと日本人の学力は上がるのではないか、そもそも、外国語は英語だけでいいのか。それは、知的バトルあり、人間臭い感情のぶつかり合いもある、真剣勝負の論争史だった。 漱石の指導で英文学に開眼した藤村作の「英語科廃止論」、戦後の熱狂を生んだラジオ「カムカム英語」への批判、加藤周一の「英語義務教育化反対論」、渡部昇一と平泉渉の大論争、筑紫哲也と中村敬の英語帝国主義論争など、文明開化の時代から、戦時下の「敵性語」時代を経て、グローバル化が進む現代まで、「日本人と英語」の百年余りを振り返り、これからの英語教育・英語学習を展望する。 目次 はじめに―― 一〇〇年越しの「真剣勝負」 第一章 早ければ良いのか? 小学校英語教育論争 1 文明開化と内地雑居 2 高等小学校の発足と論争の本格化 3 誰が、どうやって教えるのか 4 岡倉由三郎の小学校英語教育論 5 文部省が小学校英語教育を縮減 第二章 訳読か? 会話か? 文法訳読vs.話せる英語論争 1 学習英文法はどう根づいたか 2 英文法偏重・擁護論争 3 ナチュラル・メソッド論争 第三章 教養か? 実用か? 中等学校の英語存廃論争 1 「一等国」の英語廃止論 2 ナショナリズムと英語教育 3 「米国語」を追い払え! 4 廃止論の急先鋒・藤村作 5 「帝国日本」の外国語教育 6 戦時体制下の英語教師たち 第四章 英語は全員に必要なのか?「カムカム英語」と英語義務化論争 1 敗戦直後の英語熱 2 米会話ブームと「カムカム英語」への批判 3 「英語義務教育化」反対論 第五章 国際化時代に必要な英語とは? 平泉-渡部「英語教育大論争」 1 国際化と英語コミュニケーション能力 2 「平泉試案」の衝撃 3 「平泉新提案」をめぐる論争 4 「平泉試案」後の英語教育政策 第六章 外国語は「英語だけ」でよいのか? 英語帝国主義論争 1 言語帝国主義への先駆的な批判 2 一九九〇年代の英語帝国主義批判 3 中村敬と二つの英語帝国主義論争 終章 そもそも、なぜ、英語を学ぶのか? 英語教育論争史が問いかけるもの おわりに -
現代民主主義 思想と歴史
日本では民主主義(デモクラシー)の使徒とみなされるルソーが、欧米では全体主義の思想家とみなされるのはなぜか。なぜ、民主主義はナポレオンやヒトラーのような独裁を生み出してしまうのか。民主主義は何に敗北してきたのか。そもそも民主主義とはいったい何なのか――。 本書は、民主主義、そして民主主義の双子ともいうべきナショナリズムをめぐる思想がどのように生まれ、変容してきたのか、原点であるフランス革命の基盤となったルソー、シィエスの思想にさかのぼり、トクヴィルやJ・S・ミルによる自由主義者からの民主主義への反論、世界大戦期ドイツのヴェーバーとカール・シュミットの思想、さらに全体主義批判を踏まえた冷戦期のアレント、ハーバーマスを経て冷戦終結後の現在に至るまで、思想家たちが生きた時代的背景とともに、一気呵成に描き出す。 民主主義とはなにか、この根源的な問いの答えは、幾多の血を流しながら民主主義が歩んできた歴史のうちにこそ見いだされる。著者渾身の民主主義思想史!! 【本書の内容】 はじめに 序章 民主主義のパラドクス 第1章 近代民主主義とナショナリズムの誕生 第1節 フランス革命とルソー、シィエスの思想 第2節 ドイツ・ナショナリズムとフィヒテの思想 第2章 自由主義者の民主主義批判とナショナリズムの発展 第1節 民主主義革命とトクヴィル、ミルの思想 第2節 ナショナリズムの統一運動と民族自決権の思想 第3章 民主主義観の転換とナショナリズムの暴走 第1節 第二帝政期ドイツとヴェーバーの思想 第2節 ワイマール期ドイツとカール・シュミットの思想 第3節 民族自決権の適用とその帰結 第4章 民主主義の再検討とナショナリズムの封じ込め 第1節 全体主義批判と民主主義論の再構築 第2節 民族自決権の受容と回帰 結び 冷戦終結後の民主主義とナショナリズム あとがき -
日本語の焦点 日本語「標準形」の歴史 話し言葉・書き言葉・表記
「スタンダード」とは本来は標準語のことである。しかし、「標準語」というと、たいていは、明治以降の「標準語」を思い浮かべるだろう。現在、アナウンサーがしゃべっている言葉、東京山の手の言葉などと言われるあの言葉だ。ところが、本書では、江戸期以来、一貫して「話し言葉の標準形態」つまり「標準語」があったと考えている。これを、一般にイメージされる「標準語」と区別して「標準形(スタンダード)」と呼ぼう。書き言葉にも、標準形があった。これも、歴史をたどれば、室町時代までさかのぼる。書き言葉を書く際の表記にも、標準形はあった。これも、明治維新と供に成立したものではない。いわゆる、仮名遣いの問題である。時折言われるように、歴史的仮名遣いは正しいのだろうか。いや、江戸期には、もっと多様で柔軟な表記を許すスタンダードがあった。このようにして、「スタンダード」と言うことを軸として、本書は話し言葉、書き言葉、仮名遣いの歴史に分け入っていく。豊饒な言葉の世界を堪能してください。 -
小津安二郎の喜び
小津映画の代名詞とも言える「ロー・ポジション」に据えられたキャメラは、悠久の静けさを帯びた〈永遠の現在〉を捉え続けた──『学生ロマンス 若き日』(昭和4年)から遺作『秋刀魚の味』(昭和37年)まで、現存する全37作品を一貫したまなざしの下で読み解いていく喜び。本書を読み終えたなら、その人は小津作品だけが達成しえた驚異の地平を目の前にするだろう。映画を愛するすべての者に贈る渾身の1冊! -
福沢諭吉の朝鮮 日朝清関係のなかの「脱亜」
福沢諭吉は朝鮮侵略論者か、独立の支援者か――。「絶えざる転向」により多くの解釈を生むことになった福沢のアジア論。本書では、福沢と朝鮮で開化派と呼ばれた人々との関係と、『時事新報』の社説・論説を軸に、日朝清関係史のなかでそれを読み解いていく。そこに見えてきたのは、福沢のアジア論に貫徹する思想であり、「リベラルな帝国主義者」という19世紀的な立場が挫折してゆく過程であった。(講談社選書メチエ) -
ケルトとは何か
妖精が戯れる神話の世界、美しい文様の装飾写本、大きな輪を重ねた石造の「ケルト十字架」、騎士や魔術師が活躍するアーサー王物語群など、ヨーロッパの古くて不思議な魅力がある文化――ケルトをこのように思い浮かべる人は多いだろう。 しかし本書によれば、アイルランドやスコットランドで特徴的なダンスや音楽、民族衣装をはじめ、ケルト美術の優品「タラ・ブローチ」「ケルズの書」なども、古代ケルト人に伝統をさかのぼるのは無理がある。では、近年の「ケルト懐疑論者」が主張するように、ケルトの「存在自体が怪しい」のかといえば、そうではない。 ケルト文化の本質は、ケルト諸語によって営まれた文化である。スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランスのブルターニュ地方などの「ケルト文化圏」の主要言語であり、現在は少数言語となっているゲール語、ブレイス語などのケルト諸語の分析から、「ケルトとは何か」を根源的に問い直す。そこには豊かな言語文化の広がりと、現在も生きている伝統の厚みがあった。 ある時は近代のナショナリズムに活用され、またある時はヨーロッパ統合の象徴となり、さらに近代文明を批判する「癒し」の精神性も期待される「ケルト」の虚像と実像とは。「ケルト人」と「ケルト文化圏」は、なぜ一致しないのか? 言語学と考古学、美術、文芸、民俗学などを総合したヨーロッパの「ケルト学」の成果と議論から、「歴史」と「文化」の深層がみえてくる。 目次 はじめに 第一章 近代が生んだケルト文化 1 華麗な音楽文化 2 展示される民族衣装 3 ヒーリングと反近代の思想性 4 ドルイドの実像と虚像 第二章 ケルト美術と考古学 1 「古代ケルト人」とは 2 タラ・ブローチとバターシーの盾 3 懐疑論と「西からのケルト語」 4 巨石文化を見直す 5 人の移動と文化の移転 第三章 文芸と民俗のなかのケルト 1 伝承文学と吟遊詩人 2 アーサー王伝説とバルドたち 3 韻律が伝える「ケルト文化」 4 民話と民謡の採集 5 妖精とハロウィーンの起源 第四章 民族起源の伝説と史実 1 ブリタニアの起源伝説 2 ブレイスの起源伝説 3 カムリー、エリウ、アルバの起源伝説 第五章 ケルト諸語の言語学 1 印欧語の歴史言語学 2 言語をどう分類するか 3 地名研究の効用 4 ケルト諸語の音声学 5 ケルト諸語の文法的特徴 第六章 社会のなかのケルト諸語 1 オガム文字の碑文を読む 2 「書きことば」をめぐる論争 3 社会階層・宗教・学校と言語 4 「言語死」をいかに食い止めるか おわりに -
植物哲学 自然と人のよりよい付き合い方
いとうせいこう氏絶賛! 「新しく繁茂している植物学の葉の先端や根っこを余すところなく紹介しながら、一人の園芸家がヒトと自然の関係を深く掘り進む。目から枯れ葉が何枚も落ちた。」 東畑開人氏推薦! 「とにかく植物がすごすぎる。人間は全然かなわない。園芸家はそのすごすぎる自然と取っ組み合いになりながら、『いのち』の臨床をしていた。」 「人為なき自然は人を癒さない」「人は植物に対してもっと『不真面目』でいい」――。 地球温暖化、SDGs、樹木伐採にオフィス緑化……自然と人間が対立し、自然をめぐって人々が分断される時代に、私たちは植物とどのような関係を築けるだろう。 園芸業界初の植物ケアサービス「プランツケア」を創始していま大注目の「哲学する園芸家」が、その特異な経験から紡ぎ出す、「自然とよりよく生きる」ための言葉と実践! [目次] はじめに 第1章 園芸二重スパイをめぐって 1 園芸家系に生まれて 2 園芸左翼と園芸右翼 3 園芸二重スパイ誕生秘話 第2章 超越としての植物 1 植物は人を凌駕する 2 超越的寿命 3 超越的身体 4 超越的知性 5 超越的戦略 第3章 園芸とは超越の飼い慣らしである 1 園芸を問い直す 2 飼い慣らし入門 3 プランツケアの哲学 第4章 自然は人を癒すのか 1 自然愛と自然嫌悪 2 自然と人為 3 自然の自然さについて おわりに -
滅亡するかもしれない人類のための倫理学 長期主義・トランスヒューマン・宇宙進出
核戦争、環境破壊、パンデミック、超AI……人類滅亡の可能性はきわめて高い。 しかしそれを切り抜けたならば、人類は宇宙を征服するだろう、と言われる。 そのとき「人類」は果たして「ヒト」だろうか? そして存続を目指すべき「人類」の範疇とは? 超未来を想定すると、問うべき倫理と答えは変わる。 イーロン・マスクやテック企業家たちを熱狂させ、先端技術の基底思想になりつつある「長期主義」を軸に、ポストヒューマニズムの最前線を追う。 [本書の内容] はじめに 1 『風の谷のナウシカ』と考える超未来 2 長期主義とは何か? 第一章 最大多数の最大幸福 1 長期主義はどこからやってきたのか?:ピーター・シンガーと功利主義の革新 2 未来のための行いが未来のためになるとは限らない:デレク・パーフィットと世代間倫理 第二章 人類が滅びる可能性 1 ニック・ボストロムと存亡リスク 2 カタストロフ保険はありうるか? 3 ポストヒューマン時代 第三章 未来への対立軸 1 道徳哲学における長期主義 2 加速主義とテクノ・リバタリアン 3 これは新しい優生学か? 第四章 動物たちの未来と反出生主義 1 奴隷的存在は生まれてこない方がよかったのか? 2 動物・AI・人造人間の尊厳 第五章 倫理は常識に合致するか? 1 功利主義と不平等 2 「いとわしい結論」 3 未来のために現在を犠牲にするべきか? 第六章 あなたが存在する世界と非同一性問題 1 枝分かれする世界線 2 道徳か、人生の意味か? 3 不死は悪か? 第七章 シングルトンの困難 1 ノーマル・アクシデント 2 宇宙へのエクソダス? 第八章 宇宙には他に誰かいるのか? 1 フェルミ・パラドックス 2 この世界はシミュレーションか? 第九章 本当に人類は宇宙に出ていいのか? 1 引きこもり文明 2 暗黒森林理論 第十章 それでも宇宙を目指す意味 1 星間文明 補論 星間スーパーコンピューター 2 分岐する人類 おわりに 現在と未来 1 まとめ 2 『風の谷のナウシカ』と考える現在 3 終末なき終末論 注 あとがき -
戦下の読書 統制と抵抗のはざまで
子供はこっそり「悪書」に耽り、エリート学生は『善の研究』を通して「国体の本義」に自ら殉じていった――。 戦時下、人々は何を読み、何を考え、何になっていったのか。ベストセラーでも発行部数でもない、「読書調査」から掘り起こす、子供・勤労青年・女性・エリート学生たちの読書と生のリアル。統制と抵抗のはざまには、多様で複雑な読書と生の実践があった! [目次] はじめに 思想統制という幻像 序 章 読書は国家のために?――読書調査と思想統制 第一章 子供は見てはいけない――「悪書」の誕生 第二章 勤労青年は何を求めたか――娯楽と修養のはざまで 第三章 銃後女性の読書とその動員――忘れられた小説と忘れてはならない小説 第四章 ファシズムとエリート学生との回路――愛と認識との行方 終 章 読書を掘り起こす――「見えない」読者を追って おわりに 読書傾向調査の系譜 注 あとがき -
黒いイギリス人の歴史 忘れられた2000年
「黒いイギリス人」とは、Black Britishの訳語である。「黒人のイギリス人」である彼らは、歴史に翻弄されながらも、「白いイギリス人と女王様の国」では忘れられた存在だった。 「黒人史」といえば真っ先に思い浮かぶのは「アメリカ黒人史」だが、アメリカ黒人史の多くは「アメリカの国内史」として語られるのに対し、イギリスの場合、その黒人史はブリテン島内だけでなく、海を越えて東西にわたる帝国に視野を広げて見る必要がある。ここに「イギリス黒人(在英黒人)」にとどまらない「黒いイギリス人」という語を用いる意図がある。 イギリス史には古くから黒人が姿を見せる。イングランドに最初の黒人女性が現れたのはローマ時代。16世紀チューダー朝の絵巻には王室付き黒人ラッパ手が描かれている。17世紀初頭、エリザベス女王は黒人追放令を発し、シェイクスピアは『オセロー』でムーア人の軍人を主人公にした。さらに、18世紀の新聞の「逃亡奴隷」の広告データベース分析や、アメリカ独立戦争で王党派についた「黒人ロイヤリスト」たちの命運、ロンドンの黒人貧民をアフリカに移送する「シエラレオネ植民計画」の顛末など、「黒いイギリス人」の歴史は「イギリス帝国」の光と影を映し出す。 長期的かつグローバルな視点で、その移動と混合の歴史をたどり、社会的マイノリティの共生の道をさぐっていく。 目次 はじめに:「白いイギリス人」と女王様の国で 序章 「黒いイギリス人」とは誰か 第1章 最初の来訪者たち:ローマ帝国期から近世まで 第2章 逃亡奴隷のプロファイル:18世紀前半 第3章 シエラレオネ計画の夢と失望:18世紀後半 第4章 奴隷解放と「黒人消滅」:19世紀 第5章 世界大戦下の黒人臣民と黒人米兵:20世紀前半 第6章 戦勝国の旧弊:20世紀後半 終章 「イギリスらしさ」を担うのは誰か あとがき -
精読 アレント『人間の条件』
ハンナ・アレント(1906-75年)の『人間の条件』(英語版1958年)は、「人間」とは何か、とどまるところを知らない科学と技術の進歩は人間をどう変化させるのか、といった課題を考える際に不可欠の書として多くの人によって手にされてきた。待望の新訳(講談社学術文庫)刊行に際し、その訳者を務めた第一人者が決定版となる解説書を完成。定評ある『精読 アレント『全体主義の起源』』(講談社選書メチエ)の姉妹篇。『人間の条件』全6章のエッセンス、その背景や可能性を徹底解説! 【本書の内容】 序 章 マルクスと西洋政治思想の伝統 1 古典的政治哲学の成立 2 ソクラテス 3 存在への問いとプラトン 4 近代の転換 5 自然と人間の物質代謝 第I章 観照的生活と活動的生活 1 アウグスティヌスと古代世界の没落 2 不死と永遠 第II章 公的なものと私的なもの 1 アテナイにおける古典的ポリスの成立 2 古代における公私の区分 3 社会的なるものの勃興 4 公的領域の光の喪失 5 私有財産の意味 6 公私の区分の意味 第III章 労 働 1 「労働」と「仕事」 2 「世界」と労働、仕事の位置 3 人間の生と労働の意味 4 労働と生産力 5 私有財産の源泉としての労働 6 労働の労苦からの解放は何をもたらすか 7 大衆消費社会という不幸 第IV章 仕事と制作 1 産業革命における「消費」の無限拡大 2 制作過程の変容 3 功利主義批判 4 工作人と交換市場 5 世界の永続性と芸術 第V章 行 為 1 第二の「出生」 2 行為と人間事象の脆さ 3 ギリシア人の解決としてのポリスと「権力」概念 4 ヘーゲルからマルクスへ 5 行為の代替としての制作 6 人間関係を修復する「奇蹟」としての「許し」 7 行為の「予測不能性」に対する救済としての「約束」 8 自然過程への「行為」の介入 第VI章 近代の開幕と活動力のヒエラルキーの転換 1 近代の起点 2 ガリレオによる望遠鏡の発明 3 近代数学と経験からの解放 4 デカルトの懐疑 5 デカルト的内省と共通感覚の喪失 6 観照と活動の伝統的なヒエラルキーの解体 7 制作から過程へ 8 「工作人」の敗北と功利主義の限界 9 労働と生命の勝利 10 展 望 -
「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち
「水魚の交わり」劉備と諸葛亮のあいだには、実は厳しい緊張関係があった! 曹操の「革新」とは何か? 孫呉の盛衰はどのような力学に動かされていたか? 三国志の英雄たちが活躍した舞台は、自らの権力を確固たるものにしたい君主たちと、儒教的思想と文化・名声を力とする「名士」がせめぎ合う、緊迫した政治空間であった。 中国史上の大転換点として、史実の三国時代を当代の第一人者が描ききる。 小説、漫画、ゲームで描かれる英傑たちの、「本当の闘い」がよくわかる画期的論考! ●主な内容 黄巾の乱と群雄割拠 文学の宣揚 孫氏の台頭 劉備と諸葛亮 君主と文化 孫呉政権の崩壊 魏晉革命と天下統一 中国史上における三国時代の位置 -
武士論 古代中世史から見直す
武士とはいかなる存在であり、いかに成長して武家政権を築きあげたのか。著者ならではの、多彩な史料を駆使して描き出される500年の歴史! 鎌倉幕府の成立から江戸幕府の終焉までを考えても、武家政権が存続した期間は実に700年近くにも及ぶ。少なくとも「日本」という国号が使われるようになってからのこの国の歴史の半分は、武士が支配的であったことになる。彼らは一体なにもので、どのように成長し、そしていかなる政権を築きあげたのか。 8世紀に武をもって朝廷に仕える下級官人と規定された「武士」は、「兵(つわもの)」や「武者」として史料上に登場すると、戦乱を繰り返し、やがては朝廷にまでその力を及ばせ、公武にわたる政権を樹立するに至る。『今昔物語集』に見える平将門らの「兵」にはじまり、承平天慶の乱、前九年、後三年の合戦、保元・平治の乱、源平合戦、南北朝の動乱と、戦乱を重ねるごとに成長し、武家政権の到達点である足利義満の栄華にいたるまで、およそ500年の道のりを描き出す。 同時に、古文書や日記のみならず、説話集や軍記物、絵巻、遺跡の発掘成果などを駆使して、主従契約や一揆契約のありさま、親や主君の敵討ち、切腹、集団自決、殉死などの武士の作法、さらには武士の構えた宅や館など、様々な武士の存在形態を明らかにする。 芸能や文化を含む独自の幅広い視野で研究を重ねてきた著者による、決定版武士の歴史! 【本書の内容】 はじめに 第1章 武士の源流 一 兵たちの世界 二 京の武者と諸国の兵 三 兵・武者から武士へ 第2章 武士の成長 一 武士の家 二 武家と武士団 第3章 武家政権と武士 一 二つの武家 二 鎌倉幕府の成立と武士 第4章 北条政権下の武士 一 泰時の政治と鎌倉 二 鎌倉後期の武士の環境 三 絵巻に見る武士像 第5章 京の足利政権と武士 一 幕府の滅亡と室町幕府 二 南北朝の対立 三 室町幕府の体制 四 武士と武家政権の到達点 まとめと展望 コラム 伝説の武者像 コラム 為朝伝説の行方 コラム 能に描かれた武士 -
『論語』 孔子の言葉はいかにつくられたか
〈「古典」は創造される〉 儒家たちが己の思想の正否を賭けてテキストと格闘し続けた、エキサイティングな二千年の思想史! □「子曰く」……孔子は本当にそう言ったのか?□ 春秋時代の弟子たちが残した師の言行は、口承で、あるいは竹簡や木簡によって紀元後に伝えられた。 それはさらに時を経て、前漢から宋、江戸時代の日本に至るまで、儒教の思想家たちの強い意志と意図とともに編纂、継承され、ついに『論語』は東アジア最大の古典としてつくりあげられた。 鄭玄、何晏から朱子までの儒家、江戸の伊藤仁斎、荻生徂徠らはあるべき聖賢の思想をいかに追い求めたか。 『論語』テキストの系譜を、ひとつの思想史として描き出す! 「本書が扱うものは、『論語』の形成過程と、朱熹の『論語集注』が成立するまでの解釈史である。しかも、そこで明らかになることは、『論語』とは、孔子の「ありがたい」言葉が収められているものではなく、長い歴史の中で、思想家たちの意図のもと孔子の言動は作られてきた、という事実である。それでは、『論語』を読むことに意味はないのか。そうではあるまい。『論語』などの古典は、時代や個人に応じて受け取られ方が異なるからこそ、時代を超えた普遍性を持って読み継がれてきた。『論語』も、それを手にした一人ひとりの思いに基づいて読まれてきた」(本書より) -
地図づくりの現在形 地球を測り、図を描く
近代日本の地図づくりは、どんな技術で、いつ始まったのか。 明治政府が国土を測り始めて150年。測量を積み重ね、やがて航空写真も用いて得た情報をもとに、人間の手あるいは図化機によって手作業で描かれていた。 それによって描かれた「2万5000分1地形図」は、1908年に作成が始まったが、離島を除く日本全国4000面以上の図が完成したのは1981年、さらに北方領土なども整備されたのは2014年であった。 そして今、ようやく完全整備された「2万5000分1地形図」は使われる機会が激減している。衛星による測量技術やデジタル技術の進化による図化の方法、形式の変容などが新しい地図の世界を開いているのである。 三角点から電子基準点へ、航空測量に加えた衛星測量、また図の表現形式の目的別多様化など、まったく姿を変えつつある地図づくりとその活用法の広がりを紹介。 -
ポジティブ心理学 科学的メンタル・ウェルネス入門
精神疾患の治療(マイナスをゼロへ)の枠を超え、 さらなる「幸せ」を目指す、ユニークな心理学が誕生した。 “ポジティブ心理学”は人生の価値観を問い、 哲学的知見も融合する、総合学である。 同じ環境で暮らす修道女の、寿命の差に潜む驚くべき原因とは? 利他行動は、精神にどんな良い影響を生むのか・・・・・・? さまざまな実験から、 自らを「幸福」状態へと導くメソッドを、学術的に検証。 新たな学問の可能性と個人、社会への活用法を、 政治学者が豊富な事例をふまえ、細やかに解説する。 まえがき 序章 政治哲学者、ポジティブ心理学と出合う 第一章 幸福へのアプローチ ウェルビーイング(良好状態)の科学的解明 1「心」のあり方が現実を変える――「修道女研究」の衝撃 2 幸福をもたらす感情・心理を測る 3「実践的科学」というポジティブ心理学の特質 第二章 本当の幸せを生み出す 「美徳」と「人格的強み」の再発見 1 短期的快楽か、長期的幸福か。ヘドニア─エウダイモニア論争 2 二四の「強み」から検証する、<人間>の物語 第三章 個人から社会へ――。ポジティブ心理学の包括的発展 1「心の状態」を善くする組織・制度とは? 2 高齢化社会への希望「ポジティブ健康」 3 次世代のための「ポジティブ教育」 4 ビジネスの成功を導く「ポジティブ組織学」 5 繁栄する社会への「ポジティブ政治経済」 注 参照した海外のテキストや辞典 日本語での概要や参考図書 あとがきにかえて――「善き幸福」の時代への希望 (内容紹介) ポジティブ感情は視野の広がりを生む。(中略)避けがたい困難で生じたネガティブな心理状態からの回復力(レジリエンス)を高めることにも寄与できることがわかってきている。ポジティブ感情を生み出すエクササイズは、弱い立場にある人が上向きの循環をつかむアート(技術)、身を守るためのアートとして生きるものでもあるのだ。 ―――「第一章 幸福へのアプローチ ウェルビーイング(良好状態)の科学的解明」より -
シルクロード世界史
かつて、「歴史」を必要としたのは権力者だった。権力者は自らの支配を正当化するために歴史を書かせた。歴史家は往々にして、権力者に奉仕する者だったのである。しかし、近代歴史学の使命は、権力を監視し、批判することにこそある。近代世界の覇権を握った西洋文明を相対化し、西洋中心史観と中華主義からの脱却を訴える、白熱の世界史講座。 近代以前の世界では、中央ユーラシア諸民族の動向が、歴史を動かしていた。騎馬遊牧民はどのように登場し、その機動力と経済力は、いかに周辺諸国家に浸透していったのか。シルクロードのネットワークを媒介とした「前近代世界システム論」とは。ソグド人やウイグル人のキャラバン交易や、キリスト教の最大のライバルだったマニ教の動向などを、ユーラシア各地に残る古文書、石碑の読解から得たオリジナルな研究成果をもとに解明していく。そこから見えてくるのは、あらゆるモノは歴史的所産であり、文化・言語・思想から、政治・経済活動まで、すべては変化し混ざり合って生み出され、純粋な民族文化や普遍的な国家など存在しない、という真実である。さらに、近年日本で発見されて世界的な注目を浴びるマニ教絵画から、日本伝来の史料で明らかになるシルクロードの実像まで。「興亡の世界史」シリーズ最大の話題作『シルクロードと唐帝国』の著者による、待望の書下ろし。 -
とうがらしの世界
いつ、日本に伝わったのか? なぜ、辛いのか? 辛いししとうと、辛くないししとうの違いとは? ダイエットの効果はあるのか? 「辛い」というよりも「臭い」ハバネロ、「ネズミの糞」の名を持つ激辛種・・・。 知れば知るほど汗が出る。科学と食文化の両面から、世界のトウガラシを挟み撃つ、刺激的な「食の教養」! 第一部では、食用トウガラシの起源から、たくさんの種類、辛さの秘密、トウガラシでのダイエットまで、「トウガラシの基礎知識」を解説。 第二部は、トウガラシの故郷・中南米のハバネロに代表される激辛料理に始まり、スペイン、イタリア、東欧などのヨーロッパの郷土料理、さらにアフリカ、インド、タイ、中国、韓国・・・などなど、「世界一周トウガラシ紀行」。そして、実は豊かな日本の「唐辛子文化」を京都、信州はじめ各地に訪れる。 -
超高層のバベル 見田宗介対話集
『現代日本の精神構造』(1965年)や『近代日本の心情の歴史』(1967年)で日本と日本人がたどってきた道行きを具体的な事象を使って鮮やかに分析した社会学者は、人々を震撼させた連続射殺事件の犯人を扱う「まなざしの地獄」(1973年)でさらなる衝撃を与えた。その名を、見田宗介(1937年生)という。 続くメキシコ滞在を機に、さらなる飛躍を遂げた社会学者は、「真木悠介」の名を使ってエポックメイキングな著作『気流の鳴る音』(1977年)を完成させる。ここで形を得た人間観と、そこから導かれるコミューンへの憧憬は、独自の理論に結晶していき、数多くの信奉者と、数多くの優れた弟子を生み出した。その成果は、『時間の比較社会学』(1981年)や『自我の起原』(1993年)といった真木悠介名義による労作を経て、ついに『現代社会の理論』(1996年)に到達する。現代の世界に向けられた冷徹と愛情の共存するまなざしは、最新の社会現象についても常に鋭利な分析をもたらし、今なお他の追随を許すことがない。 その思想が、かけがえのない「他者」たちとの対話を源泉にして生まれてきたこともまた間違いのない事実である。対談や座談会は収録の対象としなかった『定本 見田宗介著作集』(全10巻、2011-12年)と『定本 真木悠介著作集』(全4巻、2012-13年)を補完するべく精選された、珠玉の11篇。現代日本社会学の頂点に君臨する著者が望んだ初の対話集がついに完成した。 [本書収録の対話] 河合隼雄 超高層のバベル 大岡昇平 戦後日本を振り返る 吉本隆明 根柢を問い続ける存在 石牟礼道子 前の世の眼。この生の海。 廣松 渉 現代社会の存立構造 黒井千次 日常の中の熱狂とニヒル 山田太一 母子関係と日本社会 三浦 展 若い世代の精神変容 藤原帰一 二一世紀世界の構図 津島佑子 人間はどこへゆくのか 加藤典洋 現代社会論/比較社会学を再照射する 交響空間――あとがきに(見田宗介) -
オカルティズム 非理性のヨーロッパ
ヘルメス文書、グノーシス、カバラー、タロット、黒ミサ、フリーメーソンやイリュミニズムなどの秘密結社、そしてナチ・オカルティズムとユダヤ陰謀論……古代から現代まで、オカルトは人間の歴史と共にある。一方、「魔女狩り」の終焉とともに近代が始まり、その意味合いは大きく変貌する――。理性の時代を貫く非理性の系譜とは何か。世界観の変遷を闇の側からたどる、濃密なオカルティズム思想史! -
胃弱・癇癪・夏目漱石 持病で読み解く文士の生涯
人間嫌いの厭世病。人の心の深い闇を描いた夏目漱石は、多病持ちだった。疱瘡、眼病、強度の神経衰弱、糖尿病、結核への恐怖、胃潰瘍……。次々襲う病魔と、文豪はいかに闘ったのか。医師との付き合い方、その診療にミスはなかったのか。そして病は、彼の生み出した文学にどんな影響を与えたのかーー。ままならない人生に抗い、嫉妬し、怒り、書き続けた49年。その生涯を、「病」をキーワードに読み解く! -
ポル・ポト〈革命〉史 虐殺と破壊の四年間
人口を4分の1減らした「革命」「解放」の真実。囚人14000人、生還者7人の監獄。無軌道に展開した強制労働、密告、そして処刑。社会基盤を破壊し全国民の4分の1を死に追いやったポル・ポト政権はいかにして「革命」を遂行したのか。20世紀最大の蛮行、その軌跡と背景を完全解読。(講談社選書メチエ) -
異教のローマ ミトラス教とその時代
世界がキリスト教化する前、ローマ帝国は伝統的なギリシア・ローマの神々に加え、オリエントの神々、さらにはキリスト教、ユダヤ教の一神教に至るまで多彩な信仰や宗教で賑わっていた。そのなかでひときわ勢力を誇ったのがミトラス教である。 キリスト教最大のライバルとまで言われながらも消滅したこの宗教の実態は、文献史料の乏しさゆえに今も謎に包まれている。最新の発掘成果や研究を踏まえつつ、その全体像に迫る。 なぜミトラス教は帝国の数ある信仰のなかで隆盛し、そしてキリスト教に敗れたのか――。 壮大なスケールで異教にぎやかなりし帝国の姿を描き、ヨーロッパ世界の深層を照らし出す。 「もしキリスト教が何らかの致命的疾患によってその成長を止めていたならば、世界はミトラス教化していただろう」。19世紀フランスの宗教学者エルネスト・ルナンはこのように述べて、キリスト教最大のライバルとしてミトラス教を名指しした。 ユピテルやマルスなどの伝統的な神々にエジプトのイシスやアヌビス、小アジアのキュベレアッティスなどのオリエントの神々、さらに一神教のキリスト教、ユダヤ教に至るまで、数多くの信仰で賑わった異教時代のローマにおいて、なぜミトラス教は信仰を広めることができたのか。そして、なにゆえキリスト教に敗北したのか――。 古代オリエントの神々のなかでも例外的に広く東西に伝わったミトラ(ミスラ)の存在は、中央アジアを越えて日本にも伝播しており、平安貴族に日記としても使われた具注暦にその痕跡を残している。 この古代オリエント、ヘレニズム時代に始まるミトラ崇拝とローマ帝国の密儀宗教ミトラス教は、どのような関係にあるのか。いつ、どこでどのようにミトラス教は誕生し、拡大したのか。宗教組織や儀式、神話、信者がこの宗教に求めたものに至るまで、異教時代のローマ帝国の姿とともにその全貌に迫っていく。 オリエントを射程にいれた大きなスケールで歴史を捉え、ヨーロッパ世界の深層が浮かび上がる! 【本書の内容】 はしがき――宗教的カオスの中で 序章 謎の宗教への挑戦――一歴史学者のみた夢 第1章 古代オリエント世界の信仰――密儀宗教化前夜 第2章 亡国の王族か、解放奴隷か――教祖の存在と教線の拡大 第3章 密儀と七つの位階――ギリシア神話との関係 第4章 孤独と忍従――ローマ帝国の兵士と奴隷の人生 第5章 異教の時代の終焉――キリスト教の圧力 終章 世界はミトラス教化したのか――ヨーロッパ世界の深層へ -
物価とは何か
あのバブル絶頂時、そしてその崩壊、いずれのときも意外なほどに物価は動かなかった。それはなぜか? お菓子がどんどん小さくなっている……なぜ企業は値上げを避けるのか? インフレもデフレも気分次第!? 物価は「作る」ものだった? 経済というものの核心に迫るための最重要キーである、物価という概念。 国内第一人者が初歩の初歩から徹底的にわかりやすく説き起こし、社会にくらす私たち全員にとって、本当に知るべき経済学のエッセンスを教える、画期的入門書の登場! ハイパーインフレやデフレと闘う中央銀行や政府の実務家(ポリシーメーカー)たちは、何を考え何をしているのか。 それらの成果と教訓を研究者たちはどのように学び、理論を発展させてきたか。 私たちの生活そのものと直結する、生きた学問としての経済学が立ち上がっていく様を生き生きと描く! 学問としてのマクロ経済学を希求する、真摯な社会科学探究。 インフレもデフレもない安定した社会は、実現できるのか。 その大きな問いにこたえようとする、エキサイティングな一冊! 【本書より】 個々の商品の価格が、売り手や買い手の個別の事情を適切に反映して動くのは、自然なことです。そして、個々の価格は忙しく動きまわるけれど全体としてみると安定している、というのが健全な姿です。ただ、同じ「全体が動かない」場合でも、個々の価格がまったく動かず、その当然の帰結として全体も動かないということもあり得ます。しかしそれは病的だと言えるでしょう。(中略)売り手や買い手の事情で価格が上がり下がりするという、経済の健全な動きが止まっていたら、それは異変とみるべきです。後で詳しく述べますが、今の日本経済はこれに近い状態だと私はみています。 【主な内容】 はじめに 第1章 物価から何がわかるのか 第2章 何が物価を動かすのか 第3章 物価は制御できるのか――進化する理論、変化する政策 第4章 なぜデフレから抜け出せないのか――動かぬ物価の謎 第5章 物価理論はどうなっていくのか――インフレもデフレもない社会を目指して おわりに -
維摩経の世界 大乗なる仏教の根源へ
紀元1~2世紀頃、インドで興起した大乗仏教。それまでの教理を批判し、自利よりも利他行を強調する考え方は広く中国・日本にも及ぶ教えとなった。同時代にその教理は「法華経」「涅槃経」「華厳経」などの経典にまとめられたが、日本では「法華経」「勝鬘経」とともに「維摩経」の三経を仏教の根本として聖徳太子が注釈を加えている。本書の主題「維摩経」はやはり紀元1~2世紀頃の成立とされ、支謙(3世紀)、羅什(4~5世紀)、玄奘(7世紀)らが漢訳するなど、大乗経典のなかでも特に重要な経典であったが、もともとサンスクリット語で記された原典はこれまで存在が知られていなかった。それが2001年、大正大学の研究チームによってチベット・ポタラ宮の書庫でサンスクリット語写本が発見され一大ニュースとなった。その経典のなかで教えを説くのは、在家仏教者でありながら悟りを開いたとされるの「ヴィマラキールティ(維摩詰)」である。病を得た維摩のもとへ、世尊シャーキャムニの指示により訪ねてくる弟子・シャーリプトラ、マハーカーシュヤパや文殊菩薩たち。そこで繰り広げられる弟子や文殊たちと維摩との真理に関する問答。核心にあるのは「空」「煩悩即菩提」の思想であり、菩薩とはなにか、仏国土とはなにかという大問題が展開されるが、それぞれの場面は芝居仕立てによって読む者・聞く者を強く惹きつけていく。本書は、サンスクリット語原典写本からの和訳を引用しつつ、人びとに強烈なインパクトをもたらす大乗仏教の利他行思想を紹介する。 -
乱歩と正史 人はなぜ死の夢を見るのか
我々の現代性の黎明期、日中戦争の前/日米戦争の後、江戸川乱歩と横溝正史――二人は探偵小説の夢を創造する。個人の日常生活を成立させるリアリズムの場に深い〈穴〉があき、あるいはリアリズムの〈場〉が〈死者〉の声に触れて崩れるとき、人間に関わる真実が独特の顔をして垣間見えることがある。だが、この真実を表象する手段は限られている。乱歩と正史はこの真実を寓喩――殺人とその不可能図形によって描き出す。 -
アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで
【2011年サントリー学芸賞[芸術・文学部門]受賞】そのサウンドと〈歴史〉はいかなる欲望がつくったか。ロック、ジャズ、ブルース、ファンク、ヒップホップ……音楽シーンの中心であり続けたそれらのサウンドは、十九世紀以来の、他者を擬装するという欲望のもとに奏でられ、語られてきた。アメリカ近現代における政治・社会・文化のダイナミズムのもと、その〈歴史〉をとらえなおし、白人/黒人という枠組みをも乗り越えようとする、真摯にして挑戦的な論考。(講談社選書メチエ) -
琉球外交史 唐・大和の御取合
中華帝国と列島の軍事政権、その”狭間”に立つ王国は、過酷な国際環境を生き延びるために「両属」の道を選んだ。 大陸王朝の庇護のもと、東シナ海の貿易王国として繁栄を誇った琉球であったが、 明が衰亡し、列島に徳川幕藩体制が形作られると、安穏とはしていられなくなった。 島津氏による強力な軍事的圧力には抗しきることができず、ついにその支配下におかれてしまう。 だが、彼らはそのまま列島の体制にのみこまれたのではなかった。 琉球王国は島津氏の支配に従うことになってからも、同時に清王朝に臣下として服属し続けたのである。 この「両属」という、一見すると特異におもわれる外交関係は、いかにして成り立ったのか。 そこには、「主権」「領土」という近代的な国際関係観では捉えられない論理が作動していた。 唐〔トー〕=中華王朝と大和〔ヤマトゥ〕=日本の狭間で、存立を賭けて展開する御取合〔オトゥイエー〕=外交の実相を、琉球・大陸・列島それぞれの当事者の目線で描き出す。 琉球史研究をリードする著者による、沖縄の、日本の歴史を理解するための必読書! [本書より] 私たちは「今」にどっぷりと浸かっている。「今」以外は見えづらいし、「今」が正しいと思いがちだ。その「今」から見るとどうしても理解しがたい琉球の国際的な「あり方」の歴史を、本書ではできるだけ詳しく、できるだけリアルにひもといていきたい。最後まで読んでいただくと、琉球の「あり方」への疑問はぐっと減り、ともすると「今」が少し、もしかしたらかなり、奇妙に見えてくるのではないだろうか。 [本書の内容] プロローグ 第一章 海の貿易国家──中華の傘の下で 1.「海域世界」の幕開け 2.琉球国の成立 3.海の主役・琉球 コラム 琉球の言葉と文字 第二章 秩序変動のなかの琉球──明と日本の狭間で 1.揺らぐ明の傘 海禁=朝貢体制の動揺 2.島津氏の侵攻と日明関係 3.「狭間の王国」の模索 コラム 「異国」と日光東照宮 第三章 中華の一変──明か清か 1.明清交替と琉球 2.康煕帝と琉球 コラム 「守礼之邦」 第四章 守礼と隠蔽──清と日本の狭間で 1.「清の朝貢国=琉球」と日本 2.儒教──程順則の外交戦略 3.「隠す」という外交 コラム さまざまな「両属」──琉球との比較 第五章 近代と「両属」──王国外交の終焉 1.欧米列強と琉球 2.明治政府と琉球 コラム ある内務省官吏の琉球滞在 エピローグ 参考文献 あとがき 索引 -
ミシェル・フーコーと狂気のゆくえ 我狂う、ゆえに我あり
20世紀後半を代表する思想家ミシェル・フーコー(1926-84年)が残した膨大な仕事の中で、最初の大きな山が「狂気」と「精神医学」を焦点とするものだった。1961年に34歳のフーコーが世に問うた『非理性と狂気』は、のちに『狂気の歴史』と改題されて今日まで読み継がれ、『言葉と物』や『知の考古学』と並ぶ代表作の一つとなっている。ところが、「狂気」というテーマは、その後の著作活動の中で背景に退いていき、フーコー自身、かつての狂気研究の価値を小さく見積もる発言さえ残している。 このことは何を意味しているのか? 「狂気」の問題はフーコーの関心の外に追いやられたのか、それとも、どこかに姿を隠しただけなのか。本書は、迷子のようになった「狂気」という問題の行方を探ることを目的としている。 そもそも「狂気(folie)」という言葉は、病気としての精神疾患を一義的に指すわけではなく、多様な意味をもつ。にもかかわらず、多くの研究者はフーコーの言う「狂気」を精神疾患と同一視し、その著書を批判的立場からの精神医学史とみなしてきた。本書は、その前提を疑うところから出発し、以下のように展開する。 『狂気の歴史』執筆の背景とアウトラインおよび方法、出版後の社会的反響、特に反精神医学運動による聖典化。フーコーを反精神医学の代表的論客とみなす定説の批判的検証。この定説の一つの根拠となった「精神病者を鎖から解放した大博愛家フィリップ・ピネル」という神話のフーコーによる破壊の内実。中期フーコーが権力を中心課題に据える中での狂気の位置づけの変化。夢と狂気に関するデカルトのテクストのフーコーによる解釈とそれにまつわるジャック・デリダとの論争。芸能、文学、造形作品に表現された文化的表象としての狂気とそのフーコーによる理解。レーモン・ルーセルという特異な作家の作品との出会いがフーコーにもたらした衝撃。 本書は、長年にわたる臨床経験に立脚しながらフーコーにおける「狂気」の問題を徹底的に追求する稀有な試みであり、その根底には「人が狂うことにはどのような意味があるか」という根本的な問いがある。 [本書の内容] 第1章 初期フーコーと狂気の問題 第2章 反精神医学の神殿へ 第3章 フーコーはピネル神話を破壊したか 第4章 精神医学権力――コレージュ・ド・フランス講義 第5章 愚かさと狂気――『阿呆船』と『痴愚神礼讃』 第6章 フーコーはデカルトをどのように読まなかったか 第7章 想像力の世界と狂気 第8章 ルーセルの衝撃 第9章 ソクラテスとフーコー -
ルーヴル美術館 ブランディングの百年
◆人生に一度は《モナリザ》をルーヴルで見たい?!◆ なぜ、数ある美術館のなかで、ルーブルだけが特別なのか。 世界中の人が憧れ《モナリザ》や《サモトラケ島のニケ》《ミロのヴィーナス》をひと目見たいと願っている。 だが、かつては時代遅れのみっともない美術館として「ルーヴルは国の恥」「若者よ、ルーヴルに行くな」と言われたこともあった。 1793年、フランス大革命によって成立した第一共和制政府が王室コレクションを「略奪」して公開する場所として誕生したこの美術館は、その後、さまざまなコレクションを吸収して肥大化した挙げ句、近代化に乗り遅れた「カオスの迷宮」となり果てていたのである。 それが、いかにして世界中から憧れられる場所となったのか? 繰り返される国内紛争と政権交代に翻弄された苦難の時代を経て、現代アート、モードや漫画をも「古典」と成して飲み込み 文化国家フランスを荘厳する「偉大なるルーヴル」が生み出されるまでの百年を、戦略と欲望、政治と資本が渦巻く歴史として描き出す。 なぜ《ニケ像》だけが大階段の前に据えられているのか? 印象派が十年間だけ所蔵された顛末とは? 豊富な図版と多彩なエピソード満載、驚くべき発見と鋭い洞察に満ちた興奮の美術史! 【本書の内容】 序章 ルーヴル美術館の現在 第一章 ルーヴル美術館の歴史―─誕生から巨大化への長い道のり 第二章 コレクションと展示室の発展―─第三共和政前期(一八七〇―一九一四) 第三章 一九二〇年代、「迷宮」からの再出発 第四章 ルーヴル美術館の「ナショナリゼーション」―─近代化に隠された意味 第五章 ルーヴルの「顔」―─ブランド・イメージの創出と《サモトラケ島のニケ》の秘密 第六章 ルーヴル・マジック、もしくは古典の誘惑 第七章 幕間劇 空白の二十年(一九三九―五九年)と一九三〇年代の「忘却」 第八章 「世界一の美術館」の誕生―─《モナリザ》とともに 第九章 「ルーヴルへの回帰」―─グラン・ルーヴル計画 第十章 グローバル・ブランド「ルーヴル帝国」への「進化」 第十一章 「ルーヴル美術館展」の歴史―─学芸員による展覧会活動 【本書より】 ルーヴル美術館は、過去の作品を祀るだけの神殿であることを止め、芸術作品を「解体」し、「変容」させていった。展示空間の大改革を進めることによって、過去の作品を「眠り」から目覚めさせ、新しい「後世」の形象を与えていったのである。翼を広げた《ニケ像》は後世、すなわち未来に向かって飛び立ったのであり、それは、そのまま、みずから変容しようとしていたルーヴルの姿に重なっていたと言ってよいだろう。 -
身体と魂の思想史 「大きな理性」の行方
ニーチェは、19世紀の終わりに「身体はひとつの大きな理性だ」という印象的な表現を残している。近代的な理性による啓蒙が重視された時代背景と対照させて考えるなら、ニーチェは啓蒙主義的な理性を「小さな理性」、それに対抗して到来すべき身体を「大きな理性」ととらえていたと思われる。小さな理性を重視する合理的主体ではなく、生命のはたらきを内蔵する「大いなる理性」としての身体こそ、来るべき20世紀を生きる主体だと見ていたに違いない。 ニーチェに呼応するかのように、フロイトやライヒの「症状」あるいは「性」への着眼から、メルロ=ポンティが示した「受肉した意識」としての身体、さらに認知科学の展開へと、身体の意味が探求されてゆく。20世紀終盤には身体性認知科学が興隆、身体と環境の「あいだ」に拡がる心を見出し、いっぽう脳神経科学は拡張身体の可能性を探ることになる。 本書では、まず(1)フロイトと精神分析の思想、(2)精神分析から派生したライヒの生命思想、(3)サルトルの実存主義における精神と身体をめぐる議論を紹介する。続く20世紀半ばから現在にかけて展開する身体の思想としては、(4)メルロ=ポンティによる身体論と身体性認知科学を取り上げ、その展開として、(5)現代における身体イメージとその病理をめぐる議論、(6)脳神経科学と技術を通じて見えてくる「拡張身体」の姿を見定め、合わせて心の科学に関連する広範囲の文化現象を通じて、人びとの身体と心がどのような未来に向かいつつあるのかを考察するものである。 [本書の内容] 序 章 大きな理性としての身体 第1章 精神分析における身体――フロイトの洞察 第2章 性と聖を結ぶ身体――フロイトからライヒへ、ライヒから現代へ 第3章 身体の思想としての実存主義――サルトルを超えて 第4章 身体を取り戻した心――メルロ=ポンティと身体性認知 第5章 身体イメージと現代――「付き合いにくい存在」か「大きな理性」か? 第6章 脱身体から拡張身体へ――脳科学から見る身体の近未来 -
〈序文〉の戦略 文学作品をめぐる攻防
文学作品が刊行されたあと非難や攻撃や異議を受けるというのは今日でも目にする光景です。学術的な論文や書籍でも、文学作品でも、盗用の疑惑をもたれたり、実際に告発されたりすることは決して稀ではありません。そういうとき、後ろめたさゆえに無言を貫く著者もいるでしょう。告発はあたらないと思いつつ、言い訳をしないのが美徳だと考えて、あえて反論しないケースもあるでしょう。その一方で、批判は間違っていると確信して反論する著者ももちろんいます。 こうした光景はめずらしくないだけに、あらかじめ弁明や正当化、謝罪や説明を表明する著者がいることにも不思議はありません。本書は「序文」に注目して、作家たちが序文でいかなる戦略を展開しているのかを紹介しつつ、個々の戦略を分類しつつ説明していきます。すでに起きているものであれ、まだ起きていないものであれ、攻撃に対する防御のために利用される戦場が序文であり、そこには文学者たちが編み出した戦略と戦術があるのです。 目次を見ていただければお分かりのように、想定されている「攻撃」は実に多種多様であり、それに応じて「防御」の戦術も多種多様です。西洋古典から近代文学に至るヨーロッパ文学に造詣が深いだけでなく、修辞理論にも通じた著者が、渉猟した膨大な作品から実例を選りすぐりました。そこで繰り広げられている作家たちの戦いの場に、本書で立ち会ってください。文学作品を読んでいる時には見過ごしてしまう巧妙なテクニックの数々を目撃し、驚愕すること、請け合いです。 [本書の内容] 第I部 序文の防御戦略を記述するさまざまな理論 第1章 伝統レトリック 第2章 メタ談話 第3章 ポリフォニー 第4章 読 者 第5章 言語行為 第6章 ポライトネス 第II部 攻撃側のさまざまな訴因 第7章 涜 神 第8章 猥 褻 第9章 剽 窃 第10章 背徳と反体制 第11章 性別や人種に関する規範に違反 第12章 有害無益 第13章 虚偽と実在指示 第14章 ジャンルの規則に違反 第15章 悪 文 第16章 不出来 -
恋愛の授業 恋は傷つく絶好のチャンス。めざせ10連敗!
「恋愛作法の達人になるのは、ふふ、無理だろうけど、「恋する私」や「失恋した私」をながめる眼鏡くらいは、手に入るかも」(「シラバス(2019前期)」より) 「恋愛学」と学生の間で呼ばれた都立大学の人気授業を書籍化! 恋愛に正解はない――だからそれは自分や他人について考える絶好の機会になる。 オペラ、文学、哲学、映画、ドラマなど多彩な素材から繰り出される問いの数々と、出席者の等身大の声でつくりあげられた異色にして極上の授業の報告。 金曜4限の「ドイツ語圏ドイツ文化論」、学生たちがつけたまたの名を「恋愛学」。2010年頃に始まったこの授業は、「彼(彼女)にも受講してほしい」と口コミで広がり、ついには参加者200名超にも及ぶ人気講義になりました。 《カルメン》や《ドン・ジョヴァンニ》などのオペラ、太宰治の恋文、ヴィトゲンシュタインの哲学、『存在の耐えられない軽さ』にドラマ『あまちゃん』まで、多彩な素材をもとに恋愛について考えます。 授業を彩るもうひとつの重要な要素が授業のリアクションペーパー、通称「紙メール」。「草食化」、「恋愛離れ」というレッテルを貼られがちな20代の等身大の声を導きの糸に、授業は縦横無尽に展開していきます。 恋は、がんばったからといって上手くいくものではありません。相手の気持ちはもちろん、自分の気持ちもコントロールできない。「私は、私という家の主人ですらない」(フロイト)のが人間です。コントロールできない局面でどうふるまうか――。恋愛に正解はありません。だからこそ恋について考えることは、「私」やコミュニケーションについて考えを深める、またとない機会でもあります。 「パルラ・バッソ(低い声で語れ)」、「捨恋」、「オイラー図」、「136問題(「伝えたいことが10あったとする。文字情報で伝わるのは1。声の調子や表情や身ぶりなどで伝わるのは3。残りの6は伝わらない」)」……ユニークで一度聞いたら忘れられない合言葉の数々。思わず自分の恋も語りだしたくなる? 感情揺さぶる〈実況中継〉講義。 【本書の内容】 「あしたの天気は、晴れか曇りか雨です」――反証可能性 モテる男は叫ばない――136問題 「カタログの歌」――ドン・ジョヴァンニの哲学 めざせ10連敗!――ヴィトゲンシュタインの教え 「さあ聞け。男(女)が思ったが、言わなかったことを」 自分の無力に思い上がるな 手紙に書いたキス 恋愛のピリオド奏法 ふりをする――世界は舞台/そして男も女も役者にすぎない? なぜドン・ジョヴァンニはトリスタンになったのか 非接触系の愛――1対(1) 「絶望するな。では、失敬」 ……など。 -
戦国日本の生態系 庶民の生存戦略を復元する
戦国時代の主役は大名でも武将でもない! ヒトとモノのエコシステム=生態系が、中世日本のダイナミックな変動を生み出した! 戦乱が多発したのみならず、寒冷化という気候変動もあって、当時の列島は生物種としてのヒトにとって、きわめて生存が厳しい環境であった。 そのような「戦場」を、庶民たちはどのようにしてサバイバルし、時代を動かしたのか? 本書は、戦国日本とはいかなる時代であったのかという問いに対し、庶民の主体的な行動が歴史の動因であったことに注目して、ひとつの答えを示そうという試みである。 海・山の動植物が織りなす生態系と、そこから恵みを得て生活を営む人々の社会システムを一つの系としてとらえ、戦国の動因を描き出す、斬新な〈生態学的アプローチ〉による中世史像! 【本書より】 考えてみれば、信長や秀吉など英雄たちが「新しい世の中」をつくるために行ったとされるさまざまな政策やドンパチやった戦争は、結局のところ、庶民がそれに従ってくれたからこそ成り立っており、また、庶民が生業を営む中で生産し供給するさまざまな財やサービスを消費することで成り立っていた。徴税は庶民が納税してくれるからこそ可能だし、戦争は庶民が食糧や武器などを生産し供給してくれるからこそ可能である。 【主な内容】 はじめに たくさんの「久三郎たち」の歴史 序章 生存戦略、生態系、生業――越前国極西部 第一章 山森林の恵みと生業ポートフォリオ――越知山 山森林の生態系の恵みと多様な生産/資源分配をめぐるせめぎあい/柴田勝家と森林史の近世化 第二章 「海あり山村」の生存戦略――越前海岸 生業は海岸部だけで完結しているか/海の生態系のさまざまな恵みと技術革新/行政権力が生業技術を求める 第三章 工業も生態系の恵み――越前焼 大量生産化と資源分配―考古学的知見が語る生産戦略/売る、組織整備、新アイテム――記録が語る生産戦略と近世への助走 第四章 戦国ロジスティクス――干飯浦と西街道敦賀 馬借たちの生存戦略と競争/水運業者たちの生存戦略と広域的な経済構造 終章 「久三郎たち」の歴史、ふたたび 凡例 参考文献 注 -
現代メディア哲学 複製技術論からヴァーチャルリアリティへ
新しいウイルスの蔓延によってテレワークが普及し、余暇の時間もデバイスで好みの動画を視聴する人が急激に増えています。もちろん、これまでも新聞やテレビを通じて世界を知り、電話や電子メールを使って他の人とコミュニケーションを交わす、ということは行われてきました。しかし、1日の大部分をインターネットに接続された機器に囲まれて生活するようになったのも、それらの機器がAIの搭載によって「道具」と呼べないほど自立した存在になってきたのも、ここ十数年の変化でしかありません――最初のiPhoneが発売されたのは2007年なのです。 これほどの変化が私たちの生活だけでなく、私たち自身に何の影響も及ぼさないとは考えられません。では、それはどんな影響なのか? 新聞やテレビ、電話や電子メールから、スマホで見る動画、さらにはVRまで、これらはすべて「メディア」です。しかし、そもそもメディアとは何なのでしょう? 本書は、ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940年)が残した複製技術論を梃子にして、メディアの本質は「複製(コピー)」であるという事実に基づいて、技術の進化とともにメディアが及ぼしてきた影響を考察するものです。メディアは「画像メディア」と「言語メディア」に分類されますが、両者は接合され統合されてきました。その過程でメディアが人間の身体と知覚に与えてきた影響、人間の集団編成のメカニズムにもたらしてきた変化、その結果もたらされた政治性の変容が確かめられます。そして、最終的にそれらの影響や変化はヴァーチャルリアリティに代表される最新のメディアにも見出されることが明らかになるのです。 本書には、日本を代表するベンヤミンの専門家である著者が精緻なテクスト読解と大胆な挑戦的思考を共存させながら結実させた稀有な思考が記録されています。これは、誰もが身を置く現在の状況について本質的な理解を与えてくれる大切な1冊です。 【本書の内容】 第I章 メディアの哲学のために 1 メディアとは何か 2 メディアの転換 3 現代のメディア状況と「複製」 第II章 技術性と魔術性 1 メディアにおける世俗化 2 技術と魔術の弁証法 3 画像メディアと言語メディアの接合 第III章 メディアと知覚の変容 1 技術と知覚 2 新しい技術メディアによる知覚の変容 3 モンタージュと「リアリティ」 4 視覚と触覚の思想史 第IV章 メディアの政治性 1 社会を規定する技術性 2 知識人とプロレタリアート 3 映画を受容する「集合的身体」 第V章 ハイパーテクストの彼方へ 1 「技術的複製可能性の時代の芸術作品」の思考モデル 2 ハイパーテクストの思想とヴァーチャルリアリティ