作品一覧 2023/10/13更新 〈情報〉帝国の興亡 ソフトパワーの五〇〇年史 試し読み フォロー 海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム 試し読み フォロー 近代ヨーロッパの誕生 オランダからイギリスへ 試し読み フォロー 金融化の世界史 ──大衆消費社会からGAFAの時代へ 試し読み フォロー 逆転のイギリス史 衰退しない国家 試し読み フォロー 逆転の世界史 覇権争奪の5000年 試し読み フォロー 最後の暗黒大陸・物流 「2024年問題」に光を灯せ【特別版】 試し読み フォロー 商人の世界史 小さなビジネス革命が世界を変えた 試し読み フォロー 16世紀「世界史」のはじまり 試し読み フォロー 世界史を「移民」で読み解く 試し読み フォロー 先生も知らない経済の世界史 試し読み フォロー 戦争と財政の世界史―成長の世界システムが終わるとき 試し読み フォロー 創元世界史ライブラリー 近代ヨーロッパの形成 商人と国家の近代世界システム 試し読み フォロー 創元世界史ライブラリー 歴史の見方 西洋史のリバイバル 試し読み フォロー ダイヤモンド 欲望の世界史 試し読み フォロー 手数料と物流の経済全史 試し読み フォロー 迫害された移民の経済史 ヨーロッパ覇権、影の主役 試し読み フォロー 人に話したくなる世界史 試し読み フォロー 物流は世界史をどう変えたのか 試し読み フォロー ヨーロッパ覇権史 試し読み フォロー ヨーロッパ 繁栄の19世紀史 ──消費社会・植民地・グローバリゼーション 試し読み フォロー 私と西洋史研究 歴史家の役割 試し読み フォロー 1~22件目 / 22件<<<1・・・・・・・・・>>> 玉木俊明の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 手数料と物流の経済全史 玉木俊明 ジャレドダイヤモンドやユヴァルノアハラリを彷彿とさせるようなスケール感で、タイムトリップしたかのような読書。勉強になる。ただ、タイトルの手数料とか物流とかの話を切り口にしているかというと必ずしもそうではなく、基本的には経済史である。ただ、それが良かった。 プラットフォームとは、言い換えると構造的権...続きを読む力。覇権国が築いたプラットフォームを使用することに対し、他国が手数料を支払う構図。この覇権を歴史的にどの文明がどういう政治力学で手にしたのか、そして手放していったのか。栄枯盛衰が語られる。 イギリスは結局のところ、世界最大の海運国家としての地位を用いて構造的権力を行使した。更に世界の電信の大半を敷設することにより、それらの手数料を得るシステムを構築した。このプラットフォームにより、イギリスはコミッションキャピタリズムの国として影響力を行使した。植民地政策だけでは無い、覇権構造の勝者という事だ。シンボリックにイギリスを語る。そこから一気に遡る。 人類の起源は700万年前、アフリカの中北部、サヘラントロプス・チャデンシス。高度な文明としては、メソポタミア文明が世界最古。シュメール人は世界で最初に灌漑システムを導入した。運河を使い、一方の川から水を汲み上げそれを農地に。塩害もコントロールし農作物を生産し時の覇権を得る。 メソポタミア文明とエジプト文明がアッシリアによって統合されオリエント世界。ヨーロッパ文明の成立。民主主義発祥のギリシアはポリス。フェニキア人がアルファベットを改良し、今日まで続くアルファベットの素を作る。アルファベットは人類最大の発明の一つとして、フェニキア人の商業ネットワークを通じて多くの地域に普及。 中国では、春秋戦国時代に諸子百家と呼ばれる思想家集団が出現。儒家、墨家、陰陽家、名家、法家、道家。哲学者ヤスパースは、思想的に人類が大きく成長した紀元前500年頃を枢軸時代と呼ぶ。この頃、孔子や老子、インドではウパニシャッド哲学が生まれ釈迦が仏教を創始、イランではゾロアスター教、ユダヤ教、ギリシアではソクラテスやプラトン、ピタゴラスらが活躍。 やがて、活版印刷の改良が、文字を一般人へ。一般化され、広く使われる仕組みが覇権を取る。ハードウェア、ソフトウェアいずれにせよ、影響力の大きな発明こそ、人類を進化させてきた事がよく分かる。そして、今はデジタルの覇を競う時代にある。軍事武力による実力行使は旧世代の力学であり、経済によるプラットフォームの王冠を勝ち得た国こそ支配力を持つのだろう。 Posted by ブクログ 人に話したくなる世界史 玉木俊明 物流から見た近世ヨーロッパ史。教科書で習ったのとは、かなり違う。目から鱗とはこのことかしらん。物流が歴史を進ませる本流なのかと思わされる。軽い題の印象より内容は深いと思う。 Posted by ブクログ 物流は世界史をどう変えたのか 玉木俊明 思い返すと赤面してしまふ。 世界史を選択したことを後悔しながら 己の至らなさを言い訳にして こういう形での世界史の解釈は実にエキサイティングです。 情報・物流・経済・消費・・・ もっと引き出しをお持ちの先生だと思います。 Posted by ブクログ 逆転の世界史 覇権争奪の5000年 玉木俊明 経済学者が書いた世界史で、政治上のできごとに金融経済が絡めてある。 カタカナの人物や事件の羅列が頭に入らず、世界史の教科書が苦手だった自分でも、 身近な暮らしに近いこと(食生活や貨幣、物流)の流れを追っているので、理解しやすい。 中国ふくめアジア圏を世界経済の最初の覇者と捉えた視点が面白く。 現代...続きを読むの中国経済の隆盛はリヴァイヴァルであるが、大航海時代から産業革命の近代英国が成し遂げた経済の覇権と異なるのは、交易上の手数料であるという指摘が興味深かった。銀行の引落やカードの利用時のように、ものの価値に関わらず、経済活動に対する手数料の源はそこなのだろうか。 Posted by ブクログ 海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム 玉木俊明 西洋史を専門とする経済学教授による、ヨーロッパから見た帝国の興隆を海運・貿易の視点から読み解いたもの。ローマからポルトガル、オランダ、イギリスへと派遣が移る歴史をバルト海、北海の海運が影響していること、奴隷制による砂糖の生産よりも綿花栽培に着目したイギリスが産業革命をもたらしたこと、電信が覇権確立に...続きを読む極めて大きな貢献をしたことなど、今までにない切り口から論述している。研究、分析が深く、内容の濃い素晴らしい研究成果だと感じた。 「11世紀から12世紀にかけ、世界的に平均気温が1度ほど上昇する温暖期が続いた。そのため海水面の上昇が各地で生じた。これをダンケルク海進という。そのため低地地方では、洪水により、大きな被害を被った。その影響はイギリスでは低地地方ほど大きくはなかったが、イングランド南東部はその被害を受けた」p13 「北方ヨーロッパへは、アメリカ大陸からの海流が流れ込んでいる。それに加え、偏西風の影響もあって、ヨーロッパ人にとって、大西洋横断はきわめて難しい事業になった。ただし、ひとたびイベリア半島から下るならば、ヨーロッパからアメリカに向いた海流に乗れる。したがってイベリア半島の国々の方が、アメリカ大陸に向かうには有利である」p15 「地中海はバルト海と比較してはるかに大きな海であったにもかかわらず、より早く統一した商業圏を形成できたのは、メソポタミアという文明の揺籃の地に近かったという地理的要因も無視できない」p17 「ヨーロッパは、自然の恵みという点では、決して豊かな地域ではない。近くの森に行けば、天然の果実が簡単にとれるということはなく、増大する人口を養うためには、農業の発達が不可欠であった」p22 「ヨーロッパ人は、みずからの貧しさ、弱さを自覚していた。ヨーロッパの拡大とは、強くなろうとしたヨーロッパ人の意志の表れと、とらえることができよう。ヨーロッパは自らの貧しさを克服するために、もっと強くなるために、他地域に行って、その地域の産物を略奪し、ヨーロッパにもってくる必要があった。ヨーロッパの対外的拡張は、このような自然環境が大きな要因となった。ヨーロッパが豊かになろうとするには、他地域に向かうほかなかった」p23 「われわれが生きている資本主義社会は、たえず利潤を生み出さなければ存続できない」p28 「ヨーロッパ経済は、商人がどんどんヨーロッパ外世界にマーケットを拡大することで成長した」p30 「アジアの船が、ヨーロッパの海上まで進出したことは一度もない。それに対しヨーロッパは、世界中に船を送ったのである。この相違は、忘れるべきではない」p34 「イタリアにはイギリスと比べるとはるかに少ない石炭生産量しかなかった。したがってイタリアの経済成長は、天然資源の付与という点で大きな限界があった。こうしたことからもイタリアから、世界最初の産業革命が生み出されたとは思われないのである」p81 「オランダを中心として生まれたヨーロッパ世界経済は、北方ヨーロッパの海運業の発達により、地中海を呑み込んでいったのである」p86 「日本人の研究者は、ヨーロッパの経済成長におけるアジアの重要性を強調することが多い。しかし、ふつうに考えれば、アジアではなく大西洋経済の形成こそが、ヨーロッパの経済成長に大きく寄与したとなろう」p91 「新世界の発見から18世紀後半まで、大西洋経済とは基本的には中南米経済を意味した。北米経済の重要性はそれと比較すると非常に小さかった。本質的に大西洋経済形成にとって重要なことは、西アフリカから奴隷を持ち込み、新世界で砂糖を生産させるシステムであった。このシステムが形成されていく過程で、大西洋はヨーロッパ人の内海となったのである。やがてイギリスが輸入した綿花がイギリスで綿製品となり、産業革命を引き起こすが、大西洋貿易全体をみれば、それはまったく例外的な現象であった。イギリスの大西洋貿易だけが、産業革命を生み出したのである。それが世界の歴史に大きな変革をもたらしたのである」p100 「大西洋から砂糖や綿花を輸入する一方で、イギリスの貿易相手としてロシアが台頭し、とりわけサンクト・ペテルブルクからの造船資材の輸入が増大することとなった。しかも、この都市から輸入された鉄は、イギリス産業革命のためにも使用された。サンクト・ペテルブルクから鉄を輸入することがなければ、イギリス産業革命は不可能ではなかったにせよ、かなり遅れたであろう」p120 「(喜望峰ルート発見により)喜望峰ルートを使用して、香辛料をアジアからヨーロッパへ運ぶようになった。それによってイタリアは、インドと東南アジアのルートから切断されることになった。17世紀初頭には、イタリアから陸上ルートでインドや東南アジアへとつながる異文化間交易圏からイタリアが切り離され、その代わりにイギリスやオランダ、さらにはポルトガル商人が一翼を担うようになった」p130 「オランダは、帝国を形成することなく、商人自ら海運業を拡大していった。それに対しイギリスは、まず帝国内部の海運業を自国船でおこない、ついでイギリスの勢力下にあった非公式帝国で、最後に世界中でイギリス船を使用するようになった」p178 「インドからイギリスに送られた資金は、本国費(home charges)と呼ばれ、イギリス帝国のみならず、19世紀には本国の財政にとって極めて大きな位置を占めた。それと比較するなら、たとえばオランダ財政におけるインドネシアの重要性は、それほど高くなかったであろう。財政面からみても、イギリス帝国は他の帝国の追随を許さないほどの一体性があった。多くの植民地が、本国経済のために奉仕したのである。これほど強力な本国の権力を、イギリスの前のヘゲモニー国家であるオランダはもっていなかった。イギリス帝国は、極めて凝縮性の高い帝国であった」p180 「(スーザン・ストレンジ「カジノ資本主義」)すべての国に同一のルールが適用される公平なシステムの代わりに、極端に非対称的なシステムが発展していたと述べた。そもそも世の中に、(ストレンジのいう)公平なシステムなどありえない。ヘゲモニー国家に有利なシステムが存在しているのである。それを構造的権力と呼ぶべきであろう」p182 「イギリスは、電信によって、世界の情報の中心となった。イギリスは、いわば情報の帝国になった。そのため、金融の中心になり、世界の人々は、イギリス流の経済の運営方法=ゲームのルールに従わざるをえなくなった」p198 Posted by ブクログ 玉木俊明のレビューをもっと見る