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世界の最先端を牽引する「新しい実在論」のマニフェスト、ついに電子版登場! 1980年ドイツ生まれのマルクス・ガブリエルは、今、最も注目されている哲学者です。その名を一挙に知らしめた『なぜ世界は存在しないのか』は、さまざまな領域に波紋を生み続けています。日本でも多くの読者を獲得している本書とともに、AIの飛躍的進化が象徴する先の読めない状況の中で、改めて「世界」と「人間」について考えてみましょう!
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Posted by ブクログ
哲学初心者ですが、世界で爆発的に売れたということで手に取りました。難しい個所も多くすべてを理解したわけではありませんが、本書の核となる「新しい実在論」の骨子は理解できました。これについてはかなり丁寧に説明されているので哲学初心者でもガブリエル氏の主張は理解できると思います(同意するかはまた別問題だと...続きを読む思いますが)。形而上学での存在の扱いをテーゼ、構築主義による考え方をアンチテーゼとするならば、そのジンテーゼとして「新しい実在論」が提示されていると解釈しました。 本書の前半では存在するとはどういうことなのか、ということで新しい実在論についての説明が続きますが、個人的に興味深かったのは後半部分です。後半では自然科学の世界観、宗教の世界観、そして芸術の意味について「新しい存在論」的視点から解説をしていますが、目から鱗が多数あり、宗教編にいたってはこれだけで本1冊にまとめてほしいというくらい面白い内容でした。宗教編を読んでいるときにふと密教が思い浮かんだのですが、密教では、宇宙の摂理としての大日如来がいるという点でガブリエル氏の主張と相容れませんが、無数の意味の場に我々が存在しているという主張は、まさに曼荼羅図で表現されていることです(我々は仏にもなれるし魔にもなれる)。物事は無限の視点から見ることができること、無限の意味の場に表象されること、人生とは意味の場を創造し通り抜けていくことだ、という著者の主張を、まさに本書を読みながら「体験」することができました。
「本書では新しい哲学の原則を示してみせたいと思っています。~中略~すなわち「世界は存在しない」ということです」 といきなり大風呂敷を広げたうえで、「世界は存在しない!」というキャッチーな主張の理由を、今までの様々な哲学の歴史をおさらいしつつ、やさしく説明してくれます。とても読みやすかった。(と言っ...続きを読むても自分は読むのに2ヶ月以上かかったけど) それにしてもこの煮詰まった時代に、いきなり「新しい原則を示す」という野心がすごい。もはやロマンチスト。 そして説明されるガブリエルさんの主張は、多様性の時代にフィットした哲学という感じで、とても面白かった。 なぜ世界は存在しないのか、を要約すると、 1.存在とは何かが「意味の場」に現れている状態 例 - サイが草原に立っている場合は、サイは草原という「意味の場」に存在する 2.基本単位は「意味の場」。すべては何らかの意味の場に現象する 3. 「世界」とはすべての意味の場を包摂する意味の場。世界にはすべてが現象しているはず 4.とすると、その「世界」はどのような「意味の場」に現象するのだろうか?→「世界は、世界に現れてこない」 5.つまり世界は存在しない。そのかわり存在しているのは無限に多くの意味の場。 6.無限に多くの意味の場がある→すべてのものは存在する。ただし世界はべつである。 僕は「意味の場」を「おぼん」と置き換えるとわかりやすいと個人的には思いました。 つまり、何かが存在するためには、その何かを「おぼん」の上に置かないといけない。いろんな「おぼん」があるけど、すべての「おぼん」を乗せることができる「大きなおぼん」は存在しない。なぜならその「おぼん」ももっと大きな「おぼん」の乗ってないと存在できないから。つまり「大きなおぼん」=「世界」は存在しない。 さらに「世界は存在しない」ことよりも、だからこそ「無限に多くのおぼん=意味の場」が存在する、というのが、もっと大事なこと。つまり無限に意味の場があるということは世界以外は「あらゆるものが存在している」ということ。例えば「魔女」は草原にはいないけど、本の中にちゃんと存在する。わたしの見るさまざまな夢、進化、水洗トイレ、脱毛症、様々な希望、素粒子、月面に住む一角獣さえもが、それぞれの意味の場に存在する。 そして著者は「だからといって、あらゆるものが良いということにはならないからです。私たちは、何を維持すべきで、何を変えるべきなのかを、いっそうよく判断できるようにならなければなりません。」と結ぶ。 そもそも「意味の場」って?勝手に基本単位とか言うなよ!、しかもそれってそんなに革新的な考えなの?、とか批判もありそうですが、全体主義とか排他的な考えを批判しつつ、かといって「人それぞれでしょー」という冷めた意見でもないところが、モノの見方、考え方としてとても面白かった。 訳者の人があとがきで書いているように 「解説書でもなければ、日常生活に有益なヒントを与えてくれる人生論の本でもなく、じっさいに哲学的思考を行ってみせる書物であろうとしている」本なので、要約でなく全部読んでみて本当によかった。そして例えばメタバースに対する考え方とか何かしらのヒントを与えてくれる本だと思う。
タイトルに興味があって読んだのではなく、現代の哲学界で天才と言われるマルクスガブリエルさんがこんなにも若い方だったということに驚いて読んだ。 ある程度哲学の本は読んで少しわかったつもりになっていたけれど、まだまだ分からない難しいことが多かった。 世界が存在しない理論についてもなんとなくそうなのか...続きを読むとくらいにしか理解できなかったけれど、読んでいてとても腑に落ちたことがあった。 世の中には無数の意味の場があって、しかもそれらが互いに独立しているわけでもなく、独立していないわけでもなく、複雑に絡み合って存在していると。 最近はすべてを自然科学で説明しようとする傾向があるけれど、それも一つの意味の場にすぎない。宗教を信じる人、国家という概念を信じる人、自然科学を信じる人、そこになんの違いがあるのだろうか。 個人的には、医療や科学技術を信じられず自然主義の人たちのことがなかなか理解できなかったけれど、この言葉を聞いて、すごく納得した。 自分自身、何か一つの真理で世界をとらえようとしていたけれど、そんなことは不可能なのだと理解できた。 すべてを包摂する意味の場は存在しないのだ。
最近とみに注目されているらしいマルクス・ガブリエル、2013年のベストセラー。邦訳は2018年講談社選書メチエなので、入手しやすい廉価設定かつ、ごつくない。 一般読者向けに自身の哲学を平易に記述したものなので、すこぶる読みやすい。ただし、文章は読みやすいが言っている内容はかなりラジカルな部分もあ...続きを読むり、丁寧に読むために、私は時間をかけた。 非常に良い本だった。極めて論理的であり、例えばバートランド・ラッセルのように明快である。 本書で言う「世界は存在しない」というテーゼは、「あらゆるものを全て包含するような『世界』は存在しない」ということであって、物理学的な「宇宙」や、個人の意識と生活に基づく「小世界」、小説の中の「書かれた世界」は実在する、ということだ。このテーゼを追って、すこぶる緻密な論理を展開して証明しており、なかなか反駁する隙がない。 「宇宙」は物理学の対象領域であるが、対象領域は数多く存在しているので、限定的なものである。全ての領域の領域のことを「世界」と呼ぶのだと考え、そうした「世界」は存在しない、というのがガブリエルの指摘だ。すべてを物質(結局は素粒子の振動)に還元してしまう現在の科学主義的世界像は、しかしそのように考える行為自体が素粒子に還元され得ないために、論理として成立しない。思考が脳細胞=物質の付属物に過ぎないというのであれば、そうした付属物による幻想(単なるシミュレーション)によって唯物論を実証することは出来ず、真偽にかかわりうる言明たり得ない。 こうした論理の展開にはなるほど、と感心したが、より興味を持ち揺さぶられたのは後半の「宗教の意味」「芸術の意味」の章であった。 「科学的世界像は、厳密に見ればある種の宗教としても現れてくる。」(P215) この「宗教」は「すべてを統べる何らかのものは存在する」という想定に基づく。 思えば科学的な無-意味な世界像が現代人を圧倒的に呑み込んでしまっており、この不気味な「宗教」が人びとを蝕み、絶望をデフォルトとした孤独へと追いやっているのではないだろうか。 例えば街を歩いているとき、「歩行者用の信号が青に変わるやいなや、わたしたちはおのずから互いに協調した行動をとるはずだ」(P207)という確信を抱いている。市街地で人は社会的な合理性と秩序を信仰せずには生きられず、「こうした社会的な秩序についてよく知っている主体、秩序を維持してくれている主体がいる」(P208)と想定している。これはガブリエルによると「フェティシズム」の一種であり、さらに、それはジャック・ラカンの「知っていると想定される主体を人間はつねに必要としている」すなわち<大文字の他者>なのだという指摘に、目からうろこが落ちる思いだった。 ただちに私は今年のコロナ禍における日本の民衆の過剰な圧力を連想した。 「新型コロナウィルス感染症の拡大を防ぐためには、店は圧力に応じて自粛しなければならない。自粛しない店は社会に罰せられなければならない。のうのうと『夜の街』に繰り出し続けるヒコクミンは八つ裂きにするべきである」 日本の庶民の一部が引き起こした「自粛警察」(自粛して閉店しない店にはののしる張り紙を貼り、怒鳴り込み、しまいには暴力にも発展する)の波動は、まさしく、ラカンの言う<大文字の他者>と自我とを連帯的に同一視することによって肥大化したエネルギーが暴走したのではなかったか? しかし、人には様々な、想像も及ばないような事情があったりするもので、病気などのアクシデントも含め、「青信号のルール」を逸脱するような事態が、頻繁に生起するのである。そうするとシステムにほころびが生じる。それを見て「この野郎!」と叫んでしまう自分は、ガブリエルの言う「社会の合理的秩序を崇拝し<大文字の他者>に依存するフェティシズムに陥っているということだ。 「いかなる宗教もフェティシズムを完全に免れることはありません。無神論も——いや、無神論こそが——そうです。意味をもたない純粋に物質的な宇宙を崇拝する態度にも、まったく同じように宗教的性格があるからです。」(P212) 「フェティシズム的でない意味での宗教とは、無限なもののなかに意味の痕跡を探究する営みにほかなりません。」(p221) この「意味」というキーワードが、ガブリエルの哲学の中枢にあって、事物は「意味の場」にしか現出しない、と指摘する際の「意味の場」なるタームは、なかなか魅力的で、今度自分の思索でも使ってみたくなった。 マルクス・ガブリエルが立脚している系譜/コンテクスト(意味の場!)は、恐らくクリプキのような論理学・言語哲学なのではないかと思うが、自分も今後もう少しクリプキなども読んでみたいと思った。本書では「意味」についてのさらに深い追究は見られなかったので、ガブリエルの他の著作も今後参照してみたい。それと、本書を読んでいてニクラス・ルーマン(本書の中で一度だけ、名前が挙がっている)のセマンティック理論も読みたくなった。 本書は平易ではあるが、非常にしっかりとした哲学書であり、読者は改めて様々な事象や概念(あるいは「精神」!)を再考することを余儀なくされる。知的魅力に満ちた、すこぶる刺激的な良書である。
ベストセラーにあまり触手が動かない僕だが(読むのがとんでもなく遅いので読みたくても読めないだけ)、こういう本があるからやはり油断してはダメだ。僕は、この著者の主張に対する反発と同意を同時に覚えながらこの本を読み進めた。こういう読み方ができる本は意外に少ない。 僕はここのところずっと、「科学で世...続きを読む界を説明する」というアイデアにシンパシーを感じてきた。特に分子生物学や脳科学の分野における成果を見るにつけ、人間と世界に関わる全てが自然主義的に説明される可能性は高いと思えたし、そのプロセスも十分に知的興味を刺激してくれた。今もこの期待感は全く揺るいではいない。 しかし、同様の立場に立つ本を読み進めるうちに、自分の中である種の違和感が蓄積されてきていることに気がつく。自然主義の立場では、例えば脳科学の場合、客観的な観察結果と主観的な意識の報告が調和しないケースでは「イリュージョン」や「錯覚」といった概念が用いられることが多い。そして、そのイリュージョンがなぜ保存されているかの説明では進化論が導入されるのが常だった。しかしイリュージョンや錯覚が生ずるプロセスについては明快な論者も、「イリュージョンそのものが何であるか」を唯物論的に説明するにあたっては、どの論者も相当に入り組んだロジックを動員している。つまりは相当に苦労をしているように見えるのだ。そこまで込み入った複雑な機構が本当に自然選択されたのだろうか?そもそも、現状を適者生存の観点から説明することにはトートロジカルな問題の存在が指摘されている(「理不尽な進化」吉川浩満を参照)。 「新実存主義」を標榜するマルクス・ガブリエル(以下MG)は、このモヤモヤの起点にストレートに触れている。唯物論は、非物質的な対象を物質的な脳が表層するとき、それを安易に幻影として片付けているが、それでは非物質的な幻影の存在を認めていることになるではないか、というのだ。僕は最初にこれを読んだ時、何を言っているのかと思った。唯物論者が存在すると言っているのはその表象の結果の物理的な現れである脳の電気的な発火状態であって、原因となる脳外の非物質的対象のことについては厳として存在しないと言っているじゃないか!しかし読み進めるうちに事がそう単純でないことが次第に明らかになっていく。 唯物論者は表層の原因(非物質対象)と結果(発火プロセス)は別モノだと主張している。構築的なプロセスのみが実在し、その結果として非物質的な対象を脳が幻視するのだ。原因のない結果もある、なぜなら結果(発火プロセス)は脳の構築によるのだから当然原因も構築的であるはずだからだ。原因と結果を混同するな、と。 これに対しMGは対象もプロセスも等しく実在する対象であるという。唯物論は、原因がないのに生ずるプロセスが存在する、とする。ここまではいい。しかし非物質的存在は認めないとしつつ、そのプロセスに対応する脳内表象のほうの存在は認めているではないか。しかも安易にイリュージョンとやらに頼っているが、そのイリュージョン自体については物質的に記述できていないではないか?新実存主義の立場ではこのような問題は起き得ないとMGは主張する。非物質的存在も確実に実在する。物質的存在と違うのはそれぞれが実在する条件、意味の場だ。これらを同じカテゴリに収めるのがおかしいのだと。 ここでは双方が「お前はカテゴライズを間違えている」と非難しあう構図になっている。唯物論者は非物質的対象から生ずる脳内発火を示し、これがイリュージョンだ、物質的に記述できているではないか、という。これに答えてMGがいうには、それはプロセスの記述であり、イリュージョンという概念の物質的な記述ではない。イリュージョンは世界の側でなく主観の側に現象する事象であり、脳内発火などとは独立に実在するのだ。唯物論者は反論する、世界側における実在と単なる主観を混同するな… MGは唯物論を、世界の一部世界全体と混同するものだとして批判するが、これは僕が自明としてきた世界観からすれば耐えがたいものだった。世界が一つの規則体系で記述可能なのであれば、いずれはすべての事象が理解できるかもしれない…。このアイデアはすごく魅力的だし、何より将来に向けて開かれた可能性を感じることができる。ただ、多くの唯物論的言説がイリュージョンや無意識、はたまた適者生存という「便利な」概念を頼ることには、MGと同じくある種の怠惰さや性急さを覚えるのも事実だ。確かに世界の諸事象を唯物論的に説明していく科学的プロセスは知的好奇心を激しく揺さぶるが、でも本当にこれで文学や美的感覚を記述できるのだろうか?記述できたとしても、それはオリジナルの文学や美的感覚と異なるものになってしまうのでは?ちょうど我々素人が心電図やスペクトルを見せられても対応する疾病や化学構造が把握できないように。 こう考えると、MGは単に唯物論を全面否定しているわけではなく、それができる地点に科学が到達する前に「すべては物質的である」などと主張をするのは尚早であり知的怠惰だといっているのであって、そのような一元的な見方に対しストイックな態度への更改を要求しているだけとも読める。それはそうだろう、MBは多元的な世界は認めるのだ。ある対象領域、たとえば科学の世界における諸事象の探究には何らオブジェクションはなく、ただ「世界を科学的に記述する」などという“フェティッシュな”主張が我慢ならないだけなのだろう。実際、MGの主張には脳科学とシンクロするように読めるところもある。MGが宗教の意味の場と呼んでいるものは、科学主義が創発と呼んでいるものにかなり近いように思われる。 ただやはり承服し難い点ももちろんある。MGは「新」実存主義の名に違わず実存からの世界認識を重視するのだが、その時に経験と整合しない事象を安易に認めないよう要求するのだ。たとえば時間の流れの不存在、多元宇宙など、直感的に捉えられない事象は全て「間違った実在論」として否定してしまう。これでは人間の認識論を大きく限定ししまうことになるのではないだろうか。たとえば相対性理論はどうなるのだろう。量子論はどうか?ハイゼンベルグ不確定性は?ハーバーマス批判の段にある「必ずしもすべての事実が認識可能なわけではない」という言明と矛盾があるように読めてしまう。 ハイデガーやフレーゲはともかくとして、MGの思想の根底にあるのは本書で少し触れられるだけではあるがウィトゲンシュタインだろうと思う。「世界内部から世界を覚知することはできない」、「全てがxであるという命題はトートロジーである」などの言明はすぐれてウィトゲンシュタイン的だ。直接言及されてはいないが、「世界の外には出られない」という言明や、構築主義批判の際の事実群とシステムの無限後退に触れるくだりではゲーデル的なシステム観も感じられる。そして何より、本書の実在論の大筋は野矢茂樹氏が以前から主張している内容に非常に近いことはどうしても指摘しておきたい。「心という難問 空間・身体・意味(講談社)」参照。 # マルクス・ガブリエル # なぜ世界は存在しないのか
哲学書にしては非常に分かりやすい語り口と内容。 キルケゴールを通して、宗教の意味を説く章は白眉。バランスが取れている。 マレーヴィッチを通して、芸術の意味を説く章も刺激的。 エンドロールに示された、世界がない故に、新たな意味の場が生まれる、との主張には希望すらある。
哲学で最も基礎的な存在と認識に関する問題に真正面から取り組んでいる。結論だけ見れば、日常的な感覚に即した極めて穏当なものだが、少しでも哲学をかじった者ならば、著者の論の進め方になるほどと思うのではなかろうか。論の雰囲気だけで言うならば、フッサールの現象学にウィトゲンシュタインの言語ゲーム的なものの見...続きを読む方を導入したような感じだろうか。宗教や神の概念、あるいは芸術についての見方も独自で面白かった。
多様性に振り回されている現代で、半歩進んで世界を前向きに捉えるための関わり合い方、新しい実存主義の提唱。同じ時代に生きる哲学者はその時代に必要とされる提唱をしているのだと思う。自分の気持ちと向き合うことで、その背景にある世界との繋がりを見出したい。
毎年観ているドキュメンタリーの中で考えをきいていたのですが、著作は実は読んでいなかったので挑戦 様々な角度から思考を回転させないと理解が進まず、 思った以上に時間がかかったが、 ひょっとしたら欧米より日本の方が理解しやすい内容なのかもしれない またそこから世界の断絶と資本主義の限界という近年の課...続きを読む題が導かれるヒントになるのかな 何にせよ思考をまとめることは難しく、良い頭のトレーニングになったと思う
新進気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルによる「新しい実在論」の解説書。物理的な宇宙は存在するが、それが即ち「世界」ではない。私たちは物理的でない意味合いも当たり前に実感し存在することを感覚的に理解できるのだから。「世界」とは物理的な意味合いもその他の意味合いもすべて含んだものであるはずだがそのようなす...続きを読むべてを包含する視点は存在しえない、というような話。めちゃくちゃ屁理屈言ってるようにも感じるが、ものすごく当たり前の感覚のことを言っているようにも感じる。ですます調の訳も含めて哲学書にしてはかなり読みやすい。
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マルクス・ガブリエル
清水一浩
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