p246
【目次】
はじめに
chapter.01 リベラルアーツの力を考える
chapter.02 物理学:「直感」を身につけて、判断力を手に入れろ ×北川拓也
chapter.03 文化人類学:感染症も経済も、世の中はすべて文化人類学の研究対象になる ×飯嶋秀治
chapter.04 仏教学:実はきわめて論理的な、仏教の世界へようこそ ×松波龍源
chapter.05 歴史学:歴史を学ぶことで「つっこみ力」を磨け ×本郷和人
chapter.06 宗教学:キリスト教が、世界を変えた理由 ×橋爪大三郎
chapter.07 教育学:現代に再び現れた「松下村塾」の実践 ×鈴木 寛
chapter.08 脳科学:感情の仕組みを脳から読み解く ×乾 敏郎
おわりに─7つの対話を終えて
西洋哲学(古典力学)の学者達が研究に行き詰まった時に、東洋哲学(インド哲学)に頼ってみたら、古典力学から量子力学に発展したんだよね。だから、インドは科学史のターニングポイントみたいになってて、科学界でのインドのかっこよさは異常だと思う。だからインドにずっと憧れてる。
これわかる。肌の色で差別する発想って日本人の私からしたら感覚がイマイチ掴めない。ハッシュタグBLM運動とかやってる日本人って日本にしか住んだことないような人達が本当に感覚分かってるのかなと思う。
物理学、文化人類学、仏教学、歴史学、宗教学、教育学、脳科学といった7つの分野からリベラルアーツを考えるとそれぞれの学問分野が密接に繋がっていることが分かる
世界の見方や時代の変遷について少しずつは理解が深まってきていることも実感
「深井 リベラルアーツは、直接的に仕事や出世に役立つわけではありません。だから 50年くらい前までは、ごく一部の人が学べばいいものでした。でも僕たちが生きる現代は、教養がとても大切になってきています。 というのも、現代は「個人が生き方を主体的に選ばなければならない、史上初めての時代」だからです。詳しくは後述しますが、これまでの人類は歴史の中で、社会によって生き方が規定されていました。でも現代人は、それを自分で選ばなければいけません。 加えて、いろんな価値観が同時多発的に存在しています。異なる価値観を持つ人たちとは、競争したり打ち負かしたりするのではなくて、共存しなくちゃいけない。 さらに言えば、「何に価値があるか」も、数年ごとに変わっていきます。 3年後にどんなものに価値があるとされているか、それすら予測できない。こうした状況も、史上初めてです。 有史以来、価値観の転換は何度もありました。でも現代は、そのスピードがこれまでと比べものにならないくらい速い。だから、「何に価値があるか」を一人一人が考えなければいけないんです。「 How」じゃなくて「 What」や「 Why」が、万人にとってすごく大切な時代になってきています。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「深井 要するに、 2人とも文系です。だから僕たちのバックグラウンドと、なるべく遠い学問から始めたいと思いました。遠いと思われる分野を初めに持ってくることで、リベラルアーツの幅の広さを感じてほしかったんです。それに、日頃から歴史を語っている僕が、歴史学から始めても、新しさがありませんし。 何より物理学って、この世界ですごく重要じゃないですか。あらゆるものは、物理から発展している感覚があります。野村 そうですね。世の中のテクノロジーの多くは、物理の原理が下地にありますからね。確実に、現代社会を構成する1つの要素といえるでしょう。 ただ、苦手意識を感じる人も多いと思うんです。私自身、高校 1年生の物理の授業がまったくわからなくて、自分は文系に行くべきだとはっきり自覚しましたから(笑)。結局、物理を学んだのはその 1年だけでした。まあ文系・理系という区分自体も、これから変わってくるかもしれませんが。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「ユージーンは芸術家から物理学者に転向した人なので、物理学と他分野の橋を架けることに寛容です。とくに変化が激しいこれからの時代は、その「物の理」をもっと幅広くとらえ、他の分野にも取り入れるべきだと考えているから、こういう言葉が出るのだと思います。 現在の物理学は、大きく2つに分けられます。1つは、物をどんどん小さい単位で見ていき、世界が何で構成されているかを解き明かすもの。何からできているかさえわかれば、世の中が理解できるはずだという考え方です。「素粒子理論」や「超ひも理論」は、こちらに分類されます。 もう1つはそれとは逆で、原子や分子を組み合わせると何ができて、どんなことに役立つのかを研究する分野です。「物性物理」と呼ばれていて、僕はこちらを専攻していました。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「ですから物理学者とは、「できる限り、考えることをすべて物理にするんだ」という少し傲慢な姿勢と、「何でも理解したい」という謙虚な姿勢が、同居する存在なのかもしれません。深井 なるほど。物理学者の「何でも理解したい欲求」には、すさまじいものがありますよね。「世界を1つの数式で表したい」という人もいるじゃないですか。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「北川 その証拠に、学者の評価は被引用数、つまり他の論文に引用された数で決まります。日本人はあまりやりませんが、学者の評価を見たいときは、まずは「 Google Scholar(グーグルスカラー)」で引用数を見る。そのとき、すでに解決した問題では、引用されません。深井 まだ疑問が残っていて議論の余地があるから、引用されるのだと。北川 そうです。新しい問題を解こうとしている人たちに引用されるということは、新たな問いを作ったということ。さっきの統一理論に取り組む物理学者でいえば、「統一できないこと」に興奮しているんです。深井 おもしろい! 歴史を勉強しながら「すべてを理解できる」という人間の傲慢さを感じていたんですが、それは傲慢さだけじゃなくて、わからないことに対する興奮でもあったんですね。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「まさにそうですね。とくに物理は、 1兆分の 1の精度で理論の正しさが確認されているから、直感も正確になりやすいです。 だから物理学者同士で話すときは、すごく身振り手振りが多くなります。会話の中に数式は入りますが、直感的な表現で理論を構築していく。ある意味、とてもクリエイティブなんです。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「深井 「物理学的にものを見る」とはこういうことなんだ、ととても興味深いです。こうした見方は新しい視点の獲得になりますし、自分の視点との差を意識していただくと、より楽しめると思います。 それにしても、やっぱりロジカルですね。きっと僕たちが疑いようのないところを疑っているんだろうなぁ。ものの構造を、複層的に理解しているというか。北川 「 COTEN RADIO」を聞いていると、深井さんも複層的にものごとを見る人だと感じますよ。 ものごとを複層的に見るのは、真実を突き止めようとすることと同じだと思うんです。真実とは泥の中に埋まっているボールみたいなもので、それを取り出すにはいろんな方向からのアプローチがある、というのが僕のイメージです。どの方向から行っても、泥を突き抜けさえすればボールはある。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「北川 なるほど。物理学では1つの真実があるとしたら、実は 5種類ほどの導出の仕方があるんです。 物理学者のファインマンも「1つの公式に対して3つ以上の導出の方法を知っている人が、真の物理学者だ」みたいなことを言っています。物理の世界では実際に、まったく違う考え方から同じ結論に至ることがよくあります。 深井さんも歴史を見るとき、幼少期からの生い立ちを見たり、社会状況から見たりと、いろんな方向から確認するじゃないですか。 1つの真実にたどり着くことが多い物理学と違い、社会科学で真実をシンプルに記述することは難しいですが、やっている作業自体は、きわめて近いと思います。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「深井 そこは共通しているんですね。やはり物理学も社会学も哲学の一派で、追究しているものや導出方法が複数あることは同じだと。北川 僕はそう感じています。 実は物理学にも、「現象論」というジャンルがあります。まだ理解できないものごとを、起こっている現象から要素を取り出し、理解しようとする学問です。これは社会で起きていることからストーリーテリングする、社会学と同じですよね。深井 本当ですね。今回の話を聞くまで、社会科学は、物理学ともっと距離のあるものだと思っていました。 哲学という、真理を追究する学問の一派同士なんだという仲間意識が芽生えたし、物理学者の人たちは、自分の中に数式や理論をビッグデータ並みに蓄積して、そのうえで直感を駆使しているんだとわかりました。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「深井 そうですね。社会科学で天才といわれる学者たちも、直感で思いついたようなことを言います。積み上げ式の思考法では、どうやっても出てこないだろう、というようなことを。今の社会の理解とは程遠いことを先に言って、後から理論的に補足していく思考方法を感じるんです。 きっとそれも、これまで哲学や宗教を死ぬほど勉強して、自分の中にデータを蓄積しているからなんでしょうね。そこも、物理学との共通点だと感じます。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「北川 一方で僕は、物理学者と社会学者の違いを如実に感じることがあって。かなりバイアスのかかった見方ですが、物理学者は理解できていないことを早めにそぎ落としてしまう癖があり、また社会学者は早い段階で、考えることを諦める癖があるような気がします。 物理学を含む自然科学は、最終的に真実にたどり着けることが多いから、解けるまで考え抜くし、わからないことがあっても「いや、わかるはずだ」と思う力が強い。 けれど、社会学を含む社会科学はわからないこと、結論が出ないことのほうが多いから、学者も早めに考えるのをやめてしまうように感じます。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「深井 やはり物理学者は、「できる」という思いが大きな原動力になっていると感じます。社会学はどちらかというと「できない」をエンジンにしているから、そのアプローチは異なりますね。北川 だからこそ、産業革命から今に至るまで、自然科学のほうが人間の生活に大きな影響を与えてきたのかもしれないですね。 逆に深井さんにお聞きしたいんですが、社会科学における「理解する」とはどういう定義なんですか?」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「深井 役立てるための手段にすると、その瞬間からリベラルアーツではなくなってしまう。「どういう観点でものごとを見るか」なので、手段の1つ前の段階のものなんですよね。だから、「どう使うか」から離れ続けることも、すごく大事です。これは、この本で紹介するすべての学問領域で、同じことがいえます。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「自分たちの文化を外側から見る「インサイド・アウト」の手法をとることで、それまでの常識から自由になり、自文化を相対化できます。外の文化の視点から見ると、中にいては気づかなかった自文化の奇妙な点が見えてくる。この文化人類学の特徴を生かし「専門家が陥る罠」という形でまとめた本は、ベストセラーになりました(※ 4)。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「飯嶋 一口に先住民といっても民族がたくさんあるので、僕の場合は研究にふさわしい場所を探すために、まず半年かけてオーストラリアを一周しました。 リサーチを終えてここだなと思ったのが、中央砂漠地帯のあたりでした。まず訪れたのは、アランタ族という民族が住んでいるアリス・スプリングスという都市でしたが、ここが目的地だったわけではありません。ここを中継地点にして、もっと奥地に行こうと思っていました。 ですが、そこから奥はアボリジナルテリトリーといって、先住民の人たちが入ってくる人を決められる土地なので、入るには許可証をもらわないといけないんです。その媒介をする機関を訪ねたところ、「まず現地に友達をつくりなさい。そして自分で車を調達して行きなさい」と言われました。友達をつくれと言われても、福岡から京都を目指すような距離です。どうしよう……と途方に暮れていたところ、酔っぱらった先住民男性が「アイムハングリー」「ギブミーサムマネー」と物乞いをしてきました。 お金を渡しても、どうせ酒を買うだろうと思ったから、彼に「おなかが空いているなら、食べ物を持っているからそれを分けるのはかまわないけど、お金は渡せない。僕は君たちの文化を勉強しに来たから、よかったら何か言葉を教えてくれないか」と言ったんです。 すると意外にも「それなら教えてやるよ!」と乗ってきて、それがきっかけで彼が僕のホストファミリーになりました。結果的に、彼のアランタ族を研究することになったんです(※ 5)。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「私も日頃から感じるんですが、目の前の人とうまくいかないとき、「あの人はなぜこんなことを言ってくるんだろう」「何か私が失礼なことをしたかな」と自分や相手に原因を求めると、結構しんどいんです。 それを一歩引いて「この集団はこういう価値観で動いているから、一定の確率でこんなタイプの人にも出会うな」と構造でとらえると、ちょっと気持ちが楽になります。深井 僕たちがこんなふうに社会をとらえるのは、 2人とも社会学専攻だったからかもしれませんね。社会学と文化人類学は、どちらも社会のメカニズムを把握することを目的とした兄弟学問です。 社会学はどちらかというと、常に一歩引いたところから社会のメカニズムを理解しようとします。というのは、当事者であればあるほど、客観的に把握するのが難しくなるからです。 ところが文化人類学は、自分がプレイヤーとしてどっぷりコミュニティに浸かりながら、一歩引いた視点からも理解しようとする。当事者意識を持ちながら、構造的理解もする。どちらの視点もバランスよく持っていて、おもしろい学問です。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「深井 なぜ仏教をここに持ってきたかというと、僕自身、というか僕の家が浄土真宗の信徒なんですね。しかも本願寺派で、日本でもっとも信徒数が多いといわれる宗派です。とはいえ熱心な仏教徒ではないので、いわゆる「スタンダードな日本人」と言っていいでしょう。 僕はこれまで、葬式仏教(葬式の際にしか必要とされない形骸化した仏教)になっている現代の日本の仏教を、少し馬鹿にしていました。なまじ、宗教を少し勉強しただけに「戒名をお金で買うって何なんだ」と。あまりにインスタントなやり方に思えて「宗教を舐めてるのか」という感じだったんです。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「もし宇宙に自分一人しかいなければ、「私」を定義する必要もないですからね。なぜかというと、他者という概念が存在しないから。 これを僕なりに解釈すると、「どこまでが自分で、どこからが自分でないか」を定義できないことと同じだと思うんです。 たとえば、僕は右手の親指を自分だと思っているし、左手も自分だと思っている。じゃあトイレに行って、出した後の排泄物は自分だといえるのか。なんとなく、体の中にあるときは自分という感じがするけど、厳密にはどの瞬間までが自分で、どの瞬間から自分でなくなるのか。 僕たちの体は、すべて原子でできています。もっと細かく考えると素粒子になりますね。他者と体を接触させると素粒子が交換されるらしいですから、僕と龍源さんが握手をしたら、どこまでが僕でどこからが龍源さんなのか。素粒子レベルで見ると、本当に「どこからどこまで」といえないですよね。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「龍源 ええ、そうです。つまり私たちは仮の存在で、ただ認識されて固定されただけに過ぎません。それなのに「私はこういう人間だから」と絶対視するから、そこから不自由や苦が発生するのだとお釈迦様は言っているんです。 ですから「私はこうである」「あなたはこうである」「これは良いこと」「これは良くないこと」という固定観念を一度、外してみましょう。それを外すための手段として、仏教には修行があるのです。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「龍源 どんな精神やねん! と突っ込みたくなりますが(笑)、これも苦なんです。これをどう乗り越えるか。そのためには苦の正体を知らなければならないと考えた結果、苦の発生源はエゴだった。 つまり、何かに期待するから、失望、つまり苦が生じるということです。「こうであってほしい」と期待するけれども、目の前に現れている現象は、必ずしもそうじゃない。そこに人間は一喜一憂するのだ、とお釈迦様は気づいたんです。 だから期待してはいけない。そのこと自体に実体がなく、さらに自分さえ実体がないのだから、実体がない私が実体のない他者に対して「こうあってほしい」と願うのは愚かである。 ものごとは原因と結果から導き出されるのだから、その結果として現れた目の前の現象を冷静に見なさい。それによって苦から脱することができるというのが、仏教の考え方です。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「振られるという結論に至るには、その結果が現れる然るべき道筋、つまり原因があるのだから、それを認識すれば怒る必要はない。「デートのとき、あんなこと言っちゃったな」とか、彼女と根本的な価値観が合わなかったんだな、などと因果関係に納得できれば、サッと次に行けるわけです。 それに気づかず「くそ……!」となると、苦しみに結実する。お釈迦様は、自分が体験するすべてのことには、必ず自分の中に原因があるとも言っています。生きている以上、苦しみの原因が消えることはないけれども、苦しみへの結実を避ける方法を身につけましょうということだと思います。深井 まさに「自分をメタ認知しよう」と言っているわけですね。もっと広い視点から自分を俯瞰すれば、たとえ状況は変わらなくても、心が楽になる。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「龍源 親鸞聖人が開いた浄土真宗は、とにかく「南無阿弥陀仏」と唱え続けることで救われるという教えです。真言宗の私が浄土真宗を語る資格はありませんが、自分の解釈をお話しすると、念仏を唱えるのは、自分から自我を抜いていく精神行為ではないでしょうか。 ずっと唱えているうちに、南無阿弥陀仏とは自分の心の中にいる阿弥陀さんなのか、自分自身なのか、もうわからなくなってくる。強制的に自分の存在がメタ化され、結果的に、いつもにこにこ穏やかに南無阿弥陀仏を唱えられるようになる。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「深井 いろんなお話が聞けて、とてもおもしろいです。日本ではキリスト教との接点が作りにくいんですよね。クリスチャンの人びとは門戸を広げていると思うんですけど、なんとなく教会には行きづらくて。 唯一、話を聞きやすいのが、向こうから話し掛けてくるモルモン教(正式名称 =末日聖徒イエス・キリスト教会)の人びとです。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「だから数の世界は、自分の外にあるものだと認識できる。数学とは、理性を純粋に使おうとする運動なんですよ。 そして啓蒙思想は数学から、自然科学へ広がっていきました。そこからさらに経済や法律など、人間が生きる仕組みまで、理性で理解する社会科学が生まれていった。 現代はその反動もあって、理性的でない人や考えが人気になったりしているけれど、まずは理性を経由していないとだめなんです。 これに注目しようというのが、宗教改革以降のキリスト教です。電気や自動車など、今までになかったものをこの世にあらしめて、人びとの暮らしを少しでも改善しようとする。これが隣人愛の実践で、そのために理性を使いなさいということです。 だから小中学校で算数や理科の訓練をするのを、馬鹿にしちゃいけないんだ。理性を育てているんですから。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「そして日本は、キリスト教国ではないのに近代化できた、世界でも珍しい国なんです。深井 そうなんですか。橋爪 なぜ日本が近代化できたのか。江戸時代は、もちろん憲法はありません。民主主義もなかったけど、藩があって大名が立法権を持っていた。当たり前のように感じるかもしれないけど、これがない国も多いんです。イスラム世界では神に立法権があるから、政治のリーダーには立法権がありません。 法律を作ると近代化しやすいんだけど、政治に立法権がないからイスラム世界は近代化しなかった。伝統社会が根強いインドも無理だったの。 次に市場経済はどうか。日本は大坂に米相場があって、全国の米を売り買いしていました。藩を超えて需要と供給の法則があったから、商人や町人は合理的に行動していたんです。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「やはり真理の突き詰め方は東洋哲学よりも、西洋哲学のほうが強いと感じます。仏教をはじめとした東洋哲学は、神の制約がないから比較的フラットに考えることができる。もちろん、修行などで突き詰めてはいますが、再現性はそこまで高くありません。仏教では、ある人が突き詰めて悟ったとしても、それを他の人や他の場面にそのまま移し、再現することは難しいですよね。一方で西洋の思想は、再現性のある突き詰め方ができる。 それは、理性は神からの賜物であって、万人に共通する普遍的なものという概念があるからだと納得しました。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著
「乾 それは個性の大きな要因となります。どちらかというと、自分の体をよくわかっている人は、前向きに生きる傾向があるとされます。 では、どうすれば体の状態がよくわかるようになるのか。手段はいろいろありますが、その1つが瞑想だとわかってきました。外環境を無視して、今の自分、とくに体の状態に注意を集中させるのですね。野村 それはどういうメカニズムなんですか。乾 まだよくわかっていないんです。ただ大まかに言うと、何かに注意を払うというのは、その信号を高い精度で処理することだとわかっています。ですから、ある対象に注意を集中すると、その対象の細かなところまで感じ取れるのですが、逆にそれ以外のところは、相対的に無視されたような状態になります。 このような仕組みによって、体の状態に注意を集中し続けると、自分の体のことがよくわかるようになるということです。おそらく、このような訓練をすると、自分の体のことがわかるだけでなく、体の内部状態をうまくコントロールできるようになるのでしょう。これはいずれも、先に述べた自律神経の働きです。」
—『視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話』深井龍之介, 野村高文著