インパクトの強いタイトルである。
脳死は、「本当の死」なのか。
臓器移植をめぐる、患者家族と医師、臓器移植コーディネーターたちのドラマ。
マイナンバーカードの裏などに、何気なく臓器提供意思に丸をつけてしまっている。
自分が死んだら、必要としている人に差し上げてもいい、と思っていたが、「何気なく」表示していいものではなかったし、「自分が死んだら」が実際どういう状態なのか全く分かっていなかったと呆れるばかりである。
正常性バイアスのなせる技か、自分には起こらないとどこか思っていたのだろう。
私は、脳死とはどのような状態なのか、脳死と寝たきりの違いさえ分かっていなかったのである。お恥ずかしい限り。
「息子は生きているうちに心臓を取られた」と騒ぎ続ける、ドナーの老いた母親・登志子を笑えない。
初めて知ることがたくさんあり、会話の中で相手に説明するという形で書かれているのが読みやすく、理解しやすかった。
とても勉強になった。
正しい情報を知り、普段からしっかり考えておかなくてはいけないことだと感じた。
頑迷な老女、わがままで自分が一番なアスリートと、両陣営対等に強烈なキャラクターを描く。
目の前でドラマを見ているような臨場感で、生の感情が伝わってくる。
臓器移植コーディネーターの立花真知(たちばな まち)は、レシピエント(臓器をもらう患者)側の担当者だったが、上司の一ノ瀬徹也医師の命令で、ドナー候補の患者の母が一人反対しているところへ会いに行ってしまう。問題の始まりでもあった。
一ノ瀬徹也は、日本の臓器移植が欧米に比べて著しく遅れていることを憂え、命を救える技術があるのだから、もっと臓器移植の件数を増やしたい、ドナーを増やさなくてはと強く思っていた。ドナーが増えないのは、主に家族が反対するから。脳死を認めず、「心臓が動いているうちは生きている」と思う人が多いせいと言う。
医療従事者側の常識と、そうでない人たちの常識が一致しないことから来る問題だろう。
数々の医療訴訟を扱ってきた弁護士の木元耕介は、脳死は「死にきっていない状態」と主張し、一ノ瀬と木元は、週刊誌誌上やテレビ番組でも激しい討論を戦わす。
木元は、臓器移植に反対するアジテーターとして、岡田登志子をいわばインパクトのある広告塔として利用することが目的だったのだろう。
「息子の命を横取りされた」「まだ温かいうちに心臓を取り出された」「人の心臓をもらってまで生きたいものかねえ」などの、登志子の激しい言葉は絶大な影響力を持つだろう。大衆をあおるには十分。
医療とはまた別に、人の気持ちには「ときぐすり」というものも働く。穏やかな着地で、読後感も良かった。
【第一章 臓器を待つ】
【第二章 臓器を与える】
【第三章 死とは何か】
【第四章 生とは何か】
【第五章 臓器をもらうということ】
【第六章 進歩がもたらすもの】