あらすじ
誰にも訪れる「死」。しかし、実際にどのようにして死んでいくのかを知っている人は少ない。人がどのような末期を知らないと、虐待に等しい終末期医療に苦しみ、悲惨な死を迎えることになりかねない。肉親が迎えたとき、そして自ら死を覚悟したとき、どのような死に方を選べばいいのか。在宅診療医として数々の死を看取った、作家の久坂部羊氏が、人がどのような死を迎えるのかをリアルに描き、安らかな死を迎えるために、私たちが知っておくべきことを解説する。その日に備えて、読んでおきたい「死の教科書」
はじめに
第一章 死の実際を見る、心にゆとりを持って
第二章 さまざまな死のパターン
第三章 海外の「死」見聞録
第四章 死の恐怖とは何か
第五章 死に目に会うことの意味
第六章 不愉快な事実は伝えないメディア
第七章 がんに関する世間の誤解
第八章 安楽死と尊厳死の是々非々
第九章 上手な最期を迎えるには
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母がガンかもと友人に話したら勧めらた本。
現代人は是非読むべきと思った。
経験者は語るとはこのことで、各章こどに誰かと語り合いたいくらい。母に読ませるかどうかは迷っているが、母がガンかもと聞いて狼狽えている兄弟には是非読んでもらいたいと勧めた。
何故なら、周りは当人に病院に行くべきとか、行かないべきとか言うのではなく、当人の意思を尊重すべきだと思ったから。今までまずは病院行きなよと気軽に言っていたことを恥じる。
Posted by ブクログ
在宅医療Dr.の著者が自身の経験をもとに、上手な死に方を提案する一冊。
まず前提として、現代日本人のほとんどは、病院で亡くなっており、死を身近に感じる機会がない。結果どうなるかというと、身内の死に直面したとき、あわてふためき、病院にすがりつき、医師の言われるがままに延命治療をして、本人が望んでいない悲惨な死を迎えることになる。
必要のない治療をして、身体がむくみ、腹水になる症状は生きたまま腐っている状態という表現には衝撃を受けた。
また、家族を死に目に間に合わせるために苦しい心臓マッサージをしたり、投薬をすることにも意味がなく、意識がなくなったあとも耳だけ聴こえているというのも都市伝説らしい。
著者が提唱する死生観は、余命宣告をされるぐらいの末期の場合は、無理に治療や延命をせず、残された時間好きなことをして過ごし、最期は痛みをとるだけの治療をし、住み慣れた自宅で穏やかに最期を迎えること。
私はこの本を読みながら、母の最期について答え合わせをしていた。
私の母は膵癌で、発覚したときには余命3か月。残された時間は家族で悔いのないように自宅で過ごし、延命も治療もしなかった。
最期は腐るようにではなく、干からびるように亡くなったが、あまり痛がることも苦しむこともなく穏やかだった。
最期は家族全員で母に「ありがとう」を伝えることができた。亡くなる瞬間、母は、はっきりと頷き、涙を流していた。
なので、耳が最期まで聞こえるという都市伝説は私は信じている。
Posted by ブクログ
はじめにの最後の文章から紹介
家族や自分の死が間近に迫ったとき、最良の方法を選び、亡くなったあとに悔いを残さないようにするには、やはり死の実際を知ることが大切でしょう。
だから私はこの本を、「死に関する新しい教科書」のつもりで書きました。
大丈夫。恐くありません。不吉でもありません。慣れます。ときに笑えます。死には滑稽な側面のありますから。
一回きりの死を失敗しないために、多くの人が死の恐怖から解放され、上手な最後を迎えられることを、心より願っています。
とあります。
医者であった父の泰然とした死、そして、医者としての長年の経験、特に高齢者医療に携わって凝られた貴重な経験から感じ取られてことが丁寧に書かれていました。
内容ですが
はじめに
第1章 死の実際を見る、心によとりを持って
第2章 さまざまな死のパターン
第3章 海外の“死”見聞録
第4章 死の恐怖とは何か
第5章 死に目に会うことの意味
第6章 不愉快な事実は伝えないメディア
第7章 がんに関する世間の誤解
第8章 安楽死と尊厳死の是々非々
第9章 “上手な最後”を迎えるには
おわりに
参考にしたいこと
138頁
私は自分の死に、できるだけ希望を持たないようにしています。
私の好きな『老子』の言葉に、「道常無為而無不為(道は常に無為にしてしかも為さざるなし)」というのがあります。
何もしていないのに、すべてをなしているとはどういう意味か。
逆を考えるとわかりやすいでしょう。すなわち、何かをしようとするから、できないことが発生するということ。
死に関しても、あれイヤ、これイヤの気持ちを捨てて、死に向かったらそのまま受け入れるが一番だと思っています。
それだと苦しい死に方をするかもしれませんが、それも自分の死だと心得ておけば、少なくとも死ぬ直前に、なんで自分がこんな苦しい死に方をと、嘆きながら死ぬことだけは避けられるでしょう。
204頁
「新・老人力」のすすめ
発想の転換
年がいって動きがのろくなってきたら、“ゆっくり力”
効率的に動いたりできないのは“のんびり力”
他に“あきらめ力”、“受け入れ力”、“満足力”、“感謝力”
たしかに、満足と不満には絶対的な尺度などなく、自分の期待と現実との比較で決まるものでしょう。
であれば、期待値を下げれば下げるほど、満足感は高まるわけです。
つまり、“満足力”とは“期待値を下げる力”ということです。
などなど人生の終局「死」を迎えるについての準備も書かれています。
また、この新書を読んだら解りますが、久坂部 羊さんの小説のタネ証も書かれています。
次に読み始めているのは、「寿命が尽きる2年前」です。
また、派生的に読まなければならない本も出てきてしまいました(笑)。
Posted by ブクログ
死の実際、様々なパターン、死に目重視の弊害、癌への対峙の仕方、安楽死と尊厳死、そしてどう死ぬか…。最後まで元気で自宅でポックリ、ハッピーエンドですばらしい最後が実現する保証はない。求めなければ心穏やかになる。最後は自己肯定と感謝の気持、そして楽観しないで考えて最後に備えることが大事だ。考えさせられる良本。
Posted by ブクログ
経験に基づいた死生観
国が変わると死への考え方も大きく変わる
死の準備はネガティブではない
死を受け入れ難い人にも根気強く伝える書き方をされている
Posted by ブクログ
医師である著者の方の経験と知識を持って書かれているので、リアルで生々しく勉強になることの多い一冊だった。
死に目に会いたいとゆう家族の望みだけを叶えるための、一時の悲惨な蘇生措置のところ、これが医療の現場での事実なのだと知った。
私は身近な人であればあるほど、死に目に会いたいとおもっていた。だから死に目に会えなかった時、間に合わなくてごめんね、と後悔した。
誰もそばにいなくて、たった1人で逝くのはさみしい、と思うのは自然な感情だと思う。
だけど、そこにこだわることはもうやめよう、そう思った。
どうか安らかに、と願って手を合わせた、それでよかったと思おう。
Posted by ブクログ
とてもよかった。まさに教科書
人はどう死ぬのかの教科書的な解説と、他の国との比較により日本はいかに「死」「死ぬこと」そのものをタブー視しているか。
がんについての解説もわかりやすい。
自分自身について考えるだけでなく、家族やパートナーにも自分が延命措置をされたいのかされたくないのか、具体的にどこのどの部分を話し合うべきか、ACPの大切さなどいろいろ書いてありとても勉強になった。
こういう本を読める人には一読おすすめ。
ピンピンダラダラ、ヨロヨロヘトヘトが面白かった。死後の世界が何カアル派と何モナイ派の話も。
「人間も生き物だから、死ぬ間際にはある程度の苦しみがあるのは当然」という一文にはまあ、そうだよねと、覚悟を持っとくしかないんだなと思えた。
そして覚悟を持っている人ほど穏やかな死になりやすいとのこと。
新・老人力とマイナスの老人力についてもなるほど納得。
外科医として、外務省の医務官として、在宅医療の主治医として様々な死のあり方に接してきた医師久坂部さんによる死ぬことへの教科書。
久坂部さんのお父さんが素敵
死に目より大事なもの
虚心坦懐という言葉
いろいろ心に残る
Posted by ブクログ
死ぬことは怖いこと、避けるべきことというのが普通の考えだと思っていたが、この本を読むことで死がいい意味で身近に感じる事ができた。生きているうちに死ぬときに後悔しないように周りの人と接する事、いつ死ぬかわからないので毎日楽しく生きる事が大事なのだと感じた。また、病気になって延命措置をして、人間らしい生き方を出来ないくらいなら苦しまずに死ぬことも選択肢の一つという事がよくわかった。
Posted by ブクログ
医療現場の裏話が聞けてかなりおもしろかった。
どうやって人は死ぬのか?という問いについては、人の身体はどうやって弱っていくのか、また医療現場ではどういう考えのもとどういう処置にいたるのかなど、かなり具体的な著者のエピソードを交えて書かれているので、イメージしやすかった。文章も固くないので読みやすい。
私は自分の好きな人たちに会う時には「別れたあとぽっくり死んでも後悔のないように」をモットーに遊んだり仕事したりしているのだが、この考えは本当に大事だと改めて思った。死に際に会えないことも多いし、会えたとして最後にたくさんの言葉を尽くしても言葉を聞き取れているかわからないためだ。元気に生きているうちに、ちゃんと言葉と行動で愛を示そうとまじで思った。
Posted by ブクログ
お医者さんで終末期医療を専門にしている人が書いた本
どんな最新の医療でも死なないことはできない。
最後は全員当たり前にただ死ぬ。それは必要以上に悲観的になる必要はない。そういう事実があるだけ。
助かる見込みがあれば治療を受けたいけれど 悲惨な延命治療は絶対に嫌というのは両立しない
悲惨な延命治療が嫌だというのであれば、助かる見込みがあっても治療を受けない覚悟が必要
救急車を呼んでしまうと病院に行く。病院では点滴や X 線や CT スキャンや 血液検査など あらゆる治療をしてしまう
目の前で死にそうになってる人がいても 救急車を呼ばない覚悟が必要
著者の父が 85歳で前立腺がんの診断を受けた時にはこれで長生きせんで済むと喜び 治療を進める医師にとんでもないと断りました
死ぬ前の苦しみは拒絶すればするほど強くなります 受け入れる 気持ちになった方が軽く感じられます
若い時から健康に注意した人は内臓が丈夫なのでコロリとは死ねません コロリと死ぬのは若いうちから 不摂生をしてきた人です
心筋梗塞や脳梗塞やくも膜下出血は 発作が起きた後にすぐ死ぬと思われているかもしれませんが 実際には激しい痛みを感じます
老衰も安らかなイメージがありますが 実際は視力 張力の衰えや 味覚の衰え 体中の痛み 下の世話 筋力低下 呼吸が苦しい など 簡単には死ねません
癌で死ぬことが一番人気。ある程度の死ぬ時期がわかるのでその間に好きなことができます
ただ 注意点として 癌を治そうと思うと苦しいです。過度な治療になって 副作用で苦しみます。ほどほどの治療で様子を見て治療の効果より副作用の方が大きくなったら潔く 治療を止めるのが良い
上手な 最期とは。苦しみや痛みのない死。医療用の麻薬や鎮静剤を医者に頼めば良い。どちらも入院しなくても在宅医療で使える。ただし 死ぬのは 生物としての生命の終わりなので ある程度 苦しいのは当たり前。受け入れる 気持ちになれば少しは 和らぎます。
病院に行かないことが最適解。病院は患者さんが来たら検査と治療をやらざるを得ない。延命治療をやらざるを得ない。
病院に行くべき時もある。元気だった人が急に倒れた時や コロナなどの感染症の場合は病院に行った方が良い。逆に超高齢の人や 末期がんの人で徐々に死に近づいている場合は病院に行かずにいた方が良い。病院に行くと助かる可能性はあるけれど 悲惨な延命治療になる危険性もある。
Posted by ブクログ
引き続き「死」を知りたくて手に取る。在宅医療医師が人生一度きりの死を、どうすればうまくやり終えるかのヒントを教えてくれる一冊。
私も延命治療はして欲しく無いと思い、「尊厳死の宣言書」を書いたが、もっと確固たる意志も必要な事が分かった。周りに死が近づいたと感じたときに再度読みたい。65歳を過ぎて癌が見つかったら治さずに死のうか。
■学
上手な最後を意識する
病院死より在宅死(病院には行かない覚悟が必要)
超高齢、末期胃癌の人は病院には行ってはならない
7割が病院死
メメント・モリ(死を想え)
ACPを調べておく
本 老人力 赤瀬
死ぬときはある程度は苦しいものだと覚悟
ガン 医師が思う良い死に方No1
近藤誠 患者よ、がんと闘うな
安楽死をするためにスイスに行く
考えさせられる
死ぬことにも準備が必要だということ。
普段はあまりかんがえたくないことだが、
誰もがいつかは必ず死ぬのだから。
自分の死もさることながら
大事な人を送る場合も
あらかじめ、考えておかないといけない。
Posted by ブクログ
死に方への提言と指南をする新書
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誰にも訪れる「死」。しかし、実際にどのようにして死んでいくのかを知っている人は少ない。人がどのような末期を知らないと、虐待に等しい終末期医療に苦しみ、悲惨な死を迎えることになりかねない。肉親が迎えたとき、そして自ら死を覚悟したとき、どのような死に方を選べばいいのか。在宅診療医として数々の死を看取った、作家の久坂部羊氏が、人がどのような死を迎えるのかをリアルに描き、安らかな死を迎えるために、私たちが知っておくべきことを解説する。その日に備えて、読んでおきたい「死の教科書」
はじめに
第一章 死の実際を見る、心にゆとりを持って
第二章 さまざまな死のパターン
第三章 海外の「死」見聞録
第四章 死の恐怖とは何か
第五章 死に目に会うことの意味
第六章 不愉快な事実は伝えないメディア
第七章 がんに関する世間の誤解
第八章 安楽死と尊厳死の是々非々
第九章 上手な最期を迎えるには
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現在の「死に方」に対する問題提起と、著者の考える最適な選択
病院で行われる、儀式としての蘇生処置
家族に対するパフォーマンスの意味合いが強い
手を尽くさなかったと訴えられないための予防線
無駄とも思える延命治療
自分の意思で延命治療を拒んでいても、意識が無くなった状態で家族から治療を求められると、医師としては断れない
なので、家族に対してもちゃんと理解してもらっておく必要がある
死に目に立ち会う事を重視する欺瞞
医師としても、家族に立ち会わせてあげたいという思いから延命しようとしているが、果たして本当に必要な事なのか?
ただ、著者も一様に否定しているわけでもなく
母親の死に目に合わせてあげたいと、必死で心臓マッサージをした経験も紹介されてある
ただ、その際は間に合わなかったようだが
人は自殺以外は死に方を選ぶことはできないが、ある程度の準備はできるという前提で
その心構えのための方法が紹介されている
私個人の思う理想の死に方も、多くの医師が言うようにガンで死ぬのが一番ましかと思う
死ぬ心構えもできるし、身辺整理もできるし、ある程度の痛みの緩和方法も確立されている
むしろ、癌になれた時点で既に長生きできたと思うべきなのだろうな
万が一、更に長生きして老いさらばえたとして
誤嚥性肺炎になった時点で老衰と同義と思っている
なので、自分は胃瘻手術はしたくないしかな
その他にも、自発呼吸ができなくなったとしても同様
長野県は長寿県として有名とされている
長野で進められているのが「ピンピンコロリ(PPK)」で
「ピンピン」は個人の努力である程度はできるけど、「コロリ」はむしろ難しくなるという
言われてみれば確かにそう
まぁ、コロリは脳梗塞や心筋梗塞を想定しているのだろうけど、それでも助かる人もいるし、そうしたらむしろ今作で言われている「死ねない」状態になるからなぁ
安楽死については、「安楽死を遂げるまで」(宮下洋一)を読んだので、少し知っている
一口に安楽死といっても様々な方法がある
・積極的安楽死
・自殺幇助
・消極的安楽死
・セデーション
医師の手による処置、医師が事前に説明した上で患者の手による処置、延命治療の停止、意識レベルを下げる処置
「尊厳死」という言葉の定義は曖昧
賛成派と反対派の間で議論が続いており、特に社会的圧力や悪用の危険性が反対理由として挙げられている。
すべり坂理論の問題は大きいように思える
誰がどんな意図で行うか
たとえ患者自身が選択したとして、そこに至るまでに様々な力が加わる事もあると思う
この本の主張をまとめると、無駄な延命処置をされたくないのであれば
・病院に行かない
・救急車を呼ばせない
という選択に尽きる
ただ、場合によっては家族に殺人罪、もしくは自殺幇助の嫌疑がかけられることもあるのでは?と思った
そのために、かかりつけ医と普段から密に情報を共有する必要があるわけで
ここで言う病院というのも、その対応方針に違いがあるのだろうな
終始、延命治療は悪という事ありきで書かれているように感じる
そっちの方が幸せな人もいないとは言えないのでは?とも思った
それこそ、亡くなった人に聞くことはできないし、両方を経験した人でなければどっちがいいとか言いようもない
脳死や臓器移植に関する事は、「人魚の眠る家(東野圭吾)」を読んだときに色々と考えた
自分自身の選択と、家族の意思を尊重するかは基準が変わってきそうなところがある
ドナー、レシピエントの立場の違いでもあるだろうし
明確な基準は決めにくいと思う
序文で笑えるところもあると書いてあったけど、笑えるような部分はなかった
著者はどこが笑えると思って書いたのだろうな?
Posted by ブクログ
死を恐れない
生と死は隣り合わせというが日本では死について論じることが少なく臭いものには蓋をするような雰囲気を感じる
生と死は自分では決められない
とはいえ、いつ死ぬかわかるのは望んでいない
病院で死ぬことが多く、死が身近にないのも死生観が培われないのではないか
良く生き、良く死ぬ
Posted by ブクログ
「死ぬときぐらい好きにさせて」という言葉で共感を得た女優さんがいたが、確かに死ぬときって自殺のほかは好きに死ねないだろう。
自分も身内の死に立ち会ったときこれで良かったのか…という想いはずっと消えないでいる。
なぜかというと病院で最善の治療をしてもらっているのだがもう先は無い(高齢でもあったし)分かっていながら点滴と呼吸、本人は苦しそうだった…
そんな疑問にこたえるようにこの著者はリアルに生々しく答えてくれていた。
最後は求めない力、自己肯定感と感謝、これにつきるだろうな。
Posted by ブクログ
家族にガン診断が出て、右往左往した。
少しずつ状況を受容していくうちに、苦痛な治療などせず家で最後まで過ごしさせてあげたいと思うようになった。そんな時に、ふと目にとまった一冊。
悲惨になる治療現場もあることを知り。
ただ、そればかりで、治療をしないことも間違いの場合もり、結局右往左往するしかないけれど。
いつかは死ぬ。死を絶対否定しないこと。
それまで、どう過ごすが、どう受け止めるか。
生きてる間は、なるべく穏やかな環境、心持ちでいたい。
Posted by ブクログ
私は、両親を、時期は異なるがそれぞれ孤独死で亡くしている。日本人の平均寿命よりかなり早くに。もちろんどちらも心の準備は全くなかった。
残された子供たち(私たち)は、事あるごとに「死ぬときは病院で死のうね」と合言葉のように言い合っている。だって、死ぬときに誰かに看取ってもらえるから。心の底からそう思っていた。
けれどこの本を読んで、欲が出てしまった。治療で苦しみたくないし、家が好きな私はやはり住み慣れた自宅で過ごしたい。
そのためには準備が必要だ。自分の死に方についてよく考え、希望を家族に伝える。
そして、人は必ず死ぬのだから、つまらないことで意地を張ったり、ケンカしたり、ムキになってこだわったりする事はやめようと思った。
知らないことを多く得る事ができた本だった。
読んで良かった。
Posted by ブクログ
著者が医師で作家でもある久坂部羊さん。
新書ですが、読みやすくて勉強になりました。
死について、ガンについて、安楽死について等知識を得たい方はオススメです。良著。
以下は自分が付箋を貼ったページ。
P37 助かる見込みがあるのなら、病院で治療を受けたいと言う人は、悲惨な延命治療になるリスクを受け入れる必要があります。助かる見込みがあれば治療を受けたいけれど、悲惨な延命治療は絶対にイヤというのは、両立しないのです。
P109のエンゼルケアの所。看護師が遺体の肛門に指を入れて掻き出すシーンが衝撃でした。
P126 人生百年時代の意味。この言葉の真に意味するところは、「百歳まで生きられる」ではなく、「百歳まで死ねない」ということだと私は思います。それがどれだけ恐ろしいことか。
P136 がんとの共存。がんを根絶しようと思うと、過度な治療を受けて副作用で苦しんだり、場合によっては逆に命を縮めてしまったりします。過激な治療ではなく、ほどほどの治療でようすを見て、治療の効果より副作用のほうが大きくなったら、潔く治療をやめる。これががん治療の要諦です。
P166 海外の安楽死事情。日本では本人の意思より家族の意見、さらには世間の常識が優先される風潮が、未だに強いと思われます。もちろん、死んでほしくないという家族の気持ちもわかります。しかし、それを優先すべきという人は、忘れていないでしょうか。いざ、自分が死ぬ以外にないほどの苦痛に陥ったとき、優先されるのは苦しんでいる自分ではなく、その苦痛を体験していない家族だという事を。
Posted by ブクログ
誰にも訪れる「死」。しかし、実際にどのようにして死んでいくのかを知っている人は少ない。人がどのような末期を知らないと、虐待に等しい終末期医療に苦しみ、悲惨な死を迎えることになりかねない。肉親が迎えたとき、そして自ら死を覚悟したとき、どのような死に方を選べばいいのか。在宅診療医として数々の死を看取った、作家の久坂部羊氏が、人がどのような死を迎えるのかをリアルに描き、安らかな死を迎えるために、私たちが知っておくべきことを解説する。その日に備えて、読んでおきたい「死の教科書」
はじめに
第一章 死の実際を見る、心にゆとりを持って
第二章 さまざまな死のパターン
第三章 海外の「死」見聞録
第四章 死の恐怖とは何か
第五章 死に目に会うことの意味
第六章 不愉快な事実は伝えないメディア
第七章 がんに関する世間の誤解
第八章 安楽死と尊厳死の是々非々
第九章 上手な最期を迎えるには
☆4つけてるけど 4.5をつけたい!
久坂部羊さんの作品を初めて読んだのは 12年前の『廃用身』
読んでいると実話なんじゃないかと錯覚しそうな内容だったという記憶
やはりお医者さんが書いた本は現実味が帯びてる気がします
この本の内容も共感する部分がとても多く 私は死に対してマイナスのイメージってないんですよね
現実に近づいたら右往左往するのかもしれないけど 家族には最期はどうして欲しいのか話しています
家族だけじゃなく 世の中の多くの人も避けたい話のようですが いつか必ずやってくる自分の事なのにいざという時、決断出来るのかな?って思います
Posted by ブクログ
最初は大阪や海外(医務官)で医者をしていて、20年前に小説家に転向された方が書いた「死」に関しての本です。
どう死ぬのかという事については医者時代に看取った事を中心に記されていてますが、近年病院で亡くなる方は昔とは大きく変わらないですが、綺麗な状態で亡くなる方が減っているとの事。
医療技術が発達して、あともう少し延命して欲しいと願う家族とそれに応じせざるを得ない医者(特に経験が浅い)が無理に薬剤投与と身体を傷つけ苦しみながらも延命させてる現状があるとの事。無理して生き続けるのはオーバーに感じた。僕だったら苦しみながらも生き続ける事に意味があるのか分からない。
別章では、ピンピンコロリと終生を迎える、言い換えると平均寿命と健康寿命(自立して生活できる期間)の差を無くす運動が理想とは言われてますが、禁煙や食事に気をつける事など身体に良い事が実は真逆の事をしてるんじゃ無いかという主張には、半分納得をしてしまいました。
最後には、無理して延命させてほしいというのは死を迎えたく無い、白黒つけたい事がある人たちのエゴ。家族だったら生きているうちに話し合うことは話し合うべき。そして、感謝の気持ちを持つ事が悔いを持たずに天寿を全うしてもらう事が大切な事だと説いてました。
去年、父親がくも膜下出血で手術受けてから他人事ではないので親には気に留めようと思います。
Posted by ブクログ
死に目に遭うことを大事にするより生きている時に会う時間を大切にするということを心に留めて、大切な人たちとの時間を過ごしていきたいとおもいました。死に方についてというより、生き方を学べる一冊です。
Posted by ブクログ
・病院での最後の場合、
心肺停止になった時は、無益な蘇生処置は必要ありません、と伝えておく。
→安らかに死ねる可能性が高くなる
死に目に会うことに執着しない。
・がんとの共存
根絶しようとすると過度な治療を受けて副作用で苦しんだり、場合によっては逆に命を縮めてしまう。
過度な治療ではなく、ほどほどの治療で様子を見て、治療の効果より副作用の方が大きくなったら潔く治療を止める。
がんで上手に死ぬ。
腫瘍内科・化学療法科(抗がん剤(分子標的薬)・免疫療法(オプジーボ))
人は死ぬものであることは、全ての人は解っています。また、それの受け入れ方は、文化の影響を大きく受けることも解っているのであろうと思います。
著者のご意見は理解できたと思います。著者と反対の医者も有られるであろうと思いますので、両者の意見を比べて、自分で判断したいと思います。
一方で、文化人類学の観点から文化の違いによる点も読んでみたいと思います。
死については、多面的に見ることが必要であろうと思います。その意味では、一つの見解を明確にされた著作ですので、読む価値はあると思います。
良い死に方をするには準備が必要
医師の立場で数多くの患者の看取りをしてきた筆者が、死に方の良しあしを様々なケースをあげて教えてくれる。
日本で病院で死ぬのであれば、延命治療をどこでやめてほしいのかあらかじめ医者に伝えておいたとしても、そのとおりにしてもらえるかは分からない。おだやかな死を望むのなら自宅で逝くのをすすめている。うまく死ぬには残される人と意識を合わせ準備をしておくことが必要。
Posted by ブクログ
死は誰にも等しく訪れる。それは人生の終章でありながら多くの人が正面から語ることを避ける。苦痛や不安を和らげる医療の進歩がある一方、延命の名の下に尊厳を損なう現実もある。死を語ることは生を問い直すことに通じる。避けずに知り、選び、備えることで初めて「自分の死に方」が形づくれるのだ。
Posted by ブクログ
●科学博士の書評指数:
楽しみ度:★☆☆☆☆
共感度 :★★★☆☆
学び度 :★★★★☆
話題度 :★★★☆☆
お薦め度:★★★☆☆
●概要:
医師としての経験をもとに,死の現実を冷静かつ具体的に描いた本になります.病気・老衰・事故など多様な死の形態を紹介し,延命治療の限界や死に向き合う心構えについて述べています.日本と海外の死生観の違いや比較も交え,死を避けるのではなく受け入れることの重要性を述べております.「どう生きるか」を医療の観点から考えさせる一冊と考えます.
●感想:
【1】 一番印象に残ったのが,筆者の若い時の患者に対する体験.患者を助けようと徹底的な医療を試みるのだが,無残にもその努力は打ち砕かれ,患者の体は水ぶくれと腐敗が始まり,悲しい死となったいう経験.医療にも限界というものがある事を痛感する.
【2】 在宅医の経験から,老衰で死ぬことは,死ぬまでが長く大変だという事も新たな知識でありました.いわゆる,ピンピンコロリが難しいということが理解できます.あわせて,自分の死期が正確に理解できる事の有用性についても理解できます.「ガン」について死期がわかるので,死因としては良いのではという意見には「なるほど」と驚きました
【3】 救急車を呼ぶこと,胃ろう,いわゆる精一杯の医療行為が,「穏やかな死」につながらないことについて,他の本でも述べているように注意を促していました.在宅死の方が病院死よりも良いとの意見でした.
Posted by ブクログ
外務省の医務官として日本とは異なる終末期医療や死生観に触れ、高齢者医療の現場や在宅医療の勤務を経験し、作家として医療をテーマとしたフィクションを執筆した。あまり語られることのない死について、現実、医者の事情、世間の誤解などを語る。
練習もやり直しもできない一発勝負、運任せにする人、備える人。非常用品を準備する人と、しない人みたい。