あらすじ
32歳で幼児の知能しかないパン屋の店員チャーリイは、ある日、ネズミのアルジャーノンと同じ画期的な脳外科手術を受ければ頭がよくなると告げられる。手術を受けたチャーリイは、超天才に変貌していくが……人生のさまざまな問題と喜怒哀楽を繊細に描き、全世界が涙した現代の聖書。
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Posted by ブクログ
この本の本質は何か考えると私は文明の発達は手放しで誇るべき事なのか知能数値が変わることで多角的な視点から見る幸せとはなにかのようなものだと思う。
文明の発達は凄まじく文化や流行りも目まぐるしく変わっていくその時に健常者にあるものをない人も得られるようになっていく
盲目の人が目が見えるようになるような事だ
本当にそれは人類の進歩だと簡単に誇れるのか
目が見えるようになることは感覚が1つ増えると言うことそれは慣れるまで沢山の時間を要するのではないか、目に見えなかった頃の悪意を知ってしまうのではないか
今回は知能が人工的に与えられる
知的障害を持つが心優しい全て自分が劣っていると考えるチャーリー
チャーリーは知恵を得たことでそれまでの悪意を理解してしまうそして私の主観だがどんどん性格が歪み傲慢な考え方になって行ったと思う
周りと乖離しながら生きていくことはとても苦しいと思う
そしてまたどんどん知能が戻り無知ゆえの少年のような心のチャーリーに戻り最後は死んでいく
私は知能が上がるよりも急速に知能が戻っていく感覚に震えながらチャーリーは戻って何も知らない方がいいんじゃないかと思ってしまった
しかし知能が高いチャーリーは文章を読み知識を蓄えるのが幸せなんだと思う
別人格のような多角的な視点から幸せが表現されていて私は涙が止まらなかった
そして心優しい無知なチャーリーは最後にアルジャーノンに花束を添えて同じ墓に埋めて欲しいと願った
悪意を知らない純粋なチャーリーだからこそ本当の最後にアルジャーノンに花束を添えてと伝える優しさに心打たれるのだ
そしてこれは和訳の話だが本当に凄いと思う
誤字脱字が何を言いたいのか理解し上手く日本語に落とし込まなければいけない
例え知らない文章を生みだとしても
沢山の労力によってこの1人の人間と1匹のねずみの人生が日本に伝わることになったんだと感じた
Posted by ブクログ
読み終わった時は言葉を失った。
チャーリーが天才になっていく道筋を日記に用いられる語彙や構成で見て取れることにワクワクしていた。心優しい青年が有り余るほどの頭脳を手に入れたらどうなるのだろうかというワクワク。しかし、実際には優しさを失い、彼は天才の称号と共に孤独を選んだのだった。そして、天才へと変貌する速度と同じような速さで知能を失っていくチャーリー。彼は望んでいた知的さを手放さざるを得なかった。それが手術の効果であったから。術前よりも知能が下がると予測されていたところ、彼にはしっかりと心の優しさだけは残されたのだ。彼が歩んだ孤独の421日は、着実に彼を成長させ、チャーリーという人物の物語に刻まれたのであった。アルジャーノンとともに。
Posted by ブクログ
みんなに一度は読んでほしい。主人公の書いた報告書で進んでいく文章から伝わってくる彼の細かな心境や様子で一気に引き込まれます。
初めて読む人にはぜひ気になって最後を見て読むのではなく最初から読み進めたほうが面白いです。先に結末を知っていても面白いですが、私は読む前に戻れるのなら最初からまっすぐ読み進めたかったです。
Posted by ブクログ
評判通りの素晴らしい作品。読んで良かった。
知能が上がるにつれて、教授らが持つ無意識の偏見や、パン屋の人々からの扱いなど、チャーリーが今まで気づかなかった部分に気づいてしまった時は、読んでいる私までも苦しくて、先を読むのを少し躊躇してしまった。
チャーリーはなぜ賢くなりたかったのか。根底にあるのは、普通になって、母親に愛されたいがあったように思えた。それ自体は、天才でも白痴でも普通の人でも、当たり前に持っている欲望だ。
だが不幸にも、実験が成功しすぎたのか、彼は結局普通にはなれなかった。そのため、彼に純粋な愛情を注ぐ相手がおらず、そこにもチャーリーの孤独を感じた。アリスからチャーリーへの情は、持たざる者への憐れみが過分に含まれているので、純粋な愛とは違うのではないかと思った。
Posted by ブクログ
読むたびに問いを投げかけてくる作品で、定期的に読み直している。
知能が急激に向上していく主人公の内面は、最初は無邪気な希望に満ちているが、次第に周囲との関係や自分自身の変化に苦しんでいく。その過程が日記形式で描かれ、喜びも孤独も、悲しみも辛さも嬉しさも、すぐそばにいるように感じられ、感情移入せずにはいられなかった。
印象的なのは、知性が高まるほど人の残酷さをより深く理解してしまう点。
賢くなることが必ずしも幸福につながるわけではないという事実は、読むたびに胸に重くのしかかる。
また、アルジャーノンの存在は主人公の運命を映し出す鏡のようで、チャーリー自身がいずれ直面する現実をより残酷に、そして鮮明に浮かび上がらせているように感じてしまった。
年齢や経験を重ねるほど、共感する場面も、一つ一つのセリフを読んだ時の感情も変わる。
だからこそ、何度もこの本を手に取り、そのたびに「幸せとは何か」「人にとって大切なものは何か」を考えさせられている。
Posted by ブクログ
ヨルシカのアルジャーノンという曲からこの本の存在を知り、気になって読みました。
最初は誤字脱字だらけでテンポよく読めず、それが新鮮で面白いと思い根気よく読み進めていきました。
最後は、この本と出会えてよかったと思えました。
Posted by ブクログ
ストーリーはわかりやすくシンプルで、読み進めていくにつれ、感情が入り込むような本だった。
最初が読みにくい点や、430ページぐらいと長いところがネックである。
しかし、文学的表現が面白かったり、小説の構成も斬新で、物語の終わり方もとてもすっきりとした美しい本であった。
人の心の移り変わりや医学研究に対して、改めて考えさせられるような内容で興味深かった。
Posted by ブクログ
知的障がいをもつチャーリーが書く、拙い日記からストーリーが始まるので、最初からグッと引き込まれた。IQが高くなったからこそぶつかる感情のコントロールの難しさや人間関係の壁、そして自分の置かれた立場とその後の運命…ひたむきに自分と向き合うチャーリーに胸を打たれた。美しい作品。
Posted by ブクログ
人間の根本的に大切なことについて改めて実感させられた。
チャーリーは手術により急激に知識を得て、天才になるが、そうなるにつれて、本来持っていた素直さや誠実さ、素敵な笑顔を失っていき、傲慢になり、孤独を感じるようになる。たしかに知識があると視野が広がるが、それよりも優しさや誠実さ、笑顔といったものがとても大切だと気付かされた。
チャーリーは最終的に元の状態に戻ることになるのだが、その時に天才のときには失われかけていたチャーリー自身の持つ人としての魅力が再び現れて、優しさにあふれるチャーリーの姿にすごく泣きそうになった。
すごく感情の揺さぶられる衝撃を受けた本だった。
Posted by ブクログ
心臓がぎゅっとなる作品だった。
日記の書き方が促音や漢字が、徐々に増えていく様子から、どんどん賢くなっているチャーリーをあらわしている。天才になりすぎて、最終的に自分が退化してしまうことに気づいてしまったときは本当に切なかった。
Posted by ブクログ
知的障害を抱えたチャーリーが手術を経て賢くなっていく過程が拙いの文章から流麗な文体へ変化していく日記を通して生々しく綴られていて没入感が凄い。知能を得て初めて見える人間の醜さ、自身の孤独、愛への渇望。「賢い=幸福」とは限らない残酷なテーマが読んでいる間ずっと胸に刺さっていた。貴方はゆっくりと変わっていく。
Posted by ブクログ
人間は考える葦である。
本当にそうなのかもしれない。
人間はこんな素晴らしい作品をかけるのですね。
そりゃ空くらい飛べるよな~。
悪を可能にさせるのは知能である
とはよく言ったもので、
無知は決して罪などではなく、
紛うことなき純粋さなのだろう。
それは善悪の次元に存在しない。
では、人の知能を人工的にあげることは罪なのだろうか。
物語中でチャーリーが、白痴が禁忌を犯し、
普通を知ることは罪であるはずがない。
と言う意のことを言っていて、
私は自分の至らなさに泣きそうになった。
彼は産まれた時から彼以外の何者でもなく、
ひとりの人間であり、知る権利があるのだ。
その方法をさずけること、それが罪なのだろうか。
私はそうは思わない。
ただ、与えた能力が平均を超えてしまった時、
私は彼を過去と同じように
心から肯定することが出来るだろうか。
一切の嫉妬を含まずにに良かったねと
声をかけることが出来るだろうか。
これこそが、傲慢という罪なのだろう。
彼がエレベーターを下っている時、
辛くて辛くてたまらなかった。
しかし、少し安心してしまった。
彼が心優しい白痴に戻っていくとき、
なぜか正しいと思ってしまった。
もし彼が産まれた時から白痴でなくても、
知能がなくなりさえすれば
あの性格に帰結するのだろうか。
そうでないことが唯一の救いなのかもしれない。
彼は素直で心優しく道徳的な美しい人間である。
彼の過去の全てに意味がある。
そしてこれからにも。
彼の人生に花束を添えさせて欲しい。
Posted by ブクログ
チャーリーとは環境も生活も違うはずなのにとても身近に感じる。それは多分、人との些細なズレや相違みたいな、誰しもがする経験に似ているからなのだと思う。
知識が後退していく中での最後の追伸は、それでも誰かを悲しむ心は褪せないことを暗示していたのかな。
とても素敵な作品。
Posted by ブクログ
なんて恐ろしい物語なんだと思った
冒頭1ページ目から、うわ!なんだこれ読みにくい!と思い、それがチャーリィ自身が書いたもので、よく小学一年生が「は」を「わ」と書いてしまうのと同じことを30歳を超えた男性がやっているのだと気づいた時、もうこの時点で恐ろしくなった
最初読んでいるうちは、早くチャーリィが賢くならないかな、頭が良くなったら何を考えるんだろう、ああもうまどろっこしいな、なんて思っていた
そこから段々とIQが高くなっていき、
本当は周りから馬鹿にされていたこと
両親に捨てられていたこと
自分の過去のトラウマがずっと残っていること、
知能が上がるだけでは幸せなんて訪れないこと、
が分かっていく過程で、どんどんチャーリィが苦しくなっていくのを見ていてこんな事なら「しじつ」を受けない方が良かったのでは、なんて感じてしまった
そこから半分まで読んだところで、チャーリィはもうIQが180を超え、普通の人以上になってしまっていた。
え、ここから先ってまだあるの?もう十分賢くなったけど、まだあるの?長いよ?
段々とチャーリィが昔のチャーリィは自分とは別人で、部屋の外から自分を見ているだとか言い始めた辺りから、もうチャーリィは知能がついた時点で昔のチャーリィの延長線だろうがまるっと変わってしまったのだとやっと理解した
そこからの展開は本当に本当に怖くて、
チャーリィが自分のIQがこれからどんどん加速的に落ちていくこと、
それは前のIQよりも下がること、
アルジャーノンの様にこの先脳がどんどんカスカスになって、溝もなくなって、収縮していくこと、
それら全てを全部自分は認識出来てしまうことが
怖いのに面白すぎてつい読み進めてしまった
神様なんて最初は存在すら知らなかったチャーリィが、
後半、どんどん物を忘れていく自分を見て、
どうか神様、全てを取らないでください。どうか…………と祈るところで胸が締め付けられてしまった
そして文章もどんどん稚拙になっていって、漢字がひらがなになって、句読点もなくなって、文がきれなくなって、誤字が増えて、最初に戻っていくのがあまりにスムーズに進んでいくから読んでいて恐ろしかった
しかし知能が昔に戻ったとはいえ、チャーリィ自身は1度馬鹿にされていたことや、笑われていたこと、哀れまれることを知ってしまったから、元のチャーリィには二度と戻れない。
あんなに賢いチャーリィは昔のチャーリィとは別人で、いつかこの体を渡すのだろうと思っていたけど、
昔のチャーリィなんてもういなくて、結局は賢いチャーリィが阿呆なチャーリィになってしまっただけなのだった
終盤でチャーリィは序盤のチャーリィの知能くらいに戻るけども、ここで終わりではなくて、
この先もっと知能は下がっていく。
アルジャーノンのように糞尿に塗れても気づかないだろうし、まともに歩けないだろうし、凶暴になっていく
何もかも忘れていってしまう
そこにはアリスも誰もいないのに
最後まで読んでどうかチャーリィの墓にも花が添えられますようにと祈ってしまった
Posted by ブクログ
この物語は、知的障害を持つ青年チャーリイ・ゴードンが、脳手術によって天才的な知能を得た後、再び衰えていくまでの過程を、「経過報告(プロブレムズ・レポート)」という一人称形式で描いています。そのため、彼の成長と変化が文体や表現力にも反映されており、まるでチャーリイの心と一緒に読者も旅をしているような感覚になります。
手術によってIQが上がるにつれ、彼は周囲の人間の「本音」や「偽善」に気づき始め、かえって孤独を深めていきます。**「賢くなること=幸せになることではない」**という事実が、静かに、しかし強烈に突きつけられるのです。
さらに、チャーリイが自分と同じ手術を受けたネズミのアルジャーノンと心を通わせ、やがてアルジャーノンの死を通じて自分の運命を知るくだりは、何度読んでも胸が締めつけられるほど切なく、美しい。
アルジャーノンに花束を
最初の方はひらがなや誤字ばっかりで読みにくくて嫌だなとか思ったのに見ていくうちにどんどん世界観に飲み込まれる感じがあって最後まで見たら気づいたら泣いてる感じがあってめっちゃ感動した最初は見にくいなとか思ってても数ページ進むだけで時間も忘れて最後まで一気に読んじゃう世界観の引き込みかたが素晴らしい
切なくなった
終始日記風の書き方で、最初幼児の知能レベルで書いた日記はかなり読みづらかったけど、とある日を境に作文能力が急上昇、こんなに変わるもん??!とびっくりしました。
最初は低知能だったが故にいじめられていると気づかなかったものの、周り対する優しさや希望のようなものが読み取れました。
「頭がよくなる手術」を受けたことによって、数日後チャーリィの理解力や会話の能力はメキメキ上達、でもそれと同時に小さい頃の嫌な思い出やトラウマがよみがえるようになり、それによって苦しみます。
物語が進んでいくにつれてより賢くなったチャーリィは、ずっと憧れだった「他の人と政治や宗教や、そういう高度な内容の話がしたい」という夢は叶えられたものの、昔のような優しさがだんだん抜けていく様も読み取れてそこが切なかったです。
うんと長い間会わなかった妹とは和解できたようだけど、お母さんとは結局そのままで、、、それがチャーリィをさらに傷つけているところも、読んでいて「報われないなぁ、、」と思いました。
最後、知能レベルはまた退化、「チャーリィ頑張ったね、お疲れ様」という気持ちでいっぱいです。
Posted by ブクログ
凄い本だった。
最後の、ギンピイの台詞と、キニアン先生には、思わず泣いてしまった。チャーリイはエレベーターを上昇し、また下降した。それぞれのすれ違い様、アリスと愛し合った。上昇することで知識は得たが、人間という愚かさも知ってしまい皮肉屋になり人情が薄れてしまった。下降することでそれらたくさんの知識を失ったし、もう、前のようには皆と言葉を交わせなくなったし、身動きもゆっくりになったけれど、以前よりは友達・理解者は増えた。それでも、同情されたくないからウォレンへ行く。そこでまたたくさん友達を作るのだ。もっと後退が進めば、怒りの感情も無くなるかもしれない。
翻訳本は読みにくいものが多いが、この本はIQの低い全文ひらがなだろうが、終始読みやすくて止まることがなかった。著者、ダニエル・キイス氏の他作品も読みたくなったのは勿論だが、同訳者、小尾氏の他訳書も読んでいきたい。
あとでギンピイが悪い足をひきずてきてチャーリイもしだれかがおまえに困らせたりだましたりしたらおれかジョウかフランクをよべおれたちがかたをつけてやるからなといった。おまえにわともだちがいるってことをおぼいといてもらいたいなそれを忘れるなよといった。ありがとうギンピイとぼくわいった。(p446)
↑泣ける(´;ω;`)
人の脆さと尊さが光るラスト
この物語、発表が50年ほど前なので今と知的障害者への社会の接し方が違うことを留意しなければなりません。
それはさて置き、読後はまさに一人の人生の誕生から終わりまでを見たような、そんな感覚に陥ります。人とは、知性とは、幸せとは、愛とは、家族とは、教育とは何か?その一つ一つを読み手に考えさせる一方、本書へ抱く感想や評価は人それぞれであり、感動したというレビューでも人によってポイントが違うのかなと思います。
私は本レビューのタイトルに書いた言葉が思い浮かびました。人はどこまで登っても無敵ではない。この本には色んな人間的弱さが登場します。そしてそれに抗わんとする主人公のひたむきさや苦悩も描かれます。弱いんだけど、どんな自分でも、どんな人生でも肯定的に受け入れる。そんな気持ちにさせる話であり、ラストの一節に向かって丁寧に書かれた物語の全体的な構成は見事と言う他ありません。
ただ人間てすごいね!と賛美するのではなく、生々しい弱さや苦しみを抱える面が描かれており、世界中から『主人公は私だ』という感想が出るのはそうした普遍性があるからだと思う。
ちなみに翻訳が非常に秀逸で、主人公の知的水準に応じて変わる文体を巧みに読みやすい日本語へ訳しています。試し読みの序盤で読みにくいと思った方は何とか数十ページ耐えてください。その後の文体
は物語自体好きになれなくても翻訳レベルだけで感動するはず(笑)
Posted by ブクログ
名作だとは知っていながらも、どんな話か、どんな小説かは知らなくて手に取ってみた。
主人公の日記を読んでいくスタイルで、最初はどうしても読みにくくて…しばらく時間を置いてからもう一度読み始めた。
チャーリーの知能が変わっていくのを文面から読み取れて、こういう感じね!とわかってから、先が気になって一気に読み進めた。
生きていく上で知能も大切だけど、純粋な気持ちとか素直さとか笑顔とか、失ってはいけないものってたくさんあるなと気がつかされた。大人になる程知能がつく分、人の嫌な部分もたくさん見えてきてしまうから、失いやすい。
もう一度最初から読みたい!
Posted by ブクログ
分かってはいたけどやっぱり初めの方が読みずらかったから時間がかかってしまった笑
初めが読みずらかったからこそチャーリーの成長が見られて困難などが分かりやすかった
私は感動よりハラハラの部分が大きかった。
Posted by ブクログ
あんなに虐げられてたお母さんを知能が高くなっても「許す」ことができる、、、チャーリーの優しさが残っているシーンがぐっと来た。対立とか理不尽が目につきやすい世の中だけれども真の優しさを持った人間になりたい、なれるかな?と考えさせられる作品でした。
Posted by ブクログ
チャーリィの能力の変化が、用いる言葉の変容から読み取れる構成が印象的だった。頭が良くなって周りの人にただ愛されたい、受け入れられたいという純粋な希望が、賢くなることによって反対に遠ざかっていくのが読んでいて苦しくなった。アルジャーノンの存在は彼にとって、自分の未来を示唆する、恐ろしさを感じさせる存在であり、最後の心の支えであったのだと思った。
Posted by ブクログ
高校生のときか,大学生のときか,とにかく若かったころに一度読んだことがある.
でも「名作」と聞いて手に取ったその本のこと,あまり覚えていない.
いや,むしろ何にも残っていなかった.
面白くなかったな,って感想だけが,なぜかくっきり記憶にある.
で,いまの自分で再読してみた.
結論から言うと,やっぱり今回も物語として「めちゃくちゃ面白い!」とは思わなかった.
でも,読後に残ったものはまるで違った.
むしろ,今じゃなきゃ読めなかったな,と思っている.
この本,SFの皮をかぶった,社会と人間の構造暴露本みたいなものだ.
チャーリーという知的障害を持つ青年が,手術によって“賢く”なる.
その過程と,その先に起きるすべてが,超SFなのに,確実に「痛い」.
手術を受けて天才になるチャーリーは,お金も名声も得る.
けれど,それは彼に「与えられた」ものではなかった.
実験体としての“ご褒美”であり,「人としての尊敬」とはまるで違う.
彼の価値は,人間としてではなく,“成果を出す存在”として測られた.
まるで実験ネズミのアルジャーノンと同じように.
じゃあ,チャーリーはその“ご褒美”を受け取って幸せになったか?
全然違う.
むしろ,彼が知性を手に入れたことで起きたのは,周囲の人間たちからの拒絶だった.
昔は笑いのネタにされながらも,パン屋の仲間たちに混ざっていた.
けれど今度は,「バカにされた」「見下された」と感じた人たちが,チャーリーから離れていく.
「現実」を突きつけられるのはここからで,
実はチャーリー自身も気づかないうちに,他人に“痛み”を与える側になっていくのだ.
彼の賢さや物言いは,それまで彼と同じ立場だった人たちにとって,今度は「おまえはもう俺たちの仲間じゃない」と突きつけるものだった.
そう.
かつて見下された彼は,今度は誰かを見下す側に,無意識のうちになってしまっていた.
なんだろうな.
この「見下し」の構造が,ずっと物語の中でぐるぐるしている感じ.
そしてそれが,なんかいまの社会とも,めちゃくちゃ符合してしまう諦念.
technocratって言葉がある.
専門知やテクノロジーを崇める人たちのこと.
もうひとつは,meritocracy.能力主義のことだ.
このふたつが支配する世界では,人間の価値は「できるかどうか」で測られる.
『アルジャーノンに花束を』は,その構造を見事にぶち壊してくる.
できてもダメ,できなくてもダメ.
人は成果があるときだけ「人」扱いされる.
成果がなくなったら,また「向こう側」に戻される.
チャーリーがそれを,全身で体験していく.
で,ふと思った.
これ,もしかして「いま怒ってる人たち」に通じてる?って.
いま,世の中にはテクノクラートやエリートに怒ってる人たちがいる.
トランプ支持者とか,陰謀論にハマってる人とかが,
「クソったれのインテリ野郎!」って怒っている.
で,考えた.
彼らこそ,もしかして“チャーリー”なんじゃないか?
共感されたい.必要とされたい.
でも見下されてきた.バカにされてきた.底辺をはいつくばって,無き者とされてきた.
怒りはその裏返しなんじゃないかって.
でも,違うのは,
チャーリーは「つながり」を求めた.
「ともだち」が欲しいと言った.
怒りじゃなくて,誰かといたかったんだ.
一方,今怒ってる人たちは,
怒りのまま「こっち側」と「あっち側」に線を引く.
「正しい痛み」から出発してるのに,「間違った場所」に向かってる.
それが,今の社会のねじれで,やるせなさだと思った.
それを嘲笑し,恐れる側もね,圧倒的に共感する力がないんだ.
そして,もうひとつ驚いたのは,
こんな構造を1960年代に描いていたDaniel Keyesの洞察力だ.
いま僕たちが「分断社会だ」「能力主義がきつい」とか言ってること,
彼はとっくに見抜いて,チャーリーに全部語らせてた.
獲得する喜びと傲慢,失う事への恐れと諦念.
人生下り坂にさしかかった今だからこそ,得られた感想じゃない,これって?
そして,傷ついた人が,知らないうちに誰かを傷つけてしまう構造だったり.
賢くなったらなったで,「こわい」と思われる孤独だったり.
誰かの「ともだち」になりたくても,それすら叶わない社会の不器用さだったり.
人は,賢くてもバカでも,
「必要とされたい」「誰かの役に立ちたい」と思ってる.
でも,その気持ちを科学も制度も,まだ受け止めきれていない.
アルジャーノンに花束を手向けなくてはならないのは,ぼくたち自身なのかも.
Posted by ブクログ
ぼくの代わりに花を添えてください 脳手術により飛躍的に知能が向上した実験用ネズミのアルジャーノン。知能障害を持つチャーリー・ゴードンはアルジャーノンと同じく脳手術を受ける。
チャーリーは賢くなりたかった。賢くなれば周りの役に立てると思っていた。そして手術は成功、チャーリーの知能指数は爆発的に伸びていく。しかし、知能に精神的な成長が追いつかない。人との関わり方が解らない。
手術前には感じなかった孤独に苛まれる。知能は伸び続け、ついにはチャーリーを手術した医師や大学教授さえも超えてしまう。そしてアルジャーノンに異変…。
一人称の日記形式で物語が進む。チャーリーの知能がどんどん伸びていく様を日記の文体の変化で表す。作中に胸に刺さる言葉が多い。
「知能というのはテストの点数だけではありません。他人に対して思いやりをもつ能力がなければ、そんな知能など空しいものです。」 -p4
「金や物を与える人間は大勢いますが、時間と愛情を与える人間は数少ないのです。」 -p337
「大学へ行き、教育を受けることの重要な理由のひとつは、今までずっと信じこんでいたことが真実でないことや、何事も外見だけではわからないことを学ぶためだということを僕は理解した。」 -p118
大学で教育を受ける理由って何だろう そんなことも考えさせられた作品だった。
Posted by ブクログ
チャーリィの報告書という体で話が進んでいくのですが、賢くなる手術を受ける前と後で文体や使われている語彙に大きな差があることが日本語でも上手く表現されていて、原作ではどう表現されているのかが気になりました‼︎手術を受けたからといって、チャーリィがチャーリィという人間であることは何も変わりないはずなのに、実験者側の人々がチャーリィを実験動物のように扱っていることに気づいてしまい激怒するチャーリィの気持ちがとても苦しく思えました…。どうしても知能の低い人を下に見てしまう自分の心の醜さを突かれました…。
匿名
言わずと知れた名作。
書き方も独特で、ある出来事がきっかけで運命が狂わされた主人公の心情が丹念に描かれている。
真実は恵みなのか、それとも呪いか。
切なくて胸が苦しくなるような作品が好きな人にオススメしたい
Posted by ブクログ
知的障害を持つチャーリィは、周りの友達のように賢いと思っていた青年だった。手術を受けたチャーリィは、誰よりも賢くなったが...。様々なメディアで放送されている名作なので、多くの方がご存知でしょう。本書のあとがきで翻訳者が若い時、大人になった時、老いた時、読んだときの印象が違うと書かれていました。チャーリィは賢くなって何を得て何を失ったのか、人にとっての幸せって何なんだろうかと考えさせられる本でした。
Posted by ブクログ
名前だけ知ってた名作をとうとう読破。
幼児並の知能しか持たないチャーリー ゴードンは実験的に行われた脳の手術を経て通常より高いIQを手に入れた。
術後、彼は望んだ通りに読書を楽しんだり、知識や自分の考えを言葉にする力を手にいれた。
また、キニアン先生を通して異性を魅力的で愛したいと思う気持ちも持つようになった。
しかし、代わりに自分が周りから蔑まれバカにされていた事実や、幼い頃のチャーリーに起こった母親からの仕打ちを自覚し傷つく。
たぐいまれなる頭脳を後天的に持ったチャーリーの話を読み進めると、本当に怒涛の人生という感じで衝撃だった。
知的障害者の視点に立って書かれた小説を読んだのは初めてだけど、ものすごく集中して読んだ。
感化されて、読んでる間は感情的になり情緒不安定だったかもしれない。
主人公の視点で物語を書いた著者はいったいどうやって彼らの視点を理解し言語化したのだろう。
Posted by ブクログ
知的障害をもつチャーリー、難しいことはできないがパン屋で働きながら一生懸命勉強をしようと努力していた。そんなある日センターで知的障害を改善する研究が進められた。その被験者となったチャーリーは徐々に知能が改善されていった。しかし同じような実験を行った被験動物である白ネズミのアルジャーノンに奇妙な変化が訪れていく。
題名や知的障害者の話であることはなんとなく知っていた。
何年か前にドラマ化されたしとても有名な小説
だけど手を出さなかったのは自分が知的障害者にいい思い出もないので読むのに躊躇していた部分がある。
だけど今回ふとしたきっかけがあり読むことにした。
なんというか…ハッピーエンドともバッドエンドとも言えない、捉え方は人による気がする。
自分的にはバッドエンドよりと思った。
手術で天才となったチャーリーが後退していく知能をなんらかの対策を練り押し留めてくれたなら完全なるハッピーエンドと感じた。
だけど知的障害が悪というわけでもないという捉え方をすると、元に戻っただけのこと、天才の時に忘れ去られた優しい心を取り戻したと考えて、ハッピーエンドと捉える人もいるのかもしれない。
チャーリーはチャーリーだけどどっちのチャーリーが好きなのかで変わる。
天才すぎても知能が低すぎてもよくない、その真ん中ぐらいで知能レベルが止まればよかったのにと強く思った。
翻訳本ではあるが読みやすい、だけど一人称でストーリー進むのにチャーリーが変わったことで読みにくいような印象を持った。
ところどころで知的障害者の扱いで酷い描写があり読んでいて気持ちのいいものではないが苦手だった知的障害者に対して捉え方が変わったので読んで損はない一度は読んでほしい小説です。
Posted by ブクログ
ドールにゴミを食べさせて人格成形を行うスマホゲームが出たときに話題になったので読んでみた。長く続く話題作なのでと、ページを捲ってみたらびっくり。なんと読みにくい。次第に読みやすくはなるものの、あまり感情移入はできず、伝えたいことはふんわりと伝わるが、深い感銘を受けるようなものではなかった。生活している中で勝手に各々認知している人間の中の階級と、それを知らぬまま幸せに過ごしていた主人公が真実と向き合った後もやさしいまま、というようなお話だった。きっとハッピーエンド。
人間の悲哀
IQと人間性とは関係のないものだと思う。チャーリーが彼らしく生きることがベストだった。母親の愛情は歪んでいて、安らぎどころか恐怖でしかなかった。職場でも、妬みや軽蔑の的であった。結局、彼の居場所は何処にもなかった。なにが幸せなのか、最期までわからなかった。私もアルジャーノンに花束を供えたい。
Posted by ブクログ
泣けると言うよりかは、悲しい…悲痛…
チャーリーが心から純粋に学びたい。と思っていた気持ちは母親に愛されたいがゆえ。
人類初の実験体となり数ヶ月で望んでいた最高の知能を得ることができたのに、そのことによって、母に傷付けられていた辛い過去を思い出す。そして、賢くなったことにより、周りが今までどんな風に自分を見てきて接していたのか…自分がどれだけおろかだったのか…突きつけられる現実。そして失うもの。賢くなった分、孤独になる…。
さらには頭脳は継続的なものではなく、衰退(急激に)していくものだと、アルジャーノンを見て気づく…そして、それは現実となる。
悲しいことしかないじゃん。
せめて、母親に会いに行ったときに母が受け入れてくれたなら…って思う。
本当に悲しすぎる…