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3.0時は戦国。出羽に生まれた民治丸に課せられたのは、闇討ちにあった父の仇討ちを果たすという使命。しかし民治丸は身体も小さく、通常の手段では、仇に勝つほど剣術で強くなることは難しい。いかにすれば、力弱き者が強き者に勝てるのか。過酷な修行のなかで、民治丸は神託を得て「居合い」という全く新しい剣術を編み出していく。そして民治丸は、林崎甚助と名乗り、仇・坂上主膳を追って旅に出る。やがて青年剣士は、京の都へ。しかし坂上主膳は、梟雄として名高い戦国武将・松永久秀の家臣となっていた……。奸智に長けた松永久秀をも相手に、甚助の仇討ちは成就するのか。スピード感溢れる文体で、居合いの始祖・林崎甚助の若き日の活躍を描いた、痛快剣豪エンタテインメント小説。
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3.7戦国の世に、井伊家の領主となり井伊直虎を名乗った女性がいた。天文十三年、井伊家の当主・直盛のひとり娘の祐の運命は、その年を境に激変した。井伊家家老の裏切りにより、今川義元に謀反の疑いを持たれた、井伊直満と弟の直義が、駿府で生害させられたのだ。井伊家は、命を狙われる直満の子・亀之丞の秘匿を決行。許婚の亀之丞と引き裂かれた祐は、出家を決意し、次郎法師を名乗るが──。直虎の生涯を描いた傑作歴史長篇。 ※この作品は、二〇〇六年一月に新人物往来社より刊行されました『女にこそあれ次郎法師』を文庫化にあたり加筆・推敲し、改題したものが底本です。
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4.0幼いころに徳川家康の家臣・服部半蔵に命を救われた瑠璃。 その時、半蔵が見せた薬草の使い方に興味を持ち、 保護された村で出会った師匠から本草学の書籍をもらい受け、薬師になる夢を膨らませる。 その後、家康の祖母に小間使いとして仕え、本草学の知識を生かして体に良い茶を煎じる日々を過ごす。 半蔵もそんな瑠璃を気にかけ、何度も様子を見に来ていた。 一方、今川家での人質として暮らしに鬱屈していた松平元康(徳川家康)。 今川義元の姪(瀬名・築山御前)との望まぬ婚姻が決まり、その報告に祖母の家を訪れる。 そこで、出会ったのが小生意気な少女・瑠璃だった。 その後、時代は流れ、桶狭間の戦いを経て戦国大名へと昇り詰めていく家康。 しかし、決して安穏な日々ではない。武田信玄による三河侵攻、織田信長からの圧力・・。 そして重要性を増す瑠璃の師匠がもつ各大名の病状と処方箋を記した覚書の存在。 心労の絶えない家康の傍らで瑠璃は茶をそして薬を煎じて支える。 戦国乱世において、家康の体調や精神を支え、共に歩んだ女性の物語。
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3.0徳川家康の陰のブレーンとして、その知謀を天下取りのために如何なく発揮した本多正信。79歳で没するまで、約40年という歳月を家康の頭脳の一部として送った彼は、まさしく真の補佐役だったといえる。三河一向一揆で主君に反旗を翻した男が、流浪の日々を経て帰参したのは、40代になってからであった。自らを不忠の臣とする思いを払拭できない彼は、その後は家康を主人としてではなく、師として仰ぐことを誓い邁進する。甲州計略、江戸の町づくりと家臣の知行割りなどに手腕をふるい、君臣の二人三脚は「水魚の交わり」といわれるまでにいたる。そして、豊臣氏から天下を奪い、徳川幕藩体制を盤石なものに築き上げていく。本書は、一度は背いた男を最高のパートナーにした主君と、献身的な忠誠で才能を遺憾なく発揮し続けた補佐役の生涯を、歴史に取材しつつ“組織と人間”の問題を描き続けてきた著者ならではの筆致で、みずみずしく描いた歴史小説である。
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4.0「おなごはいくさの役には立たぬかもしれぬ。 だが、もっと大きな働きで陰の役割を担うこともできるのじゃ」(徳川家康) 関ケ原後、いまだ不穏な動きを見せる奥州。 家康の画策で津軽藩主・信枚に嫁いだ満天姫。 慣れない最果ての地での正室としての暮らし。 前夫である福島家の息子の存在。 襲い来る飢饉。 信枚への想い―― そして大切な人たちの死。 すべては江戸と津軽のために。 これは――女の関ヶ原! 「争うよりも、相手の真心を引き出し、いかようにして味方につけていくか。そこに思いをいたさねばならぬ。相手ではない。自らの生き方にかかわることじゃ」(満天姫) 波乱に満ちた家康の養女の生涯! 巻末には、直木賞候補でいま大注目の作家・永井紗耶子氏による特別解説を掲載!
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3.0世は梟雄・松永弾正(久秀)が台頭し、戦国の乱れが深まる時代――忍者の里として知られる伊賀では、人間離れした手練れの忍術を遣い、「闇の仕事」を請け負って乱世をしたたかに生き抜いた男たちがいた。伊賀者・遠山太兵衛は、遙か遠くを見通す「天眼通」、人の心を読む「他心通」など、厳しい修練で会得した特殊能力によって、一人の主君を求めずに己の力だけを頼りに生きる。他の忍者集団との激しい死闘、戦国大名を罠に嵌める見事な手口など、自由と背中合わせの危険のなかで闘い続ける太兵衛らの生き様は、手に汗握る波乱の展開に息つく間もない。歴史小説・剣豪小説の大家である著者が、「史実」に近い伊賀忍者の実像を踏まえつつ、極上のエンターテインメントに仕上げた長編小説。既存の忍者像を一変させ、緊迫の展開に胸躍る傑作に仕上がっている。
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3.7
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-元禄初期の長崎・出島。若き通詞(通訳)である浦恒助は、鎖国の息苦しさに耐えながらも、広大な海の彼方へ夢を馳せていた。そんな中、発生したオランダ商人の不可解な密室殺害事件。この人工島では、人の出入りは厳重に監視され、奉行所の役人が腰に帯びる大小の他は、刀剣類の持ち込みも一切禁止されている。誰が、一体どうやって? 転び切支丹の同僚や、混血の美少女・お幸に疑いの目が向けられる。そして、当時の出島が抱えていた問題が次々と明らかになっていく……。 鎖国時代の長崎・出島を密室に見立てた時代推理小説の名作。 ●多岐川恭(たきがわ・きょう) 1920年福岡県生まれ。東大経済学部卒。戦後、横浜正金銀行をへて毎日新聞西部本社に勤務。1953年『みかん山』で作家デビュー。『濡れた心』で第4回江戸川乱歩賞を、翌年には短編集『落ちる』で第40回直木賞を受賞。以降、推理小説と共に時代小説も旺盛に執筆した。
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-一膳飯屋「しみづや」の新助は深傷を負ったまま、江戸を発つことを決意。薬売りに身をやつし、おさよと共に、因縁の地・荘内藩へと向かう。だが刺客の魔の手はすぐそこにまで迫っていた。そして、水野越前守忠邦が企む三方領地替えの行方は……。「品川しみづや影絵巻」シリーズ完結篇。電子オリジナル作品。 ●倉阪鬼一郎(くらさか・きいちろう) 1960年、三重県伊賀市生まれ。早稲田大学第一文学部文芸専修卒。同大学院文学研究科日本文学専攻博士課程前期中退。在学中に幻想文学会に参加、1987年に短篇集『地底の鰐、天上の蛇』でデビュー。印刷会社、校閲プロダクション勤務を経て、1998年より専業作家。第3回世界バカミス☆アワード(2010年)、第4回攝津幸彦記念賞優秀賞(2018年)。ホラー、ミステリー、幻想小説、近年は時代小説を多数発表、オリジナル著書数は170冊を超える。
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-十五世紀、室町幕府より関東の統治を任されていた足利家は、鎌倉に拠点を置いていたものの将軍家の部下でいることを嫌い、いつのまにか「公方」と名乗り、自らの勢力を築こうとしていた。そのため、足利家を補佐していた上杉家が関東管領として鎌倉公方と対立する事態となっていた。 上杉家は山ノ内・扇ガ谷家ともに鎌倉公方と対立し、争うことになる。そうした時代にあって、扇ガ谷上杉家の家宰である太田家はよく主家を助け、なかでも資長(道灌)の才と力量は群を抜いていた。やがて鎌倉公方・足利成氏は下総・古河に逃れ、資長は切望していた江戸城を手にいれる。そして鎌倉奪回を図る成氏たちを相手に、他の武将たちとともに戦い抜いていった。 一方、成氏の動きに危機感を抱いた京都の将軍・義政は、異母兄を関東公方として京都から下向させる行動に出る。加えて、山ノ内上杉の家宰相職を求めて長尾景春が乱を起こし、関東はさらに混迷を極めることに……。 関東の戦国初期、東国武士たちの動きを太田道灌中心に描いた力作。
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4.3戦国最強の騎馬軍団を膨大な数の鉄砲で打ち負かしたとされる「長篠の戦い」。 だがそこには、それぞれの武将の深い思惑が働いていた。 長篠城の奥平信昌はどうして武田を裏切って徳川方についたのか。 内藤・馬場・山県ら武田の勇将たちは無駄な特攻をなぜ敢行したのか。 家康・酒井忠次主従は何を期して奇襲軍を出したのか。 信長が仕掛けた罠とは何だったのか。 勝頼は絶対的に不利な状況で、なぜわざわざ攻撃を仕掛けなければならなかったのか。 そして、長篠の戦いの最大のヒーローとも言える奥平勢の足軽・鳥居強右衛門の活躍とは。 最強合戦の真実に迫る書下ろし歴史小説!
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-慶長20年(1615年)3月、戦乱の気配が再び漂い始める。前年の暮に成った、いわゆる「大坂冬の陣」の和議が早くも崩れようとしていた。和議の条件で棄却された二の丸、三の丸の堀や柵が再建され始めていたのだ。それに対し徳川方は、牢人の解雇か豊臣家の移封を求めるが、豊臣家はそれを拒否。徳川と豊臣はついに手切れとなった。総勢15万を下らない徳川方に対し、豊臣方はその約半分。しかも「冬の陣」のときと違って、堀のない城では豊臣方は打って出るしかないのだ。──緒戦で命を懸けて戦う後藤又兵衛や藤堂高虎、浅野長晟。豊臣を滅亡させることを躊躇う徳川家康。牢人集を制御できない大野治長。乾坤一擲を狙う真田信繁。呪縛を乗り越えようとする豊臣秀頼。諸将の思惑が入り乱れるなかで、いよいよ戦乱の世の終止符が打たれる!
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3.7鎌倉源平大河ロマン! 13人衆一の洞察力に優れた武士梶原景時が見つめた、峻烈の人頼朝×戦の申し子義経 乱世の光と影、そして生と死。なぜ兄は弟を拒絶したのか? 武者たちの世が拓かれた時― 天は晴れ、潮の匂いが濃かった。しかし濃密な潮風をもってしても拭い消せぬ異臭が、浜に置かれた黒漆の櫃からは溢れ漂っていた。 義経の首級は美酒に浸され、櫃に封じこめられているのだった。(ぶざまではないか。みじめではないか)景時の胸にこみあげるものは、不思議な怒りであった。 (あれほどの天賦の才を……)景時は、くやしかった。なぜ、九郎義経は、死ななければならなかったのか。[本文より] これまで義経を讒言した悪役とされてきた景時に光を当て、頼朝と義経の新たな姿を描く歴史小説、ここに誕生。
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4.0
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3.3
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-この物語は前作「遺恨の刃 番外紅白試合」の続編だが、時代背景は変わり、前作とはかなり趣の異なる作品になった。ただ、前作をご存じない方のために、ここに至る経緯を盛り込んだので、独立した作品としてお読みいただいても差支えはないと思う。 前作で武士の一分を立てた主人公は、戊辰戦争が始まると、徳川方として藩兵を率い、旧幕軍と合流して戦塵の中を駆け巡る。錦旗を押し立てた新政府軍に外様大名はおろか親藩、譜代大名まで続々と恭順する中で、藩兵を外征させてまで徳川家を守ろうとした藩など史実にはない。諸藩の大多数はお家大事だった。 過去に天下を争った源平の合戦も関ヶ原の合戦も二大勢力の激突だった。それに比べると、戊辰戦争の勢力不均衡は目を覆うばかりだ。徳川幕府二百六十年の太平に慣れ、武士の多くがサラリーマン化し、潔さ、廉恥という魂が薄れたこと、鎖国によって国際情勢にほとんど無知だったこと、貨幣経済の隆盛を横目に米穀経済を中心に据えたままだったこと、などが徳川幕府衰退の原因であろう。(あとがきより) 【著者プロフィール】 秋草 圭介(あきくさ・けいすけ) 1949年 栃木県佐野市生まれ 宇都宮市在住 元新聞記者 武産合氣道会師範八段 居合道無双直伝英信流三段 Eメール:akikusakeisuke@snow.ucatv.ne.jp
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-「うめはあれ以来、自室に閉じこもったままだった。たまに廊下ですれ違っても、俯いたままで、しゃべることはない。食事も喉を通らないらしく、ふっくらした頬の肉は落ち、胸も肩も薄くなった。隼人にはうめのつらさが身に染みた。慰めの言葉もない。なんと残酷な。このままでは絶対に済まさぬ、と決意を固くした。」(本文より) 江戸時代末期。早世した兄に代わって家督を継ぎ、宮仕えの身となった粟宮藩の若き剣士・中村隼人。彼は上司であり、出世街道を駆け上がる能吏にして豪剣の遣い手・桑田甚兵衛から屈辱を受けながら、藩政の裏にうごめく怪しい影を感じていた。そんなある日、妹・うめの婚約者が斬殺死体で発見される——犯人は、一体だれなのか? 重厚な筆致で描く、ミステリー仕立ての時代小説! 【著者プロフィール】 秋草 圭介(あきくさ・けいすけ) 1949年 栃木県佐野市生まれ、宇都宮市在住。 元新聞記者。 武産(たけむす)合氣道会八段師範。 居合道無双直伝英信流三段。 Eメール:akikusakeisuke@snow.ucatv.ne.jp
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4.3
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3.0幕末に活躍した人物の中でも、ひときわ異彩を放つ渡辺崋山。「遠近法」を取り入れて、日本美術史に新境地を開拓した画家として有名な彼だが、実はれっきとした大名家の家老である。1万2千石の小藩ながら、東海の田原藩の経営再建に尽力し、農政家を招いて領民の生活安定に心を砕き続けた。その手腕は、天保の大飢饉でも領民に餓死者を出さず、幕府から唯一表彰を受けたことからも分かる。崋山の才能は、それだけに止まらない。江戸藩邸では、高野長英や小関三英など、蘭学者との交流を通じて西洋の新知識まで蓄えた。まさに多才にして「異才の改革者」だったのである。更にその視野は日本を越えて世界にまで向けられたが、幕府の海防政策を批判した容疑で「蛮社の獄」に連座し、49歳で自刃に追い込まれてしまう。幕末初期の改革者だった崋山は、いかに守旧派と闘い、自らの信念を貫き通したのか? 時代の先駆者の生涯に学ぶ一冊。
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3.6
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3.0
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3.0
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-なぜ石田三成は大垣城を捨ててまで関ヶ原で野戦に挑んだのかなど、関ヶ原合戦の西軍にまつわる四つの謎について徹底解説。三成が企図していた驚くべき戦略と、西軍敗北の原因が見えてくる。
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-石田三成の挙兵に際し、対照的な行動をとった三成の朋友、増田長盛と大谷吉継を紹介! 家康弾劾状の発起人に名を連ねる一方で、家康方と内通していた長盛、友のため病をおして参戦した吉継。三成と共に豊臣政権を支えた二人が道を違えた理由とは?
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-石田三成ら文吏派と、加藤清正、福島正則ら武功派――豊臣政権の両輪として活躍した彼らは、朝鮮出兵を境に対立。その憎悪は激しく燃え上がり、武功派による三成襲撃事件へと発展してしまう…。政権崩壊を招いた確執の原因を検証する!
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-石田三成と志を一つに、豊臣政権の存続に尽力した、小西行長と宇喜多秀家を紹介! 非武士の身分から大身の大名にまで出世した行長、秀吉の養子として厚い寵愛を受けた秀家――豊臣家からの恩顧に報いんと、家康に抵抗した男たちの生き様とは?
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-日本戦史上最大の野戦、関ヶ原合戦を誘引した石田三成の蹶起を徹底分析! 「専横極まる徳川家康への対抗」「豊臣家の護持」など、義挙として語られがちな三成の行動に、正当性はあったのか? 当時の政治状況を精査し、歴史の真実をあぶり出す!
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-豊臣秀吉、前田利家の死後、徳川家康の専横が顕著になるにつれ、五大老は分裂状態に陥った。家康との対決を決意した石田三成は、分裂状態を逆手に取り毛利・宇喜多らを反家康勢力に取り込んでいくが…。関ヶ原合戦に臨む五大老たちの思惑と野望とは?
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-行政手腕に優れ、豊臣政権の中枢を担った五奉行。その中でも秀吉が最も寵愛したのが石田三成である。秀吉の死後も豊臣家に忠誠を誓う三成であったが、他の四人の心は揺れ動いていた…。やがて迎えた関ヶ原合戦、五奉行たちが下した決断とは?
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-秀吉をして「自分と同等の才能を持っている」と言わしめた石田三成。財政に才幹を発揮した三成は出世街道をひた走り、五奉行随一の実力者にまで上り詰める。能吏として東奔西走した青年期、家康との対立、そして運命の関ヶ原へ――三成の生涯を活写する!
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4.0闇から闇へ“人を助ける”仕掛け人! 慶応元年の横浜。世界中を旅する実業家のハインリヒは、外交官しか立ち入ることができない江戸へ行くことを望んでいた。 だがこの頃、いまだ外国人が日本人に襲われる事件はなくならず、ハインリヒ自身もまた、怪しい日本人に尾行されていた。 不安を覚えたハインリヒは、八か国語を流暢に操る不思議な日本人青年・秦漣太郎をガイドに雇う。そして漣太郎と行動をともにする中で、ハインリヒは「異人の守り手」と噂される、陰ながら外国人を守る日本人たちがこの横浜にいることを知り――。 手に汗を握る興奮に、深い感動。大エンターテインメント時代小説、ここに開幕!
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-鈴鹿の浮浪児が、野武士の頭領から一国一城の主となり、天下統一の野望に燃える。一世の風雲児・北条早雲の半生を、『人生劇場』の流行作家が描いた会心作。
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3.5千百年前から伊勢物語は読み継がれ、ふるくから在原業平はプレイボーイの代名詞だった。業平の「色好み」とはいったいどういうものなのか――多くの読者を獲得している『小説伊勢物語 業平』の著者が自ら小説に紡ぐうちに浮かび上がってきた「雅」という人間力に迫る! 「英雄、色を好む」ということわざがある。現在ではセクシャルハラスメントになりかねないが、長らく続いた男尊女卑の社会では、それをよしとしてきたことを表すフレーズとも言える。英雄ではないにしても在原業平もしばしばこの文脈でプレイボーイの代名詞として人々の口の端にのぼってきた。しかし、業平の「色好み」は単に女性との性愛に執着することとは違うのではないか――見えてきたのは、現代にも通じる豊かな人間関係を構築できる能力だった。そして「雅」とはその能力に裏打ちされた人間的な余裕だとも。社会が多様性を認めることを人々に求める現代人にこそ、その優れたコミュニケーション力を、業平から学ぶところは大きい。 伊勢物語は恋愛の教科書ともしばしば言われる。つまるところ、男はいい女に育てられ、成長した男がいい女を育てる、それも思いを歌に詠むことによって。それゆえに言葉のコミュニケーション力の高さが求められる。その能力は恋愛以外の人生も豊かにするものになるだろう。
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-吉良上野介は本所松坂町で討たれていない!? 赤穂浪士の襲撃に備えて周到な準備をめぐらせ、逃れたのだ。だが、智恵者の城代家老・大石内蔵介はそれを上回る万全の体制を整える。 「吉良が逃げるとしたら、実子が藩主である米沢だろう」と考えた大石は、家老仲間の大野久郎兵衛に討ち入り組の別動隊「影の組」を組織させ、陸奥での後詰めを依頼する。 薄雪が積もった福島・米沢国境の板谷峠。久郎兵衛ら「影の組」が待機していると、吉良一行が現れ、壮絶な死闘に及ぶ。 「逐電家老」と呼ばれた大野久郎兵衛は何を思い、闘い、生きたのか。もうひとつの忠臣蔵、赤穂浪士たちの生き様を描いた傑作長編。
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-【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 尊皇攘夷の嵐が吹き荒れる幕末。半六は、若い頃に些細なことで人を斬り、藩を追われ博徒となった。別名「頼まれの半六」。文でも金子でも証文でも、恩義の依頼は必ず届ける任侠界の飛脚屋だった。自らを狙った追っ手を殺めたところ、その人物から金子と手紙を預かった。相手の元水戸藩士・佐野半弥が京都に向かったことを知り、東海道を進んだ。京都で岩倉具視の世話になっていた半六は、岩倉を襲撃した水戸浪士と戦い、そのなかにいた佐野と会う。剣を振るえばめっぽう強い半六が、渡世の義理で街道筋を駆け抜ける股旅物の快心作。