植松三十里の一覧
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ユーザーレビュー
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面白いが、将軍以降が少しかけ足かなあ。まわりの期待と手のひら返しされ大変だっただろうなあ。本心は難しい。
Posted by ブクログ
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16血湧き肉躍るという表現がぴったりの経済活劇やー。こんな偉人が市井にいたことを紹介してくれてありがとうございました。大して大作でもないのに上下巻にする本があるけど、これは内容盛りだくさんで上下巻でもよかったなあ。
Posted by ブクログ
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もう題材からして泣く本とは思っていましたが、悲しかった。物静かながら実直で素直な貞吉がやっと自分の道を見つけられて嬉しかった。
Posted by ブクログ
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戦争続きの激動の時代、天皇も大変だったんだなと思える話。明治維新から昭和の戦争に至るまでの経緯がよくわかり勉強になりました。
Posted by ブクログ
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一番最近だと、「別府温泉を日本一にした男」
少し前だと「かちがらす〜幕末を読み切った男、佐賀藩主鍋島直正」
植松三十里は静岡市出身。東京大学史学科卒。
平成15年に「桑港にて」で歴史文学賞受賞。
平成21年には「群青、日本海軍の礎を築いた男」で、新田次郎文学賞受賞。
その学歴を見ただけで、
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どれほど史実を丹念に掘り起こし物語に紡いでいく作風かが、しのばれる。
冒頭、慶喜こと七郎麻呂が5歳の時に、
下級武士であろうと重鎮であろうと一切の区別なく学べる場所をと
名君の評判高い父、徳川斉昭が作った、文武両道の藩校、弘道館がでてくる。
どうしても気を使われることが嫌で、最後に藩校を出る七郎麻呂。
雨のある日、下級武士の姉妹であろうかところどころ破れた傘を持ち、
兄を迎えにきた幼女をみて、仲良く二人で肩を濡らしながら帰るのを見て、
羨ましいと見つめる孤独な少年だった。
気を使われる剣術をこのまず、
自分の鍛錬次第でそのまま上達が見込める弓の稽古が好きだった。
先が読める囲碁が好きだった。
京都宮家の血を引く母と、光圀以来日本史の編纂をつづけ、
能力主義で身分に関わらず優秀な人物を登用した父斉昭の
いいところを受け継いだ5歳違いの兄と、
頭脳の優秀さも弓の巧みさも、思慮深さも、見た目の美しさも群を抜く子供であった。
思慮深く先を見通す利発な七郎麻呂は、
嫡男でなかったものの、どうしても斉昭が期待をし、手元に置いた。
本人は、常に旧来の門閥と揉めている水戸藩の現状をみるにつけ、立身出世は避けたかった。
ただの人で居たかった人物。
そして、進歩的で、江戸湾と違い外国船の往来を多く見る水戸藩は
外国に対しての戦いの練習も怠らなかったばかりに、
斉昭は危険人物とみなされ現実を見ようとしない幕府から疎まれ、
何度も謹慎処分にされ、慶喜も23歳で、養子先の一橋家を隠居にされている。
謹慎中に知り合ったのが、今でも名前が残る、火消し「新門辰五郎」無頼の親方だ。
そしてその娘お芳とは初めての恋愛感情を持ち得た相手であった。
本音で付き合う町人たちとの触れ合いが、楽しく笑顔にさせてくれる。
今まで、徳川慶喜関連の話題や本、歴史の教科書から、
何か納得のいかないものがずっと心に存在していた。
都から逃げ帰ったという不名誉。
真実は他にあるのではないか?
今年の大河ドラマ渋沢栄一の伝記にしても、
静岡県に残る慶喜の隠居生活の伝聞にしても、
とてもそんな人物とは思えなかった。
慶喜の母、吉子が晩年言うように、
「あなたは、歴代の将軍の中で権現様と同じくらい立派なことをしやりました。
権現様は250年も合戦のない世をつくらはりましたけど、
あなたも大きな合戦をせえへんで、新しい世の中に引き継ぎ張ったんですから。
あなたが権現様の再来ゆうのは、ほんまやと思います。
何事も始めるよりも終える方が難しいし、こないに立派な息子を持って、
母は心から誇らしいし、亡き父上も喜んではりますえ。」
そして、帝との再会で
「あの時、そなたが姿を消したからこそ、
都は(京都)戦火を免れたのだ。都どころではない。日本中が大乱から救われた。
しかし今持って、それに気づかぬ者が、あまりに多い。
だからこそ、こうして食事を共にしたのだ。」
こうして天皇の考えどおりに、将軍当時に追われた相手、
有栖川家の令嬢と息子が婚姻し親戚関係になり厚い交流が続くのだ。
合点がいくような植松三十里の「慶喜の本心」
付箋を貼りながらの、深い読書になった。
Posted by ブクログ
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