植松三十里のレビュー一覧
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表題作
咸臨丸といえば、勝海舟、中浜万次郎、福沢諭吉などの人物を乗せてアメリカへ渡った幕末の艦。
上記の有名人だけで船は動かない。この物語の主役たちは実質的に咸臨丸を動かした水夫たちである。
著者は咸臨丸に乗り組んだ水夫たちの名前を全て調べ上げたそうだ。すごい取材力!
表題作で歴史文学賞を受賞したのもうなずける力作だった。
咸臨丸のかたりべ
文庫のための書き下ろし。
主役は、咸臨丸に乗り組んだわけでもなく、身内に関係者がいたわけでもない一人の日本人の男。咸臨丸の渡米から数十年後に、サンフランシスコで故あって咸臨丸を調査し始めた。
本人のとてつもない努力とそれに伴い繋がれたご縁によって、咸臨丸 -
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安積開拓の歴史を疏水の父南一郎平の視点で書いた歴史小説。旧幕府軍側の地で、士族授産の夢を抱いた大久保利通、郡山の発展を願った中條政恒、阿部茂兵衛、私財をなげうち故郷の利水を願った小林久敬、会津市民の説得にあたったファンドールン、天才土木工学技士の山田寅吉、数々の利権や個性的人物たちの調整に尽力した南一郎平。日本の国家予算の1/3という明治維新後の大規模公共事業。3年と言う月日で猪苗代から郡山まで水路を作り、4千人から33万人都市への成長の礎となった安積疏水事業。人々の夢が結実した結果、今の暮らしがあることを再認識し、ありがたいことだと思う。面白かった。
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帝国ホテルに以前宿泊したことがあり、日本三大ホテルなだけあってサービスや建物がとても素晴らしい迎賓館だと感動した。そんなときに本書を知り、興味を持ったため読んでみたが、読みやすく想像以上に面白くて夢中になった。
帝国ホテルの歴史について、初代は渋沢栄一が設立したということぐらいしか知らなかった。
帝国ホテルライト館は、渋沢栄一と初代帝国ホテルを設立したときの片腕であった大実業家の大倉喜八郎により林愛作が支配人に抜擢され、設計を世界建築三大巨匠のフランク・ロイド・ライトに依頼した新館である。ライトの助手を遠藤新が務め、その後は息子である楽がライトの日本人最後の弟子となった。
ライト館はフランク -
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北海道民には聞き馴染みのあるカール・レイモンのソーセージ(贈答品としてが多いようですが)。
そのレイモンさんとその妻コウの物語。
実際の地名や大体の場所なども出ているので、地図で位置関係なども確認しながら楽しみました。
以前、函館に旅行した際、カール・レイモンのお店で買い物しましたが、あの場所は昔からの店舗だったのだと読んで知りました。
なぜ外国人が函館でソーセージを作ることになったのか、そしてそこでの苦労、レイモンさんの人柄や信念、コウの異国の人と結婚したことによる試練や夫婦の危機。
十分小説になりうる題材だと思いました。
そして日本ハムがカール・レイモンの味を引き継いだことも知り驚きました -
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久しぶりに丸善 丸の内本店に寄る機会があったので、「ジャケ買い」ならぬ「タイトル買い」で本書を購入。ページを繰れば今をときめく渋沢栄一が出てきて、更に彼の盟友、大倉喜八郎が出てくるではないか。大倉喜八郎はあらゆるジャンルの人にその名を知らしめる人物であるが、山登りをする人であれば赤石岳に至る「大倉尾根」(赤石岳東尾根)あるいは赤石岳への大名登山として知られている人物であり、自分もその一人であった。
本書の中心人物はフランク・ロイド・ライトと林愛作なのだが、物語の前半で上記有名人2人の登場となり自分はあっという間に釣られてしまった。更には舞台となる帝国ホテル東京は以前勤めていた会社のすぐ近くで、 -
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幕末に結ばれた不平等条約の改正は明治政府の悲願。そのための「鹿鳴館外交」だった。
日本はもうハラキリの国ではない、文化国家であると主張し、洋装でステップを踏みながらの外交。
特に、外交官の夫を持ち、貴族の出身である、鍋島榮子(なべしま ながこ)と、戸田極子(とだ きわこ)は「鹿鳴館の花」と称された。
しかし、鹿鳴館外交による条約の改正はうまく運ばなかった。
榮子は、最初の夫を十年間看病した。その後は条約改正という目標があった。これから自分は何をしていけば良いのだろう・・・と、人生の行く先が見えなくなってしまった。
そんな時、磐梯山の大噴火に際しての赤十字の救護に協力するよう、夫の鍋島直大(な -
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タイトルに惹かれて何気なく手に取ってみた本だけど、とても良かった。
大正期に仕事感の全く違う外国人とコミュニケーションを取るのは想像を絶するくらい大変なことだっただろう。日本古来の職人は自らの経験に基づいた感覚で作り上げる。一方の欧米人技術者は職人に対して要求を忠実に守ることを求める。日本の職人と海外からやって来た設計士や技師とのぶつかり合いは常に一触即発で、読んでいてハラハラした。よくぞ開業まで漕ぎ着けたものだ。
フランク・ロイド・ライトの名前や作品は知っていたけれども、彼の性格や作品に込めた並々ならぬ思いまでは知らなかった。帝国ホテル・ライト館は幾多もの難局を乗り越えて完成した、奇跡の -
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江戸時代、役人や身分のある流人が島妻を娶り、刑期を終えて本土に戻ることを許されても島妻は一緒について行くことができない。現代の感覚からすると理不尽なことだと憤りたくなるけれども、当時の奄美は薩摩藩に従属する立場であり、島の人々の地位が低かったことを初めて知る。
島妻の愛加那が西郷と暮らしていたのは3年にも満たない。二人は愛しあいながらもそれぞれが別々の思いを抱えているのが何ともせつない。西郷は国政を、愛加那は家族のことを。やがて帰還命令が下り別れの時が訪れる。
西郷が去った後の人生は愛加那にとって苦悩に満ちたものだったのだろうか。ユタという奄美の巫女が、本当の幸せとは自分がだれかの役に立つ -
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明治11年、1人のイギリス人旅行作家が日本人青年を通訳にし、日本を記録する旅に出た。
明治維新を経て、日本は欧州列強の仲間入りを果たそうと必死だった。
国の形、人々の風俗や生活、身なり、そして言葉を変え、近代国家を目指して奔走した。
しかし、たった10年で、人々の生活はそう簡単に変わらない。
地方の貧しい姿を日本の恥と捉え、その姿を世界に晒してほしくないと願う通訳と、貧しい姿が恥ではなく、それを見下す人がいることが恥だと諭した旅行作家……。
彼女が本を通して世界に訴えかけたかったことは何だったのか?
『日本奥地紀行』では描かれない2人の旅の物語 -
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ライト館の建築から明治村へ移築されるまでに、これほど多くの人が関わり、長い年月を要したことに驚きました。
日本人の技術の高さ、ライトの強い拘り、凄まじい労力の結晶を是非私もこの目で見てみたいし、諦めずに明治村への移築を実現してくれた方々に感謝をせずにいられません。
もし最後までライトが指揮をとり完全なるライト館ができていたらと思うと悔しいですが、膨れ上がった総工費がとんでもなく莫大で、むしろよくもっと早くに解雇されなかったなと、、、。
いくつもの困難を乗り越えながらもライト館が建築されたことも、それを明治村に移築されたことも、長い年月の中で途方に暮れて誰がいつ投げ出してもおかしくないのに実現に -
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とても読みやすくてグイグイと引き込まれて読み終わってしまいました。和紙が水を吸うように、どんどんとページが進んでしまうのです。
己の無知さを晒してしまうけれど、イザベラ・バードという紀行作家の事を今まで知らずにいました。
私は、実写映画化もされている人気漫画「ゴールデンカムイ」が大好きで、本書も、裏表紙のあらすじを目にして一も二もなく手にしました。
幕末から明治初期にかけての時代背景や人々の暮らしが、より鮮明に私の中で浮き彫りになりました。
イザベラ・バードの通訳として雇われたイトー。横浜から日本海側に向かい、新潟から北上して函館へ上陸。さらに海と山それぞれのアイヌコタンを訪れ、人々の素の生