植松三十里のレビュー一覧
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帝国ホテルライト館をめぐっての人間の執念のドラマが描かれている。
ロイド・ライトは、個人の中に、狂気が宿っているのかもしれない。
建築家というこだわりよりも、芸術家としてのこだわりが強い。
日本びいきで、日本の良さをどう自分のものにするのか?
帝国ホテルで、ロイド・ライトがチャレンジしたのは、
ライトの中にある「日本」というもののこだわりだった。
黄色のスクラッチブリックとテラコッタ。
スクラッチブリックを常滑で作り、帝国ホテルが直営のレンガ工場を作る。
それが、伊奈製陶に発展して行く。
穴のある軽い石 大谷石を選ぶこだわりと彫刻ができる。
ある意味では、日本人の匠の技量に期待すぎている面があ -
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書き下ろし
津田梅を描いた小説はいくつか読んだが、これが一番面白い。父親を一緒に描いていて、時代背景をいっそう生き生きさせ、感動的な場面もたくさんある。さすが植松三十里の筆の力。
佐倉藩士津田仙は、藩主堀田正睦が老中になったため、幕府のアメリカでの軍艦買い付けに同行し、アメリカの農業に注目して、西洋野菜を栽培、缶詰でもうけ、農学校を作って材を育て、農業雑誌で啓蒙に努めた。6歳の娘を留学させたのにはポリシーがあったのだ。しかし、日本語を忘れるような開拓使のというか黒田清隆のPRのための長期留学計画は無茶だったと思う。
留学生仲間には、戊辰戦争で徹底的に打ち負かされ領地を追われた会津藩の家老 -
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大正時代に建てられた帝国ホテルライト館。
その建設に関わった男達の熱い戦いを描く物語。
予備知識なし。
帝国ホテルは今の姿しか知らず、ライト館のような建物があったことも知らず、映像を調べ、その美しさに魅了されながら読み進めました。
経営陣と現場の人間、建築家達の気持ちの食い違いや葛藤が興味深かったです。
ライトと愛作が、最後まで関わることが出来ず、ライト館の勇姿を見ることもなかった可能性を考えると複雑な気持ちになります。
後世に残るものを作ることの素晴らしさをしみじみ感じながらの読書でした。
明治村に行き、移築されたライト館を見てみたいです。 -
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初出2017〜18年の月刊「歴史街道」
さすが植松三十里。感動の長編。
大正年間に建設された帝国ホテルライト館は、外国人をもてなす日本の迎賓館とすべく、日本古美術商の山中商会ニューヨーク店の林愛作を支配人に引き抜き、日本美術に深い理解があるアメリカ人ロイドに設計を頼み、ロイドに深く傾倒し東大の建築科を出たばかりの遠藤新を助手にして多くの時間と資金を費やして進められた。
大谷石がもてはやされるきっかけとなった石材のこだわり、黄色いレンガの特注の話も面白く、関東大震災を耐えた建物が、多くの日本人職人のプライドをかけたものであったことにも感動する。現在も評判の帝国ホテルのクリーニングの始まりのエ -
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白虎隊でただ一人、生き残った 飯沼貞吉。冷たい目を向けられ、死に損ないと罵られる日々を救ったのは、長州の楢崎頼三だった。「生きていて良かった」の温かい声に背を向け、身元を引き受け、将来の面倒まで見てくれた頼三に報いることもせず、ただただ立派に自害できなかった事を嘆くばかりの定吉。一人ぼっちになり、ドン底の暮らしを見た時、漸くその有難さに気づき、恥じていたものをさらけ出し、ようやく新時代へ目を向ける。定吉の故郷、家族への想いや、分岐点で出会う人たちが今だから語る会津への想いが胸を打つ。あぁ、頼三ににもう一度、会わせてあげたかった。
白虎隊に1人だけ、生き残った人がいたのは知っていたが、その後の事 -
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内助の功という言葉がありますが、文豪の妻という他人にはわからない立場であるが故の苦労は相当なものだったと考えられます。悪妻との定評?のある鏡子さんですが、これを読むと、良妻という一般的な見方が、漱石との夫婦関係には全く意味を成さないものであることがわかります。
少し前にテレビでドラマ化されていたのを見て、良かったので興味を惹かれて小説でも読んでみましたが、原作どおりだったことがわかりました。
癇癪持ちで妻子に暴力を奮うという、今だったらDVに相当する仕打ちも、幼少期の心の傷や、仕事や創作活動のプレッシャーが原因だと理解し、漱石が気持ち良く過ごせるように気を配る姿は、誰にも真似のできることではあ