植松三十里のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
一番最近だと、「別府温泉を日本一にした男」
少し前だと「かちがらす〜幕末を読み切った男、佐賀藩主鍋島直正」
植松三十里は静岡市出身。東京大学史学科卒。
平成15年に「桑港にて」で歴史文学賞受賞。
平成21年には「群青、日本海軍の礎を築いた男」で、新田次郎文学賞受賞。
その学歴を見ただけで、
どれほど史実を丹念に掘り起こし物語に紡いでいく作風かが、しのばれる。
冒頭、慶喜こと七郎麻呂が5歳の時に、
下級武士であろうと重鎮であろうと一切の区別なく学べる場所をと
名君の評判高い父、徳川斉昭が作った、文武両道の藩校、弘道館がでてくる。
どうしても気を使われることが嫌で、最後に藩校を出る七郎麻呂。
雨のある日、下級武士の姉妹であろうかところどころ破れた傘を持ち、
兄を迎えにきた幼女をみて、仲良く二人で肩を濡らしながら帰るのを見て、
羨ましいと見つめる孤独な少年だった。
気を使われる剣術をこのまず、
自分の鍛錬次第でそのまま上達が見込める弓の稽古が好きだった。
先が読める囲碁が好きだった。
京都宮家の血を引く母と、光圀以来日本史の編纂をつづけ、
能力主義で身分に関わらず優秀な人物を登用した父斉昭の
いいところを受け継いだ5歳違いの兄と、
頭脳の優秀さも弓の巧みさも、思慮深さも、見た目の美しさも群を抜く子供であった。
思慮深く先を見通す利発な七郎麻呂は、
嫡男でなかったものの、どうしても斉昭が期待をし、手元に置いた。
本人は、常に旧来の門閥と揉めている水戸藩の現状をみるにつけ、立身出世は避けたかった。
ただの人で居たかった人物。
そして、進歩的で、江戸湾と違い外国船の往来を多く見る水戸藩は
外国に対しての戦いの練習も怠らなかったばかりに、
斉昭は危険人物とみなされ現実を見ようとしない幕府から疎まれ、
何度も謹慎処分にされ、慶喜も23歳で、養子先の一橋家を隠居にされている。
謹慎中に知り合ったのが、今でも名前が残る、火消し「新門辰五郎」無頼の親方だ。
そしてその娘お芳とは初めての恋愛感情を持ち得た相手であった。
本音で付き合う町人たちとの触れ合いが、楽しく笑顔にさせてくれる。
今まで、徳川慶喜関連の話題や本、歴史の教科書から、
何か納得のいかないものがずっと心に存在していた。
都から逃げ帰ったという不名誉。
真実は他にあるのではないか?
今年の大河ドラマ渋沢栄一の伝記にしても、
静岡県に残る慶喜の隠居生活の伝聞にしても、
とてもそんな人物とは思えなかった。
慶喜の母、吉子が晩年言うように、
「あなたは、歴代の将軍の中で権現様と同じくらい立派なことをしやりました。
権現様は250年も合戦のない世をつくらはりましたけど、
あなたも大きな合戦をせえへんで、新しい世の中に引き継ぎ張ったんですから。
あなたが権現様の再来ゆうのは、ほんまやと思います。
何事も始めるよりも終える方が難しいし、こないに立派な息子を持って、
母は心から誇らしいし、亡き父上も喜んではりますえ。」
そして、帝との再会で
「あの時、そなたが姿を消したからこそ、
都は(京都)戦火を免れたのだ。都どころではない。日本中が大乱から救われた。
しかし今持って、それに気づかぬ者が、あまりに多い。
だからこそ、こうして食事を共にしたのだ。」
こうして天皇の考えどおりに、将軍当時に追われた相手、
有栖川家の令嬢と息子が婚姻し親戚関係になり厚い交流が続くのだ。
合点がいくような植松三十里の「慶喜の本心」
付箋を貼りながらの、深い読書になった。 -
Posted by ブクログ
以前「かちがらす」という幕末を読み切った男という副題の本を読みました。
この植松三十里さんは、丹念な取材と資料の読み込みにより、史実を第一にしながらも読み物としても十二分で、ハラハラドキドキ、感動を呼びます。
今回の時代は明治から昭和10年まで。
最初は油を売っていたが米屋に転身した実家。
小僧として働く。気働きができて、頑張り屋の少年、熊八。
子供時代からの米相場を皮切りに、経済のことをよく学び、一時は株で大儲けをする。
いったん、大負けして仕事を無くすが、縁あって別府温泉宿を譲る受ける。経済のことを学ぶために渡米した経験がある熊八。
ヒッチハイクをしながら全米を旅し書き溜めたノートを財産に、観光という概念を商売に繋げる。
港の桟橋をはじめとし、道の拡張や売りになる物を次々と開拓し、人を呼べる別府にかえてゆ変えてゆく。
そのバイタリティーのあふれる言動は、
時々時代を忘れてしまうほど。
痛快だし涙も誘われたり。 -
Posted by ブクログ
帝国ホテルライト館をめぐっての人間の執念のドラマが描かれている。
ロイド・ライトは、個人の中に、狂気が宿っているのかもしれない。
建築家というこだわりよりも、芸術家としてのこだわりが強い。
日本びいきで、日本の良さをどう自分のものにするのか?
帝国ホテルで、ロイド・ライトがチャレンジしたのは、
ライトの中にある「日本」というもののこだわりだった。
黄色のスクラッチブリックとテラコッタ。
スクラッチブリックを常滑で作り、帝国ホテルが直営のレンガ工場を作る。
それが、伊奈製陶に発展して行く。
穴のある軽い石 大谷石を選ぶこだわりと彫刻ができる。
ある意味では、日本人の匠の技量に期待すぎている面があるが、やり遂げる。
スクラッチブリックとテラコッタと大谷石で、
組み立てて、そのままコンクリートを流し込む。
子供の頃の積み木が好きな ロイド・ライトらしい発想。
そして、浮き構造によって、地震対策をする。卓越した能力。
それにしても、こだわることで、建設費はどんどん増えて行くが、
あまり気にしていない胆力が素晴らしい。
ロイド・ライトと知り合った 林愛作。
この男、セレンディピティに優れている。
京都のたばこ王、村井吉兵衛に連れられて、アメリカに渡る。
アメリカの富豪 ミスリチャードソンと会い、奨学金など援助を受ける。
山中商会の創業者、山中定次郎とばったりあって、入社する。
そして、ロイド・ライトと知り合いとなる。
渋沢栄一と大倉喜八郎に、帝国ホテルの支配人として要請される。
赤字の帝国ホテルを立て直し、ロイド・ライトに帝国ホテルの建築を依頼する。
人の繋がりでは、どんどんと引き上げられて行く。
芸術家ロイド・ライトを守るために、全力をあげる。
覚悟を決めて、リスクを負うことで、困難を突破する。
別館の火災、本館の火災にあって、結局は帝国ホテルを辞することになる。
遠藤新の生き方も、西洋建築の模倣に飽き足らず、
それをどう突破するのか、悩んでいたことが、林愛作そしてロイド・ライト
に師事し、タリアセンで学ぶことで、西洋と日本のハイブリッドが理解できるようになる。
谷口吉郎と土川元夫が、同級生で、帝国ホテルライト館を保存することに
奔走して行く。そして、明治村に 様式を再現させる。
帝国ホテルの魔力みたいなものを感じる。
丁寧な作品作りで、どっしりとしている。熱が伝わった。 -
Posted by ブクログ
書き下ろし
津田梅を描いた小説はいくつか読んだが、これが一番面白い。父親を一緒に描いていて、時代背景をいっそう生き生きさせ、感動的な場面もたくさんある。さすが植松三十里の筆の力。
佐倉藩士津田仙は、藩主堀田正睦が老中になったため、幕府のアメリカでの軍艦買い付けに同行し、アメリカの農業に注目して、西洋野菜を栽培、缶詰でもうけ、農学校を作って材を育て、農業雑誌で啓蒙に努めた。6歳の娘を留学させたのにはポリシーがあったのだ。しかし、日本語を忘れるような開拓使のというか黒田清隆のPRのための長期留学計画は無茶だったと思う。
留学生仲間には、戊辰戦争で徹底的に打ち負かされ領地を追われた会津藩の家老の娘で、大山巌夫人となる山川捨松がいて、彼女の背景や目指したものも面白かった。一方英語ができるだけで目指すものがない津田梅は、再留学して大学で生物学を学ぶ。このあたりは知らなかったが、作者はこのへんの父親との重なりにインスパイアされたのだろう。
津田塾創設のあたりはカットされているが、そのあたりも画いてほしい。 -
Posted by ブクログ
大正時代に建てられた帝国ホテルライト館。
その建設に関わった男達の熱い戦いを描く物語。
予備知識なし。
帝国ホテルは今の姿しか知らず、ライト館のような建物があったことも知らず、映像を調べ、その美しさに魅了されながら読み進めました。
経営陣と現場の人間、建築家達の気持ちの食い違いや葛藤が興味深かったです。
ライトと愛作が、最後まで関わることが出来ず、ライト館の勇姿を見ることもなかった可能性を考えると複雑な気持ちになります。
後世に残るものを作ることの素晴らしさをしみじみ感じながらの読書でした。
明治村に行き、移築されたライト館を見てみたいです。 -
Posted by ブクログ
初出2017〜18年の月刊「歴史街道」
さすが植松三十里。感動の長編。
大正年間に建設された帝国ホテルライト館は、外国人をもてなす日本の迎賓館とすべく、日本古美術商の山中商会ニューヨーク店の林愛作を支配人に引き抜き、日本美術に深い理解があるアメリカ人ロイドに設計を頼み、ロイドに深く傾倒し東大の建築科を出たばかりの遠藤新を助手にして多くの時間と資金を費やして進められた。
大谷石がもてはやされるきっかけとなった石材のこだわり、黄色いレンガの特注の話も面白く、関東大震災を耐えた建物が、多くの日本人職人のプライドをかけたものであったことにも感動する。現在も評判の帝国ホテルのクリーニングの始まりのエピソードや、自由学園との係わりも面白い。
明治村への移転話はおまけだが、大きな仕事へのリスペクトもすがすがしい。 -
Posted by ブクログ
白虎隊でただ一人、生き残った 飯沼貞吉。冷たい目を向けられ、死に損ないと罵られる日々を救ったのは、長州の楢崎頼三だった。「生きていて良かった」の温かい声に背を向け、身元を引き受け、将来の面倒まで見てくれた頼三に報いることもせず、ただただ立派に自害できなかった事を嘆くばかりの定吉。一人ぼっちになり、ドン底の暮らしを見た時、漸くその有難さに気づき、恥じていたものをさらけ出し、ようやく新時代へ目を向ける。定吉の故郷、家族への想いや、分岐点で出会う人たちが今だから語る会津への想いが胸を打つ。あぁ、頼三ににもう一度、会わせてあげたかった。
白虎隊に1人だけ、生き残った人がいたのは知っていたが、その後の事を考えたこともなかった。白虎隊の自害は、城が燃えたと勘違いして…と間違えた事を覚えていたことも。この本に出会えて良かった!