植松三十里のレビュー一覧
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以前から興味のあったイザベラ・バード。『日本奥地紀行』にはなかなかハードルが高かったところへ、読みやすそうな植松三十里の本書が刊行された。明治初期でも、歩きやすい大きい街道が整備されていたにもかかわらず、誰も歩かないような山道を行きたがるバード。通訳のイトーや馬子らが気の毒になる。山奥なので、ノミやシラミだらけの不潔な宿や、宿の中まで押しかけてくる好奇心丸出しの村人たち。自分も腰痛持ちのくせに、懲りないバードには驚き。
途中から、紙の地図に丸をつけながら読んだら、とても理解が深まり、楽しさが増した。
『ふしぎの国のバード』(マンガ)を注文したので、読むのが楽しみ。 -
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こういう視点で書かれた家康の話はもしかしたら初めてだったかもしれない。多分この話に書かれた家康だけでなく、戦さのない世にしたいのは皆同じだったろう。江戸幕府はそれでも一定の期間、国内から戦をなくし、世界とも鎖国によってその芽を摘んだ。
今の世の中で、この時の日本のように鎖国が政策として成り立つ国はほぼないだろうと思うから、やり方として参考にはできないし、戦のない世にしたい思いはいくら強くても、今の世界を見ればわかるようにそれでも戦は起こる。
この話自体は、登場人物それぞれ掘り下げればとんでもない長い話になったろう。それをあまり掘り下げなかったから、読みやすくはなっているけど、テーマは面白いんだから、ちょっと残念な出来だったかな… -
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大正天皇を知る第二弾。
大正天皇の貞明皇后、九条節子の伝記小説。
大正天皇の人間像、近代天皇制の実態、事実認識を得ることができた。
一夫一妻制最初の皇后、また、社会活動にも従事したその姿は、まさに現代の象徴天皇制に繋がるもの。
生い立ちや(含む会津との関係)、昭和天皇他、各々の子供達との関係性も興味深い。
会津を訪れた際に、貞明皇后、雍仁親王妃勢津子のことが触れられていたことを思い出した。
以下抜粋~
・かつて嘉仁は公家で育ったが、裕仁は、川村純義という薩摩出身の海軍中将のもとに預けられた。武家の家風で、たくましく育てないという天皇の意向だった。 -
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昨年の大河ドラマ「青天を衝け」で難しい時代の難しい舵取りを懸命に行う最後の将軍を描いてあったのが印象的だった徳川慶喜。
だが個人的にはどうしても鳥羽伏見の戦いを途中で投げ出した無責任な将軍という印象が拭えなかった。その点についてこの作品ではどのように解釈しているのかが気になって読んでみた。
実際のところ、こんな大変な時期に将軍を引き受けるというのは嫌だっただろうなと思う。だから誰もやりたがらない。結局慶喜は押し付けられてしまったという形のようにも見える。
『少年時代から徹頭徹尾、尊皇派だったし、出世欲にも保身にも無縁だった。目指したのは大きな内乱を起こさず、諸外国の侵略を招かないことにつきた』
解説文の中で作家の植松さんは慶喜について『最初から最後まで朝廷方だったんじゃないか、幕府方だったことはなかったとさえ思うようになりました』と評していて、なるほどと腑に落ちた。
大河ドラマでも描かれていたが、慶喜の根底にあったのは水戸で培われた尊王という思想でありそれは最後まで揺るがなかった。
だからこそ渋沢栄一も慶喜に生涯忠実だったのか、彼は幕臣ではなくてあくまでも慶喜の家臣であったのかと思えた。
この時代、誰が将軍になっても国の舵取りが上手に出来たとは思えない。薩長なら直ぐに戦争に突入するだろうし、幕府の老中たちに任せていたらのらりくらりしている間に諸外国に良いように介入されて清国やインドのようになっていたかも知れない。朝廷の公家衆ではそもそも政治なんて出来ない。
慶喜のやり方が良かったとは言えないけれど、彼が目指した『大きな内乱を起こさず、諸外国の侵略も招かない』ことが実現出来たのは評価されて良いと思う。
肝心の鳥羽伏見の戦いでの逃亡についてだが、大河ドラマでは致し方なくそうなったという描き方だったが、こちらの作品では敢えて敵前逃亡の無責任な将軍という汚名を被る方策を取ったということにしている。
なぜそうしたのかはネタバレになるので書けないが、これはこれで一応の解釈として納得できた。
慶喜に影響を与えた人々は多数いるが、その一人として武田耕雲斎が印象に残った。大河ドラマでも重要人物として出てきたが、彼が天狗党に担ぎ上げられ最後は斬首されるその姿が慶喜にこの国の舵取りをすることの覚悟を与えている。
もう一人印象に残ったのは側妾のお芳。明治時代になって迎えた二人の側室のことは知っていたが、お芳のことは知らなかったので、こんな庶民的な女性が慶喜のそばにいたのは意外だった。だが彼女こそ慶喜の一番つらい時期を支えた女性で、彼女の気丈さ気楽さが慰めになったのだと思った。
戦いに身を投じて死んだり全ての責任を取って自害することも許されない、たくさんの人の上に立つというのは大変なことだと思った。何度も逃げようとお芳に口では言いながら逃げ出さず、最善の方法を模索した姿は大河ドラマでの慶喜とも重なる。
残念だったのは平岡円四郎や原市之進などの素晴らしい家臣が暗殺されたり、薩長はもちろんだが諸大名がそれぞれ自分たちの主義主張を繰り返すばかりで足並みがそろわなかったことで思うように舵取りが出来なかったことだろうか。
しかし考えてみれば現代も変わっていないかも知れない。国会中継などを見ても批判や主義主張ばかりで建設的な議論などほとんどない。それは日本だけの話ではないけれど。
最後に慶喜が明治天皇との謁見シーンは良かった。かつて朝敵とされた慶喜や会津方の子孫を婚姻という形で皇室に迎え入れ、彼らに『落ち度はなかった』ことを示そうと明治天皇が提案したとき、慶喜はどれほど歓喜しただろう。そしてその提案は慶喜の孫の代で実現する。