徳川家康の次男、結城秀康の物語。
私の推し武将である。
家康の長男・信康は母親の築山殿とともに、織田信長の命令で殺され(理由は、武田方と内通というのが定説)秀康は実質上の長男となったのだが、跡を継いだのはご存知の通り三男の秀忠だった。
十一歳で豊臣秀吉の元へ養子という名の人質に取られ、秀吉に男児
...続きを読むが生まれると要らなくなって放り出される。
徳川家には戻れず、今度は下総の結城家に婿養子に出され(秀吉の命令でとある)当主となった。
関ヶ原の合戦の折は、奥州の押さえという役目で宇都宮にとどめ置かれて連れて行ってもらえず(まあ、秀忠も真田に足止めされて間に合わなかったわけだけれど)。
最終的には越前に68万石を賜り結城と合わせて75万石の大大名となったが三十四歳で病没という、数奇な人生だった。
そんなところが、判官贔屓心をくすぐって、2代目将軍の秀忠は凡庸だった、秀康の方が将軍の器だったなどと言わせるのかもしれない。
そもそも、家康は秀康(幼名・於義伊/おぎい)が、三歳になるまで会おうともしなかった。
その理由は何なのか。
これまでの歴史小説では何だかその辺はぼかされ、母親のお万の方を側室と認めていなかったからなどと書かれていたりした。
(そこでのお万の方の扱いは本当におざなりで酷かった)
ここでは、秀康が、武家には縁起の悪い双子で産まれたため、迷信を信じる家康は自分にあだなす存在として恐れたと設定して、はっきりとした理由としている。
母親のお万の方に関しても、きちんとした人物設定がされて、ヒロインと言っても良い描かれ方。
秀吉の元に養子に行って戻った後は、天下を確実に手に入れるまでの家康にとって、秀康はやはり豊臣方の人間なのではないか、豊臣方の大名たちに担がれるのではないかという点での疑心暗鬼があったのだろう。
何と言っても、小心で用心深い家康である。
自分に対する、父親のそういう疑心暗鬼を敏感に感じ取って、秀康はいらだち、苦しむ。
お互いに信じたい、信じてほしい、けれど信じきれない、という父と子の葛藤がどこまでも丁寧に描かれていて、人間の感情は理屈では割り切れないものだとやるせなさを感じる。