講談社選書メチエの検索結果
検索のヒント
検索のヒント
■キーワードの変更・再検索
記号を含むキーワードや略称は適切に検索できない場合があります。 略称は正式名称の一部など、異なるキーワードで再検索してみてください。
■ひらがな検索がおすすめ!
ひらがなで入力するとより検索結果に表示されやすくなります。
おすすめ例
まどうし
つまずきやすい例
魔導士
「魔導師」や「魔道士」など、異なる漢字で検索すると結果に表示されない場合があります。
■並び順の変更
人気順や新着順で並び替えると、お探しの作品がより前に表示される場合があります。
■絞り込み検索もおすすめ!
発売状況の「新刊(1ヶ月以内)」にチェックを入れて検索してみてください。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
なぜ、新自由主義経済ではダメなのか? 自由放任の経済は、人びとの絆と信頼を破壊し社会基盤を掘り崩す。新自由主義経済の欺瞞と論理矛盾を暴き、あるべき経済の在り方を社会との関係に注目して論じる。 【目次】 はじめに 第一章 新自由主義が日本を劣化させた 第二章 新古典派経済学パラダイムの構造と主張 第三章 個人の独立性という虚構 第四章 法化社会で自己利益を追求する個人という虚構 第五章 高能力を持つ合理的な個人という虚構 第六章 情報の非対称性 第七章 取引費用と契約の不完備性 第八章 業績は評価できるのか 第九章 ネットワークと社会関係資本 第一〇章 社会関係資本と人間の行動 第一一章 良質な文化をいかにして形成するか 第一二章 日本社会をいかに立て直すか おわりに 参考文献 索引
-
「日本人」はどこから来たか イネ学・考古学・言語学から総合的にアプローチ 米を主食とする「われわれ」のルーツはどこか。長江下流→山東半島→朝鮮南西部→北九州。舟を操り稲作とともに漁撈を生業とする「越」系の人びとにその鍵はある。イネ学に加え、考古学・言語学の最新の成果を渉猟し、「日本人」成立の過程を総合的に描く。 【目次】 序章 第一章 弥生文化はどこから来たか 1 黄河と長江流域における農耕の起源 2 越族の反乱と水上戦 3 呉・越の稲作民の北上 4 「基地」としての山東半島 第二章 朝鮮半島の稲作渡来民 1 古代の朝鮮半島 2 朝鮮半島の稲作の背景を考える 3 朝鮮半島の稲作遺跡を見る 4 半島の稲作と弥生の比較 5 半島における稲作民の役割 第三章 稲作渡来民の舟と航海 1 水田稲作渡来民と舟 2 稲作渡来民はどのような舟を使ったか 3 航海術 第四章 稲作渡来民はどこに定着したか 1 稲作以前の日本列島 2 水路とのつながり 3 弥生土器はどのようにしてできたか 朝鮮半島と共通の土器 4 水田稲作の衝撃 第五章 日本人の中の渡来民 1 日本人の起源と縄文人 2 縄文人から弥生人へ 3 人類学から見た渡来 第六章 渡来民によって日本語はどう変わったか 1 日本語はどこから来たか 2 縄文語の発見 3 渡来民によって弥生語ができた 4 古代国家の成立と文字 終章 引用文献 あとがき 索引
-
精神疾患の治療(マイナスをゼロへ)の枠を超え、 さらなる「幸せ」を目指す、ユニークな心理学が誕生した。 “ポジティブ心理学”は人生の価値観を問い、 哲学的知見も融合する、総合学である。 同じ環境で暮らす修道女の、寿命の差に潜む驚くべき原因とは? 利他行動は、精神にどんな良い影響を生むのか・・・・・・? さまざまな実験から、 自らを「幸福」状態へと導くメソッドを、学術的に検証。 新たな学問の可能性と個人、社会への活用法を、 政治学者が豊富な事例をふまえ、細やかに解説する。 まえがき 序章 政治哲学者、ポジティブ心理学と出合う 第一章 幸福へのアプローチ ウェルビーイング(良好状態)の科学的解明 1「心」のあり方が現実を変える――「修道女研究」の衝撃 2 幸福をもたらす感情・心理を測る 3「実践的科学」というポジティブ心理学の特質 第二章 本当の幸せを生み出す 「美徳」と「人格的強み」の再発見 1 短期的快楽か、長期的幸福か。ヘドニア─エウダイモニア論争 2 二四の「強み」から検証する、<人間>の物語 第三章 個人から社会へ――。ポジティブ心理学の包括的発展 1「心の状態」を善くする組織・制度とは? 2 高齢化社会への希望「ポジティブ健康」 3 次世代のための「ポジティブ教育」 4 ビジネスの成功を導く「ポジティブ組織学」 5 繁栄する社会への「ポジティブ政治経済」 注 参照した海外のテキストや辞典 日本語での概要や参考図書 あとがきにかえて――「善き幸福」の時代への希望 (内容紹介) ポジティブ感情は視野の広がりを生む。(中略)避けがたい困難で生じたネガティブな心理状態からの回復力(レジリエンス)を高めることにも寄与できることがわかってきている。ポジティブ感情を生み出すエクササイズは、弱い立場にある人が上向きの循環をつかむアート(技術)、身を守るためのアートとして生きるものでもあるのだ。 ―――「第一章 幸福へのアプローチ ウェルビーイング(良好状態)の科学的解明」より
-
「イスラエル」は、どんな国でしょうか? 中東でよく戦争をしている、小国だが強大な軍事力をもっている、と思う人もいるでしょう。一方、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』(1993年)を思い出しながら、長らく迫害されてきたユダヤ人がナチスによるホロコーストの末、ついに作り上げた国と考える人もいるかもしれません。 迫害されてきたかわいそうなユダヤ人が念願かなって作った国、しかしアラブ人(パレスチナ人)を迫害している攻撃的な国――このような対極的なイメージは、いかにして生まれてきたのか。本書は、この謎に迫ります。 ホロコーストがイスラエル建国の大きな後押しになったことは間違いないとしても、そのことはイスラエルの軍事的な志向性を説明しません。さらに歴史を遡ると、19世紀後半からユダヤ人が変化していったこと、それが「国家」による自衛を求める動きにつながっていったことが明らかになります。そこで重要な役割を演じたのが、ロシア人でした。 その具体的な動きを追っていくために、本書はまずロシアのリベラリストに注目します。民族の自由を訴え、それゆえユダヤ人の同化にも反対したマクシム・ヴィナヴェル(1863-1926年)の活動を追っていくとき、パレスチナにユダヤ人国家を作ることを目指すシオニズムに共鳴したユダヤ人の中にも同じ主張をもつ者がいたことが分かります。その典型は、ダニエル・パスマニク(1869-1930年)に見られるものです。 ところが、1880年代にロシアで「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人への迫害が始まると、ユダヤ人的側面とロシア人的側面を共存させていたロシアのユダヤ人たちは、徐々にユダヤ的側面に特化していきます。そのときユダヤ人たちがもったのが、ロシアの近代化に寄与してきたユダヤ人は「西洋的」だが、ロシアはそれに対立する「東洋的」な性格を持ち続けている、という認識でした。「東洋的」なロシアによって「西洋的」なユダヤ人が苦境に陥ったとき、「西洋的」な国家はユダヤ人を助けない──その経験は、やがてイスラエルが建国され、アラブ人の暴動が起きたとき、同じ構図をユダヤ人の中に想起させるのです。 『ロシア・シオニズムの想像力』で高い評価を受けた気鋭の研究者が巨大な問いに挑む渾身の論考。現代世界を読み解く手がかりが、ここにあります。 [本書の内容] 序 章 二種類のユダヤ人 第一章 内なる国際関係 第二章 ユダヤ人とロシア帝国 第三章 「ロシア・ユダヤ人」の興亡 第四章 ファシズムを支持したユダヤ人 第五章 民族間関係の記憶 第六章 相補関係のユダヤ化 終 章 多面的な個が民族にまとまるとき
-
-
-
-
古今東西を問わず、演劇や文学、映画、アニメ、漫画に数限りなく登場してきた「女装する男」と「男装する女」。彼/彼女たちは、なぜ性の境界を超えようとしたのか?“変態”“異常”“倒錯”という言葉で片付けてしまうだけでは気がつかない、性と愛の現実がそこにある。「男と女」という単純な二項対立がsexとgenderの視点をからめると無限の性別へと変化していくさまをつぶさに論じ、人間の生の多様性に軽やかに迫る。(講談社選書メチエ)
-
-
-
男は女に 女は男に 中国人の奇妙な情熱 ヘンテコな服装は妖怪である。世が乱れ礼が失われた証拠である。だが周恩来も女装した。美少年もむくつけき大男も、中国の歴史は女装に身も心も捧げた男たちで満ちている。悠久の大陸を横断する奇妙な妖怪=服妖に見る、知られざる中国の素顔。 【目次】 第一章 楊貴妃になった男たち 第二章 服妖 衣服のモンスター 第三章 麗人たちは男装する 第四章 男まさりを恐れる系譜 第五章 女装者たちの系譜 第六章 陰陽転倒の諸相 生物学的性転換の記録 第七章 男扮女装の諸事情 第八章 同性愛文学と女装趣味 第九章 近代中国の木蘭たち 清末男装事件図絵 第一〇章 女装者たちの事情 清末女装事件図絵 I 第一一章 趣味の女装者たちと性転換 清末女装事件図絵 II 第一二章 女装とパフォーマンス 反串・演劇・映画 第一三章 このごろ流行りの男扮女装 注 参考文献 図版出典 あとがき 索引
-
「聖徳太子」はいかにつくられ、変容してきたか? 「日の本のかやうにあしくなりたるも、皆上宮太子の愚よりはしまれり」――。遺物信仰の対象として熟成した「聖徳太子」に攻撃を加える江戸の知識人。フェノロサ、岡倉天心らの古美術調査がもたらした近代の転回。『日本書紀』の原像にはじまり、現在のコンテクストが成立するまでを描く記憶と創造の物語。 【目次】 序章 「聖徳太子」か「厩戸皇子」か 第一章 「聖徳太子」の原像 1 『日本書紀』のなかの「皇太子」 2 多くの名をもつ「皇太子」 3 聖は聖を知る 4 日本国の尸解仙 第二章 「聖」はめぐる 1 「聖徳」は、やはり「聖」 2 「上宮太子」と申す聖 3 生けるが如し 第三章 攻撃される「聖徳太子」 1 「上宮太子」の愚 2 林羅山、「春秋の法」を説く 3 檄を飛ばす荻生徂徠 4 タブーに挑む片山蟠桃 5 「笑語」する平田篤胤 第四章 法隆寺の「聖徳太子」 1 奈良博覧会 2 七種の宝物 3 梵網経に随喜の涙 4 聖霊奉還と宝物献納 5 宝物献納その後 第五章 「古美術」調査から生まれた「聖徳太子」 1 美術取調 2 仏教のコンスタンティヌス大帝 3 不世出の英傑厩戸皇子 4 近代の「聖者」 第六章 子どもたちの「聖徳太子」 1 天皇の年代記 2 小さな「聖徳太子」伝の出現 3 小さな「聖徳太子」伝の完成 4 「国民の覚悟」を担う 5 ゆるんだ政治の立て直し 終章 「聖徳太子」とは何か 参考文献 あとがき 主要人名・書名索引
-
天下統一は必要だったか? 「武」の人信長。「力」のみを信じ、戦国大名でただ1人、天下統一をめざした男。だが、「力」に拠るものがいずれ「力」に倒れるのは必然であった。天下統一は必要だったのか? その日本史上の意義とは何か? 「信長」を根本から問い直す画期的論考。 【目次】 はじめに 第一章 「大うつけ」 若き日の信長 第二章 桶狭間 第三章 天下布武 第四章 岐阜城の信長 第五章 岐阜城下と楽市令 第六章 上洛 第七章 信長の敵 戦国時代とは何か 第八章 合戦と講和 第九章 公家になった信長 第一〇章 安土城下町(1) 城と家臣 第一一章 安土城下町(2) 町と楽市令 第一二章 本能寺の変 信長を殺したもの あとがき 年表 参考文献 索引
-
論理と倫理が1つになる場所へ! イラク戦争がなぜダメか、ブッダの答えは? ブッダはほんとうに「一切を知る者」なのか? 仏教経典に完全保存された「論理学」はそれをあざやかに証明する。合理的であることは真理であること。存在論からイラク戦争まで、現代論理学が沈黙する「難問」に、ブッダが残した明快な「答え」。論理と倫理が1つになる場所へ! 【著者からのコメント】 インドの文献は、けっして読者に媚びることはない。だから、やさしくもないしわかりやすくもない。でも、本当のことを知りたいと思う人には、求めるものが自然に心に入ってくるように、そんな風に書かれている。 わたしもそんな本を書いてみたいと思って、力いっぱいやってみましたが…うまくいったでしょうか。 【目次】 まえがき 序論 論理の語り方 第一章 現代論理学は一切を語れるわけではない……一切を知る者であるとブッダが言ったこと 第二章 ブッダ難問に答える 【難問1】なぜ西洋論理学では因果を語ることができないか……生ずる性質のものは滅する性質のものである 【難問2】ブッダはどのようにして一切を語るのか……討論を通じてともに語るにふさわしい人は 【難問3】語りえぬものには沈黙せねばならないか……ただ感受されたもの、渇愛にいたるもの、悩みもだえるだけのものである 【難問4】因果の道を行くものはなぜ愚か者であってはならないのか……自己を愛しく求めるものは他を害してはならない 【難問5】因果の理法によって生きる者には自己は語りえないか……「尊師よ、誰が識別作用という食べ物を食べるのですか」「正しい問いではない」と尊師は言った インド哲学・仏教の一般書ならびに現代論理学関係書のご紹介 練習問題の解答 あとがき 注 索引
-
2人がいなければ今日のキリスト教はなかった! イエスの筆頭弟子にして復活後の教会指導者ペテロ。迫害者から異邦人伝道者へと回心したパウロ。古代ローマ帝国の片隅ではじまった運動を世界宗教にまで伸展させた2人の実像は? そして、彼らのユダヤ人・異邦人への宣教戦略とは? 2大伝道者の足跡を辿る1冊。 【目次】 序章 世界宗教への立役者 第一章 ペテロ イエスの筆頭弟子から最初のキリスト教伝道者へ 1 アンティオキアの出来事 2 召命以前のペテロ 3 弟子への召命の出来事 4 イエスと弟子仲間との生活 5 イエスへの信仰告白=ペテロのメシア告白 6 イエスの受難に直面して=イエスの否認 7 使徒としての宣教準備 8 筆頭使徒としての活動 9 エルサレムにおける教会の指導者として 10 ユダヤ人伝道の担い手として 第二章 パウロ 教会の迫害者からキリストの伝道者へ 1 パウロが生きた時代 2 回心以前のパウロ 3 ダマスクス途上での回心 4 ペテロとの面談 第三章 ユダヤ人の伝道者ペテロの足跡 1 ペテロの伝道活動 2 律法の重要性をめぐって 3 ペテロの伝道の特徴 4 その後のペテロ 第四章 異邦人の伝道者パウロの活動 1 伝道者としての足跡と伝道戦略 2 アンティオキア教会の新しさ 3 使徒会議 4 第一次伝道旅行 キプロスとガラテヤで 5 ガラテヤの信徒に宛てた手紙 6 再び伝道の旅へ 7 三度目の伝道の旅 小アジアのエフェソを本拠に 8 パウロの最後 終章 伝道者ペテロとパウロ 文献案内 註 あとがき
-
時代はイタリア イタリア人が日本語で書いた最新イタリア案内 明るく暗く、貧しく豊か、悲観的な楽観主義者。矛盾するものが矛盾なく同居する不思議な国。「不信の文化」「カーニバルとユートピア」「南型の思想」をキーワードに、日本人の知らないイタリア人の素顔を、食・宗教・音楽・政治に探る。イタリア人が日本語で書いたイタリア案内! 【目次】 序章 「mangiare(食べる)、cantare(歌う)、amore(恋愛)」ってなに? イタリア人は「陽気」で「気楽」か 第一章 食にみるイタリア それは貧しさから始まった 第二章 イタリア人の宗教観 「常識」としてのカトリック 第三章 歌うイタリア 「イタリアン・ポップス」の深く多彩な世界 第四章 イタリア政治の不思議な世界 カーニバルとユートピアのあいだ 第五章 イタリア的悲観主義 明るさは暗く、暗さは明るい 終章 イタリアから何が学べるか 新しい人間観へ 註 参考文献 あとがき
-
お奉行様から花魁まで、みんなこの街の「社員」だった 街全体が丸ごと「会社」だった不思議な都市。対外貿易のためだけに創られ、事業所長=奉行からプロフェッショナルな地役人、テクノクラート・オランダ通詞、そして長屋住まいの日雇い稼業の労働者から丸山の花魁にいたる全住民が組織化され、街をあげて貿易会社の社員のように働いていた。日本の出島=江戸時代の長崎を活写する。 【目次】 序章 「組織」としての都市 第一章 貿易と繁栄 1 貿易都市の黎明 2 キリシタン都市長崎 3 長崎をつくった人々 4 都市長崎の成長 第二章 「株式会社長崎」の誕生 出島・唐人屋敷・長崎会所 1 オランダ東インド会社 2 出島とオランダ人 3 長崎の唐人たち 4 システムとしての長崎貿易 第三章 長崎のお役人たち 1 代官一〇〇〇両奉行三〇〇〇両 2 プロフェッショナルな地役人 3 日雇い稼業 第四章 貿易都市・歓楽都市 1 歓楽都市「長崎」 2 遊女=歓楽都市の主役 第五章 都市と組織の間で 1 武士と町人の矛盾 「長崎喧嘩」の深相 2 フェートン号の衝撃 3 米不足の脅威 終章 ボーダーを越えて 1 「会社都市」の終焉 2 「異域」という生き方 新たな「出島」への可能性 参考文献 あとがき 年表 索引
-
ハイデガーの実存の「開け」の概念とロック。「新たな霊性を啓くメディア」としてのロック。テクノロジーとロックの関係、新たな芸術ジャンルとしてのロックなど、思想の側からロックという「現象」を深く読み解く未曾有の論考。 【目次】 第一章 ロックの歴史 1 はじめに ロックとはなにか 2 ロックの誕生 ロックンロールに始まる 【略】 8 ピンク・フロイドとイエス 9 EL&Pとジェネシス 10 カンタベリー・ロックとその系譜 11 パンク・ロックの勃興 12 ヘヴィ・メタル・ロックの逆襲とパラノイア的心性の問題 13 ロックの巨大産業化とサブジャンルの複雑化 14 ロック・ジャンルのトライブ化 第二章 ロックという哲学思想 1 ニーチェ的経験からはじまる 2 〈悲劇〉としてのロック 3 ロックは「意志」の産物である 4 ロックを歌う「声のきめ」 5 「声」と「気分」の密接な関わり 6 自己開示を導くものとしてのロック 7 ロックを語ることの「自己表出」性 第三章 ロック・霊性を啓くもの 1 神秘主義思想とロック・ミュージシャン 2 アレイスター・クロウリーとジミー・ペイジ 【略】 6 シュタイナーの「音階体験」理論とロック・コード・スケール 7 ロックとオレクシス(絶対を希求する欲望)との結びつき 第四章 現代アートのなかのロック 1 ロック的な美意識の誕生 2 レコード・ジャケットのアート感覚 ヒプノシスの世界 3 ロジャー・ディーンとマーカス・キーフの仕事 4 アートスクール出身のロック・ミュージシャンたち 【略】 8 ブライアン・イーノとヴィデオアート 第五章 ロックの歌詞の世界 1 歌詞を通してロックを探る 2 ラブソング 【略】 6 内省的なメッセージを持つ歌詞 「エピタフ」 7 「スターレス」をめぐって 8 「天国への階段」のメッセージ 9 歌詞の文学性 第六章 ライフスタイルとしてのロック 1 ヒッピー・カルチャーとロングヘア 【略】 6 ドラッグ・カルチャーとロック 第七章 ロックは滅んだか 1 ロックは音楽ではない? 2 アンチ・ミュージシャンとしてのブライアン・イーノ 【略】 5 デジタル・テクノロジーがロックに引導を渡したか 第八章 ロックの未来形 1 ロック・スピリットの帰趨するところ 2 音楽シーンの衰退? 3 ロックの未来形? あとがき 索引
-
本書の副題にある「生命の再生産」という言葉を目にするとき、何を思い浮かべるでしょうか。 親から子どもが生まれ、その子どもが成長して親となり、またその子どもが生まれる、という世代の連鎖でしょうか。それとも死者の生まれ変わりとしての生者というようなイメージでしょうか。取り沙汰されることの多い「少子化問題」を思い浮かべる人もいるかもしれません。 出生数の減少が社会に負の影響を及ぼしている、という議論がなされています。そこでは、「生むこと」をしない人が増えたことに危機感を抱き、次世代に対する責任が説かれたり、「生むこと」をめぐる個人を取り巻く環境を整備する必要性が訴えられたりします。 しかし、本書は「生むこと」を「人類の存続」や「社会の繁栄」や「種の繁殖」といった大義のために「当たり前に必要なこと」とは考えません。「人類」や「社会」や「種」を構成する人々の数が増えるか否かという尺度で「生まれること」を意味づける考え方から距離を置き、「生まれること」をそれ自体として意味づけることを試みるのです。そのためには、各々の経験の個別性や唯一性を捨象せず、どのような経験をした人にも共通して開かれた地平で「生まれること」について考えなければなりません。 本当は誰にとっても関わりのある「生命の再生産」という問題をマルクスに立ち戻ってそれ自体として考察する中で、フォイエルバッハや田辺元といった者たちの思考を再検討する本書は、マルクスの思考には今日の重要な課題である「人新世」の始まりやエコロジーに通じるものがあることを明らかにするでしょう。 『高群逸枝の夢』で注目を集めた著者が満を持して放つ渾身の論考がついに姿を現します。 [本書の内容] 第一章「息子たちは父をもたない」 1 誕生以前の生き物は己の生まれる夢を見るか? 2 父でなく、父たること 3 二人のルイ 第二章 資本、父と子、自己増殖 1 算術への反乱 2 自己増殖する怪物 3 再生産論再考 4 「人類の不死性」をめぐる対話 5 「神学者」マルクス 第三章 労働の彼方 1 宿命の名の下に――自然と人間の物質代謝 2 時間の弁証法 3 「自由の国」の必然性 4 労働は永遠に? 5 幽霊的労働 第四章 種と性とフォイエルバッハ 1 二人の「類」(1)――マルクス 2 二人の「類」(2)――フォイエルバッハ 3 種としての個体 4 想像の集合体 5 「超人への橋」、種の終わり 第五章 幼虫の形態学 1 「人間の生成」 2 田辺元、否定のロンド 3 運命の夜、偶然の星 4 種のメタモルフォーゼ 5 出会いの系譜学
-
『「社会」の誕生』(2011年)、『「社会」のない国、日本』(2015年)に続く講談社選書メチエ「社会三部作」、完結。 前著以降の約10年、日本は幾度も自然災害をこうむり、実質賃金が上がらぬまま円高から円安に移行し、物価高に苦しめられている。それに呼応して、さまざまなレベルで分断や分離が進行しているように見える。そして、著者もこの期間に人生の苦難を経験し、三部作の構想をいかに完結させるか、完結させられるかを考え続けた。 「日本ではフィクションつまり作り話が増殖し、蔓延し、しまいには事実や現実に取って代わってしまった。庶民の実態とはかけ離れた「好況」、「経済成長」、科学的事実を無視あるいは隠蔽した「安全・安心」、違法な証拠隠滅さえ厭わず明らかな嘘を押し通す国政の運営等々。あげくの果てには荒唐無稽な陰謀論の不気味な浸透……」――そんな現状認識から始める著者は、こう断じる。「今日ついに我々は、ばらばらになり、互いに共に生きられなくなっている。強者・弱者、マジョリティ・マイノリティの話だけではない。人が人として、個人が個人として生きられなくなっている。人々は分断され、「互いに同じ人間同士」であると思えなくなっている」。 それが証拠に、コロナ禍で叫ばれた「ソーシャル・ディスタンス」に、この国の人々はいとも容易に適応したではないか。では、「社会」が存在しないとは、「社会」が存在しないところで生きるとは何を意味しているのか。――この根本的な問いに答えるために、著者は「社会」を成り立たせる最も根底にあるものを問うことを決意した。前2著での議論を簡潔に振り返り、その末に到達する結論とは? 誰もが考えるべき問いを静かな感動とともに伝える完結篇にふさわしい名著。 [本書の内容] 序 章 分解する日本社会 第1章 社会の誕生、人間の誕生、社会学の誕生 一 トクヴィル──民主主義と人民 二 デュルケーム──社会学の創造 三 ベルクソン──社会的事実の基底 四 永井荷風──日本「社会」の不在 第2章 社会的生の規範性と社会学の基底 第3章 社会を成す=為す個人──デュルケーム道徳教育論 一 道徳性の第一、第二要素──規律の精神と集団への愛着 二 道徳性の第三要素──意志の自律性 三 意 志──生たる社会 第4章 合意に依らない民主主義 一 トクヴィル民主主義論の基底 二 ベルクソンの民主主義論 三 民主主義の根底 第5章 社会の根底 一 生という事実 二 賭けの網 三 生という絶対所与 四 社会と社会学の現実性=実在性 五 民主社会を生きるということ──平等と自由、意志の自律と多様性 終 章 現代日本を生きるということ
-
私たちは「情報」なしで暮らすことはできません。スマホでニュースを確認する、メールやラインをチェックする。改札を電子マネーの端末で通り抜け、車内では画面に映る広告や駅名を見る。そして会社に着けば……といったように、あらゆる場所に、無数の形で情報はあふれています。 では、そもそも情報とは何でしょうか? 一昔前のように言語をモデルに理解するのでは、医療現場での生体反応データから宇宙空間における周波数データまでをすべて「情報」として捉えることはできません。つまり、それが何かをよく理解していないまま私たちは情報なしではありえない生活を送るようになっているのです。 本書は、こうした現状の中で「情報という問い」に正面から取り組みます。カーツワイル、ボストロム、テグマークを通して技術との関係の中で「人間」とは何かを確認し、マカフィーとブリニョルフソン、ズボフを通して社会の中での情報がもつ機能を捉え、フクヤマ、ハラリ、サンデルを通して政治との関わりを考察します。その上で改めて「情報」というものを哲学的に規定し、情報をめぐる課題を整理します。 最先端の議論の見取り図を得られるばかりか、そこから得られる知見を整理し、日常にどう役立てるのかまで示してくれる本書は、これまでになかった1冊と断言できます。 [本書の内容] 序 章 情報という問い 第I部 情報がもたらす未来 第1章 情報と技術の未来 一 カーツワイルのポスト・ヒューマン論 二 ニック・ボストロムのスーパーインテリジェンス論 三 マックス・テグマークの生命システム論 第2章 情報と経済の未来 一 マカフィーとブリニョルフソンによる第二のマシン・エイジ 二 ショシャナ・ズボフの監視資本主義 第3章 情報と政治の未来 一 フランシス・フクヤマと「テクノロジーの政治学」 二 マイケル・サンデルと「守るべき美徳」 三 ユヴァル・ノア・ハラリと「自由主義の擁護」 第II部 情報哲学の現在 第4章 情報の分析哲学 一 第一哲学としての情報哲学 二 機械情報の振る舞いを把捉するための情報概念の再定義 三 情報技術を再定義し、情報化された環境における生の条件を問う 四 知能とは何かを再定義する 第5章 情報の基礎づけ 一 生命情報、社会情報、機械情報 二 情報とは何か 三 情報学が揺さぶる哲学的思考 四 情報論的転回は大文字のパラダイムチェンジか 五 シグナルの存在論、シンボルの存在論 第6章 人工知能の身体性 第III部 情報の実践マニュアル 第7章 世界のセッティング 第8章 社会のセッティング 第9章 「人間」のセッティング
-
宗教から眺めると世界の「いま」が分かる! アメリカのクリスチャン・ナショナリストはなぜ陰謀論めいた主張を叫んでやまないのか。インドでは反イスラムの動きが先鋭化し、モスクワこそが「第3のローマ」と謳うロシアの原理主義者たちもまた陰謀論を思わせる「世界の終末」を唱える。一体、いま世界で何が起こっているのか。――その背景には1970年代以降に広がった「宗教復興」の潮流があった。 パンデミックに揺れる世界で、一気に噴き出した宗教と社会の問題を、各国各宗教ごとに解き明かす。 宗教ぬきに国際情勢を理解することはもはや不可能となった現代にあって、「いま」をあと一歩深く知るために必読の書! イランのイスラム革命に象徴されるように、世界は1970年代から宗教の季節を迎える。それはイスラム教に限ったことではなく、アメリカやロシアなどの大国をも含む複数の国で「宗教復興」とでも言うべき現象が起こり、その勢いはいまなお衰えをみせない。 イスラム教においては、その一部がジハード主義者たちのテロ行為へとつながっていくが、そこで標的となったアメリカもまた、「宗教復興」と無縁ではない。それを示すのが、1980年の大統領選におけるロナルド・レーガンの逆転勝利である。このときアメリカが直面したキリスト教保守主義vs.世俗リベラルの図式は、今日いっそう深刻な分断となって我々の前に立ち現れている。 宗教が各地で影響力を強めていくなかで突然訪れた世界規模のパンデミックは、感染防止のための礼拝の禁止や宗教施設の閉鎖をめぐって大きな反発を生み、各国で思いがけない事態を引き起こした。その一方で、広く影響力をもつ宗教勢力と協力して、危機を乗り越える力を得た国もある。 世界情勢はもはや宗教なしに理解することが不可能となりつつある。本書は、国際交流基金に長く勤めた経験のある著者ならではの筆致で、危機の到来によって急激に前景化した宗教と社会の関係を各国ごとに明快に解き明かす。 読めば世界の見え方がちょっと変わる、「いま」に対する探究心に応える一冊! 【本書の内容】 はじめに 序章 世界の宗教復興現象――コロナ禍が宗教復興をもたらす 第1章 キリスト教(プロテスタント)――反ワクチン運動に揺れる米国 第2章 ユダヤ教――近代を拒否する原理主義者が孤立するイスラエル 第3章 ロシア正教――信仰と政治が一体化するロシア 第4章 ヒンドゥー教――反イスラム感情で軋むインド 第5章 イスラム教――ジハード主義者が天罰論拡散を図る中東・中央アジア 第6章 もうひとつのイスラム教――宗教復興の多面性を示すイスラム社会、インドネシア 終章 コロナ禍で日本に宗教復興は起きるか 参考文献 あとがき
-
憂鬱(メランコリー)――この厄介なる気分を、人類はどのように捉え、対処し、表現してきたのか? 古代から現代に至る芸術・医学・哲学を渉猟し、時に死や恐怖と、時に創造的知性や天才と結びつけられ、また治療の対象ともなってきた「メランコリー」の系譜を明らかに。さまざまな災厄に見舞われる現代という時代――親しい人との別れ、死や病への恐怖、ストレスフルな仕事や人間関係、経済格差、パンデミック、気候変動……――を知的に捉え、生き抜くためのパースペクティブは、その「遺産」のなかからもたらされる。 泰斗による決定版文化史。 [本書の内容] 第1章 古代から中世へ 1 古代の苦悩 2 病理から気質へ――四体液説 3 天才の憂鬱――プラトンからアリストテレスへ 4 医学の中世 5 土星のメランコリー 第2章 ルネサンスと宗教改革 1 幾何学の憂鬱 2 宗教改革 3 遠近法の誕生 4 宗教的メランコリー 第3章 近代の始まり 1 モンテーニュ 2 デカルト 3 治療されるメランコリー 4 バロックの想像力 第4章 現代へ 1 精神医学と悪魔 2 精神分析の登場 3 喪とメランコリー 4 根源的な喪失
-
対・社会主義/対・国家/対・前近代社会―― 対比するものや時代によって「資本主義」の意味は変わる。 市場経済・企業組織の変容、中国の台頭。 いま「資本主義」は、どんな現実をうつすのか? 「市場」と「所有」のバランスにその本質を見出し、 歴史と概念から付き合い方を考える、AI時代の「資本主義の哲学」。 * もちろん私たちは「資本主義」という言葉、概念にだけ関心があるわけではなく、そのような言葉で指示されている現実そのものに対してこそ深刻な関心があります。しかしながら我々は「資本主義」という言葉、概念なしにはその言葉が指し示す現実について考えることはおそらく不可能なのです。――「はじめに」より 【目次】 はじめに 1 資本主義・対・社会主義 2 資本主義とは何か 3 仕組み 4 核心 5 AI時代の資本主義 おわりに 補論 資本主義と国家
-
『善の研究』から「場所の哲学」へ――。西田の哲学遍歴は「場所の哲学」にいたって、ついに独創的な境地にいたったとされる。『善の研究』の冒頭に出てくる「純粋経験」からはじまって、後期の「絶対無の場所」にいたる思考とは、どのようなものなのか。近年とみに影響関係が指摘されるベルクソンとの関係、あるいは仏教の時間論と西田の時間論の共通点と相違。フッサールやレヴィナス、あるいは鈴木大拙、井筒俊彦にいたるまで、あるいは量子論との相関など、様々な角度から丁寧に参照しつつ、著者はするどい考察を繰り広げて、独自のスタイルで西田の本質に迫っていく。それは西田自身の言葉をかりれば、さながら「悪戦苦闘のドッキュメント」の様相を呈しつつも、きわめて鮮明に、西田哲学の真のすがたが浮かび上がってくる。「存在と無」(=あるとない)という、われわれがごく日常的に想定する対立の以前に、「場所」というものを考え、そこに人間の根本をみようとした近代日本哲学の巨峰を、これまでにない明解な叙述で味わい尽くす力作!
-
「もう、終いにする」。戦後の知識世界に輝くビッグネーム・小林秀雄が、晩年、10年にわたって取り組んだ『本居宣長』は、執筆に難渋し、結論に達しないまま意外な一言で終わってしまった。日本が誇る知性は、なぜ最後の仕事で挫折したのか。彼がこの書物にかけた思い、そして小林がたどり着きたかった「ゴール」はどこにあったのか。小林の批評ぶりを多角的に検証しながら、批評とは何か、その原理について考える。
-
-
-
-
-
-
-
復元される神々の物語! 4世紀神話の原像とは? 4世紀に成立した皇室の王権が改変した「それまでの倭国の歴史」。その痕跡は、今も膨大な神話群として残されている。別説・異説として顧みられなかったそれら神話を「すべて」読み尽くすことにより、神々の系譜を解明。戦後神話研究に新局面が拓かれる。(講談社選書メチエ)
-
市場と金融工学の暴走(リーマン・ショック)、企業再生(JAL再建)、CSRとSRI(社会的責任投資)……株式は私たちに何をもたらしているのか? ファイナンスとガバナンスの相克。高度発達したファイナンス技術は、活発な企業活動を促すとともに、リーマン・ショックのような資本市場の暴走にも帰着する。また、破綻した企業の再生やベンチャー育成、社会にとってよりよい企業を育てるSRI(社会的責任投資)を実現させられるのも株の力によるものである。ファイナンス[企業の資金調達や投資]とガバナンス[企業をいかに統治するか]――株式の持つ相克する本質を掴み、市場社会の諸問題を基底から思考する! (講談社選書メチエ)
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
誰もがその名は知っている本居宣長の大著『古事記伝』。しかし、全巻読み通した人はほとんどいないといっていいだろう。つまみ食い的に読んで彼の思想を語る前に、まず、細部まで精緻に読み抜こうではないか。とはいえ、宣長の注解は多岐・厖大にわたり、簡単に読み切れるものではない。本書は、現代の代表的『古事記』研究者が、その責任において、徹底的に、かつわかりやすく『古事記伝』全44巻を読み解いていく画期的なシリーズである。そこに浮かび上がってくる宣長の無類のおもしろさ、そして思想の核心とは──。(講談社選書メチエ)
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ChatGPTをはじめとする生成AIの劇的な進化と普及によって、教育の現場にも、日々働く現場にも大きな変化が生じています。大学では課題として出されるレポートの執筆、会社では新しいプロジェクトのプレゼン資料の作成など、その人の「考えを創る」力と「考えを伝える」力が試される場面で、AIの活用は避けようもなく進んでいることを誰もが実感しているでしょう。考えを創り、伝える力より、有効にAIを活用する力のほうが評価される時代が確実に訪れているようです。 この現実に対して、著者はそれでも考えを創り、伝える力は重要だと主張します。その理由は端的で、「AIが示した考えの正当性を判断できるのは、あなた以外にはいない」からです。そして、その力を手に入れるための具体的な方法が本書で示されます。 自分独自の考えを「創る」力とは、「対+ミルクの力」です。異なる果物にミルクを加えて混ぜ合わせることでおいしいミックスジュースができるように、異なる視点から物事を見ることで「対」を立て、それをミックスジュースのように統合すること。対をどのように立てるのか、統合するとは何のことなのかを具体例とともに知ることができます。 そうして創られた考えを「伝える」ことは、「論証」と「論述」で構成されます。自分の考えが正しいものであることを証明するのが「論証」の力で、それは「主張+論拠+エビデンス」の三つ組みによって実現されます。その論証を相手が理解し、納得できる形で言葉にすることが「論述」の力で、これは「序→展開→むすび」という基本的な流れを理解することで実現できます。 本書では、著者が教育現場で体験した事例を紹介することで、学生たちが考えを創り、伝える力を手にしていく様子を追体験することができます。著者が示す方法は具体的かつ段階的なものです。実際にコピーして記入できる練習シートも掲載しました。 AIの進化・普及に抗うことはできないでしょう。しかし、考えを創る作業がなされればなされるほど、「対を据える作業をしなくなり、対への興味が失われて、他の見解や考え方に対する配慮も欠くようになる」と著者は警鐘を鳴らします。私たちの世界をどんな世界にするのかは、私たちが考え、伝え、共有していくものでしょう。そのための力をそもそももっていなければ、活用することもできません。今この時代だからこそ、本書で自分の根本となる力を手にしていただきたいと願って本書をお届けします。 [講義の概要] プロローグ あなたは自分の考えをもっていますか 第I章 考えを創る――ミックスジュースの喩え 第II章 論 証――「なぜリンゴなの?」という問い 第III章 論 述――レシピのように 第IV章 考えを伝える エピローグ AI時代の思考のレッスン
-
共感から慈悲へ 脳科学の知見から見通す 21世紀の人間の幸福! 「瞑想は、喜び、共感、直観、慈悲にかかわる脳の神経回路のネットワークを、かつて想像されたことのないような力強さで、生き生きと活動させる。そうした神経活動の変化は、脳の物理的構造の変化としても、あらわれてくる。人間の心や行動の変容のプロセスが、計測をつうじて、理解される道筋が開かれたのである。」(「はじめに」より)。脳科学の最前線を踏査し、瞑想宗教的行為と科学を結びつける可能性を探る。科学と宗教の両面からこれからの人間のありかたを問う。
-
インド生まれの仏教は、まず、南へと旅立った。スリランカの石窟寺院と仏歯寺、黄金の仏塔の林立するミャンマーのパガン、タイの暁の寺……すべての故地を踏破した著者が、今なお生活の中に息づく仏陀の思想へと思いを馳せる思索の旅。 【目次】 はじまりは、ブッダ・ガヤー 第一章 仏陀の出現 1 ゴータマ・シッダルタの存在 2 ゴータマに先立つブッダの存在 3 ゴータマのさとり 4 如是我聞 5 仏教の成立 6 仏教の伝播 第二章 スリランカの仏教 1 光り輝く島 2 セイロン島への布教 3 仏陀の来島伝説 4 仏教王国・アヌラーダプラ 5 シーギリヤ遺跡への道 6 ポロンナールワへの遷都 7 キャンディの仏歯寺 第三章 ミャンマーの仏教 1 ビルマの竪琴 2 仏教の渡来伝説 3 黄金地への伝道 4 パガン王朝の宗教改革 5 ポパ山の精霊信仰 6 マンダレーのマハームニ仏 7 ミンドン王の第五回仏典結集 第四章 タイの仏教 1 黄金の地 2 仏教伝来 3 スコータイ王朝の仏教 4 アユタヤ王国の神と仏陀 5 時代はバンコク 6 仏教の現在 7 タイ仏教の行方 第五章 インドシナ三国の仏教 1 ラオスの仏教 2 メコン河とプーシー山 3 カンボジアの仏教 4 仏陀の化身 5 ヴェトナムの仏教 6 南伝と北伝の出会い おわりも、ブッダ・ガヤー あとがき
-
陰謀渦巻く平城京で、貴族はどのような毎日を送っていたのか? 平城宮長屋王邸宅跡から出土した膨大な木簡群を資料として、藤原氏との政争に敗れながらも平安時代までしぶとく生き残った長屋王家=北宮王家の日常生活を解明する。 【目次】 プロローグ 北宮王家とは 第一章 奈良時代史の舞台 平城京 1 平城遷都 2 平城京の発掘と長屋王邸宅の発見 第二章 北宮王家のなりたち 1 律令体制の成立 2 長屋王家木簡の謎 3 北宮王家の「発見」 第三章 藤原氏の展開 1 律令貴族藤原氏の成立 2 藤原氏と家政組織の継承 3 女性の力 4 聖武天皇とその皇統 第四章 北宮王家の試練 1 長屋王の変 2 北宮王家の家政運営 3 北宮王家の経済基盤 4 下級官人のくらしとの比較 第五章 北宮王家の行方 1 藤原四子とその後の北宮王家 2 橘奈良麻呂の乱と王族 3 女性王族のくらし 4 称徳天皇と不破内親王 5 地方豪族と王臣家 エピローグ 高階真人氏の行方 註 あとがき 索引
-
「道」とはなにか。高度な哲学的思弁と卑俗な民俗信仰の入り交じる、混沌と矛盾に充ち満ちた不可思議な思想。教団・経典の解説から「気」の思想、妖怪怪異の世界にいたるまで、複雑怪奇な道教の世界の神髄を縦横無尽に解き明かす。 【目次】 はじめに 第一章 しいたげられた心の救い 老子/宗教/自然観 第二章 転変する世界の肯定 教団/経典/神統譜 第三章 その喧騒のただなかで 山岳信仰/仙人/女神 第四章 陰気が陽気を犯すとき 文学/怪異/年中行事 第五章 体のなかは虫だらけ 民俗/医療/日本文化 第六章 十中八九でたらめでも 学術史/学者/現在 あとがき 参考文献 索引
-
ここに現代思想のカギがある! 何ものかわからないものの訪れを無条件に受け入れて喜ぶ。この「歓待」の精神は、一方では、現代思想の重要なキーワードとして、ますます注目をあびている。フーコーやレヴィナスやデリダの思考は、どのような射程をもつのか。北欧神話に「歓待」の根源的なかたちを見出し、現代思想に架橋することで、新たな倫理を構想する、清新な論考。 【目次】 はじめに 第一章 北欧神話の基本構造 一 共同体としての存在 二 「内」と「外」を区切るもの 境界としての存在 三 北欧神話の基本構造 四 境界 第二章 「歓待」の萌芽 北欧神話が語り継いだもの 一 「時間」 二 世界および人間の創造 存在者の不安 三 「歓待」 四 北欧神話に見る「歓待」の萌芽から、現代へ 第三章 神話から現代倫理へ フーコーとレヴィナスを架橋として 一 フーコー 二 レヴィナス 第四章 「歓待」の倫理 一 「歓待」の非共同体性 二 「歓待」のパラドクス 三 シャーマニズム 四 パレルゴンロジック 第五章 「歓待」が生みだすもの 「共ー同体」へ 一 ローカルな共同体 二 「法」から「歓待」へ 三 「共ー同体」へ 終章 環境思想としての「歓待」の倫理 一 ディープ・エコロジー 二 今日の自然観 三 聴覚的自然観 注 あとがき
-
中国、朝鮮、琉球、台湾を一つの視野におさめ、「東の地中海」=東シナ海をめぐる地域に通底する基層文化を見通すための基軸を、多様な民俗現象から掘りおこす。 【目次】 はじめに 第一章 呉越文化の広がり 第二章 農、交易、生死 第三章 他界 魂は故郷をめざす 第四章 女の世界 第五章 『大長今』の世界から 一六世紀基層文化の事例研究 第六章 祭祀世界 おわりに まとめに代えて あとがき 参考文献 関連サイト一覧 東方地中海地域文化関係略年表 索引
-
神話は過去の遺物ではない。神話的思考は死んでいない、それどころか、今もそこにあって、現代人の心の奥で活発な活動を続けている。 ポケモンパレードが開く人生の深淵、デパートの物産展が喚起する贈与への誘惑、ブッダの化身かもしれないアンパンマン…… 日常の奥にひそむ、世界の秘密へダイブせよ。 「神話はインポッシベーグルと同じような2・5次元の世界を生み出す能力を持ったナラティブである。私たちは驚異にみちたそのナラティブを、おもしろおかしく聴きながら、そこに含意されている教訓や世界観について考えたり、他の人たちとそれを共有することによって、共同幻想をつくりだす。私たちが現実と呼んでいるものの少なからぬ部分は、このような現実には存在しない2・5次元の不可能物体によってかたちづくられている。私たちの世界はじつは、インポッシベーグルの構造をした神話によって取り囲まれている。」(「プロローグ」より) 【目次】 プロローグ I 女王の虹 デパートの物産展 量子もつれ メタバースの夢 新しい「百姓」 聖地巡礼 人生のバグ 新年を迎える 地霊を食らう旅の友 坂本龍一との巡礼 II ふたつの心 ガルガンチュアの末裔たち 神話とセカイ系 毒舌芸 渚の秘数3 岡山の時代 博物館推し 所ジョージという謎 人生はパレードだ III 「アレ」について 量子論の濫用 神宮外苑の再開発 よみがえる昭和歌謡 両性具有の新次元 ストック型勇者 辰年を開く 箱根駅伝というミトロジー 月面に遊び心を IV アンパンマンと熊 まれびと再来 手のひらのエルサレム ゴジラ、日本人の分身 ミニマリズム・コミック 二〇二四年並行宇宙の旅 栃木の底力 神話マニア 水戸黄門 騒々しいお通夜 V アナーキズムは新しい 法医学が人気 イコンとなった写真 「諏訪」を探す 魔法からアニミズムへ おむすびの思想 渋谷へのレクイエム よみがえれ、時代劇 カーゴカルトと世界の右傾化
-
チャットGPTに代表される生成AIが世界的な注目を集めたのは2022年末。それから数年を経て、今や対話型生成AIは爆発的な普及を見せ、後戻りのきかない状況にある。これは、われわれ人類にとって僥倖なのか、それとも……? 前著『AI原論』(講談社選書メチエ、2018年)から8年、第一人者はこの状況を根源的に問うために、もう一度、筆をとった。 チャットGPTやGeminiは、深層学習(ディープラーニング)に加え、大規模言語モデルという精妙な新技術に基づいている。その革新性ゆえに、生成AIが生産活動の効率を一挙に向上させ、巨大な経済成長をもたらすことは、おそらく間違いない。しかし、と著者は言う。「冷静に眺めれば、生成AIが内部で実行しているのは、単語の使用データを高速統計処理し、出現確率の高い単語を並べているだけだ。質問文の意味を本当に理解しているとは思えない。とんでもない内容の誤情報や偽情報も平気で出力する。そんなAIの回答をうやうやしく信奉し、人間のかわりに仕事の決定を任せて大丈夫なのか」と。 「AIは人知を超える」という予測は、ますます現実味を帯びているように思える。しかし、そもそも「人類の知性」とは何か? それはコンピュータによるデータ処理と等価でありうるものなのか?―─こういったテーマを考えるには「生命と機械の異質性/同質性」や「無意識領域ではたらく情動」という難問に取り組まなくてはならない。少なくとも「情報」という概念を基礎から捉え直す学問が必要になるだろう。その新たな学問を創出する企てに取り組み続けてきた著者は、本書で人類学的な知見をも取り入れて、これらの根源的な問いに正面から向き合う。 その先には、生成AIの進化と普及を踏まえた上での知的革命が予感されるだろう。AIを単純に肯定するのでも否定するのでもない「第三の道」を指し示す本書は、もはやAIと無縁で生きることのできないすべての人に向けられた重要なメッセージである。 [本書の内容] 第I部 生成AIをめぐる疑問 第1章 脳型コンピュータの到来 第2章 日本のデジタル敗因 第3章 挫折した国産第五世代コンピュータ 第II部 デジタルAIとはそもそも何か 第4章 一神教から生まれたデジタル文明 第5章 約束の地アメリカ 第6章 科学と情報を問い直す 第III部 生命と機械をつなぐ 第7章 ネオ・サイバネティクスとは何か 第8章 基礎情報学というステップ 第9章 生命的な超倫理をつくる 第10章 生成AI時代の情報学的転回
-
すべては一匹の犬との出会いから始まった――。思いがけず犬を迎え入れることになった著者が過ごした、にぎやかで愛おしくも、ちょっぴり切ない日々を綴った哲学エッセイ。犬たちの他愛ないイタズラや、人生の転機、そして別れ……彼らとともに過ごすことで起きた大小さまざまな出来事を、英米哲学研究の第一人者でもある著者ならではのまなざしで描く。日常生活のすぐ隣に、こんなにも豊かな哲学の世界が広がっていることを教えてくれる。 「余は、大王のアレクサンドロスだ」という名乗りに「そして俺は、犬のディオゲネスだ」と答えた哲学者シノペのディオゲネス。「犬儒派」は、「キュニコス派」の訳であり、この紀元前4世紀ころの古代ギリシアの哲学者の名とともに知られている。犬儒派は価値の逆転を真骨頂とする哲学の潮流である。 「犬儒派」を宣言する本書は、ディオゲネスからさらに一歩進んで、犬の目線で世界を眺めることを提案する。 犬のまなざしで見ると、世界はどのような姿をしているのか。人間が動物とともに生きていくとは、どのような営みなのか――。哲学研究者である著者ならではのユーモアあふれる珠玉のエッセイ。 【本書の内容】 はじめに 序 哲学を選んだことの本意・不本意 第1章 しずかと牛若の日々 第2章 キュニコス派と犬儒派、そして「犬に酔える哲学」 第3章 「ハチ公物語」と犬儒派の哲学 第4章 犬儒派哲学への道のり おわりに 文献表
-
16世紀後半から17世紀のスペイン。カタルーニャの反乱、ポルトガル貴族の蜂起、スペイン陸軍の敗北、フランスとの戦争、英国やオランダの海賊強襲、屈辱的な平和条約締結に、経済の破綻と、国内外に悲惨な事件が続き、巨大帝国が一気に傾きつつあるとき、空前絶後の「演劇ブーム」が起こっていた! 国王から庶民まで、階級も貧富の差も飛び越えて、人々が同じ劇場に集まるという事態。 しかも観客のヤジは壮絶で、少しでも作品が気に入らないと口汚い罵声が飛び、舞台にモノを投げ、観客同士で喧嘩まではじまる始末。 大衆演劇派と古典演劇派による、劇作家同士の嫉妬や足の引っ張り合いも日常茶飯事。 いったいなぜ、彼らはこれほど「演劇」に執着したのかーー? 不安と不吉の影におびえながら演劇に熱狂していく人々の騒がしくも愚かしいスペイン演劇世界を、当時の社会や空気を多数の文献を踏まえて活写する! 目 次 はじめに 1 スペイン黄金世紀の祝祭 2 劇作家を志望したセルバンテス 3 マドリードの劇場風景 4 観客という凄まじい怪物 5 大衆演劇賛否両論 6 怪物劇作家ロぺ・デ・ベーガ 7 文壇の対立といじめ 8 時代を象徴する宗教劇 9 スペイン演劇にみる名誉の実態 あとがき 索引 参考文献 図版/図版複写元
-
「同じでいる力」――それこそが、カオスな世界で生きる技法。 困難な時代の希望の在処を示す、新しい人間の哲学! 〈自閉〉の力、すなわち「同じでいる力」・「反復する力」。モノや情報が氾濫し、目まぐるしく転変し続ける世界に無防備でさらされながら、それでも臨機応変・当意即妙な応答を要求される時代に、暫定的かつ局所的なテリトリーを構築し、自己および世界との関係を構成していくその力は、それぞれの困難を生きる私たちがそれぞれの仕方で実践すべき生存の技法ではないか――。 病理や障害を欠如として語るのでも、美化するのでもない、〈自閉〉の力への信に貫かれた、気鋭の哲学者による新境地。 [目次] はじめに いまを生き抜くカナリア 第1章 現代の生の様態としての〈現前〉 第2章 無人島と他者なき世界 第3章 流れない時間 第4章 リトルネロ――テリトリーの構築と自己の構成 第5章 可能的なものの技法――非音楽的な建築術 おわりに それぞれの〈現前〉のなかで あとがき
-
「人類が最も幸福だった時代」と後世の歴史家に称された、2世紀のローマ帝国。 その最盛期に生きた人々が切実に願っていたのは、愛する家族に囲まれ仕事に誇りをもち、幸せに生きたことを、後の世に記憶してもらうことだった。 政治史を中心としてきた著者が、帝国エリートはもちろん、市井の人々や被征服地の民に至るまで、古代人の「思い」に迫る。広大なローマ帝国の統合を支えたのは、彼らのどのような「心」だったのか。 新たな視点から浮かび上がる、巨大帝国の知られざる素顔。 18世紀の歴史家エドワード・ギボンは、『ローマ帝国衰亡史』のなかで、2世紀のローマ帝国を「人類が最も幸福だった時代」と評した。 「ローマの平和」と呼ばれる時期に入り、帝国の版図が最大となったこの時代、人々は珍味に満ちた饗宴を楽しみ、剣闘士の戦いに熱狂し、公共浴場の快適さを味わいながら、満ち足りた日々を送っていた――本当にそうだったのだろうか。 帝国の基本構造、ローマ人の一日、そして一生などに始まり、小プリニウスやタキトゥスをはじめとする帝国エリートはもちろん、奴隷や戦争の結果征服された土地である属州の民ににいたるまで、彼らがいかなる思いで帝国を生きたのかに迫る。 最盛期の帝国はまた、無数の碑銘が死者に捧げられた帝国でもあった。碑銘は広く人々に開かれた表現の場であり、誰もがそれを立てて、自ら、あるいは愛する者が、家族に囲まれ、仕事に誇りをもって幸せに生きたことを後世に伝えようとした。その思いは、老若男女を問わず、帝国のエリートから市井の人々、さらに被征服地である属州の民にまで共有されていた。この古代人の心こそが、広大な帝国を結びつける力だった……! 政治史を中心に研究を重ねてきた著者が、新たな視点から描き出す巨大帝国の内なる世界。 【本書の内容】 序 章 ローマ人の心を碑銘に読む 第1章 ローマ人はどんな世界に生きていたのか 一 ローマ国家の歴史/二 ローマ社会の仕組み/三 ローマ市民の「一日」/四 ローマ市民の「一生」 第2章 帝国エリートたちの生きざま 一 プリニウスの生き方/ 二 元老院議員の理念と生活様式/三 タキトゥスの考え/四 ローマ皇帝の下で生きること 第3章 生と死から見る家族の肖像 一 家族の形とつながり/二 死の習俗と家族/三 家族の外の世界 第4章 属州の人々の心 一 被征服地の変化と住民の心/二 属州支配の進展/三 支配に加わる人々と抗う人々 第5章 平穏な帝国の暮らし 一 平穏な時代のガリア/二 ガリア住民の信仰/三 墓碑や記念碑に見えるアイデンティティと生き方/四 構築された新しいアイデンティティ 終 章 帝国の危機とローマ人の心
-
第一線の研究者が結集! 日本軍への「裁き」は、平和創造の礎となったか? 事実に光をあて、全体像を一望し、いまこそ考える。 日本軍の行為はいかにして戦争犯罪として特定され、 連合国と関係諸国はどのような思想と仕組みのもとで被告人たちを裁いたか。 東京裁判から各地で行われたBC級裁判までの全体像を、各国現地に所蔵される一次資料を探索・収集・分析することで明らかにし、あらゆる立場からの議論に資する「実像」を浮かび上がらせる。 対日戦犯裁判の歴史的な「成果と課題=バランスシート」が、この一冊の中に示される! 【本書「はじめに」より】 日本による侵略や残虐行為の責任問題を放置せず、被害者が直面した恐怖やその最期の「真相」を明るみに出し、事件に関与した個人の刑事責任を追及する意義があった。しかし、その一方で、「勝者の裁き」の形により、また侵略犯罪(先の「平和に対する罪」)など事後法によって敗者を断罪したとして、その公平性に疑義が呈された。こうした戦犯裁判をめぐる光と影は、裁判後に忘却され、なかったことにされることなく、国際社会はこれら「弱点」を克服すべく、法と制度の改革に向けて模索を続けてきた。本書では、戦争犯罪とその処罰に関する「過去と現在」、歴史的なコンテクストと今日的状況を視野に入れながら、対日戦犯裁判の歴史的な位置、その意義と限界について考えてみたい。 【本書の内容】 はじめに 永井均 第一章 東京裁判 戸谷由麻 第二章 ニュルンベルク裁判 芝健介 コラム 戦争犯罪問題をみる視点・1 東京裁判へのまなざし 吉田裕 第三章 アメリカ裁判 林博史/岡田泰平 第四章 中華民国裁判 伊香俊哉 第五章 イギリス裁判 林博史 第六章 オーストラリア裁判 林博史 第七章 フランス裁判 難波ちづる 第八章 オランダ裁判 リセッタ・シャウーテン[高取由紀訳] 第九章 フィリピン裁判 永井均 コラム 戦争犯罪問題をみる視点・2 戦犯裁判と通訳 武田珂代子 第一〇章 ソ連裁判 富田武 第一一章 中華人民共和国裁判 大澤武司 第一二章 上官責任と実行者責任 戸谷由麻 第一三章 戦犯裁判と日本の旧植民地問題 内海愛子 コラム 戦争犯罪問題をみる視点・3 戦犯裁判と性暴力 林博史 第一四章 戦争犯罪法の発展と国際刑事裁判 東澤靖 第一五章 国際刑事裁判所と日本 尾﨑久仁子 コラム 戦争犯罪問題をみる視点・4 戦争犯罪と核兵器 真山全 おわりに 永井均 資料 関連年表
-
美は、世界が滅びゆくこと自体のうちにのみ生まれる――。宮嶋資夫、太宰治、坂口安吾、桐山襲、野坂昭如。大正・昭和・平成の時代にわたるこの5人の作家は、どうしようもなく救いを求め、作品のうちにつかの間それを浮かび上がらせることに成功しながらも、現実の前に敗れ去った。それぞれが求めた救いの姿と、その挫折を作品の紹介を通して描き出す。 「人間がだめになったんですよ。(…)そんな時代になったんですよ」(太宰治)。遠くかすかに響く祈りの声に耳を澄ませつつ頁を繰る、希望なき時代の読書のすすめ。 理不尽と暴力に満ちた労働文学の旗手として登場し最後には仏門に消えた宮嶋資夫(1886-1951年)、ユートピアと現実のはざまで立ち尽くす「弱法師」太宰治(1909-48年)、堕落を呼びかけながら、生の原点「ふるさと」を希求した坂口安吾(1906-55年)、戦後訪れた政治の季節に体制への反逆と絶望のはざまでもがきつづけた桐山襲(1949-92年)、高度経済成長のさなかトリックスターの身振りでディストピアを描き続けた野坂昭如(1930-2015年)。大正から平成にかけて筆を執った5人の作家は、それぞれに救済を求め、作品のなかにそれを浮かび上がらせながらも、容赦ない現実の前に敗北した。 彼らの挫折は、令和の時代に明らかになりつつある社会の絶望を先取りするものでもあった。彼らが必死に手を伸ばし、しかしついに届くことがかなわなかった救いとは、どのようなものだったのか。有名無名問わず作品が紹介されるなかで、呪詛にも似た祈りの声がかすかに漏れ聞こえてくる。 昏い時代にものを書き、そして読むことの意味を鋭く問いかける空前絶後の文学案内。 【本書の内容】 はじめに――終わりなき終焉を見つめて 1 死に憑かれて――宮嶋資夫というヤマイヌ 2 無何有の明滅――太宰治という掟破り 3 タブラ・ラサにたたずむ――坂口安吾という「ふるさと」 4 瞑さのアナーキズム――桐山襲という「違う世界」 5 ディストピアの妄想――野坂昭如という廃墟 おわりに――現実忌避に向けて あとがき
-
「われらが内なる道徳法則と、われらが上なる星輝く天空! カント!!!」 1820年、49歳のベートーヴェンは筆談用のノートにこう記した。《第九》初演のおよそ4年前にあたる。ここに引用されているのは、ほかならぬカントの『実践理性批判』の結語の一部だが、少しアレンジされている。そのアレンジは、なぜ生じたのか。そしてベートーヴェンのこの感激は、何を物語るのか――。その問いは《第九》に込められたベートーヴェンの思いへとつながっていく。 若き日にはボン大学で講義を聴講していたこともあるベートーヴェンと、彼を取り巻く文化的・社会的文脈から《第九》を生んだドイツの時代精神を描き出す意欲作! ベートーヴェン(1770-1827)が生きた時代のドイツ語圏には、ゲーテをはじめヘーゲル、シラー、フィヒテ、シェリングと綺羅星のごとき知性がいた。そのなかでひときわ大きく強い輝きを放ったのが、巨星イマヌエル・カント(1724-1804年)である。 天文学と神学、そして音楽がまだかろうじてつながりを保っていた18世紀後半にあってカントの哲学は、ベートーヴェンの音楽にも大きな影響を及ぼした。哲学と音楽、それぞれの領域でドイツを代表するといっても過言ではない二人が、これほど近接した時を生きたことにこそ、《第九》誕生の秘密はあった。 若き日、ボン大学で講義を聴講していたベートーヴェンに遡り、やがて訪れる「苦悩を突き抜けて歓喜へ」と至る道筋を追いながら、有名無名さまざまな人的・知的交流の網の目を丹念に浮かび上がらせることで「知の歴史」を描くこれまでにない試み。 【本書の内容】 プロローグ 第1講 啓蒙都市ボン 第2講 ボン大学の教授たち(その1) 第3講 ボン大学の教授たち(その2) 第4講 皇帝カンタータ 第5講 歓喜に寄す 第6講 無限と宇宙 第7講 シラーとカント 第8講 危機の時代 第9講 歌劇《レオノーレ》 第10講 苦悩を突き抜けて歓喜へ 第11講 カント宇宙論に挑む 第12講 会話帳をめぐる問い 第13講 星空のエチカ 第14講 第九交響曲 エピローグ 思想史の星図における第九交響曲
-
ヨーロッパは、没落していくことをみずから欲せざるをえない。 そして没落していく者としてのみ、到来する者となるだろう――。 アガンベン、エーコ、ネグリ、エスポジト……イタリアの思想家が世界を席巻するなか、その隆盛を牽引してきた最も重要な哲学者でありながら、日本ではいまだその全容を知られていない、マッシモ・カッチャーリ(1944年生)。クザーヌスやブルーノなどの異端的な思想を愛し、ニーチェに基づく「否定の思考」を信条とする著者が耳を傾けてきた「希望に抗する希望の声」とは、いかなる声なのか。一筋縄ではいかない知性に裏打ちされたヨーロッパ論にして共同体論。 本書は、ヨーロッパがいかにして自らを「ヨーロッパ」として同定するに至ったかを、古典古代のテクストに準拠しつつ、中世から近代、そしてさらにはシモーヌ・ヴェイユやカール・シュミットなど現代において提出されてきたさまざまなヨーロッパ像と突き合わせながら丹念に読み解いていく。 エピローグにおいて、カッチャーリは「ヨーロッパの唯一の未来」を示唆する。冷戦終結後、ヨーロッパの統合と拡大が一気に進むなか、EU誕生の翌年にあたる1994年に本書は刊行された。その後、国際情勢は大きく変動し、いまやヨーロッパはロシアの脅威にさらされる一方で、中国をはじめとする新たな国家の台頭をうけ、各国でこれまでになく右派勢力が拡大し、EUも大きく揺らいでいる。40年の時を経た今、本書の対となる書物『アルキペラゴス(多島海)』とあわせてカッチャーリが示したヨーロッパ像、そしてヨーロッパの未来は、分かりやすくはないからこそ、そこに開かれる可能性を示唆している。イタリアが、そしてヨーロッパが誇る知性が描きだすヨーロッパとは――。 【本書の内容】 第1章 ヨーロッパの地理哲学 第2章 戦争と海 第3章 英雄たち 第4章 歓迎されざる客 第5章 不在の祖国
-
「楽しい政治」というタイトルを見て不真面目だとか不謹慎だと感じたなら、そういう人にこそ本書を手にしてもらいたいと思います。そうすれば「今」という時は「過去」の上に成り立っていること、その成り立ちには無数の人の無数の意図が混入していること、そしてそれを知ることは何より「楽しい」ものであることが分かってもらえるでしょう。 本書は二部構成になっています。第I部では「今」がいかにして「過去」の上にあるのか、そのプロセスの多様さを映像作品を素材に明らかにしていきます。取り上げられるのは『ウォッチメン』、『コンクリート・カウボーイ』、『トイ・ストーリー』、『ノマドランド』等々。多くの人が見てきたこれらの作品からどんな「過去」と「今」が浮かび上がってくるでしょう? そして、第II部では、世界で起きている「今」の出来事を取り上げ、一つ一つの出来事の中にこそ「政治」があることが示されます。取り上げられるのは「Qアノン」をはじめとする陰謀論、旧約聖書の記述を歴史的事実として再現した「創造博物館」、作者の意図を超えて政治に利用された「カエルのペペ」等々。巻末に「キーワード事典」を完備した本書は、政治の「過去」と「今」を知ることができる最良のガイトブックです。 [本書の内容] 第I部 つくられた歴史から〈構造〉を知る 第1章 集会と虐殺――パブリック・ヒストリーが開いた負の歴史 第2章 コンクリートジャングルのカウボーイ――「歴史修正」の功罪 第3章 妖怪と差別――トラウマと人種主義を「楽しむ」倫理 第4章 ビデオと映画――共感の普遍化と〈構造による人種差別〉 第5章 「トイ・ストーリー」はフェミニズム映画か?――#MeTooと進化するアメリカン・アイデンティティ 第6章 ともに夢見るユートピア――反省と未完のプロジェクト「アメリカ」 第7章 「アウトサイド」の国――周縁から裏返す『ノマドランド』のアメリカ 第II部 つくる現場から〈コミュニケーション〉を知る 第8章 アメリカのカーデモ――コロナ禍のフィールドで声をあげる 第9章 代々木のデモのエスノグラフィー――「フィールド」をつなぎ、「見えない」ものに目を凝らす 第10章 モニュメント・ウォーズ――記念碑をめぐる闘争と記憶する社会運動 第11章 言葉のモニュメント――形のない「記念碑」で記憶する 第12章 かえりみるミュージアム――博物館で/を植民地主義の歴史から脱する 第13章 KポップファンのコンヴァージェンスなBLM――ハッシュタグ・ハッキングと正義の荒らし 第14章 オルタナ右翼のカエル神――「ぺぺ右翼化事件」に見るミームの兵器化とSNSの戦場化 「楽しい政治」のためのキーワード事典
-
江戸幕末期に日本に渡来した写真術は、日本が近代化を急激に推し進めた明治時代に社会に導入され、普及し始めた。遡れば、フランスでルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787-1851年)が「ダゲレオタイプ」と呼ばれる最初期の写真を開発したのは1839年。この新しい技術は日本の人々にも衝撃を与え、やがて西洋で流行していた「絵画主義(ピクトリアリズム)」という表現と技術の習得が求められていく。 だが、そうした時代の中で、写真という技法の恐るべき単純さに気づき、ただひたすらにその単純さを極めようとする者たちが現れた。その系譜に位置づけられるのが、本書が取り上げる三人の巨人――木村伊兵衛(1901-74年)、土門拳(1909-90年)、濱谷浩(1915-99年)にほかならない。 写真の単純さとは何か。それは「物が在って、それが写真に写る」という事実である。写真は、物が放つ光の痕跡であり、物が放つ光、渦巻く光の運動である物が写真におしとどめられる。この事実にこそ忠実であろうとした三人が、いかにして写真と出会い、その本質に気づき、それぞれの手法で、それぞれの対象を通して、どこに向かって歩んでいったのか。その軌跡を、本書はただ愚直に、ただ単純に追求していく。 著者は言う。「彼らは機械文明が戦争という頂点をなす戦前の激動期にそれぞれ写真に決定的な仕方で出会っている。彼らは、欧米化=近代化の問いを日本という土壌で強いられつつ、写真を自らが拠って立つ基盤として選び取って、写真に生きた写真家たちであった」。本書は、日本という場所でこそ花開いた写真の可能性を明らかにし、世界と写真という「神秘」は誰もが経験できることを示す、まさに写真原論と呼ぶにふさわしい渾身の1冊である。 [本書の内容] 序 章 写真なるものの出来──近代文明のただなかで 第一章 物への信仰に至る写真──木村伊兵衛という源泉 第二章 凝集する時間、満々たる写真のさざめき──土門拳という極北 第三章 潜在するふるさとに向かって──濱谷浩の継承と返礼 終 章 生まれ出づる写真家たちへ──知覚のレッスンに向かって
-
知ることを求め、懐疑へと沈む人間。 本書はその真実を掴まえた。 ――古田徹也(東京大学准教授) 世界も、他人の心も、決して本当に知ることはできない。もし、心からそう考える人がいたら、不安に押しつぶされてしまうだろう。人間の実存に関わるこうした考えを初めて哲学的に追究したのはデカルトである。それ以来、この哲学的懐疑論は近代哲学のかたちを決定づけてきた。だとすれば、哲学自体はこの懐疑論を克服できないのだろうか? ウィトゲンシュタインやオースティンの日常言語哲学から、ソローやシェイクスピアなどの文学、また映画、音楽をも横断し、これ以上なく透徹した論理と文体が、哲学の限界を切り開く。言語哲学、認識論、道徳理論を揺さぶり、大陸哲学と分析哲学を調和させ、哲学に人々の日常の「声」を呼びもどすとき、そこに立ち現れるものは何か。 アメリカ哲学の巨人が遺した、哲学史に残る傑作! [本書の内容] ペーパーバック版への序 序文 第1部 ウィトゲンシュタインと人間的知識の概念 第1章 規準と判断 第2章 規準と懐疑論 第3章 オースティンと実例 第4章 物の何たるか(何と呼ばれるか) 第5章 自然と慣習 第2部 懐疑論と世界の存在 第6章 伝統的認識論の探究(プロローグ) 第7章 ウィトゲンシュタインの言語観についての補説 第8章 伝統的認識論の探究・結び 第3部 知識と道徳性の概念 第9章 知識と道徳性の基礎 第10章 道徳性の不在 第11章 規則と理由 第12章 道徳の自律性 第4部 懐疑論と他者の問題 第13章 承認と忌避のあいだ 訳注 訳者解題 『哲学探究』出典索引 人名〔著作名〕索引
-
「なぜ嘘をついてはいけないの?」 21世紀のフランスを代表する哲学者ジャン=リュック・ナンシーが「これまでで一番難しい」テーマ、〈嘘〉について語った楽しい哲学入門! 自らの少年時代や身近な社会問題を例にあげながら、聴衆である子どもたちとともに嘘について考えます。「誰でも嘘をつくんですか?」 「良い嘘もある?」 「動物は嘘をつくことができる?」 「嘘は真実にもなりえますか?」 「他人が嘘をついているのを見抜く方法は?」……あなたならどう答えますか? やわらかに、ときに茶目っけたっぷりに語られる「嘘の真理(ほんと)」は、「信頼」の問題へ、さらに著者が生涯をかけて考え続けた「共同体」の問題へと展開していきます。「嘘は根本的に、まさしく他人への関係なのです」。 ナンシーとその思索を明快に紹介した訳者解説とともに贈る、哲学への極上の招待! 【本書の内容】 嘘の真理(ほんと) 質問と答え 訳者による解説 訳者あとがき