古代にその後の時代で言うような「日の本(ひのもと)」という訓みと理解があったのか?という疑問からのスタートでしたが正直色々それどころじゃない目からウロコがいっぱいありました。
まず古代ってやはり漢籍や漢文の理解があるのとないのとでは全然視野が違ってくるんだろうなと思いました。平安時代に日本書紀の講書
...続きを読むが度々行われてますが(長くて数年かけて行われる)この当時に日本書紀に対する意欲すげえなと。矢田部公望なにものなの…おれもその講義受けたかったわ…
″「日出る処」って言うけど中国から見たら確かに日の出る方向だけど日本から見て国の中から日が出るわけじゃないのに「日出る」とかいう???(意訳)″って質問した某参議、私ちょっと日出る処表現のイメージ固まり過ぎててその発想無かったわ…って感動した。
概ね中華思想におけるあくまで配置的な「日本」という表現からきてるという印象で、自主的に「日本」を国号として名乗り始めたわけではないという感じでした。もちろん制度化して正式に倭から日本になるわけですけども。あと王朝名として見るべきという話もなるほどでした。