【感想・ネタバレ】新釈全訳 日本書紀 上巻(巻第一~巻第七)のレビュー

あらすじ

50年ぶりに現れた、超本格の訳、注、校訂! 『日本書紀』成立1300周年を機に問う、決定版! もっとも根本的な江戸期の版本から本文を厳密に再現し、読みやすい明解な訳でたのしむ。詳細な注と補注でさらに理解を深める決定版!

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Posted by ブクログ

日本書紀の全訳と豊富な注釈を掲載した本です。
収録されているのは、漢文と現代語訳のみで書き下し文はありませんが、かなり読みやすい本でした

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2025年04月27日

Posted by ブクログ

神武天皇の東征の大阪湾での波速という描写についての注釈がない!せっかくの新釈なのになぜここに注記をいれない?
どういうことかとというと、神武東征時難波の崎に至る時、東征軍が速い潮流に出くわし、大変速く着いたという話。そこで波速の国と名付けたというカ所だ。これを理解するには大阪の地形を知っておく必要があり、こちらの本には大阪の地図が載っていた。それは良い、それは良いんだけど、この地形、つまり神武東征時の大阪の地形、現在の上町台地が堤防のようになっており、琵琶湖からの流れ出す淀川と奈良からの大和川の水で内陸まで大阪湾の水が入り込む巨大な河内湾になっている、という事実は、日本書紀編纂時の日本人には理解できない描写であることが何も説明されてない。これについての注釈がない!

「戦後」のボーリング調査によると、紀元200年ごろからこの難波崎に土砂が堆積し河内湾には海水の流入がなくなったことが判明した。そして淡水の湖になった
つまり、もしこの河内湖の時代に神武東征が行われていたならば、湖からあふれる流れを遡るような描写になるはず。また記紀が編纂された8世紀には仁徳天皇の治水工事により難波崎と呼ばれる場所がなくなってしまった。この地形の推移を理解しているならば「難波崎に至るときに、奔き潮ありて」という描写がいつの時代に成立したか分かる。それは紀元200年よりは前ということになる。加えて、河内湖となった200年以降の地形、難波崎がなくなった400年以降の地形しか知らない人間には理解できない描写なのだ

すなわち、神武東征が記紀編纂時に捏造された架空の物語というのならば、考古学者は、戦後の無数のボーリング調査を集計して初めて分かった事実を神武東征の記事が正確に反映している理由を説明しなければならない。大阪の地形の変化から、200年以降では神武東征の河内湾に吸い込まれるような航海描写はあり得ないのだ

これを注記で書いとけっての!
ていうかこの著者はこれについてどう思ってんのかも言ってほしかったわ。全員これをスルーしてる
我々はとっくに神武天皇も東征の話も架空という決めつけから抜け出す時期に来てるんだよ

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2025年08月05日

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