ジュール・ヴェルヌは地理、科学、博物学を元にしてSFを書いてるからなんか知識の幅広さがダーウィンに似てる。ダーウィンは小説は書いてないけど、ビーグル号航海記っていう旅行記が、事実は小説よりも奇なりで小説以上に面白いけどね。
「ジュール・ヴェルヌ
Jules Verne 1828年フランス、ナントに生まれる。ナントのリセを出たあと、 1847年法律の勉強のためパリを訪れる。 48年にアレクサンドル・デュマ父子と出逢い、劇作家を志す。地理や科学、博物学の広範な知識と、豊かな空想力を駆使して数多くの作品を発表した。空想科学小説の父と呼ばれる。主な作品に『地底旅行』『八十日間世界一周』『神秘の島』など。」
「この点をめぐって熱っぽい議論が交されました。私の論文は大きな反響を呼んだのです。支持を表明してくれる人もそれなりの数に上りました。この論文に示した私の見解は人々の想像力に翼を与える態のものでした。人間の精神というのは超自然の生物をめぐって壮大な夢を見たがるものです。そして、海はそんな夢にとってまさに最高のフィールドなのです。象にしろ犀にしろ、とにかく陸生の大型動物を小人同然に見せてしまうほど巨大な生物が生まれ育つ可能性のある唯一の場所、それが海なのですから。実際、海には現在知られる限りで最大の哺乳類が生息しています。ことによると、途方もないスケールの軟体動物、見るも恐ろしい甲殻類、例えば全長一〇〇メートルのオマールエビや重さ二〇〇トンのカニが潜んでいないとも限りません。誰がその可能性を否定できるでしょう? かつて地質年代には、陸生動物、即ち、四足動物、四手獣、爬虫類、鳥類は巨大な規格に合わせて造られていました。神がお使いになる鋳型はとてつもなく大きかったのです。その鋳型は時代とともに縮小していったのですが、もしかすると、海の知られざる深淵には今もなおかつての生命のさまざまなサンプルが息づいているかもしれません。そう、ほとんど絶えまなく変動しつづける地核とは対照的に、けっして変わることのない海の懐の中になら、巨大生物の最後の変種が潜んでいるのではないでしょうか? 海の巨大生物にとっては、私たちの一世紀も一年に、私たちの一千年も一世紀に過ぎないのです……。」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「商談のときはそうだろう。だが、ネッド、数学は違う。ひとつ聞いてくれないか。今、仮に、一気圧が高さ三二ピエ、つまり約一〇メートルの水柱の圧力に等しいものとしよう。いや、実際には水柱はもう少し低いものになる。海水は真水より密度が濃いからね。だが、ネッド、今は一気圧三二ピエと仮定して、その上で君が海に潜るとしよう。すると、深さが三二ピエ増すごとに、君の身体には一気圧相当の水圧が加わることになる。つまり、君の体表に一平方センチあたり数キロの水圧がかかるわけだ。深さが三二〇ピエになれば、水圧は一〇気圧相当になり、深さ三二〇〇ピエなら一〇〇気圧、そして深さ三万二〇〇〇ピエ、つまり水面下約二・五里のところまで潜れば一〇〇〇気圧というわけだ。ということは──もちろん、もし君がそんな深いところにまで潜ることができるとすれば、の話だが──、君の体表には一平方センチあたり一〇〇〇キロの圧力がかかる、という計算だ。ところで、我が親愛なるネッドよ、君は自分の体表面積がどのくらいか知っているかね?」」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「 その結果として「揺り戻し」が生じたわけです。まず失望感が乗組員の心を捉え、それが懐疑論への道を開きました。こうして艦内に新たな感情が生まれました。屈辱感が三割、残りの七割は怒りでした。幻に振りまわされるとは「何と愚か」だったか、いや、それより何より腹が立ってならない、というわけです。この一年間、営々と積み上げてきた論拠の山はがらがらと崩れ落ち、乗組員たちはそれまでむざむざ犠牲にしてきた貴重な時間を取り戻そうと、食卓とベッドを離れなくなりました。 人の心というのは変わりやすいもので、エイブラハム・リンカーン号の乗組員たちもその点で例外ではありませんでした。彼らは極端から極端へと走りました。今回の作戦を最も熱心に支持していた者が、最も辛辣な反対論者になり変わったのです。この揺り戻し現象はまず船底で生じ、石炭繰り水夫の持ち場から上層部の食堂にまで及びました。そこでもしファラガット艦長が並はずれた頑固さで立ちはだからなかったとしたら、フリゲート艦はきっぱりと船首を南に向けていたでしょう。」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「私たちが助かるも助からないも、ひとえにこの乗り物を操っている正体不明の操舵手の気分次第でした。もし操舵手が海底に潜ろうなどと考えれば、それで一巻の終わりなのです。もっとも、その危険を別にすれば、私はかならず内にいる連中と連絡が取れるはずだと信じていました。というのも、彼らが自分たちで空気を製造しているのでない限り、ときどき海面に浮上して酸素を補給しているにちがいなく、そうであれば、かならずどこかに船の内部と外部を繫ぐ開口部があるはずだからです。」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「私たちが助かるも助からないも、ひとえにこの乗り物を操っている正体不明の操舵手の気分次第でした。もし操舵手が海底に潜ろうなどと考えれば、それで一巻の終わりなのです。もっとも、その危険を別にすれば、私はかならず内にいる連中と連絡が取れるはずだと信じていました。というのも、彼らが自分たちで空気を製造しているのでない限り、ときどき海面に浮上して酸素を補給しているにちがいなく、そうであれば、かならずどこかに船の内部と外部を繫ぐ開口部があるはずだからです。」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「諸君、私はフランス語も、英語も、ドイツ語も、ラテン語も話せます。ですから、あなた方と初めて顔を合わせたとき、すぐに言葉を交わすこともできたのです。ただ、私はまずあなた方のことを知りたかった。そして、よく考えてみたかった。四つの言語によるあなた方の話は、大筋において完全に一致していました。おかげで、あなた方の素性も明らかになりました。今や私は、偶然の導きにより私の前に現れたのが、パリ博物館博物学教授にして国外科学調査担当官のピエール・アロナックス氏、その召使いのコンセイユ、そしてカナダ出身でアメリカ合衆国海軍保有のフリゲート艦エイブラハム・リンカーン号に乗船していた銛打ちのネッド・ランドだということを承知しています」」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「艦長、あなたは海を愛しておられるのですね」「そう、愛しています! 海こそすべてです! なにしろこの地球の十分の七は海に覆われているのですから。海の息吹は清らかで健康的です。この海という果てしない砂漠で、人はけっして孤独にはなりません。つねに身近に生命の胎動を感じるからです。海は超自然的かつ驚異的な存在を回遊させています。まさに運動と愛の化身、あなた方の詩人の一人が言ったように、生きた無限に他なりません。教授、海には自然の三界、つまり鉱物界、植物界、動物界の三つが揃っています。海の動物界を代表するのは四種類の植虫類、三綱の体節動物、五綱の軟体動物、そして三綱の脊椎動物、即ち哺乳類、爬虫類、それに数多くの魚類です。魚類の数はまさに無限で、じつに一万三〇〇〇以上の種に分かれていますが、淡水に棲むのはその十分の一に過ぎません。海は自然の巨大な水槽です。この地球はいわば海とともに始まり、そしておそらく海とともに終わるのです。海には至上の安らぎがあります。世の専制君主どもに支配されていないからです。たしかに海の表面では、専制君主どもが不公平な権利を行使したり、争ったり、むさぼりあったりすることもあるでしょう。陸のおぞましいものをすべて持ち込んでこないとも限りません。ですが、水中に一〇メートルも潜れば、もう彼らの力は及びません。彼らの影響力、支配力は霞んで、無に帰します。ああ、教授、どうか海の懐に抱かれて生きてみてください! ここでは、そう、ここでだけは、人は独立を保てるのです! 私は誰にも支配されていません! 私は自由です!」」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「読書するときに本を置く書見台もいくつかありました。自由に閉じたり開いたりすることのできる軽量の書見台です。部屋の中央の大きなテーブルは仮綴本の山で覆われていて、本の隙間からずいぶん昔の新聞が数紙覗いていました。そのすべてが調和のとれた雰囲気を醸し出していて、そこに電気の光が降り注いでいました。光源は、天井の渦巻き装飾の中に半ば埋まるようにはめ込まれた四つのつや消しガラスの電球でした。私は心の底から驚嘆しながら、目を疑ってしまうほどみごとにしつらえられた部屋を見まわしました。」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「私はどの植物も表層の粘つきによって地面に付着しているだけだということに気づきました。つまり、地中深くに根をはっていない、という意味です。また、植物は何らかの固形物をいわば足場代わりにすることはあっても、そこから生命力を汲みとってはいませんでした。植物にとっては、足場になってくれるものが何であろうと──砂だろうが貝殻だろうが、ウニの外皮だろうが小石だろうが──、そんなことはどうでもよいことでした。ここでは植物はいわば自力で生きていて、水にだけ生命を依存していました。そうです、植物を支え、養っているのは水だけだったのです。大半の植物は葉の代わりに薄い膜のようなものを付けていました。薄い膜の形は千差万別でしたが、それを彩る色彩は数が限られていて、ピンク、深紅、緑、オリーブ色、淡い黄褐色、茶色くらいのものでした。ノーチラス号の艦内に展示されていたのと同じ種類の植物もありました。もちろん、ここでは艦内にあるような乾燥した標本ではなく、生命の通った植物の姿を目の当たりにすることができたわけです。その例をいくつか挙げておきますと、風を呼ぼうとするかのように扇形に広がったクジャク・ウミウチワ、緋色のイギス、食用の新芽を伸ばしたコンブ、細い糸のように曲がりくねったブルウキモなどがありました。このブルウキモというのは長さが一五メートルもあって、先端が大きく広がっています。他にも、茎の先が膨らんだカサノリの束など、数多くの外洋性植物がありました。ただし、花を咲かせているものは一つもありませんでした。「興味深い異常現象であり、不可思議な世界と言うべきだ」と一人の才気ある博物学者が言っています。「動物界が花を咲かせ、植物界が花を咲かせないとは!」」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「た。「海には正真正銘の循環系が備わっています。創造主はそのシステムを作り出すのに、ただ海水中の熱素と塩分と微小動物を増やすだけでよかったのです。実際、熱素は密度の違いを生み、それが海流と反流を引き起こします。北極圏ではまったく認められず、赤道地帯ではきわめて盛んな現象、即ち蒸発という現象が、熱帯の海水と極地の海水を絶えず交流させるのです。さらに、私はこの目で見たことがあるのですが、海面から海底へ、また海底から海面へと向かう潮流もあるのです。これこそまさに海の『呼吸』と呼ぶべきものでしょう。海面で熱せられた水の分子は深海に沈み、氷点下二度で最高の密度に達しますが、さらに温度が下がると、今度は軽くなって海面に浮上します。この現象がどんな結果をもたらすか、それはあなたも極地で実際にご覧になるでしょう。そして、実際にご覧になれば、この思慮深い自然の法則のおかげで海が水面しか凍結しない理由もお分かりになるでしょう」」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「一月二日、私たちは日本の近海を出発してすでに一万一三四〇マイル、つまり五二五〇里を踏破していました。ノーチラス号の衝角の前には、オーストラリア北東の海岸線に沿って広がるサンゴ海の危険な海域が待ちかまえていました。私たちは恐ろしい暗礁が潜んでいる一帯──一七七〇年六月十日にはかのクック船長率いる船隊をもう少しで沈没させかねなかった難所──からわずか数マイルのところを進んでいきました。クック船長の船が岩礁に衝突しても沈没しなかったのは、ぶつかった衝撃で剝離したサンゴの塊がたまたま船体の裂け目を塞いだからに過ぎません。」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「あいかわらず海は荒れていて、雷鳴を思わせるような凄まじい波が長さ三六〇里に及ぶ長大なサンゴ礁に打ち寄せていました。私はぜひともそのサンゴ礁をまぢかに見てみたいと思っていたのですが、ノーチラス号が傾斜翼を傾け、私たちを深い海の底に連れていってしまったので、巨大なサンゴの壁を眺めることはできませんでした。そのため、私はせめて漁網にかかった魚類のさまざまなサンプルを眺めて楽しむことにしました。とりわけ目を引いたのは、サバの仲間で、マグロのように大きなビンナガでした。その青みがかった脇腹に入った横縞は、命とともに消えてなくなります。ビンナガは群れをなしてノーチラス号のお供をしてくれた上に、極めて繊細な魚肉を私たちの食卓に提供してくれました。ビンナガの他に、ヘダイの仲間もたくさん網にかかっていました。これは体長五センチほどの魚で、まさにヘダイと同じ味がしました。また、海中のツバメとも言うべきニシセミホウボウも獲れました。ニシセミホウボウは暗い夜、体から燐光を放って空を飛び、水中と空中に弧を描くのです。軟体動物および植虫類としては、いろいろな種類のウミトサカ、ウニ、シュモクガイ、ニチリンサザエ、クルマガイ、オニノツノガイ、カメガイなどが引き網の網目に引っかかっていました。植物相はと言いますと、小孔から滲出する粘液にまみれたコンブやマクロシスティスなどの美しい浮藻が主な収穫物でした。その中に、私はみごとなネマストマ・ゲリニアロイドを見つけました。世の博物館で珍重されるものの一つです。」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「もっとも、カナダ人はそうしたパプアの植物相の美しいサンプルには見向きもしませんでした。目を楽しませるものよりも腹の足しになるものの方が大事だったのです。彼はココヤシの木を見つけると、さっそくその実をいくつか叩き落として割りました。私たちはココナッツミルクを啜り、果肉を食べて、ノーチラス号の日々の食事に覚えるのとは別種の満足感を覚えました。「こいつはうまい!」ネッド・ランドが言いました。「じつに美味です!」コンセイユが応じました。」
—『海底二万里 上 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著