あらすじ
鳴りやまぬ拍手と眩しいほどの光、人生の境地がここにある──。芝居だけに生きてきた男たち。その命を賭してなお、見果てぬ夢を追い求めていく。芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞をダブル受賞、『悪人』『怒り』につづくエンターテイメント超大作!
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《歌舞伎》への底しれぬ愛情。
2025年7月読了。
話題に成っている映画の方を先に観て、映画は映画でとても素晴らしかったのだが、3時間の尺でも『何かのダイジェスト版を見されられている』様な気がして、速攻で原作を読んだ。
映画を先に観ていたお陰で、名前と顔が直ぐに浮かび、劇場で「喰い足りない感」が有ったのを、原作を読むことで本当に心から堪能した。
ただ、劇場版が笑いなしのシリアスタッチだったのに対し、原作は笑い有り涙ありの波瀾万丈な物語だった事が一番意外に感じた事だ。まぁこれだけの作品を映画化するには、ストーリーを相当にカットしなければ3時間どころでは済まないことに成ったのであろうから、致し方無かったのかもしれないが…。
本当に、吉田修一が此処まで《歌舞伎の素晴らしさ》を描き出せるとは思っていなかったので、その事も意外で有り、こうした伝統芸能について《がっぷり四つ》でぶつかった文芸作品は早々出会えないので最大の賛辞を送りたい。
又、映画の方も原作とは異なる解釈では有ったが大変素晴らしかったので、原作と映画、両方とも違う味合いで魅了された事が何よりの喜びだった。
映画はスゴい興収に成っているそうだが、原作ももっともっと多くの人に読んでいただきたい《大傑作》である。
映画を観て、原作を読んで、今また『映画』が観たいな…と思っている。つくづく《歌舞伎の世界》は素晴らしい…。
映画より面白い
映画が面白かったので、原作を読んでみた。
大筋は原作通りだけど...やっぱり映画は別物。
なんと言っても徳ちゃん、漢前です。かっこいい。
結局喜久雄は『ぼんぼん』なので徳ちゃんが居なくなると叱ってくれる人も居なくて、喜久雄の孤高感が加速したのかとも思うし、その分芸に磨きが掛かった気もする。最後は社長になっても喜久雄の国宝受賞に飛んでくる所は徳次の義理堅さが出てて良かったです。
あっと言う間に読み終え、何故か脳内で柄本時生さん版徳次が躍動しておりました。
柄本時生さんの徳次.....観たっかなぁ。
Posted by ブクログ
映画のイメージが強かったので、上巻はある程度忠実に、下巻は映画はかなり端折ったイメージ。小説は波瀾万丈がよりわかった。映画はずっとある孤独感を感じたが、小説では家族や周りとの設定もありつつ、でも独りの感じがより感じた。波瀾万丈の人生読み応えのある小説でした!
Posted by ブクログ
吉田修一『国宝 下 花道編』朝日文庫。
梨園で繰り広げられる御家騒動、跡取り争い、歌舞伎役者の虐め、スキャンダルと万人の喜怒哀楽の感情を全て刺激するような何とも面白い物語は、ついに下巻へと突入。
侠客の家に生まれ、素人ながら歌舞伎界へと飛び込んだ立花喜久雄の運命は如何に。一方で丹波屋の血を継ぎながら喜久雄に負けて跡取りになれなかった俊介の運命も気になるところだ。タイトル通り、どちらかが『国宝』と呼ばれる存在になるのだろうか。それとも……
先日読んだ米国映画原作のアンディ・ウィアーの『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が10年或いは20年に一度の大傑作であるならば、日本映画原作の本作吉田修一の『国宝』もそれに負けないレベルの大傑作と言っても良いだろう。
まるで人生の縮図を見るかのような起伏に富み、予想外の展開と波乱の結末が待ち受けるストーリー。人生に於いては勝者は無いというが、喜久雄にせよ、俊介にせよ、徳次にせよ、弁天にせよ、皆が勝者たる権利を持つのだ。
読み応えがあり過ぎて、読後には暫し呆然とした。
二代目花井半次郎は実の息子である俊介を跡取りには選ばず、部屋子の立花喜久雄を跡取りに指名する。ショックを受けた俊介も喜久雄が跡取りになることに納得したように見えたが、ある日突如、喜久雄の彼女である春江と共に出奔する。
喜久雄は三代目花井半次郎を襲名し、半次郎は花井白虎を襲名するが、襲名披露の場で白虎は吐血し、呆気なく亡くなる。丹波屋は屋台骨を失い、喜久雄には端役しか与えられず、それでも役者への道を探りながら、燻る日々を過ごす。
それから10年、地方の見世物小屋で役者となっていた俊介が知人に発見され、春江と息子の一豊と共に丹波屋に戻る。そして、三代目となれなかった俊介は再び歌舞伎の道へ足を踏み入れる。
10年の苦労で芸に凄みを増した俊介は再び歌舞伎界の人気者となるが、歌舞伎界で干されっぱなしだった喜久雄は新派へと活動の場を移す。
と、ここまではほんの触りに過ぎず、喜久雄、俊介、徳次の人生は思わぬ方向に進んでいく。
本体価格800円(古本0円)
★★★★★
Posted by ブクログ
映画とは全然違う結末でした。これはこれでありですが、ちょっとびっくりするかもしれません。山あり谷ありだったけれども、喜久雄の一生はトータルでは幸せなものだったのだろうなと思いました。最後徳次が大活躍してくれるかと期待していたのですが、まあ、あれくらいでよかったのかなと。
Posted by ブクログ
その道を極めるということがどういう事か戦慄を覚えた。
喜久雄がどれほど歌舞伎に惚れ込み猛進(盲信?)していか、最終、昔、娘と神頼みで「何もいらないから芸を極めたい」という喜久雄の願いが娘から知らされた時が1番衝撃だったのと同時に納得した。喜久雄のどこまでも歌舞伎に対する真摯な態度はここまでの覚悟が無意識にあったのかと。
壮大な物語、芸に尽くし尽くされた喜久雄達は幸せだったのか…。
そんな余韻に浸れる素晴らしい作品でした。
Posted by ブクログ
映画を見てから間を空けずに小説を読み始めたことで、両者の違いを意識しながら楽しむことができた。これまで「小説→映画」は経験があったが、「映画→小説」は初めてであり、3時間の映像作品に対して、どの部分が採用され、どのように改変されているのかを追う読み方は非常に新鮮だった。
その上で、最終的には小説の方がより深く心に残った。音や映像に頼らない分、登場人物の内面が徹底して描き込まれており、その繊細さに強く惹かれた。本作においても、映画では捉えきれなかった感情の揺れや背景が、小説では鮮明に浮かび上がってくると感じた。
本作は慣れ親しみのない文体で書かれており、読み進めるのに時間を要したが、その分、日本舞踊の世界観に深く没入することができた。読み終えた後も余韻が長く続いた。情景が鮮やかに立ち上がる筆致は圧巻である。
物語の中心にあるのは、芸に生きる者の誇り、情熱、そして孤独である。登場人物はいずれも魅力的だが、とりわけ喜久雄は印象深い。私生活と舞台の境界が曖昧になる中で葛藤を抱えながらも、なお芸に身を捧げ続ける姿に、強く心を引きつけられた。
血縁や世襲、時代の潮流といった要素が、喜久雄と俊ぼんの栄枯盛衰を目まぐるしく展開し、文量の多さを感じさせないほど物語に引き込まれた。
特に最後の場面は印象的であった。喜久雄が追い求めていた境地に辿り着いた描写は、人ならざる領域への昇華とも感じられ、理想的な結末として強く心に残った。
これまで日本舞踊にはあまり関心がなかったが、本作を通じて興味が湧き、一度歌舞伎をじっくり観てみたいと思った。
Posted by ブクログ
下巻(花道篇)。
只々素晴らしかった!
ため息と共に読み終えました。歌舞伎という絢爛な舞台に飲み込まれたような高揚感に包まれています。
決して順風ではなかった喜久雄の歌舞伎人生に、支え続けた家族や仲間に最大の賛辞を贈りたい。
映画は観てなかったけど、これは観るべきでしょうね…。
Posted by ブクログ
一人の歌舞伎役者の生涯を凝縮した圧巻の作品でした。
主人公だけでなく、取り巻く登場人物すべてが強かな信念と覚悟をもって生きる様、ぎりぎりの選択肢の中で芸道を追究する姿勢からは、安穏と生きる自分とおなじ日本という社会で生きる人間なのかという衝撃とともに、痛いほどの感銘をうけました。
ストーリーやエピソードひとつひとつがどれをとっても重厚で、また方言を使い分けることでシーンごとの雰囲気を一転させるところがまた巧妙で印象的でした。メインが大阪弁なこともあり重苦しいシーンでも軽快でテンポがよく、吐き出す言葉の潔さ、深さに心の底から賞賛せずにはいられませんでした。
クライマックスでは物語の最高潮を迎え、最高に美しく哀しい幕引きには、胸が熱くなりました。
Posted by ブクログ
若いときの苦難を乗り越えて下巻を読み進み、いつまで経っても喜久雄が嬉しそうにする場面に辿り着かない。ずっと喜久雄とその周辺の人物たちの人生を追ってきた読者が待ち望む、喜久雄のこれまでの人生が報われるような、喜久雄が大喜びしているような場面。
振り返ると、きくちゃんが喜びを表に出している描写が少ない、歳を取ればとるほど減っていく。“愛想笑い一つできない”という喜久雄の人物像が際立っていく所以でもある。
きっと喜久雄の喜びとか感情は、舞台を観ている観客の表情や歓声が代弁しているのかと。
ラスト舞台、涙出ました。
あと軽く再読したら、俊ぼんの『隅田川』の舞台にもまた泣いた。舟に乗せてくれと頼む場面、
“来い、ここまで来い。”
“ここまで来たら、あとは俺がなんとでもしてやる。来い、俊ぼん。”
あともうひとつ、『藤娘』の舞台に上がってきた事件、鳥肌立つ、、、喜久雄に与えた影響も含めて。
Posted by ブクログ
映画を観た後に読んだが、小説の方が詳細書き込まれていることを認識。本を先に読まなくて良かった…
映画はすでに興行成績208億円を超えているらしい。映画は映像美が素晴らしかったが、ストーリーとしてはやはり小説が素晴らしい。話題になっているからと映画を観た人が小説を読み、諸々確認する為にまた映画を観るというループに陥っているのかも…でも波に乗って両方経験するのが良い。
Posted by ブクログ
重くて辛くて美しい。
喜久雄の不器用さと孤独。
正直歌舞伎のことは全く知らず、もちろん観劇したこともないけれど、喜久雄の生き様や歌舞伎の世界にぐいぐい引き込まれる。
幼い頃からそばにいる徳次が素晴らしい働きをしていて、映画で彼の存在感をほぼなくしたのは思い切ったなぁ、と思う。でも、だからこそ喜久雄と俊介が際立っていて映画も素晴らしい。
仕事の昼休みに何度も泣きそうになった。
いい作品に出会えて良かった。
Posted by ブクログ
映画を見てから小説を読んだ口です。
映画が余りにも良かったから。
また友人に映画と小説ではずいぶん彰子の扱いに差があるって聞いたので気になりました。
確かに全然違いました。
国宝になるまで夫婦です。添い遂げるのかと思えばそうでもなさそうな伏線もあります。
ラストは人間国宝になった喜久雄の役者を超越した演技で終わり。
すっごく映像的な終わり方。
最初から映画狙いにしては描写が複雑過ぎるから、吉田修一も狙って描いたわけでは無い?と思う。
よく此の小説を映画化したなって思う。
小説読んでから映画を見たら物足りないって思うかも。逆は感心するんちゃうかな。
喜久ちゃんと俊ぼんの深い交わりや、孤高に登り詰めていく喜久雄の描写とか、小説ならではの描写が素晴らしかった。語り口も独特で面白い。
第三者目線で語られるんだけど、第三者は誰だかわからない。大河ドラマのナレーションみたいな感じ。
歌舞伎は興味持てないんだけど映画なら見れる。
(歌舞伎見に行った事ありますが寝ました。)
いい映画、いい小説でした。
Posted by ブクログ
映画から小説に触れて、改めて映画の場面構成チャレンジングすぎるけど読んだ結果だらだら心情描写するぐらいならと、キーとなる場面構成をかなりガッツリ取り出して順序変えているとこに脚本の妙を感じた。
(最後に彼の原風景となる雪の情景を引き出してくるところなど)
ただ映画が優れているということではなく、幼馴染や知人、家族、義理の家族という子供から大人に上がり関係性や心情の変化を各人丁寧に描写することで、
情景描写に偏っていた映画とはまた違う当人の異常性が浮き彫りになっていて、別軸で作品に触れられてとてもよかった。たまたま映画放映前に襲名披露公演を見ていたので余計辛くなった。
人間の本性って生まれに深く結びついて、切り離せないものなんでしょうか。
Posted by ブクログ
歌舞伎を上手(うも)うならして下さい他には何も要らないと
マツや徳次や春江、芸鼓の藤駒、竹野、
見守ってる人たちさえも通り越していく
いつしか辿り着く
完璧を越えた完璧な芸へ
芝居の中で自身の目に映るものが
いつしか現実の世界を超越していく
景色が見たい
と言っていた景色は
現実の均衡が保てない世界
芝居への情熱が深く、その先に行き着こうと心がとらわれる
ひとつのキッカケを境に現実と芝居のバランスが崩れる様に息をのんだ
わが道しか見えず
不器用なまでに歌舞伎を愛し歌舞伎に魅せられ
その中でしか生きられなかった役者の生き様を見せてもらった
とても面白かった
Posted by ブクログ
悪魔との取引
それがどういうことかクライマックスでわかりました。ゲーテの「ファウスト」を思い出しました。
読み終わったあとも余韻に浸っています。
Posted by ブクログ
なるほど、こうきたかというような幕引き。
映画よりも女性の活躍がしっかり描かれてるとは聞いてたけども、確かにそう思う。みんな必死でしたたかに生きている。
あと、映画は「モーツァルトとサリエリ」だけど、小説は「牛若丸と弁慶」ですね。この再構成がすごい。
映画は「曽根崎心中」を中心に構成されてるんですけど、小説はわりと満遍なくでどっちかというと「道成寺」と「阿古屋」かなぁぐらい。
孤高の錦鯉は、最後にどんな景色を見たのだろうな。
Posted by ブクログ
喜久雄の周りで映画では描かれなかった不幸な出来事が続く。綾乃がまだ小さいとき、悪魔と取引をしたためなのか。代わりにその一方で喜久雄は一人孤高を極める。とはいえ、映画と違って市駒と綾乃をとても大事にしているところは好感が持てる。その2人を春江、彰子が支えるところは個人的には考えにくいことであるが、梨園ならではといったところなのか。
Posted by ブクログ
映画を鑑賞した時の感想としては、
喜久雄の人生とは幸せだったのか、なにかを捨てなければなにかを得ることもできないのだな、というようなものだった。
小説を読むとまた一味違って、なにかを失った(これは捨てたじゃない)からこそ人間国宝に繋がったし、本人の幸せなど他人が判断できるものでは到底ないなと…。
完全に悪い人も完全にいい人もなく、それぞれがそれぞれなりに精一杯生きていた姿を見ることができてよかったと思う。
匿名
幸せとは
やっと幸せをつかんだかと思いきやその後に起こる不幸や苦難の数々。
それをも全てひっくるめて主人公は幸せだったのだと思えた。
歌舞伎は見たことがないけれど、情景が目に浮かぶような描写は圧巻。
上下巻とも夢中に読みました。
既に映画は公開されていますが、上巻を読み、どこを切り取って映画化したのか、上巻だけでも色々切り取っても迫力ある映画になりそうで、下巻に進むと更に、幾らでも映画として切り取れるストーリーが幾つも展開していく本です。一体映画は何処を切り取り作ったのか、そう考えながら読んできました。そして思うのは主人公は、歌舞伎役者それとも歌舞伎役者を取り巻く多くの女性達どっちなのか、複雑にからみあう女性達の、なんたる不思議な信頼関係というか線引き潔さよさ、それを許しあう主人公を取り巻く歌舞伎の世界、この微妙な関係や繋がり、寄りかかり助け合う世界を表現する作家の本の構成の妙が素敵な本です。締めに向けては、女形、歌舞伎役者の目に見えぬ心、本人も理解していない境地の世界を表現していき、夢中にさせてくれる素晴らしい本でした。ありがとう。
Posted by ブクログ
映画が良かったので原作小説も、と読み始めましたが、上巻と同じく映画版とは雰囲気が全然違っていて、さらに下巻には映画にはなかった部分が多数ありとても楽しめました。
映画で私が辛く思ったのは市駒や彰子の扱いで、特に映画の彰子は騙された上に顧みられないのですが、小説の方は喜久雄が白状した後も彰子の意思で一緒にいるし最終的には彰子の父親・千五郎にも許しを得るという違いがあって、私は大いに救われました。
私がもっと知りたい読ませてくれと思っていた映画の行間、出奔中の俊ぼんに何があったのか知れたのも良かったです。想像以上に様々な経験をしてましたね。
細かい部分の感想をもっとつらつらと述べたいところですがキリがないのでこのくらいで。映画化に携わった人たちにはただただ感嘆するばかりです。映画がきっかけではありましたがこの小説を読めて良かったと心から思います。大河ドラマを見終わった後のような満足感と寂しさでいっぱいです。
匿名
最高の小説だった
とにかく余韻がすごかった。
全てを語らず読者に考えさせる隙を与えていて読み終わった後も繰り返し同じ文章を往復していた。
文章がまるで詞のようで流れるように頭にスッと入ってくる。
個人的にはこれを超える作品にはなかなか巡り会えない気がする。
Posted by ブクログ
どん底の喜久雄がいかにして這い上がるのかを楽しみに読んでいたのですが…。
まず、竹野に腹が立ち、俊介に腹が立ち、幸子にも春江にも万菊にも腹が立ちました。
俊介が出奔した後、借金も含め花井の家を支えてきたのは喜久雄なのに、と。
喜久雄のスキャンダルと対比させ、俊介を正当化し世間を味方につける竹野の戦略も仕方ないこととはいえ、口下手な喜久雄に分が悪かったとしかいえませんし…。
そして、もし白虎亡き後、鶴若ではなく万菊が喜久雄を引き受けてくれていたら、また違っていたのではないかとも思います。
それでも、喜久雄は這い上がってきます。その手段は別として。
芸を極めていくにつれ、孤高になっていく喜久雄。それは危うさもあり、全てを捧げた者しか辿り着けない境地なのかもしれません。
でもやっぱり、徳次がずっと喜久雄の側にいたら違っていたのではないかとも思ってしまいます。
あまりにも象徴的なラストに、様々なことを想像しました。
【追記】
読後に映画を観ました。小説とは違う部分もありましたが、映像美というか歌舞伎の演目が美しくて、とても良かったです。
私は小説→映画でしたが、会社の同僚は先に映画でこれから小説を読むそうです。彼女の読後に答え合わせというか、いろいろ思うところを語り合うのを楽しみにしているところです。
Posted by ブクログ
上巻を読み終えてから、4ヶ月後の下巻。
上巻ののめり込みのまま読んだら、また違ったんだろうな。
支える女達のカラッとした性格と強さ。
芸の道。
白河公司
Posted by ブクログ
自分からは手に取らないと思っていたが色々な方が推薦していたり、映画がヒットしていたのだ読んだ。
普通に面白かった。歌舞伎は一回しか見たことがないが、色々実際の舞台が思い浮かぶほど描写が良かった。映画を見るのが楽しみ。
Posted by ブクログ
昨年の夏に映画版を見た。
三時間超の長丁場。良かったことは間違いなく良かったのだが、それでも後半はなんだかダイジェスト版を見せられたように感じてしまった。
原作は上下巻本なのだから、これは絶対にもっと書き込まれているはずだと確信できたので、一度きちんと読んでみたいと思った。
最初に意外に感じたのが敬体――「です・ます体」で書かれていたことだった。
なぜこの文体を選んだのか。
しかも、その語り口は“神の視点”ではなく、何やら人格を感じさせるものがあり、それが若干ノイズのようにも思えたのだ。
著者は、自身黒子として歌舞伎の現場取材を重ねた上で本作の執筆にあたったという。その取材経験を踏まえた上でこの文体を選んだのだろう。
一読した感触としては、まさしく舞台袖に控えている黒子がそのまま語り手となっているかのように思える。歌舞伎の名舞台と対比させながら、本作を一本の“演目”として描き出そうとしたのかもしれない。
ただ、この文体の選択については、善し悪しがそれぞれあるように思う。
確かに、日本の伝統芸能の世界を描く作品として「~でございます」という語り口の柔らかさは好ましくもあり、この作品の世界観を形作る上でとても効果的だったと感じる。
一方、当事者ではない第三者視点となってしまうことから、一部は伝聞形式となり臨場感に欠けてしまう部分があることも否めない。
各エピソードのクライマックス若しくはその直前で場面転換されることもしばしばあり、そのこととも相まって、せっかくの見せ場がのちに人づてに伝え聞いたかのようになってしまい、物語の迫力が減殺されてしまっているのは純粋にもったいないと思ってしまった。
しかしまた、だからこそ凄惨な場面であっても歌舞伎の様式美のごとくに昇華されているのかもしれない。
映画を先に見てしまったことで、それと比較しながら小説を読むこととなったが、現実の歌舞伎界の複雑な人間関係とも通じる割り切れないどうしようもなさまでもが描かれた小説に対して、映画は起承転結・対比・山場の見せ方がはっきりとしており、ひとつの物語としてまとまっていると感じた。
原作を改変して小説と映画は大きく異なる部分も多いが、この小説作品があったからこそ、あの映画が完成したのだと思える。それは、既に三作目のタッグとなる著者と監督の信頼関係があってこそのものなのだろう。
本書を読み終えて、もう一度映画を見てみたいと思った。
ああ、だからか。これまでの記録を塗り替えて興行収入歴代一位となったのは。いまだロングランを続けていることにも、十分納得できるものだった。
吉田作品はこれが初読みだったが、せめて代表作とされるものくらいは、もう2~3作くらい読んでみたいと思っている。
Posted by ブクログ
あまりにもドラマチックで圧倒されてしまいました。芸能界ってこういう起伏の激しい人生を生きる人が多いように思えます。歌舞伎の好きな人だと本当にのめり込んでしまうでしょう。映画が大ヒットしているのも納得。主人公の喜久雄がまだ幼かった娘に「悪魔と取り引きしてたんや。日本一の歌舞伎役者にして下さい。他のもんはなんもいりませんって」と話すシーンが印象的。
Posted by ブクログ
久しぶりに小説の終結に呆気にとらえました。
これは間違いなく、年取ったらもう一回読み返したい一冊です。今の私に分からない部分がとても多かったが、面白くて面白くてたまらないお話でした。
「国宝」とは、人の気持ちを具体的に描く小説ではないと思います。むしろ、その気持ちによって生まれてきた行動や考え方についてです。
私は映画を見る前に小説を読みました。おかげで、歌舞伎がどのように見えるのかはちゃんとわからずに読み続きました。しかし本当に興味深くて、少年時代から世界の天辺に立つまでの秀作小説でした。
Posted by ブクログ
圧巻の下巻。
これを読み終わった足でそのまま2回目の映画『国宝』も観てきた。
原作では娘の綾乃とも、婚約者を紹介されたり挙式に参列したり、孫の誕生に涙したりちゃんと仲良く付き合ってたし、璋子とも結婚して、本妻と2号さん、そして春江ともみんなで親しくしてて、愛とか恋とかでなく3代目を歌舞伎をみんなでサポート!て感じ。
映画と違って喜久雄はそこまで孤独ではないな、みんなに支えられつついい人間関係を築けてるなと思ってた。
思ってたのに後半どんどん精神的に孤独になっていく喜久雄。人間国宝という人でなく歌舞伎と同化していくさまが映画とも違う孤独を表現されてた。
最後、徳ちゃんには会えたのかな…。原作ではわたしは2回泣いたんだけど、1度目が喜久雄が徳ちゃんに「この世界で徳ちゃんだけが味方だった」と幕前に伝える場面で、2回目が「『国性爺合戦』って知ってるか?」て徳ちゃんが久しぶりに登場する場面だった。
Posted by ブクログ
衝撃の上巻からの下巻…
上巻に比べると急に時の流れが早くなった感じで違和感…
それよりも、こんなに波乱万丈な人生ってある!?ってくらい、なかなか幸せが見えてこない…読んでて辛くて、なかなか進まなかったなぁ…
本当の役者は役者を辞めることができない。
職業の役者なら辞めることができるんだよね。
でも自分自身が天性の役者だから…どんなに辛くても辞めることができない。
辞めることが怖い。それでもいつが幕が下りる日がくると思うとそれが怖い…
これって幸せなのかなぁ…
天性の美貌をもち歌舞伎の才能もある…自分の好きなことを職業にでき、周りからも称賛される…本来なら誰しもが望むこと。
でも喜久雄の生き方は狭苦しく感じた…
子どものころ、なんかのマンガに「どこまでも飛んでいける鳥は自由の象徴とされているけど、本当にそうなのか。どんなに大きな翼を持ってもどんなに早く飛べても、その翼を休ませることができなければ翼を持ったことを後悔するかもしれない。本当の自由とは帰る場所があることじゃないのか」みたいな台詞があって、それを思い出してしまった…
最後もどう解釈したらいいのか……難しかったなぁ…
Posted by ブクログ
たどり着いた場所は、あの日夢見た世界。
お互い苦難の道を行く俊介と喜久雄。励まし合い、競い合い、高め合う日々が戻ってくる。それは歌舞伎のために他の何もかもを犠牲にする日々でもあった。
不幸を引き換えに高みに近付いていく喜久雄。俊介には病が降りかかる。競い合う俊介を亡くした喜久雄はどこまで行くのか。人としての領域を逸脱していく喜久雄を、誰も止めようとしなかった。時代の移り変わりが歌舞伎を、芸術を消費しても、もう喜久雄には関係なかった。
歌舞伎の演目には詳しくないので、知らないものがたくさんあった。子を思う親の気持ち、恋人を思う娘の矜持、主君への忠信など、歌舞伎にはさまざまな情が現れる。それらを踊りで、演技で、表現する歌舞伎役者。あらゆる情を駆け抜けてきた喜久雄の人生。何か大変なものを見てしまったという読後感がある。
Posted by ブクログ
終わり方が嫌い。俊ぼんも喜久ちゃんも。
芸の道を極め過ぎたTop of the Top の孤独よ。徳ちゃんがいたら違ってたのだろうか。
下巻は苦しかった。
Posted by ブクログ
なかなか読む時間が取れず、読むのに5ヶ月くらいかかってしまいました
なので、イマイチ物語の波に乗ることができず、また難しい作品だったのでうまくリズムが掴めませんでした
ただ、波乱万丈の人々の話といいますか、こんな数奇な人生を歩む人が本当にいたら、それはそれは大変だなと、でもそれが人生であり、人間だなと
ラストシーンは圧巻で喜久雄の哀愁や希望に満ち溢れていました
遅ればせながら、映画も観てみようと思います