あらすじ
鳴りやまぬ拍手と眩しいほどの光、人生の境地がここにある──。芝居だけに生きてきた男たち。その命を賭してなお、見果てぬ夢を追い求めていく。芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞をダブル受賞、『悪人』『怒り』につづくエンターテイメント超大作!
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映画より面白い
映画が面白かったので、原作を読んでみた。
大筋は原作通りだけど...やっぱり映画は別物。
なんと言っても徳ちゃん、漢前です。かっこいい。
結局喜久雄は『ぼんぼん』なので徳ちゃんが居なくなると叱ってくれる人も居なくて、喜久雄の孤高感が加速したのかとも思うし、その分芸に磨きが掛かった気もする。最後は社長になっても喜久雄の国宝受賞に飛んでくる所は徳次の義理堅さが出てて良かったです。
あっと言う間に読み終え、何故か脳内で柄本時生さん版徳次が躍動しておりました。
柄本時生さんの徳次.....観たっかなぁ。
《歌舞伎》への底しれぬ愛情。
2025年7月読了。
話題に成っている映画の方を先に観て、映画は映画でとても素晴らしかったのだが、3時間の尺でも『何かのダイジェスト版を見されられている』様な気がして、速攻で原作を読んだ。
映画を先に観ていたお陰で、名前と顔が直ぐに浮かび、劇場で「喰い足りない感」が有ったのを、原作を読むことで本当に心から堪能した。
ただ、劇場版が笑いなしのシリアスタッチだったのに対し、原作は笑い有り涙ありの波瀾万丈な物語だった事が一番意外に感じた事だ。まぁこれだけの作品を映画化するには、ストーリーを相当にカットしなければ3時間どころでは済まないことに成ったのであろうから、致し方無かったのかもしれないが…。
本当に、吉田修一が此処まで《歌舞伎の素晴らしさ》を描き出せるとは思っていなかったので、その事も意外で有り、こうした伝統芸能について《がっぷり四つ》でぶつかった文芸作品は早々出会えないので最大の賛辞を送りたい。
又、映画の方も原作とは異なる解釈では有ったが大変素晴らしかったので、原作と映画、両方とも違う味合いで魅了された事が何よりの喜びだった。
映画はスゴい興収に成っているそうだが、原作ももっともっと多くの人に読んでいただきたい《大傑作》である。
映画を観て、原作を読んで、今また『映画』が観たいな…と思っている。つくづく《歌舞伎の世界》は素晴らしい…。
Posted by ブクログ
映画を観たことをきっかけに、この小説を読みましたが、圧巻の映画の一方で、原作ではまた違った力強い物語が展開されていました。
歌舞伎の演目に対しての詳細な描写から作者の熱意が伝わってきて、一作一作をぜひ見てみたいと思いました。
Posted by ブクログ
圧倒的な熱量で描かれる「芸」の物語だが、読み終えて心に残ったのは、華やかさよりも「哀しさ」や「人間の弱さ」だった。
1. 「美」からの解放(万菊の死)
大役者・万菊が最期に選んだのは、美しいものが何一つない山谷のドヤ街だった。「ここにゃ美しいもんが一つもないだろ。(中略)もういいんだよって、誰かに、やっと言ってもらえたみたいでさ」という言葉が胸に刺さる。
生涯をかけて美を追求し、演じ続けることの凄まじい緊張感。そこから離れ、汚れた天井を見上げることでようやく自分自身を取り戻せたのだとしたら、これほど切なく、また人間らしい最期はないと感じた。
2. 成功の影にある「屍」(喜久雄の業)
主人公・喜久雄が人間国宝へと登り詰める過程は、周囲の犠牲の歴史でもあった。父、徳次、そして親友でありライバルの俊介。俊介が足を失い、命を燃やし尽くすのと反比例するように、喜久雄の芸は完成されていく。
娘・綾乃の「なんでお父ちゃんばっかりエエ目みんの?」という叫びは、芸の理屈が通じない生身の人間の悲鳴だ。多くの犠牲の上に立つ「国宝」という称号は、幸せの証なのか、それとも孤独な十字架なのかと考えさせられた。
3. 自分の中にある「弱さ」(一豊の事故と春江)
物語の核心ではないかもしれないが、一豊が事故を起こした際、母・春江が隠蔽を図ろうとしたシーンに戦慄した。
倫理的には許されないことだが、「もし自分が同じ立場なら、保身に走らずにいられるか?」「子供を守るためなら、同じ過ちを犯すのではないか?」と自問せずにはいられなかった。
英雄たちの物語の影で、平凡な人間が抱える「弱さ」や「脆さ」を突きつけられ、自分自身の倫理観を見つめ直すきっかけとなった。
この作品は、一人の天才のサクセスストーリーであると同時に、その光に焼かれた人々の鎮魂歌であり、読む者の人間性を試す鏡のような物語だった。
Posted by ブクログ
下巻をカフェで読み終えたんですが、危なく泣きそうになりました。
荒筋はだいたい皆様ご存知のとおりだと思いますが、任侠の家に生まれた喜久雄が歌舞伎の女形として大成するまでの物語。先に映画を観てから原作を読みましたが、これが大当たりでした。
不勉強で歌舞伎の事はズブの素人ですが、映画を観ていたことで歌舞伎の演目の描写の場面では鮮明にその映像が蘇り、また映画には登場しない演目も沢山出てきますが、観ているといないとでは脳内イメージの精度が全然違うもので、なんとなくではあるものの舞台の情景が目に浮かんできました。
映画では語られなかった部分、異なるストーリー展開、登場しなかった人物の活躍など、全く違う肉付きの物語ではありますが、よく言われる「映画と原作どっちが良いか」問題については、「国宝」は互いに補完関係にあると言っても良く、優劣を付けるような類のものではないと思います。
本当に巡り会えて良かったと思える、心に残る作品です。全てを忘れてもう一度映画から観てみたいとすら思います。
小説のラストは、文字のみで表現しているとは思えない美しさと儚さに満ちています。日本人としてこの物語を享受できることを、心から幸せに思いました。
Posted by ブクログ
映画を観たあとに読みました。
上下巻合わせると結構なボリュームがありますが、面白くてどんどん引き込まれてしまいました。
はじめの料亭での立花組VS宮地組の抗争など、映像だと刺激が強すぎて
観ていて辛くなるシーンがありましたが、
本だと文章表現の美しさが一番に感じられて、とても良かったです。
映画を観た後なのでどうしても登場人物は俳優の顔で置き換えられますが、置き換えても全く違和感がありません。
改めて、表方裏方関係なく、映画に携わる人全員が本気で作った作品だったんだなと感じました。
映画では全ては描かれていないディテールの部分も
本で読むことができたので良かったです。
Posted by ブクログ
歌舞伎に真剣な男たちの人生に泣ける。
海老蔵が映画の国宝を観た感想として、喜久雄より俊ぼんの方がしんどい。背負ってるものの重さが違うと言っていた。
「本物の役者になりたいねん」と春江に言った俊ぼん。
「いつまでも舞台に立っていてえんだよ。幕を下ろさないでほしいんだ」と彰子に言った喜久雄。
ザ凡人の私にはどちらがしんどいのかはわからないけど、それぞれのやり方で歌舞伎に真面目なのはわかる。
万菊さんの最期や、人のいい徳ちゃん、歌舞伎一家を支える女性陣たちにも物語があって、とりあえず胸が熱くなる。
Posted by ブクログ
良〜〜〜
映画よりラスト好きすぎる結局本人は国宝認定を知らないまま、歌舞伎に取り憑かれて死んでしまう
ラスト好きすぎて読み返したいし映画見直さねば、、、小説の方が歌舞伎に対する狂気性が浮き彫りになってる。映画は芸術作品だけど小説は人間をしっかりと描いてるなあ
Posted by ブクログ
上の青春篇も下の花道篇も、どちらも怒涛の展開で、主人公の歌舞伎に賭けた喜久雄の波乱万丈の人生が描かれていてとても読み応えがあった。
歌舞伎のシーンを映像ではなく文字で描写するのは難しいと思うが、それをやってのけた吉田修一さんはすごいとしか言いようがない。
歌舞伎は伝統芸能だけに才能というよりは血筋で継承されるものとばかり思っていたが、そうではないことも知ることができた。
個人的には喜久雄の兄弟のような存在の徳次が好きで、徳次がいたからこそ喜久雄は歌舞伎役者を続けることができたと思う。
瀧晴巳さんによる歌舞伎の演目の解説も面白かった。
この小説のおかげで、今まであまり関心がなかった歌舞伎に少し関心を持つようになった。
心に残った言葉
・幕が上がった京之助一門の追善公演で、喜久雄が六年ぶりに踊りました『藤娘』の、あらゆる美を彫琢した世界観がさらに研ぎ澄まされていくさまは、まさか綾乃の言葉ではございませんが、その完璧な芸の底に、死屍累々の生贄たちの姿が見え隠れするもので、とにかく、このころの喜久雄の芸といいますのは、他の追随を許さぬのは当然ながら、孤高と呼ぶのも憚られるような神々しさに満ち満ちておりまして、指を動かせば鈴の音が鳴り、髪を乱せば嵐が起こるほど神がかり、一人の客を狂わせて舞台に上がらせた六年まえが完璧の出来だったとすれば、今ではその完璧も遥かに超えてしまっているのでございます。
完璧を超えた完璧な芸。
Posted by ブクログ
これはものすごい大作です。私は歌舞伎に関する知識がほとんどなかったのですがそれでも楽しんで読むことができました!独特な語り口が世界観を作っているしなにより文章を読むだけで映像が頭に流れ込んでくるような感じがします。また、50年というながいながい物語だったのでこの物語の最後の文を読み終わった時は1人の人生をずっと見守っていたような感覚になりました。
Posted by ブクログ
ここまで極端じゃなくても、寝ても覚めても頭から離れない、打ち込めることがあるって羨ましい。
それもひとつの才能なんだろうな。
天才と狂人は紙一重、なんて言葉が浮かびました。
Posted by ブクログ
映画では徳ちゃんの人生に触れている場面があまりなかったが、徳ちゃん、、この物語でどれだけ孤高となる主人公、喜久ちゃんにとって大事な守護神になったか。また、喜久ちゃんの国宝となるまでの壮大な人生を楽しめました。深い!
Posted by ブクログ
上巻は概ね映画と内容がリンクしていたが、下巻は映画には無かったエピソードが沢山あり読み応えがあった。自分ではどうにもならない理不尽な環境に直面したり、挫折や偶然的な成功等、様々な経験を通しても一貫しているのは、喜久雄の歌舞伎に対する執念に近い熱量だと感じた。ただただ歌舞伎がしたい、舞台に立ちたい、もっと上手くなりたいと願った行動のせいで、周りの人を不幸にすると言われることがのは、少し同情してしまうが、その経験ですら歌舞伎への執念をより一層強くする糧になっていた。
印象的だったのは藤娘の演目で観客が舞台上に上がってきた場面。映画では喜久雄が狂気に満ちて踊るシーンに繋げる為の場面だと感じたが、小説ではここで喜久雄の舞台と外の世界の膜が破られる大事な場面。ここから喜久雄は舞台と外の世界の境が曖昧になり、更に狂気の淵へと落ちていく。喜久雄が歌舞伎を通して観た景色が他の役者、観客の目にも映し出される。喜久雄が14歳の時から心の奥で望んでいた「きれいな景色」を観る境地にどんどん近づいている。語り部のような文体のため小説の世界に没入してしまう感覚とは異なるが、まるで舞台を観ているような感覚で最後の阿古屋の場面を読み切ってしまった。最後の場面は、映画よりも良かったので、ここを読むために小説を読む価値がある。
Posted by ブクログ
素晴らしい作品だった。
映画もよかったけど、それでも原作の3割出来。
すべての背景まで作りこまれた深い作品。
歌舞伎を知らない私でもこんなに楽しむことができた。
シーンが頭に浮かぶのは
映画を先に観たせいだけではないはず。
最後は徳次と会ってほしかったなぁ。
Posted by ブクログ
「白河集団公司」!!!(嗚咽)
徳ちゃんって最後の最後まで本っっ当に義理堅くてなんていい奴なの!!!
私は映画が先、原作が後になったけど、結果的に正解だったと思う!
歌舞伎の繊細な大胆な美しさとか、俳優陣の演技の上手さを堪能するために映画がすごく良かったんだけど、映画化で省かれたたくさんの部分があまりにも良すぎるため、「映画に反映されてなくて残念」の気持ちの方が上回ってしまうと思う。
映画では、俊ぼんが逃げて、喜久雄の元カノと子供作って、結構ぬるっと実家と歌舞伎界に帰ってきたようなイメージだったんだけど、原作では戻ることを決めてから父親に許可もらうために踊るシーンもあったし、腕の中で第一子が突然死したショックで廃人になってそこからの復活で糖尿病で結果両足を切断したし、相当苦しみもがいていたのが分かって、すごく感情移入した。つらかったね、がんばったね、俊ぼん。泣
息子の一豊がひき逃げしてしまう俊ぼん譲りな一時の心の弱さも描かれてた。
喜久雄の娘の綾音が、自宅の家事で娘が火傷を負って集中治療室とはいえ、病院に駆けつけた喜久雄に思いっきり”お父さんが成功するたびに私が不幸になる”ってぶつける場面もかなり良かった!映画は「悪魔と取り引きする」っていうシーンはあったけど、かなり「隠し子っぽさ」が強かった。原作ではかなりはっきりと喜久雄に対する憎しみの感情が現れてた。(そこの印象がかなり強く残ってるけど、綾乃が付き合ってる関取と結婚を決めたり、孫が産まれたりして喜んでる喜久ちゃんかわいかったな)
狂人となってしまった喜久雄だけど、美しい世界の中で最後まで生きられて幸せだったんだろうなぁ。。
Posted by ブクログ
圧巻でございました。
読み終えた直後は、歌舞伎なのかそうでないのか定かではないのですが、まるで目の前の舞台で、今の今までこの「国宝」という物語が演じられていたような、そんな感覚でした。舞台が終わった後、ふーっと座席の背もたれにもたれかかりたいようなそんな気分でした。
下巻途中までは、「徳ちゃーん!」と心の中で叫ぶことが多く、それほどまでに徳ちゃんの存在が大きかったように思います。登場人物の誰を欠いてもこの喜久雄の人生がこのようではなかったと言えますが、それにしてもこの徳ちゃんの存在は大きすぎました。喜久雄だけでなく、喜久雄の周りを陰ひなたで支え、どうにも自分のことを二の次としているように見えた徳ちゃんが、遂に喜久雄から離れるところは、もちろん淋しかったですが、当然のことのようにも思えました。
それにしても波乱万丈な人生でございました。喜久雄はもちろん、俊ぼんも、春江も。長崎から喜久雄を追って大阪に出てきた春江を思い返してみても、物語的に言って、まさかこんなにも活躍するとは・・・というところです。根性がそんじょそこらの根性とは違うという感じです。それは喜久雄も同じでした。これでもかというほどの苦難続きにも耐える、乗り越える・・・。読んでいるこちらとしては、「え、また・・・」「今度は何・・・?」と胸が痛くなることが多かったのですが、彼らがどうにかこうにか前を向く姿に、それもこれも「歌舞伎」が彼らの人生の中心にあるからか、と腑に落ちるところがありました。
歌舞伎については、もう20年近く前に国立劇場で一度観劇したことがあるだけで、演目も演者も覚えていないくらい、興味もなければ知識もなかったのですが、この物語では随所に歌舞伎の演目と喜久雄たち登場人物の人生がシンクロするように歌舞伎の演目についての説明があって、その構成が素晴らしかったです。この構成がゆえに、私のような歌舞伎を全く知らない者にとっても、歌舞伎というものがどういうものかがおぼろげにわかるようになっていたと思います。歌舞伎はよくわからないから、と本書を読むことを躊躇している方がいたら本当にもったいない、わかりやすいよ、と声を大にして言いたいです。
それにしても、どの世界もそうなのでしょうが、歌舞伎の世界も深くて濃い世界ですね。舞台だけでなく、その外に広がっている、歌舞伎役者の奥さん、お弟子さん、代々続く伝統の家系だとか、その屋号を支えるパトロンのような人たちだとかが、舞台を支えるためにどんなことをしているかという点に目をやると、オペラなどの他の舞台芸術とは一線を画す「濃さ」があるように感じました。これこそ、読書の醍醐味。本書を読まなければ知らなかった世界を疑似体験できました。
物語が終わりに近づくにつれ、喜久雄の芸は高みを目指して、凡人にはわからないようなところまでいってしまいます。芸を極めようと突き詰めていくほどに、常人ならざるところにいってしまう喜久雄はどんどんと孤高の人となっていきますが、「そうでなくては」という思いと、竹野のように「もう解放してあげたい」という思いとがないまぜになってきました。そんなとき、語り手は、そんな喜久雄の中にも、新年会で徳治と歌舞伎のまねごとのように踊った喜久雄や、父親の仇を討とうとした喜久雄、劇場の屋上で俊ぼんとキャッチボールをする喜久雄が確かに見えるというのです。
喜久雄は舞台の上を見上げて、そこにいる「何か」を見ます。あぁ、語り手は歌舞伎の神様だったのかな、喜久雄にはずっとその存在がわかっていたのかな。そんなことを思いながら読んだ最後は、自然と涙が溢れてきました。
この本を読めてよかったと心から思いました。
上下巻とも夢中に読みました。
既に映画は公開されていますが、上巻を読み、どこを切り取って映画化したのか、上巻だけでも色々切り取っても迫力ある映画になりそうで、下巻に進むと更に、幾らでも映画として切り取れるストーリーが幾つも展開していく本です。一体映画は何処を切り取り作ったのか、そう考えながら読んできました。そして思うのは主人公は、歌舞伎役者それとも歌舞伎役者を取り巻く多くの女性達どっちなのか、複雑にからみあう女性達の、なんたる不思議な信頼関係というか線引き潔さよさ、それを許しあう主人公を取り巻く歌舞伎の世界、この微妙な関係や繋がり、寄りかかり助け合う世界を表現する作家の本の構成の妙が素敵な本です。締めに向けては、女形、歌舞伎役者の目に見えぬ心、本人も理解していない境地の世界を表現していき、夢中にさせてくれる素晴らしい本でした。ありがとう。
匿名
最高の小説だった
とにかく余韻がすごかった。
全てを語らず読者に考えさせる隙を与えていて読み終わった後も繰り返し同じ文章を往復していた。
文章がまるで詞のようで流れるように頭にスッと入ってくる。
個人的にはこれを超える作品にはなかなか巡り会えない気がする。
Posted by ブクログ
ああ、ああ…
言葉にならない、こんなにも気持ちが溢れている。
それなのに、お構いなしに突然引かれた幕の向こうに私たちがどれだけ手を伸ばそうとも、そこに行くことは許されない。
「国宝」となった男とその内側へと誘われた私たちとを、虚膜という緞帳は、晴やかに、残酷に、引き剥がす。
胸がぎゅうと締め付けられる。
それでもあちら側の国宝に、競うように誰もが惜しまぬ拍手を送る。
私もその一人になれて、幸福だった。
Posted by ブクログ
上下巻、読み応えあった!
歌舞伎の世界って独特だと思ったけど、すごくその世界観が伝わってくる話だったな。
なんか小説ではないみたい、現実の話みたいな。
映画みたいなと思った。
あの壮大な世界観を映像で見てみたい。
わたしの中では勝手に喜久雄と俊介が逆の配役だったな。
最後の徳ちゃんの再登場の仕方がグッときた。
そして物語の終わり方。あれは結局喜久雄がどうなったんだろう。映像でぜひ楽しみたい。
Posted by ブクログ
映画にすごく見応えがあり、見終わった直後に小説も読みたい、いつか歌舞伎も見てみたいと思ったのに、半年経ってしまい、すっかり感動を忘れていました。小説で映画と同じシーンが出てくると、映像が鮮やかに蘇って楽しめました。映画には描かれていない登場人物との深い関わり、数多の苦難と犠牲によって到達した境地としての国宝。そこが映画ではあっさりしていて全然違うように感じました。
Posted by ブクログ
難しい部分もあったけど、映画を観たあとに読んだから歌舞伎の場面も頭に入ってきやすかった。
あと、映画では語られていない人物たちの人生を描いていて、より面白さがあった。
喜久雄の人生が壮絶すぎて言葉が出ない。極道の世界から歌舞伎の世界に移り、歌舞伎に人生と自分自身を捧げた最後の喜久雄には言葉が出ない。稲荷神社で悪魔との取り引きで言った「歌舞伎を上手うならしてください。日本一の歌舞伎役者にならして下さい。その代わり、他のもんは何もいりませんから。」という言葉の通り、歌舞伎役者としての芸は日本一になったが、喜久雄は幸せだったのか。喜久雄のように没頭できる何かがあることは幸せなことだと思うが、その果てまで行った喜久雄は何も感じ、何を思ったのか。
また月日が経った時に再読したいと思う。
Posted by ブクログ
中弛みを感じる場面はあるものの、それ以上に一人の人間の壮大な人生を最後まで見届ける満足感が勝る。
芸に人生を捧げる覚悟と、その代償として背負う孤独や喪失が静かに積み重なり、後半に向かって重みを増していく。
華やかな舞台の裏側にある執念と諦観が読み手にも否応なく向き合いを迫ってくる。そして何よりラストが美しい。
個人的な解釈にすぎないが、全篇においての語り口調、語り手は著者ではなく、喜久雄と契約し、取り憑いた悪魔だったのではないだろうか、と最後の文「拍手を送ってくださいまし」でふと、そう思った。
Posted by ブクログ
映画では端折られていて違和感ありまくりだった彰子、綾乃とのくだりが丁寧に描かれていてとてもとても納得。歌舞伎と向き合うたびに孤独になっていく喜久雄の凄まじさも原作を読むことで凄味をましたように思う。徳次と弁天の生き様をみるにつけ、人はあきらめずにもがき続けることで得られるものもあるのだろう。ラストも怖いぐらいに芸事に取り憑かれた喜久雄らしさだったのかな。俊介が生きていたらまた違ったお話なのだろうけど。
Posted by ブクログ
長かった……
あと漢字難しいし内容も本気で集中しないと
難しすぎて頭に入らないので
静かな個室とかじゃないとちゃんと読めないです(私は)
映画からみて
本を読みましたが
内容がとても濃く本も試してよかったです。
また数年後に読みたいなと思います。
読んだ感想としては歌舞伎の世界が思った以上にドロドロだということと、
この本に出会わなければわたしは歌舞伎に興味を持つことはないまま死んでると思います笑
なによりも
歌舞伎一家?(読んだくせに曖昧ですいません)に嫁ぐお嫁さんがめちゃくちゃ大変だと感じました。
もちろん
血筋で将来をきめられている役者も
血筋がない喜久雄のような立場もとても辛く…
もっと報われてほしい…とおもってしまいました。
人生を捧げて歌舞伎に向き合う役者の生き様には圧倒されました。
小学生のような感想文……
語彙力ほしいです…。
難しいですけど本の読む習慣のある方にはおすすめです!
歌舞伎に興味ないひとほどおすすめです!
Posted by ブクログ
残念ながら歌舞伎の知識はほぼありません。
映画も観ていません。
ただ、読み始めると登場人物達の人生の変転が目まぐるしく、一気に読んでしまいました。「禍福は糾える縄の如し」の“禍”の効かせ方が絶妙過ぎます。
そして、作中に漂う“美しさ”やら“役者の業”が映画で表現されているのだとしたら、是非観てみたいと思いました。
Posted by ブクログ
こんなにも人情が報われないことがあるのか。
喜久雄の人生はなんだったのか。
死ぬほど努力して、どんな扱いにも耐え、他人に搾取されても必死に踏ん張ってきた結果がこれなのか。
結局喜久雄を無償の愛で揺るがない愛で愛してくれた人はいたのか。
最後は徳次が間に合っていたら、壊れてしまった喜久雄を止めてくれたのか。
辛くて悲しくて切なくて…映画は大衆向けにしてくれていたのだと実感。
Posted by ブクログ
100万部を超えるベストセラー
鳴り止まぬ拍手と眩しいほどの光
舞台、映画、テレビと芸能界の激変期を駆け抜け、幾多の換気と絶望 芝居だけに生きてきた男たち 血族との深い絆と軋み、スキャンダルと栄光、裏切り、絶望 命をとしてなお追い求める芸の最終形とは。。。
Posted by ブクログ
出勤前にバスで読んでいたら涙が…
一言では表せない何かが
胸の中でざわつきました。
歌舞伎の世界って本当にすごい
映画も観に行きたくなったので行ってきます
そして本物の歌舞伎も見に行きたいです
Posted by ブクログ
専門を極めていくと確かに孤独になっていきます。ついてこれる人がいなくなると言うのはおこがましいですが共感しあえる人がいなくなるのは事実でしょう。この物語ではそんな中でも支えてくれる人はわずかですがいつも近くにいるのですよという希望が読み取れるのではないでしょうか。本人は気付かないでしょうけど。
ひとりの歌舞伎役者の生涯を通して、長い人生、時代とともに変わりゆくことばかりです。変わらないものはなくこの世の無常を知らされます。
しかし移ろいゆく世の中でも阿古屋という芝居ではたとえ人の心がかわりまた自分の人生が終わろうともあの美しい思い出だけは誰にも奪えないのだと伝えてくれます。それだけでこの人生満足だったなぁと締めくくることができそうです。