あらすじ
鳴りやまぬ拍手と眩しいほどの光、人生の境地がここにある──。芝居だけに生きてきた男たち。その命を賭してなお、見果てぬ夢を追い求めていく。芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞をダブル受賞、『悪人』『怒り』につづくエンターテイメント超大作!
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《歌舞伎》への底しれぬ愛情。
2025年7月読了。
話題に成っている映画の方を先に観て、映画は映画でとても素晴らしかったのだが、3時間の尺でも『何かのダイジェスト版を見されられている』様な気がして、速攻で原作を読んだ。
映画を先に観ていたお陰で、名前と顔が直ぐに浮かび、劇場で「喰い足りない感」が有ったのを、原作を読むことで本当に心から堪能した。
ただ、劇場版が笑いなしのシリアスタッチだったのに対し、原作は笑い有り涙ありの波瀾万丈な物語だった事が一番意外に感じた事だ。まぁこれだけの作品を映画化するには、ストーリーを相当にカットしなければ3時間どころでは済まないことに成ったのであろうから、致し方無かったのかもしれないが…。
本当に、吉田修一が此処まで《歌舞伎の素晴らしさ》を描き出せるとは思っていなかったので、その事も意外で有り、こうした伝統芸能について《がっぷり四つ》でぶつかった文芸作品は早々出会えないので最大の賛辞を送りたい。
又、映画の方も原作とは異なる解釈では有ったが大変素晴らしかったので、原作と映画、両方とも違う味合いで魅了された事が何よりの喜びだった。
映画はスゴい興収に成っているそうだが、原作ももっともっと多くの人に読んでいただきたい《大傑作》である。
映画を観て、原作を読んで、今また『映画』が観たいな…と思っている。つくづく《歌舞伎の世界》は素晴らしい…。
映画より面白い
映画が面白かったので、原作を読んでみた。
大筋は原作通りだけど...やっぱり映画は別物。
なんと言っても徳ちゃん、漢前です。かっこいい。
結局喜久雄は『ぼんぼん』なので徳ちゃんが居なくなると叱ってくれる人も居なくて、喜久雄の孤高感が加速したのかとも思うし、その分芸に磨きが掛かった気もする。最後は社長になっても喜久雄の国宝受賞に飛んでくる所は徳次の義理堅さが出てて良かったです。
あっと言う間に読み終え、何故か脳内で柄本時生さん版徳次が躍動しておりました。
柄本時生さんの徳次.....観たっかなぁ。
Posted by ブクログ
きくちゃんの孤独
寂しさ、可哀想、周りはなぜ一緒にいてあげれなかったのか
俊ぼんが生きていたら
徳次がそばにいたら
そう思う一方で、
芸に生きる、極めたいと思い、そして極めたきくちゃん
この景色が本人が望んだもの、幸せだったのか、それを周りは知っていたから止めずに突き進めさせたのか
これはこれでハッピーエンドか
ただ違う道でここに辿り着くこともできたかもしれない
芸を極める人間の人生を800Pにわたって追えることができて面白かった
Posted by ブクログ
悪の華/反魂香/Sagi Musume/泡の場/韃靼の夢/巨星墜つ/五代目花井白虎/孤城落日/錦鯉/国宝
喜久雄の生きた道をたどり
最後のページを読み終えた
喜久雄さん
歌舞伎の道を歩んだことは幸せでしたか
辛い時があっても悲しい事に出会っても
思い返せば幸せだったのでしょうか
あなたは
探し求めていた世界に浸れていると
私は信じることにいたします
Posted by ブクログ
読み終わった瞬間大号泣。素晴らしいお話しだった。そしてこの語り口はきっと歌舞伎の神様の視点だったんだなぁと思い、たまらない気持ちになった。
お気に入りは徳ちゃんで、第13章Sagi Musumeの章で本当に大好きが飛び越えた。男らしくて、喜久ちゃんのためなら指も惜しくない。かっこよすぎる徳ちゃん。最後の最後まで徳ちゃんが一番のご贔屓さんだったことがとっても嬉しかった。
映画を見てから読んだ小説、こちらの原作が凄まじくて映画以上に感動した。(映画は映画でもちろん素晴らしかったけど)
本当に「人生」そのものを感じさせてくれた物語に拍手喝采です。
Posted by ブクログ
吉田修一の本を読んだのは『悪人』以来だろうか。
それとは打って変わって独特の文体、語り口。それが歌舞伎の世界観を醸し出し、凄惨な場や鬱屈したシーンも、どこか舞台のうえでの出来事のように映し出す。
映画を観た後に読んだため、どうしても映画に重ね合わせてしまう。ただ、映画がとても上質だから、決して邪魔にならないどころか、情景を想像する良い補助線となった。
映画と小説、どちらがいいか。巷間、そのような談義がよく繰り広げられているだろう。私はあらゆる意味でズブの素人だが、ミーハーないちファンとしてその輪に勝手に加えさせてもらいたい。
私としては、映画と小説どちらも最高!!!!
ちょっと待ってほしい。
分かる、一番マヌケでクソな感想だよな。分かってる。だけどちょっと落ち着いて、話を聞いてくれ。
まず、小説と映画には、それぞれ制約がある。
小説は文字によってたくさんの情報を読者に伝える。紙幅が許せば、世界観や登場人物を深く掘り下げられる。また、ビジュアルがなく、だからこそ読者の想像力を駆り立て無限の可能性を秘めている。だが、それも読者の想像力があればこそであり、歌舞伎を全く知らない読者に歌舞伎の所作や声色、間の取り方を文字情報のみで伝えるのはほぼ不可能だ。やはりそこは、映像や音が必要になる。
翻って映画は、ビジュアルによって歌舞伎を知らない人にもその世界をありありと伝えられる。劇的な音楽で盛り上げることもできる。だが、映画には上映時間という制約がある。
つまり私が言いたいのは、小説は映画では割愛せざるを得なかったシーンや登場人物描写の掘り下げをキッチリ行い、映画は小説では伝えられない歌舞伎のビジュアルや音を伝えられ、相互補完的になっているということだ。小説と映画、どっちも最高だが両方楽しむともっと最高!!!!ということだ。
ストーリーも小説と映画では異なる。それについては、小説の方が好きだ。キャラクターがしっかり描かれている。徳次との関係性や、火事のときに綾乃に詰め寄られるシーン、辻村との関係性など、映画ではカット(というか改変削除)されているが大事なシーンはたくさんある。また、出奔から復帰後の俊ぼんの努力と活躍にも紙幅が割かれていて、役者として円熟していくシーンは素晴らしい。だからこそ転落していく姿が悲劇的であり、壮絶な死も天晴れだ。
ただ、映画の脚本がダメかと言われるとそんなことは全くない。このストーリーを映画の尺に収めようとすれば、ああなるでしょう。10時間でもいいなら小説ぐらいのボリュームにできるだろうけど。
映画は、カメラワークがとてもよかった。舞台を縦横に動きまわり、アップ、引き、役者の後ろから客席側へのショットなど、見事というほかない。映像の演出も素晴らしかった。本当の歌舞伎ではあそこまで涙を流したりはしないだろうけど、映画表現としてものすごいと思う。何より、歌舞伎の魅力を素人に届けてくれた技量が本当にすごい。知識がなくとも引き込まれた。
もう、小説の感想なのか、映画の感想なのか分からなくなってきた。とりあえず言いたかったのは、
映画と小説どちらも最高!!!!!!!!
Posted by ブクログ
国宝 花道篇 良かった点
1、喜久雄たちの人生が決して順風満帆でないこと。
喜久雄や俊介は、挫折や苦しみを何度も経験する。だからこそ、彼らの言葉には強い説得力があり、歌舞伎役者としての深みが感じられた。また、すべてを犠牲にして歌舞伎に人生を懸ける姿に強く心を打たれた。
2、歌舞伎の美しい描写に引き込まれること。
文字だけの表現でありながら、映画に引けを取らないほど、美しく妖艶な喜久雄の演技が鮮明に描かれていた。まるで実際に舞台を見ているかのような臨場感があり、歌舞伎の魅力に強く引き込まれた。
3、歌舞伎役者の過酷さがリアルに感じられること。
歌舞伎役者本人だけでなく、その周囲の人々も含めた厳しい世界が様々な場面から伝わってきた。そのような過酷な環境の中でも、互いに支え合いながら喜久雄や俊介が成長していく姿が印象的で、とても嬉しく感じた。
Posted by ブクログ
【感想】
歌舞伎は華やかなものであるけど、それに関わる人々や事情は決して綺麗なことばかりではない。
話中の出来事にも責任や血縁、因縁、憎しみ、恨み、後悔を感じさせるものが多く、一つ一つ重みを感じる。
喜びと苦しみが1:9の作品である。
【印象的なセリフ】
喜久雄が自身の出自について語るシーン
「そこで生まれ育ちましたから、悪く言いたくない気持ちはあります。ただ、そこで生まれ育ったからこそ言えますのは、あそこが決して美しい場所ではないということでございます」
Posted by ブクログ
映画を観てから読みました。この下巻は、花道篇と題打ってますが、主人公のフィナーレに相応しいと思いました。上下巻通して読んでみて思ったのは、十巻くらい読みたいなぁ、でした。出てくる人たちを、それぞれもっと知りたい、と思いました。
Posted by ブクログ
映画を観る前に読みました。頭の中に綺麗な映像や昭和のリアルな映像が浮かんできました。自分の誕生と同時期から始まった物語に吸い込まれました。人間の強さを感じた時間でした。明日からの生き方が少しかわるような気がします。
Posted by ブクログ
映画を観に行き、原作が気になっていたのでやーーっと読めました。
映画とお話が少し違うとは聞いてたけれども、思ってたより違った?というか、映画は原作とは違う世界線の国宝だったのかな、という印象。
本を読みながら、映画の二人を思い浮かべながら情景が蘇りました。
以下映画とのネタバレ含みます。
映画の喜久雄は、「役者」としてはすごいけれど、人としてはロクデナシというかダメ人間、という印象だったけれど、原作の喜久雄はちゃんとした「人間」で義理人情もあって、深みを感じられました。
映画で大好きだったシーンが原作にはなかったりして、ちょっと残念だったかなぁ。
あと、やっぱり「徳次」の存在感!
尺の都合とかもあってしょうがないとは思うけれど、映画でも徳次を登場させて欲しかった。
映画は「徳次」がいない世界線だからこそ、ダメ人間な喜久雄になっちゃったのかなぁ、、なんて思ったりもしました。
Posted by ブクログ
喜久雄よくぞやり切った!拍手喝采!!
役者として最後まで生き切る姿。波乱万丈な人生だったけど、、喜久雄と共に生きたような感覚にさえもなる物語でした。
歌舞伎の演目の知識が薄い自分が情けない。。なかなか想像ができずで。。丁寧に描写してくださっているのに申し訳ない。
もう少し歌舞伎を知ってから再度読み直したい。
が、映画化されている今こそ映像で観てみたい気がしている。
Posted by ブクログ
喜久雄さんも俊介さんも、なんて壮絶な人生…。
そして、殿方を支えた女性陣の強さにも圧倒されました。
歌舞伎を極め一生を捧げた喜久雄さんですが、私はどちらかと言うと、三代目よりかは喜久ちゃんが好き。
俊ぼんや徳ちゃんとのやり取り、綾乃さんにどう接するかオロオロしたり、孫娘を抱き抱え幸せを感じたり、大雷優勝でみんなと万歳したり…。
凡人の私には一生見れない景色をやっと見れたのかな…?と、何とも言えない気持ちです。
でも、徳ちゃんと再会する前に、自ら河を赤く染めないでくれよぉ……と、本気で感情ぐちゃぐちゃです。
教養を深めてから歌舞伎を見てみたいです。
今のままじゃ、絶対絶対お話についていけない(笑)
Posted by ブクログ
とにかく読んでいて苦しくなる場面も多かったけれど、歌舞伎に魅せられた主人公の生き様に読む手は止められなかった。
「国宝」というタイトルが考えさせられる。
誰のための国宝なのか?
Posted by ブクログ
(上下巻あわせての感想)
歌舞伎の世界を描くために用いられた独特の語り口や、比較的短い間隔で場面転換が行われる構成が印象的で、まるで舞台を観ているような感覚だった。
病気、出奔、いじめ、借金、疲労、スキャンダル、交通事故、火事……と、波乱続きの展開。私は感情移入しやすいタイプなので辛くなる場面も多かったが、前述の通り場面転換が早いため、気持ちを切り替えやすかった。それでも、俊介が亡くなる場面はやはり辛かった……。
喜久雄が綾乃の気持ちを利用する形で結婚する場面。倫理的には酷い行為だが、それほどまでに芸の道しかなかったということなのだろう。芸にかける凄まじさを強く感じた。
ラストシーンは、現在と芸が融合一体となった、美しい幕切れだったと思う。
巻末の解説も良かった。俊介の出奔や脚の喪失が、実際の出来事や小説を元にしていることがわかり、物語への理解がより深まった。また、歌舞伎の演目が物語の暗喩として用いられている点も興味深かった。物語の冒頭が『忠臣蔵』を下敷きにしているとは……。
映画も観たい‥。
Posted by ブクログ
以前単行本で読んだけど、文庫は巻末にある解説を読めるのがイイね。
数年ぶりの再読なので、忘れてたところとかずいぶんあった。こんなエンディングだったか…
喜久雄は正気を失っていくけど、ふしぎと悲しくない。幸せそうに思えるから。
著者の他の作品があまり好きではなかったけど、これは本当に名著。多分また読む。
Posted by ブクログ
歌舞伎に取り憑かれたかのような生き様をこんなにも表現できるなんてすごい。共感とはまた違うけれど、喜久雄たちの人生にすごく惹き込まれて圧倒された。本も読んでよかった!!
Posted by ブクログ
映画を見てから原作を読みました。
語り口調で物語が進んでいく小説。
語り手により客席から喜久雄たちの歌舞伎を見ている気分になれました。
仕事から帰って、小説を開くと語り手によってこの『国宝』の世界へと案内される。そんな日々がとても楽しかった。続きは気になるが、『国宝』の世界から出るのが嫌だと思うくらい面白かったです。
語り手の正体は、一体誰なのでしょうか。
原作と映画どちらがよかった、とかではなく両方よかった。時間の都合や映像にする都合などで、映画は原作から変更された部分が多かったですが、原作を読んでから映画を思い返すと、あの俳優さんの演技は原作でのこの部分の登場人物を表してたんだ、と腑に落ちました。
Posted by ブクログ
映画観てから読んでよかったー。
徳次あっての喜久雄じゃないか。
映画での春江のセリフと行動で腑に落ちない部分があったけど、元々徳次の言葉だったことが分かって得心した。
映画は上手く切り取って作りましたね。
Posted by ブクログ
襲名する前までを読んで映画鑑賞。
映画では端役の説明が少ないところを本で補完できたので良かった。あらすじは知らないまま映画を見たので物語の流れは、映画を初見として楽しめたのも良かった。
映画、本と内容が大きく違うところはそれぞれの良さがあり、脚本家も作家も素晴らしい作品の構成に感動。
最後は、映画の方が好みかな。
本は喜久雄の最後が悲しすぎて、、せめて人間国宝になったのを知ってからだったら良かったのに(T-T)
後半は映画鑑賞後に読んだので、違いを楽しんだり、頭の中で映画の俳優陣を思い浮かべながらでより堪能。
本も映画も何度か楽しみたいと思える作品。
匿名
幸せとは
やっと幸せをつかんだかと思いきやその後に起こる不幸や苦難の数々。
それをも全てひっくるめて主人公は幸せだったのだと思えた。
歌舞伎は見たことがないけれど、情景が目に浮かぶような描写は圧巻。
上下巻とも夢中に読みました。
既に映画は公開されていますが、上巻を読み、どこを切り取って映画化したのか、上巻だけでも色々切り取っても迫力ある映画になりそうで、下巻に進むと更に、幾らでも映画として切り取れるストーリーが幾つも展開していく本です。一体映画は何処を切り取り作ったのか、そう考えながら読んできました。そして思うのは主人公は、歌舞伎役者それとも歌舞伎役者を取り巻く多くの女性達どっちなのか、複雑にからみあう女性達の、なんたる不思議な信頼関係というか線引き潔さよさ、それを許しあう主人公を取り巻く歌舞伎の世界、この微妙な関係や繋がり、寄りかかり助け合う世界を表現する作家の本の構成の妙が素敵な本です。締めに向けては、女形、歌舞伎役者の目に見えぬ心、本人も理解していない境地の世界を表現していき、夢中にさせてくれる素晴らしい本でした。ありがとう。
匿名
最高の小説だった
とにかく余韻がすごかった。
全てを語らず読者に考えさせる隙を与えていて読み終わった後も繰り返し同じ文章を往復していた。
文章がまるで詞のようで流れるように頭にスッと入ってくる。
個人的にはこれを超える作品にはなかなか巡り会えない気がする。
Posted by ブクログ
昨年映画を鑑賞して感激したので読んでみた。
映画を観た記憶と重ねて、この場面をカットしたのかとか、この二人にはこんなやりとりがあったのかとか、答え合わせをするように楽しんだ。頭には映画に出演している俳優さんが浮かぶ。次は小説を思い出しながら、映画を見返してみたい。
この長編大作を読んで、映画にしようと考え、実際につくりあげた李相日監督ってすごいな。もとはこのお話を書こうと黒衣を実際に経験して取材を進めた吉田修一さんもすごいな。表現への執念のようなものを感じる。小説の登場人物もまさに芸への執念がすさまじかった。やはり坂東玉三郎をおもってしまう。天才で努力家ってところがすごいんだよなぁ。
20260213
Posted by ブクログ
残念ながら歌舞伎は1度も観たことがないのです。歌舞伎座の前はいつも歩いていたのにお土産物のところでストップ、せいぜいTVの切り取り画面でしか知りません。この小説は女形役者の一代記として楽しく読ませていただきましたが、よくもまぁ次々と事件が起きる。それはそれで面白いと思いますが、読むよりもぜひ映像として映画で楽しみたいと思いました。時間を見つけて映画館へ行ってみようと思います。
Posted by ブクログ
まず最初に映画を観てから本を読んだので、映像美を思い浮かべて実際に観劇している気分に浸りながら読み進むことが出来ました。語り口調での文体がとても読みやすく、『藤娘』『道成寺』『曽根崎心中』『阿古屋』は実際に観てみたいと思いました。このラストは…喜久雄にとってはハッピーエンドになるのかな?!
Posted by ブクログ
まず驚きましたのは、その文体でございます。語り口と申しましょうか。先日読み終えた三浦しをん先生の「小説の書きかた講座」がふと頭をよぎります。これはまさしく少し昔の小説に多かったといわれております「三人称多視点」という手法でございましょう。そして、一体誰が語っているのかという疑問でございますが、こんなことを思いましたのも、しをん先生の著書を読んだばかりだからでありまして、それ以前でしたら、きっと気にもとめずにおりましたことでしょう。
なんて真似して書いてみたけれどギブアップ。この物語をただ読むだけでも、この調子でずっと続くんだよなあ、上下巻読み切れるかなあと不安になったくらいだから、書くなんてなおさら疲れるに決まっている。
あまりに映画「国宝」の評判が良いので、原作を読んでみようと思い立った。先入観を持たずに読みたかったので、映画の情報は極力入れないようにしていたけれど、主役のお二人のお名前は耳に入ってしまった。それでも、どちらが喜久雄でどちらが俊介かは知らなかったのだが、自然と喜久雄は吉沢さん、俊介は流星さんというイメージで読んでいた。しかし、上巻の半分くらい読んだところで、もしも逆のキャスティングだと映画を見た時に違和感があるかもと思い、ネットで調べて見たら、やっぱりね、当たっていた。
ヤクザの組長の息子・喜久雄と歌舞伎役者の息子・俊介の波瀾万丈な物語。これでもかというくらいの不幸な出来事が次から次へと起こるので、こっちまで辛くなる。加えて、女形に懸けるふたりの凄まじさに圧倒されて、舞台での美しさにさえ恐ろしさを感じてしまった。(怖い話が多いしね)
けれども、いや、「だから」かな?ラストは良かった。最高に良かった。喜久雄が解き放たれた感があって、とても幸せな気持ちになれた。こんな気持ちにさせてくれるとは、最後の最後まで想像できなかった。違和感のあった語り口も、ラストシーンではこの文体で良かったというか、これでなくちゃならないと思ったね。
さて、映画も見てみたいと思うのだが、公式サイトで調べたら、ラストシーンの演目『阿古屋』が映画にはないことに気がついた。ストーリーも原作と少し違うというような情報もチラと耳に入る。まさか、ラストが違うとか?うーん、だとしたら…。
Posted by ブクログ
極めたもののみが知る世界みたいなものを、凡人として見させてもらった感じでした。
物語の進め方がずっと紙芝居のような第三者視点で描かれていたからそれを強く感じたんだと思う。
週刊誌に、喜久雄のめでたいことの裏に起きる悲劇のような書かれ方をされていたけど、私がその時代に生きる人間だったならば、確かに‥と思ってしまっていただろうなあと思う
Posted by ブクログ
映画を観てから読んだけど、歌舞伎の演目についても解説されているので、もう一度映画も観たくなった。映画では唐突だったところも、原作では納得しやすい。女性も映画よりは生き生きしている。2冊ある割には読みやすかった。歌舞伎に詳しくなってからまた読みたい。
Posted by ブクログ
映画版を鑑賞後に読みました!
こちらも面白かったです!
映画はかなりポイントを絞っているのに比べて、小説版は喜久雄を中心とする群像劇となっています。
出奔中の俊介側の事情なども詳しく記載されていて、「俊ぼん…お前…大変やったんやな…」となりました。
上巻の後半では喜久雄どうなってまうんやと思いましたが、思ってたよりもあっさりドサ周り的な話は終わり、上り坂も下り坂もある、まさに波瀾万丈の人生という感じでしたね。
しかし映画でも気になった悪魔の契約のくだり、原作ではより扱いが中途半端では?
原作だと喜久雄って普通に家族思いの良い人なので、悪魔の契約と言われてもあんまりピンと来ないんですよね。
まぁ原作だと悪魔の契約はそこまでメイントピックではないのでそんなに気にしなくてもいいのかもしれませんが…
Posted by ブクログ
とにもかくにもラストが良かった。映画も見たけれど、断然、小説の方が好き。ラストの喜久雄の国宝感というか、行くところまで行っちゃった感が、小説の方が別格だと思う。
舞台の中央に立ち、上手下手、一階から三階までを見渡しました喜久雄の顔に、またゆっくりと笑みが浮かんだのはそのときで、
「きれいやなあ……」
そう呟いた次の瞬間、まるで雲のうえでも歩くように、なんと喜久雄が舞台を降りてきたのでございます。(p409)
喜久雄に魅せられて舞台に上がってきてしまった客と遭遇して以来、喜久雄の様子がおかしくなる。決定的に、舞台と舞台下の境界線が、曖昧になってしまうのだ。そして、物語のラスト、舞台に上がってきた客とは逆に、今度は、喜久雄の方から自ら演じる役柄のままに、舞台を降りていってしまう。国宝になるということは、もはや、自らの生きている生活そのものが、歌舞伎の舞台になってしまう境地として、この物語では描かれる。
「いや、その逆だな。やめたくねえんだ。でもよ、それでもいつかは幕が下ろされるだろ。それが怖くて怖くて仕方ねえんだよ。だから……」
「だから?」
椅子から立ち上がろうとする喜久雄の腕を、思わず彰子が掴めば、
「……いや、だからよ、いつまでも舞台に立っていてえんだよ。幕を下ろさないでほしんだ」(p388)
幕が降りない歌舞伎、というフレーズが、この物語のラストの鍵になる。現実の世界をすべて舞台にしてしまうことで、喜久雄は、幕を下ろさないでほしいという自らの願望を叶えることになったのだ。
娘に言われるように、この物語は、喜久雄が出世するたびに、誰かが不幸になる物語になっている。そのあたりも、国宝になるには、ただではなれないんだなという説得力があって、まさに、喜久雄自身が言っているように、悪魔じみている。俊介が糖尿病で死んだところで、息子もひき逃げで落ちるあたり、誰も幸福にはしないぞという感じが徹底している。
ある夜、まだ小学二年生だった綾乃と近所の銭湯に行った帰り、白川の畔の小さな稲荷神社に寄りまして、二人並んで手を合わせたときでございます。
「お父ちゃん、神様にぎょうさんお願いごとするんやなあ」
と、喜久雄のやけに長い参拝に、横で綾乃が笑いますので、
「お父ちゃん、今、神様と話てたんとちゃうねん。悪魔と取引してたんや」
「ここ、悪魔いんの?」
「ああ、いるで」
「その悪魔と、なんの取引したん?」
「『歌舞伎を上手うならして下さい』て頼んだわ。『日本一の歌舞伎役者にして下さい』て。『その代わり、他のもんはなんもいりませんから』て」
その瞬間、綾乃の目からすっと色が抜けました。
「……悪魔はん、……なんて?」
「『分かった』言わはった。取引成立や」(p347)
そういいった中で、唯一、喜久雄の呪いを逃れているのが、徳ちゃんである。中国でビッグになってくると言って退場してから、ラストシーンでしっかりとビッグになって帰ってくるあたり、この可哀想なキャラクター群の中で、弁天と並んで、数少ないずっと幸せだったキャラクターだった。
この物語には、不幸になるキャラクターと、何かしらの成功を収めて物語を終えるキャラクターが、割と明確に分かれている。もう一人、自分なりに納得のいく人生を文字通り終えたキャラクターに、万菊がいる。人間国宝にまでなった万菊は、晩年、自ら行方をくらまし、場末の宿場で、素人を相手に踊りを踊り、誰にも看取られることなく生涯を閉じる。物語に出てくるあらゆる役者の中で、万菊が決定的に違うのは、その人生の最後において、舞台の上に立つことを求めなかったことだろう。このあたり、舞台の上で死ぬことを求めて死んでいった二人の白虎や、テレビブームの中で、落ちぶれていってしまった役者などと違うところである。
この物語は、舞台の上で生きることを望まなかった人間だけが、幸福になる物語である。万菊の死に際は、まさしくそのような姿として見える。
まえの晩、また余興でもしたのか、その顔には白粉が塗られ、紅も差され、日当たりの悪い部屋だったせいもありまして、一瞬のことではありましたが、まるでそこに妙齢の美しい女性が眠っているように見えたそうでございます。(p213)
万菊もまた、喜久雄と同じく、舞台の上では、現実の世界を舞台として死んでいったのである。
こう考えてくると、この物語の語りが一貫して、舞台の口上のような語りになっているのも頷けてくる。国宝級の彼らからすれば、この世界は全て、演じられるべき舞台としてある。だからこそ、語り手は、最後に、観客たちに向けてお願いをするのである。
ですからどうぞ、声をかけてやってくださいまし。ですからどうぞ、照らしてやってくださいまし。ですからどうぞ、拍手を送ってくださいまし。
日本一の女形、三代目花井半次郎は、今ここに立っているのでございます。(p412)
きっと、この口上を語る語り手も、一つの役柄として、演じられるべく存在しているのだろう。
Posted by ブクログ
映画がいかに喜久雄の人生の一部なのかが分かる。
徳ちゃんをはじめ、春江、俊ぼんが歌舞伎を離れていた時期など、喜久雄の人生はもちろん、その周りの人たちの描写もあったので、満足度が高い。けど言語化が難しい。
人生というか生涯って感じかな...。
Posted by ブクログ
若くして初孫が出来た男の焦燥感以外には何でもありゃしないよ 壊死とは事故や病気によって体の一部の組織や細胞が死ぬ事で 中でも足の壊死は糖尿病等に関連して起こり易いと言われております これは幻肢痛と言われる失った筈の部分の痛みらしく 糖尿病患者が足の切断手術を受けた場合、五年以内の死亡率が六割を超える事を、決して口にはしませんが本人は勿論、家族の誰もが知っているのでございます。 溝口健二監督の映画『残菊物語』でも『積恋雪関扉』は重要な場面で登場している 清濁合わせ飲んで流れて行く大河のようなこの小説に身を浸す時