ジュール・ヴェルヌ読んでると初めて読んでるはずなのに、何故か聞いたことあるような話だなと思うのはSFの父だからかなと思う。本当のスタンダードというかベタを作った人ということだよね。
ジュール・ヴェルヌ
Jules Verne 1828年フランス、ナントに生まれる。ナントのリセを出たあと、 1847年法律の勉強のためパリを訪れる。 48年にアレクサンドル・デュマ父子と出逢い、劇作家を志す。地理や科学、博物学の広範な知識と、豊かな空想力を駆使して数多くの作品を発表した。空想科学小説の父と呼ばれる。主な作品に『地底旅行』『八十日間世界一周』『神秘の島』など。」
「ここで特に名前を挙げておきたいと思うのは、紅海、インド洋、そしてアメリカ大陸の赤道付近の沿岸に生息するハコフグです。ハコフグという魚は、カメ、アルマジロ、ウニ、甲殻類の動物と同じように鎧で身を守っています。もちろん白亜や石でできた鎧ではなく、本当の骨でできた鎧です。その形は正面から見れば三角形に見えますが、中には四角形に見えるのもいます。三角形のハコフグとしては、体長五センチ、肉は無毒で美味、茶色い尾と黄色いひれを持つハコフグがいました。このハコフグを淡水に順化させてみると面白いでしょう。海産魚の中には簡単に淡水に馴染むものもかなりいるのです。また、背に大きな突起が四つついている四角いハコフグ、即ちコンゴウフグや、体の下の方に白い斑点がついているミナミハコフグもいました。このミナミハコフグは鳥のように飼い慣らすことができます。他にハコフグの仲間としては、骨質の外皮が長く伸びて針のようになっているトランクフィッシュがいました。トランクフィッシュは奇妙な唸り声をたてるところから「海の豚」とも呼ばれます。円錐形の大きな瘤のあるラクダハコフグもいましたが、こいつの肉は硬くて、まさに靴底のようです。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「つまり」と私は応じました。「いまだにそんな原始的なやり方でやっているということですね?」「ええ、いまだにそうなのです」とネモ艦長は答えました。「この漁場を管理しているのは世界で最も産業の進んだ国イギリスなのですが、にもかかわらず、あいかわらずそれが漁の実態なのです。真珠採りの実権をイギリスが握っているのは、一八〇二年にアミアン協定が締結されたためです」「あなたがご使用になっているような潜水服があれば、潜り手の作業もずっと楽になるでしょうが」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「 私がそこまで確認したとき、「教授、真珠採りは」とネモ艦長が話しかけてきました。「……真珠採りはベンガル湾でもインド洋でも行われています。もちろん中国の近海や日本海でも、また南アメリカの海、パナマ湾、カリフォルニア湾でも行われています。だが、セイロン島ほど輝かしい成果をもたらしてくれる漁場は他にありません。たしかに、私たちはこの地にやってくるのがやや早すぎたとは言えるでしょう。真珠採りの漁師たちがマンナル湾に集まるのは三月ですから。三月になると、漁師たちが三百艘の舟を漕ぎだし、海の宝物を探すのにまるまる三十日費やします。これは金になる仕事です。それぞれの舟に漕ぎ手が十人、潜り手が十人乗り込みます。潜り手たちは二グループに分かれて、交互に海に入ります。縄で舟に繫いだ重石を両足に挟んで、平均一二メートルの深さまで潜るのです」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「するとムールガイもかね」とカナダ人が訊ねました。「そうだよ。スコットランド、ウェールズ、アイルランド、ザクセン、ボヘミア、フランスの沖の海流で育ったムールガイならばね」「よし、今後は見落とさんよう注意しよう」とカナダ人は言いました。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「だが」と私は話を続けました。「真珠を生み出す代表的な軟体動物は、何と言ってもいわゆる真珠貝、即ちメレアグリナ・マルガリティフェラという学名を持つ貴重なクロチョウガイだ。真珠というのは詰まるところ、真珠質が小球状に凝固したものに過ぎない。それが貝の殻に付着したり、軟体動物の襞の中にもぐり込んだりしているわけだ。ちなみに、貝の殻に付着する場合はぴたりと張りついて動かないのに、貝の肉の中に埋もれた場合は、一箇所に留まっていないで位置を変えることがある。ただ、いずれにしても、何か小さな硬い物質が真珠の核を成すことに変わりはない。それは無精卵でも、一粒の砂でもかまわないのだが、とにかく、その小さな物体の周囲に、真珠質の薄い同心円状の膜が何年もかかって積み重なったものが真珠なのだ」「同じ一つの貝の中に真珠がいくつもできるものでしょうか?」とコンセイユが質問しました。「ああ。クロチョウガイの中にはまるで宝石箱のようなものもあるよ。それに、まあ、これは私は真に受けていないのだが、聞くところによれば、一五〇ものサメの入った貝もあったというよ」「サメ?」とネッド・ランドが叫びました。「サメと言ったかね、今、私は?」今度は私がはっとして叫びました。「一五〇の真珠だ。サメでは意味をなすまい」「おっしゃる通りです」とコンセイユが言いました。「ところで、旦那さま、今度はどうやって貝から真珠を採りだすのかお教えいただきたいのですが」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「いろいろなやり方がある。真珠が殻に張りついている場合はペンチではぎ取ることも珍しくない。だが、ふつうはエスパルト繊維で編んだ筵を浜辺に敷き、そこに真珠貝を並べるのだ。こうすると、真珠貝は風通しの好い場所で死んでいくことになる。十日も経てば十分に腐敗が進んでいるから、死んだ真珠貝を海水の入った大きなタンクに沈め、殻を開けて洗浄するのだ。このとき海人は二つの仕事を行う。まず、真珠層のある貝殻を分別するのだ。貝殻は一二五から一五〇キログラムごとにケースに詰めて出荷され、商売人たちに『純正の銀』とか『混じりけのある白』とか『混じりけのある黒』などと呼び分けられることになる。海人の次の仕事は貝の身を剝がし、それを煮て篩にかけることだ。こうやって、どんな小さな真珠も取り逃さないようにするのだよ」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「真珠の値段は大きさで決まるのでしょうか?」とコンセイユが訊ねました。「大きさだけではないよ」と私は答えました。「形によっても、純度、つまり色によっても、また光沢によっても変わってくる。光沢というのは、要するに、私たちの目にとって真珠をかくも魅力的なものたらしめているあの玉虫色の輝きのことだ。最も美しい真珠はバージン・パールとかパラゴンと呼ばれているが、これは軟体動物の組織の内部で一つ一つ別々に作られるのだ。色は白くて、多くの場合、不透明だが、中には澄んだ乳白色のものもある。たいてい球形か洋梨のような形をしていて、球形のものはブレスレット、洋梨形のものはイヤリングやネックレス向きだ。何しろ最も貴重な真珠だから、取引の際は一粒単位で値が付けられる。それ以外の真珠は貝殻に付着していて、色も形ももっと不均一だ。重さで売買される。さらにランクが低いのはケシ玉真珠と呼ばれる小さな真珠。これは計り売りしていて、とくに教会の装飾品に刺繡を施すのに用いられるのだよ」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「そう。ジュゴンの肉は非常に評価が高く、マレーシアでは国中で王族だけが口にできる食べ物とされています。これは正真正銘の獣肉です。そのため、皆が目の色を変えて狩りをします。その結果、ジュゴンは同類のマナティー同様、数が激減しているのです」「艦長、そうしますと」とコンセイユが真剣な面持ちで言いました。「あそこにいるのがひょっとすると最後の一頭かもしれないのですね。であれば、見逃してやるべきではないでしょうか? 科学の進歩のために申し上げているのですが……」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「敷布のように広がる電光によって煌々と照らし出された水の中には、体長一メートルのヤツメウナギがうねうねと泳いでいました。これは大概どの海にも生息している魚です。また、エイの仲間で、横幅五ピエ、腹が白く、灰白色の背に斑点のついたロングノーズド・スケイトもいました。このロングノーズド・スケイトはまるで潮流に運ばれていく巨大な肩掛けのように、ふわりと海中に漂っていました。その他にもエイはいましたが、目の前をさっと通り過ぎていってしまうので、はたして古代ギリシア人が考えだした「鷲」というあだ名と、近代の漁師たちの考案による「ドブネズミ」「ヒキガエル」「コウモリ」のどれが本当にエイにふさわしいのかは判断できませんでした。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「南仏人はプロポンティス海沿岸の住民やイタリア人同様、クロマグロが大の好物なのです。マルセイユではその彼らの大網に何千頭もの貴重なクロマグロが訳も分からないまま飛び込んで、むざむざ命を落とすのです。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「軟体動物門の中で彼が名前を挙げている生物は以下の通りです。即ち、おびただしい数のクモエウチワ、互いに積み重なったウミダリアガイ、フジノハナガイ科の三角形の貝、黄色い側足と透明な殻を持つカメガイ、緑色がかった斑点がぽつぽつと──ものによってはびっしりと──ちりばめられた、卵のような格好のオレンジ色のウミフクロウ、「海のウサギ」の名でも知られるアメフラシ、タツナミガイ、肉付きの良いカノコキセワタガイ科のフィリノープシス・デピクタ、地中海特有のヒトエガイ、貝殻に極上の真珠層ができるミミガイ、ホンタマキガイ、ラングドック地方の人々が牡蠣よりも好むと言われるナミマガシワ、マルセイユの人々が大好きなアサリ、白くて厚ぼったいマルスダレガイ、北米の沿岸に繁殖し、ニューヨークでよく売れるハマグリの類い、さまざまな色のセイヨウイタヤガイ、穴に潜りこんでいるイシマテガイ──これは私も試してみましたが、香辛料を利かせたような風味がオツでした──、殻頂の膨らんだ貝殻がまるで浮き上がった肋骨のような、筋の入ったトマヤガイの一種、緋色の小突起に覆われたマボヤ、軽快なゴンドラを思わせる先の丸まったゾウクラゲ、冠をかぶったような姿のフェロール、螺旋形の貝殻を持つクチキレウキガイ、灰色の地に白い斑点があって、スペインの女性が頭にかぶっている房飾りのついたスカーフのようなものをまとっているメリベウミウシ科のテティス、小さなナメクジに似たオオミノウミムシ、背で海底を這うカメガイ、オカミミガイ科のさまざまな貝、そしてとりわけ特筆すべきものとして、卵形の殻を持つマウス・イヤード・スネイル、鹿毛色のスカレール、タマキビガイ、アサガオガイ、ニシキウズガイ科のグレイ・トップシェル、イワホリガイ、ベッコウタマガイ、カツラガイ、ネリガイなどです。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「 それでも私はノーチラス号に戻ることにしました。私たちは断崖の一番高いところを走っている狭い急坂を通って十一時半には出発点に帰りつきました。すでにボートが砂地に乗り上げていて、ネモ艦長が陸に上がっていました。彼は玄武岩の塊の上に直立していました。足元には測量器具が並んでいます。その目は太陽が緩慢な曲線を描く北の水平線を見据えていました。 私は彼の近くに陣取って、何も言わずにただ待っていました。正午になっても、昨日同様、太陽は姿を現しませんでした。 結局、私たちはまたしても測量ができなかったわけです。それが運命だったのでしょう。もし明日も太陽が姿を現さないようなら、今いる場所の位置を決定するのは完全に諦めなければなりません。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「なるほど」と私は言いました。「ですが、今のお話は数学的な厳密さに欠けます。と言いますのも、太陽が春分点に来るのが正午とは限りませんから」「それはそうでしょう、教授。しかし、誤差は一〇〇メートルもありません。それで十分なはずです。では、明日」 ネモ艦長はノーチラス号に戻りました。コンセイユと私は五時まで海岸を歩き回って観察と研究を続けましたが、これと言ったものは何も手に入れることができませんでした。ただし、ペンギンの卵を別とすれば、です。目を見張るほど大きく、好事家なら一〇〇〇フラン払っても、いえ、それ以上払っても手に入れたいと思うようなペンギンの卵が見つかったのです。クリーム色の色合いといい、ストライプ模様の入り方といい、まさに貴重な工芸品と言っていいような逸品で、しかもヒエログリフを思わせる飾り文字まで入っているのです。私はその卵をコンセイユに委ねました。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「この海にはクラゲも数多くいて、クラゲの中でも最も美しく、サン =マロ諸島の海に固有の種とされるヤナギクラゲの姿に感嘆する機会にも恵まれました。このヤナギクラゲは非常になめらかで赤褐色の縞模様の入った半球状の傘のような姿をしていて、傘の縁の部分には一二個の花綱が規則正しく並んでいました。また、ときにはそのヤナギクラゲがひっくり返った花籠のように見えることもあり、その花籠からは幅の広い葉と細長くて赤みがかった枝が優雅に覗いていました。このクラゲは木の葉のような四つの腕を動かし、豊かな髪のような触手を水に漂わせて泳ぎます。私はできることならこの華奢な植虫類のサンプルをいくつか持ち帰りたかったのですが、ヤナギクラゲは雲か影、あるいは幻影のようなもので、生来の住処である海水の外に出すと溶けて蒸発してしまうのです。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「それは分からない。だが、何ものだろうが、夜が来る前に沈められるのは確実だ。とにかく、どこまで正義に適っているのか分かりもしない復讐の共犯者にさせられるくらいなら、あの戦艦と一緒に滅びる方がましだ」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「しかも、この作品は自然科学と人文学の架け橋にもなっている。今は細分化した知の諸分野に橋を架け渡すことが求められる時代のようで、「学際的」とか「領域横断的」といった言葉をよく耳にするが、そんな要求は約百五十年も前に、めっぽう面白い形で実現されていた観がある。 ヴェルヌは科学に強い興味を持ってはいても、おめでたい科学万能主義者ではなかった。『海底二万里』の最後でネモ艦長とその潜水艦がどうなってしまったのか、それははっきりと示されてはいないのだが、その曖昧さが曲者だ。作者は本作の幕引きにあたって、近代科学の申し子とも言うべきノーチラス号が大自然の脅威の前にあえなく滅び去った可能性を敢えて排除しなかったのである。私たち読者としては、やはり昨今の社会情勢を思い起こしながらあれこれ考えざるを得ないだろう。「科学の限界」とか「科学技術を盲信することの危険」とかについて……。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「『海底二万里』を読み終えて目を閉じると、ちょうど長い旅を終えた後のように色々なシーンが脳裏に甦ってくる。海底の森の散策、クジラとの闘い、サンゴの墓、ビーゴ湾訪問、等々。そして私たちは改めて作者の豊饒な想像力に驚嘆することになるのだが、とはいえ、いかにヴェルヌが天才であっても、何もないところからこれだけの物語を生み出すことはできない。彼は科学論文、概説書の類いは言うに及ばず、相当の数の文学作品を読み込み、そこから様々なヒントを得ている。『海底二万里』は旺盛な読書の所産でもあるのだ。例えば巨大タコとの死闘シーン。十九世紀フランスの文豪ユゴーの『海で働く者たち』にはタコが人を襲う話が出てくるが、これはその話をヴェルヌ流に発展させたものと言えそうだ。 もう一つだけ例を挙げておくと、エドガー・アラン・ポーの諸作もヴェルヌにとっては重要な発想源の一つだった。彼はこのアメリカ人作家を敬愛していて、本書でも何度かその名を引いているが、はっきりと名前を挙げてはいない箇所にもポーの影響は認められるはず。ノーチラス号が南極点からの帰路に大海氷の下に閉じ込められてしまうくだりは『海底二万里』の読みどころの一つだろう。さすがにヴェルヌは手が込んでいて、窒息死の恐怖に、両側から迫ってくる氷壁に押し潰される恐怖を重ねて〈恐怖の二重奏〉を奏でているのだが、ここにはポーの恐怖小説「落し穴と振子」の反響が認められるかもしれない。「落し穴と振子」も男が狭い空間に幽閉される話で、男は闇の中で様々な脅威に曝されるのだが、その一つはやはり徐々に迫ってくる壁だった。もっとも、その壁は氷壁ではなく、白熱した鉄の壁だったのだが……。ユゴーとポーの小説はどちらも邦訳があることでもあるので、読み比べてみるのも一興だろう。『海底二万里』を〈もっと楽しむ〉ための良いツールになってくれるはずだ。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「一方、『海底二万里』が後世に与えた影響はと言えば、これはもう計り知れない。話を日本に限っても、明治十年代には早くも邦訳が刊行され、それ以後、新訳が何度も出ている。この小説に着想を汲んだ作品も、矢野龍渓『浮城物語』を筆頭にかなりの数に上るはずだ。中にはノーチラス号の潜水服を改良したと思しき潜水服が出てくる小説もある(山本周五郎『囮船第一号』)。ちなみにその新型の潜水服はヘルメットの内側に「伝響板」が付いていて、水中でも会話が可能なのだとか。これがあったらどんなにアロナックス教授が喜んだだろう、と惜しまれもするのだが、ともあれ、こんなふうに日本にまで及んだノーチラス号の航跡を辿ってみるのも中々面白いのである。 ここで、アロナックス教授が(そしてときにはネモ艦長も)犯しているケアレスミスについて一言しておこう。実はこの教授、日付を間違えたり計算ミスを犯したりと、「教授」らしからぬ粗忽さが目立つのだ。訳出に当たっては、読者の方に〈間違い探し〉を楽しんでいただくのも悪くはないだろうと考え、あまりにも目に余る場合を除けばそのままにしておいたが(上巻第十三章のノーチラス号の重量計算のくだりなどは難易度の低い〈初級編〉だから、間違い探しをなさるならその辺りから始めるのがおススメ)、ただ、間違い探しもさることながら、この手のミスを徹底的に正す気になれなかったのは、そこに作者ヴェルヌの姿が透けて見えるように思えたからだ。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「日本でもヴェルヌは早くから紹介されてきたわけだが、それでもこの作家とは今まで何故か縁がなかったという方もおられるだろう。そうした方にとって、本書が大海のようなヴェルヌ・ワールドに漕ぎ出す機縁となれば、訳者にとってこれにまさる喜びはない。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著