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「くどうれいん」の「5分後にお風呂に入りたくなる! 湯けむり文学」「新しい法律ができた」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
◾️record memo
手紙には「わたしは蒲田に出会うことができてほんとうにうれしい、学生時代の思い出の端々に蒲田がいることが、きっと今後わたしの人生の財産になると思う」という意味のことを、とてもうっとりした文章で書いた。蒲田はその日の夜に長いLINEをくれた。「サンキャッチャーは早速、朝日の入り込む東側の窓に吊るしておきました。東北にきてレインさんと出会ったことは人生の中でまちがいなく私の転機となりました」とあり、わたしは心の底からうれしかった。お互いに大学を卒業してわたしは盛岡へ、蒲田は東京へ行った。わたしは蒲田がいまどうしているのかを知らない。
改札を出た後、都営大江戸線の乗り口がわからなくなってしまった。表示されているとおりに進んでいるはずなのに、どう考えても見当たらない。ここを曲がるのだったか。ここを曲がってはいけないのだったか。乗り換えでこんなに歩くはずはないのに……わたしは同じ道をなんども行き来した。キャリーバッグのタイヤが砂利を敷き詰めたような歩道のアスファルトにこすれてぎゃりぎゃりぎゃりと鳴った。観光客らしき人は一人もおらず、サラリーマンか大人びた学生たちばかりがわたしとすれ違った。みな小さな、あるいは薄い鞄を持って颯爽と歩いていて、こんなに大荷物なのはわたしだけだった。マスクがあってよかった。泣き出しそうになるのを堪えながら、迷っているとは思えないような速度でわたしは何度も颯爽と歩きなおした。
それからの八泊を、わたしはむきになったかのようにちいさな鞄で過ごした。斜めがけの、死んだわたしのおばあちゃんならこれをポシェットと呼ぶであろうちいさな黒い鞄で。まるでいつも東京にいて忘れ物はいつだって取りに戻ることができるような顔で、口紅とハンカチと財布とスマートフォンだけで過ごした。「荷物それだけ?」と何人かの友人は言った。わたしがこれまで東京を歩くときは、岩手のお土産やらカメラやらメモ帳やら、ごっちゃりと持ち歩いていたからだ。「これだけ」とわたしは得意になった。
東京コンプレックス、と彼女がわたしに言ったのは、この、大きな荷物を抱えて恥ずかしいこころのことなのだろうか。そうだとしたらほんとうに余計なお世話だ。まだむかついているから、いつか東京のことを作品にしてたくさん売れてやろうと思う。
サービス精神が旺盛なので、カメラを向けられているときはとっても笑顔で大きな声で、ときどきふざけたりしながら楽しく映った。もしかしたらテレビに出るのがわりと向いている人間なのかもしれないぞわたしは。そう思ってすぐに、そういう妙な器用さで勝ち上がって、しかし結局優勝はできない自分の人生のことを思った。うまくやれるけど本物じゃない。中学生のときからずっとその繰り返しがわたしの人生ではないだろうか。
またなんか勝ったけどこれは勝ったわけじゃない。自分の「本物じゃなさ」のようなもののことをずっと思っていた。
わたしはくどう、自信を持っている女。得意技は、とんぼをメチャクチャ捕ること。
わたしが鬼のままでも恋をしてくれる人を、ずっと探していた。
何がおしまいなのかと言われるとうまく言えないのだが、うまくいっていることはひとつもないのだった。途方もなく、なすすべなく、まったく明るい気持ちになれない朝だった。精神的にそんなふうになっている日、大抵の原稿はうまくいかない。
おしまいだ、と思う日に、わたしには蝙蝠の女と胡麻団子の女と氷嚢の女がいる。水をごくごく飲んで、原稿に向かった。
仕事を辞めてもう一年経つというのに、わたしは未だ、性懲りもなく勤め人だったときの自分の姿に縋っているのだった。作家だって社会にとって必要な仕事だと言い聞かせながら、それでも仕事着を身にまとう自分が恋しかった。お客様と仕事じゃないような談笑をしたり、理不尽を引き受けたり、遠くまで車を走らせたりする。その日々のわたしのことをやたら輝かせて思い出すことがとても増えたわたしは、企画書も売り上げ票も出さなくてよくなったさみしさを埋めるように、前の仕事相手と遅くまで飲んでばかりいた。昼過ぎまでぼさぼさの髪でいるくせに、飲みに行く直前に前着ていた仕事着に袖を通し、「おや先生、おつかれさまです」と揶揄われたりしながらサラリーマンたちの話を聞くだけでたのしいのだった。愚痴でも達成感でも、上司や同僚のいる人たちのああでもないこうでもない話を聞いていると、この輪にいる自分も社会に参画しているようなきもちになる。サラリーマンをやるというのは本当にすごいことだったと思っているから、どれだけ「すごいね」と言われても、サラリーマンの皆さんのほうがずっとずっとすごいですよ、と言い返して、お酒がおいしくて、二軒目が三軒目になる。夜中の一時をすぎて「うあーもうこんな時間、明日仕事かよ」と言うひとに「ね、お会計しましょう」と返してパイナップルのカクテルを飲み干しながら、しかしわたしは、無理に七時に起きて準備をしなくてもいいことに気が付く。担当編集との打ち合わせは十三時から、それに間に合えばよい。手を振って別れて家までの道をへらへら歩いて帰りながら、だんだん真顔になる。この仕事の自由さのことを考えると夜空が真っ黒い布のようにわたしに巻き付いてきて、玄関までの足取りはどんどん重くなる。そうして静かに玄関を開けると、明日も仕事のミドリはとっくに眠っている。(ごめん)と思いながら靴を脱ぎ、(ごめん)と思いながら水をごくごく飲み、(ごめん)と思いながら顔を洗うとき、この(ごめん)はミドリに言っているのか自分に言っているのかわからなくなる。それでも酒場で敬語とため口がぐちゃぐちゃになりながら笑ってお冷を頼む自分が「本当のわたし」だったような気がして、飲む誘いがあればなんでも引き受けていた。
三階に戻るエレベーターの中で「どうして高いところが苦手なの?さっき大丈夫そうだったけど」と尋ねると、「飛び降りたくなっちゃうからね」とミドリは笑った。
「だから落ちても死ななそうな三階くらいがいちばんちょうどいいんだよ。おれは十二階には絶対住めないってわかってよかった」
わたしはいつだってホットコーヒーのような愛に氷をたくさん入れてコーヒー牛乳にして飲ませてしまうような人間なのに、結婚なんかしていいんだろうか。
これまでのすべてのデートのレストランで向かい合って座っておいしいねと言い合うとき、あれはたしかに恋だった。しかし結婚というのは「おなか空いたままはよくないね」と言いながら、それぞれに好きなものを買って横並びでおにぎりを食べることなのかもしれない。
「ふたりで暮らせば、しあわせは半分こ。悲しみは、二倍!」
わたしはけらけら笑って、「二倍!」と繰り返した。わたしたちは、ふたりで暮らすことを "しあわせが二倍で悲しみは半分こ" なんてちっとも思っていない。けれど、二倍になった悲しみを、やんなっちゃうねと言い合うことができるなら素晴らしいことだと思ったのだ。
十七歳のわたしをいちばん支配していた感情は「悔しい」だと思う。毎日こころの底で何かに対して、悔しくていらいらしていた。常に四人でつるまなければ気が済まないかわいい女子や、目立つことを完全に諦めて四六時中コボちゃんのような顔をしている男子や、県大会でベスト8に残っただけで新聞の写真付きの記事になる野球部や、廊下の壁に背中をつけながらけだるそうにホルンを持ってロングトーンをする吹奏楽部や、購買で福田パンのクッキー&バニラと午後の紅茶という甘すぎるセットを昼食にするやつや、死んでるかと思ったら生きている生物室前のウシガエルや、都内の私立高校に通いながら英会話と乗馬を習い事にしている会ったこともない一つ年下の子のブログや、どうがんばってもどうやら思うようなかわいさにはならない自分に、いらいらしていた。
わたしはずっと、わたしのことを救いたかったのだ。
「決別とは違うんじゃない。わたしみたいに漢字の玲音ちゃんを覚えている人がたくさんいるんだから。それにさあ、結婚もだけど、はずみだから、みーんな。球をポンっとやってあっちに戻れない、みたいな。人生ははずみだよ。いまはずむときなんじゃない。決断って選ぶことじゃなくて、選んでそれでよかったって思えるようにしていくことだって言うし」
龍の玉深く蔵すといふことを
昨日、話したあと、ふと、虚子のこの句が浮かんできました。『玲音』という名を深く蔵して、風のように自在に!
三度読み返して、大きく息を吸った。深く蔵す。わたしは戦う名前として「くどうれいん」を使い、愛する人たちに呼ばれるときは「玲音」と呼ばれよう。わたしの芯にしかない名前があるというのも、かっこいいことかもしれない。
焦っていて負けたくなくて自信がなかったからこそ、何かにつけて覚悟を決めたくて仕方がなかった。いまだってそう思う日もあるけれど、(でも、できることしかできないもんなあ)とにこやかに諦められるようになったと思う。落ち着いて椅子に座ってひとつずつ取り掛かろうと思えるようになったのは、その頃のわたしがのたうち回って疲れてくれたおかげだ。