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Posted by ブクログ
この本は、
とても身近なところに、すごく小さくて大きな世界があることを思い出させてくれました。
いつも歩く道の途中で、
立ち止まって周りに目を向けると、
地面の端っこに咲く花、その花の中にいる虫、花の細かな花粉や、その花の匂い、雨で濡れた花や草の美しさ、色んな雑草があることに気づきます。
そこにはものすごく小さな範囲の中に大きな世界が広がっていて、目を向けていないだけで、いつでもそこに存在しています。
子どもの頃見ていた世界はこんな世界だったなー。
山とか空とか宇宙とか、大きな存在ばかりに目が向くけれど、小さい世界もまた無限に広くて面白い。遠くに行かなくても、すぐそこに広い世界がある。
どこかに旅行や登山などで出かけたら、
もっと小さな世界に焦点を当てて楽しんでみよう。
そう思ったら急に世界は豊かだ、楽しいな〜と感じられるようになりました!
Posted by ブクログ
梨木さんの日常を語るエッセイ。家の周りで咲く小さな花や人とのつながりを、優しく鋭い目で見つめ、温かい言葉でつづる、何気ない暮らしの羅針盤。
梨木さんはふと歩いてみた隣との細い境、手入れのされていない庭で一綸やっと花をつけて咲いている貝母を見つける。
この花は束にして活けるとお互いの巻きひげでまるで縛りあって立っているかのように見える、そういう生き方から無理をしない、寄りかかれるものがあれば寄りかかってみる、状況に合わせて生きていく姿勢を感じる。
そしてサステナビリティー(持続可能性)という言葉に気が付く、よく見かけるようになったその言葉はやがて時代の波に流されていくだろう、生きていく間にはさまざまな事柄に出会うが、無理のない持続可能な生活、無理をしないで環境に合わせて生きる羅針盤を、ひっそりと咲く貝母に見る。
クリスマスローズは植えても何年も咲かない。うちでも5.6年して「咲く気がないのかな」と思い始めたころやっと咲いた。そのあとの生命力は凄くてどんどん増えて困った。あちこちに分けて今では切り花にもちょうどいい花数になった。こういう風に梨木さんと同じような経験をし、ガーデニングのあれこれを読むと、何か細くても花好きは何かつながるような感じがする。
ツルが見たくて出水にいく。珍しい野生のアスパラガスを摘みに行く。
ツバメや、スズメや、ドバトを見て距離の取り方について考える。むつかしくもあり、時には寂しくもある距離について。「近づき過ぎず、遠ざからない」と見出しにつけている。
ミントを噛んで野生を感じたり、月明かりの下で木々の葉を透して違った風景を感じる。夜の時間に開く五感を感じ不思議に開いていくのを楽しむ「五感の開き方閉じ方」より
「五感を喧騒に閉じて、世界の風に開く」私もそうありたいと共感する。
夢は他愛のないものかもしれないが、時には公共性をもっているのではないか。夢を語るうちに相手の何か深い部分を動かしまた伝播していく。そんなことがあるかもしれない「夢と付き合う」
これが一番心に残った。
「プラスチック膜を破って」
駅のアナウンスの途中で、「ああっ!」と言って声がとまった。緊急でもなさそうだったのだが、今まで意識しなかったホームの人たちが一斉に表情を緩めた。「いったい何が起こったのだろう」と囁きが聞こえた。
「知りたい『ああっ!』のわけを」バラバラだった人々は心を一つにした。
常に透明なプラスチック膜で覆われているような人達が膜を破った瞬間だった。そして何事もなかったかのように入ってきた電車にのって別れて行った。
時々こういう瞬間がある。こんなことがなぜ表情まで変化させるほど幸せにするのだろう。梨木さんとともにいると小さな花を見つけ、時にはつけてきた表情を崩す瞬間に会う。
スッカリ硬化した膜を付けている人もいる。でも少しでも「破れ」ができたらすかさず笑顔で迎えたい。暖かい春風が吹き込むように、と締めて居る。
こうして梨木さんの日常は続く、「百パーセントここにいる」時を楽しむために。
探している羅針盤の振れが幸せな方向を向く、そんな優しい言葉や深い生き方にさりげなく触れている。
Posted by ブクログ
植物や鳥を見て感じたことから、人の生き方や人間関係へと思いを巡らせていく。見過ごしてしまいそうな小さな草花や生き物のちょっとした動きにも興味を持って見ているところや、その人らしくあればいいというメッセージが、梨木さんらしくて良い。
2007〜2009年に雑誌で連載されたエッセイをまとめたエッセイ集で、当時はあまりにも急激に右傾化したので危機感が強まったことが反映されたものとなったそうだが、今読んでいても違和感がない。2015年文庫版あとがきでは「以前にも増して国の先行きに危機感を感じる世の中になってきた」と書かれているが、今はさらに危機感が強まっているのではないだろうか。
Posted by ブクログ
日常のふとしたことから、梨木さんが徒然に思いを馳せてゆくエッセイ。
「ゆるやかにつながる」では、ツルの群れの話から私たち人間もまた群れる生き物だという話へ。
「できるならより風通しの良い、おおらかな群れをつくるための努力をしたい。個性的であることを、柔らかく受け容れられるゆるやかな絆で結ばれた群れを。傷ついたものがいればただそっとしておいてやり、異端であるものにも何となく居場所が与えられ生きていけるような群れを。ちょっとぐらい自分たちと違うところがあるからといって…(略)…詰め寄り排斥にかかることがないような群れを。」
これにはとても共感した。
「世界は生きている」では、清里の森から様々に思いを巡らす。
『西の魔女が死んだ』にちらりと触れられているのも嬉しいところ。
(特別編として、「『西の魔女が死んだ』の頃」という章もある)
「刻一刻と様相の変わってゆく「生き物の現場」を、きっと「世界」と呼ぶのだろう。」という結びの文章が好きだ。
ここで言う「生き物の現場」とは森のことだ。
カッコウやホトトギスの托卵という習性に目を向け、梨木さん独特の、どこか飄々とした風情で「生き物の現場」を捉える。
「「スケール」を小さくする」での切手を買いためてしまうお話にも共感する。
あの方へは、このレターセットが似合いそう。
そしてこのレターセットには、こちらの切手がぴったりだ。
などと、選ぶ作業はとても楽しいものだが、このご時世、殆どがLINEとメールで済むようになってしまった。
「忙しさのあまり便利さを選ぶ心に、風流の棲みつく場所はない」と梨木さんも仰有る。
実際は寂しいことなのだけれど、この表現、素敵だなーなんて思ってしまった。
次の章「金銭と共にやり取りするもの」にも、小さな共感や素敵な表現が潜んでいた。
新聞の集金だけは、口座引落しをやめ、集金に来て貰うことを選んだ梨木さん。
通信販売には対人の煩わしさがないかわりに人の気配が足りないと仰有る。
対人で支払う瞬間には、ただの金銭のやり取りだけではない、「ありがたさ、(ときには)恐縮、会えたうれしさ、細やかな感情のやり取り、ささやかなあるいは(その人にとっての思いがけない)重要な情報の交換」が含まれているという。
だからこそ、「やり取りすることに金額の持つ以上の価値がある気がする」と。
動植物にお詳しい梨木さんであるからか、このエッセイは、まるでマイナスイオンを発しているかのようだった。
透明度の高い、澄んだ感じ。
清涼感を感じるような。
また、梨木さんの文章から、自分らしく慎ましく暮らすことの美しさを感じた。
そして、人は、群れる生き物としてどうあるのが好ましいか。
どんな距離感を保つのが好ましいか。
日常の小さな物事も丁寧に経験し、考え、深く味わうこと。
それは案外難しい。
けれど、なるべくそうありたいと思った。
好きな章
「近づき過ぎず、遠ざからない」
「金銭と共にやり取りするもの」
「ご隠居さんのお茶と昼酒」
「夢と付き合う」
「百パーセント、ここにいる」
Posted by ブクログ
梨木さんのエッセイは、深く、また思い至らないところまで広く。
読んでいて、なぜか深い安心感を感じる。
目にする草花にも
「ひっそりとある、という風情が好きなのだった。自分を強く主張することもない、他の植物の陰になっていても自分が犠牲になっているなんて思わない、淡々と自分を生き切る、そういう日常の満ち足り方。だから華やかな他の花のように周囲に自分を誇る必要もない。」
と、その在り方に、生き方の美しさを見出す。
人との付き合い方、ものの見方についても
あぁ、自分はまだまだ浅いなぁ、
たくさんのことを知り、深く考えねばなぁ
と反省もさせられるが、
そのままでも良い、と受け入れられているような心地にもなる。
深くものを思う、静かにものを見ることの大切さを思い知らされる。
Posted by ブクログ
自粛生活に伴い実家から送ってもらった本の中から再読。以前はいつ読んだか思い出せない。
エッセイ本嫌いの私が、なぜかこの著者のエッセイ本だけは夢中になって読んでしまう。
2007年から3年間雑誌に連載していた短編を集めた本だが、社会が少しずつきな臭くなっていく流れを危惧する言葉も並んでいる。2020年の今読み直してもリアルタイムで感じている心の靄を共有できる。今同じように社会がきな臭くなってきたわけではなく、この頃から少しずつ少しずつ、首を傾げてしまうような変化が続いているんだと思う。そして著者の描く他人との距離感は、今の社会情勢だからこそ一読の価値があると思う。
この本の記憶は、狭い世界で豊かに生きる翻訳家「片山廣子」さんの話が強く残っていたけれど、改めて読むと一話一話が美しく、時に3章の話は今の自分の胸に刺さる内容だった。著者の他人との距離の取り方は潔く心地良く、芯の通った凛とした佇まいが文面から伝わってくる。マイノリティを受け入れる姿勢(これは著者が留学していた英国での影響が大きいことが別のエッセイ本「春になったら莓を摘みに」から伺える)と、自分という人間を過去から現在まで客観的に見つめ、自分が好きなものへの造詣が深い。著者のエッセイ本だけは夢中になって読むことが出来るのは日本語の美しさだけでなく、その姿勢への憧れと視座への尊敬があるからだと思う。
私もこんな風に、ぶれずに肩ひじ張らずに、自分という人間と自分の生きる人生を潔く楽しめる人になりたい。
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