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昭和の初め、人文地理学の研究者、秋野は南九州の遅島へ赴く。かつて修験道の霊山があったその島は、豊かで変化に富んだ自然の中に、無残にかき消された人びとの祈りの跡を抱いて、秋野の心を捉えて離さない。そして、地図に残された「海うそ」ということば……。五十年後、不思議な縁に導かれ、秋野は再び島を訪れる。
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Posted by ブクログ
少し前に読んだ『ピスタチオ』も良かったけど、こっちも超良かった!! 読書時の私自身の心持ちにもよると思うけれど、読みごたえとしては『海うそ』の方がずっと良かったかも。 昭和初期。 人文地理学者の秋野は、亡くなった同室の主任教授が残した研究を補完する為、南九州の「遅島」を訪れる。 (秋野は一昨年に...続きを読む許嫁を、翌年には相次いで両親も亡くしている) 遅島には、かつて修験道の霊山があった。 そして死者からの言葉を伝える「モノミミ」と呼ばれる者たちも存在していた。 しかし、神道を国体として確固たるものにしたかった当時の政府は、民間宗教の排除に乗り出した。 この島で知り合った山根氏は、まずその標的となったのが、遅島でいえば「モノミミ」だったと説明する。 「ご託宣なぞを述べたりして、人びとを思うままに操るモノミミなど、邪魔で不浄の存在でしかなかった。海外の諸外国に対しても、日本にそういう未開の習俗があると思われたくなかった。」 そんな山根氏宅の文箱から、遅島の僧侶であった山根氏の父が残していた地図を見付ける。 その地図には「海うそ」との見慣れぬ言葉が書かれていた。 山根氏の父は蜃気楼を「海うそ」と呼んでいたという。 民間宗教は姿を消しても、遅島にはまだ古い慣習も残っている。 船で調査に出掛けようとしていた秋野に、ウネさんは言うのだ。 「こまい船やが、船魂(ふなだま)さんはちゃんとおられるし、乗るときはちゃんと頼まんとあかんよ」 「船のどこに?」 「ほれは、誰も知らんのよ。」…「それは知ったらあかんの。けど船のどっかに入れてるねえ」 「それは、お札のようなものですか」 「いいんや、女の子の髪やったり、櫛やったり、歯やったり、いろいろやねえ」 それに、秋野が山で遭遇するカモシカの目に射止められるシーン。 そのカモシカの黒い眼に、秋野はかつての許嫁を重ね見る。 「許嫁は露西亜風の黒い大きな瞳をしていた。あの何もかも見透かすような瞳で、この世を渡っていくのには、やはり無理があったのだろうか。」 さらには、梶井氏宅の台所の流しを見ながら、自身の母親を思い出すシーンもある。 この旅は、遅島の失われた民間宗教や山岳信仰を辿るだけでなく、秋野から失われた人々をも辿る旅であったのだ。 ウネさんの船魂の話や、秋野の思い出との重なりに、次第に私も、この遅島の雰囲気に包まれてゆくのを感じた。 また、梨木さんらしい数々の動植物や風景描写に、南方の島ならではの湿度や潮の香り、濃い緑の木々たちの香りを感じた。 読み進めるうちに私は秋野と共に、この遅島の魅力と不思議に、すっかり取り込まれてしまった。 (作中、遅島の地名が様々登場するが、冒頭に遅島の地図が載っているので心配はない。 これで遅島が梨木さんの架空の島だというから驚きだ。) 最終章が「五十年の後」というのが、本当に感慨深かった。 戦後の日本は、建設ブーム。 ある日、秋野は、遅島に本土から橋が架かったという新聞記事を見付ける。 もう、ウネさんも山根も梶井も他界している。 秋野自身も八十を迎えた。 それでも秋野は、再び遅島へと向かうのだった。 すっかり変わってしまった島の風景。 次々と明らかになる近代化された遅島の「今」に、言葉を失くす思いだった。 「薄ら寒い風が吹いているような心地がした。」 とは秋野の思いだが、ずっと秋野と共に丁寧に歩んできた読者も、同じ思いに駆られるに違いない。 「それはやめるわけにはいかないのだろうか」 「あれは、霊山なんだ。ご神体だった山なんだ」 あぁ、山が削られてゆく。 緑濃かった島の風景も、道幅が広くなり変わってゆく。 地名は変わり、伝承を語り継ぐ者もいなくなってゆく。 そんな中、甦ったハマカンゾウの群生に、心が慰められた気がした。 けれど、まだだ。 あまりにあっさり明かされた、「海うそ」=「蜃気楼」との解答に、梨木香歩さんがコレだけで終わるはずがないと、ずっと思いながら読み進めていた。 そしてその思いは正解だった。 変わりゆく遅島に、失われてゆくものたちに、切なさを感じるだけではないラストが待っていた。 救われるかのような。 始まりさえ感じるような。 「喪失とは、私のなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった。」 読み終えて、胸がいっぱいだ。 ★色即是空 目に見えるもの、形づくられたもの(色)は、実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変なる実体は存在しない(空)。仏教の根本的考えは因果性(縁起)であり、その原因(因果)が失われれば、たちまち現象(色)は消え去る。 (Wikipediaより) ★森羅万象 あらゆる現象、宇宙に存在する一切のもの。「森羅」は樹木が限りなく茂り並ぶことであり、「万象」は万物やあらゆる現象。なお、「宇宙」はあらゆる存在物を包容する無限の空間と時間の広がり、及び宇宙空間を指す。 (Wikipediaより)
自然・史跡・遺構等々
朗読サイトでこの本を知り購入。いつもながら自然描写が秀逸で、自然との共生の有様に思いを馳せる。古より心の拠り所としての民間信仰・仏教伝来・帰依、修験道等々様々な要因で各地でそれぞれの栄枯盛衰を経ているよう・・明治政府の神仏分離令はこの島でも容赦なく廃仏毀釈 僧籍剝奪還俗その理不尽な状況も捉えてい...続きを読むる。何もかも風化しながら現代まで過疎化が進み・・これまた日本各地で見られる観光地として開発されて幾ばくかの経済基盤となっていく。それぞれの意識焦点を息子との対話の中で反映ー海うそとは蜃気楼とのことーすべては幻のようでいて現世に受け継がれる確かなものは海うそだけなのか、作中の記述「喪失とは私のなかに降りつもる時間が増えていることだった」現実といかように折り合っていくかの永遠のテーマ それにしても表紙見開きページ地図余りに丁寧な描き方、私は必死になって検索した。遅島え~っと読み方は???記載されている地名検索断念し本文を読む。ハマカンゾウ、カノコユリ自生、観光地として開発などで、もしかしてモデルは甑島?今は3架橋ある・・今更ながら本当に愚鈍な私!
#深い
若い時に人文地理学の調査で遅島に訪れる。そこは自然豊かで温かい人の優しさで溢れていた。調査は中途半端で終わり長い年月を経て息子が遅島でリゾート開発に携わっている事を聴き50年振りに訪れる。 そこはかつての自然豊かな島ではなくなり人の手がふんだんに加えられ調査を終わらせなかった自分に悲観するがかつてみ...続きを読むえた海うそが今も健在で胸を打たれる。 淡々とした語り口は読んでいて心地よく西の魔女同様素敵な話。
作品を通して伝わってくる、なんともいえないもの哀しさが心地良い作品であった。 人生に悲観している時に読めば、一文一句が体に染み渡るように感ぜるだろう。 疲れている人、何かを失いその拠り所を求めている人などにおすすめしたい。
ベストセラー小説「西の魔女が死んだ」で有名な梨木香歩の作品。 梨木香歩の作品は、「西の魔女が死んだ」くらいしか読んだことがなかったので、作風の違いにすごく驚いた。 同時に作者の作家のとしての力量が卓越していることを思い知らされた。 久しぶりに自分の好みに合った美しく心に残る小説に出合ったと素直に...続きを読む喜べた作品。 人により好みが分かれる作品だと思うが、この小説の醸し出すノスタルジーと詩情あふれる美しさは格別である。 読み終わった後、本当に心地よい余韻に浸ることができた。 戦前、人文地理学を研究していた主人公がフィールドワークの為訪れた南九州の遅島での体験を綴ったもの。 舞台となる島は、作者の創作であるそうだが恐ろしくリアリティーがあり、実在するかのような説得力がある。 その島はかつて修験道が盛んな土地であったが、明治維新後の廃仏毀釈により、その名残が見いだせるだけになっている。 その痕跡を主人公が辿っていく話であるが、普通の小説のようにドラマチックな展開はなくただただ淡々と話が進む。 かといって退屈かと言えばそうではない。 なんというか記述されている描写の全てにその歴史というか、人々の積み重ねてきた生活とか、人の世の無常さを感じられた。 書いてある文章の後ろにある詩情を読者に感じさせる稀有な小説じゃないかと思った。 戦後の恐らくバブル時代と思われる時代に再度その島を訪れる機会を主人公は得るが、そのとき彼が感じた感情を恐らく読者も感じるだろう。 巡り合ってよかったと感じれる作品は少ないが、私にとってこの作品は明らかにその一冊である。
面白かったけど難しかった!もう一回読み返したい。 真剣に時間をとって読むべき本です。 (病院の待合時間に読むべきではなかった…)
祖父や父が亡くなってから何年経ってもたびたび感じる切なさは何なのだろうと考える。それは、あのとき聞いた思い出も、そこに祖父と父がいて色んなことを感じ考え生きていたという事実も、私が忘れたときに消えてなかったことになってしまうのだという焦りと寂しさなんだと思う。 その寂しさは、大学の民俗学実習で僭越な...続きを読むがらも感じた、「この習俗、伝承は今私が記録しなければいつか忘れ去られてしまうのだ」という危機感に似ている。 でも考えてみれば、人も歴史も生まれては変わって消えての繰り返し。寂しいけれど、そんなに切羽詰まって寂しがることはないんだよと慰められている気がした。
昭和の初め、人文地理学者の秋野は南九州の遅島を訪れる。修験道の霊山があり雪も降るこの島は自然豊かで、彼は惹きつけられていく。 戦争を挟み五十年後、秋野は再び島を訪れる縁ができるが―― 神仏分離に起こる廃仏毀釈、失われる営み、過疎。 学術的に判別され世に知らしめられたものが遺産となる。だとすると……...続きを読む 人知れず消えていった多くの文化を思うと胸が締め付けられる。 また時を経て読み直したい一冊。
産まれた時から海無し県から出たことがない私でも郷愁を誘われるような心持ちに。 でも感覚としてはやっぱり息子寄りかなぁ。 私だったら岩の謂われとか息子に喋っちゃうし、そしたら恋愛スポットとして活用!なんて流れになる気がする(笑。 あと論文まで行かなくても手記として島のことを書いて残したいと思っちゃうだ...続きを読むろうな。
昔訪れた場所に再訪した時、こんな感じだったろうか?という思いになることはないでしょうか?自分の中でものすごく強い印象を抱いていて楽しみにしていた場合など、あれ?と落差の激しさに戸惑うことがあります。一方で思いがけず、自分の記憶にある景色が人の力で大きく変えられていた場合、つまり大規模な開発が行われて...続きを読む、記憶にある美しい山が赤茶けた肌を晒し、味のあった山道がアスファルトに変わっていたり、そうした場合、再訪したこと自体を後悔することもあるかもしれません。一方で視点を変えればそこに、その地に暮らす人々からすれば、自らの現在の生活を豊かにするために、便利に変えていきたいという思いが当然にあるはずです。その地に暮らす者でない他の土地の人間の中にある想い出を美しく保つためだけに、変わらないことが選択されることなどないのかもしれません。 『山の端から十三夜の月が上がっていた。月はしっとりと深い群青の夜空の、その一角のみを白くおぼろに霞めて、出で来た山の黒々とした稜線から下をひときわ病み濃くしていた』という、冒頭からのあまりにも美しい描写とともに一気にこの世界に連れて行ってくれるように物語は始まります。『私は文学部地理学科に所属する。大学の夏期休暇を利用して、現地調査でこの島を回っていた』というK大学の秋野。『一昨年、許嫁を亡くし、また昨年、相次いで親を亡くしていた』という境遇の中、『研究室の主任教授が亡くなった。研究室を整理しているうち、発表されていない調査報告書を見つけ』その仕事を補完したいという気持ちから興味を抱いたのが『緯度的には南九州とほぼ同等、本土側を見つめたタツノオトシゴのような形状で、南北を貫いて背骨のように山脈が連なる』という『遅島』でした。『古代、修験道のために開かれた島であった。明治初年まで、島には大寺院が存在していた』のが『廃仏毀釈でほとんど跡形もなくなった。その遺構に惹かれるものがあってこの島にやってきた』という秋野。この物語はそんな秋野が島の人々と交流を深め、島の遺構を巡ることで、島の現在と過去を見つめながら進んでいきます。 この作品の舞台となる『遅島』、モデルはあるのでしょうが、あくまで梨木さんが作り出した架空の島です。物語の前半はこの島を旅する一人の青年の書いた紀行文を読むように進みます。そして、植物に関する記載が紀行文でさえありえないと思えるレベルで登場します。『サルトリイバラ、ヤブツバキ、ハマヒサカキ、カナグギノキ、ハイノキ、オニヤブソテツ、ハマカンゾウ』という植物の名前、あなたは知っているものがあるでしょうか。でも梨木さんは例えばヤブツバキについて『丸々とした実をつけている。これが胡桃か何かのように食えるものであったらどれほどいいか』と言った言葉を付け加えます。知らなかった植物がなんだか身近になったような不思議な感覚です。一方で動物の表現も絶妙です。秋野が山の中で遭遇した動物。目と目があった瞬間に秋野が感じたところを『奴らはこちらを馬鹿にしているようなけたたましさがある』とヤギを表現するのに対して、『曰くいい難い神秘的な気配をまとっている。じっと見つめてくる瞳に哀愁が漂っている』とカモシカを表現します。そしてこのカモシカへの見方が伏線として結末の余韻をさらに味わい深いものにしてくれます。 作品は、前半の紀行文のような展開の後、後半4分の一は〈五十年の後〉という章題そのままに『それから戦争を跨いで五十年が経った』後の秋野が描かれていきます。この五十年の間には第二次世界大戦があり、その後の戦後復興を経て各地で観光地開発が盛んに行われます。『遅島』も当然に無縁ではありません。八十歳を超えた秋野が再び島を訪れますが、読んでいて、前半部分と、この章から受ける印象のあまりの大きな落差に衝撃を受けました。まるで帰ってきた浦島太郎のような心持ちと説明すれば、その感覚がなんとなくは分かっていただけるのではないかと思います。その地に暮らすものではない老いた秋野の目に映るもの。変わるもの、変わらないもの、そして変わっていないはずなのに変わったように感じるもの。この章ではそれが極めて印象的に描写されていきます。『セミの鳴き声は五十年前と変わらないのだろうか。何やら勢いが足りないように思うのはこちらの思い込みか』という表現には、何か昔のままにあるものを求め、でもそれであっても自信の持てない秋野の揺らぐ心情が見事に現れていると思いました。 『私の訴えに共感し頷くものは、誰もいない。何もない。風が木々を揺らす音だけが、空しく、その言葉の真の意味において、空しく響いているだけだった』という年老いた秋野。圧倒的な余韻が襲ってくる読後に、作品中では『蜃気楼』のことと説明されていた、この作品のタイトルともなった『海うそ』という言葉が浮かびます。それが本来はかないはずの存在であるが故に、逆に、深く、遠く、そして永遠へと人の心に残り続ける存在なんだと印象深く感じました。 なんて香り高いんだろう、なんて味わい深いんだろう、読後のなんとも言えない余韻に浸りながらそんなことを思った作品でした。
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海うそ
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