うーん。とても難しかった。
結局問題が大き過ぎて、どうしたらよいのかわからない。
ただ、「人が善く生きるには、ケアで満たされなければならない。」はその通りだなと思う。
じゃあ、誰がケアするのか。
今までは、家父長制と資本制の結託により女性が無償でそのケア業務を一手に担ってきたが、今は多くの女性が有
...続きを読む償労働に参加する。
子どもを生んだ後も、女性が稼ぎ続けることは、将来への安心にもつながるし、自立感も得られる。子育てに専念してお金を稼げないと、パートナーに稼ぎを依存する二次依存が発生するからだ。
ケアする人は、ケアするだけで大変だから、二次依存が発生するのもしょうがないとも言っている。
昔は稼ぎが一本でもなんとかなるだろうと思えたが、今はそう思えない。わざわざ自分から稼げる力を投げ出して子育てに専念するのも勇気がいる。
でも、それはそれで子育てに専念しなくて良いのかとの、葛藤もある。
それぐらいケア労働とは合理的ではないし、効率的なものでもないからだ。単純に子どもの成長を見守ることは大変だけれど楽しい、というのもある。
反対に、バリバリ働ける人というのは、陰でケアをしてくれる人がいるからであり、そのつながりで経済活動ができている。
つまり、
「ケアなしでは経済は成り立たない。」
「ケアと経済は切り離すことができない。」
「ケア労働は経済の一部であるどころか、狭い市場経済をむしろ支える、広範囲で多くの人びとによって担われている経済活動であると。」
だから、ケアの倫理から政治を見直す必要があるよねと。もう政治の話なので、政治・経済学部の人にも読んでほしい、、。
これからの社会を担う人を育む、労る、寄り沿うケア労働は、愛の労働という括りだけではなく経済活動なんだという言葉はなんだか嬉しかった。
そうだよねと、
母が「人を育てることは何より大事なことだ」と言っていたことを時々思い出すように、嬉しかった。
「何が正しいかを問うか」ではなく、
「どう応えるべきかを問うか」
「人はケアされないことによって傷つく。」
新しい人たち、赤ちゃんや子どものケアがやはり最優先と思ってしまう。
本最後に、コロナ禍についても触れている。
コロナ始まりの、高齢の政治家さえ未だマスクをしていない時期に、子どもへの一斉休校が要請されたことが、まさに政治がケアを安直にみている良い例だとの憤りにも触れていて、そこもなんだか忘れていた困惑、憤りを掬い取ってくれていて嬉しかった。
ちなみに、わたしはフェミニズムの意味さえしっかりと理解していなかったが、男性嫌悪、女性支持ではなく、すべての人間にとって、うんたらかんたらの話。
あまりそこはタイトルに引っかからずにいろんな人に読まれてほしいなとは思う。
でも、難しかった、、、。