【感想・ネタバレ】ケアの倫理 フェミニズムの政治思想のレビュー

あらすじ

身体性に結び付けられた「女らしさ」ゆえにケアを担わされてきた女性たちは,自身の経験を語る言葉を奪われ,言葉を発したとしても傾聴に値しないお喋りとして扱われてきた.男性の論理で構築された社会のなかで,女性たちが自らの言葉で,自らの経験から編み出したフェミニズムの政治思想,ケアの倫理を第一人者が詳説する

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Posted by ブクログ

従来の、社会とか政治とか正義とかについての諸々の言説を、まとめてひっくり返してしまうような、強い衝撃を受けた
従来の言説が、家父長制の中で、男性性が都合の悪いことに蓋をして、都合がいいところだけで理論を組み立てたものなのだと言うことがはっきりと分かった
さて、これからあとはどうしたらいいのかな

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2025年06月11日

Posted by ブクログ

今更ではあるが…『ケアの倫理』という観点を知りたいと思い手に取ってみた。
岡野八好さんが7年の歳月を掛けて書かれた『ケアの倫理』。
日本の中で、これだけ『ケアの倫理』領域を深く理解をし、学び続けている人はこの方以外には居ないのではないかと思う。
熱の籠った熱い想いを感じざるを得ない渾身の著。
書くのにも時間が掛かったそうだが、読む方も結構、時間が掛かった。
今年の春に一度読み始めて挫折し、11月から再び気を取り直して読み直し、やっと読み終えた。

こんな話は理想論。
と、決めつけてしまうのは簡単。しかし、フェミニズムに限定しなくとも、「必要なケアをお互いに大切に考えて行く社会」はより住みやすい世界になるだろう…くらいに考えていた。

『個人的なことは政治的である。』という言葉に最初は戸惑いながら読んだが、読み終えた今は、その意味がよく分かる。
政治的な部分から変えて行かなければ、日本の社会は衰えて行く一方なのではないか。…日本だけではないかも知れないが…。

コロナ禍の最中にあれ程ケア・ワークの大切さを痛感したというのに、喉元過ぎれば熱さを忘れる。
もう過去のこととなってしまった感がある『ケアの倫理』『ケアの必要性』
切実な体験をしながら何も変わらないのは何故なのか。本当に陰謀論でも信じたくなる状況である。ついこの間の選挙でも、ここに触れた主張をした方は居ないのではないか。
小さなことから少しずつ…などと言っている場合ではない。いつまた新しい災厄が訪れるかも知れない。この本の第5章でも触れられている気象の問題などは、昨今の異常な気象に思いを巡らせば、何かがおかしいと誰もが感じているはず。大きな部分を動かして行かないと、本当に未来は無いかも知れない。
どうすれば良いのか?
凡庸な考えではあるが…
フェミニズムの戯言(失礼)のような見方をせずに皆が他人の(そして弱者の)意見を尊重し、耳を傾けること。圧倒的に女性に押し付けられるケアの領域だが、女性だけの問題と考えず、人類全員の問題として取り組んで行くこと。
「何が必要か」「足りないのは何か」と問い続けながらPDCAサイクルを政治的なレベルで問い直しながら回していくこと。

残念ながら、この本で参照される重要な部分の引用元の多くは日本語訳が無いまま。是非とも翻訳して欲しいと願う。
そして男性にもこの分野で研究をする勢いのある方に出てきて欲しい。

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2024年12月21日

Posted by ブクログ

第2波フェミニズムからケアの倫理までの展開。硬めの文章だけど読みごたえがすごい。以下は付箋を貼った箇所の引用。

“すでに触れたように、ケアはわたしたちの社会に遍在している。だが、女性たちが歴史的に担わされてきたケアは、その価値を貶められ、人間らしい活動とも考えられてこなかった。女性にふさわしいとされたケアを担うがゆえに彼女たちは、人間的に価値ある活動や領域から排除され、あるいはそこにアクセスすることが叶わなかった。その歴史とそこでの葛藤から、フェミニストたちが紡ぎあげた思想が、ケアの倫理である。” pp.11-12

“むしろ、本書の意図はその逆に、ケアという営みよの特徴を分節化することによってケアに潜在する価値を描き、そうしたケアを否定してきた価値観・世界観・人間観そのものを問い返す点にある。” p.15

“ケアは、家父長的な社会において、女性らしい倫理と捉えられてしまうが、民主的に社会においては人間的な倫理となる……” p.19

“……ジュディス・エヴァンズによれば、リベラルな主張とは、性差については「両性具有」、平等については「ジェンダー・ブラインド」を特徴とする。すなわち、男女が同じであることによる平等が目指される。……だからこそ、彼女たちの求める平等もまた、既存の社会階層のなかに位置づけられた男女が、等しく競争できると考える〈機会の平等〉に帰着する。したがって、エヴァンズは、……リベラルを厳しく批判する。” p.35

“……家族制度こそが、私的/公的と分断されているかのように見える社会全体に、そして一人ひとりの個人へとこうした家父長制を浸透させるための、不可欠で中心的なしくみである。……社会全体が家父長制であり、そのなかの一単位として家族が存在しているのだ。” p.48

“この再生産労働概念を高く評価しながらルービンは、マルクスが労働力を再生産するのに必要なモノを、「商品」という生活手段の量によって決定することに、かれの限界を見いだす。……たとえば食料については、買い物に行く、調理をする、片付ける等の労力が必要だ。……ルービンはそうした家事労働こそが、労働力の再生産にとって必要であるにもかかわらず、マルクス経済学によってその価値が否定される一方で、資本家はこうした家事労働からも利益を得ていると論じる。” pp.58-59

“男性に求められる自律的思考……すなわち、他者の判断や人間関係、環境に左右されることなく、誰にでも当てはまる原理によって何をなすべきかを判断する思考は、ギリガンによれば、偏った男性中心の活動の場が必要とする思考である。” p.100

“こうして、……二つの道徳のあり方が示される。一方は、諸権利が競いあう場合に、客観的で公正な原理に基づき、形式的に優先順位をつけて道徳問題を解決しようとする思考様式であり、他方は、責任がぶつかりあうことから生じてくる道徳的問題を、具体的な語り(ナラティヴ)のなかに文脈づけることで解決しようとする考え方である。” p.104

“……女性たちの語りから抽出されるのは、〈他者を傷つけたくない〉という望みと、〈誰も傷つかずに問題を解決する方法が道徳にはある〉という期待である。” p.110

“こうして『もうふとつの声で』は、男性の発達過程と女性のそれとの違いは、両者がそ!ぞれの視座(パースペクティヴ)である正義の倫理とケアの倫理の存在に気づき始めることで、新たに獲得した視座によむて既得の視座を補い、拡張し、融合(マリッジ)することで、「人間の発達に対する理解に変化をもたらし、人間の生に対する見方がより実り豊かなものとなる将来を思い描けるようになる」と締めくくられる。しかし、……『もうひとつの声で』は公刊直後から、フェミニスト研究者から集中砲火も表現しても過言ではない批判を受けることになる。” pp.118-119

“リベラルな道徳理論家であれば、そのような強制を提案することはないだろう。しかしながら問題は、そうした自由に反する結論を逃れるために、かれらは口を閉ざし、結局は女性たちがなんとかしてくれるだろうと高を括っていることなのだ。” p.145

“それ(正義のパースペクティヴ)に対してケアのパースペクティヴから見れば、むしろ自己と他者との関係性に目が向き、道徳的行為者の行為は、他者との関係性という文脈のなかで、その他者のニーズに気づき応答することで生じる。こうしたパースペクティヴの違いは、道徳的な問いかけに現れる。すなわち、個別の事象をまえに、〈何が正しいか〉を問うか、〈どう応えるべきか〉を問うかに、その違いが顕在化する。” pp.180-181

“……ギリガンは、正義のパースペクティヴが、じっさいには一つのパースペクティヴにすぎないにかかわらず、それを客観的な観点、時にはそれこそが真理であると混同する傾向性に拍車をかけていると批判する。つまり、正義のパースペクティヴは、数あるパースペクティヴよなかの一つの視座であることを忘れ、自己中心的な考え方に陥りやすいことを指摘している。” p.188

“フェミニストたちは70年代より、ほぼ男性のみが書き綴ってきた哲学書を再読してきた。そうした営みを通じて、「女性について、女性たちに代わって、そして女性たちの不在において語る男性たち」が権威主義的に、あらゆるひとを代表するかのように語る態度に対して、フェミニストたちら疑念を深めてきたのだ。” p.194

“人間の原初に刻まれる圧倒的な他者への依存は、そこに直接かかわる者たちを、あらゆる点において不平等な関係性のなかに置く。……それはあくまで私的な関係性であり、そこには政治や経済の領域とされる公的領域における人びとが従う行動原理とは異なる行動原理が存在しているように見える。その原理とは、一般的には愛情と呼ばれる。” pp.242-243

“さらに強調されるべきなのは、政治とは今まさに、わたしたちが存在するこの社会に作用し、わたしたちの相互行為を制度のなかで規制・編成していく力であるかぎり、じっさいには解決済であるどころか、日々、誰がケアに値し、誰がケアをいかに担うのか、そしてそのケアを社会的にどのように評価するかが、政治的に決定され続けている。” p.251

“こうして、ケアか正義かといったかつての二項対立がいかに虚構であったかがよく理解できるようになるだろう。むしろケア実践には正義が必要であり、正義を遂行するためには、ケア実践を社会のなかで分け隔てておくことはできないという、両者の結びつきが明らかになる。” p.261

“男性中心の「理論的=司法モデル」が、具体的な文脈を越えた普遍的な正しさをめざしたのに対して、ウォーカーは、責任はつねに関係性のなかで生まれ、社会的な関係性のなかにおける立場を前提にしていると考えた。そのモデルによれば、どのような責任なら担うことができ、担えない責任があるとすれば他に担える者がいるのではないか、よりよく責任を果たすためには、どのような手段、政策、法体系に頼ることができるのかといった、広がりのあるコミュニケーションを責任概念は生んでいくのだ。” p.266

“ヤングはこうした事態を構造的不正義と呼び、特定のひとの行動に直接責任があるわけではないが──子どもたちには一切の責任はない──、それでもなお、構造的不正義のなかで生きるすべてのひとに、この不正義を改善する責任があり、それは、司法上の罪責とら異なり、政治的責任なのだと論じる。政治的責任は、過去遡及的な帰責責任とは異なり、ある者により多くの責任があるとはいえても、誰も責任からは逃れられない。” p.273

“……決して手放してはいけない標準とは、〈暴力が生じる前に暴力を避けること〉である。” p.284

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2024年06月29日

Posted by ブクログ

このところ利他とかケアとかというキーワードを書名に掲げる本をこの本棚に登録しています。積み上がる一方ですがなんとなく読んだりもしています。同じようにジェンダーとかフェミニズムとかについての読書もそろりそろりとしています。ということで「ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想」このビッグワードがクロスする、なんかでっかいタイトルに惹かれこの新書に取り組みました。なかなかキツかったです。キツイけれど読むの止められませんでした。止められないけど受け取りきれませんでした。頭ではそうですが、なんとなくお腹の辺りがゾクゾクする感覚を得ました。読み進めるにつれ利他とかケアとかジャンダーとかフェミニズムとか…今まで気にしていた言葉がプラスティックワードのようにしかわかっていなかったような恥ずかしさを感じました。ここにあるのは女性たちがいかに自分たちの存在を社会に位置付けるために挙げつづけ来た声の歴史です。それを1982年のキャロル・ギリガン『もうひとつの声でー心理学の理論とケアの倫理』という本からスタートさせます。そこには「ケアの倫理」と「正義の倫理」の対立軸をどう乗り越えていくのか、具体的には中絶問題への向き合いなど壮絶なフェミニズムの戦いなのでありました。それはリベラルな正義論への批判でもあるのです。(実はここんところが一番エモいところです。)資本主義の収奪の資源としての女性という仕組みを超えて、民主主義を生き返られるのはケア化することだというジョアン・C・トロントのメッセージまで至る論考のバトンリレーが超ダイナミック。そこにはコロナ禍体験や世界紛争を踏まえての主張があります。と、いうことでトロントの『ケアリング・デモクラシー』を「読みたい」で登録しておきました。(いつになるかわからないけど…)それにしても今、やっている選挙のポスター掲示板の選択肢のない感じが悲しいです。「この世界で、できるかぎり善く生きるために、この世界を維持し、継続させ、そして修復する」ケアから始める民主主義、誰に投票すればいいのだろう…

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2024年06月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自分がげっそりしながら投票していることの説明を始めて言語化してもらえたのがうれしかった。追っかけるのに相当な頭の体力がいる。それだけの価値が私にはあった。
ケアの倫理が子育てからきているのは当然なのだが、どちらかというと後のない介護の方が問題点がはっきりする気がする。人はケアされる脆弱な存在であること認める。自立できないことを恥じない。ケアの責任配分。ケアを認めること。そもそも不平等を内包するケア関係をより平等で公正で自由を担保するものにする。ケア実践が社会の中でどのような機能を果たすかについてコントロールできるようにする

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2024年04月07日

Posted by ブクログ

現時点で「ケアの倫理」を学ぶために最もまとまった書籍、ただ読みこなすためには、ある程度の基礎知識と粘り強さが必要である。「ケアの倫理」を読み解くためには、現在の社会を理解するための基礎たきな考え、マルクス、フロイト、そしてフェミニズムの歴史、そしてロールズの正義論、これは押さえておくべき基礎理論である。「ケアの倫理」が示す民主主義的な態度は、主流とは異なる「もうひとつの声」に耳を傾けること、それが今後の私たちの未来を照らす声になるし、そのこと自身でケアを問い直すことが新しい社会を作っていくことにつながる。新自由主義に基礎付けられた現状を続けるのか、「ケアの倫理」に基づいた社会を構築するのか、今、現在、社会は大きな分岐点にある。

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2024年02月25日

Posted by ブクログ

自己責任論や普遍的(とされてきた)な正義が称揚される昨今においてケアの倫理を学ぶ意義は大きいと感じた。

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2025年10月13日

Posted by ブクログ

読書会のために読んだ。
読書会用だからメモしながら丹念に読んだのもあるが、新書なのにとても時間がかかった。フェミニズムの歴史を知っている前提で盛り込まれており、リズムも悪いので非常に読みにくかった。

しかし、ほとんど知らなかったフェミニズムの歴史や功績を知ることができたこと、そして、女性がケアを担うことが「自発的に選んだ」となってしまう恐ろしさ。つまり、法的には平等で制度的には整っているのだから「あなたが選んだのよ」となるのであることを初めて認識しできた。法的な問題ではなく家父長制を含む社会構造の問題であるのを知ることができたのは大きな一歩である。

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2025年06月06日

Posted by ブクログ

ちょうど育休をとって新生児の世話をしているころに読み始めた。
ロールズの正義論のような、統一的な定理を示すのではなく、ニーズへの応答として発生するケアの倫理があり、それこそがフェミニズム思想であるという骨太の内容だった。
寝不足だし、細切れの時間しかないので、そもそもしっかりとした文章を読むのが難しく、ところどころ理解しきれないところあるんだけど、こういう本を読めるのが嬉しかった。すごく納得したり励まされたりした。

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2025年05月10日

Posted by ブクログ

家事労働の価値を高めたいと常々思っているので、その期待に応える本だった。
ケアする側とケアされる側のニーズをつかむことが大事だと思った。男女の違いを尊重し、助け合うことが大切だと思う。
人に喜ばれることを互いに自然に分かち合える、より良い社会を形づくっていきたいと思った。

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2025年04月23日

Posted by ブクログ

これ、最終章でむちゃくちゃ大事なこといってる。
筆致も冴えて、切り込みも鋭い。
本当に今だから切実に求められている視点を提示している。

唯一疑問なのは、300ページ超の論考がなんで「新書」?
この構成なら上製本でいいのでは?

新書なら、第五章の内容を中心に200ページ+αで読ませる方がより多くの読者に届いたのかなと。

フェミニズムの文脈で展開されてきた「ケア」に関する議論を丁寧に追うのはよくわかった。
でも最終章に辿り着かないまま投げてしまった読者がいなかったがいちばんの心配。

とても大切な提言なので、より多くの人に届いてほしい。

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2025年03月04日

Posted by ブクログ

「日本でもっとも後回しにされるケアこそが、政治的活動なのだ。こうして、政治以外のケアを、誰かに任せておける特権的な者たちだけが、政治を動かすという社会が強固にできあがってしまった。」p.324

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2025年02月03日

Posted by ブクログ

誰もがケアされてきた、脆弱なひとであるという点で平等なのだと認め合うこと(本文より)

男は仕事。女は家庭。それは生物学的なことではなく、政治的なことだと、資本主義が機能するためにあらかじめ与えられた役割に押し込められているだけだと著者は訴える。
自己責任が社会的風潮の現代、ほんとうに個人だけの問題なのか?疑問を持つことからはじめよう。

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2025年01月21日

Posted by ブクログ

audible 2025年の1冊め
新年の1冊目に相応しい。とはいえ、音声だけでは、印象的な部分を聞き取れた、に過ぎず、紙の本をきちんと、と感じた。
誰も否定できない、本当にそう!ということを語るために、これほどまでに詳細な論理立てが必要なのかと、辛くなるくらい。
是非もっと、メディアでも取り上げられ、扱われて欲しい。
社会を変えるために。

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2025年01月09日

Posted by ブクログ

「女らしさ」ゆえにケアを担わされてきた女性たち。フェミニズムについて、ケアの視点から論理的に分析している。

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2024年06月28日

Posted by ブクログ

育児、教育、医療、障碍者福祉、介護など、今の日本はどのケアの現場も強烈な人手不足。
将来的にも解消されていく見込みもない。
膨らんでいく焦りや恐れに対する何らかの処方箋はないものかと本書を読んでみる。
もちろん、ケアの「倫理」なので、今すぐにできる何かを説くものではないとはわかっているが。

ケアをめぐって明らかになる、人間社会の在り方、政治の在り方を考える。
それが「ケアの倫理」ということのようだ。

ギリガンの『もう一つの声で』が、この分野の原典であり、重要な著作だとのことで、著者はこの本が書かれ、受容されていく経緯を丁寧に跡付ける。
たしかに、歴史的にはフェミニストたちが問題として立ち上げ、論じるべき問題として精緻化したことは間違いない。
が、正直に言えば、読みながら少しいらいらしてしまった。
どちらかといえば、彼女たちが切り開いた議論の現時点が早く知りたかったからだ。
だから、より興味が持てたのは5章以降だった。

ケアの倫理が目指す社会は、ケアを担う人が労働生産性が低いという理由で排除されない社会。
相互依存に積極的に価値を認める意識を広める。
ケアを担う人のケアを誰かが担う、ケアの関係が連鎖するように社会制度を設計する。
そうすることで、ケアを受ける人がケアを担う人との力関係の中で暴力にさらされる可能性は低くなる――。
ケアを性的なつながりのあるカップルを中心とした人間関係に限定する必要さえない、という、マーサ・ファインマンの議論にも目を披かれる思いがした。

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2024年04月28日

Posted by ブクログ

成熟した人間が体得するとされる「普遍的な」正義論が、ケアを受けることを当然視し、なおかつその価値を貶めてきた者たちの視座から構築されたのだとしたら?

新型コロナウイルス禍を経て、ケアの重要性を実感したわたしたちは、「もうひとつの」正義論に向かわないといけない。全編を読み通し理解するには、かなり骨が折れる本ではあるが、実に現代的な、アクチュアルな本であることは間違いない。

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2024年04月26日

Posted by ブクログ

うーん。とても難しかった。
結局問題が大き過ぎて、どうしたらよいのかわからない。
ただ、「人が善く生きるには、ケアで満たされなければならない。」はその通りだなと思う。

じゃあ、誰がケアするのか。
今までは、家父長制と資本制の結託により女性が無償でそのケア業務を一手に担ってきたが、今は多くの女性が有償労働に参加する。

子どもを生んだ後も、女性が稼ぎ続けることは、将来への安心にもつながるし、自立感も得られる。子育てに専念してお金を稼げないと、パートナーに稼ぎを依存する二次依存が発生するからだ。

ケアする人は、ケアするだけで大変だから、二次依存が発生するのもしょうがないとも言っている。

昔は稼ぎが一本でもなんとかなるだろうと思えたが、今はそう思えない。わざわざ自分から稼げる力を投げ出して子育てに専念するのも勇気がいる。

でも、それはそれで子育てに専念しなくて良いのかとの、葛藤もある。
それぐらいケア労働とは合理的ではないし、効率的なものでもないからだ。単純に子どもの成長を見守ることは大変だけれど楽しい、というのもある。

反対に、バリバリ働ける人というのは、陰でケアをしてくれる人がいるからであり、そのつながりで経済活動ができている。
つまり、
「ケアなしでは経済は成り立たない。」
「ケアと経済は切り離すことができない。」
「ケア労働は経済の一部であるどころか、狭い市場経済をむしろ支える、広範囲で多くの人びとによって担われている経済活動であると。」

だから、ケアの倫理から政治を見直す必要があるよねと。もう政治の話なので、政治・経済学部の人にも読んでほしい、、。

これからの社会を担う人を育む、労る、寄り沿うケア労働は、愛の労働という括りだけではなく経済活動なんだという言葉はなんだか嬉しかった。

そうだよねと、
母が「人を育てることは何より大事なことだ」と言っていたことを時々思い出すように、嬉しかった。

「何が正しいかを問うか」ではなく、
「どう応えるべきかを問うか」

「人はケアされないことによって傷つく。」
新しい人たち、赤ちゃんや子どものケアがやはり最優先と思ってしまう。

本最後に、コロナ禍についても触れている。
コロナ始まりの、高齢の政治家さえ未だマスクをしていない時期に、子どもへの一斉休校が要請されたことが、まさに政治がケアを安直にみている良い例だとの憤りにも触れていて、そこもなんだか忘れていた困惑、憤りを掬い取ってくれていて嬉しかった。

ちなみに、わたしはフェミニズムの意味さえしっかりと理解していなかったが、男性嫌悪、女性支持ではなく、すべての人間にとって、うんたらかんたらの話。

あまりそこはタイトルに引っかからずにいろんな人に読まれてほしいなとは思う。

でも、難しかった、、、。

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2024年03月05日

Posted by ブクログ

ケアの意味をアメリカ社会の先人の著書や歴史から丁寧に詳しく紹介し、整理してくれているのだと思う。何となく主張したいことはわかるが、今までに読んだ新書シリーズの中でこんなに読みづらく分からない本は始めてと言っても過言ではない。翻訳が悪いのか、やたらと英語のまま言葉を使用したり、やっと最後まで読めた時には、どっと疲れた。
気持ち的には★2

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2025年02月28日

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