小説・文芸の高評価レビュー
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Posted by ブクログ
誉田さんのホラーではない純粋な青春ストーリー。『疾風ガール』の続編だが、前作が自殺をテーマにしたミステリー風だったが、今回はコミカルな場面もあり、青春感動編のような趣き。
主人公の柏木夏美は19歳で、歌手デビューを控えている。親の問題もあり、自活しているヤンキー風な女の子。酒やタバコの場面も多く、未成年であることを忘れてしまいそうになる。デビュー作も経営陣と大激論で自分の意見を通してしまう。
そこに現れた、シンガーソングライターで有名な二世タレントのルイ。育ちも音楽も違い、真向からルイに反発する夏美だが、突然出てきた夏美の行方不明の父親。父親の借金を前借りの条件でルイと組むことになった夏美。色々なトラブルを乗り越え、経験を積み信頼しあう二人。タイトルの意味はこの二人の関係だった。あっという間の期間に、超一流のバックバンドを従え、武道館公演まで上り詰めてしまった。徐々に認め合う二人の関係が丹念に描かれている。
挟み込まれる夏美の父親とのエピソード。借金取りに殺されるか、自殺するかと思われた父親が、最後はクスッと笑わせてくれる。 -
Posted by ブクログ
面白い、、
本を表紙の好みで選ぶことが多いから話題になってても手に取らずにいたけど、すごい、面白い。
久しぶりに、こんなに心をめちゃくちゃに揺さぶられた。ドキドキとかワクワクとかじゃなくて、ズーンと重くのしかかってくる感じ。読んで、誰かと話したくなる一冊
一章の時点で、もう心が痛い
共感するし自分の未来を見ているようで、、しんどい、、婚活は就活と同じか、、もうしたくないと思ってたのに、、
結婚したい気持ちをパーセントで聞いて、それが相手につけた点数だと、女友達に言われてドキッとした。
小野里さんとの会話はずっと胸がドキドキ(ズキズキ)してた。思ったことがある感情を全部言語化して、あなたもそうでしょ?と言われてるみたい。
「家族のように思って 甘えていた。
まだ家族ではなかったのに。
家族のように思いたいなら、家族になるべきだったのに。」
「うまくいくのは、自分の欲しいものがちゃんとわかっている人。自分の生活を今後どうしていきたいのかが見えている人。ビジョンがある人。」
朝井リョウの解説まで、とっても興味深く面白かったです。
「どこまでが自分で、どこからが社会なのか。どこまでが理性でどこまでが本能なのか。これまで私たちが選んできた何もかもは、果たして本当に自分の意思で選択したものなのか。」
「何か・誰がを"選ぶ"とき、私たちの身に起きていることを極限まで解像度を高めて描写することを主題としている」
言葉にすると残酷で辛い、でもそういう醜い見栄や自己愛で何かを選んできたり、人を見てきた経験が自分にあることに、ドキドキさせられる
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Posted by ブクログ
『風が強く吹いている』が大好き。
『一瞬の風になれ』も大好き。
走る話が好きなんだろう。
この本は、中学生の駅伝の話。
3kmずつタスキをつないで6人が走る。
その一人ひとりの独白がタスキでつながっていく。
ひとつの出来事でも視点が変わるとちがうこととして体験されていたり、気持ちの行き違いや誤解があったり。
ひとがみんなで何かに取り組むことってこうだよね、わかる、と感じることがたくさんある。
まだ未完成な自分自身と正面衝突している中学生たちの心中だから、痛いくらいに生々しい。
いまだから「まあ、それってさ」と割り切れることはあるけど、それが大人になったってことなのだろうか。
何か一所懸命やることで初めて出会える自分がいて、
その出会いがそののちの自分を作ってくみたいなところがある。
それは走ることにはもちろん限らないけれど、走る話が好きなのは、そのあたりがぎゅっと詰まってるからなのかも。 -
Posted by ブクログ
昔、少しだけお茶を習っていたことがある。毎回お手前の順番を覚えるのに必死で、やっと覚えたと思っても、すぐにまた別のお手前に……その繰り返しだった。
お稽古に通うのは好きだったが、少しずつ知識が増えるうちに、茶の湯の世界はどこまでも奥深く、自分はそのほんの一端を齧っているに過ぎないのだと気づかされたことを、この作品を読んで思い出した。
何十年もお稽古をしている著者でさえ、お茶の世界ではほんの子どもに過ぎないと書いているのだから、すべてを体得しようとしたら、一体どれだけの時間がかかるのだろう。
それでも、続けていれば少しずつ見えてくるもの、聞こえてくるものがある。同じことを毎年繰り返しながら、季節の移ろいを敏感に感じられるようになっていく。
なんと贅沢な時間だろうか。 -
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ネタバレ「インストール」や「蹴りたい背中」に比べて、文才で魅せる印象ではなくプロットや雰囲気で面白くしている気がした(短編集であるからだとも思うが)。それにしても読みやすくあっという間に読み終えてしまった
「おとな」
気持ち悪かった。いきなりこんな短編がきてびっくりしてしまった。自分が幼いころの記憶は、確かに夢のようでもある。幼いころの拙い理解力で理解の範疇を超えた出来事があれば、なおさらそれは夢のようだ。しかし、その夢と錯覚された記憶もわすっれることはないだろう。「ねえ、おぼえていますよ。」こんなにぶきみなことばああるだろうか。
「トイレの懺悔室」
終わり方以外にも、どこか狂気のにじみ出る文章だった。解説にも合った通り、地蔵盆という子供の頃の日常会話から、ヒトコワへのシフトは目を見張るものだった。子供の頃の感覚で、どこか色ガラス越しのように思い出すあの景色を表現できるところに綿矢りささんの才能を感じた。個人的な感想として、「おやすみプンプン」みたいにリアルとフィクションが入り混じった狂気的な映像を、頭の中に思い浮かべていた。
「憤死」
表題作ではあったが、自分的には少し印象がうすい作品だった。作品を書いた理由が本当に「憤死」というものが気になってそれを軸に想像したんだろうと思った。主人公のひねくれた性格で語られる佳穂がなんとなく現実的な輪郭を帯びてきて、いるなとなる。憤って死ぬことそれがどれだけ贅沢なことか、着眼点が面白い。
「人生ゲーム」
4作品の中で一番好きな作品だった。文章の書き方も主人公の年齢とともに変化していて、時間経過に違和感を感じずらくなっていた。人生ゲームになぞらえたあまりに現実的でつらい世界に、超現実的な存在であるあのお兄ちゃんが異質に重要な一部として機能している。人生ゲームのルールとして、いつゴールするかよりもゴールした時の豊かさが求められる。それを人生に落とし込み、ゲームの終わった後みんなでワイワイ語り合うそれこそが人生ゲームの醍醐味なのだろう。きっと死ぬ前の親友二人の前にも彼は現れたのだろう。
すべての短編に共通して言えることは、幼いころの描写があること。「こども」であるということの持つ力とは何なのだろうか。大人を脅かすような記憶や狂気、命を蔑ろにするほどの憤り、幼さは文学に於けるテーマだろう。
解説の森見登美彦がよかった。「ペンギンハイウェイ」の人だと知って、この本の解説として適役だとも思った。 -
Posted by ブクログ
映画「八つ墓村」が上映されると知り、本棚の横溝正史覧を確認し、本書を読み直した。消費税3%の時代に購入していた作品である。1977年に渥美清が金田一耕助に分した八墓村では、野村芳太郎監督や橋本忍の脚本で、濃茶の尼や村人が「八つ墓明神のたたり」として、オカルト映画的脚色で、世間を震撼させた。さて、原作はどうか?毛利に負われた尼子一族の言い伝えを縦軸に、実際に起きた岡山県津山の30人殺し(映画「丑三つ村」)をモチーフにした横軸で紡がれる連続殺人事件である。が、しかし、八つ墓村の地下を縦横に走る鍾乳洞や洞窟の探検と主人公を中心とした恋慕と家族愛が織りなす、夢のある冒険・恋愛活劇が私には強く印象に残っている。鬼首村(おにこべむら)で起きた「よる歩く」や「悪魔の手まり歌」の事件を解決して、保養のために寄った八つ墓村の西屋に滞在中の金田一耕助が、東屋を巡る連続殺人事件で、事件を解決へと導くが本書での出番は極めて少ない。村人に追われながらも、自然洞窟に眠る尼子一族の残した財宝を探検して発見する主人公辰也と典子の純愛。著者の横溝正史は、戦時中に岡山に疎開して、意にそぐわない作品を書かされることに嫌気がさし、戦後に疎開中に知った事件や怨恨をテーマに戦後の推理小説と金田一耕助を一躍有名にする。私見になるが、横溝正史の各作品に低通するのは、アジア・太平洋戦争に対する静かな怒りと内省、戦争による親族たちの血肉を争う憎悪と苛烈(かれつ)なトラウマと葛藤を現しているように思う。横溝作品を読み返したい意欲が増すが、一方で積読も増える葛藤に苛(さいな)まれる。
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