あらすじ
ロングセラー『水中の哲学者たち』で話題沸騰!
対話する哲学者・永井玲衣、待望の最新刊!
見ることは、わたしを当事者にする。
共に生きるひとにする。
世界をもっと「よく」見ること。その中に入り込んで、てのひらいっぱいに受け取ること。
この世界と向き合うための哲学エッセイ。
わたしはどうやら、時間が流れていくにしたがって、
何かが消えるとか、失われるとか、忘れられるということがおそろしいらしい。
ここに書かれたもの。その何倍もある、書かれなかったもの。
でも決してなくならないもの――。
生の断片、世界の欠片は、きかれることを待っている。じっとして、掘り出されることを待っている。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
地面から数センチの場所に漂う香水の香りのように、普段なんとなく不意に浮かぶけど簡単に忘れてしまうような、いつでもそこにあるけど強く意識しないと忘れてしまうような、そういうものについて書かれている
そういう考えや疑問の答えがほしいと思って読む人にはおすすめしない
そういう考えや疑問、記憶の「適切な保存」について書かれているから。
行間に自分の記憶が不意に立ち現れて脳がトリップしたり、はっきりと答えが示されないまま考えを巡らせる文章にふわりと眠気が襲ったりして読むのに少し根気がいった それも心地いい疲労やった
終盤は実際の経験についての「保存」が試みられていて、事実に目を向けることで一気に読めた
そして今わたしも適切に保存したいと、この本の感想を打っている
これから何度も読み返したい一冊
Posted by ブクログ
普通の人なら気にも止めずに通り過ぎてしまうような日常の中のささやかな出来事や何気なく口にした言葉に永井さんは目を止める。それが、世界からこぼれ落ちてゆくものの「適切な保存」なのだ。瑞々しくて柔らかく穏やかな言葉の数々は、この人の視点で世界を見る稀有な体験を分けてくれるよう
Posted by ブクログ
一日の中で、哲学できる種はたくさん落ちているはずなのに、見落としていること、興味を持たず無視していることがたくさんあると気付かされた。
毎日忙しい、忙しいと思っていたが、自分が忙しくさせているだけで、今頭をいっぱいにしていることを脇に置いて、5分でも、周りの世界や自分の内面に浸ってみる習慣をつけたい。そうすれば、もっと自分がこの世界の一部であることが実感できるようになると思う。ただ通り過ぎるのではなく、小さな疑問さえ拾うように生きていきたい。
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考えていることが近いと思うからこそ、どうするのが「適切」なのか、自分の記憶から溢れてしまうであろう瞬間とどう向き合ったらいいのか、分からないなと思いながら読んだ。
読んだけどまだ分からないなと思っている。投げ出さずに考え続けないといけないことなのかも。
Posted by ブクログ
最近、哲学について興味があり、永井玲衣さんの存在を知って呼んでみました。
エッセイということで、あまり気張らずに、ちょっとした時に読めるのでよかったです。
個人的には「奥」が興味深かったです。
お互いの世界が衝突することで、世界に奥行きが生まれる。
Posted by ブクログ
私はきっと、この人の文章に何度も泣かされて、救われるのだろうと思う。
『なんとなしに生きてきたっていうことが、原発のあの光景をみて、あるいは福島のひとたちの被害をみて、こんなに暴力的なんだって。』
なんとなしに生きないことは、疲れる。でも、なんとなしに生きることは、暴力的。なんらかのカタチで、保存しないと。
『言葉とはつねに他者に向けて手渡されるものだ。その意味で、言葉を手放してはいけない。
言葉を失ったとしても、言葉をあきらめないことをつづけなければならない。普通じゃない、普通じゃない、これは普通じゃない。集中力を霧散させてしまうような誘惑と闘って、この感情を適切に保存しながら、手渡していくことをあきらめない。』
保存が、消え去っていくことに抗う、不断の抵抗の運動であるのなら、わたしは喜んでそうしよう。わたしはあなたを保存したい。
Posted by ブクログ
――わたしたちの世界には、回収されない伏線が無数にある。映画や書物の中で、わりばしでコーヒーをかきまぜたら、意味を持ってしまう。重大な事件を解決する鍵になってしまう。だからわたしたちはそれを省く。意味のないそれは、ただのノイズになるからだ。(「よくわからない話」より抜粋)
作中では多くの詩が引用されている。
映画や書物では削ぎ落されてしまう何か。
伏線にも誰かの過去にもならない何か。
そういうものを掬って保存する営みが、
詩であり哲学なのかもしれない。
Posted by ブクログ
"適切に保存する"ということは、とても難しい。
語り手も大切だけれども、受け取り手も大切。
私は物事を、思い出を、悲しい出来事を、適切に保存できているのだろうか。
Posted by ブクログ
偶然、電車で居合わせた人の談笑。すれ違った人からふとこぼれ落ちてきた一言。引き留めるほどではないけど、ちょっと気になる一瞬。たいしたことないそんな日常の一部を切り取って「適切に」保存しようと試みた哲学者の本。一言で言うと、感受性の器みたいな本だった。
「日常を保存する」と聞くと多くの人が「日記」を思い浮かべると思うが、この人はそうではない。スーパーでレジ打ちしていた人や乗り込んだタクシー運転手の名札にふと目をやり、その名前をひたすらノートに記録していく。一見、狂気的な行為だが、それほどまでに日常を「適切に」保存したいと思っていたというのがこの本の始めに書かれている。
怠惰に流れゆくSNSは日常だけれど、“保存する/したい日常”にはならない。そういう意味で「体験すること」はまさに、世界の適切な保存に直結していると思う。本書の中では震災や戦争の中で生きる人たちの日常まで切り取られているが、私はそれを読んでいるうちに震災の二年後、旧友と東北へ行ったことを少し思い出した。更地になった街を前に友人も私も黙ってしまい、私は泣いている友人の後ろ姿をただ、眺めていた。ブログやSNS越しでは伝わらない粒度で私たちは同じ光景を見ていた。目の前にあるすべてが身体に刷り込まれていく。あの出来事から二年経っていた被災地の「日常」は20そこそこの自分たちにはあまりにも強烈で、圧倒的な解像度で私の中に保存されていった。
適切さ、そのちょうどいい加減はむずかしい。でも、塩素という単語を知らない子どもがプールのその臭いを「ああ、温泉に砂糖を入れたような匂いか」とこくこくと頷きながら言う世界との距離のとりかたはとても適切で、私たちはその純度をいつのまにか失ってしまうけど、日々そこには保存したい日常があることを見逃さずにいたいと思う。
#世界の適切な保存 #永井玲衣 #哲学 #エモい哲学 #記憶 #記録 #takram #エッセイ
Posted by ブクログ
哲学者である著者が書いたエッセイ本。文体がやわらかくて読みやすいのに哲学的な視点が散りばめられていて、題材も幅広く、読みながらたくさんのことを考えた。もっと考えたいと思った。問いを持つこと、対話すること、見て聴いて嗅いで体験すること、そしてその体験を保存しようと試みること、それを諦めずに続けてくれている人がいるということが安心感を与えてくれたし、私もそうしていきたい。
【読んだ目的・理由】哲学エッセイというジャンルが気になったから
【入手経路】買った
【詳細評価】☆4.5
【一番好きな表現】言葉と生きることを手放さないように決めたひとは、書かねばならない。(本文から引用)
Posted by ブクログ
少し前の、永井玲衣さんの哲学エッセイ
読み始めは少し読みづらく
何ヶ月か部屋のすみで積読されていた
改めて読んで見たら
なんとも心にずっしりときた
世界情勢から、日本の災害の時の話
そして個人的な話まで
さまざまな適切な保存を考えている
今の状況を未来に残すことがどれほど
大切なことか、わからないが
もしかしたら、未来にとっては
どーでもいいことかもしれないが
体験して取り込んで伝えていく
でも、そのほとんどは完璧には
保存されないかもなのです
景色を見て感動して写真に撮って
誰かに伝えても
その瞬間はけして伝わらない
匂いや空気感も伝わらない
例えば烏龍茶を飲んだとき
自分では『猿の味がする』と思う
誰かに伝えても
猿食べたことないでしょ〜
と笑われる
ある時その話を友人にすると
「渋温泉の猿を見に行った時の
あの猿の臭い
鼻から口に伝わったあの臭いなんじゃない?
わかるよ」と言われた
その通りと思った
的確すぎて、凄いと思った
こんなふうに日常の中の些細なことでしか
表現できないけれど
それぞれに保存しつつ
生きているのかもしれない
自分が本を買い集めることも
保存の一種だろうか
たわいもない会話をすることも
その仲間だろうか
いろいろ考えてみるのも楽しい
余談だけれど
時々「あること」を話し始めて
その説明の中で別の話しを
挟み込んで説明しようとした時
そっちの話しで頭がいっぱいになって
肝心のはじめの「あること」を
忘れてしまうことがある
つくづく自分には保存が向かないのかなとも思う
ただの認知機能低下かもしれないけど‥
説明が下手なのは昔からですが
心を込めて伝えたい気持ちだけは
忘れたくないですね
Posted by ブクログ
水中の哲学たちが私好みすぎて、こちらもずっと読んでみたいと思っていました
永井さんには、この世界は一体どう見えているのだろう?
私に哲学を、なんとなく身近にしてくれたのが永井玲衣さん
考えることが日常になっている私にとって、負担になりすぎずに考え続けることの大切さをこの本でも教えてもらった気がします
この世界のすべてを、保存しておくことはできない
保存されていても、それは適切な方法ではないかもしれない
保存したいほど、大事にしたいものはなんだろう?
わからないものをわからないままに
わかることを、目標や目的にしない
強く、優しく、そして美しさを感じるエッセイ
Posted by ブクログ
この本を説明することがとても野暮に思える。要約できない本、しない方がいい本。AIが書けない文章。哲学的だけど詩に近い。
自分以外の人の感覚はどれだけ言葉を尽くしても、同じようにわかることはない。伝わることはない。
しかし、伝えようとすること、わかろうとすること、そのために話をすることはとても大切である。
例え適切でない保存であっても保存することから始まる対話があり、それ自体は決して無意味ではない。
前半は哲学対話の体験やフレーズから作者の日常を観察し言葉を紡いでいくエッセイに近い短編集。
後半は東日本大震災、コロナ、ガザ、広島などテーマが変わる。
なんにせよ、読む時々自分の状態で受け取れるものが大きく変わる本。要約が向かない本。
Posted by ブクログ
詩集のようなような哲学エッセイ
『水中の哲学者たち』が好きな方には刺さるかも。
世界を変えることではなく、
世界をどう保存するかという問いかけがされていて、
今見ている世界は、自分が見たいように見ているだけで、
見えてないものに隠されている伏線。
忘れていいもの
忘れてはいけないもの
手放していい感情
手放さずに持っておく感情
を自分に委ねてみる。
丁寧に見る。
やっぱり哲学の本だなぁと思う。
Posted by ブクログ
筆者の引用する文章がいちいち良い。短歌はとりわけ良い。でも自分がこの短歌の載っている歌集を読んだとしてもフーンで流した自信があるので、こういうところに他人の脳味噌を借りる意義があるなぁと思った。
保存の話はまぁともかく、スターフライヤーマンの話が面白かった。どちらかと言うとこれは次作のお題に関わってくる話なんだろう
Posted by ブクログ
日常的な会話や、著者が行うワークショップのでの断片的な会話や言葉、その中で語られた言葉や語られなかった言葉。
また、日常にとどまらず、東日本大震災や世界で起こる紛争などについても言及しています。
書かれてはいない決して蔑ろにできない保存すべきことがあることについて書かれています。
私も日常生活で伝えられなかったことや、気を遣って相手に飲み込まれた言葉について考えさせられました。
それと今年ベトナムの戦争証跡博物館で見た被害の様子をそのまま残した写真の数々。これらの写真が訴えるものと、ここには保存されていない被害があるということについても考えないといけないし、忘れてはいけないと思いました。
Posted by ブクログ
『水中の哲学者たち』でも感じたが、刻一刻とすぎていく瞬間を言葉として表現しているのが自分にとってはとてもすごいことでどういう風にやっているんだろうと思う。印象に残る一節も多い。自身ももっと世界をよく見て感じ、言葉を書き連ねたい。
## はずでした
「わたしたちの生は、無数の「そうであるはずだった」に満ちている。(中略)ひとが「はずだった」と言うとき、そのひとの心はとこかへ行ってしまったかのように見える。「はず」の二文字に、そっと感情が乗っているからだろうか。」
## 適切な保存
「こんなふうに目まぐるしく入れ替わっていく東京で、ひとつひとつを丁寧におぼえておくことはできない。どんなに意識をはたらかせ手いたとしても、どんなに写真を撮ってまわっていたとしても、少しすすけた仮囲いの白さしか、目に浮かんでくることはない。」
## 適切な説明
「歌集をひらき、言葉に向かい合う。そして気づかされる。そう、適切な説明とは、言葉がもちいられなくても、立ち現れるのだ」
## そのにおい
「においはやはり保存されにくい。言葉を失うような現実を前に、言葉にできないというかたちで強烈に保存されていることもある。(中略)また、においを知っているということは、そのひとが確かにそこに「いた」、そこにいきていたということだ。」
Posted by ブクログ
『水中の哲学者たち』は気になっていたまま読んでなかったんだなと、エッセイとしても独特な書き口に触れて思い返した。哲学対話などの活動についてラジオ出演で耳にしていたイメージだけだったが、語る人という印象だが文体も個性がいい意味で現れている。
なにか純なる透明性のようなものを掲げる姿勢が胡散臭くもあるのだが、一見すると掴めない表題の真意といったものはときに後継に退きながらも全編を通して語り尽くされていて、高遠な理想とは隔たった実生活的な感性として「世界の適切な保存」という視点は、古くもあり現代において新しくもある議論設定だと思われた。
Posted by ブクログ
前半部分は、著者の永井玲衣さんが、忘れることを嫌がっている事から「世界の適切な保存」だと思って読んでいましたが、後半にヒロシマの原爆や東日本大震災など、忘れてはいけないことを忘れないように、言葉を使って、世界を保存しようとして葛藤している様子を感じることができるようになってきました。僕は、個人的に写真を撮ることが趣味なのですが、「時が流れていかないように」というwebsiteを作って、撮った写真を公開していました。(閉鎖しました)永井さんが考えていたことと、同じようなことを僕も思っていたことが、共感を覚えました。日々消費されるコンテンツを、僕もただ保存したいと思います。
Posted by ブクログ
“あまりに物事がしんどくて、何もかもが立ち行かない時に、友人に「降伏だ」とメッセージを打とうとした。機械は、わたしの状況などつゆ知らず「幸福だ」と変換した。わたしは自分で自分のことを幸福と言ったことがなかったから、それを真新しい目で見ることになった。”(p.94)
“見ることは、変えることだ。自分自身を超え、変えていくことだ。世界は不適切に保存され、手渡される。それを、もっと見ようとする。見ることによって、知っていたと思い込んでいたものが変形する。知っていたと思い込んでいた自分が変わる。ならば、どうするかだ。
見るだけで終わることはできない。見ることは、わたしを当事者にする。共に生きるひとにする。そうしたとき、わたしはどうするのかというところまで、問われている。”(p.260)
Posted by ブクログ
「記憶とは不完全なもので、もどかしいもの。また言葉も完全であろうとしても完全になりえることは不可能だ。言葉は他者にむけて手渡されるべきものであるから、言葉ゆめゆめ手放してはならない、たとえ言葉を見失うようなことが目の前に立ち現れたとしても。そしてその感情を適切に保存する。わたしたちが人間であろうとするのなら、その忘却と無邪気な残虐さも、だ。経験することでしかわからないことはあるが、経験してもわからないことはある。見ることは、変えること。自分自身を超え、変えていくことだ。見るだけで終わることはできない。見ることはわたしを当事者にする。共に生きるひとにする。そういうことが問われている」そんなことが書かれていた。
Posted by ブクログ
言葉や映像では拾い切れない様々な感情、思考、感覚。無駄な情報として削ぎ落とされてしまう風景や呟き…。世界には必要とされないけど、間違いなくそこにあったものたちに思いを馳せ、保存を試みる行為はきっと目の前の誰かや世界を理解するための大切なピースになると教えてくれた。
Posted by ブクログ
世界が無くならないように、形を変えないように、正しく「保存」することがテーマ。
永井さんが日々考えていること、感じていることが瑞々しい言葉で語られる。
「水中の哲学者たち」と同じく、永井さんの言葉を通して自分自身の思考がぽつぽつ浮かんでは消えて、を繰り返しているような感覚だった。
「保存」といえば私は昔から、人生の全ての項目を記録してくれるような仕組みがあれば良いのに、と感じていた。
ゲームのエンディングの後に出てくる全編を通してのresult。
コインを取った総数、死んだ回数、集めたアイテム○個/100個...
そんな風に、「友達の人数」「喋った単語の数」「使ったお金の総額」「ウニを食べた回数」...などなど
全ての項目を数値化して振り返ってみたい。
人と比べて違いを楽しみたい。
別に常にそんな事ばかり考えているわけではなく、こだわってもいない。
だけど、そんな「保存」に対する欲望は物心着いた頃から当然のようにうっすら自分の中にある。
私にとって「保存」っていうのは、数値のように単純なものにデータ化することなんだとこの本を読んで気付いた。
永井さんが感じている「保存」とはずいぶん違っているのがおもしろい。
みんなにとっての「保存」ってどんなことなんだろう。
いろんな意見を聞いてみたい。
Posted by ブクログ
人がぽろりとこぼしたことばの新鮮な響き、どこにも記されない日々のなかで起きた出来事や感情、忘れてはいけないことをどうやって適切に保存するのか。読みながら、ぐるぐると考えて、いまもまとまらないまま考えている。頭の中に浮かんで消えていく思考も感情も生きている日々も、そのまま保存されることはない。それでもささいな日常のにおいや手触りやだれかの呟き、本を読んで生まれる自分の心のさざ波を、じっと見つめてみたいとも思った。
Posted by ブクログ
前作の水中の哲学者?という本がとても好きだったので、こちらも読んでみました。
思ってたものとは違ったけど、永井玲さんがどんな人なのかは伝わってくる。
この本を読んで、中学生の頃、世界の紛争をまとめる授業があったことを思い出しました。
調べていく中で、残虐で酷い行為がいかに行われているか、その結果人間(殺され方や死体)がどうなるかを「生」でみた気がしました。みた時は、吐き気がしたり頭痛がしたり、ひどく身体が影響を受けていました。私はそれを皆に伝えるためには、まとめるのではなく、私が読んだものと同じものを一言一句違わず資料にまとめることを提案しました←この時点で普通の中学生じゃない笑 でもそうしないと、この悲惨さが伝わらないと思ったから、伝えるってこういうことなんじゃないだろうかと思ったから。
結局、先生にはもちろん却下されましたが…。「中学生には早い」などと、包丁を優しい毛布で包んでみたところで、それで何が伝わるのか。もちろん、世界はこんなにもひどいんだ!ということを自信たっぷり教えたいわけじゃなかったけど、「伝える」って難しいなぁと思った思春期でした。
Posted by ブクログ
前半の淡く不確かながらも違和感を持った思索と、自分と世界の距離の保存方法がほとんど自分と同じで驚く。わからないから耳を傾ける。わかろうとする。それでもわかりあえない。若い頃はそれは絶望に値することだった。わかりあえないものだと思っていても。
けれど、その「わからなさ」は、決して自分と誰かのあいだだけに留まるものではなかったのだと思う。自分の内側で感じていた距離や不確かさは、そのまま世界の広がりへと接続している。
大人になって随分経つが、わからないこと、わかりあえないことが理解できるようになった。そうやって世界を保存していくことは、とてつもなく孤独ではある。
その孤独の延長線上に、震災やパレスチナの問題のような、あまりにも大きな現実がある。到底理解しきれない出来事や、受け止めきれない他者の痛み。それでも、それらもまた「わからなさ」の中にある。
私たちは無力だ。それでも耳を傾ける。耳は傾けるのだ。わからないから。
枡野浩一、稲村弘、リチャード・ブローディガン、宮沢賢治らの文章にある哲学を紐解いてみせてくれるのも新しい。根底には小沢健二という人がいるのでは?引き寄せられるいつも小沢に。
Posted by ブクログ
視点がとてもいいなと思った。言い間違いやよどみ、沈黙をこんなに丁寧に肯定的に捉えてくれる人がいるのはこころ強い。
一方で、文章は1テーマにつき半分の量でもよかったかなと思う。音声で聞くと違うのかもしれないかど、文字だと似たような言い回しの反復が多くて、逆に言いたいことがぼやけているように感じた。
Posted by ブクログ
前作よりも日記っぽかった。テーマに関連して引用される詩や小説の文章にまんまとぐっと来た。
「しゃぼん玉なんども食べようとしてるゾンビになってもきみはきみだな(野村日魚子)」
って詩でうっかり泣いた。駅のホームで。ゾンビになってもわたしはわたしだなって思ってくれる存在がいたらどんなにいいんだろう。お別れしてもまた会えたならそれでチャラよ。
たびたび3.11や地域紛争での虐殺の話などが差し込まれて、忘れちゃいけないこととか知らないといけないことがあるのを思い出す。
「家が流されてなくて、ずるいね」(179頁)
強烈すぎる。
あの日地震が起きたとき、山形でこんなに揺れてるんだから遂に宮城県沖地震が来たんだ!絶対お父さん死んじゃった!って思った。電気の点かない極寒の部屋でハムスターとふたり(ふたり?)、非常用のラジオ引っ張り出して心細い夜を過ごした。
運良くわたしは家族を失わなかったし、友だちもみんな生きてた。宮城県出身だけど、何も失ってない。ずるいよな。
3.11の被災者の言葉が書いてある本を読みたいなと思ったよ。
本、毎日「死にたいなあ」と思う自分の日常がぜんぜん尊いものであることを思い出させてくれる。がんばるよ。
Posted by ブクログ
時間はどんどん過ぎて、世界は変わっていく。
その一コマの切り取り方が独特で、些細な日常もこんな捉え方ができるのかという気付きがたくさんあった。
その一つ一つは、正直わかったようなわからないような。哲学ってそういうものなんだろうか。
心に残ったのは「かくれる」。
好きな人、大切な人の一部になることが、その人を保存することになるという気持ち。
適切に保存しようと思うあまり、体の一部を食べてしまいたいという欲求が生まれる。
少し前に読んだ「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った」と通じるところがあるなと思い出した。
何かが消える、失われる、忘れられることに、多くの人は無意識のうちに恐怖を感じているのだなぁ。