【感想・ネタバレ】世界の適切な保存のレビュー

あらすじ

ロングセラー『水中の哲学者たち』で話題沸騰!
対話する哲学者・永井玲衣、待望の最新刊!

見ることは、わたしを当事者にする。
共に生きるひとにする。

世界をもっと「よく」見ること。その中に入り込んで、てのひらいっぱいに受け取ること。
この世界と向き合うための哲学エッセイ。



わたしはどうやら、時間が流れていくにしたがって、
何かが消えるとか、失われるとか、忘れられるということがおそろしいらしい。

ここに書かれたもの。その何倍もある、書かれなかったもの。
でも決してなくならないもの――。

生の断片、世界の欠片は、きかれることを待っている。じっとして、掘り出されることを待っている。

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ

地面から数センチの場所に漂う香水の香りのように、普段なんとなく不意に浮かぶけど簡単に忘れてしまうような、いつでもそこにあるけど強く意識しないと忘れてしまうような、そういうものについて書かれている
そういう考えや疑問の答えがほしいと思って読む人にはおすすめしない
そういう考えや疑問、記憶の「適切な保存」について書かれているから。
行間に自分の記憶が不意に立ち現れて脳がトリップしたり、はっきりと答えが示されないまま考えを巡らせる文章にふわりと眠気が襲ったりして読むのに少し根気がいった それも心地いい疲労やった
終盤は実際の経験についての「保存」が試みられていて、事実に目を向けることで一気に読めた

そして今わたしも適切に保存したいと、この本の感想を打っている
これから何度も読み返したい一冊

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2025年09月08日

Posted by ブクログ

偶然、電車で居合わせた人の談笑。すれ違った人からふとこぼれ落ちてきた一言。引き留めるほどではないけど、ちょっと気になる一瞬。たいしたことないそんな日常の一部を切り取って「適切に」保存しようと試みた哲学者の本。一言で言うと、感受性の器みたいな本だった。

「日常を保存する」と聞くと多くの人が「日記」を思い浮かべると思うが、この人はそうではない。スーパーでレジ打ちしていた人や乗り込んだタクシー運転手の名札にふと目をやり、その名前をひたすらノートに記録していく。一見、狂気的な行為だが、それほどまでに日常を「適切に」保存したいと思っていたというのがこの本の始めに書かれている。 

怠惰に流れゆくSNSは日常だけれど、“保存する/したい日常”にはならない。そういう意味で「体験すること」はまさに、世界の適切な保存に直結していると思う。本書の中では震災や戦争の中で生きる人たちの日常まで切り取られているが、私はそれを読んでいるうちに震災の二年後、旧友と東北へ行ったことを少し思い出した。更地になった街を前に友人も私も黙ってしまい、私は泣いている友人の後ろ姿をただ、眺めていた。ブログやSNS越しでは伝わらない粒度で私たちは同じ光景を見ていた。目の前にあるすべてが身体に刷り込まれていく。あの出来事から二年経っていた被災地の「日常」は20そこそこの自分たちにはあまりにも強烈で、圧倒的な解像度で私の中に保存されていった。

適切さ、そのちょうどいい加減はむずかしい。でも、塩素という単語を知らない子どもがプールのその臭いを「ああ、温泉に砂糖を入れたような匂いか」とこくこくと頷きながら言う世界との距離のとりかたはとても適切で、私たちはその純度をいつのまにか失ってしまうけど、日々そこには保存したい日常があることを見逃さずにいたいと思う。

#世界の適切な保存 #永井玲衣 #哲学 #エモい哲学 #記憶 #記録 #takram #エッセイ

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2025年10月22日

Posted by ブクログ

哲学者である著者が書いたエッセイ本。文体がやわらかくて読みやすいのに哲学的な視点が散りばめられていて、題材も幅広く、読みながらたくさんのことを考えた。もっと考えたいと思った。問いを持つこと、対話すること、見て聴いて嗅いで体験すること、そしてその体験を保存しようと試みること、それを諦めずに続けてくれている人がいるということが安心感を与えてくれたし、私もそうしていきたい。

【読んだ目的・理由】哲学エッセイというジャンルが気になったから
【入手経路】買った
【詳細評価】☆4.5
【一番好きな表現】言葉と生きることを手放さないように決めたひとは、書かねばならない。(本文から引用)

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2025年07月21日

Posted by ブクログ

ゾクリ、ヒヤリ、とした。
突き刺さってくるような、久しぶりの体験。
文体はたゆたうように柔らかいのに抉ってくる内容。

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2025年04月20日

Posted by ブクログ

この人の文章は何か独特なものがある。自然でさりげないのだけれど強さもあり、評判が高いのも納得である。

読んでいるとなんだか心があるべきところに収まっていく感じがある。自分が自分のままでいいのだと思えてくる。

こうやって自然体で、かつ周りに影響力を持つ人に憧れがある。村上春樹がその極地だろう。

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2025年04月13日

Posted by ブクログ

どんな本かわからずに手に取った。哲学??エッセイ??短歌の解説??
なんか、都会的なことば遊び?どことなくおしゃれな演出?と批判的に読んでいて、途中で一旦読むのをやめた。谷川俊太郎とかさくらももこみたいな印象もあり。(どちらも好きですが、)
2.3日おいて、再度読み始めたら、びっくりすることに、涙が止まらず、やたらと心が動かされている自分がいた。不謹慎なことにそれがとても心地よかった。

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2025年04月10日

Posted by ブクログ

この本を読んでいると終始安全な場所に居るような気がした。誰にも知られずに見つめてきた世界、似た目を持った人の言葉たち。

書いてあること自体にも胸を打たれるものはもちろんあったけど、それよりも何よりも私にとっては著者のような目を持った人、その周りにいる人たちの存在に励まされた。

重くて、軽やかで、そしてとても誠実な一冊、水中の哲学者たちもこちらも大事な本になりました。

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2025年04月01日

Posted by ブクログ

全国で哲学対話を行っている著者の新刊エッセイ集。日頃の体験や対話を通じて築かれ記憶を「適切に保存できるか」を多面・複眼で捉えようとします。イスラエルによるガザ侵攻に心を痛め、パレスチナの歴史と現在を適切に理解し、記憶として適切に保存することを語りかけます。哲学とは「問うこと」であり、多くの詩や短歌、大江健三郎などの作品を引用して、自問自答を繰り返します。世界をもっと「よく」みること。その中に入り込んで、てのひらいっぱいに受け取ること、この世界と向き合うための哲学エッセイ。苦手な詩や短歌の連続で不勉強で共感力に乏しい私にとっては、非常に難しい書籍となった。今回の読書経験もプラスにとらえ、見識を広げたい。

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2025年03月23日

Posted by ブクログ

筆者の引用する文章がいちいち良い。短歌はとりわけ良い。でも自分がこの短歌の載っている歌集を読んだとしてもフーンで流した自信があるので、こういうところに他人の脳味噌を借りる意義があるなぁと思った。
保存の話はまぁともかく、スターフライヤーマンの話が面白かった。どちらかと言うとこれは次作のお題に関わってくる話なんだろう

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2025年11月25日

Posted by ブクログ

日常的な会話や、著者が行うワークショップのでの断片的な会話や言葉、その中で語られた言葉や語られなかった言葉。
また、日常にとどまらず、東日本大震災や世界で起こる紛争などについても言及しています。
書かれてはいない決して蔑ろにできない保存すべきことがあることについて書かれています。

私も日常生活で伝えられなかったことや、気を遣って相手に飲み込まれた言葉について考えさせられました。
それと今年ベトナムの戦争証跡博物館で見た被害の様子をそのまま残した写真の数々。これらの写真が訴えるものと、ここには保存されていない被害があるということについても考えないといけないし、忘れてはいけないと思いました。

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2025年11月03日

Posted by ブクログ

『水中の哲学者たち』でも感じたが、刻一刻とすぎていく瞬間を言葉として表現しているのが自分にとってはとてもすごいことでどういう風にやっているんだろうと思う。印象に残る一節も多い。自身ももっと世界をよく見て感じ、言葉を書き連ねたい。

## はずでした

「わたしたちの生は、無数の「そうであるはずだった」に満ちている。(中略)ひとが「はずだった」と言うとき、そのひとの心はとこかへ行ってしまったかのように見える。「はず」の二文字に、そっと感情が乗っているからだろうか。」

## 適切な保存

「こんなふうに目まぐるしく入れ替わっていく東京で、ひとつひとつを丁寧におぼえておくことはできない。どんなに意識をはたらかせ手いたとしても、どんなに写真を撮ってまわっていたとしても、少しすすけた仮囲いの白さしか、目に浮かんでくることはない。」

## 適切な説明

「歌集をひらき、言葉に向かい合う。そして気づかされる。そう、適切な説明とは、言葉がもちいられなくても、立ち現れるのだ」

## そのにおい

「においはやはり保存されにくい。言葉を失うような現実を前に、言葉にできないというかたちで強烈に保存されていることもある。(中略)また、においを知っているということは、そのひとが確かにそこに「いた」、そこにいきていたということだ。」

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2025年09月14日

Posted by ブクログ

『水中の哲学者たち』は気になっていたまま読んでなかったんだなと、エッセイとしても独特な書き口に触れて思い返した。哲学対話などの活動についてラジオ出演で耳にしていたイメージだけだったが、語る人という印象だが文体も個性がいい意味で現れている。
なにか純なる透明性のようなものを掲げる姿勢が胡散臭くもあるのだが、一見すると掴めない表題の真意といったものはときに後継に退きながらも全編を通して語り尽くされていて、高遠な理想とは隔たった実生活的な感性として「世界の適切な保存」という視点は、古くもあり現代において新しくもある議論設定だと思われた。

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2025年09月13日

Posted by ブクログ

前半部分は、著者の永井玲衣さんが、忘れることを嫌がっている事から「世界の適切な保存」だと思って読んでいましたが、後半にヒロシマの原爆や東日本大震災など、忘れてはいけないことを忘れないように、言葉を使って、世界を保存しようとして葛藤している様子を感じることができるようになってきました。僕は、個人的に写真を撮ることが趣味なのですが、「時が流れていかないように」というwebsiteを作って、撮った写真を公開していました。(閉鎖しました)永井さんが考えていたことと、同じようなことを僕も思っていたことが、共感を覚えました。日々消費されるコンテンツを、僕もただ保存したいと思います。

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2025年09月12日

Posted by ブクログ

“あまりに物事がしんどくて、何もかもが立ち行かない時に、友人に「降伏だ」とメッセージを打とうとした。機械は、わたしの状況などつゆ知らず「幸福だ」と変換した。わたしは自分で自分のことを幸福と言ったことがなかったから、それを真新しい目で見ることになった。”(p.94)



“見ることは、変えることだ。自分自身を超え、変えていくことだ。世界は不適切に保存され、手渡される。それを、もっと見ようとする。見ることによって、知っていたと思い込んでいたものが変形する。知っていたと思い込んでいた自分が変わる。ならば、どうするかだ。
見るだけで終わることはできない。見ることは、わたしを当事者にする。共に生きるひとにする。そうしたとき、わたしはどうするのかというところまで、問われている。”(p.260)


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2025年08月21日

Posted by ブクログ

とりとめもないことを見てどんどん思考、いや妄想が広がっていくのが好きなんだけれども、それを保存したいなと思った。適切に保存できるかな

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2025年08月03日

Posted by ブクログ

「記憶とは不完全なもので、もどかしいもの。また言葉も完全であろうとしても完全になりえることは不可能だ。言葉は他者にむけて手渡されるべきものであるから、言葉ゆめゆめ手放してはならない、たとえ言葉を見失うようなことが目の前に立ち現れたとしても。そしてその感情を適切に保存する。わたしたちが人間であろうとするのなら、その忘却と無邪気な残虐さも、だ。経験することでしかわからないことはあるが、経験してもわからないことはある。見ることは、変えること。自分自身を超え、変えていくことだ。見るだけで終わることはできない。見ることはわたしを当事者にする。共に生きるひとにする。そういうことが問われている」そんなことが書かれていた。

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2025年07月17日

Posted by ブクログ

言葉や映像では拾い切れない様々な感情、思考、感覚。無駄な情報として削ぎ落とされてしまう風景や呟き…。世界には必要とされないけど、間違いなくそこにあったものたちに思いを馳せ、保存を試みる行為はきっと目の前の誰かや世界を理解するための大切なピースになると教えてくれた。

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2025年06月12日

Posted by ブクログ

世界が無くならないように、形を変えないように、正しく「保存」することがテーマ。
永井さんが日々考えていること、感じていることが瑞々しい言葉で語られる。
「水中の哲学者たち」と同じく、永井さんの言葉を通して自分自身の思考がぽつぽつ浮かんでは消えて、を繰り返しているような感覚だった。

「保存」といえば私は昔から、人生の全ての項目を記録してくれるような仕組みがあれば良いのに、と感じていた。
ゲームのエンディングの後に出てくる全編を通してのresult。
コインを取った総数、死んだ回数、集めたアイテム○個/100個...
そんな風に、「友達の人数」「喋った単語の数」「使ったお金の総額」「ウニを食べた回数」...などなど
全ての項目を数値化して振り返ってみたい。
人と比べて違いを楽しみたい。
別に常にそんな事ばかり考えているわけではなく、こだわってもいない。
だけど、そんな「保存」に対する欲望は物心着いた頃から当然のようにうっすら自分の中にある。

私にとって「保存」っていうのは、数値のように単純なものにデータ化することなんだとこの本を読んで気付いた。
永井さんが感じている「保存」とはずいぶん違っているのがおもしろい。

みんなにとっての「保存」ってどんなことなんだろう。
いろんな意見を聞いてみたい。

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2025年06月02日

Posted by ブクログ

人がぽろりとこぼしたことばの新鮮な響き、どこにも記されない日々のなかで起きた出来事や感情、忘れてはいけないことをどうやって適切に保存するのか。読みながら、ぐるぐると考えて、いまもまとまらないまま考えている。頭の中に浮かんで消えていく思考も感情も生きている日々も、そのまま保存されることはない。それでもささいな日常のにおいや手触りやだれかの呟き、本を読んで生まれる自分の心のさざ波を、じっと見つめてみたいとも思った。

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2025年05月31日

Posted by ブクログ

読んで良かった本
ただ「見る」ことの難しさは、共感もしたし、私は全然できてなかったなとも気付かされた
瞬間や体験、記憶を保存しなければという強迫観念めいたものに見覚えがあって購入したけど、
永井さんのそれと私のものは真剣さが違ったなー
簡単に、分かった。と言いたくなくなった

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2025年05月11日

Posted by ブクログ

日常における哲学的な瞬間「哲学モメント」について記述した永井玲衣さんのエッセイ集。『水中の哲学者たち』と表紙の雰囲気も似ているけれど、別の連載をまとめて別の出版社から出ているもの。でも、前作の正統進化版という感じでとても良いです。『水中』が永井さん自身の生活や人生における哲学モメントを多めに切り取ったものだったのに対して、本作では永井さん自身の視点で構成されているのは変わらないですが、題材として詩や短歌など詩人たちの目線を引用しつつ話が進んでいくので、哲学モメントを感じる目線や視点が永井さんだけでなく、他の人にも、そして自分にも拡張されてくる感じ。二作続けて読むことで哲学モメントを感じる視点や思考に無理なく慣らされていく感覚を得られるような気がするのでどんどん人に薦めたくなる。個人的にはタイトルにもなっている「世界の保存」という感覚が、自分も小さい頃から持っているもので、自分はずっと「記録」といつ言葉を使っていたけど、記録することの先というか欲求としては保存だったのかもな、と共感しつつ納得できて楽しかった。

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2025年04月16日

Posted by ブクログ

「哲学モメント」「いい感じ」「適切な保存」「余計な心配」
当たり前にあるもの、他の人が気にとめないもの、ひっそりと存在するものに想像をめぐらせて考える。
いつも、適切を意識して行動しているけれども、本当のところは適切なのかも分からない。
でも、考えるのを続けていこうと思う。
そんな気持ちになりました

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2025年03月30日

Posted by ブクログ

「何かを残す」ということは「残されなかった何か」がまたあるということ。残したいけど、匂いや味みたいに残せないものもまた確かにあるということ。残すべきことと残すべきでないこと、つなぐ必要がある過去と消し去りたい過去。読み進めるうちに段々と馴染んできて考えさせられた1冊。

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2025年03月04日

Posted by ブクログ

「夜が明けてやはり淋しい春の野を
ふたり歩いてゆくはずでした」東直子

仮定法過去完了の「はずでした」には、後悔や願望の響きがある。
「もし一緒にいたならば3年になるはずでした」
でも、
「撮られなかったものも撮った写真に全部入っているんで。私がその前後を生きているんで。」
という友の言葉にハッとする。
自分が選んだ道は選べ直せなくても、選ばなかった道がそこに入っているとしたらポジティブな余韻が残る。

前回読んだ『水中の哲学者たち』より深い味わいがある。日常のことが、掘り下げられ、新しい角度で語られる。見逃してしまうこと、忘れてしまっていることにも光が当たる。不確かな記憶の中には思い出して欲しくて待っているものがありそうだ。
東日本大震災や世界情勢にも言及し、人とのかかわりの中で、それらの問題を哲学していく。
特に、においを保存したり表現したりすることの難しさを語る。味もにおいも手ざわりも体験であり、本当に体験した人にしかわかり得ない。パクチー、埃っぽいにおい、そして遺体を焼くにおい。においは保存されにくい。
でも、著者は、においも含めた感覚的な断片はそこに確かにいたという体験的事実なのだから、適切に保存したいと願っている。
これから自分の中で咀嚼していかないと、自分の言葉になっていかないが。

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2025年02月15日

Posted by ブクログ

時間はどんどん過ぎて、世界は変わっていく。
その一コマの切り取り方が独特で、些細な日常もこんな捉え方ができるのかという気付きがたくさんあった。
その一つ一つは、正直わかったようなわからないような。哲学ってそういうものなんだろうか。
心に残ったのは「かくれる」。
好きな人、大切な人の一部になることが、その人を保存することになるという気持ち。
適切に保存しようと思うあまり、体の一部を食べてしまいたいという欲求が生まれる。
少し前に読んだ「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った」と通じるところがあるなと思い出した。
何かが消える、失われる、忘れられることに、多くの人は無意識のうちに恐怖を感じているのだなぁ。

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2025年08月31日

Posted by ブクログ

世界に「か」が足りないように感じて「か」を補給する。
世界を適切に保存するのはその時の体験とか匂いとか、そのまま伝えること。

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2025年05月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

前作に比べて作者自身の想いの表現が色濃く打ち出されて、哲学エッセイというよりもエッセイとして読み進めた

それは単に伝え方を少し婉曲にしただけなのかもしれないが、エッセイであるならなーという気もある。

ただ、最後の方にあった「改行する」「手渡す」「見る」などはエッセイ・最近の考え事の発露としても興味深く読めた

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2025年04月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

コロナ禍で、授業中の風景を絵にしてもらったところ、同じようなものばかりが寄せられた。このエピソードについて語られるが、私は記憶がありきたりなものに堕してしまう力の強さを感じた。集合的ともいうべきか。だからこそディテールを意識して記憶していくことが大切だ。

今回は後半で政治色が濃厚になる。いわゆる左翼のナイーブさが窺われる。問題からどうするかという骨太さは窺われない。火中の栗を拾うとでも喩えようか。そういう姿勢は窺われない。いい人なのだが、頼りない。日本では詩や哲学が弱いとされる所以をここにも感じた。

においの件は、同感だ。そこには既存のメディアでは伝えきれない、また、言葉では伝えきれないものがある。だからこそ、どうするかなのだ。

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2025年03月30日

Posted by ブクログ

言葉をとても大切にしている文章だった。日常生活の中で感じたことのある感覚や、なんとなくそう思っていたけど言葉で表現するのは難しかった気持ちが、本の中には垣間見えるような気がした。私も日常のいろんな瞬間から、いろんなことに気づけるようになりたい。読み終わって、共感や好意ではなく、否定でもない感情を感じて不思議な感覚に陥っている。哲学のことをきちんと理解できたわけではないけど、時間がたったらまた読み返してみたい。哲学のことも少しずつ知っていきたい。

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2025年03月04日

Posted by ブクログ

なぜ保存したいかは著者もわからない、わからないからこそ考える。適切なのは自分にとってなのか世界にとってなのか、何様なのかどちら様なのか、善意なのか本心なのか、アレコレ考える思いが、わざとらしくない感じで追想できて、楽しい

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2025年02月23日

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