小説・文芸の高評価レビュー
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Posted by ブクログ
ネタバレラブコメディの一言のみで、この作品を語ること勿れ。
作中の人物、皆摩訶不思議にて、その巻き起こしたる事件の数々もまた不思議なり。
黒髪の乙女の純朴たるや、未開の地に咲く一輪の花の如し。
先輩の愚鈍にして滑稽なるは、古の銀幕の喜劇の如し。
黒髪の乙女には可憐にして心奪われ、先輩には他人事ならず心寄せたり。
世に言う「非モテ」をくぐり抜けし同士たる諸君にとっては、胸を打ち、また胸の痛みを思い起こすこと請け合い。
最後の場面に微笑んだ後は、黒髪の乙女と先輩との間に幸多からんことを祈るのみである。
なむなむ。
最も驚いた章としては、第四章を挙げねばなりません。
令和の初頭を襲った、あの疫病のことを描 -
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恋人だった訳でもないのに、昔心通わせた島本さんのことが忘れられない。彼女で無くてはと申し分の無い幸せを手に入れた後に気が付き、どちらを取るかの葛藤が面白かった。
知らなくてはならなかったものごとがまるでサンプル・ケースみたいに全部ぎっしりと詰め込まれていた。
これはとても大事なことだから、よく聞いて。さっきも言ったように、私には中間というものが存在しないのよ。私の中には中間的なものは存在しないし、中間的なものが存在しないところには、中間もまた存在しないの。だからあなたには私を全部取るか、それとも私を取らないか、そのどちらかしかないの。それが基本的な原則なの。
僕はその暗闇の中で、海に降る雨の -
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購入済み
黒人も白人も子供も女も殺される
Sクレイグ・ザラー(Sはスティーブンの略)氏は映画監督兼脚本家兼小説家兼漫画家兼音楽家のユダヤ教徒である、本作は日本で彼の映画が公開される前に邦訳出版されていたので先取りし過ぎ
自分は氏の映画はなるべく観た読者なので氏の作品の愛好者には楽しめる作風なのだ
ザラー氏の映画は彼自身が脚本や原作を執筆して制作される事が殆どなので
映画を観ながらもどういった形で脚本になっているかすら想像が出来る仕上がりで、本作を読むと逆に映像化されるとどういった場面にされるかも思い浮かぶのだ
ザラー氏の映画と本作は、執拗に繰り広げられていく暴力描写が共通している事でも同じ作家の作品だなと実感できる
黒人だろうと白人だ -
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パスカル『パンセ』の以下を何度も思い起こしながら読んだ。
「どうしてきみは僕を殺すのか。」
「君が川の向こうに住んでいるからだ。友よ、もしこちら側に住んでいれば僕は人殺しだ。でも向こう側だから僕は勇者だ」(若干意訳)
住んでる国が違うだけなのだ。
社会は完全じゃない。
でもより多くの人が幸せになるように少しづつ変わっていってほしい。
その願いみたいなものがまさにこの本なのではないか。多くの人が考えるきっかけになっている。
自分が今後難病になって回復の見込みが無ければ安楽死したい。
今そういう法は日本に無い。
明日にも事故や病気で激痛を伴う症状に自分も、誰もがなりうる。
今、声を上げなくてい -
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ネタバレ最後はあー、なるほど!それでこのサイズの本を出したってわけね!!
となりつつ、読み返したら最初の叔父さんたちの会話がただのミスリード??関係なく恋人が??そんなことある??となってしまったので、モヤっと。
ジオラマを見て…などが推理しやすくしてくれていたのかな、とは思いつつ、叔父さんたちは結局自分たちが手を汚さずに甥っ子たちを一掃できて良かったね的な感じなのかな。
とか思っていた私が馬鹿でした。
他の方の感想を読んで、4回くらい見返したらちゃんと「クソガキ」が「クソ垣」のことで、確かに甥っ子たちが話している様子にもちゃんと当てはまりましたー!
なるほどね、納得納得!!私がぜんぜん気付いて -
- カート
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試し読み
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自分が大切にしたい考え方と共通する部分が多く、共感しながら読めた。具体的に、自然は全て循環し、相互に助け合いながら動いており、人間は自然のほんの一部であるということ。現代の人間は、地球から様々な恵みをいただいているが、それに目を向けず、ただ今の社会の評価基準で常にトップを狙い、他者を蹴落とし、傲慢な存在となっている。
私も自然の中(山など)にいると本来の人間の自分を自覚でき、地球とのつながり、生かされている感覚を得られる。そういった感覚は、地球を守りたいと思わせてくれる。
一点考えたいのが、筆者は、現代の流通や小売で売られている、農薬などのおかげで形が綺麗で、大量生産できている農産物に懐疑的 -
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この本を手に取ったのは、私はドラえもんが好きだからだ。主人公の理帆子のように、私はドラえもんを見て育った。大切なことは全てドラえもんから教わった。そう言い切れるほど、ドラえもんが好きだ。
この物語の中には、ドラえもんの要素が散りばめられている。様々なひみつ道具、エピソード、単行本から大長編まで。ドラえもん好きとしては、あぁあの話かとすぐに思い至ってにやりとしてしまう。昔の記憶が呼び起こされ、懐かしい気持ちになれる。
そんなドラえもんの要素に彩られながら、理帆子の物語は進んでいく。『少し・不在』で、どこか危なっかしい少女。母と娘、そして父の存在。家族には色々な形があるけれど、私はこの家族の -
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風変わりな夫婦のラブストーリー。なんだかホッコリした。
歌舞伎の女形喜多村燕也。妻となる志乃。縁談が来て、祝言はあげず顔も見ぬまま木挽町の夫の家に移り住んで2月。夫はいつも女の姿でいる。それはともかく演じる役になりかわって人格が変わる。紅が合わないと言われ買いに走る。
時姫役の舞台の中に、志乃のしぐさや振舞いが書き入れられていて、観察されていたのだと知る。武家の娘だからあの人に買われたのだ。武家の娘でいていいらしい。
女が家にいる。不義密通を疑われて志乃は芝居小屋に連れて行かれる。初野寿太郎と名乗る男の前に連れて行かれたが知らない。悪かったわね、あんたじゃなかったと言われてもね。
松虫 -
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小川洋子さんの
「博士の愛した数式」を読見終えた。
交通事故に遭い頭を打ったため
記憶の蓄積は1975年までで終わっており
それ以降の新たな記憶を積み重ねようとしても
80分しかもたない
数論専門の元大学教だった博士。
博士の家に家政婦として働き始めた女性。
頭の形がルート記号のように平らなことから
博士から「√(ルート)」と呼ばれるようになった家政婦の息子。
孤独な心達が寄り添い合う。
博士は不幸で孤独な人生を送ったのではない。
この3人は言葉を超えた愛情で
結ばれていたのだから。
そして博士からの温かく深い愛情と
博士の数式に対しての崇高で厳かな気持ちは母とその息子ルートくんに
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