あらすじ
両親を亡くした大学生の邦彦は、生活の糧を求めて道頓堀の喫茶店に住み込んだ。邦彦に優しい目を向ける店主の武内は、かつて玉突きに命をかけ、妻に去られた無頼の過去をもっていた。――夜は華やかなネオンの光に染まり、昼は街の汚濁を川面に浮かべて流れる道頓堀川。その歓楽の街に生きる男と女たちの人情の機微、秘めた情熱と屈折した思いを、青年の真率な視線でとらえた秀作。
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中年男性の人生振り返り読本
宮本輝の川三部作のうち、最も中年男性の心情に迫った作品だ。確実に老いていく焦燥感を抱えつつ、人生を振り返り、取り返しのつかないことをした瞬間に人は何を考えるのか、人はどんな時に大きな谷間を越える瞬間的決断をするのか、思いを馳せることができる。🎱本作は昭和的価値観に基づき、肺と心臓を使わないものはスポーツではなくゲーム・博打とし、ビリヤードのスポーツ性を否定したり、ゲイを病気と決めつける印象的なシーンがある。しかし令和では、eスポーツもトランスジェンダーも肯定的だ。過ごし易い時代になった。🎱
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橋から眺める道頓堀の光芒が目に映る様だった。朝陽を浴びた寂しげな街並み、ネオン輝く夜の歓楽街。川には歴史があり、そこで暮らす者にも人生がある。男の過去への後悔が川の濁りに似ている。歓楽街の光彩は過去を照らすが、決して未来は照らさない寂しさも孕んでいた。
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道頓堀川の淀んだ泥水から、乞食の絵描きは人間の深緑色を見る。その緑色に惹かれて身を滅ぼしていった女と、その男が喫茶店に飾る美しい翡翠の水差し。
宮本輝の小説といえばまず一番に「業」だと思う。
人間の、どうにも自分の力ではあがらえない行動や心情や関係をありありと書く。
自分の範疇を超えた業は自分以上に自分自身を映し、そしてあるとき些細に思えていた物事の本当の"濃さ"にふと気づかされたなら、それがどんな人生であれ、人としての冥利に尽きる。
圧巻だなー
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喫茶店のマスター・武内と、アルバイト学生・邦彦の二人の語りで物語が進みます。
ビリヤードにのめり込む息子、ビリヤード屋の店主、小料理屋の親父、ゲイボーイ、ストリップのダンサー、絵描きの易者、などなど…。なんとも色の濃い人たちに囲まれています。
それぞれが、葛藤しながら前を向いて生きて行く姿に清々しい強さや優しさを感じます。
こてこての大阪が舞台ですが、爽やかな雰囲気が漂っています。
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宮本輝作品、2作目。
道頓堀川沿いに店を出す喫茶店リバー。
マスターである竹内鉄男と、ここでアルバイトとして働いている大学生の邦夫を中心に描かれた物語。
道頓堀という賑やかな場所で生きている人々の抱いている心情などがよく現わされているなぁ、と思った。
登場人物の間でやり取りされる言葉が関西弁で現わされていて、登場人物の全てに愛らしさがあるなぁ、と思った。
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久々に読み返しましたが、何度読んでも、濃密で味わい深くて、読書をする楽しみを十二分に感じることができるなあと思いました。「辛い哀しい事が起こっても、いっこうにへこたれんと生きていけることが幸せやと思いますねェ」というセリフが好きです。
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川三部作の最後『道頓堀川』
昭和40年代頃?の道頓堀川界隈の人たちの話。どの川も馴染みはなかったけれど、道頓堀川は有名だからなんとなく思い描きやすかった。
歓楽街近くの、汚溝沿いの、水商売の人もよく利用する場所にあって、見事な沢山の花が活けてあるのがウリの喫茶店っていうのがなんだか素敵に感じた。
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宮本輝さん、3作品目。富山出身の私にとって、宮本輝さんは、螢川の人でした。
泥の河、道頓堀川、大阪の中心部を流れる河川が舞台のこの2作品は、現代にも通じるものがあるし、私の知らない都会の闇部分が印象深く残りました。
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以前映画で観た作品なので、自分の頭で描く情景だけでなく映画のシーンが重なる。
それは自分の中での創造を邪魔するものではあるけれど読書の道案内的なサポートにもなるものだな。リバーでアルバイトをする邦彦のまわりの人間模様が哀愁を帯びて描かれるのだけれど彼らの不安定な生き様を俯瞰するように読み味わえるのは自分自身が彼らよりは安定した楽な状況にあるからだろうか。
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戦後間もない頃の昭和、大阪という土地柄を色濃く感じました。
道頓堀川の濁りのように、一人一人の人生にも何かしらの濁りがある。道頓堀川界隈に暮らす人たちの人生の営みが描かれていました。
歓楽街の猥雑でがちゃがちゃした感じは、うるさいのになぜかホッとする部分もあり、読みながら一人一人が抱える“苦難”や“人生の営み”みたいなのものを感じて、しんみりした気分になりました。
個人的に、ちょっと性的な描写が多いなぁという気がしたけど、それも含めてこの作品の味わいになっている。
喫茶店店主の武内、武内の息子・政夫、住み込みで働く邦彦。また、彼らに関わりのある人たち。
他作品でも感じたけど、宮本輝さんの作品で描かれている“人間臭さ”がいい。
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著者の初期を代表する「川三部作」の三作目。昭和42年、高度成長真っ只中の大阪道頓堀川が舞台。両親を亡くした大学生安岡邦彦は、喫茶店リバーで住み込みで働きながら大学に通っている。リバーのマスター武内鉄夫は、かつて玉突きに命を賭けていたが足を洗い、息子の政夫が玉突きにのめり込んでいるのを快く思っていない。玉突きで生計を立てていきたい政夫はかつて伝説の玉突き師だった父親に勝負を挑む。
「泥の河」では小学生、「螢川」では中学生の視点から世の中を見つめていたが、「道頓堀川」では主人公が大人で人生の悲喜こもごもの当事者になっている。
邦彦は大都市に暮らす人々をどこか覚めた目で見つめている。就職先を決める時期が近づいているものの現実には閉塞感が漂っている。全体的にモノトーンで淡々と日常の話は進行していくが、当時の時代や人々の息づかいが感じられるようにすっかり世界に引き込まれた。
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小説家、宮本輝が描くまだ戦後の色合いが大阪を舞台にした昭和40年代の学生を中心に描かれる人間模様。
フィクションではあるらしいが、父を失い大阪で学生時代を過ごした著者自身の体験と重なるところがあるとは思う。
登場人物は多岐にわたるが、共通する言葉のは「赦し」ではないかと個人的に解釈する。裏切られようとも、苦しい環境に置かれようともそれぞれがやさぐれずに生きていけるのは、過去を赦す心構えが根底にあるからではなかろうか。
登場人物の一人である喫茶店マスターが、自分の妻と駆け落ちされた易者に20年後に邂逅し、何も気付かない易者に「どんなことが、しあわせやと思いますか?」と聞かれ「辛い悲しいことが起こっても、いっこうにへこたれんと生きていけることが、しあわせやと思いますかねぇ」と答え易を続けもらうマスター。
印象深い一場面である。
匿名
純文学ですね。いいですね。戦後の雰囲気を残す大阪の道頓堀川沿いでのいろいろな事情を持った人々の日常を描き出している。抒情と哀愁を含んだ描写。人はとても哀しい運命を持って生まれ、暮らしていることを切実に思い知らされる。その文章に魅了される。省みて自分の幸せを再確認する。
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キーワードは「貧しさ」でしょうか。
本書の舞台は大阪道頓堀川。鈍く光る川面で生活する登場人物は、その誰しもが何かしらの「貧しさ」を抱えています。もちろん「貧しさ」とは、金銭的なそれに限りません。離散する宿命を抱えた武内は金銭的には余裕があるのに、とても貧しくみえる人物ではないでしょうか。そんな「貧しさ」を抱えた道頓堀川の住人のなかで、ヌードダンサーのさとみが邦彦の前で一心不乱に踊る姿がやけに印象に残っています。「私なんか、毎日、頭が変になってるわ」というさとみの言葉。この「貧しさ」が小説内に留まるものではなく、普遍的なものとして、いたく心に染み入ります。
ところで、まったく悲哀に満ちた作品なのかというと、決してそうではなく、「貧しさ」を抱えたなかでも必死に生きていく、そんな住人の姿に活力をもらうのです。
宮本輝の描く普遍性と前向きな姿勢に心打たれた作品でした。
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ある男からみた戦後の歓楽街に”寄せ集まった”男と女と仲間と親子の話。特に、男のうちにあるぼんやりとした弱さは個人的にこの一文にすべて、凝縮されているように思う。
”相手の心の開け具合を計算して、きっちり開いた分だけしか応じ返していかない哀しい人間の習性を、彼等はとりわけ狡猾に身につけていたが、反面そうした弱さを歓楽街に生きる本物の女たちよりも、一段上手に隠し通す手練に長じていることも武内はよく知っていた。”
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なぜ、いまごろ 宮本輝をよむのか
いまの私の 感性に 一番あっているようだ。
どろどろとした 人間の感情の絡み付き合いが
とても、いいのだ。
政夫が 父親 武内鉄男 と 玉突きで 決闘する。
政夫は 夫を捨てた 鈴子 と一緒についていった息子。
鈴子は どうしようもない 占い師についていったのだ。
そのために 鉄男は なぜか許せないところがある。
戻って来た鈴子は ギヤマンのみどりの色に じっと見入った。
占い師が書く 海は いつもみどりだった。
鈴子が戻って来た時に 鉄男は鈴子を蹴った。
そのことで、鈴子は腎臓をいためたと思い込む。
鉄男は 息子の政夫が 玉突きで 生きようとすることに
理解を示せない ところもあるが、認めたい気持ちもある。
複雑な 父親の思い。
玉突きは あくまでも ばくちだと思っている鉄男。
息子の政夫は スポーツだと思っている。
世代の認識の違いで解決するのか。
邦彦は 母子家庭で 学費をかせぐために
武内鉄男の 喫茶店で バイトをする。
そこで,いろいろな人に であう。
就職活動するが 母子家庭ということで、うまく行かない。
鉄男は 邦彦には 喫茶店で 働いてもらいたいと考えている。
ユキのもつ たくましさ。
焼き肉屋で 自分の城を まもりはじめる。
オカマ、出前ストリッパー、老人の愛人。
道頓堀でうごめく 人々に 出会い
自分が どう生きるのかを なやむ 青年。
大阪の混沌とした 雰囲気が こつ然とする。
宮本輝の物語は 河が 一つのテーマとなるが、
占い師が 重要な 役割を果たす。
一家離散 という 占いが当たり、久しぶりにであう占い師が
次の占いをするが それを信じようとする。
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『川・三部作』を読み終えました。
自分は誰に一番感情移入しただろう。誰の目線でストーリーを追ったのだろう。読み終えて直ぐはそんなことを考えました。
喫茶店のマスター、マスターの息子、マスターの店で働く大学生。彼らを中心に、彼らに関わる人達、夜の道頓堀で生きる人達の人間模様に吸い込まれました。短編連作のよう。
主人公を繋いでいたビリヤード。ビリヤードは打ち手が突いて初めて球が動きだし、球は他の球に当たってそれぞれの道を行く。白玉以外は自分で行く道を決められないだろうし、白玉もまた当たり所が悪ければ、思っていた道から外れてしまう。狭い台の中で玉同士がぶつかり、ポケットに落ちるように道頓堀から去っていく者もいる。
道頓堀の世界と、ビリヤードの比喩が素晴らしいです。
ただし、少し話しが長く、登場人物が多かったようにも思えました。『蛍川・泥の河』の後だけに余計そう感じたのかもしれません。
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前にも書いたような気もするけれど、宮本輝を読むときは、そのストーリー展開も面白いのだけれど、登場人物が思うことや決断すること、そして行動することをきっかけに自分だったらどうするだろうと考え、さらに生きるって何だろう、豊かな(経済的にという意味ではない)人生って何だろうと考えるられるのが好きだ。電車に揺られながら読んでいると、気づく文章から目を離して物思いにふける自分がいる。そして、またストーリーに戻ってしばらく読んで、そしてまた物思いに。だから時間がかかる。でもそれだから味わえる。自分事にして読める小説って、あるようであまりない気がする。うーむ、また読みたくなってきたぞ、宮本輝。ちょっとヘビロテしようかな。(
ところで、道頓堀川の感想ゼロだけど、まっいっか)
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短大生の時、好きな作家は?と聞かれると「宮本輝」と答えていました。
それくらい好きだったのに最近は何故かご無沙汰。
最近文学小説熱が再熱ぎみなので久しぶりに再読しました。。
宮本輝の作品は、いつも重く暗いものを背負った人々の人間模様が描かれていますが、最後は前向きな、希望を感じさせながら終わらせてくれるところが好きです。(なーんて最近の作品は全く読んでいませんけど。)
この作品も、人間がそれぞれ精一杯生きている感じがよいです。
それと、昭和40年代を舞台にした作品だからこういう大阪って今はもう無いのでしょうけど、東京にはない泥臭さや力強さが迫ってくる感じなのに、儚くて物寂しい感じ雰囲気もあって、これが大阪か、と納得するかんじでした。。
Posted by ブクログ
初めての宮本輝作品。
こんな人達になりたい、こんな人生を送りたい、といった秀でた登場人物は出てこなかったのに、もう一度読みたいと思った。
純文学の面白さに気づかされたかもしれない。
Posted by ブクログ
p49
「あんた、ほんまに嫉きもちやきやねんから・・・・」
「うちが、どんなにあんたのことを好きか、よう知ってるくせに・・・」
大人じゃ~!!
この技を手に入れたら一生夫婦円満でしょう!
p129ぜんぶ。
ギヤマンの色が、杉山の描く海の色ってくだり。
p137
「それに足すことの三や」
っていったまち子がかわいい★
p142
「小太郎、もう帰ってけえへんわ」
まち子は同じ言葉を同じ調子でつぶやくと、微笑みながら、こんどははっきりと自分から唇を寄せてきた。
きゅ~ん★★
登場人物がいいね!個人的にはかおるが大好き。
リバーみたいな店だったら持ってみたい。
Posted by ブクログ
昭和中頃、道頓堀川に間近い喫茶店リバーの店主武内と、そこに住み込みで働く邦彦を中心に、彼らに関係する様々な人々との間で起きた、様々な出来事が筆述された群像劇。
読んでいて自然に胸に浮かんだのは、濁世という言葉。道頓堀川の描写に使われる濁りが、人間世界にも入り混じっている感覚。
けれど汚濁ではなく、雑多な事象の重なりによる濁りで、それはどの場所にも、どの時代にもある一側面のよう。
事故で一本の脚を失った犬・小太郎が、この時期の、この地域の人々が、ぎこちなくしか人生を集めなかったことを象徴しているのだと思う。
大学生邦彦の青春譚であると同時に、中年店主武内の回想録でもある。けれど回想は、思い出の中に留まらず武内の現在にも残響として生き続けていた。
話があちこちの人々、あちこちの事件に飛ぶ中、ビリヤードの話が冒頭から末尾までを貫く背骨になっていて、最終場面で武内の涙で以て締め括られる。
皆が皆不器用なりに懸命に明日を求める姿に、前向きな気持ちになれた。
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決して恵まれた環境でないながらも、自分の腕や感覚を信じて生きなければならない。そんな人々で溢れている話。
貧困だからといって終始悩みに埋め尽くされているような悲しい話というわけでもなく、かといって力強く前進していく、という話でもない。ビリヤードの腕だったりコーヒーの腕だったりファンの多いゲイボーイやストリッパーだったりなにかひとつ特技はあるけれど、それでも何かに依らずに生きていけない。それを自堕落的な生活様態を送る者を出さずに表現しているところは見物。
Posted by ブクログ
人間の生きる上での芯みたいなのを宮本輝の作品を読んでいるとしばしば感じる。
この作品も同様だ。
これといった新鮮な設定でもないし、話の展開もそんな奇をてらったものではない。だけど生きていくうえで大切な、力強いものが文章から伝わってくる。作者が真摯な気持ちで、物語に、登場人物にむきあっているんだなぁと思った。不思議な気持ちでどんどん読み進めてします。
Posted by ブクログ
ひとりぼっちの大学生が、多くの人と関わりそして別れを経験すると同時にマスターにもまた息子を通して人生ドラマがある。人物設定や人間関係がまた先生らしさがでて和みます。ラストも良い。
Posted by ブクログ
色々な過去を持つ色々な人々の中で、それぞれがそれぞれの生き方を大阪の混沌とした街角で生きて行く、という話。
流されたり流されなかったり、将来に不安を抱きつつも、答えが見えそうで見えなかったり。
主人公のおじさんよりも、居候の学生さんのほうが心の描写に共感ができる。
Posted by ブクログ
映画は「まち子」に松阪慶子が大学生邦彦に「真田広之」が演じた。著者の宮本輝は学生時代に道頓堀沿いの喫茶店デアルバイトをしているので、その時の体験も作品に反映されている。
主人公は幸橋で「この橋の辺りから夜の盛りの時間に道頓堀の賑わいをながめると、人間にとって何が大望か、小望かが判ってくる」とつぶやく。