小説・文芸の高評価レビュー
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伊坂幸太郎さんの殺し屋シリーズの3作目
今回は兜と息子克己の家族が主軸。連作短編集的な物語だが繋がりがはっきりしており一つのまとまりのある作品。
今回の作品は前2作に比べて、特にポップで愉快に描かれていた。恐妻家としてめちゃくちゃ共感できる部分もあり、わかるわ、自分も同じような事を女房に言われているなって思いながら読んでいた。兜と一緒で嫌いとか嫌だとかではなく、自分の言動行動で機嫌を損なわしたくないという一心。明るく穏やかでいてほしいだけ。
かといってやり過ぎるとそれは違うものになってしまうので加減が絶対。文面からにじみ出る兜の行動言動の愉快さが自分の共感と重なりリンクする。
その言動行動は対人関係において誰の中にもあるものだろうと思う。それをポップにユーモラスに描ききっている作者は本当に素晴らしい。
伊坂さん風に書けば伊坂さんの両手を自分の両手で覆う様に取り、彼の目を見て大きく頷きながらガッチリと握手したい気分。
今作品は「愛」を強く描かれている。
妻と知り合い妻を愛し、息子を育て息子を愛す事で彼の持つ力は家族を守る為の強さへと変わっていったのだと読み取れる。
死んでなおその愛を継続している兜に胸を打たれる。
形は歪で一般的ではないけれど素敵な家族愛が溢れる作品だった。
新作「777」。前3作を読んでからにしようと積読を選択してよかった。3作通して本当に面白かった。期待値が上がりまくっている。 -
ルポ トランプ王国2 ラストベルト再訪
- カート
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試し読み
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Posted by ブクログ
さみしさが、読むほどに募る。
吐き出すことのできない、行き場のないさみしさ。
いっそあなたには、鳥になりたいと、遠くへ飛んでゆきたいと願ってくれと思う。
だがあなたは立ち去ることを選ばずに、静かに閉じてゆく。
その眼差しは自らの内へ、選んだことと選べなかったことの境目へと向けられる。
残されるのは沈黙だけだ。
ままならぬ、と独りごちる。
母親との関係、夫との関係、冷たい都市に満ちる閉塞感だけではない。
自分自身の心が、自分にとってままならない。
それでも、今ここにあるのは閉じ切った哀しみではない。
彼女たちの頑なさの内側に秘められたしなやかさ、自らを見つめる眼差しの確かさは、かりそめの地に根を下ろしながらも遠い光へ向かって枝葉を伸ばす若木なのだ。
暗闇と光へーその両方に向かって、身体を引き裂くようにして伸びてゆく。
本書は、遠く離れた地でそれぞれの孤独に生きるものにとって、密やかに、だが確かにつながっている、同じ時代を生きていると感じさせてくれる。
僕らは孤独な木ではない。
たとえ、言葉にする術を持たずとも、ささやかな葉ずれはきっと、あなたに、僕に届く。
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“木々が見ている方向はいつも、陽のあたる方だ。運動場のあの木は明るい場所で育ったおかげで円く堂々と枝を伸ばしたが、日陰に立つ木々の枝は例外なく切実に曲がっている。ある木は光の中で生まれ、ある木は日陰で生まれるのか。
だがいずれにしても、その葉は等しく青く輝く。
その葉は日差しに向かってまっすぐに伸びていく。“
ー「赤い花の中で」より -
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ネタバレ原告ゴリラ、被告動物園。こんな裁判なら何度でも傍聴したい。
裁判の顛末についてはフィクションとして楽しむべきだし、引用されていた判例もおそらくフィクション。
本筋は言語と意思の疎通にあるように感じた。
人間じゃない獣として扱われたローズが、人権を獲得し、人間として自身の行動を選択する。
弁護士に「君は弁護士になるには優しすぎる。僕みたいな冷酷な獣じゃないと務まらない」と言った言葉を受け取るラストシーンが印象的。直感的に「人間が獣を自称し、ゴリラが人間として扱われている」面白さを感じてしまったが、両者共に人間であることを思い直させられた。 -
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ネタバレ久しぶりに西尾維新を読み直して、この作品も二回目。少し記憶が薄まっていたけど、読後感がよかったことは覚えていた。二回目もよい気持ちになれた。もちろん戯言シリーズや世界シリーズほど中二心くすぐられないし、物語シリーズとか近年の作品に比べるとキャラ立ちが弱い。でもこれらの物語の理念を小説の中で、Uを通して、ひねくれものの肯定を読者に伝えようとしている。悪くいえば毒が抜けているようなのだけど、でも、毒の強い戯言シリーズや物語シリーズ、伝説シリーズなんかも最終的にはハッピーエンドもしくは肯定的な終わり方をする。前に読んだときは高校生位で上記のような肯定は無責任に思えたけど、社会人になって、少女不十分や他のシリーズの終わり方はひねくれものへの応援でもあるのだと感じた(自分がそうだっただけで他の人もそう感じるとは思わないけど)。そういう意味で読後感のよい作品だった。
一応高校生位の人に伝えておくと、ひねくれているのを無理に直す必要はない(というか直せるやつはひねくれない)。大人になったら丸くなるというのは、人や物事の距離感をつかんで許容値が増えるのもあるけど、色んなところで自分の能力を鑑みて諦めることを知るからである。それを成長と呼ぶか弱体化と呼ぶかは自由。でもひねくれているからといって周りのあらゆることに興味がないふりをするのはやめておいた方がいい。少し位は周りや周りから見た自分を省みるようにしよう。
ちなみに好きなシーンはUに今までの作品を読み聞かせるところ。呼んだことがない作品も多いけど、これはあの話か、とか、西尾維新はあのシリーズをこう捉えていたんだと懐かしさと新鮮さを味わえた。 -
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米澤さんのショート集。小説をずっと読んできたが、ここで随筆的、リラックスして力が入ってない文章もまた、素晴らしい世界観を与えてくれる。
サッカーの中村選手の引退会見で、原動力を聞かれて、うまくなりたいから、と答えたこと。そして、よそいきの理由がその次に続く、サッカーが好きだから。でも、うまくなりたいというのは、その仕事を続けるやっぱり原動力んだなと感じたという文章が印象的だった。誰しも、うまくなりたいじゃないですか、でもそれをうまくなりたいから続けて行くことって、結構大変だ。それは、好きこそ物の上手なれ、という慣用句にもあるとおりで、好きだからというのが理由なんだと思っていた。でも、うまくなりたいという衝動こそが、その原動力でいいんだという風に思うと、自分の仕事もまたそうなんだろう。スパゲッティの最近の復権を喜ぶ話もまた秀逸。パスタという言葉よりも随分前からスパゲッティはその市民権を得て、ロングパスタの代名詞として活躍してきたのに、なんだか古いという印象与えてだんだん肩身の狭い思いをし、言語的には淘汰されかかっていたという話。言葉に注目して世の中をみると、なんと面白いんだろうか。
キッチンというくくりの食に関するショートもなかなか。お米を炊くという行為を土鍋でやられているということも共通点ながら、冬瓜がすきというコラムでも四川飯店を想像させる。
もうひとつ、圧倒的な作品はマリオについて。なぜ、マリオが穴に落ちても、1−1のスタートからやり直せるのか、この自明とも言える事態を、シナリオ別に考察するというバカバカしい内容。でも、ぐっと引き込まれる。なぜなら、マリオが穴に落ちていく、このシュールな状況を、子供ながらにシュールだなと思っていたからだ。
日常の日の当たっていない、面白いことに光を当てるエッセイ的な要素を談話集として集めた素敵な作品でした。 -
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お金、順位、そういうものにとらわれないで生きよう。肩書き、出世、そんなちっぽけな話はどうでもいい。また、そこにこだわれば自分らしさをときに失う。自分を裏切らない生き方が大事だ。他人にコントロールされている状態を忙しいという。確かにその通りで、実際に自分で自分の足取りをコントロールすれば、それは自分のペースになる。ただ、それが早いか、遅いか、世界とどう関連していくか、である。休暇が好きなのは、休暇によって無になる瞬間があって、その瞬間は、自分にとって仕事のモチベーションや、前に進める原動力となっているからだ。休みばっかり優先して仕事がおろそかになっている、そんな人は評価されるはずもない。休暇をとっているのに休んでたんですね!存在感ありすぎて、休んでないかと思ってましたというくらいがいいのかも。主体的に生きていれば忙しいなんてことはない。ただ、いろいろな人のエクスペクテーションってあるわけで、それを満たそうとして忙しくなることってあるわけで、そういう忙しさを楽しめるかだと思う。
遅刻したら素直に謝る。遅刻は、相手の時間を奪っていることだからだ。というのは本当にわかる。上司と合わなくても、ちゃんと言葉にすること。慎重にとかいてあるところが松浦弥太郎さんの真骨頂と言えるだろう。素敵にやったらいいじゃないと。仕事と家庭のバランスも、完全にうまくはいかない。いまはこれを選択するということをしっかり決めて、もう一方にも心配りを忘れずに。いま、大切なのは何か?に集中する。好奇心と行動力。氏の英語を聞いたことがないのだけれど、ニューヨークに渡ったエピソードがあるくらいだから、喋れるのだろう。英語で大事なのは、気持ち。拙い英語でも何度も伝えることが大事。英語が堪能でも気持ちが伝わらなければ意味がない、彼の持っている気持ちが通じること、の意味を語学にも当てはめている。
きちんとしている日もあれば、そうでない日もある。それを含めて、人は生きている。
何もしない休日だって、人が生きていく上で必要なんじゃないのか。活動することが常に正ではない。確かに、コンドの部屋から外を眺める。素敵な曲をラジオで聞いたので、耳コピでちょっとギターを触ってみた。コーヒーを淹れる道具を変えてくれた。めちゃくちゃ美味しくなった。サラダを作って、レコードをかけ、体を揺らしながら、レタスを洗い、アボカドをきる。ドレッシングはいつものライムとオリーブオイルと塩だけのシンプルなもの。夕暮れ時、思う。幸せってのはこういうことなんだろうなと。松浦弥太郎さんは、村上春樹の小説にすごく感性が似ていると思っている。日常のキラリと光る瞬間を捉えて、そして教えてくれる。ニューヨークの街はいつもそうだったから、意味がすごく良くわかるんだ。55と54の間、8アベを抜けたところに夕暮れが差し込み、美しい街並みが浮かぶ。セントラルパークの手前で、うっとりと眺めた夕日を、松浦さんの文章を見ていると思い出す。何かをしないといけない、というこの強迫観念を捨てるべきというのが本書の趣旨の一つのようだ。アメリカでは、安全とお金以外は、固定観念を捨てられたように思う。相手をぶちのめすことが正で、ぶちのめされたら負けて、マンハッタンから退出する。それだけだ。固定観念なんか最初から必要ない。本を読むことは、自分の世界を少しずつ広げること。本当にそうだと思う。
人と価値観が合わない、空気が読めない、人間関係で悩んでいる人がおおいのだろう。価値観が異なる人と、感性が会うことで一緒にいたいと思えるようになる。つい、自慢してしまいたくなる人、自分にコントロールできることは、感情・行動・対応であり、それ以外は捨てる。
あとがきにあるように、自分の選択したことが、自分の中から出てきたものなのかが大事だ。自分という唯一無二の存在が選んだ選択、きっとそれは今日何もしなかったとしても、1日だからであって、それが悪いとか、えらいとかえらくないとかも関係ない。おそらく、ありのままを受け入れる仏教的な思想にも通じるところがあるなと思った。杉本博司さんのエキシビジョン、Form is Emptinessもおそらくそういう思想があるんだと思う。未来、将来、そこへの一歩は自分で決める。積み重ねたそのさきに、自分がいるんだろうからね。
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