角田光代のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
10篇のそれぞれの登場人物は、
それぞれの居場所にずっと違和感を持っている。
こんなはずじゃなかった。
でも、あっという間にここまで来てしまった。
そもそも、自分にここ以外の選択肢なんて
なんにもなかったんじゃないか。
こないだ読んだ荻原浩さんの「あの日にドライブ」では
主人公は銀行を不本意に辞めて、
タクシー運転手になった。
あの人も、こんなはずじゃなかったと思いながら、
最後にはこの場所で頑張ろう、と希望の兆しを見せて終わった。
トリップの登場人物には、そんな希望はない。
長く長く続く絶望。
でも、現実はこんなものじゃないだろうか。
絶望の中で希望を見いだせる人は、たくましいけれど。
短編集 10篇
光文社文庫 270ページ -
Posted by ブクログ
すごく好き。
「どんなこともいつか懐かしくなる日がくるわ」
なんだか泣きたくなって、そんな気持ちになる自分が嬉しい。
絶対また時間をおいて読み返す。
超弩級の恋は足りないから超弩級になるんだと思う
自分が好きだと思うのと同じだけを、相手がかえしてくれなくて、あるいはかえしてくれているようには思えなくて、それで、どんどんどんどん、好きが吸い取られていって、きづいたらとんでもないくらいの好きになっているんじゃないかな
なくしたものばかりだ、と、二袋目の写真を見ながら、わたしは思う。落としてしまったもの、なくしてしまったもの、置き忘れてしまったもの、いなくなってしまったもの。写真はそれらで満ちている。
ここで笑っている友だちと、連絡が途絶えたのはいつだろう?
あんなに大事にしていたこのピアスを、どこで落としたんだっけ? -
Posted by ブクログ
キラキラした時代を引きずりながら、30代の今を悶々と生きる3人の女性たち。
仲良し3人組のはずだけど、みんなそれぞれ他人に対する思いがあって、3人それぞれの思いも分かって(読んでると)、それがすごくいいなと思った。
3人とも流されながら、時に無茶苦茶に生きてるんだけど、最後の最後で言葉を超えたところで分かってしまうのが良いよね。
三者三様の生き方や思っていることに、ああ、これは小説でしか描けないよなぁと思いながら、一気に読んだ。
あとがきに、これはずっと忘れられていた小説で、時が経ってしまってもう自分には直せないと思ったと書いていた作者に好感を持った。
自分には、キャラクターが自由に動いたという経験がない、いつも悩みながらどうにか動かしている、と書いていた作者も好きになった。 -
Posted by ブクログ
「明日も一日きみを見てる」の前作ということで、トトちゃんとの出会いからチビちゃんの時代のエピソード。
特に印象的だったのは、トトちゃんと出会う前と後で自分が変わったというエピソード。私も愛猫を迎えてから同じような変化を実感しているので、とても共感できる内容だった。
「猫は、全世界の猫となるのである。ノンフィクションの現在ばかりではなく、過去未来フィクションまで含む、全世界だ。一匹の猫によって、私たちは、全世界の猫の幸福を祈るに至る。たかだか一匹の猫なのに、その威力は、ものすごいのだなあとあらためて思う。」
まさにその通りで、一匹の愛猫を慈しむ気持ちが、いつの間にか世界中の猫たちへの深い愛情へと広がっていく感覚は、飼い主なら誰もが経験することではないだろうか。
私も愛猫に「うちにきてくれてありがとう。私に会ってくれて、ありがとう。」と声を大にして伝えたい。
猫との出会いがもたらす人生の豊かさと、その存在がどれほど大きな影響を与えるかを改めて感じさせてくれる、温かい一冊でした。 -
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今のZ世代は何不自由なく生活出来ている人が多いように感じる。その何気ない生活が、どんな想いで紡がれてきたものか垣間見ることができた。正直、先祖にたいしてなんとなくの敬いはあったが、具体的に敬うことはしていなかった。今の幸せを作ってくれた先祖、そして両親にもっと感謝して過ごしていきたい。
また、逃げることの大切について。
そのときは確かに恥ずかしさを伴う行為かもしれない。しかし、疑問を感じることに対して命がなくなるまで戦い続けるのもどうかと思う。だから、一旦逃げ、そして未来を頑張って生きて、逃げた過去に意味を持たせる。そうすることが重要なのかな。 -
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撚り合わせた糸のような作品だと思った。
みのりの現在、みのりの学生時代、清美の話、それぞれが層のように重なるのではなく、糸のように撚り合わさって最後のシーンに集約されていったと思う。
すべての描写に無駄がなくて圧倒された。
小説にここまで付箋付けて読んだのははじめてで、とにかく「ここ、覚えておきたい」「このシーンも後で読み返したい」のオンパレードだった。
それは、私がみのりのように「何かしたほうがいいとは思ってるけど、なにもできない」と感じているからかもしれない。
世界はきれいでもなければ、絶対的な正義も存在しない。目を背けたくなる現実ばかりだし、知らない方がよかったとも思うことがあふれてる。
でも、それでも「なにかしなきゃ」って気持ちが持てるのが人間の希望だなって思う。 -
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「帰りたいよぅ」
祖父が死んだあと、祖母が子供のような声で言った。ここから、中華料理店を営む親子三代の“根っこ”を探す旅が始まる。
祖父母は自分が生まれた時から“おじいちゃん、おばあちゃん”であり、両親は“父さん母さん”で、性の意識すら無い。
でも、間違いなく男女であり、自分と同じ年齢を経て今に至る。
人生は“簡易宿泊所”のようだ。
なぜここにいるのか、いつまでいるのか、ここを出てどこへいくのか……
「だってあんた、もし、なんてないんだよ。後悔したってそれ以外にないんだよ、なにも……」
その言葉は妙に重い。
「翡翠飯店」は世紀を超えて紡いでいく。
根など無くても紡ぎ続けることはできる。 -
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角田さんも穂村さんも大好きで興味を持った本。
角田さんは女性として、穂村さんは男性としての意見を交互にやりとりして進んでいく。
こういう女性が多いかもしれないけど自分は違うとか、もてる男性はこうだが自分にはできないとかいう話題も出てきて、男女の違いを紐解くという面白さももちろんあるけど、ただ角田さんと穂村さんが恋愛観について意見を交わし合うという意味でもすごく興味深かった。
特に印象に残ったのは次の二つ。
一つ目は、「もてる」というのは対人的な「スペース」、つまり「隙」が関係しているのでは?という考察。
隙、確かに大事だよなぁ、わかるわかる。
学生の頃からもてるのは、狙った獲物は逃さないようなギラついている子より、「なぜか可愛く生まれちゃったの」と言わんばかりに無垢を武器にしている子だった。
男子の場合は、「もてたい」を全面に出してもてる子もいたけど、それは自分の欲を露わにして腹を見せることで生まれるオモシロ系の隙によってもてていたんだと思う。
以前穂村さんの作品を読んで、「穂村さんって年を重ねるごとにもてる気がする」みたいな感想を書いたのだけど、それも完全に「隙」だ。
もてたい!という必死感が年を重ねるごとに薄れていって、いざ好かれると、こんな自分の何が良いの?って不安に感じてしまいそうな穂村さんってめちゃくちゃ隙がある。好き。笑
二つ目は角田さんの「自分をふった恋人が別れた後、幸せになって欲しいか、不幸になって欲しいか」という話。
角田さんは不幸になって欲しいと思ってしまうという話から、以下の文章が続く。
『私にとって、小説を書かせている部分と、その、ふった恋人の不幸を願う部分は、かかわり合っているというだけのことだ。自分でもうまく説明できないのだが、私が小説を書こうと思い、書き続け、なお書きたいと願う、その核の部分は、きらきらしたまぶしい正のものではなくて、黒くてゆがんで湿った負のもの、という気が、どうしてもしてしまうのである。』(p129)
ここを読んで私はため息をついた。
私が角田さんの小説を好きな理由がここに全部つまっている気がする。
角田さんの胸の内に渦巻いている負の部分が原動力になって生み出された小説、そして今後生まれる小説。
まだ読んでいない作品も含めて、これからたくさん読むことができるって幸せだなぁ。