本作は短く読みやすい一方で、捉えどころが難しい小説だと感じた。明快な起承転結や劇的な展開があるわけではなく、提示されるのは25歳OL丸山の現実と14歳中学2年丸山の事実である。
そこに明確な意図や教訓、学びを求めること自体がナンセンスであり、実際にそういったものはほとんど読み取れなかった。
14歳と25歳の丸山は、別人のようでいて本質的には変わっていない。
特に印象的だったのは、25歳になり仕事を辞め、アジアを旅したことで「世間に溶け込めるようになった」と自己評価しているにもかかわらず、依然として一人で公園でランチをとり、自ら積極的に他者と関わろうとしない点である。
世間的に「浮いている自分」に対して、気を遣わずに接してくれる三上には心を開く一方で、旅先で再会した新田に対しては自分から関係を築こうとはしない。しかし、誘われれば応じ、手紙をもらえば関係を続けたいと思う。
その姿はかつての犬山たちとの関係性と本質的に変わっていないように見える。
つまり、考え方の上では変化があったとしても、行動のレベルでは何も変わっていないのである。世間的な「正しさ」を理解することと、それに寄り添い、実際に振る舞いを変えることの間には大きな隔たりがある。本作はそのギャップを埋めたり、克服することなく、ただ提示している。
中学の頃に新田が言った「待っているだけでは何も与えられない」という言葉は、その構造を端的に表していると感じた。
本作に強く感情移入できたのは、自分自身の他者との関わり方と重なる部分が多かったからだ。
私も一人で公園でランチをとるし、学生時代にはいわゆる「量産型」を嫌い、長髪にパーマをかけるなど、周囲と距離を取るような選択をしていた。
現在ではそうした価値観は薄れ、他者をフラットに受け入れたいと思うようになった一方で、自分から関係を深めにいくことは少ない。職場でも、仲良くなりたいと思える相手に出会うことは少なく、飲み会にも積極的には参加しない。「適度な距離感を保ち、フラットに受け入れたい」と思うが、あくまで「受け入れたい」という受動的な態度を取り、その距離を自ら縮めようとはしていない。
このように、本作には強く共感できるが、だからといって今後の指針が得られるわけではない。むしろ、「自分もまた同じ構造の中にいる」と再認識させられるにとどまった。
最近になって人付き合いの悪さを自覚し、改善の必要性も感じてはいるが、結局のところ大きく変わることはないのかもしれない。であれば、無理に変わろうとするのではなく、自分が関わりたいと思える人、そして自分に関心を向けてくれる人と、心地よい距離感を保ちながら関係を続けていくのが自然なのだろう。
本作は、そうした自分の在り方を肯定も否定もせず、ただ提示してくれる作品だった。