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大学4年生になっても就職活動もせずマンドリンサークルで練習に打ち込む小笠原。彼女が演奏する音楽というものには常に終わりの予感が漂うけれど、大学のサークルという小さな輪の中では絶えず人間関係が堂々めぐりを繰り返し、合奏は永遠に終わらない。そんな青春の切ない痛みを描き出した傑作小説。(講談社文庫)
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Posted by ブクログ
私も小笠原と同じ。私は小笠原だ。 あぁ、私はあの時あの瞬間から長い終わりが始まってしまったんだなと思いながら、読んでしまいました。 何度読んでもおもしろい。
これはにがい 未熟で幼稚な人間をこれでもかというくらい真っ直ぐ捉えて書く その未熟さ故に譲れない部分がコミュニティの欺瞞だったり、狡猾さだったりする でも、それは自分も持ってる その持ってる事も逸らさず書く だから苦い ナイフの様な鋭いナオコーラ節に戦慄する 田中という男子大学生を好きになった...続きを読む小笠原 マンドリンサークルの仲間の二人 コミュニケーション能力の低い小笠原はサークルでも浮いている 男子学生からは浮く田中 でも、田中はそのコミュニケーション能力の低さを可愛さに変えて女子の仲良くする狡い奴 恋に幼稚で魅力のない小笠原をいいように利用する田中は本当に狡い でも、小笠原も負けてばかりじゃない ナオコーラさん独特のフェミニズム論が愉快だった セックスの終わりは男の射精ではない 能動的に女子が決めてもいいんだ この辺りのかっこよさが好き 音楽をするのが目的ためのサークル活動の手段が自分をどう見せるか?社会でどう生きるかという目的にすり替わる矛盾 人間がよく陥る矛盾の書き方が上手い 明確な終わりは自分で決定できないからこそ長い終わりが人生だと言える ナオコーラさんの感性鋭さ 平易な言葉で心を抉られる 誰もが覚えのある苦さではないでしょうか 完敗
あらすじでピンときて購入。 中身はあまり濃くないけどところどころにはっとするようなフレーズがあって面白く読めた。 物語の終了後、小笠原さんは真っ直ぐすぎて周囲に馴染めないままメンヘラになっていきそうである
タイトルとジャケットで即買いしてしまった一冊。大学のサークルというひとつの特殊な輪の中で、主人公が鋭敏な感覚で嗅ぎ取っていく、「長い終わり」の予感・・・簡素な文章がリアルで、胸がぎゅうとなる。
あなたが『学生生活で、一番力を入れた』ものはなんだったでしょうか? 大学生活の四年間、長いようで短いこの時間に何をするか?それは、まさしく人それぞれです。大学での学びに高校時代までの勉強とは全く別物の面白さを感じてのめり込んでいく人もいるでしょう。そうではなく、大学の外の場で卒業後も見据えた何かに...続きを読むのめり込んでいく人もいるでしょう。そして、高校時代までの義務としての部活動ではない、好きだからこそのめり込むサークル活動に居場所を見出す人もいるかもしれません。 四年もある大学生活も過ぎてみれば短いものです。大学三年には実質動き出さないわけにはいかない就職活動はそんな時間をさらに短くもしていきます。長い人生を見据えれば見据えるほどに、それはやむを得ないこと、もしくは長い人生だからこそ、就職活動を大切にする、そんな考え方をすることが決して間違いとはいえないでしょう。なかなかに人生を生きていくことも大変です。 さて、ここに、『就職活動を優先させている人たちを尻目に、自分はサークルに皆勤していた』と、所属する『マンドリンクラブ』での活動を何よりも大切に考える一人の女子大生が主人公となる物語があります。『先のことなど考えずに、その都度その都度の風景に夢中になることしかできない』と思う主人公の思いが切々と伝わってくるこの作品。『マンドリンに夢中になって今のうちに死んでもいいのだ』と思い詰める主人公の心の叫びを聞くこの作品。そしてそれは、『今しかできない大事なこと』という言葉の重みを彼女の青春に見る物語です。 『車道側に傘、歩道側に自分のマンドリンケースを持って』、『明治通りを歩く』のは主人公の小笠原。『坂道を上が』り、大学へと着いた小笠原は『エレベーター乗り場で』『同学年の田中と宮島と、すれ違』います。『仏語の辞書持ってない?』と訊く小笠原に『持ってない…』と返す宮島。そして、田中も交え『履修登録期間』に向けた情報交換をした三人。そして、『やってきたエレベーターに乗り込んだ』小笠原は『おめでとう』と『扉が閉まる直前に』田中に言われ『田中こそ』と返しました。『二十二歳になったばかり』という田中と小笠原は『入学したての、初めて会話したときに』誕生日が一日違いであることを知りました。『さっきの「おめでとう」はハッピーバースデーの意味であろう』と思う小笠原。そして、『授業を聞き終えて、一号館の地下へ下りていくと、すでに大方のメンバーが揃って』いました。『年に二回、コンサートを開く』『このサークルは』マンドリンを中心とした『オーケストラ編成で演奏を』する『全部で六十人ほど』のメンバーで構成されています。『このサークルで一番弾けるマンドリニストになった』と自負する小笠原ですが、『主席奏者になることはでき』ませんでした。『肩書きのない立場でサークルを続けていくのは難しい』ものの『ヒラの立場で残』り続けている小笠原。そんなある日、コンダクターをしている田中に『指揮者って興味ある?』と訊かれます。そして、『今度うちに遊びに来なよ』、『指揮者のDVDを見せてあげる』と言われた小笠原は『日曜日に田中の家へ遊びに行く約束を結』びます。『日曜日、JR京浜東北線川口駅で降り』田中と会った小笠原は、田中の『ママチャリ』の後ろに乗ります。『まず、昼ごはん食べよう』と言われ『町の中華料理屋』へと入った二人はギョーザやレタスチャーハンを食べます。『好きな人とごはん食べるって、おいしいんだね』とつぶやく小笠原ですが、『会話に隙間ができ』てしまい、黙々と食べます。『少し経ってから、「オレ、性格悪いよ」』と『田中がぽつりと言』います。それに『性格は悪くてもいい…頭がいい人が好き』と返す小笠原は『…田中が好きなんだ』と言うも『もう田中は小笠原と目を合わせてくれ』ませんでした。そして、田中の部屋へと着いた二人。田中は、DVDを再生し、椅子に座ったまま指揮する人や、歌いながら指揮する人の映像を小笠原に見せながら解説を加えていきます。また、『スコアを本棚から出して小笠原に持たせ』る田中は、『この曲は、終わり出してからが長いんだよ。ほら、終わっていく感じがし始めたでしょ?』と説明します。『ここはまだ、終わりが始まったばかりなんだよ』と続ける田中に『「長い終わりが始まる」って、小説のタイトルにしたいくらいだね』と返す小笠原。その後、『夕飯を食べよう』と『駅前の焼き鳥屋に入った』二人。そんな中で、『泊まってけば?』と訊く田中に『なんで?』と返す小笠原。『なんにもしないから』と続ける田中は、母親が『今日、帰って来ない。仕事で』とも付け加えました。『男の子と二人で泊まるということを』『したことがなかった』という小笠原は、『今まで恋人がいたためしが』ありません。そして、田中の部屋に泊まることになった小笠原に…という展開の先に小笠原のマンドリンを中心に回る大学生活が淡々と描かれていきます。 “大学4年生になっても就職活動もせずマンドリンサークルで練習に打ち込む小笠原。彼女が演奏する音楽というものには常に終わりの予感が漂うけれど、大学のサークルという小さな輪の中では絶えず人間関係が堂々めぐりを繰り返し、合奏は永遠に終わらない。そんな青春の切ない痛みを描き出した傑作小説”と内容紹介にうたわれるこの作品。少し長めに内容紹介を抜粋しましたが、下手に修飾を入れるよりもシンプルにこの作品の本質を表した上手い表現でまとめられていると思います。そんな末尾に記されている通りこの作品は紛れもない”青春小説”です。しかもそんな物語を熱く描くのではなく、山崎ナオコーラさんらしく極めて淡々と描写していくところが独特な後味を残します。では、そんな作品について山崎さんらしい独特な表現をまずは見てみたいと思います。 ・『こういうマンホールの蓋へ、雨上がりにゼラチンを撒いたら、ぺらぺらのゼリーができるだろう』。 → 一見意味不明な表現ですが、実はこの一文がこの作品の冒頭に置かれている一文なのです。いきなり『こういう』と始めるのも凄いと思いますが、『雨上がりにゼラチンを撒』くという感覚は飛び抜けているように思います。この作品では、この比喩を、『人間も同じようなもので…』ともっていくのですが、物語世界に一気に連れて行ってくれる絶妙な冒頭だと思いました。 ・『抑制のない会話は、休符のない音楽と、同じだ』。 → 小笠原が田中のある事情を勘違いしていたことを知る場面で登場するのがこの表現です。この作品の主人公がマンドリン弾きであり、音楽を描写する場面も多いことに合わせて『休符のない音楽』という表現を登場されたのだと思いますが、物語世界を一つの同じ雰囲気感で上手く繋いでくれていると思います。 ・『アパートへ着くと、郵便受けに電気代の請求書が入っていて、失恋した人からもまんべんなく徴収するのか、と電力会社のやり方に疑問を覚えた』。 → 比喩というわけではないですが、『電気代の請求書』というものでこんな風に感情のあり様を表す素材として使うのはとても面白いと思います。だからといって、小笠原がクレーム電話をするわけではなく、悶々と自分の中に抱え込んでいくわけですが、リアルな表現よりも遥かに小笠原の感情が伝わってくると思いました。 また、小笠原がこだわるマンドリンについて触れられていくのも見逃せません。あなたは、マンドリンという楽器にどんな印象を抱いているでしよか?イメージとしては、ギターの延長線上にある楽器?という気もしますが、その奏でる音色は全く違いますし、作り出す音楽もギターの世界とは全く別物だと思います。 『語源は、「アーモンド」だという』マンドリンは『アーモンドを半分に割ったような丸っこい弦楽器』です。 そして、 『イタリア生まれのこの楽器は、明治時代にやってきて以来、日本で演奏人口が増え、今では世界で一番多いほどに弾かれるようになった』。 そんな豆知識も語られていくマンドリンのサークルで日々音楽と接していく主人公・小笠原。他にも音楽のある日常のさまざまな風景が語られていきます。 『コンサートにはきれいなパート譜を用意するのが、通例だ』 といった『写譜』の様子。『スコアを写してパート譜を作るのを、パートのメンバー内で手分けしてやる』という『写譜』ですが、 『パソコンできれいに作る人もいれば、小笠原のように手書きで写していく人もいる』 という実態が語られます。このあたりにメンバー個々の性格が現れてもいくのだと思いますが、 『どんなやり方でも、写譜者は、譜面の中にふざけたコメントやイラストを混ぜて、パートメンバーへの愛を伝えようとするものだ』 そんな風にまとめられる通り、『コンサート』で使われるものだからこそ、そこにかけられる愛情を感じますが、音楽サークルを描いた”青春小説”ということでの醍醐味をこのような部分にも感じることができるように思いました。 そんなこの作品は最初から最後まで一貫して小笠原視点で展開していきます。一方で、表現は常に『小笠原は、女の子と行動を共にせず、男の子たちと喋るようになっていった』というように、小笠原のことを第三者的に捉える文体です。結果として極めて淡々とした文章が続くのがこの作品の特徴だとも言えます。『将来のために音楽をやっているのではない』、『たとえ趣味でも、芸術の問題なんだから、真剣にやろうよ、そう言いたい』とマンドリンという楽器に誠実に向き合い音楽を奏でる今を大切にする小笠原。 『音楽って、今しかできないことじゃんか?毎日、ひとりでマンドリンのことばかり考えてる』。 大学四年になり周囲が就活に重心を移していく中でも一人マンドリンに向き合う姿勢に変化のない小笠原。そんな小笠原は、一方で、上記でも触れている通り、田中のことが気になっています。 『田中が好きなんだ』 そんな風に本人の前で田中を見るのに目を合わせようとしない田中。そんな田中との関係の行方が気にもなる中で、時は歩みを止めてはくれません。確実に小笠原の大学時代は終わりへと向かっています。『日本文学の授業で、「小説や音楽のような、時間性のある芸術は、必ず終わりの予感があるものである」と習った』という小笠原ですが、 『終わりの感覚が分からない。終わってない、全然終わってない、とずっと感じ続けている』。 小笠原は『終わり』というものがどういうことかを追い求めてもいきます。それはこんなところにも現れます。 『セックスって、いつが終わりなのか、分からない』。 『男の生理感覚に偏って成立しているセックス文化は、おかしい。射精でなんか、セックスは終わらない』。 淡々と描写されていく物語だからこそ、大学生の青春が逆に浮かび上がっても来ます。そして、それでも必ず『終わり』がやってくる小説の結末。「長い終わりが始まる」という書名を思い起こしもするその結末。そこに山崎さんは、やはり淡々とした結末を用意されます。だからこそ、読者の中にこの作品が紡ぎ出す青春の感情のあり様が深く刻まれるのだとも思いました。 『将来に繋がる就職活動よりも、先のないサークル活動に力を注ぎたい。恋人ではない男の子と音楽を作ることが、ストイックで、刹那的で、高潔な活動で、今しかできない大事なことなのだ』。 そんな強い思いの先に、『今だけ生きて、あとで死にたい』と思う主人公の小笠原。この作品では大学四年の青春を生きる小笠原の今を大切にする生き様が描かれていました。マンドリンという楽器が物語に効果的な世界観を与えていくこの作品。切なさともどかしさが同居するような物語展開にいつか引き込まれていくのを感じるこの作品。 山崎さんが紡ぐ独特な世界観の物語の中に静かに青春の意味を思う、そんな作品でした。
大学生のころの、岡山大学文化棟の様子を思い出しながら読んだ。 学生が主人公の小説で、学園が出てくる物語を読んでいると、メタな視点から自分と重ねるでもなく、空気感とか言葉にならなかった感覚、風景が浮かんでくるということが昔からよくあったことを思い出した。 修辞が華やかでなく、しかし描写の精度が高い...続きを読む小説は切実さにあふれていて、読後感は爽やかではないが読んでいてついつい夢中になる。
苦い。切ない。 小笠原ー。素直すぎていいとこも悪いとこも あるんだなー。 終わり方もとても好き。
大学時代の終わりは、急にやって来ない。でもみんないつか終わる。大学3回生の私は、今月サークルを引退し、来月最後の講義を受ける。あと1年、沢山の最後を経験して、私の大学時代は終わる予定である。主人公小笠原と同じく協調性の無い私は、サークルの活動方針や目的意識の違いに悩まされてきた。けれど彼女がわかって...続きを読むいるように、私もわかっている。何かに一生懸命打ち込むのは素晴らしいし、それはそれで認められなくもないけれど、結局はみんなと仲良くやっている人の方が平和なのだ。私たちは周りからしたら疎ましいことが往々にしてあるのだ。大学生活が終わるということを、一事実としてではなく、自分の感情の上で認識し始めた人に読んでもらいたい。
大学四年生になっても就活もせずサークルに打ち込む小笠原と、彼女の失恋までのちょっと切ない物語。やらなきゃいけないこともなんだかんだと理由をつけて避けてしまったり、素直になれないために何もかもうまくいかない日々に苛立ったり寂しくなったり、そんな描写がまさに同じ頃の自分と重なって胸がキュッとなった。終わ...続きを読むりを意識し始めた瞬間はいつもどこかセンチメンタルな気分にさせられる。
うまく言葉にできない、もどかしさを感じる。ちょっと淋しかったり。でも気にしないふりしたり。 確立してるつもりでいたあの頃。そして今現在。後から振り返ればいつまでも「まだまだ」なんだろうなぁ。
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