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「人生ってきっと、ワタクシたちが考えているより、二億倍自由なのよ」。中学に入ってから不登校ぎみになった幼なじみの犬井。学校という世界に慣れない私と犬井は、早く25歳の大人になることを願う。11年後、OLになった私だが、はたして私の目に、世界はどのように映るのか?14歳の私と25歳の私の今を鮮やかに描く文藝賞受賞第一作。
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Posted by ブクログ
ナオコーラさん初読。 神様ごっこをこっそり覗き見しているような感覚でどきどき。 三上さんとのやりとり、 犬井くんでなく、新田さんと再会したのもよかった。 旅をしていて、自分と向き合う瞬間を思い出した。 また読みたいな。
14歳と25歳の主人公が交互にえがかれる。 感受性が強く自意識過剰な中学生 。 その思いを捨てきれないまま大人になった主人公。 常識ってなんなのか、当たり前とは、建前とは。何のために生きるのか。 TOP5に入るくらいお気に入りに。
あなたは、未来の自分に思いを馳せたことがあるでしょうか? 一日いちにちの積み重ねが一年となり、二年となり、私たちは歳を重ねていきます。遠い未来のことだと思っていても、過ぎてみればそんな時代もあっというように時は過ぎていきます。それは特に10代、20代といった年代では殊更でしょう。大人になるなんてず...続きを読むっと先のこと、『そんな大人のことは、想像もできない』と思っていた未来も思った以上に早くやってきます。 そんな未来にはどのような景色が見えるのでしょうか?過去に想像はできなかったとしても、まさかこんな未来が?という景色がそこにあるのでしょうか? さてここに、十四歳の時代と二十五歳の時代を並行に描いていく物語があります。『二十五歳の自分』が想像もできなかったという十四歳の主人公を見るこの作品。二十五歳の主人公が過ぎ去った十四歳の時代を振り返りもするこの作品。そしてそれは、二つの時代を同時に描くからこそ見えてくる主人公の生き方を見る物語です。 『幼なじみの犬井幸太郎は中学生になって、一年生の終わり頃から、学校に来ない。ひと月ほど休んでいる。理由は知らない』という中に、『中学二年生に上がる日の朝、私は気まぐれで犬井を迎えに行ってみることにした』というのは主人公の丸山君枝。『犬井のお母さんはミャンマー出身の人』で『近所の人たちは彼女のことを「ニニさん」という愛称で呼んでい』ます。『ニニさん、おはようございます』と挨拶する君枝を『おはよう、迎えに来てくれたの?幸太郎を』と出迎えてくれたニニさん。『起こしに行って、いいですか?』と訊く君枝は家に招き入れられ二階へと上がります。『犬井、いる?丸山だけど』、『遅刻しちゃうわよ』、『今日、始業式でしょ?』と訊く君枝に、『前髪が変なの』と返す幸太郎。『ワックスで前髪上げたら?』、『やってあげる。開けて』と言う君枝がしばらく待つとドアが開きました。そして、幸太郎の部屋へと入った君枝の目の前には『きれいに整頓され』た部屋があります。『布団の中に入ってい』る幸太郎と『ワックスって?』、『髪を固めるの』、『持ってるの?』、『持ってない』と会話する中、『掛け布団の上から、犬井の隣に寝転んだ』君枝は『小さい頃から知っている男の子って、緊張しない』と思います。そんな幸太郎と会話する中に『制服、着るわ』と言い出した幸太郎。そして、ニニさんが用意してくれた朝食を一緒に食べた二人は、家を出ます。『久しぶりで学校へ行くのって、ドキドキするもの?』と訊く君枝に『地面がふわふわする』と答える幸太郎。そして、会話を続ける中に、『今すぐ、二十五歳になりたいわ』とボソッとつぶやく幸太郎。そんな言葉を聞いて『二十五歳の自分に思いをはせようと』する君枝ですが、『そんな大人のことは、想像もできない』と思います。 場面は変わり、昼休みの時間になったので、『パソコンの画面を閉じて、バッグから財布とケータイを取り出し、階段へ向か』ったところで『丸山さん』と『二歳年上で、二十七歳のミカミさんという男の人』に声をかけられた君枝。『また、階段で下りて、公園に行って、丸山さんはひとりで昼ごはん食べるんですか?』と訊くミナミに『階段で下りると、足を使うので、気分が変わるんです』と返す君枝ですが、『そうじゃないでしょ?当ててあげましょうか?エレベーターで下りると、他の人たちと一緒になって気を遣うから、嫌なんじゃないの?階段は、ひとりになれるから好きなんじゃないの?』と言われてしまいます。『来年は一緒に、お昼ごはんを食べようね』と続けると『階段から離れ、エレベーター乗り場へ行ってしまった』ミナミ。一方で、『十一階から地上まで、くるくると下りていく』君枝は『今度一緒に昼ごはんを、と、この三年間の間に、何度も言われたことがあったけれども結局、一回も食べていない』と思います。『私がこの会社にいるのは、あとひと月ちょっとだ。私は二月の初めに辞める予定だ』と思う君枝。そして、『二月の初め、引き継ぎも終わり、会社を辞める日、最後にガードマンさんに挨拶を』して会社を後にした君枝は、『もう誰とも会わない』、『読み合わせはなし』、『ガードマンさんにも会わない』と思います。『あるのはタイ行きのフライトチケットのみ。これからの人生に対する、二十五歳の私の手持ちのカードはゼロなわけだ』と思う君枝。そんな君枝のそれからが描かれていきます。 “中学に入ってから不登校ぎみになった幼なじみの犬井。学校という世界に慣れない私と犬井は、早く25歳の大人になることを願う。11年後、OLになった私だが、はたして私の目に、世界はどのように映るのか?14歳の私と25歳の私の今を鮮やかに描く文藝賞受賞第一作”と内容紹介にうたわれるこの作品。デビュー作「人のセックスを笑うな」で第41回文藝賞を2004年に受賞された山崎ナオコーラさんの二冊目の作品となります。 文藝賞を受賞された方でその後芥川賞を受賞された方は多々いらっしゃいます。それもあって私は同作のレビューでも山崎ナオコーラさんの作品は芥川賞っぽい雰囲気に満ち溢れた作品だと書かせていただきました。そんなデビュー作に続いて刊行されたこの作品も前作同様に印象に残る表現がたくさん使われています。この作品では自然を描写した表現を見てみましょう。 『海は相変わらずだ。分厚いカーテンをめくってレースのカーテンを揺らすみたいに、あるいは、スカートからパンツを見せるみたいに、波を次々と起こし、そして砂に溶ける。繰り返す繰り返す』。 学校への道を二人で歩く君枝と幸太郎という場面で描写されるのが『海』の様子です。『波』を描写する表現は他の小説でも多々あると思いますが、『レースのカーテンを揺らす』、さらには『スカートからパンツを見せる』と表現するのは極めて独特です。次は大人になった君枝が一人目にする光景です。 『サンセットは七時半。まるで火の玉だった。線香花火の終わりのような、火だるま。赤くなり、黄色くなり、膨らみ、周りの空をピンクにする。太陽が見えなくなったあとも、しばらく雲は燃えていた』。 こちらも印象的です。『サンセット』を『線香花火の終わり』に例えるこの表現。雄大な情景が見えてくるのを感じます。そして、こんな情景を見せる『サンセット』は実は日本ではないというところがこの作品のもう一つの読みどころです。この作品では、二十五歳の君枝が勤めていた会社を退職し、東南アジアを旅する様が描かれていくのです。『退社二日後には、タイ行きの飛行機に乗っていた』と『初めての海外旅行』へと旅立つ君枝。 『タイのバンコクにある、エメラルド寺院の庭を、日差しを受けて歩く。それから靴を脱いで、暗いお堂に入る。透き通る緑色をした、猫ぐらいの大きさの、エメラルド製仏像がある。それに向かって五十人ほどの老若男女がひざまずき、手を合わせ、祈りをささげていた』。 『エメラルド寺院』の通称で知られている”ワット・プラ・ケオ”を訪れる場面からそんな旅の描写は始まります。恐らく山崎さんは実際にこれらの場所を訪れたことがおありなのだと思います。 『また歩くと、大蛇がいた。飼育係の男の子が、私の首に巻こうとするので「ノー」と言って飛びのいた。恐ろしい。どこから来た?と聞くので、「ジャパン」と答えた。すると、「ジャパニーズ?彼女、ジャパニーズだってさ!」と、ふれまわる』。 街歩きの様子はこのようにとてもリアルです。私もタイを訪れたことがありますが、ここに描かれていく情景は自然とそんな時のことを思わせるほどに自然体で描かれていきます。 『タイには一週間近く滞在した。バンコクを出て、次はマレーシアへ向かう。バタワースまで寝台列車で移動して、そしてペナン島へ渡ろう。ゆっくりと旅行して、最後は、ミャンマーだ』。 そんな風に君枝の東南アジアの旅が描かれていくこの作品。『マレーシア』、『ミャンマー』とそれぞれの国の違いを感じさせる巧みな描写の中に、そこで生活する人たちの姿が見えてもきます。どこか”旅小説”の趣も感じさせるのがこの作品のもう一つの魅力だと思いました。 そしてもう一点、この作品には君枝が書く手紙が複数登場します。作品全体で合計179通もの手紙が登場する三浦しをんさん「ののはな通信」などの手紙で魅せる小説とは異なりますが間違いなく一つのリズムを作っていきます。一通だけ取り上げておきましょう。 『神様へ こちらは夏です。神様のところも夏ですか?蚊はいますか? 丸山君枝より』 はい、これだけだと全くもって意味不明だと思いますが、物語中、こういった手紙の描写が登場することで作品の印象には大きな違いが出てくると思います。これから読まれる方には、そんな手紙の登場にも是非ご期待ください。 さて、そんな魅力に満ち溢れたこの作品ですが、構成にもこだわりがあります。物語は、中学二年生になった主人公の君枝が、『一年生の終わり頃から、学校に来ない』という幼なじみの幸太郎を家に迎えに行く場面からはじまります。不登校問題を扱う物語と思いきや幸太郎は普通に登校をはじめ、物語は君枝の学校での様子を描く”学園物語”として展開していきます。そこには、青春を生きる中学生ならではの思いが多々込み上げます。 『クラスの女の子たちが造語で喋り合ったり、お互いを必要以上に誉め合ったりしてベタベタしているのをよく見かける。ちょっとしたことで歓声をあげて抱き合ったり、自分の考えを大事にすることよりも、協調性を持つことに価値を見出したり』。 『必要以上に女の子と仲良くしてこなかった』、『女の子に不慣れ』だと自身のことを思う君枝はなかなかに生きづらい日々を生きていきます。数多の小説にはこんな少女たちの悩み苦しみを描いていく作品も多々あり、それはそれで十二分の読み味を示す物語だと思います。しかし、この作品はそれだけではないのです。それこそが、幸太郎がつぶやいたこんなひとことの先にある世界です。 『今すぐ、二十五歳になりたいわ』 物語は、そんな言葉を現実にするかのように二十五歳になった君枝の姿を並行して描いてもいくのです。そうです。この作品は、十四歳 → 二十五歳 → 十四歳 → 二十五歳…と君枝の二つの時代を交互に描きながら展開していくのです。これは面白いです。十四歳の君枝はこの先の人生に今は想像ができないものの二十五歳の時代があることを認識しています。一方で二十五歳の君枝は、十四歳の時代を行きたその先に今の自分がいるんだということを思います。このように一人の人間の複数の時代を一つの作品の中に描く物語は他にもあります。しかし、それらは一般的にはいずれかの時代をまず描いた上で次の時代を別に描くという構成がなされていると思います。この作品のように二つの時代をそれぞれ現在進行形で並行して描いていく作品は珍しいと思います。そして、そんな物語は、十四歳、二十五歳、それぞれの時代の中で結末を迎えます。 『元来私は、好きな人に対して以外に、仲良くなる努力をする気が起きない』。 そんな君枝の二つの時代を切り取って描く物語。そこには丸山君枝という一人の女性が、いずれの時代にあっても『自由』を願い生きていく、そんな彼女の姿を映した物語の姿がありました。 『人生ってきっと、ワタクシたちが考えているより、二億倍自由なのよ』 そんな幸太郎の言葉に『自由』という言葉の意味を思う主人公・君枝を描くこの作品。そこには、君枝の二つの時代を交互に描くからこそ見えてくる物語の姿がありました。山崎さんらしい言葉選びを楽しめるこの作品。”旅小説”の楽しみもあるこの作品。 子供の頃、大人になった姿を自分はどう思い描いていたのだろうかと考えてもしまう、そんな作品でした。
なかなか良かった。カラッとした寂しさがある。 子供のころの(今思えば)奇妙なこだわりや焦りを思い出した。アジア各国の描写も良い。
14歳と25歳の主人公。宗教や他人との関わり、自分の思う価値観。旅行先での情景は自分の中でとても想像できて、頭の中でタイヘ旅行できました。山崎ナオコーラさんは心を動かされる言葉や文があって、今回も読んでよかったととても思いました。 個人的な話で、小学生の頃くだらない理由で『絶交!!』って言って絶交...続きを読むした子がいて中学時代は一切口も聞かなくんです。その子に成人式の時に数年ぶりに会って『あの時は若くて見栄張ってた、ごめん』と何年か越しに仲直りしたことを思い出しました。
ふわふわ不思議な読み心地。壁を撫でて歩いたり、コップの膨らみに魅力を感じたり。ナオコーラさん自身、世界に敏感で感受性豊かな人なんだろうなー、と。
14歳の思い出の私・丸山と25歳の現在の私のストーリーが並行に進んでいく。14歳の私は女の子同士仲良くしないといけないみたいな常識にとらわれるのが嫌いで、仲良くなりたい子には話しかけるけどそれ以外は無関心。25歳の私は相変わらず人付き合いは控えめでお昼もほとんど1人で食べていたが、もうすぐ職場を辞め...続きを読むてアジア諸国へ旅行しようと思っている矢先、同じ部署の2歳年上男性と食事をすることになる。思い出と現在が交差しながら自分自身を見つめたり、人との関わりを見直したり、神様について考えたりするという内容。私自身もあまり人とベタベタするのが苦手な方なのでなんとなく丸山の気持ちがわかるような気がした。(ちょっと丸山は偏屈すぎるけど。)犬井とも、鈴木くんとも、よくある恋愛関係にならないで友達のまま、職場のミカミさんともそんな関係にはならず、そんなとも良かった。誰とでも仲良くなれなくたって、別にいい。恋愛してなくたってべつにいい。もっと素直でいい。神様との手紙のやりとりとか、ミカミさんとの手紙とメールのやりとりが読んでて面白くて、誰かとこんなふうに会話出来るなら人生捨てたもんじゃないよなぁ、と少し羨ましかった。ミャンマーで犬井に再会するのかと思ったらまさかのあの人。彼女の手紙にグッときた。 ストーリーの進み方がジブリの『おもひでぽろぽろ』っぽかったので結末もあんな感じなのかと思ったけど違いました。面白かったです。
14歳の私と25歳の私。 いくつになってもいつでも、私たちは大なり小なり悩みを抱えて生きているのだ。そして、どんなに年齢を重ねていっても、自分という存在も人間関係もややこしいものなのだ。 きっと、犬井に会いたくて、ミャンマーを旅の終着地にしたはずなのに・・・出会えたのは・・・。犬井の14歳以降の歩...続きを読むみがとても気になってしまうのです。
山崎ナオコーラさんの文章は不思議。 いつも必ずドキッとさせられる。 薄暗い部屋のブラインドが上がって太陽の光が射し込んだかのような、3色刷だった世界がフルカラーになったかのような、そんな感覚。 見慣れた風景が輝きをまして、いとおしくなる。 私が立っていたのはこういう世界だったのか、と思う。 いいこ...続きを読むとばかりじゃない。 みんなのことが好きで、誰からも好かれて、そんな人間じゃない。 でも、だからこそ、心が通い合った時の喜びは大きい。 だからこそ、好きだと思える存在は愛しい。 神様との文通シーンが特に印象に残っている。 率直な言葉のやりとりがとても好き。 神様が「君枝ちゃんは、なんか、熱いよね。」って手紙に書くのを想像して、神様なかなかいいノリだなぁと嬉しくなる。 誰かが神様のふりをして書いてても、本当に神様が書いてても、どっちでもいい。 でも、この人が書いてたら1番嬉しいかもなと思う人はいる。 だから私の脳内ではその人が手紙を書いたことになっている。 本当にいい加減だけど、私の生きている世界は結局私の目と耳と手と鼻と口と足と‥、とにかく私の体が感じた世界だ。 そこを抜け出すことは出来ない。私のままでは。 だからいいんだ。 私の世界に存在する『浮世でランチ』では、こういうことになってます。そう胸を張って言おう。
なんだか、定期的に読み返したくなる本。 単行本購入時に、帯に書かれていた「明日の私は誰とランチを食べるの」が最近ぐるぐると頭を巡って、久しぶりに手に取った次第。 デビューから二作目ということもあるのか、ナオコーラさんのストレートな書きっぷりが気持ちいい話だなぁと思う。 ぎゅっと、胸をつかまれる言い...続きを読む回しもあって、付箋たてたくなる。 三上さんが、最初に読んだ頃よりも好きになってる。
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