【感想・ネタバレ】浮世でランチのレビュー

あらすじ

「人生ってきっと、ワタクシたちが考えているより、二億倍自由なのよ」。中学に入ってから不登校ぎみになった幼なじみの犬井。学校という世界に慣れない私と犬井は、早く25歳の大人になることを願う。11年後、OLになった私だが、はたして私の目に、世界はどのように映るのか?14歳の私と25歳の私の今を鮮やかに描く文藝賞受賞第一作。

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ

ナオコーラさん初読。
神様ごっこをこっそり覗き見しているような感覚でどきどき。
三上さんとのやりとり、
犬井くんでなく、新田さんと再会したのもよかった。
旅をしていて、自分と向き合う瞬間を思い出した。
また読みたいな。

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2015年12月15日

Posted by ブクログ

14歳と25歳の主人公が交互にえがかれる。

感受性が強く自意識過剰な中学生

その思いを捨てきれないまま大人になった主人公。
常識ってなんなのか、当たり前とは、建前とは。何のために生きるのか。

TOP5に入るくらいお気に入りに。

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2012年11月27日

Posted by ブクログ

あなたは、未来の自分に思いを馳せたことがあるでしょうか?

一日いちにちの積み重ねが一年となり、二年となり、私たちは歳を重ねていきます。遠い未来のことだと思っていても、過ぎてみればそんな時代もあっというように時は過ぎていきます。それは特に10代、20代といった年代では殊更でしょう。大人になるなんてずっと先のこと、『そんな大人のことは、想像もできない』と思っていた未来も思った以上に早くやってきます。

そんな未来にはどのような景色が見えるのでしょうか?過去に想像はできなかったとしても、まさかこんな未来が?という景色がそこにあるのでしょうか?

さてここに、十四歳の時代と二十五歳の時代を並行に描いていく物語があります。『二十五歳の自分』が想像もできなかったという十四歳の主人公を見るこの作品。二十五歳の主人公が過ぎ去った十四歳の時代を振り返りもするこの作品。そしてそれは、二つの時代を同時に描くからこそ見えてくる主人公の生き方を見る物語です。

『幼なじみの犬井幸太郎は中学生になって、一年生の終わり頃から、学校に来ない。ひと月ほど休んでいる。理由は知らない』という中に、『中学二年生に上がる日の朝、私は気まぐれで犬井を迎えに行ってみることにした』というのは主人公の丸山君枝。『犬井のお母さんはミャンマー出身の人』で『近所の人たちは彼女のことを「ニニさん」という愛称で呼んでい』ます。『ニニさん、おはようございます』と挨拶する君枝を『おはよう、迎えに来てくれたの?幸太郎を』と出迎えてくれたニニさん。『起こしに行って、いいですか?』と訊く君枝は家に招き入れられ二階へと上がります。『犬井、いる?丸山だけど』、『遅刻しちゃうわよ』、『今日、始業式でしょ?』と訊く君枝に、『前髪が変なの』と返す幸太郎。『ワックスで前髪上げたら?』、『やってあげる。開けて』と言う君枝がしばらく待つとドアが開きました。そして、幸太郎の部屋へと入った君枝の目の前には『きれいに整頓され』た部屋があります。『布団の中に入ってい』る幸太郎と『ワックスって?』、『髪を固めるの』、『持ってるの?』、『持ってない』と会話する中、『掛け布団の上から、犬井の隣に寝転んだ』君枝は『小さい頃から知っている男の子って、緊張しない』と思います。そんな幸太郎と会話する中に『制服、着るわ』と言い出した幸太郎。そして、ニニさんが用意してくれた朝食を一緒に食べた二人は、家を出ます。『久しぶりで学校へ行くのって、ドキドキするもの?』と訊く君枝に『地面がふわふわする』と答える幸太郎。そして、会話を続ける中に、『今すぐ、二十五歳になりたいわ』とボソッとつぶやく幸太郎。そんな言葉を聞いて『二十五歳の自分に思いをはせようと』する君枝ですが、『そんな大人のことは、想像もできない』と思います。
場面は変わり、昼休みの時間になったので、『パソコンの画面を閉じて、バッグから財布とケータイを取り出し、階段へ向か』ったところで『丸山さん』と『二歳年上で、二十七歳のミカミさんという男の人』に声をかけられた君枝。『また、階段で下りて、公園に行って、丸山さんはひとりで昼ごはん食べるんですか?』と訊くミナミに『階段で下りると、足を使うので、気分が変わるんです』と返す君枝ですが、『そうじゃないでしょ?当ててあげましょうか?エレベーターで下りると、他の人たちと一緒になって気を遣うから、嫌なんじゃないの?階段は、ひとりになれるから好きなんじゃないの?』と言われてしまいます。『来年は一緒に、お昼ごはんを食べようね』と続けると『階段から離れ、エレベーター乗り場へ行ってしまった』ミナミ。一方で、『十一階から地上まで、くるくると下りていく』君枝は『今度一緒に昼ごはんを、と、この三年間の間に、何度も言われたことがあったけれども結局、一回も食べていない』と思います。『私がこの会社にいるのは、あとひと月ちょっとだ。私は二月の初めに辞める予定だ』と思う君枝。そして、『二月の初め、引き継ぎも終わり、会社を辞める日、最後にガードマンさんに挨拶を』して会社を後にした君枝は、『もう誰とも会わない』、『読み合わせはなし』、『ガードマンさんにも会わない』と思います。『あるのはタイ行きのフライトチケットのみ。これからの人生に対する、二十五歳の私の手持ちのカードはゼロなわけだ』と思う君枝。そんな君枝のそれからが描かれていきます。

“中学に入ってから不登校ぎみになった幼なじみの犬井。学校という世界に慣れない私と犬井は、早く25歳の大人になることを願う。11年後、OLになった私だが、はたして私の目に、世界はどのように映るのか?14歳の私と25歳の私の今を鮮やかに描く文藝賞受賞第一作”と内容紹介にうたわれるこの作品。デビュー作「人のセックスを笑うな」で第41回文藝賞を2004年に受賞された山崎ナオコーラさんの二冊目の作品となります。

文藝賞を受賞された方でその後芥川賞を受賞された方は多々いらっしゃいます。それもあって私は同作のレビューでも山崎ナオコーラさんの作品は芥川賞っぽい雰囲気に満ち溢れた作品だと書かせていただきました。そんなデビュー作に続いて刊行されたこの作品も前作同様に印象に残る表現がたくさん使われています。この作品では自然を描写した表現を見てみましょう。

 『海は相変わらずだ。分厚いカーテンをめくってレースのカーテンを揺らすみたいに、あるいは、スカートからパンツを見せるみたいに、波を次々と起こし、そして砂に溶ける。繰り返す繰り返す』。

学校への道を二人で歩く君枝と幸太郎という場面で描写されるのが『海』の様子です。『波』を描写する表現は他の小説でも多々あると思いますが、『レースのカーテンを揺らす』、さらには『スカートからパンツを見せる』と表現するのは極めて独特です。次は大人になった君枝が一人目にする光景です。

 『サンセットは七時半。まるで火の玉だった。線香花火の終わりのような、火だるま。赤くなり、黄色くなり、膨らみ、周りの空をピンクにする。太陽が見えなくなったあとも、しばらく雲は燃えていた』。

こちらも印象的です。『サンセット』を『線香花火の終わり』に例えるこの表現。雄大な情景が見えてくるのを感じます。そして、こんな情景を見せる『サンセット』は実は日本ではないというところがこの作品のもう一つの読みどころです。この作品では、二十五歳の君枝が勤めていた会社を退職し、東南アジアを旅する様が描かれていくのです。『退社二日後には、タイ行きの飛行機に乗っていた』と『初めての海外旅行』へと旅立つ君枝。

 『タイのバンコクにある、エメラルド寺院の庭を、日差しを受けて歩く。それから靴を脱いで、暗いお堂に入る。透き通る緑色をした、猫ぐらいの大きさの、エメラルド製仏像がある。それに向かって五十人ほどの老若男女がひざまずき、手を合わせ、祈りをささげていた』。

『エメラルド寺院』の通称で知られている”ワット・プラ・ケオ”を訪れる場面からそんな旅の描写は始まります。恐らく山崎さんは実際にこれらの場所を訪れたことがおありなのだと思います。

 『また歩くと、大蛇がいた。飼育係の男の子が、私の首に巻こうとするので「ノー」と言って飛びのいた。恐ろしい。どこから来た?と聞くので、「ジャパン」と答えた。すると、「ジャパニーズ?彼女、ジャパニーズだってさ!」と、ふれまわる』。

街歩きの様子はこのようにとてもリアルです。私もタイを訪れたことがありますが、ここに描かれていく情景は自然とそんな時のことを思わせるほどに自然体で描かれていきます。

 『タイには一週間近く滞在した。バンコクを出て、次はマレーシアへ向かう。バタワースまで寝台列車で移動して、そしてペナン島へ渡ろう。ゆっくりと旅行して、最後は、ミャンマーだ』。

そんな風に君枝の東南アジアの旅が描かれていくこの作品。『マレーシア』、『ミャンマー』とそれぞれの国の違いを感じさせる巧みな描写の中に、そこで生活する人たちの姿が見えてもきます。どこか”旅小説”の趣も感じさせるのがこの作品のもう一つの魅力だと思いました。

そしてもう一点、この作品には君枝が書く手紙が複数登場します。作品全体で合計179通もの手紙が登場する三浦しをんさん「ののはな通信」などの手紙で魅せる小説とは異なりますが間違いなく一つのリズムを作っていきます。一通だけ取り上げておきましょう。

 『神様へ こちらは夏です。神様のところも夏ですか?蚊はいますか? 丸山君枝より』

はい、これだけだと全くもって意味不明だと思いますが、物語中、こういった手紙の描写が登場することで作品の印象には大きな違いが出てくると思います。これから読まれる方には、そんな手紙の登場にも是非ご期待ください。

さて、そんな魅力に満ち溢れたこの作品ですが、構成にもこだわりがあります。物語は、中学二年生になった主人公の君枝が、『一年生の終わり頃から、学校に来ない』という幼なじみの幸太郎を家に迎えに行く場面からはじまります。不登校問題を扱う物語と思いきや幸太郎は普通に登校をはじめ、物語は君枝の学校での様子を描く”学園物語”として展開していきます。そこには、青春を生きる中学生ならではの思いが多々込み上げます。

 『クラスの女の子たちが造語で喋り合ったり、お互いを必要以上に誉め合ったりしてベタベタしているのをよく見かける。ちょっとしたことで歓声をあげて抱き合ったり、自分の考えを大事にすることよりも、協調性を持つことに価値を見出したり』。

『必要以上に女の子と仲良くしてこなかった』、『女の子に不慣れ』だと自身のことを思う君枝はなかなかに生きづらい日々を生きていきます。数多の小説にはこんな少女たちの悩み苦しみを描いていく作品も多々あり、それはそれで十二分の読み味を示す物語だと思います。しかし、この作品はそれだけではないのです。それこそが、幸太郎がつぶやいたこんなひとことの先にある世界です。

 『今すぐ、二十五歳になりたいわ』

物語は、そんな言葉を現実にするかのように二十五歳になった君枝の姿を並行して描いてもいくのです。そうです。この作品は、十四歳 → 二十五歳 → 十四歳 → 二十五歳…と君枝の二つの時代を交互に描きながら展開していくのです。これは面白いです。十四歳の君枝はこの先の人生に今は想像ができないものの二十五歳の時代があることを認識しています。一方で二十五歳の君枝は、十四歳の時代を行きたその先に今の自分がいるんだということを思います。このように一人の人間の複数の時代を一つの作品の中に描く物語は他にもあります。しかし、それらは一般的にはいずれかの時代をまず描いた上で次の時代を別に描くという構成がなされていると思います。この作品のように二つの時代をそれぞれ現在進行形で並行して描いていく作品は珍しいと思います。そして、そんな物語は、十四歳、二十五歳、それぞれの時代の中で結末を迎えます。

 『元来私は、好きな人に対して以外に、仲良くなる努力をする気が起きない』。

そんな君枝の二つの時代を切り取って描く物語。そこには丸山君枝という一人の女性が、いずれの時代にあっても『自由』を願い生きていく、そんな彼女の姿を映した物語の姿がありました。

 『人生ってきっと、ワタクシたちが考えているより、二億倍自由なのよ』

そんな幸太郎の言葉に『自由』という言葉の意味を思う主人公・君枝を描くこの作品。そこには、君枝の二つの時代を交互に描くからこそ見えてくる物語の姿がありました。山崎さんらしい言葉選びを楽しめるこの作品。”旅小説”の楽しみもあるこの作品。

子供の頃、大人になった姿を自分はどう思い描いていたのだろうかと考えてもしまう、そんな作品でした。

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2025年02月24日

Posted by ブクログ

なかなか良かった。カラッとした寂しさがある。
子供のころの(今思えば)奇妙なこだわりや焦りを思い出した。アジア各国の描写も良い。

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2024年02月01日

Posted by ブクログ

14歳と25歳の主人公。宗教や他人との関わり、自分の思う価値観。旅行先での情景は自分の中でとても想像できて、頭の中でタイヘ旅行できました。山崎ナオコーラさんは心を動かされる言葉や文があって、今回も読んでよかったととても思いました。

個人的な話で、小学生の頃くだらない理由で『絶交!!』って言って絶交した子がいて中学時代は一切口も聞かなくんです。その子に成人式の時に数年ぶりに会って『あの時は若くて見栄張ってた、ごめん』と何年か越しに仲直りしたことを思い出しました。

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2022年05月21日

Posted by ブクログ

ふわふわ不思議な読み心地。壁を撫でて歩いたり、コップの膨らみに魅力を感じたり。ナオコーラさん自身、世界に敏感で感受性豊かな人なんだろうなー、と。

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2020年05月03日

Posted by ブクログ

14歳の思い出の私・丸山と25歳の現在の私のストーリーが並行に進んでいく。14歳の私は女の子同士仲良くしないといけないみたいな常識にとらわれるのが嫌いで、仲良くなりたい子には話しかけるけどそれ以外は無関心。25歳の私は相変わらず人付き合いは控えめでお昼もほとんど1人で食べていたが、もうすぐ職場を辞めてアジア諸国へ旅行しようと思っている矢先、同じ部署の2歳年上男性と食事をすることになる。思い出と現在が交差しながら自分自身を見つめたり、人との関わりを見直したり、神様について考えたりするという内容。私自身もあまり人とベタベタするのが苦手な方なのでなんとなく丸山の気持ちがわかるような気がした。(ちょっと丸山は偏屈すぎるけど。)犬井とも、鈴木くんとも、よくある恋愛関係にならないで友達のまま、職場のミカミさんともそんな関係にはならず、そんなとも良かった。誰とでも仲良くなれなくたって、別にいい。恋愛してなくたってべつにいい。もっと素直でいい。神様との手紙のやりとりとか、ミカミさんとの手紙とメールのやりとりが読んでて面白くて、誰かとこんなふうに会話出来るなら人生捨てたもんじゃないよなぁ、と少し羨ましかった。ミャンマーで犬井に再会するのかと思ったらまさかのあの人。彼女の手紙にグッときた。

ストーリーの進み方がジブリの『おもひでぽろぽろ』っぽかったので結末もあんな感じなのかと思ったけど違いました。面白かったです。

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2020年02月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

柔らかで読みやすい話。
いろんなキャラクターが出てきて、そのどれもが個性を持っていて愛おしい。中学生ゆえの苦さや甘酸っぱさ、どうしようもなさがあるし、それは大人になっても同じ。14歳の時がそうだったように25歳になっても悩みは尽きなくて、人間関係で悩む。ただ大人になった分、やり過ごし方を知っているだけ。それはいいことなのか悪いことなのか。
この本を読んで思ったことは、「やはり全部自分次第なんだな」ってこと。
ラスト、今まで人とランチをすることを拒んでいた主人公は新しい職場の上司とたまたまランチをすることになる。最初は身構えていたけど、会話をしてみるとおもしろくって普通に笑えた。
そこはジーンとくるし、そうだよな、と思った。
繊細な心はたぶんいつまでたっても繊細なままだけど、確実に強度は増していると思う。
14歳の“私”がそのまま25歳になったわけではない。でも14歳の私も大事。
とても好きな話です。穏やかでゆるやか。たぶんみんな犬井のことを好きになるよ。

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2015年02月15日

Posted by ブクログ

14歳の私と25歳の私。
いくつになってもいつでも、私たちは大なり小なり悩みを抱えて生きているのだ。そして、どんなに年齢を重ねていっても、自分という存在も人間関係もややこしいものなのだ。

きっと、犬井に会いたくて、ミャンマーを旅の終着地にしたはずなのに・・・出会えたのは・・・。犬井の14歳以降の歩みがとても気になってしまうのです。

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2013年11月16日

Posted by ブクログ

山崎ナオコーラさんの文章は不思議。
いつも必ずドキッとさせられる。
薄暗い部屋のブラインドが上がって太陽の光が射し込んだかのような、3色刷だった世界がフルカラーになったかのような、そんな感覚。
見慣れた風景が輝きをまして、いとおしくなる。
私が立っていたのはこういう世界だったのか、と思う。

いいことばかりじゃない。
みんなのことが好きで、誰からも好かれて、そんな人間じゃない。

でも、だからこそ、心が通い合った時の喜びは大きい。
だからこそ、好きだと思える存在は愛しい。

神様との文通シーンが特に印象に残っている。
率直な言葉のやりとりがとても好き。
神様が「君枝ちゃんは、なんか、熱いよね。」って手紙に書くのを想像して、神様なかなかいいノリだなぁと嬉しくなる。
誰かが神様のふりをして書いてても、本当に神様が書いてても、どっちでもいい。
でも、この人が書いてたら1番嬉しいかもなと思う人はいる。
だから私の脳内ではその人が手紙を書いたことになっている。

本当にいい加減だけど、私の生きている世界は結局私の目と耳と手と鼻と口と足と‥、とにかく私の体が感じた世界だ。
そこを抜け出すことは出来ない。私のままでは。
だからいいんだ。
私の世界に存在する『浮世でランチ』では、こういうことになってます。そう胸を張って言おう。

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2013年06月02日

Posted by ブクログ

なんだか、定期的に読み返したくなる本。
単行本購入時に、帯に書かれていた「明日の私は誰とランチを食べるの」が最近ぐるぐると頭を巡って、久しぶりに手に取った次第。

デビューから二作目ということもあるのか、ナオコーラさんのストレートな書きっぷりが気持ちいい話だなぁと思う。
ぎゅっと、胸をつかまれる言い回しもあって、付箋たてたくなる。

三上さんが、最初に読んだ頃よりも好きになってる。

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2013年05月13日

Posted by ブクログ

小説に流れている空気感がとても心地よい。
ゆったりとしていて、淡々としていて、
彷徨いながらも道を歩いていく。
自分のペースで。

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2013年03月10日

Posted by ブクログ

14歳と25歳の丸山君枝を交互に描く。14歳の君枝は中学生、母がミャンマー人である犬井をはじめ、タカソウ、新田、鈴木くんといった友だちと始めた「宗教ゴッコ」。だが、いつしか丸山は「もう神は信じない」とそれを拒絶してしまう。一方25歳の丸山は仕事を辞め、東南アジアへ旅に出る。曾ての先輩であるミカミさんとのメールのやり取りをしながら、最後の目的地・ミャンマーではケンカ別れしたままだった新田と再開を果たす。彼女曰く、実は「子供の頃、丸山がうらやましかったんだよ」と。
思うに、彼女は潔癖性だ。人間というものに。よくも悪くも自分の世界、というか自分の考えを持っているが故に、周りの人と自然に付き合えない。14歳の彼女は自分の決めた人としか付き合わなかったが、25歳になっても「昼ご飯を一人で食べること」に拘る、という形で、それは継続される。例えば宗教だったり、もしくは世間の価値観だったり強い者だったり、そうしたモノに自らの意思を任せれば楽に生きられるのに、無意識にそれを拒絶している気がする。p122「『上手く喋れないけど、分かって欲しいの』、としか考えていない人の言葉に、耳を傾けたいと思う人はいません。」とはミカミさんの言葉だが、それに感情的に返そうとしつつも、結局は間を置いて冷静にそれに返答したのは、彼女のちょっとした変化なのかも。そこまで生きづらいながらも大切にしたいものって何なんだろう?自分も丸山と同類であるが故、そんなことを考えてしまう。周りに流されたいけどなぜだか流されきれない、そこに生きづらさの要因があるのではないか、と。

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2013年02月18日

Posted by ブクログ

主人公は、なにかと「触る」。
まるで実体のあるものに触れていないと、自分の足が地に着いていることを忘れてしまうかのように、周りの人とは違う考えを持った大人な14歳。
25歳になってもどこかふわふわしている様子は、自由に見えて何かに縛られているようにも感じられた。
神の存在、何かを信じ、その制約の中で生きる意味って、やっぱりよく分からないと思った。
でも、たとえその言葉が受け入れられなくても、仲間内で思ったことをはっきり言える姿は憧れだな…

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2013年01月25日

Posted by ブクログ

ちょっと不思議な物語。共感できることがすごく沢山あったが、時には「ん?…」と思うこともあって、圧倒的に“結末的な”ものが足りなかった…

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2012年12月17日

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「それは、
 手すりにつかまってるんじゃなくて、
 愛でてるの?」

自由って何?
通じるって何?

14歳の私は、
25歳の私に思いをはせるどころか、
想像すらできなかった。

だけど、
人生はきっと私たちが思うより二億倍は自由なはずだ。

14歳の私。
25歳の私。

の二つの時間が、行ったり来たりします。
想像も出来なかった世界が、不思議と繋がっている。
経験も年齢も積み重なって、

「私は大人になって、もう、世界が怖くなくなった。
 神様の気配を感じることが、まったく、なくなった。」

神様との手紙のやり取り。
粗雑にあつかっていた時間や、
嫌悪していた友達や、
本当は本当はうらやましくて仕方がなかった友達や、
独りでいる強さを求めているのに、
誰かに翻弄されていたり、
実は守られていたり、

登場人物たちが、みんな愛しかった。

違和感として感じていたものたちを、
もう、
すっかり忘れてしまっていたのに、
ナオコーラさんの文章は、
タイムスリップするように思い出させてくれた。

「サンセットは七時半。
 まるで火の玉だった。
 線香花火の終わりのような、火だるま。」

ひとつひとつが、
コマ切れのようなのに
キレイなシーンに思えて、
断片なのに連続していて。

カツラ美容室より好きかも。

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2012年08月16日

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なんかじわじわくる。この感じはなんだろう。そうか、これが山崎ナオコーラか。だから西加奈子も題材にするんだなあーと。よくよく考えれば大半は浮世というより憂き世なのだが、それも踏まえてなかなか読み進んでしまう小説だった。

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2012年07月19日

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ネタバレ

「新田も旅行中なの?」私はそう尋ねながら違うんだろううなと予想した。ミャンマーに溶け込みすぎている。の表現好き。

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2025年05月23日

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淡々とした日常を、淡々と綴った本。
明言はない。

14歳の丸山と25歳の丸山は
並行して展開する必要があったのか?
新田との再会くらいしか交わりは見つけられず。

こう言うのあるなーとは思ったものの
心の芯をぐっと捉えられた度でいうと
「美しい距離」や「人のセックスを笑うな」の方が上回る。

ミカミさんとの文通に対して
「思った通りに書いたつもりなのに、通じさせたいことは違うんだ。」という丸山の立ち止まり方はグッときた。

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2025年01月09日

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なかなかとっつきにくいタイプの主人公。

14歳の日々
生きづらさ
友達関係
宗教ゴッコ

25歳の日々
生きづらさ
人間関係
自分探しの旅


物語には入り込めたけど、なかなか。なかなかとっつきにくかった。生きにくいだろうな、としか。
唯一、東南アジアの旅の情景が色鮮やかに心に残った

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2022年01月26日

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思ってもみない内容で正直頭が追いつかなかった。もっとじっくり噛み締めながら読めばもっと高く点数をつけられたかもしれない。主人公の、どこか偏った自分ルールに縛られている(本人はそう思わないのだろうが)ところが共感できた。わたしも自分の個性を出したいがためにおかしな方向に尖ろうとしたことがある、があまり思い出したくはない。けどそんな自分も受け入れながら堂々と前に進まなければならないのかもしれない。

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2021年02月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

14歳の私と25歳の私の日々。

14歳の私は狭くて閉じられた小さな世界で生きている。嫌いな人には近づかず、好きな人とだけ関わりあう。
若くて未来は開かれているはずなのに、こんな自意識過剰で自分本位な付き合い方じゃ、未来に繋がる人との関係なんて築けやしない。

25歳の私は自分の足でどこにだって行けて、自分次第では様々なことを選んだり選ばなかったりできる。
興味のない人の誘いにも笑顔や社交辞令を返すことができる。
でも私自身それが適切だなんて思っていない。

36歳の私はどんな日々を送っているんだろうか?
25歳の私より、うまく自分を薄めてまわりに馴染ませることができている?
14歳の私のように、衝動に動かされて今まで積み上げてきたものをひっくり返したりしている?

たとえどんな私であっても、犬井との14歳の日々は昨日のことのように思い出せるままでいてほしい。

夏のイメージの小説だった。

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2019年07月30日

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大人になりたかった。
早く都会に出て、1人で生きたかった。

25歳になった。
会社に社員に給料に締め付けられ、
セクハラもパワハラも日常化した
小さな世界で電卓を叩いている。

私たちは誰も本当の大人にはなれない。

心の中は大人になりたかった14歳の私と
何も変わらない。変われない。

思いたいだけ。大人になったと。
じゃないとここまで生きてきたモノが
崩れ落ちてしまう気がするから。

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2019年04月22日

Posted by ブクログ

山崎ナオコーラってほんとよしもとばななに似てる。風景の描写と、独特の男女付き合い。
好きだわ〜〜
旅しながらの文通っていうのがこれまた良い。
犬井に会いに行く旅かと思っていたのだが。

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2016年04月03日

Posted by ブクログ

山崎さんの文章は、ひとつひとつの表現が独特でおもしろい。14歳の私と25歳の私が交互に語られていて一気に引きこまれました。個人的にお友達としては敬遠したいタイプの主人公、でも彼女の心情を通して「人との関わり」について考えさせられました。そして、ラストに納得してないわけではないけれど、25歳の犬井君がどうなっているのかが気になるので犬井外伝を希望しますw。

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2016年02月16日

Posted by ブクログ

ナオコーラさん2作目

「論理〜」が衝撃的すぎたせいもあって、まぁまぁの印象

私に言わせれば、中学生より大学生は2億倍自由です

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2016年02月07日

Posted by ブクログ

14歳と25歳の『私』。近頃facebookなどで、「いいね!」という言葉を沢山目にします。女の子どうしの間では「かわいいね!」と言い合う習慣が身についているように感じます。自分もみんなとおなじだとか、規則を破りたくなるたちでした。本当に皆が皆おなじものをみて、おんなじように感じているのか不思議に思うことが多々ありました。『私』のきもちはいつも素直に口に出せていないけど、宗教ごっこの神との文通、会社の同僚だったミカミさんとのパソコンでのメールのやりとりではピュアな少女に見えました。悩み、もがきながら進む女性はきれいだなと思いました。しかし自分は、犬井みたいな人になりたいのです。

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2013年11月30日

Posted by ブクログ

同性に対する憧れや、嫉妬が思春期特有の瑞々しさに溢れてる。
大人になっても、丸山は丸山。無理に繕わない素直な生き方で、なんかいいな。

一番大人なのは、犬井君かな。

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2012年05月22日

Posted by ブクログ

11年の時を経て、14歳と25歳の同じ女性をカットバックで描いて行きます。
14歳の少女は自意識過剰。一般常識に反抗しつつもし切れず、孤高であろうとしてもどこかで群れて。成長した25歳の女性は、世慣れて人との距離の置き方を覚えはした物の、どこか少女時代の雰囲気を残して居る。
人間は描けていると思う。こんな女子中学生も居るだろうな。多分、著者の分身なんだろうな。でも結構迷惑な奴だよななんて思ってしまいます。でもそれがリアル過ぎるために中途半端です。エンディングもリアルで中途半端。狙いなのでしょうが。
純文学的なのでしょうが、どこか隔靴掻痒という感じがしてしまいます。

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2016年07月31日

Posted by ブクログ

山崎ナオコーラの本が読んでみたくて手に取った。

展開はうまい。けど、なんかこれまた入り込めず。。
なんだかエネルギーが分散されてしまっているような。

また違う時期に読んだら感じるものがあるんだろうか。
改め。

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2015年11月12日

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