平野啓一郎の作品一覧
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プロフィール
- 作者名:平野啓一郎(ヒラノケイイチロウ)
- 性別:男性
- 生年月日:1975年06月22日
- 出身地:日本 / 愛知県
- 職業:作家
京都大学法学部卒。1998年『日蝕』でデビュー。同作品は芥川賞を受賞。他にも『葬送』『決壊』『マチネの終わりに』など数多く執筆している。
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ユーザーレビュー
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主人公が絶えず、色んなことを自分に返って考えていて、私もこの本を通じて、木戸さんの人生を考え方を教えてもらった。震災後の木憂鬱な社会が、震災の色々な長い影響を思い出した。だんだんと真相に迫ってくるのも面白く、あっという間に読めた。
分人。自分とは何か、他人の人生を生きる自分、自分の人生を生きる他人
...続きを読む。職業・夫・父としてよ自分、そこから離れて誰も知らない土地にいる自分。木戸さんが自分とは何かを繰り返し問う中で、自分も一緒に考えることができた。いろんな自分がいる。でもどれも自分だと私は思った。木戸さんがこんなにもX探しにのめり込んだのは、木戸さんの人柄や、読書と同じ感覚でXとしての人生に現実逃避したからだろうなと思った。木戸さんとXは根本的にその無意識の義務的な優しさが似てるなと思った。
Posted by ブクログ
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プロローグ/〈母〉を作った事情/再会/
知っていた二人/英雄的な少年/心の持ちよう主義/
”死の一瞬前”/嵐のあと/転落/縁起/
〈あの時、もし跳べたら〉/
死ぬべきか、死なないべきか/言葉/本心/
最愛の人の他者性
AI で蘇る在りし日の母。
会話することで学習する彼女はどう変わっていくの?
...続きを読む蘇らせた息子はどう感じていくのか……
Posted by ブクログ
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名前は生を受けて初めに授かるもの。でもそれは極論ただのラベルにすぎない。“人”を”その人“たらしめるものとは何か、を考えさせる作品だった。
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この作品は、ある男を中心に描かれる。彼は林業に携わりながら素朴な絵を描く男で、文房具店の娘里枝と結婚し、花という娘と連れ子の悠人と4人で暮らす、よくい
...続きを読むる幸せな家庭を築いた男だった。
だが事故で亡くなったことをきっかけに、名乗っていた「谷口大祐」が本当の名前ではなかったことが発覚する。
里枝から依頼を受けた弁護士城戸が、「谷口大祐」を名乗る”X“の正体を辿っていく。
序盤ではミステリー要素にかなり引き込まれ、この男は誰なのか、ということが知りたくなり読み進めていた。
しかし読み進めていくうちに、これはただのミステリーではないと感じた。
Xの正体という点では、何度か戸籍を交換することで「谷口大祐」となった殺人犯の息子「原誠」であったが、そこは物語の本質ではないように思う。
Xが里枝と会って過ごした時間は間違いなく(何が本来かはわからないが)本来の彼だった。だが彼が原誠だったら里枝と出会っていたのか、彼の語る過去が谷口のものでなく誠のものだったらどうなっていたのか。彼は原誠、谷口大祐、簡単に割り切れる存在ではなく、原誠と谷口大祐、二人の人間が混じり合った人物だったのだと思う。
自分と違う人生、自分以外の人間が混じり合った人生を生きるのはどういう感覚なのだろうか。
違う人生を生きてみたい、というのはたまに思うが、どこか非現実的で、ありえないと思っている。でもそれが叶った時、そしてそれを心から望んでいた時、自分はどういう気持ちになるのだろうか。
私自身、”名前”について考えたことがなかった。親から与えられたもので、それに対して違和感や疑問を持つことなく、当然のものとして過ごしてきた。
だが、名前というものは唯一のものである一方で親や子など他者との繋がりを持ち、そして戸籍がなくなってしまえば案外脆いものなのだと思った。
本書の冒頭では、小説家である”私”が出てくる。
彼は、「他の登場人物(おそらくXなど)を主人公にしなかったことを疑問に思うだろうが、城戸さんにこそ見るべきものを感じた」と言っている。
おそらくは「谷口大祐」を名乗る”X“と、在日3世の弁護士城戸がどこか自身の存在に不安を持つという共通点を持ち、のめり込んでいく城戸にこそ魅力を感じたということなのだろう。
アイデンティティの不安定さに共通点を見出す著者がすごいと思った。
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内容として素晴らしいのはもちろん、本書の構成も練られたものだった。
最後にまた序章を読み直すことで、”私”から見た城戸を改めて見ることができる。
それにより、今まで読んできた”城戸章良”という人間は実在する人物だったのか、を疑わせる構成となっている点に、さらに感動。
Posted by ブクログ
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これ以上分割できないものとして近代西洋哲学の概念の基礎となる個人(indivisual)に対し、平野啓一郎さんが対人関係毎に異なる自分があり、その総和が自分であるという分人(divisual)の考えを提唱した本。
【場面ごとに異なる自分】
平野さん自身が経験した違和感として、以下のような場面により
...続きを読む異なる自分の現出がある。これらの場面で、どれが本当の個性であり、自分であるか戸惑った。
●カトリックの学校で友達とにぎやかに過ごす自分⇔家に帰り小説の世界に一人没頭する自分
●パリ留学中フランス語上位クラスで寡黙で陰気な自分⇔パリの日本人コミュニティの中で饒舌で陽気な自分
●大学の友人との飲み会に高校の友達が参加したときの居心地の悪さ
●対編集者、対母、対子供、対作家での自分
【ペルソナの問題】
ペルソナに代表されるように本当の自分があり、場面ごとに仮面を付け替えていると考えたときに、この本当の自分がはらむ問題として、以下がある。
1.誰とも「本当の自分」でコミュニケーションを図ることができない
2.一方的にこちらが決めて演じるものではなく、あくまで相手との相互作用
3.他社と接している「分人」には実態があるが、「本当の自分」には実態が無い(本当の自分が存在しているかどうか、それを感じる時がない)
【個人と仕事の関係】
個人が注目されてきた理由の一つとして、個性と仕事の関係性を取り上げる。
仮説)個性の尊重は、将来的に個性と仕事を結びつけることを意味している。つまり、自分のしたい仕事をすること事こそが、個性的に生きるということ。
仮に上記を達成しようとした時に、問題となる事実が、「職業が個性に基づいて用意されていない」ことである。例えば、手紙を届けるのが好きで得意な人がいるから、郵便屋さんの仕事ができたのではなく、手紙のやり取りをする必要性から、郵便屋さんの仕事ができている。
誰しも今の自分がやりたいことは何か、今の仕事が本当にやりたいことか悩む場面があり、ここにアイデンティティの苦しみが生じる。その結果、内側にベクトルが向くと引きこもりに繋がったり、外側に向くと自分探しという行為に繋がる。これは真綿で首を絞められるような苦しみである。
【個人の発生】
個人の発生は、キリスト教と言語学や自然科学のような論理学の2つの側面から生み出されたと考えられる。
●キリスト教・・・誰も二人の主人に仕えることはできない。ただ一つの本当の自分で一なる神を信仰しなければならない。
●論理学・・・分けていくことで世界を記述しようとする。
【分人の発生】
自分の個性を尊重されたいと思うと、他人の個性も尊重しなければならない。その場合、本当の自分をゴリ押しできず、その場でコミュニケーション可能な人格をその都度作る。しかし、誰かと会うたび全く新しい自分であることはできない。反復的なコミュニケーションを通じて形成される一種のパターンが人格であると言える。
これらのコミュニケーション上の傾向から、分人の発生プロセスを考える。
1.社会的な分人の形成/エレベーターでの会話をする自分、行きつけのコンビニでの自分
2.グループ向けの分人の形成/学校やコミュニティなどでの振る舞い、キャラ
3.特定の相手に向けた分人の形成/自分の個性を認めてもらったうえで付き合ってほしい特定の人(恋人、親友、親、兄弟など)
【分人で考えなおす】
●誰と付き合っているかで分人構成比は変わる。その個性が個性。
●個性とは生まれつき不変なものではない。
●変化を肯定的にとらえられる。
●好きな分人を足掛かりに人生を肯定的に生きられる。
【自分と他者を見つめなおす】
分人で考えると、すべての自分を構成する分人は他人との相互作用であるから、どんな悩みも半分は他人のせい、ポジティブな結果も半分は他人のおかげさまと捉えられる。
先の大学の友人の飲み会に高校の友達が入り気まずさや中学校の運動会で必死に騎馬戦を戦っている姿を親に見せたくないのは、分人を混ぜたくないと考えている。
私と仕事どっちが大事なのという問いも、仕事の分人と私の分人どちらが大事なのという問いに置き換えられる。
【分人思考で自分を好きになる】
●世界か、自分かどちらかを愛する気持ちがあれば生きていける(小説「決壊」)。●人はなかなか自分を好きだと堂々と言えない。しかし、誰それといる時の自分は好きと言いやすい。
●誰かといる時の自分が好きということは、他者を一度経由している。
●自分を好きになるためには、他者が不可欠であるとうパラドックスこそが分人主義における自己肯定に繋がる大事なポイント。
【愛すること、死ぬこと】
分人主義では、誰かの存在で自分や相手が自身を愛せるようになることが愛と考える。
愛とは一時的なものではなく持続する関係。相互の献身の応酬ではなく相手のおかげで、それぞれが自分自身に感じる特別な居心地の良さではないかと主張する。
分人は、コミュニケーションで少しずつリフレッシュされる。ここから死について考えると、死とはその人との分人が更新されないことを意味する。また、殺人はその人だけではなく、周辺の人たちからさらに周辺の人に広がる無限の分人リンクを破壊する行為である。老いるということは、自分自身の分人を整理していくということ捉えられる。
【個人主義と分人主義まとめ】
個人主義(indivisual)…他者とは明確に区別される。栄光はあなたの手柄。=>分断的
分人主義(divisual)…他社との関係においては不可分である。=>非分断的
個人主義は一個の独立した自分を想起させ、どこかに本当の自分があり、自分の本当にやりたいこと(仕事)を選んで、社会に貢献させる。一方で、他者とのかかわり方が一定でないため、本当の自分を想定したときに偽りの自分を演じている感覚に陥る。また、本当の自分がやりたいことはなんだろうという漠然として真綿で首を絞められるような苦悩を味わう。
分人主義は、本来人間が人と人との間に存在するもので、他者と不可分であるが故に、すべての場面の自分を肯定的に受け入れられる。大きな悩みがあってもそれは、すべて自分の責任ではないという、駆け込み寺のような救いに繋がり、何か成功しても、半分は他人のおかげという感謝の気持ちに繋がる。これ以上分けられない個人主義が生んだ他人との分断を埋め、肯定的に他者との関係の中で生きていく視点の転換になる考えだと思います。
Posted by ブクログ
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たった3度の出会いで変わってしまった過去と未来、とても広大な三角関係。戦争や精神病、その他色々の情勢のより深く知ってたらもっと面白かったのかな、にしても三谷の気持ちは凄くわかる
卵が奪われた親鳥の気持ちの様な...けど洋子側が不憫すぎる結局1人になったのはダメだよ...
Posted by ブクログ
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