あらすじ
嫌いな自分を肯定するには? 自分らしさはどう生まれるのか? 他者との距離をいかに取るか? 恋愛・職場・家族……人間関係に悩むすべての人へ。小説と格闘する中で生まれた、目からウロコの人間観! (講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
ここのところ、バナナの柿内尚文さんなど、教科書のように読みやすい自己啓発本ばかり立て続けに読んでいたために、最初の入が「うっ…理屈っぽい文面ひさびさ…」と少し臆したがw、読み進めるうちにあれよあれよと引き込まれてあっという間に完読した。
いやーーーこれだわこれ。
これなんだわよ、って感じ。
元々自分自身がとんでもなく八方美人な上に気分の波があり(一応ほぼバレていない)、鬱期のどす黒い部分は全て夫と息子に請け負ってもらえているものの、私って多重人格なのかな…くらいに長年悩んでいたので、この本でようやく自分というキャラクターに対しての辻褄が合ったなぁと思えた。
とんでもなく面白かった。
対人関係が上手いと自負している方こそ読むべき。
平野啓一郎の本はしっかり読んだのはこれが初だし、残念ながら私は彼の信じている宗教についてはアンチなので他は興味が湧かないが(ところどころで自分の本を惜しみなく引用されてるのはややウザかったwww)、この本はものすごく勧めたい。
Instagramの投稿、めんどくせーなー、と思ってたけど、この本読んだら、どんな私も私だから、離れる人は離れりゃいいやね。と思えた。
Posted by ブクログ
なんじゃこれはーーーー!!!
SUKI!!!
小説家平野啓一郎さんの「分人主義」について書かれた新書。
個人とは英語でindivisual。
つまり「分けられない」って意味。
でも平野さんは個人は人格を表す最小単位ではなくて、
「divisual」つまり「分けられる人」である「分人」が最小単位だと考えた。
分人とは、
対人、対グループによって変わるその人の人格。
確かに、あなたも会社での自分、家族といるときの自分、友達といる時の自分とでは性格が違う気がしない?
もっと言えば、大学自体の友達と高校時代の友達とでも違うし、大親友の前でも違う。
だから、たった一つの「本当の自分」なんて存在しない。
対人関係ごとに複数の顔を持つのが人間で、
それをまとめて「本当の自分」と呼ぶ。
人は、中々自分の全部が好きとは言えないけど、
誰かといるときの自分が好きなことはある。
要するにそれが愛。
だから愛は自分を愛することでもある。
え。最高。
Posted by ブクログ
たとえば、会社で仕事をしているときと、家族と一緒にいるとき、私たちは同じ自分だろうか?
本書では、それぞれの自分を『分人』と定義して解説している。
学校や仕事、家庭で辛い思いをしている人に読んでほしいし、自分ももし辛いと感じたときは読み直したい。
絶対にそれがその人の全てにはなり得ないし、その理解は人生を楽にしてくれるはず。
以下印象に残ったこと
・『分人』の構成比率がその人の個性となる。
もし生きづらいと思えば、金融資産のようにそのポートフォリオを調整していけばいいし、いろんな分人に分散させることはリスクヘッジにもなると思った。
・自分が好きな分人を大切にすれば、自己肯定感や幸福感が高まる。
分人は必ずしも対人間でなくてもよくて、例えば仕事、社会貢献、本や映画、趣味に没頭することでも良い。
一般的に専業主婦がストレスを抱えてしまうのは、家庭での分人しか足場が存在しないから。
分散させ、好きな分人の割合(心の中の充実感)を増やしていけばいい。
Posted by ブクログ
- おもろいなぁ
- 自分の中には幾つの、どんな分人があるんだろう
- 「愛とは、相手の存在が自分自身を愛させてくれること。そして同時に自分の存在によって、相手が自らを愛せるようになること」。これは尊い考え方・尊い関係性だなぁと思った。大切な人にとって、そういう人間でありたいなぁと思った。
- 1人で部屋で考え事している時の自分もやっぱりいわゆる「本当の自分」ではなくいろんな分人が入れ替わり立ち替わりして思考している、というのは納得した
- 一方で、部屋でダラダラTwitter見たり怠惰に過ごしている自分はどうなんだ?と思った。これも誰かに対する分人の影響でダラダラしているのかな?
Posted by ブクログ
自分がこれまでに感じていた、自分自身と対人関係に関するモヤモヤが綺麗に言語化されていて、とても爽快な気持ちをあじわえた一冊だった。
「本当の私」について考えたことがある人にはどストライクな一冊だと、個人的には思う。
Posted by ブクログ
自分はなんであの人と同じように喋れないのだろう?あの人は明るくて楽しくて素敵だなぁとコミュニケーションの比較をして落ち込むことが多くあります。
しかし、「分人」という考え方を知ってから、落ちこまず考えられるようになりました。
もう一度読んでまた深めたいと思います。
専門用語など使わず、わかりやすく書いてくれているので読みやすくて良かった。
Posted by ブクログ
本当の自分など存在しない。基本的に外的要因によって、その場その場で集団や個人に対する自分の「分人」が生まれ、その分人らの構成比率によって「個性」なるものが形作られているだけである。私はたちは誰と相対する時もその人の自分向けの「分人」とし関わることは出来ず、自分もその人向けの「分人」としてしか関わることは出来ない——————
読み進める度に心のモヤモヤが晴れていくようだった。この分人の比率を上げたい、こうした分人を自分の中に出現させたい、というぐらいの欲であれば苦しくならずに前に進めるような気がした。
Posted by ブクログ
本当の自分を追い求めることが求められている現代社会。その中で感じる息苦しさを個人を分解した分人という概念で解きほぐしてゆく。著者が小説を探究して来たこのモチーフを、他の思想家からの引用などはほとんどせずに誰にでもわかりやすいエッセンスとしてまとめた一冊。
Posted by ブクログ
・ロボットと人間の最大の違いは、ロボットは–今のところ–分人化できない点である。もし、相手次第で性格まで変わるロボットが登場すれば、私たちはそれを、より人間に近いと感じるだろう。
2012年に発行された本書。時を経て現在、chatGPTの登場で(ロボットではなくAIではあるが)相手に合わせた返答ができるAIが当たり前になりつつある。筆者もある程度予想はしていたかもしれないが、ここまで早く浸透したことには驚きを感じているかもしれない。
特に若い世代のあいだでは、相談相手としてchatGPTが使われている。それは筆者も言うように「私たちは、尊敬する人の中に、自分のためだけの人格を認めると、嬉しくなる」という人間の特性に、chatGPTの機能がぴったりと当てはまっているからかもしれない。
自分が希望する呼び方で呼んでくれて、「前に◯◯って言ってたもんね」と過去の会話も覚えている。さらに耳障りのいい話を優しい口調で話してくれるとなると、これ以上に都合の良い友人はいないだろう。
・私たちは、一人でいる時には、いつも同じ、守備一貫した自分が考えごとをしていると、これまた思い込んでいる。しかし実のところ、様々な分人を入れ替わり立ち替わり生きながら考えごとをしているはずである。無色透明な、誰の影響も被っていない「本当の自分」という存在を、ここでも捏造してはならない。
これを読んで思い出したことがあった。
私は小学生のとき、「本当の自分」を探して苦しんでいた。家族と過ごすときの陽気で親に甘えがちな自分と、学校で友人と話すときのおとなしい自分。あまりにもキャラが違ったため、親が学校に来たり、友人が家に来たりすると恥ずかしかった。
こんなキャラの違いが周囲にバレたらどうしよう、そして果たしてどちらが「本当の自分」なんだろう、とよく考えていた。
いま思うと大人への成長過程でよく見られる思春期特有の悩みの一つでもあるが、当時は、こんな芯のない自分は変なのではないか?と本気で悩んでいた。
当時、本書と出会っても理解することは難しかったかもしれない。だが家の自分も、学校の自分も、どれも「本当の自分」で、環境や相手によって異なる自分が現れることは当たり前だという筆者の考え方は、当時の私はもちろん、思春期を過ごす多くの子どもたちを救う気がした。
また「分人」という考え方を知って、最近気づいたことがあった。
普段、温厚で愉快な私の夫は、ゲームをすると人格が変わる。「車のハンドルを握ると人格が変わる」と言われる人がいるのと同じで、コントローラーを握ると対戦相手に対する罵詈雑言をよく吐いている(相手には届いていない)。あまりにも頻度が多くて「うるさいよ」と私が言うと、普段の夫に戻って「ごめんネ!」と返してくる。
なぜあれほど人格が変わるのかと奇妙に感じていたが、本書を読んで分人化しているのかと気づいた。対戦ゲームをしているときの分人と、私向けの分人がいて、意識を向けている相手によって分人が切り替わっている。そう考えると少し理解できた。
自己理解や他者理解、人間関係やアイデンティティについて思い悩んできた人にこそ、深く刺さる一冊。
以下、印象に残った箇所✍(今回は多い)
・貴重な資産は分散投資して、リスクヘッジするように、私たちは、自分という人間を、複数の分人の同時進行のプロジェクトのように考えるべきだ。
学校での分人がイヤになっても、放課後の自分はうまくいっている。それならば、その放課後の自分を足場にすべきだ。学校での自分と放課後の自分とは別の分人だと区別できるだけで、どれほど気が楽になるだろう?
新しく出会う人間は、決して過去に出会った人間と同じではない。彼らとは、全く新たに分人化する。自分を愛されない人間として本質規定してしまってはならない。
「人格は一つしかない」、「本当の自分はただ一つ」という考え方は、人に不毛の苦しみを強いるものである。
・イヤな自分を生きているときは、どうしても、自己嫌悪に陥ってしまう。なんであんなにヒドいことを言ってしまったのか?あの会合に出席すると、急に臆病になって、言いたいことも言えない。
分人が他者との相互作用によって生じる人格である以上、ネガティヴな分人は、半分は相手のせいである。
無責任に聞こえるかもしれないが、裏返せば、ポジティヴな分人もまた、他者のお陰なのである。
このように分人という視点を導入すると、過度に卑屈になったり、傲慢になったりすることなく、自己分析が可能になる。
・あなたと接する相手の分人はあなたの存在によって生じたものである。
相手が、あなたとの分人を生きて幸福そうであるなら、あなたは、半分は自分のおかげだと自信を持つことができるし、不幸そうなら、半分は自分のせいかもしれないと考えるだろう。
・私はそれで、彼に分人の話をした。会社の上司との分人と、妻や友人との分人とを区別して考えた方がいい。上司との間には、不幸な分人化が起きているが、自分のアイデンティティー自分の個性を考える上では、その分人の比率は大きく捉えずに、妻や友人と一緒にいる時の分人を大切にする。 自分が「分割できない個人」だと思ってしまうと、その会社の状態のままで、他の人とも接しなくてはいけない。それは楽しくないだろう、と。
不幸な分人を抱え込んでいる時には、一種のリセット願望が芽生えてくる。しかし、この時にこそ、私たちは慎重に、消してしまいたい、生きるのをやめたいのは、複数ある分人の中の一つの不幸な分人だと、意識しなければならない。 誤って個人そのものを消したい、生きるのを止めたいと思ってしまえば、取り返しのつかないことになる。
・重要なのは、常に自分の分人全体のバランスを見ていることだ。いつだって自分の中には複数の分人が存在しているのだから、もし一つの分人が不調を来しても、他の分人の足場にすることを考えれば良い。「こっちがダメなら、あっちがある」で構わない。
・いつも同じ自分に監禁されているというのは、大きなストレスである。小説や映画の主人公に感情移入したり、アニメのキャラクターのコスプレをしたりする「変身願望」は、フィクションの世界との分人化願望として理解できるだろう。
Posted by ブクログ
「自分探し」とか「本当の自分」はないんだな。
人間関係に悩んでいる人是非読んでほしい。
ちょうどこの本を読んだ頃、田中泯が対談番組で「エドガー・ア・ランポーの言葉で『私は群れである』」という言葉を紹介したけれど、それと繋がるのかな。
「自分」に対する見方を考える最適な本
Posted by ブクログ
よく言われる「本当の自分」とは何かみたいなものに感じていた感覚を言語化してくれた一冊。
近代に生まれた個人という概念=これ以上は分割できないという概念が、人間はひとつしかないのだから多面的な人間がいた場合、ひとつの面しかホンモノではなくそれ以外はニセモノであると捉えさせてしまうが、そうではなく、ありとあらゆる面を持っており、そのすべてが本物であり、その集合体で人は構成されている、そしてその構成比がそのときどきの性格、価値観みたいなものに表出しているというところは自分の感じていたところとしっくりくるものではある。その構成比が同じ感じでないと価値観の相違が生じる。
あるいはお互いの距離感にズレがあるのであれば、双方で使っている分人のフレームが違うということ。例えばこちらはAさん向けの分人!って感じでも向こうは知り合いという大枠用の分人を使っているみたいなケースだと合わない。
そしてそれは性格的な面だけでなく、恋愛的な面でも起こりくることでだから浮気や不倫、嫉妬が発生するとのこと。逆にそういったひとつなんだという思い込みが人間を不幸にする。
分人というのは他者との関わりの中からしか生まれてこない。1人で悩んでいるときもそれは結局自分の中の分人が入れ替わり立ち替わり現れているだけである。だからこそ人との交流の質が大事だなとも感じさせられたし、いいパートナーとはそのときの自分の分人の状態が自分で好きと思えるパートナーとのことで、そういった状態を作れる人になりたいと思う。
Posted by ブクログ
⭐︎私というのは孤独に存在しているわけではなく常に他者との相互作用の中にある
This book gave me a new perspective. Until now, I believed that changing my attitude depending on the person was a bad thing, and that being consistent in how I deal with people was almost a kind of virtue. But this idea—that the differences in our behavior are natural, and in fact, those variations form who we are—felt groundbreaking to me.
When I feel unhappy with myself, maybe it’s important to drastically change the balance of people I spend time with, and refresh my heart that way.
Posted by ブクログ
⚪︎一つの分人から見えるものだけが個人ではない。
-相手によって現れる別の自分もまた自分だと受け入れられて心が軽くなった。
⚪︎好きな分人を大切にしたい。
⚪︎社会的な分人と特定の相手に向けた分人、後者へ円滑に移れる自分でありたい。
Posted by ブクログ
めっちゃ面白かった。
私という「個人」は対人関係ごとのいくつかの「分人」によって構成されているという考え方がめっちゃ斬新!
でも共感できるし、そういう風に考えたらかなり気持ち楽になる〜!と思えて、既に超好きな考え方になった。
家族 友人 同僚…とか相手によって見せる顔って確かに違うけど、キャラを演じている感覚はなく、相手に応じて自然と切り替わる感覚で、その色々な顔のうちどれかが「本当の私」「ウソの私」ではなく、全部 本当の私なんだけどな〜というモヤモヤが一気に解消された。だって、私は分人の集合体だから!
人という「個人」って板チョコみたいにパキッて分けられないけど、この考え方のおかけで、自分のなかにどんな自分がいても全部受け入れられそう。
新書って今まであんまり読んでこなかったけど、こんなに面白いなんて!平野さんの小説も気になってきたー!
Posted by ブクログ
著書で語られる分人という考え方は、ずっと頭の片隅にモヤモヤしていた対人関係の悩みに気づきを与えてくれた。
個人は分けられない単位、しかしその個人には他者との関係で生まれる分人で構成されている。
中学、高校、大学の友人と関わる自分、職場の人と関わる自分、夫と関わる自分、家族と関わる自分、どれもなんだか少しずつ違う。
どれが本当の自分なのか?といった長年の疑問、とライフステージに変化するごとに心地よいと感じる交流関係が変わってきたことの違和感。
夫や現職の同僚と会話する時間が心地よい、古い友人とはあまり会いたいとは思わない。けど、友人にとっては寂しい人、釣れない人と思われてないかみたいな自意識も発動する。
分人の考え方はそんな悩みを晴らしてくれた。交流関係によって異なる自分でいいし、その時々で付き合う人が変わることは自然なこと。また、自分の大切な人にもまた、自分以外に見せる姿(分人)があることは否定せずに認めたい。
いまの自分がちょうど良いと感じる交流関係がもてればそれでいいよね、と思わせてくれた。
Posted by ブクログ
いろいろな「分人」は私にはあまりない。
いつでも大体同じ。八方美人。
ただ、その時に所属する組織によって立ち位置は違う。
違和感を感じる場合と、自分を全力発揮できる場合がある。
著者と違って、自分が普通すぎることが私は嫌だった。
特に何も飛び出たところがなく、特別な人が羨ましいと今でも感じる。
みんないろんな悩みや思いがあるんだなと思った。
友人知人の私といる時以外の分人も知りたい!
誰と一緒にいる時の自分が好きか?
これを考えることで自己分析に繋がりそう。
Posted by ブクログ
たぶん11/7〜11/20
かなり新鮮な新書。大学受験を思い出した。評論ってこんな感じだったな。新書って、主張がある分、例示に逆説、視点を変えて主張に向かう感じが若干疲れたかも。新書ってエネルギーいるかも。
中身については…、
分人主義っていうのはたしかに言い得て妙で面白かった。たしかに、今まで、本当の自分って何?本当の自分があるってことは偽って無理して欺いている自分がいるのか?と思うところはあったかもしれない。
分人主義はindividual(個人)の対義語divisualとして定義される。個人の中には、相手とのコミュニケーションを円滑にするための分人がコミュニティないしは相手単位で存在し、その構成比率をもって個人が形成されている(分数的な視点)というものである。キャラを使い分けているのではなく、その場に応じたコミュニケーションをとるために生まれる処世術みたいなものと思うのがいいだろう。この分人は相手ありきなので、相手との相互作用で構成されていくし、分人はそれぞれが完全に独立しているわけではないので、違う分人にも違う分人のエッセンスが入ったりして、これが個人たらしめてちくような話だっただろうか?
これに対応するのが、顔は一つしかないという話だ。
個人が変わる=分人の構成比率が変わる ことであり、自分を変える=環境を変えるに近しいと言える。
ここ好き
・いくら嫌いな人がいても、それは自分の分人に対して嫌な態度をとっているだけ、それは私との相互作用でしかない。だから、友人と嫌いなやつが関わっていても、こちらが口を出せるのは嫌いなやつの私に対する分人までだし、こちらが友人に語りかけることができるのは、私に対する分人まで(アイツ私にはこんな対応するんだよくらいってこと?)(101)
・どんなに憂鬱でも、消えたくても、消えたいのは私本体ではなく、複数ある分人の一つではないか?(109)
・自分を愛するには、好きな分人が1つでもあればそこを足場にできるのではないか(他者を経由している、つまり自分を愛するには他者が不可欠)(125)
・関係を持続させるための愛とは、その関係とは、相互の献身の応酬ではなく、相手のおかげでそれぞれが自分に感じる特別な居心地の良さでは?(135)
・愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」かどうか。相手の存在が、自分自身を愛させてくれるか。私の存在で、相手が自分を愛せるようになるか。(136〜138)
・個性とは、常に新しい環境、新しい対人関係で変化していくもの(161)
こんな感じ。自分を愛するってことは、必ずしもすべてを愛することではないし、相手への愛かどうかを確認するのに、相手といる自分が好きかで考えるのって明確でいいな。
書きすぎたねー
Posted by ブクログ
人によってキャラを演じ分けるという行動はだれにでもあるはず。私自身も、恋人と職場の同僚への接し方は明らかに違います。著者はそのような現象を「分人」という「個人」とは異なる単位で説明しており、生きていく上では、自分が複数の分人を抱えていることを肯定すべきだと主張しています。
本書ではあらゆる対人関係をこの「分人」の視点で解説しています。例えばコミュニケーションが苦手だと思っている人について、その原因を「相互の分人化の失敗」だと主張しているのも興味深かったです。
また、思春期の反抗も分人で説明しています。親に対する分人と友達同士の分人とが、混ざってしまうことを避けようとするからだと言います。さらに人を殺してはいけない理由についても、一人を殺すことは、その人の周辺、さらにその周辺へと無限に繫がる「分人同士のリンク」を破壊する行為であると解いています。
また、著者は小説家でもあるので、自身の小説でも分人を描いているそうです。彼の本はよく読むので、登場人物を分人の視点で読んでみたいと思いました。
Posted by ブクログ
頭の中ではぼんやり分かっていたことを、明確に言語化してくれた本。
あえてキャッチーに"分人"としてマーケティング的に使われているような気もするが、分かりやすかった。
あとは言葉選びとかがかなり哲学的で、この人の活字を見るだけでも勉強になる。
Posted by ブクログ
自分の内面を1枚の紙のように捉えていると、裏表の概念に囚われて本当の自分とは?となりがちだが、多面体(分人)と考えることで自分には色々な人の前での様々な人格がある。それは全て自分自身であり、相手との間で作り上げられた人格だから矛盾や裏の顔などではない、、ということな?
相手と一緒にいる時の自分が好きかどうかという指標も納得した。
新しい考え方を知れてよかった。
Posted by ブクログ
Xでまたバズってて読みなおした。首尾一貫した自分でいたいと思って、他人と関わり影響されることを不必要に恐れてるか、誰にでも通用するコミュニケーションみたいなのが存在するとたかを括ってサボってる自覚あり、反省
Posted by ブクログ
良かったです、タイトル通り「私とは何か」についての解釈を深められる本だなと思いました。
過去と現在、誰といるか、で何となく自分のコミュニケーションが変わることは自覚があった。
あとは、大人になるにつれてあんなに仲良かったあの子とは会わなくなったり。何となく一緒にいることに気疲れしちゃったり。新しく大好きな友達に出会ったり。そんな変化も感じていたこの頃、この本を読んで腑に落ちるところがありました。
「私という人間は、幾つもの人格の上で成り立つもの」というのが本書の内容である。その人格は他者との交流を経て形成される。
個性とはその人格の構成要素で決定するゆえに、誰と関わるか、つまり誰と関わった人格に比重を置くかで個性が変わっていくとのこと。
すごく納得した。
だからこそ、誰と関わるか、どこに身を置くか、が自分という人間を豊かにするヒントになるのだなと思いました。
大人になるにつれて出てくる違和感の正体が言語化されていた気がします。
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Posted by ブクログ
個人と分人。分人は決して多重人格のことではなく、対人関係ごとに分けられる異なる人格のこと。複数の人格すべてが本当の自分である。そのような捉えかたを分人主義という。
私にとって新鮮な言葉と考え方であった。
人によって接し方を変える。人によって指導方法を変える。平等ではなく公平になる指導。
分人という考え方で腑に落ちる事が多々ある。
Posted by ブクログ
自分の中にぼんやりとあった考えを文字にしてくれている本に巡り会うと視界がクリアになるような感覚になる。まさにこれはそういう本。
本当の私は一つでなくて、対人関係によって様々な私(分人)を生きている。
平野氏の小説の中にある考えを取り出してまとめてくれているのでまたこれを読んだあとに小説を読み返すと更に楽しめそうだ
Posted by ブクログ
人間には唯一無二の個人なんてものはなく、外との関係性で生まれる色々な人間、分人で構成されている。
だから、人生が嫌なのだとしても、その分人だけがいなくなればよいという考え方には救われることもあると思った。
ただ、この考え方を説明するのに本1冊というのは少し長い気もする。氏の他の小説を読んで補完してみたい。
ありがとう分人主義
大変現実に即したわれわれの精神の捉え方で、観察的にも統計的にも物理的にも、この説明がしっくりくるし、具体的な問題解決の方法も見えてくる。
発明、発見!
Posted by ブクログ
2025.11.23時点で今年最もガッカリした作品だ
著者は「個人」という概念の着心地が悪く、「分人」という言葉ならしっくりくると主張している
残念ながらそれ以上のものは掴み取ることが出来なかった
個人すなわち意味を探究するという点において、これは哲学である
哲学とは確かめ可能な世界のことである
しかし、本著は問いを立てたはいいものの、全然確かめ可能ではないのだ
誰もが等しく理解可能な言語の使用を放棄している
また、問いを立てては投げて、問いを立てては自著の宣伝をし始める始末
大学院の修士論文でさえ、問いを立てて、仮説を検証して、自論を述べよと教わるものだが、学者でなければ、小説家であれば、果たしてそのような基本を度外視してもよいのだろうか
例えば、私の持つ臆病さは生まれ育った家庭環境や社会生活で自分を守るストッパーとして成熟したものであると考えるが、その臆病さが個人のものなのか分人のものなのかといった議論の余地が多分にある
世の中のたくさんの人が何気なく、何の恐怖もなく過ごしている今という時間に自分は明日への不安と恐怖、おそらく杞憂に終わるものたちを抱えながら生きている
こんな時は、どんな分人なんだろうと考える
分人は完璧じゃない気がしている
今の自分は、誰とも接してない自分だと思うからだ
そうじゃないとしたら、自分は今、誰と向き合ってるのだろう?
誰の顔も浮かばず、孤独を感じる今の自分は何に帰属しているのか?
著者だけでなく編集部にも疑問を抱かざるを得ない作品である
はっきり言ってこのようなレベルであれば日記帳でやればよい
Posted by ブクログ
NF民に読んでほしいというポストを見て手に取りました。
読む前の期待値が高かったためか、自分の好みではなかったからか思ったほどの感心はなかったです。
著者が小説家ということを知らなかったので(本を読まない人ですみません)、
研究・論文・エビデンス系を期待していたためまずそこで不一致がありました。
また小説家故、自作の紹介が多く、読んでいないとピンとこないのと、無意識なのか意図してかわからないですが、著作を読ませたいプレッシャーを感じてしまい居心地が悪かったです。
前者に関しては、フィクションで書いていた「分人」について新書で出してほしいというリクエストがあって出したということで、私が勝手に勘違いしただけです。
こういった経緯があり、分人についての説明が頭にすんなり入ってこず苦戦しました。
幾人もの人が関わって平易な説明も存在するほど研究が進んでいるわけではなく、
著者が提唱するものだからか、なんかさっきと言ってること違う…?都合良く、著者が思うように整理されてる…?とかなんだかモヤッと理解できないときもありました。
でも、一番収穫だったのは、恋愛についてのところです。
常々疑問だったのが、特定の相手といる時の自分が好きとか、自分のことを好きでいてくれる相手がいて心地よいとか、結局それは自己愛の範疇じゃないか?本当に自分はその人を愛せているのか、と考えていました。
でも分人の考え方では、相互関係?だからこそ良いと解釈できてすっきりしました。
また、いじめられている人、今の場所がなんだか合わない人も、
分人の考え方で切り離してあんまり負担に思わなくても良いというのは、
心救われる人がいるんじゃないかな、と。
こんな風に、分人の考え方で物事を見てみると、収束できることもあるけれど、
全てが全てそうとも言い切れなさそうともなんだか勘で思いました。
Posted by ブクログ
個人(individual)と言う単語を分解する事で、分人(dividual)という人間の最小単位を単数ではなく分数にする様な概念を提示されている。
分人とは、「個人」と言う単位が"これ以上分けられない"、と言う意味で扱われている所を、本来は個人さえも様々な状況や関係性の上で分けることが出来る、と明言されている。
この提言は個人的に非常に共感する部分がありスムーズに内容が入ってきた。
本文でも明言されているが、関わる関係性や、人、場所、コミュニティによって自分という人間の性質やコミュニケーションは常に変化し、その都度立ち上がる仮説的な主体であると感じる事が多い。これは世間一般的に言われている「個人」や「主体」というモデルの絶対性や唯一性と反する所がある。また、私達自身も自分と言う人間に対し、「本当の自分」や「偽りの自分」と言った様な、自分を絶対視する視点を常に持ち合わせている。この様な自分を画一的な平面として捉える考え方は人生において、非常に生きづらさを生み出す物であるし、必ず他者との関係性において齟齬を生み出しかねないだろう。
その様な単一的な考え方を「分人」と言う概念はゆるく柔らかくしてくれる。特に本文の中であった、様々な人々と関わる中で、一人でも好きだと思える分人を見つけられればそれだけで生きやすくなる、と言うニュワンスの内容は私達の人生を豊かにしてくれるヒントを与えてくれていると感じた。この考え方は今現在、人との関係で苦しんでいる人や悩んでいる人の救いになってくれるのではないだろうか。
また、筆者が提示した「分人」と言う概念から、やや話はズレるが、「物語」についても思考を巡らせた。
何かを物語ることは留保をつけない限り、確定記述として立ち上がるものだろう。それは歴史を想起させる。戦勝国によって現実に起きた出来事の様々なニュワンスや視点が消され、一視点的な物語が編成される。これはある種の豊かさを限定する行為であり、暴力性を孕む営みだ。しかし、現実において私達は何かを物語る事で、この世界を捉え、曲がりなりにも生きようとしてきたのもまた事実であると感じる。この物語る事 / 留保する事の関係は個人 / 分人と言う概念と近いし関係だと感じた。個人と言う主体を強くするという事は自分を物語り、歴史化させ、自己の様々な性質や営みをある一定の隠伏をしながらも捉えようとする事だ。反対に分人と言う主体は自分をフラットな海や自然などの状態として捉え、全体を俯瞰し、その状態を是とする考え方であるのではないかと考えている。これはパラノ / スキゾにも通ずるだろう。どちらの考え方が現実を生きる上で必要か、という問いはおそらく建設的ではなく、主体というもののバランスや、程よい歴史化、そして再解釈などによる自己の描き直しなどを都度行うことでしか健全なバランスで生きていけないのかもしれないと感じるばかりである。
総じてこの本に書かれている内容によって、主体がいかに緩やかなのか、そしてそのゆるさが私たちの生きる上での、ある種の逃げを与えてくれてるという事をこの本は教えてくれていると感じました。
とても参考になりました。